【ゆっくり解説】同時代の手紙から見る上杉謙信の素顔
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- čas přidán 12. 04. 2022
- ※一か所ミスがあったため、訂正して再アップロードしております。
実際の上杉謙信はどのような性格の持ち主だったのでしょうか?今回の動画では謙信本人のものを中心とした同時代の手紙から、彼の素顔を解説していきます!
なお上杉謙信はその生涯で何度も名前を変えていますが、動画内ではわかりやすさを考慮して呼び方を「上杉謙信」「謙信」で統一しています。
前回の動画 【ゆっくり解説】上杉謙信関東出兵の真実 • 【ゆっくり解説】上杉謙信関東出兵の真実
人間味たっぷりなエピソードの多い信玄公に比べて、謙信公については毘沙門の化身とした軍神や義将のイメージが先立ちますが、手紙のやりとりから人となりが垣間見えるようで考察しがいがありますね。
野戦をさせれば、当時の武将で彼に並ぶ者はいなかった。しかし、政治力がなく家臣達をまとめるのに苦労した。人たらしといわれた秀吉とは真逆の武将だ。だから酒と得意の戦さでその憂さを晴らしていたのかもしれない。また彼は教養もあり頭が良すぎ、部下たちとはレベルが合わず孤独感をもっていただろう。
コメントありがとうございます!おっしゃるように頭脳明晰でプライドが高く周りがバカに見えてたという部分はありそうですよね。
謙信のひらがな、本当にひらがなで凄いな‥
コメントありがとうございます!習字の手本のひらがなはとても読みやすいですね。
魚津城玉砕武将の一人の忠義を全うした理由が分かりました
謙信のこういう話が聞けて嬉しいです!
やっぱ、人間だよね(笑)
コメントありがとうございます!自分もこうゆう人間くさい謙信が好きですね😄😄
筆まめな謙信公かわよす
「ゆっくり真実の戦国史」、まだ一つしか拝見していませんが、興味深いですね!「上杉謙信の素顔」面白かったです。「謙信には妻がいた!」という話は、高野山浄心院の記録にある「越後府中御新造様(越後府中の奥方様)」のことですね。最近の伝記は、謙信の戦勝については「記録が少ないから疑わしい」とか言ってるのに、高野山浄心院以外には全く記録のない、たった1つの誰だか分からない名前だけで「謙信には妻がいた」と決めつけていて疑問です。結局英雄伝説から引きずり下ろして、いい気持ちになっているんでしょう。そんなに記録が大事なら、これも疑えばいいのにね、と思いました。
コメントありがとうございます!返信が遅れてしまいすいません。おっしゃるように謙信の妻についてはその史料のごくわずかな記載から推測されてるもので、あくまで可能性の話にとどまりますね。謙信の軍事的手腕については個人的には通説の「軍神」イメージのほうがやはりロマンがあっていいなと思っています笑
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「軍神」の謙信も好きです。調べれば調べるほど、人間的な側面でも魅力的に感じます。「ゆっくり真実の戦国史」さんも、いろんな考察が興味深く面白いです。これからも期待してます😆👍
上杉謙信って結局、関東支配のビジョンがないよなー。
そこら辺のセンス見ると信長って化け物だなって思う。
以外と越後上布や金山、塩などで商売上手のやり手だった。
コメントありがとうございます!思った以上にしたたかな人物だったという印象ですね。
関東平野で奴隷商売も
そりゃこれだけ戦に強いのに領地が増えないから、苛つくわな。謙信に必要なのは、文官タイプが副官に入れば上手く行ったろうなぁ。例えば豊臣秀長。秀吉があれだけ人を纏められたのも秀長の実務力によるし。
北風が砂を運んで越後の地形高低差を曖昧にしてたので、川の氾濫が起きると豪族同士の領地境界がコロコロ変わってしまい、トラブルが絶えないんだよね。
それが解決したのは、近代以降に電動ポンプで湿地の水を抜いたから。
江戸初期まで大名は家臣との関係に
苦しめられてますよね。改易の大きな原因にもなってますし、土地に対する権利の問題も含めて大名家の体制が整理されるのは
5代綱吉の頃。これ以前は色々複雑で理解がなかなか及びませんね。
コメントありがとうございます!個人的には綱吉のあたりが伝統日本の社会構造が本格的に形成され始めるターニングポイントのような気がしています。
多くの手紙が残ってしまった為に後世ネタにされてるような気が(笑)
でも、戦国武将で多くの通信文が残っているのも珍しいかも。
あと、勇猛な戦国武将が書籍が高価だった時代に「源氏物語」を読んでたってのも、なんかギャップがw
「何をやっても上手く行かない10年間」は、武田と北條が相手だったにせよ、晩年北陸進出でやったように他の戦国大名と同様、攻略占領と領国化をやるべきだったと思うし、領国化したら信長のように攻略方面軍を部下に任せて北陸と関東で作るべきだったと思う。
そもそも根本的に越後から救援の度に、いちいち関東に出るのはキツいし、救援出陣では勢力拡大にならない。
占領地を自分の領国にしないから憲正から譲られた関東管領職が単なるお荷物になってしまったけど、野心ある戦国大名なら普通は、これを口実に積極的に関東攻めをし、言うことを聞かない関東の弱小領主に難癖を付けて攻め潰し自分の勢力下にしたはず。
コメントありがとうございます!おっしゃるように謙信は晩年以外は攻略した土地は基本的に現地領主を温存していますよね。これが謙信の性格的な問題なのかそれとも上杉権力の弱点に起因するものなのかは興味があります。
ないですね。こんな感じですよ。
足利幕府「謙信、あんたを越後守護代に任命ね」
謙信「やったー!兄を追い落として当主になった後ろめたさが晴れた!」
↓
上杉憲政「謙信、うちの養子になってね。」
謙信「やったーっ!長尾家として下剋上して上杉家から越後を取った後ろめたさが晴れたーっ!」
謙信「俺、足利幕府の舎弟っす!幕府の役職者(関東管領)として、一生懸命関東を平定するっす!」
毛利元就と上杉謙信は同じような理由で
子孫が話を盛って祭り上げた側面が強い印象。勿論最初から英雄で偉人ではありますが。
氏政の嫌われっぷりが笑える。
まぁ、氏政の奥方は武田方の黄梅院。しかも仲睦まじかったというのに越相同盟の締結によって離縁させられたのですから上杉謙信に私情の面でも複雑なものがあったでしょうからね~・・。武田との再同盟の時には黄梅院は既に故人となっていますしね。
大河ドラマ「武田信玄」では短気で思慮が足らず、そして北条の行く末を氏康から案じられる人物として描かれていました。
そういう人物設定と何よりも北条氏滅亡時の事実上のトップという事から暗愚のイメージが当時はまだ強かったですから、こういう人間味のある面が描かれなかかったのはちと気の毒に感じますね。
コメントありがとうございます!謙信の氏政に対する悪感情って何か笑ってしまうんですよね。「武田信玄」は私も見てました。今でこそ氏政は再評価の流れがありますが、あの当時では従来型のイメージでの描写になったのは仕方なかった部分もありますね。
下野で北条軍が佐竹軍に負けた事に対しての手紙で、
『そんなんで氏政は上杉軍に勝てるのか?腹筋に候www』
~という手紙が残ってるからね。
“腹筋に候”と。
戦国時代にSNSがあったら楽しそう✨
コメントありがとうございます!謙信はフル活用しそうですよね😃😃
でもこれだけの話を聞いて謙信公を嫌いになるようでは謙信ファンとはいえんな霊夢よw
女性説も含めて全てを受け入れてこその眞の謙信ファンよ!
笑 自分は謙信のダメくさいところも人間味を感じて好きなんですけどね。
こういう新鮮な面から見る軍神人間臭くて好き。
酒飲んで中風になって撤退したりするあたりもう充分人間臭いけど
コメントありがとうございます!自分も欠点もさらけ出してしまう謙信のほうが親近感湧きますね。
謙信女性説なんてのもある
中二病なのに強いからてがつけられん
ごめんなさ~い!長尾影虎どの!私、今生ではあなたのダメ家臣の子孫です。
笑
@@user-ii9wu7fn7p 笑!私はじいちゃんとばあちゃんから家臣て言われてたんだけど、越後っていう姓の親戚が多いので、もしかして直系かもね!しかし謙信は子供はいなかったはずだから、兄弟か誰かの。ヤバい!
常にイライラ→生理
美男子好き過ぎ
女性みたいな書体
自分に子がいない景勝を可愛がる女らしい母性感
↓
やっぱり謙信は
女説 濃厚じゃん!
コメントありがとうございます!謙信が本当に女性だったら嫁さんにするのはちょっと勘弁かなと😅😅