【悲惨な末路】豊臣秀吉を怒らせてしまった武将5選!悲しき最後!歴史解説
Vložit
- čas přidán 31. 05. 2024
- 若い頃は明るくひょうきんで、誰からも好かれたという豊臣秀吉ですが、晩年になると怒りっぽくなり、些細なことで処罰を与えることがあったとか。
自分の考えにそぐわない者に罰を与えることで、見せしめにしようとした。そんな一面が垣間見えるのです。
そこで今回は、秀吉を怒らせてしまった人物たちをご紹介していきましょう。
ただし怒りを買うにはそれなりの理由があったようですね。
◆公式LINEを開設!ぜひ、ご登録ください。
liff.line.me/1657596280-v27Xm...
(名古屋おもてなし武将隊公式LINE)
戦国乱世の華といえば、やはり兵(つわもの)たちが集う合戦でしょう。川中島や桶狭間、あるいは関ヶ原など華々しい戦いの様子が伝えられています。とはいえ合戦は槍を持って戦うだけにあらず。多くの兵がいる以上、食べたり、眠ったりといった日々の暮らしもありました。
そこで今回は、武将や兵たちの過ごし方を一日の時系列でご紹介したいと思います。これで映画やドラマの見方が少し変わるかも知れませんね。
■出演
語り:踊舞(名古屋おもてなし武将隊)
TikTok / touma1560
X(twitter) / touma_bushotai
ナレーション:なつ(名古屋おもてなし武将隊)
Instagram / ngy_natsu
■企画制作/ほまれWORK
work.homare@gmail.com
【出演団体紹介】
■名古屋おもてなし武将隊HP ぜひ、名古屋城に会いにきてください。
busho-tai.jp/
#歴史,#日本の歴史,#秀吉
ご覧いただきありがとうございます。
天下人、秀吉を怒らせると人生が転落してしまいますね、、
今週も名古屋城に多くの視聴者さんが登城いただき、武将隊に声をかけてくれました。
本当にはげみになります。皆様にも会えること、楽しみにしています。
秀吉は天下人になるまで我慢を強いられ続けたから、それが一気に噴出したんでしょうね・・・
生き延びた政宗は頭いいな~!
そりゃ世が世なら天下獲れたって言われるはずだ
利家とまつ~加賀百万石物語~では 利家の事も警戒していた様な場面が結構ありましたが 秀吉がもう少し若かったら 利家とてもどうなったか分かりませんよね?
賤ヶ岳以降の秀吉が余りに別人すぎて!
仙石秀久の説明文、信勝のものになっていますよ~
あそこで断ってないと後に家康に北条のように消されてそうだから 信雄は正解だと思う。
そして改めて思うけど、羽柴宗家(豊臣氏)は滅んでも仕方ないほど酷いですね。
なんせ三傑全員を怒らせた男だから
太閤にとってはかつての主筋にあたる織田家が関わりの深い尾張美濃に居座られるといろいろとやりにくい事情があったんでしょうね
サムネに政宗いたから政宗出るかと思ったらおらんかった
秀次事件も秀吉の晩年の事件。
秀吉「信雄君、悪いんだけど、来週から三河に行ってくれないかなぁ? 家康がいなくなるんだよね。」
信雄「ヤダヤダヤダヤダァ~!!!尾張を離れたくないんだぁ~!!!」
秀吉「ふーん。じゃあ終わりでいいや。」
秀吉の命で秀長毒殺というのは考えにくいなあ。
人望があり豊富な人脈がある弟は、兄からすれば危険だったでしょう。
信雄は取次等で才覚を見せてたし旧織田家の結集核になられちゃ困ったんだろう
利休は世俗権力から離れた茶の湯サロンによる人脈の中枢にいたからなぁ