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私、元々はPC88ユーザーだったのですが、MSXの魅力に惹かれてMSX2 +も購入しました。両者とも高額だったので、あの当時は馬車馬の様にバイトで働き、お金をPCに注ぎ込んでいました。88のソフトはフロッピーディスクだったので今は劣化して使えませんがMSXと MSX2のROMカセット100本は今だに動いてくれています。青春をPCに費やした日々、本当に懐かしく思います。主さん、MSXの変遷紹介動画ありがとうございます♪
3.5/5インチともに磁気ディスク自体は高耐久性であるもののそれを包んでいる樹脂が加水分解で駄目になってしまう厄介な問題を抱えてますよね
大事な大事なMSXの資産です。末永く動作する形で保存される事を願います。
@@ParsecNyamco 他製品の場合には加水分解が起きても、無水エタノールで払拭できても3.5、5インチのフロッピーディスクの場合、拭くと磁気ディスク自体を駄目にする可能性が大きいので、もどかしい問題ですよね。できる事はゲームのケースを大切に保管する事に留まりますね。ちなみに説明書は今はシミだらけです💦
@@reganani MSX2+本体とROMカセットともに大事に保管しています。時々手入れもしています。そうですね。文化遺産としても価値の高い物なのでこれからも大切に扱うよう心掛けます。
無水アルコールの間違いでした。すみません🙇
日本の独自のPC文化は8ビットも16ビットもだいたい1990年の前半でほぼすべて終焉しているんですな…9801が多少長持ちしましたけど、差は数年がいいとこでしたMSXだげ特別な理由で終焉したわけでもないと僕は思ってます。「Windows」なんて超絶パワーアップしたMSX規格みたいなもんでしたからね…凄い時代になったもんだと当時はおどろきました。
MSXの凄さって、その後の日本のソフトだけでなくハードの技術者を大量に産んだところだと思うリアルタイムにMSXユーザーだった自分の感覚としてはMSX3の開発が遅れたからとMSX2+を出してしまったことがその後の衰退の原因だったと思うユーザーは増えたけどパソコンとして使う人よりゲーム機として見る人が増えてしまったせいで、その層からの不満が専門誌とかのユーザー意見などで目立つようになってMSXという規格を歪めてしまった・・・MSXの「メーカーに縛られないハード」という部分はその後DOS/Vへ、そしてWindowsへと繋がっていくわけだけど、MSXの功績は語られずファミコンに負けたハードみたいな扱いされるのは悲しいよね
そうですね。MSX衰退の理由はコピーではなくMSX3の開発が遅れた事とMSX2+を発売してしまった事でしょうね。この原因はヤマハの半導体の開発が遅れた事です。アスキーとしてはヤマハに半導体を作らせて、その特許収入で儲けたかったんですね。特許収入にこだわったアスキーの戦略ミスです。
え?MSXって天下取ってたの?MSXユーザーだったけど天下取ってた記憶ないんだけど・・・?
そもそも天下をとったの?という素朴な疑問が。確かに98,68,MSX時代というのが一瞬あったけど、8ビットPCの中でも衰退が数年遅れた結果なだけな気がする。MSXとしては、グラフィック能力とスプライト能力の向上が実質MSX2で頭打ちだったのがよくなかったと思う。
なんで後半がコピー論なんですかねえ。非MSXのPCの動画だったらわかるけど、MSXにあまり関係ないやん。
コピー文化そのものはMSXでもありましたよ。ただし、2からですね。1はほぼほぼROMでしたから。ユーザー層的にも88や98ほど深刻な問題ではなかったので、Up主が考えてるような状況ではないです。ノーブランドの2DDディスクが電気街で10枚580円で売ってる時代になるとさすがにメーカーも対策してましたけどね。
ハードの高価格化や違法コピーは大した問題ではない。…ファミコンが化け物すぎたんや…。ゲーム機としてはファミコンに敗れ、コンピュータとしてはPCに敗れた…。だからこそMSX版のグラディウス2はいつまでも輝き続けるんや…。
確かにグラディウス2のようなMSXオンリーのゲームはMSXユーザーの誇りに思いますよね。ゲーム専用機よりも本格的なパソコンよりも非力なMSXでもボクたちに大きな夢を見させてくれましたよね
コピーが悪の様に言われるけどFDってコピーしてコピー元をマスターとして保管してコピーFDで運用しないとソフトメーカーが保証してくれる訳じゃなかったから必要だった。
MSX3はすでにロードマップがあったような気がするがMSXが衰退していった最大の要因はゲーム専用機の台頭につきるのでは?ゲームをしたい人はファミコンに流れていってゲーム専用機が苦手な分野、アドベンチャー、シミュレーション、RPGキーボードが標準で付いてるパソコンはまだこの辺りでイニシャーチブがあったんだけれど画面解像度の低いMSXシリーズではどうしても御三家であるNEC、富士通、シャープに比較されるとチープな見た目になったのでパソコンとしてMSXシリーズを選ぶ人が減っていったMSX2以降になると御三家パソコンの低スペックモデルと値段が数万円しか違わなくなってきて最終的には高性能パソコンと高性能ゲーム機の狭間にあってMSXならではの利点が消失してしまった。
そうMSX衰退の理由はコピーではなくゲーム機とパソコン御三家に負けたんですよね。
MSXでプログラムを覚えそのまま…でもないが結局プログラマになって今でも楽しくプログラムで稼がせてもらっている感謝しております
プログラムの入門機として最適な環境でしたよね。MSXでプログラムをしていたあの当時、まだまだ学生の時期でスポンジのようにプログラム言語や文法を覚えてしまう事が出来ました。しかしあれからウン十年それらの知識も何処に行ったのやら(笑)って我ながら呆れますよ
懐かしい06,00,10,FE
DJNZ書きまくってましたなぁ
コピーソフト問題は、たいした問題ではなかったかと。あの当時、PC-88やPC-98でも、wizard V3等のコピーツールが売られていて、普通にそれでコピーしてたりもされていた。MSXが衰退した一番の原因は、2から2+に成るときに性能アップがしょぼかったのと、2+からTurbo Rに成ったときに、VDPが全く性能アップしておらず、むしろVDPが足を引っ張りなんじゃこりゃー!になった事かと。価格アップに見合った性能アップが無いから、新機種の買い控えが起きて、専用ソフトもほぼ無く、時代的にもPC-98にユーザーが移行していったのが原因かと。
全てのコメントの中で一番しっくりくる回答ですね。私は2から2+を買い、TurboRを買わなかった派ですが、恐らくVDPが刷新されていたら購入していたと思います。そして当時CD-ROMが付いた新しいPC98である9821に乗り換えてしまいました。3が出ていたらやはり購入していたでしょうね…98を所有していても。
1988年に松下のMSX2を買った。PCの世界では16ビットどころか32ビット化が進んで、1990年にWINDOWS3.0が出たり、DOS/Vを経てIBMPC互換機一色になりはじめたのが松下もPC互換機を売り始めた1994年以降。ゲーム機としても1990年に定価2万5000円で16ビットのスーパーファミコンが出ている。マック以外はPC98やアミガ、ワープロ専用機ですらPC互換機に淘汰されたし、さすがにどう頑張っても、この流れではMSXは無理だろう。企業が見切りをつけたのは経営判断として実に正しい。
@@user-vc7ho9hs6u 私は現役当時は、2で止めてしまった派です。東芝のHX-34が使いやすくて、2+に魅力を感じなかったので。TurboRのVDPも刷新されて、もっと全体に高速化されていれば、私も買ったと思います。
PC98のBA・BXシリーズで10万円切ったモデルが出だした頃になると98全盛期に入った。
元MSXユーザーで、最近になってSONYのMSXを手に入れてプログラムを組もうとしているポンコツですw
いやいや未だにMSXでプログラムを組んでみようとするその執念に感服致します。
当時の地方在住MSXユーザーです。400万台はMSX発売開始から90年に入ってからの累計総出荷台数なので、『最盛期には400万台を売った』は語弊がありそう。コピーソフト問題はMSXでも存在はあったけど、デフォルトでFDD搭載なしが大多数だったMSXよりも、88系なんかの他の上位8ビット機種のが深刻ではあったと思う。そもようやくFDD搭載がデフォルトになったMSX2+の時代には既に衰退期だった気がする。
コピー問題は別にMSXに限ったことではなかったです。なので直接衰退の理由にするにはちょっと弱いかと思います。88、X1、FM7(77)も主にゲーム用のホビーパソコンとして認知されていたと思いますがMSXの衰退期は他の8ビット機も同じように衰退していました。TurboRも純粋な16ビット機とは言い難かったしVDPが足を引っ張りまくってほとんどMSX2+と変わらない速度でした。でもMSXでしかできないことはやっぱりあって特にコナミのロムのゲームやSCCは当時98、88ユーザーの自分には結構魅力的ではありました。
Basicでスプライトを動かすことが出来たのでプログラム入門用としては良かったのに、VDPの強化が出来ず、MSX3では無く+になって、プログラムユーザーは一気に離れていったね。
スプライトで簡単なキャラクターを製作してそれが、画面内で自分の操作に応じて動いた瞬間は未だに鮮明な記憶として残っています
そうですね。MSX衰退の理由はコピーではなく魅力的なパソコン規格を作らなかったアスキーの戦略ミスです。
@@FSFD1A MSX3用VDPであるV9978の開発失敗が原因だから戦略よりも技術的問題かと。
@@gembu7896 西和彦はMSXにV9938、V9958、Y8950、YM2413などヤマハの半導体を採用する事により利益を得たんだよね。だから新しいMSXにもV9978を採用したかったが、ヤマハの開発力が追いつかなかった。開発難航したV9978ではなく、既に存在する別のメーカーの高性能VDPを採用して直ぐにMSX3を開発/販売していればMSXの歴史も変わっていたと思う。そういった意味でV9978の開発に拘った西和彦(ASCII)の戦略ミスだといえると思う。
親の88、98、家庭用ゲハはセガマークⅡから始まりファミコンPCEMDと80年代ゲームシーンを駆け抜けましたが、MSXは通って来れなかったんですよね~一生モノの後悔と共に永遠の憧れですよ✨近年のネットでの情報や動画等でその盛り上がりや変遷を辿ってはいますが、やはり当時のユーザーの生の声ほどリアリティや説得力に勝るものはないですね、具体的な実体験を交えたレゲ何様のお話とても興味深くて面白かったです!😆
なかなかMSXまで手を伸ばしてユーザーとなる事を決意できた人ってなかなか居なかったですよね。なんせパソコンという妙に敷居の高さを感じるハードですから。使いこなせるのか?と自問自答した末にMSXに手を伸ばさなかった決断も尊いモノと思います。実際うp主の周りにいっぱいいたMSXを手に入れてもゲーム専用機となった末に性能の低さから他のハードへ移って行った寂しい結果を沢山見てきました。何度友達にMSXの本領はプログラムにある!と説得しても他のハードに離れて行ってしまいました。そんな不幸なMSXは当時のユーザーの一人として見たくなかったですよ(笑)なので、繰り返しになりますけど自問自答の結果MSXに手を出さなかった決断は有意義で尊いものだと思います。
40代ですがMSXの名前を知ったのは社会人になってからだったなぁ。知ってる友達は居たかもしれないけど、話題に上ががらなかったんだな。レトロゲーのチャンネル見るようになるまでほぼ無知で、ここが一番詳しく説明してくれたチャンネルになりました(*´ω`*)ありがたい。
MSXを選択する層っていうのは、当時オタク趣味に分類されてしまうパソコンでのゲームやプログラムでゲームを製作する行為が露見してしまう事を嫌って、自ら進んでMSXで遊んでいる事を表ざたにしない風潮があったのかもしれませんね。事実うp主もパソコンでプログラムをしている事実が露見するとオタクとバカにされた過去がありますから。
MSXにほれ込み、88SRとか持ってる友人を羨ましながらHB-F500を愛用していました!見せてあげよう1ドットのエクスタシー!!
MSXを違法コピーしたときに表示されるメッセージを集めたサイトか動画だったかで見たやつで、なんかのゲームを違法コピーすると、「こうして MSXのひが きえていく...」みたいなのが表示されるのがあって、メッセージそれ切ないな・・・って思ったことあるわ
MSXはファミコンと同じ年に発売されたが、互換性を最後まで維持し、ファミコンよりと息の長いコンピューターだったけど?
MSX共通でゲームが動くハズだったけどCASIOだけはスペックを削り過ぎて動くゲームが少な過ぎた。苦肉の策でCASIOは自社ハードウェアでも動くゲームを自社で作ったというオチ
レンタルは形を変えながら、事実上80年代後半まであったね。ソフトをショップで購入→そのお店で購入したレシートを持って買取してもらう(購入価格の90%で買取)みたいな感じ。購入日から遅くなるにつれ、買取額も下がっていくため、実質レンタルと変わらないんだよね。
MSXの隆盛と衰退を見ていると今のコンシューマーゲーム機が似たような未来を辿っているように見えてしまう。MSXにとってコンシューマー機はライバルだったけど、今度はコンシューマー機のライバルがPCとなっているのはなんの因果か。
当時ナイコン族やっていたので、当然触りました。あくまでも入門機だったのが1番の原因だったと私は思っています。MSXでのめり込んだ人はNECやシャープのパソコン入手しただろうし、その頃には就職やバイトできる年齢になってる人も多いだろうから、多少は金銭的余裕もできたでしょう。(初代を小学生で触った今45才くらいが1番金銭的に辛かったかもしれませんね。w)
当時小学生だったうp主も金銭的に追いかける事が困難でしたね(笑)たまたま偶然知り合いから譲り受けたMSXがうp主にとっての一番初めのMSXでした。それからは次から次へと金銭的な負担に辟易した記憶があります。MSX2+へのハードの進化には正直付いて行けませんでしたね。結局MSX2からX68000へ乗り換えました。
MSX2持ってましたが悪魔城ドラキュラとドラクエ1だけ持ってました😊あと、あくまで個人的なんですがOPとEDのBGMはやっぱり変えたんですよね?前の曲の方が好きだったなぁ😅
私は当時、MSX1からのユーザーでしたが、X68KやPCエンジンやメガドライブが登場し、さすがにMSXシリーズは幕引きだと思いましたよ。5年が経ち私以外の多くのユーザーも次のステップを考える時期でもあったでしょうし、MSXにしがみつく理由はなかったと思います。
そうですね。私も同じ事を体験しました。MSX衰退の理由はコピーではないです。
MSXの試みがなければDOSVPCもウインドウズPCもないといえます。皮肉なことに米国のマイクロソフトが参画した規格にも拘らず、何故か欧州(英語圏外)で流行していることが面白いです。
当時自分はFDDの付いてないMSX無印を使ってたから、コピーソフトとは無縁だったな。ROMカセットのコピーは敷居が非常に高いからね。あとMSX復活の話だけど、あれはMSX規格の立役者である西和彦氏が中国(深圳)のM5 Stackというマイコンメーカーと手を組んで、同社のマイコン('80年代のパソコン的な意味のマイコンではなくて、組み込み用のマイクロコンピューターのこと)にMSX2+のエミューターを書き込んでクラウドファンディングで頒布したMSX0シリーズのことだと思いますが、そういった製品なので現代のPCやゲーム的な展開は期待しない方が良いです。無粋な話で申し訳ない。
ゲームができるけれど、自分で簡単なプログラムを組んでかなりの制約の中で、絵や音を出せるのが凄く楽しかった。カセットテープにデータを保存できるのも面白かったですね。…ゲームソフトは、バカ高かった思い出…。
シャープの電子辞書(Brain)上で動くMSXのエミュレータをチマチマ作ってます。動作試験する際に、様々なゲームの裏事情を知ることが出来てすごく楽しいです。ハイドライド3は、Screen7モード、XanaduはScreen4でした。各メーカー、いろんな工夫をしていたんですね。
小学生の時、兄からMSXをもらって初めてBASICでプログラミンを経験して、これを将来の仕事にしようと思ったのが40年近く前の話だけど、今でも無事にIT業界一筋で生きてます。ちなみに、PanasonicのネーミングはFS-A1を販売する時のブランド名が初なんじゃないかな?(違ってたらすいません)
私らの世代がX1、MSX、PC-E500に触れながらプログラムを学び、成長してきましたが、現在の子供たちにとっては、Googleコラボなどのアプリを使ってプログラムを動かすことが一般的かもしれませんね。あの頃のハードに感じたワクワクを知らないのはちょっとかわいそうですね。
懐かしいねえ、音楽ソフトとかよく作って遊んでた。
MSXは搭載メモリでグレードが分かれてたから、最上位の64KBだとそこそこの値段がしたんだよ。想定では最低グレードは16KBだったんだけど、カシオが掟破りの8KBでPV-7を出してしまったので、MSXの価格破壊が生じてしまった。そんなわけで上位機種のMSX2(メインメモリ64KB、VRAM64KBか128KB)が誕生し、FDD内蔵で10万円台のモデルが販売されるんだけど、松下がフルスペックで29,800円というモデルを発売してしまい、MSX規格からみんな脱落していった。FDD内蔵で本体価格5万円超とかは、むしろ買い換え需要(FDDや漢字ROM内蔵なので拡張スロットが塞がれない)とかで延命してる状態。
MSX1を中学生で買いました(貯めた数年のお年玉をつぎ込んでw)東芝パソピアIQでした、MSX2までは手が出ませんでしたね(まだ存在自体が無かった)ファミコンを買わなかったという理由もあります、同じものはイヤだったので・・・コピーソフトは98になってから知りました、店も知ったので利用しました(乱用はしませんでしたが・・・)コピー方法は専用ソフトを使う方法でソフト事にパッチをあてる感じでした(そのパッチもレンタルという形)店は何故か18:00までしか営業していないという・・・(下手をすると大学生が開いた店だった可能性も?)本当にやりたいゲームは買う、見てみたい程度ならコピーする、そんな感じの利用でした5駅も移動する必要があったので高校まで地元だった自分は電車利用は少なかったので・・・(結局自分が高校卒業時には消えてました)
MSXを買ってプログラムを覚えた人も多いですね、自分もその1人ですがw自分はバカなバッチを組んでたりもしれましたが・・・(そのせいでTRPGのGMするにはラクしましたがそのせいで金融のバッチばかりでオンラインに行けなかった)
SONYのHiTBIT持っていました。懐かしい
聖子ちゃんのHITBIT
漢字ロムの機能を仕様上の標準装備にできなかったのが最大のミスというかMSXの展開上の避けられない問題だったというか各MSX規格に沿えばどのメーカーも同じように扱えるという利点は、逆にハードの赤字出しでソフトでそれをペイするというコンシューマで当たり前のことが難しいという欠点も兼ねていたから「ファミコン相当」のことやりたいだけで超高価ハード
MSXのメインはROMだったからコピーはそこまで問題じゃなかったと思うけどな。FDでソフトが発売される頃にはもうかなり廃れてたし。
MSXとは言え、搭載しているRAM、VRAMの容量で制限があったんだよねぇHB-F1XDから入って、A1FX、A1ST+DOS2+FXのFDDを無理矢理増設って移っていったなぁ
88時代はゲームのレンタルショップで一緒にバックアップツールという名のコピーツールが一緒に貸し出されてて子供心に一体どういうことなのかと思っていました。MSXでもテープメディアで売られてたゲームはラジカセで普通にダビングしただけでコピーになってしまった記憶があります。
MSXの衰退と言うか、この場合8bitパソコンの衰退ですね一応、turboRも出ましたが、90年代半ばから32bitが普通になりましたしね私もMSX2+を持っており、ディスドライブが死にましたがモビロンバンドで復活し、現在に至りますただ、ソフトの中古価格が爆上がりで、簡単に手は出せなくなっています・・・
MSX2の時に縦横スクロールあったら後3年くらいはもったかなあ・・・
自分の住んでた県の都市部にPCゲームのレンタル屋は85年位から95年位まで最初は5店舗位から徐々に減っていってなくなったな
僕はMSX2+を大金はたいて買って性能の低さに後悔した口😂プログラミングをやるにしろマシン語、Cコンパイラは高額だったと記憶しています😭
持ってました、人々のHitbit。自分の中ではファミコンでは物足りない部分を補ってくれた青春の思い出です。エロゲとは言ってない。
ボーナス貰った足で、家電屋行って確か東芝製の買って帰った。それで何をしていたかと言うと、自分で演奏できない細かい音符の曲を打ち込んでは聴くを繰り返してた(笑)普通にプログラムの勉強でもしてれば良かったんだけどね。後に、ミュージックシーケンサーに特化したヤマハ製のMSXを知ったが、周辺機器揃えたら結構高額なので諦めた。
実質16KBが必要条件の中、8KBで動作するソフトを積極的に供給してくれたコナミ。テープソフトは要32KBのものが多かったなとか、MSX1をMSX2相当に拡張するアダプタMA-20はどのくらい売れたのか?とか思い出がぐるぐると。同人界では現在でもTurboR専用ソフトを制作しているサークルがありますから、愛ですよ愛
MSXを知ったころにはもうかなり高額で学生にはもう買えないってシロモノになっていたなぁ…周りでもパソコンなんて持ってる人は誰もいなかったので想像ですけど、当時のレンタルビデオ店で借りてきたCDをカセットにダビングするっていうのは普通に行われていましたからその感覚だったのかな?って思いますね誰かがCD持ってたらそれダビングしてちょうだいとか普通にやりとりされていたしなぁ…
CDからカセットのような感覚ではないように感じます。まず、毎月発売されるコピーツールを1500~2000円くらいで買わないとコピーできません。しかも比較的新しいものが100種類程度しかリストに入っていません。(最新のものは解析待ち)そして、2DDフロッピー自体が割と高い上に書き込みエラーなどでちょいちょいお亡くなりになります。(300~100円晩年になると60円程度)レンタル品をコピーするのにもある程度の知識が必要なんです。友人から借りてコピーして返す、又はトレードする感じでしょうか…。自分で買ってコピーして中古屋に売るなんてこともよくやってましたね。ですから、音楽CDのダビングよりはかなりハードルが高いです。
電気機器の業界がバブルな時代の延長線上いたので最後の松下もワープロ出来ますよ~とかソニーなど撤退する中で呑気にMSX売ってましたね。当時コナミが発案したMSX3案というのがあったりソストハウスの意見が反映されてたら面白かったかもしれないですね。どのみちDOS/V、Windows95パソコンの登場で国産パソコンはすべて終焉を迎える所なんですけどね…
FDのコピープロテクトに関してはスロット経由で動作させるために他機種のような特異なことが出来なかったのは弱い点その為に少し学べばチェックロジックがすぐ見つけられるようになってしまっていたちなみにバッ活の柱への掲載経験者だったりする
当時叔父さんが貸してくれてキーボードでゲームをやっていたと思う。それから30年。ファミコンを集めていて駿河屋に行ったら、ジャンクコーナーにmsxのソフトが110円で10本くらい補充されていた。全部買い占めて、ハードがない(笑)
右肩上がりだった時代の80年代に6~10万円程度を惜しんだ事でどれだけの産業と市場と社会の発展を逃した事か…
今みたいにネット閲覧とか出来るのならともかく一般家庭ではゲーム機に6万〜10万円の出費はお母さんの理解が得られないよ。商売でもしていて帳簿や伝票出してるとかでもない限り買って貰えない価格。
pc98ユーザーだったのでMSXについてはお噂はかねがねって感じであまり印象がないです。でもタウンズ版やx68k版を出したソフトやソフトハウスにはなんとも言えぬ憎悪を感じておりました。
天下取ったとは思ってないけど、MSXのおかげでBASIC等のプログラムが学べた。その功績は大きいと思う。ハードの高価格はやむなしだと思うが、入門用の低価格モデルも並行して出し続けて欲しかった。カシオはやりすぎだった気がするけど、MSXに触る機会が圧倒的に増えたのも事実。ソフトのコピー問題は、他のパソコンも同じ問題があったので致命的ではない。決め手はファミコン等のゲーム機に価格とソフト品質の両面で負けた事。
そうなんですよね。88/98でもコピーは流通していましたが、その88/98にMSXは負けていますからねぇ。MSX ユーザーはゲーム機かパソコン御三家に移行していった…。
当時のパソコン/マイコンがハイレゾだったのに対し、MSXはずっとアナログテレビ画面でした。パソコンとし比較すれば、やはり見劣りしたと思います。勝機があるとすれば、ハイビジョンテレビがあと20年早く出て、MSXが対応した世界線…
MSX3や0に対する遠回しなdisかなこれ
MSX3はまだ出て無いから別として、MSX0はIoT機器としての復活ですし、しかも公式とは言えM5にエミュレーターを入れた物ですから実機とは言えませんし。実機出せって言う愛あるディスりだと思いますよ。多分。MSX3には期待してます。
当時の感覚としてはMSX2になってSONYの HB-F1と松下のFS-A1あたりがゲーム機としての側面を強調した広告をたくさん打ってわっと盛り上がって88年のMSX2+発表で2年ぐらいでMSX2が切り捨てられた感じがして冷めてturboRの頃は自分も成長した事もあってさすがに性能が中途半端な感じで手出す気しなかったNECの88と98、シャープのX1とX68kの関係を見てたから8ビットと16ビットの互換は無理って感じがあったんでturboRで後方互換持たせる情報見た時は売れない気しかなかったMSXに限らず後方互換を狙った機種って大体こけてる(NECですら88VAとか98DOとか)から互換にこだわり過ぎたのも衰退の一員だと思う
松下に真面目さが無かった、家電の一部門として見て、失敗したらいいやくらいの覚悟でターボR作ったの原因同時期に出てたPCエンジンやメガドライブを見れば、納期が遅れるという理由で、V9990なしで発売とかありえんわ
MX-10→A1のコースだったwでもMX-10はまともに使おうとすると結局3万以上はしたように思う、カセットIFすら別売りはきつかったカセットのエロゲーするにはカセットIF と拡張RAMが必須だったんよwA1も結局拡張しまくって本体の数倍の金を使った気がする、スロット足りなくて拡張スロット買ったりしてturboRにしたら大半は不要になったけど(高い金出して買ったDOS2すら内蔵とは大盤振る舞い過ぎて当時驚いた)
LDゲームまで遊べた機種でした。
MSX1 が出た頃(FC全盛)に期待された性能は MSX2 だしMSX2+ が出た頃に必要とされたCPU性能は turboR だしturbo R が出た頃にはもうHDDぐらいないと駄目な時期全ステージで時代遅れ。もうちょっと需要と供給がマッチしてれば売れた
MSXに携わった企業のその後のゲーム機へのアプローチ見ると面白いなとSONYはプレステで天下取った松下は3dOでゲームはもうこりごりとなったマイクロソフトはXBOX頑張るぞASCIIはもうそういうのいいやと各社色々だなと
カセットテープも1世代ぐらいはタビングできた時代
その昔は雑誌にソノシートでプログラムが付録に付いていた時代は、必死にテープにダビングをしました
マリサの相方のメタンちゃんはずんだもんの動画によくでてる漆黒のメタンですか? このピンク髪のキャラクターの名前をこの動画で初めてしったので
MSX天下をとったことなど一度もありません。確かに日本を中心とした多くのメーカーが参入し製品を出したさまは百花繚乱と言って良かったんですが、思うような結果にならずどんどんメーカーが撤退し、最後は松下電器の孤軍奮闘状態となりました。MSXが失敗した要因はただ一つ。「『買いやすい価格』だけを優先してゲームに必要な機能をあまりに削りすぎた」ことです。つまりは「ただの安物でしかなかった」ということです。スムーズスクロール機能はないからガタガタスクロール、スプライトは単色(キャラクターがたった1色だけ)、この2点だけあげても同世代のファミコンにあまりにも見劣りしていました。ファミコンにはないPCとしての機能を入れるためファミコンよりコストがかかるのはわかりますが、そのPC機能も中途半端なものでした。のちに機能を増強したMSX2や+などが出ますが、最初に策定した規格の出来が悪いと後継機種も失敗します。MSX2もMSXとの互換がありました。スーパーファミコンのようにファミコンとの互換を一切捨てれば状況は変わったかも知れませんが。
400万台ってその大半はFDD非搭載機なんだからコピーの影響なんてあまり無かったのでは?廃れたのは後継VDPの開発失敗で旧型をそのまま使わざるを得ず他機種から完全に性能が置いて行かれた感じになったのが。
ドラクエとかがファミコンから出たからじゃない?私はニチブツのMSXソフト、麻雀刺客がやりたかったよ?
コピーソフトってそんなに出回っていたんですね!
MSXはROMカセットが主体だからコピーとは、ほぼ無縁な気がする。セーブも廻りのユーザーはカセットテープにしてたから。FDDが付く頃にはバッテリーバックアップ主体になっていった感じかな。(でもデータレコーダーが併用できるのでハイドライド3とかザナドゥでもカセットテープは使われていた)
@@westj9kidそうなんですよね。知らない人は何でもかんでも、コピーのせいにするんですよねー。
@@westj9kid 2の後期あたりから毎月の様にコピーソフトが更新されていたので定期的に購入していました。ゲームソフトを買ってはコピーして友人数人と交換していましたね…約半数のゲームはコピー品と言う今なら逮捕されるレベル。そう言うアングラな遊び方も許される緩い時代でしたので…。
個人的には2以降の半端な立ち位置と海外不人気が衰退の大きな原因かと思ってる
BASICがガンだと思う。
コピーに関してはMSX的には影響が少ないのではないかと思いますそれはそういうことをやってる人というのはごく一部でMSXのように所有者の数が多いとあんまし割合的に影響度が低いからですねそれプラスMSXはフロッピーだけでなくROMもあったというのもあります他のパソコンの方が全体のパイが少ないので、ごく一部の人たちがコピーをやりだしても影響度がでかいと考えるからです衰退の直接的な原因はアスキーの戦略ミスだと思いますまずホームコンピュータを作ろうとして仕様を決定したということだけど未だに「ホームコンピュータ」とは何か誰も分かりませんよね・・・FAXや電話、テレビと同じように一家に一台と考えていたようなんだけどそれどころかスマホのように個人が複数持ってるというような方向に時代が動いていて当時はあくまで過渡期でしかなく人気が下がらないように裾野を支えるゲーム機としての機能を充実させないといけないタイミングでファミコンより劣るような状態を長年放置したのが原因と思います⇨MSX2の段階ですでにほころびが出ていたと思います その段階でスクロール機能やスプライト機能がファミコンより劣っているのが よくなかったですね MSX2ですでに残念仕様なのにMSX2+やturboRで2度がっかりさせられました・・・
別にMSXターボRは高くない。MSX2だって出始めは10万近くしたし、低価格共通規格ホビーパソコンのビジネスモデルが立たなかっただけ。他パソコンも安くなってきて飲み込まれたんだろ。
レンタル屋さんのレジ前に、プロテクト外しのソフトが販売されていて、店員さんに聞いても「ちょっと解らないですけど、一緒に購入されていくお客さん多いですよねぇ・・・」とか言れてたな何かぱち●こ屋みたいな
MSX?家にはMX-10しかありませんよ
MSXと言えば『初代メタルギア』と『メタルギア2 ソリッド・スネーク』。
アセンブラでMSXを速く動かそうと研究したがとにかく性能がショボい。グラフィックは1ブロック2色以内だしキレイな絵を出すことも出来ない。MSX2にしてもメモリ不足とか欠点を抱えていたし、性能が足りん。
コピー問題で駆逐されるなら88や98はもっと酷かったと思いますよMSXという低価格帯を目的とした層でやれる事が終わりを迎えた時期だっただけではないでしょうか?
ソフトレンタルショップへ行けばコピーツールと一緒にレンタル出来ました。
@@akibanokitune ファイラーなど、98や88のソフトはより顕著でしたね
何か理由があって衰退したわけではないです。基本的には寿命ですよ。88や98やアミガもファミコンも変わりません。
てか、口パクの動きがてきとー過ぎて笑った
衰退というか老衰。延命治療を続けて長生きした。
パソコンは88から98へ進化したし、ゲーム機はファミコンからスーパーファミコンからニンテンドー64へと進化した。MSXは進化の波に乗り遅れた。魅力的な新機種の規格を作れなかったアスキーの戦略ミス。
bgm古いっすね
「パソコンソフトレンタル店」なんて仮にあってもかなりマイナーな存在じゃないでしょうか??当方の情報元は80年代以前のパソ(マイ)今雑誌のみなのでイマイチよくわかりませんが。 ただ、前提として、当時はファミコンソフトですら5000-10000円パソコンソフトに至ってはそれ以上の価格帯が普通で今よりも高価感はあって、小中学生はおろか高校生であっても月に1本買えたら良い方なので、それ以上の部分を追加で言い訳をしながら、不正コピーしたりしてたのだと思うので市場にいびつさがあったのは否めないのではないでしょうか。(今の方が価格と市場の数に関してはバランスが取れている)
MSXの衰退は「任天堂」の化け物ファミコンというゲーム機がいたからでは?CPUがZ80ではPC98とも性能差があり過ぎたしね
ファミコンとMSXはカテゴリーが違うでしょ。ファミコンはソフトで遊ぶだけ、MSXは自分でゲームを作って遊ぶものだから根本が違いますよ。
MSXが滅んだ理由とコピーは関係ないよ。何でコピーのせいにするのかな?MSXはパソコンとしては88/98に、ゲーム機としてはファミコン/スーパーファミコンに負けたんだよ。パソコンとしても、ゲーム機としても中途半端な性能だったんだよね。自然画モードしか拡張されなかった低性能なMSX2+が発売されてユーザーはガッカリ。低性能なVDPが搭載されたMSXturboRが発売されてガッカリ。ユーザーがガッカリする様なパソコン規格を考えたアスキーの戦略ミス。2回も戦略ミスしてりゃあMSXは滅ぶわなぁ。だって、その間にライバルの88やファミコンは、どんどんシェアを増やしていく。MSX2+が発売されずに、V9990とOPL4が搭載されたMSX3が発売されていれば、未来は変わっていたかもしれない。
V9990はMSXとの互換性ないですよ。MSX互換を諦めたからV9978からV9990に名前変えたんで。
@@gembu7896 ヤマハのチップで構成するMSX3を発売するなら、V9990とOPL4という事です。V9978が完成しなかった以上、V9990の採用になると思います。
88も既に停滞期に入っていましたから、ライバルには入らないでしょうね。やはり時代的に98です。古くからビジネスパソコンとして普及していましたがホビー用途に向けてCR-ROMドライブを実装し始めていましたから丁度乗り換え易かったんですよ。まぁ、VGAモニター込みで30万円ほどしましたが…。
@@user-vc7ho9hs6u 88と98は同じNECのパソコンなので同じですよ。MSX2とMSX2+は違うと言っているのと同じです。
@@FSFD1A 88と98が同じなんてことを言う人がいるとは正直思いもしませんでした。PC98はDOSV&Windows95に取って代わられるまで生き残っています。小さな会社なら2000年代でも使ってたんじゃないですかね…一太郎とロータスで。ちなみに私は88,98は勿論MSX2もMSX2+も両方買いましたが、運用方法も全く別(ROMオンリーと3.5インチ中心)でそんな発想が出てくる人は他に居ないんじゃないですかね…。
MSXはエロゲ専用機でしたね
美少女アニメソフトは98
「天下」といいますが、それは誇張でしょう。パソコン界ではおもちゃ扱いされ、ファミコンにも相手にならず、誰にも相手にされてなかった。共通規格で、日本の家電メーカーがそろって発売したが、足並みが揃わなかった。性能の低さ、質の悪いゲーム、頻繁なバージョンアップ、ユーザーもメーカーもどんどん抜けていった。
私、元々はPC88ユーザーだったのですが、MSXの魅力に惹かれてMSX2 +も購入しました。両者とも高額だったので、あの当時は馬車馬の様にバイトで働き、お金をPCに注ぎ込んでいました。88のソフトはフロッピーディスクだったので今は劣化して使えませんがMSXと MSX2のROMカセット100本は今だに動いてくれています。青春をPCに費やした日々、本当に懐かしく思います。主さん、MSXの変遷紹介動画ありがとうございます♪
3.5/5インチともに磁気ディスク自体は高耐久性であるもののそれを包んでいる樹脂が加水分解で駄目になってしまう厄介な問題を抱えてますよね
大事な大事なMSXの資産です。末永く動作する形で保存される事を願います。
@@ParsecNyamco 他製品の場合には加水分解が起きても、無水エタノールで払拭できても3.5、5インチのフロッピーディスクの場合、拭くと磁気ディスク自体を駄目にする可能性が大きいので、もどかしい問題ですよね。できる事はゲームのケースを大切に保管する事に留まりますね。ちなみに説明書は今はシミだらけです💦
@@reganani MSX2+本体とROMカセットともに大事に保管しています。時々手入れもしています。そうですね。文化遺産としても価値の高い物なのでこれからも大切に扱うよう心掛けます。
無水アルコールの間違いでした。すみません🙇
日本の独自のPC文化は8ビットも16ビットもだいたい1990年の前半でほぼすべて終焉しているんですな…
9801が多少長持ちしましたけど、差は数年がいいとこでした
MSXだげ特別な理由で終焉したわけでもないと僕は思ってます。
「Windows」なんて超絶パワーアップしたMSX規格みたいなもんでしたからね…
凄い時代になったもんだと当時はおどろきました。
MSXの凄さって、その後の日本のソフトだけでなくハードの技術者を大量に産んだところだと思う
リアルタイムにMSXユーザーだった自分の感覚としてはMSX3の開発が遅れたからとMSX2+を出してしまったことがその後の衰退の原因だったと思う
ユーザーは増えたけどパソコンとして使う人よりゲーム機として見る人が増えてしまったせいで、その層からの不満が専門誌とかのユーザー意見などで目立つようになってMSXという規格を歪めてしまった・・・
MSXの「メーカーに縛られないハード」という部分はその後DOS/Vへ、そしてWindowsへと繋がっていくわけだけど、MSXの功績は語られずファミコンに負けたハードみたいな扱いされるのは悲しいよね
そうですね。MSX衰退の理由はコピーではなくMSX3の開発が遅れた事とMSX2+を発売してしまった事でしょうね。この原因はヤマハの半導体の開発が遅れた事です。アスキーとしてはヤマハに半導体を作らせて、その特許収入で儲けたかったんですね。特許収入にこだわったアスキーの戦略ミスです。
え?MSXって天下取ってたの?
MSXユーザーだったけど天下取ってた記憶ないんだけど・・・?
そもそも天下をとったの?という素朴な疑問が。
確かに98,68,MSX時代というのが一瞬あったけど、8ビットPCの中でも衰退が数年遅れた結果なだけな気がする。
MSXとしては、グラフィック能力とスプライト能力の向上が実質MSX2で頭打ちだったのがよくなかったと思う。
なんで後半がコピー論なんですかねえ。非MSXのPCの動画だったらわかるけど、MSXにあまり関係ないやん。
コピー文化そのものはMSXでもありましたよ。ただし、2からですね。1はほぼほぼROMでしたから。
ユーザー層的にも88や98ほど深刻な問題ではなかったので、Up主が考えてるような状況ではないです。
ノーブランドの2DDディスクが電気街で10枚580円で売ってる時代になるとさすがにメーカーも対策してましたけどね。
ハードの高価格化や違法コピーは大した問題ではない。
…ファミコンが化け物すぎたんや…。
ゲーム機としてはファミコンに敗れ、コンピュータとしてはPCに敗れた…。
だからこそMSX版のグラディウス2はいつまでも輝き続けるんや…。
確かにグラディウス2のようなMSXオンリーのゲームはMSXユーザーの誇りに思いますよね。ゲーム専用機よりも本格的なパソコンよりも非力なMSXでもボクたちに大きな夢を見させてくれましたよね
コピーが悪の様に言われるけどFDってコピーしてコピー元をマスターとして保管してコピーFDで運用しないとソフトメーカーが保証してくれる訳じゃなかったから必要だった。
MSX3はすでにロードマップがあったような気がするが
MSXが衰退していった最大の要因はゲーム専用機の台頭につきるのでは?
ゲームをしたい人はファミコンに流れていって
ゲーム専用機が苦手な分野、アドベンチャー、シミュレーション、RPG
キーボードが標準で付いてるパソコンはまだこの辺りでイニシャーチブがあったんだけれど
画面解像度の低いMSXシリーズではどうしても御三家であるNEC、富士通、シャープに比較されると
チープな見た目になったのでパソコンとしてMSXシリーズを選ぶ人が減っていった
MSX2以降になると御三家パソコンの低スペックモデルと値段が数万円しか違わなくなってきて
最終的には高性能パソコンと高性能ゲーム機の狭間にあってMSXならではの利点が消失してしまった。
そうMSX衰退の理由はコピーではなくゲーム機とパソコン御三家に負けたんですよね。
MSXでプログラムを覚えそのまま…でもないが結局プログラマになって今でも楽しくプログラムで稼がせてもらっている
感謝しております
プログラムの入門機として最適な環境でしたよね。MSXでプログラムをしていたあの当時、まだまだ学生の時期でスポンジのようにプログラム言語や文法を覚えてしまう事が出来ました。しかしあれからウン十年それらの知識も何処に行ったのやら(笑)って我ながら呆れますよ
懐かしい
06,00,10,FE
DJNZ書きまくってましたなぁ
コピーソフト問題は、たいした問題ではなかったかと。
あの当時、PC-88やPC-98でも、wizard V3等のコピーツールが売られていて、普通にそれでコピーしてたりもされていた。
MSXが衰退した一番の原因は、2から2+に成るときに性能アップがしょぼかったのと、2+からTurbo Rに成ったときに、VDPが全く性能アップしておらず、むしろVDPが足を引っ張りなんじゃこりゃー!になった事かと。
価格アップに見合った性能アップが無いから、新機種の買い控えが起きて、専用ソフトもほぼ無く、時代的にもPC-98にユーザーが移行していったのが原因かと。
全てのコメントの中で一番しっくりくる回答ですね。私は2から2+を買い、TurboRを買わなかった派ですが、恐らくVDPが刷新されていたら購入していたと思います。
そして当時CD-ROMが付いた新しいPC98である9821に乗り換えてしまいました。3が出ていたらやはり購入していたでしょうね…98を所有していても。
1988年に松下のMSX2を買った。PCの世界では16ビットどころか32ビット化が進んで、1990年にWINDOWS3.0が出たり、DOS/Vを経てIBMPC互換機一色になりはじめたのが松下もPC互換機を売り始めた1994年以降。ゲーム機としても1990年に定価2万5000円で16ビットのスーパーファミコンが出ている。
マック以外はPC98やアミガ、ワープロ専用機ですらPC互換機に淘汰されたし、さすがにどう頑張っても、この流れではMSXは無理だろう。企業が見切りをつけたのは経営判断として実に正しい。
@@user-vc7ho9hs6u
私は現役当時は、2で止めてしまった派です。
東芝のHX-34が使いやすくて、2+に魅力を感じなかったので。
TurboRのVDPも刷新されて、もっと全体に高速化されていれば、私も買ったと思います。
PC98のBA・BXシリーズで10万円切ったモデルが出だした頃になると98全盛期に入った。
元MSXユーザーで、最近になって
SONYのMSXを手に入れてプログラム
を組もうとしているポンコツですw
いやいや未だにMSXでプログラムを組んでみようとするその執念に感服致します。
当時の地方在住MSXユーザーです。400万台はMSX発売開始から90年に入ってからの累計総出荷台数なので、『最盛期には400万台を売った』は語弊がありそう。コピーソフト問題はMSXでも存在はあったけど、デフォルトでFDD搭載なしが大多数だったMSXよりも、88系なんかの他の上位8ビット機種のが深刻ではあったと思う。そもようやくFDD搭載がデフォルトになったMSX2+の時代には既に衰退期だった気がする。
コピー問題は別にMSXに限ったことではなかったです。
なので直接衰退の理由にするにはちょっと弱いかと思います。
88、X1、FM7(77)も主にゲーム用のホビーパソコンとして認知されていたと思いますが
MSXの衰退期は他の8ビット機も同じように衰退していました。
TurboRも純粋な16ビット機とは言い難かったし
VDPが足を引っ張りまくってほとんどMSX2+と変わらない速度でした。
でもMSXでしかできないことはやっぱりあって
特にコナミのロムのゲームやSCCは当時98、88ユーザーの自分には
結構魅力的ではありました。
Basicでスプライトを動かすことが出来たのでプログラム入門用としては良かったのに、
VDPの強化が出来ず、MSX3では無く+になって、プログラムユーザーは一気に離れていったね。
スプライトで簡単なキャラクターを製作してそれが、画面内で自分の操作に応じて動いた瞬間は未だに鮮明な記憶として残っています
そうですね。MSX衰退の理由はコピーではなく魅力的なパソコン規格を作らなかったアスキーの戦略ミスです。
@@FSFD1A MSX3用VDPであるV9978の開発失敗が原因だから戦略よりも技術的問題かと。
@@gembu7896 西和彦はMSXにV9938、V9958、Y8950、YM2413などヤマハの半導体を採用する事により利益を得たんだよね。だから新しいMSXにもV9978を採用したかったが、ヤマハの開発力が追いつかなかった。開発難航したV9978ではなく、既に存在する別のメーカーの高性能VDPを採用して直ぐにMSX3を開発/販売していればMSXの歴史も変わっていたと思う。そういった意味でV9978の開発に拘った西和彦(ASCII)の戦略ミスだといえると思う。
@@gembu7896 西和彦はMSXにV9938、V9958、Y8950、YM2413などヤマハの半導体を採用する事により利益を得たんだよね。だから新しいMSXにもV9978を採用したかったが、ヤマハの開発力が追いつかなかった。開発難航したV9978ではなく、既に存在する別のメーカーの高性能VDPを採用して直ぐにMSX3を開発/販売していればMSXの歴史も変わっていたと思う。そういった意味でV9978の開発に拘った西和彦(ASCII)の戦略ミスだといえると思う。
親の88、98、家庭用ゲハはセガマークⅡから始まりファミコンPCEMDと80年代ゲームシーンを駆け抜けましたが、MSXは通って来れなかったんですよね~一生モノの後悔と共に永遠の憧れですよ✨
近年のネットでの情報や動画等でその盛り上がりや変遷を辿ってはいますが、やはり当時のユーザーの生の声ほどリアリティや説得力に勝るものはないですね、具体的な実体験を交えたレゲ何様のお話とても興味深くて面白かったです!😆
なかなかMSXまで手を伸ばしてユーザーとなる事を決意できた人ってなかなか居なかったですよね。なんせパソコンという妙に敷居の高さを感じるハードですから。使いこなせるのか?と自問自答した末にMSXに手を伸ばさなかった決断も尊いモノと思います。実際うp主の周りにいっぱいいたMSXを手に入れてもゲーム専用機となった末に性能の低さから他のハードへ移って行った寂しい結果を沢山見てきました。何度友達にMSXの本領はプログラムにある!と説得しても他のハードに離れて行ってしまいました。そんな不幸なMSXは当時のユーザーの一人として見たくなかったですよ(笑)なので、繰り返しになりますけど自問自答の結果MSXに手を出さなかった決断は有意義で尊いものだと思います。
40代ですがMSXの名前を知ったのは社会人になってからだったなぁ。知ってる友達は居たかもしれないけど、話題に上ががらなかったんだな。レトロゲーのチャンネル見るようになるまでほぼ無知で、ここが一番詳しく説明してくれたチャンネルになりました(*´ω`*)ありがたい。
MSXを選択する層っていうのは、当時オタク趣味に分類されてしまうパソコンでのゲームやプログラムでゲームを製作する行為が露見してしまう事を嫌って、自ら進んでMSXで遊んでいる事を表ざたにしない風潮があったのかもしれませんね。事実うp主もパソコンでプログラムをしている事実が露見するとオタクとバカにされた過去がありますから。
MSXにほれ込み、88SRとか持ってる友人を羨ましながらHB-F500を愛用していました!
見せてあげよう1ドットのエクスタシー!!
MSXを違法コピーしたときに表示されるメッセージを
集めたサイトか動画だったかで見たやつで、
なんかのゲームを違法コピーすると、
「こうして MSXのひが きえていく...」
みたいなのが表示されるのがあって、
メッセージそれ切ないな・・・って思ったことあるわ
MSXはファミコンと同じ年に発売されたが、互換性を最後まで維持し、ファミコンよりと息の長いコンピューターだったけど?
MSX共通でゲームが動くハズだったけどCASIOだけはスペックを削り過ぎて動くゲームが少な過ぎた。苦肉の策でCASIOは自社ハードウェアでも動くゲームを自社で作ったというオチ
レンタルは形を変えながら、事実上80年代後半まであったね。
ソフトをショップで購入→そのお店で購入したレシートを持って買取してもらう(購入価格の90%で買取)
みたいな感じ。
購入日から遅くなるにつれ、買取額も下がっていくため、実質レンタルと変わらないんだよね。
MSXの隆盛と衰退を見ていると今のコンシューマーゲーム機が似たような未来を辿っているように見えてしまう。
MSXにとってコンシューマー機はライバルだったけど、今度はコンシューマー機のライバルがPCとなっているのはなんの因果か。
当時ナイコン族やっていたので、当然触りました。
あくまでも入門機だったのが1番の原因だったと私は思っています。
MSXでのめり込んだ人はNECやシャープのパソコン入手しただろうし、その頃には就職やバイトできる年齢になってる人も多いだろうから、多少は金銭的余裕もできたでしょう。
(初代を小学生で触った今45才くらいが1番金銭的に辛かったかもしれませんね。w)
当時小学生だったうp主も金銭的に追いかける事が困難でしたね(笑)たまたま偶然知り合いから譲り受けたMSXがうp主にとっての一番初めのMSXでした。それからは次から次へと金銭的な負担に辟易した記憶があります。MSX2+へのハードの進化には正直付いて行けませんでしたね。結局MSX2からX68000へ乗り換えました。
MSX2持ってましたが悪魔城ドラキュラとドラクエ1だけ持ってました😊
あと、あくまで個人的なんですがOPとEDのBGMはやっぱり変えたんですよね?前の曲の方が好きだったなぁ😅
私は当時、MSX1からのユーザーでしたが、X68KやPCエンジンやメガドライブが登場し、さすがにMSXシリーズは幕引きだと思いましたよ。5年が経ち私以外の多くのユーザーも次のステップを考える時期でもあったでしょうし、MSXにしがみつく理由はなかったと思います。
そうですね。私も同じ事を体験しました。MSX衰退の理由はコピーではないです。
MSXの試みがなければDOSVPCもウインドウズPCもないといえます。皮肉なことに米国のマイクロソフトが参画した規格にも拘らず、何故か欧州(英語圏外)で流行していることが面白いです。
当時自分はFDDの付いてないMSX無印を使ってたから、コピーソフトとは無縁だったな。
ROMカセットのコピーは敷居が非常に高いからね。
あとMSX復活の話だけど、あれはMSX規格の立役者である西和彦氏が中国(深圳)のM5 Stackというマイコンメーカーと手を組んで、同社のマイコン('80年代のパソコン的な意味のマイコンではなくて、組み込み用のマイクロコンピューターのこと)にMSX2+のエミューターを書き込んでクラウドファンディングで頒布したMSX0シリーズのことだと思いますが、そういった製品なので現代のPCやゲーム的な展開は期待しない方が良いです。無粋な話で申し訳ない。
ゲームができるけれど、自分で簡単なプログラムを組んで
かなりの制約の中で、絵や音を出せるのが凄く楽しかった。
カセットテープにデータを保存できるのも面白かったですね。
…ゲームソフトは、バカ高かった思い出…。
シャープの電子辞書(Brain)上で動くMSXのエミュレータをチマチマ作ってます。
動作試験する際に、様々なゲームの裏事情を知ることが出来てすごく楽しいです。
ハイドライド3は、Screen7モード、XanaduはScreen4でした。
各メーカー、いろんな工夫をしていたんですね。
小学生の時、兄からMSXをもらって初めてBASICでプログラミンを経験して、これを将来の仕事にしようと思ったのが40年近く前の話だけど、今でも無事にIT業界一筋で生きてます。
ちなみに、PanasonicのネーミングはFS-A1を販売する時のブランド名が初なんじゃないかな?(違ってたらすいません)
私らの世代がX1、MSX、PC-E500に触れながらプログラムを学び、成長してきましたが、現在の子供たちにとっては、Googleコラボなどのアプリを使ってプログラムを動かすことが一般的かもしれませんね。あの頃のハードに感じたワクワクを知らないのはちょっとかわいそうですね。
懐かしいねえ、音楽ソフトとかよく作って遊んでた。
MSXは搭載メモリでグレードが分かれてたから、最上位の64KBだとそこそこの値段がしたんだよ。想定では最低グレードは16KBだったんだけど、カシオが掟破りの8KBでPV-7を出してしまったので、MSXの価格破壊が生じてしまった。
そんなわけで上位機種のMSX2(メインメモリ64KB、VRAM64KBか128KB)が誕生し、FDD内蔵で10万円台のモデルが販売されるんだけど、松下がフルスペックで29,800円というモデルを発売してしまい、MSX規格からみんな脱落していった。
FDD内蔵で本体価格5万円超とかは、むしろ買い換え需要(FDDや漢字ROM内蔵なので拡張スロットが塞がれない)とかで延命してる状態。
MSX1を中学生で買いました(貯めた数年のお年玉をつぎ込んでw)
東芝パソピアIQでした、MSX2までは手が出ませんでしたね(まだ存在自体が無かった)
ファミコンを買わなかったという理由もあります、同じものはイヤだったので・・・
コピーソフトは98になってから知りました、店も知ったので利用しました(乱用はしませんでしたが・・・)
コピー方法は専用ソフトを使う方法でソフト事にパッチをあてる感じでした(そのパッチもレンタルという形)
店は何故か18:00までしか営業していないという・・・(下手をすると大学生が開いた店だった可能性も?)
本当にやりたいゲームは買う、見てみたい程度ならコピーする、そんな感じの利用でした
5駅も移動する必要があったので高校まで地元だった自分は電車利用は少なかったので・・・(結局自分が高校卒業時には消えてました)
MSXを買ってプログラムを覚えた人も多いですね、自分もその1人ですがw
自分はバカなバッチを組んでたりもしれましたが・・・(そのせいでTRPGのGMするにはラクしましたがそのせいで金融のバッチばかりでオンラインに行けなかった)
SONYのHiTBIT持っていました。懐かしい
聖子ちゃんのHITBIT
漢字ロムの機能を仕様上の標準装備にできなかったのが最大のミスというかMSXの展開上の避けられない問題だったというか
各MSX規格に沿えばどのメーカーも同じように扱えるという利点は、逆にハードの赤字出しでソフトでそれをペイするというコンシューマで当たり前のことが難しいという欠点も兼ねていたから「ファミコン相当」のことやりたいだけで超高価ハード
MSXのメインはROMだったからコピーはそこまで問題じゃなかったと思うけどな。FDでソフトが発売される頃にはもうかなり廃れてたし。
MSXとは言え、搭載しているRAM、VRAMの容量で制限があったんだよねぇ
HB-F1XDから入って、A1FX、A1ST+DOS2+FXのFDDを無理矢理増設って移っていったなぁ
88時代はゲームのレンタルショップで一緒にバックアップツールという名のコピーツールが一緒に貸し出されてて
子供心に一体どういうことなのかと思っていました。
MSXでもテープメディアで売られてたゲームはラジカセで普通にダビングしただけでコピーになってしまった記憶があります。
MSXの衰退と言うか、この場合8bitパソコンの衰退ですね
一応、turboRも出ましたが、90年代半ばから32bitが普通になりましたしね
私もMSX2+を持っており、ディスドライブが死にましたが
モビロンバンドで復活し、現在に至ります
ただ、ソフトの中古価格が爆上がりで、簡単に手は出せなくなっています・・・
MSX2の時に縦横スクロールあったら後3年くらいはもったかなあ・・・
自分の住んでた県の都市部にPCゲームのレンタル屋は85年位から95年位まで最初は5店舗位から徐々に減っていってなくなったな
僕はMSX2+を大金はたいて買って性能の低さに後悔した口😂プログラミングをやるにしろマシン語、Cコンパイラは高額だったと記憶しています😭
持ってました、人々のHitbit。自分の中ではファミコンでは物足りない部分を補ってくれた青春の思い出です。エロゲとは言ってない。
ボーナス貰った足で、家電屋行って確か東芝製の買って帰った。
それで何をしていたかと言うと、自分で演奏できない細かい音符の曲を打ち込んでは聴くを繰り返してた(笑)
普通にプログラムの勉強でもしてれば良かったんだけどね。
後に、ミュージックシーケンサーに特化したヤマハ製のMSXを知ったが、周辺機器揃えたら結構高額なので諦めた。
実質16KBが必要条件の中、8KBで動作するソフトを積極的に供給してくれたコナミ。テープソフトは要32KBのものが多かったなとか、MSX1をMSX2相当に拡張するアダプタMA-20はどのくらい売れたのか?とか思い出がぐるぐると。同人界では現在でもTurboR専用ソフトを制作しているサークルがありますから、愛ですよ愛
MSXを知ったころにはもうかなり高額で学生にはもう買えないってシロモノになっていたなぁ…
周りでもパソコンなんて持ってる人は誰もいなかったので想像ですけど、当時のレンタルビデオ店で借りてきたCDをカセットにダビングするっていうのは普通に行われていましたからその感覚だったのかな?って思いますね
誰かがCD持ってたらそれダビングしてちょうだいとか普通にやりとりされていたしなぁ…
CDからカセットのような感覚ではないように感じます。まず、毎月発売されるコピーツールを1500~2000円くらいで買わないとコピーできません。しかも比較的新しいものが100種類程度しかリストに入っていません。(最新のものは解析待ち)そして、2DDフロッピー自体が割と高い上に書き込みエラーなどでちょいちょいお亡くなりになります。(300~100円晩年になると60円程度)レンタル品をコピーするのにもある程度の知識が必要なんです。友人から借りてコピーして返す、又はトレードする感じでしょうか…。自分で買ってコピーして中古屋に売るなんてこともよくやってましたね。ですから、音楽CDのダビングよりはかなりハードルが高いです。
電気機器の業界がバブルな時代の延長線上いたので最後の松下もワープロ出来ますよ~とかソニーなど撤退する中で呑気にMSX売ってましたね。
当時コナミが発案したMSX3案というのがあったりソストハウスの意見が反映されてたら面白かったかもしれないですね。
どのみちDOS/V、Windows95パソコンの登場で国産パソコンはすべて終焉を迎える所なんですけどね…
FDのコピープロテクトに関してはスロット経由で動作させるために他機種のような特異なことが出来なかったのは弱い点
その為に少し学べばチェックロジックがすぐ見つけられるようになってしまっていた
ちなみにバッ活の柱への掲載経験者だったりする
当時叔父さんが貸してくれてキーボードでゲームをやっていたと思う。それから30年。ファミコンを集めていて駿河屋に行ったら、ジャンクコーナーにmsxのソフトが110円で10本くらい補充されていた。全部買い占めて、ハードがない(笑)
右肩上がりだった時代の80年代に6~10万円程度を惜しんだ事で
どれだけの産業と市場と社会の発展を逃した事か…
今みたいにネット閲覧とか出来るのならともかく一般家庭ではゲーム機に6万〜10万円の出費はお母さんの理解が得られないよ。
商売でもしていて帳簿や伝票出してるとかでもない限り買って貰えない価格。
pc98ユーザーだったのでMSXについてはお噂はかねがねって感じであまり印象がないです。
でもタウンズ版やx68k版を出したソフトやソフトハウスにはなんとも言えぬ憎悪を感じておりました。
天下取ったとは思ってないけど、MSXのおかげでBASIC等のプログラムが学べた。
その功績は大きいと思う。
ハードの高価格はやむなしだと思うが、入門用の低価格モデルも並行して出し続けて欲しかった。
カシオはやりすぎだった気がするけど、MSXに触る機会が圧倒的に増えたのも事実。
ソフトのコピー問題は、他のパソコンも同じ問題があったので致命的ではない。
決め手はファミコン等のゲーム機に価格とソフト品質の両面で負けた事。
そうなんですよね。88/98でもコピーは流通していましたが、その88/98にMSXは負けていますからねぇ。MSX ユーザーはゲーム機かパソコン御三家に移行していった…。
当時のパソコン/マイコンがハイレゾだったのに対し、MSXはずっとアナログテレビ画面でした。パソコンとし比較すれば、やはり見劣りしたと思います。
勝機があるとすれば、ハイビジョンテレビがあと20年早く出て、MSXが対応した世界線…
MSX3や0に対する遠回しなdisかなこれ
MSX3はまだ出て無いから別として、MSX0はIoT機器としての復活ですし、しかも公式とは言えM5にエミュレーターを入れた物ですから実機とは言えませんし。
実機出せって言う愛あるディスりだと思いますよ。多分。
MSX3には期待してます。
当時の感覚としては
MSX2になってSONYの HB-F1と松下のFS-A1あたりがゲーム機としての側面を強調した広告をたくさん打ってわっと盛り上がって
88年のMSX2+発表で2年ぐらいでMSX2が切り捨てられた感じがして冷めて
turboRの頃は自分も成長した事もあってさすがに性能が中途半端な感じで手出す気しなかった
NECの88と98、シャープのX1とX68kの関係を見てたから
8ビットと16ビットの互換は無理って感じがあったんで
turboRで後方互換持たせる情報見た時は売れない気しかなかった
MSXに限らず後方互換を狙った機種って大体こけてる(NECですら88VAとか98DOとか)から互換にこだわり過ぎたのも衰退の一員だと思う
松下に真面目さが無かった、家電の一部門として見て、失敗したらいいやくらいの覚悟でターボR作ったの原因
同時期に出てたPCエンジンやメガドライブを見れば、納期が遅れるという理由で、V9990なしで発売とかありえんわ
MX-10→A1のコースだったw
でもMX-10はまともに使おうとすると結局3万以上はしたように思う、カセットIFすら別売りはきつかった
カセットのエロゲーするにはカセットIF と拡張RAMが必須だったんよw
A1も結局拡張しまくって本体の数倍の金を使った気がする、スロット足りなくて拡張スロット買ったりして
turboRにしたら大半は不要になったけど(高い金出して買ったDOS2すら内蔵とは大盤振る舞い過ぎて当時驚いた)
LDゲームまで遊べた機種でした。
MSX1 が出た頃(FC全盛)に期待された性能は MSX2 だし
MSX2+ が出た頃に必要とされたCPU性能は turboR だし
turbo R が出た頃にはもうHDDぐらいないと駄目な時期
全ステージで時代遅れ。もうちょっと需要と供給がマッチしてれば売れた
MSXに携わった企業のその後のゲーム機へのアプローチ見ると面白いなと
SONYはプレステで天下取った松下は3dOでゲームはもうこりごりとなったマイクロソフトはXBOX頑張るぞASCIIはもうそういうのいいやと各社色々だなと
カセットテープも1世代ぐらいはタビングできた時代
その昔は雑誌にソノシートでプログラムが付録に付いていた時代は、必死にテープにダビングをしました
マリサの相方のメタンちゃんはずんだもんの動画によくでてる漆黒のメタンですか? このピンク髪のキャラクターの名前をこの動画で初めてしったので
MSX天下をとったことなど一度もありません。
確かに日本を中心とした多くのメーカーが参入し製品を出したさまは百花繚乱と言って良かったんですが、思うような結果にならずどんどんメーカーが撤退し、最後は松下電器の孤軍奮闘状態となりました。
MSXが失敗した要因はただ一つ。
「『買いやすい価格』だけを優先してゲームに必要な機能をあまりに削りすぎた」ことです。
つまりは「ただの安物でしかなかった」ということです。
スムーズスクロール機能はないからガタガタスクロール、スプライトは単色(キャラクターがたった1色だけ)、この2点だけあげても同世代のファミコンにあまりにも見劣りしていました。
ファミコンにはないPCとしての機能を入れるためファミコンよりコストがかかるのはわかりますが、そのPC機能も中途半端なものでした。
のちに機能を増強したMSX2や+などが出ますが、最初に策定した規格の出来が悪いと後継機種も失敗します。
MSX2もMSXとの互換がありました。
スーパーファミコンのようにファミコンとの互換を一切捨てれば状況は変わったかも知れませんが。
400万台ってその大半はFDD非搭載機なんだからコピーの影響なんてあまり無かったのでは?
廃れたのは後継VDPの開発失敗で旧型をそのまま使わざるを得ず他機種から完全に性能が置いて行かれた感じになったのが。
ドラクエとかがファミコンから出たからじゃない?私はニチブツのMSXソフト、麻雀刺客がやりたかったよ?
コピーソフトってそんなに出回っていたんですね!
MSXはROMカセットが主体だからコピーとは、ほぼ無縁な気がする。セーブも廻りのユーザーはカセットテープにしてたから。FDDが付く頃にはバッテリーバックアップ主体になっていった感じかな。(でもデータレコーダーが併用できるのでハイドライド3とかザナドゥでもカセットテープは使われていた)
@@westj9kidそうなんですよね。知らない人は何でもかんでも、コピーのせいにするんですよねー。
@@westj9kid 2の後期あたりから毎月の様にコピーソフトが更新されていたので定期的に購入していました。
ゲームソフトを買ってはコピーして友人数人と交換していましたね…約半数のゲームはコピー品と言う今なら逮捕されるレベル。
そう言うアングラな遊び方も許される緩い時代でしたので…。
個人的には2以降の半端な立ち位置と海外不人気が衰退の大きな原因かと思ってる
BASICがガンだと思う。
コピーに関してはMSX的には影響が少ないのではないかと思います
それはそういうことをやってる人というのはごく一部で
MSXのように所有者の数が多いとあんまし割合的に影響度が低いからですね
それプラスMSXはフロッピーだけでなくROMもあったというのもあります
他のパソコンの方が全体のパイが少ないので、ごく一部の人たちが
コピーをやりだしても影響度がでかいと考えるからです
衰退の直接的な原因はアスキーの戦略ミスだと思います
まずホームコンピュータを作ろうとして仕様を決定したということだけど
未だに「ホームコンピュータ」とは何か誰も分かりませんよね・・・
FAXや電話、テレビと同じように一家に一台と考えていたようなんだけど
それどころかスマホのように個人が複数持ってるというような方向に
時代が動いていて当時はあくまで過渡期でしかなく
人気が下がらないように裾野を支えるゲーム機としての機能を
充実させないといけないタイミングでファミコンより劣るような状態を長年放置したのが
原因と思います
⇨MSX2の段階ですでにほころびが出ていたと思います
その段階でスクロール機能やスプライト機能がファミコンより劣っているのが
よくなかったですね
MSX2ですでに残念仕様なのにMSX2+やturboRで2度がっかりさせられました・・・
別にMSXターボRは高くない。MSX2だって出始めは10万近くしたし、低価格共通規格ホビーパソコンのビジネスモデルが立たなかっただけ。他パソコンも安くなってきて飲み込まれたんだろ。
レンタル屋さんのレジ前に、プロテクト外しのソフトが販売されていて、店員さんに聞いても「ちょっと解らないですけど、一緒に購入されていくお客さん多いですよねぇ・・・」とか言れてたな
何かぱち●こ屋みたいな
MSX?家にはMX-10しかありませんよ
MSXと言えば『初代メタルギア』と『メタルギア2 ソリッド・スネーク』。
アセンブラでMSXを速く動かそうと研究したがとにかく性能がショボい。
グラフィックは1ブロック2色以内だしキレイな絵を出すことも出来ない。
MSX2にしてもメモリ不足とか欠点を抱えていたし、性能が足りん。
コピー問題で駆逐されるなら88や98はもっと酷かったと思いますよ
MSXという低価格帯を目的とした層でやれる事が終わりを迎えた時期だっただけではないでしょうか?
ソフトレンタルショップへ行けばコピーツールと一緒にレンタル出来ました。
@@akibanokitune ファイラーなど、98や88のソフトはより顕著でしたね
何か理由があって衰退したわけではないです。基本的には寿命ですよ。88や98やアミガもファミコンも変わりません。
てか、口パクの動きがてきとー過ぎて笑った
衰退というか老衰。延命治療を続けて長生きした。
パソコンは88から98へ進化したし、ゲーム機はファミコンからスーパーファミコンからニンテンドー64へと進化した。MSXは進化の波に乗り遅れた。魅力的な新機種の規格を作れなかったアスキーの戦略ミス。
bgm古いっすね
「パソコンソフトレンタル店」なんて仮にあっても
かなりマイナーな存在じゃないでしょうか??
当方の情報元は80年代以前のパソ(マイ)今雑誌のみなので
イマイチよくわかりませんが。
ただ、前提として、当時はファミコンソフトですら5000-10000円
パソコンソフトに至ってはそれ以上の価格帯が普通で
今よりも高価感はあって、小中学生はおろか高校生であっても
月に1本買えたら良い方なので、それ以上の部分を追加で
言い訳をしながら、不正コピーしたりしてたのだと思うので
市場にいびつさがあったのは否めないのではないでしょうか。
(今の方が価格と市場の数に関してはバランスが取れている)
MSXの衰退は「任天堂」の化け物ファミコンというゲーム機がいたからでは?
CPUがZ80ではPC98とも性能差があり過ぎたしね
ファミコンとMSXはカテゴリーが違うでしょ。
ファミコンはソフトで遊ぶだけ、MSXは自分でゲームを作って遊ぶものだから根本が違いますよ。
MSXが滅んだ理由とコピーは関係ないよ。何でコピーのせいにするのかな?MSXはパソコンとしては88/98に、ゲーム機としてはファミコン/スーパーファミコンに負けたんだよ。パソコンとしても、ゲーム機としても中途半端な性能だったんだよね。自然画モードしか拡張されなかった低性能なMSX2+が発売されてユーザーはガッカリ。低性能なVDPが搭載されたMSXturboRが発売されてガッカリ。ユーザーがガッカリする様なパソコン規格を考えたアスキーの戦略ミス。2回も戦略ミスしてりゃあMSXは滅ぶわなぁ。だって、その間にライバルの88やファミコンは、どんどんシェアを増やしていく。MSX2+が発売されずに、V9990とOPL4が搭載されたMSX3が発売されていれば、未来は変わっていたかもしれない。
V9990はMSXとの互換性ないですよ。MSX互換を諦めたからV9978からV9990に名前変えたんで。
@@gembu7896 ヤマハのチップで構成するMSX3を発売するなら、V9990とOPL4という事です。V9978が完成しなかった以上、V9990の採用になると思います。
88も既に停滞期に入っていましたから、ライバルには入らないでしょうね。やはり時代的に98です。
古くからビジネスパソコンとして普及していましたがホビー用途に向けてCR-ROMドライブを実装し始めていましたから丁度乗り換え易かったんですよ。
まぁ、VGAモニター込みで30万円ほどしましたが…。
@@user-vc7ho9hs6u 88と98は同じNECのパソコンなので同じですよ。MSX2とMSX2+は違うと言っているのと同じです。
@@FSFD1A 88と98が同じなんてことを言う人がいるとは正直思いもしませんでした。PC98はDOSV&Windows95に取って代わられるまで生き残っています。小さな会社なら2000年代でも使ってたんじゃないですかね…一太郎とロータスで。ちなみに私は88,98は勿論MSX2もMSX2+も両方買いましたが、運用方法も全く別(ROMオンリーと3.5インチ中心)でそんな発想が出てくる人は他に居ないんじゃないですかね…。
MSXはエロゲ専用機でしたね
美少女アニメソフトは98
「天下」といいますが、それは誇張でしょう。パソコン界ではおもちゃ扱いされ、ファミコンにも相手にならず、
誰にも相手にされてなかった。共通規格で、日本の家電メーカーがそろって発売したが、足並みが揃わなかった。
性能の低さ、質の悪いゲーム、頻繁なバージョンアップ、ユーザーもメーカーもどんどん抜けていった。