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何て美しい機体だ。。。
こんなことを言ったらは怒られるかもしれませんが、アメリカにずっとあったなら、今でも飛べたかもしれませんね。
コメントありがとうございます。確かにフライアブルな機体は素晴らしいですよね。せめてエンジンに火を入れるくらい挑戦してほしいですね。
まぁ現存がこれ一機なので、たとえアメリカにあり続けていたとしてももうとっくに飛ばすのはやめてるでしょう。それに、途中で飛ばなくなったからこそ多くの部分がオリジナルのまま保存されていて、資料的価値はとても高いものです。現状、フライアブルなウォーバーズは米軍機でも無い限りありとあらゆる部品が戦後製造の多機種からの代替品に交換され、オリジナルとは程遠いです。私は飛ばさなくて正解だと思います。
疾風の現状を見れば、アレが日本の保存の仕方です!ま、里帰りした、零式戦が年間維持費が一億掛かると、言われれば致し方無いのか?
@@user-sn6dw9mo6w 屋内保管に徹底的な保存状態の調査と機体保存のための多くの保守管理作業。素晴らしい現状と言えます。飛ばすだけが飛行機ではありません。おそらくアメリカの61-120も多分そろそろ飛ばなくなると思いますよ。度重なるエアショーでの展示飛行で疲労困憊状態で、いつ致命的な損傷が起こるか。
レプリカを作っていつか飛べばいいと思います。オリジナルは保存しといて。
本機がたどったその後の経緯を鑑みると、「エド・マロニーさん本当にごめんなさい!」と日本人としてお詫びしきれない気持ちになります。
コメントありがとうございます。確かに当時の日本人にとって、大戦機の維持管理がいかに大変なことか、認識がなかったんでしょうね。
40年ぐらい前に京都の嵐山で野外に展示(放置)されてるのを見ました。素人の若造でも酷いなと感じましたね。何だかあちこちにトーチか何かでぶつ切りにしたような跡があったように記憶しています。パイプやケーブル類?が切られた部分が見えていて、緑色のペンキ一色でゴテゴテに塗られてました。本当にエド・マロニーさんごめんなさい ですよね。
当時は、まだまだ戦争一時的に、富士重工で保管、当時の整備経験者の整備も受けていて。動体保存もされていましたが。嵐山博物館に売却。現在は知覧に展示されてますね。数年前に、有識者の調査が行われ、嵐山での散々な屋外展示や、嵐山博物館の閉館後に、各地の私設博物館を転々として。『バーナーで切断された』『ほとんどの部品が盗まれた』等々、言われてましたが。調査の結果、バーナー等による切断は無い。一部部品が欠損しているが。機体の状態も良好、動翼も全部稼働状態。エンジンも始動は難しいが状態は良好との判定でしたね。
@@user-sd8pb3bq2k ならば、プレーンズフェイムに返還すべき事案だと思います。お金持ちの気まぐれで始末に困る巨大観音像とか考えると、あとのことを全く考えずに買い取った機体なのですから別にフライアブルでない機体と交換してもらうとか、クラウドファンディングを利用するとか、手段を選ばずに返還すべきです。
飛行機の本当の幸せは、やっぱり空を飛ぶことだよな〜
こ、これは!!!御公開大変感謝致します。凄い貴重なフイルム過ぎます。ありがとうございます。早速知覧特攻平和会館の担当者に見るように連絡致しますので。
疾風(1446号機)保存状態調査報告書Ⅰを拝見。感激しています。ぜひ今後の調査もよろしくお願いいたします。😃
疾風の飛行する映像、初めて見た。感動モノです。
コメントありがとうございます。いろんな発掘映像が公開されるといいですね。
疾風が現存してるなんて素晴らしい‼️
この機体、今は無き嵐山美術館まで修学旅行の昼食時間削って見に行ったなぁ。既に部品の盗難などがあって酷い状態だったけど。どうも以前に、コックピットまでよじ登って良いとかしたらしいんですよね。当時の嵐山美術館には、零戦52型と95式軽戦車、その他様々な珍しい火器類も沢山展示してありました。にしても、マロニー氏から譲り受けた実業家は、先のことまで考えるべきでしたね。本当は、富士重工業が所持保管してくれるか、国が所持保管してくれると良いんだけど。
コメントありがとうございます。航空遺産を大切にする文化が育ってほしいですね。
部品の盗難はガセだそうです。2017年調査で一部アメリカ製部品に置き換わってはいたものの、外れた部品等は機内にあり、他にもよく言われている「翼を切断されて飛べなくなった」と言うのも結局そんな痕跡は見つからなかったそうです。
Last best Japanese fighter.... I love hayate as a persian person. :) Ki84 always shine, only 3500 made but they show the real power of japan empire during ww2!
貴重な機を譲り受けたのに日本はそれを飛べなくしてしまったんですよね
コメントありがとうございます。難しい問題ですね。日本はまだまだ「航空文化」が育っていないんですね。国立科学博物館から零戦が移転されてしまい、まるで自然科学博物館?になってしまいました。 悲しいなぁ・・・😓
凄く貴重な映像を有難うございます!
貴重な映像をありがとうございます!!!本機は現在知覧にて保存されておりますが、一部書籍にあるような酷い状態ではありません。主翼の桁を切って運んだなどの情報がありますがそのような事実もありません。いつの時代でも、遺産を大事に守る有志がいた事に感謝いたします。
コメントありがとうございます。いつまでも、ニセ情報が氾濫しているのは悲しいことですね。大切な「疾風」を日本人として多くの人に知ってほしいです。
二式大艇のようにトドメを刺す前にアメリカに帰すべき
この疾風の飛行映像、当時のニュースTVで放送されたのをリアルタイムで見たよ、😃
素晴らしいです!貴重な映像の公開、本当にありがとうございます!!
素人映像を見ていただきありがとうございます。webで公開し、こんなにも反響があり驚いています。もっと発掘映像が出るといいですね。
貴重な映像ありがとうございます。当時中学1年生で、父親の1眼レフを借りて写真を撮りました。色彩がその時のままの様で、まだビデオカメラも普及していなかった時代8mm?の映像は大変貴重だと思います。この飛行の数日前に聞きなれない飛行音がしていたと思ったら次の日の下野新聞のトップに「疾風、故郷に帰る」の記載が。興奮したのを思い出しました。製造番号から当時の中島飛行機宇都宮製作所の製作機体だったのですね。
コメントありがとうございます。確か宇都宮での「疾風公開」情報は地元紙だけだったのか、ギャラリーは1000人くらいだったと思います。疾風保存会の方々がサポートしていました。
@@user-lf4wh3ol4u そうでしたか、まじかで見られてラッキーでした。飛行後にカウリング下のオイルクーラーからオイルがボタボタ漏れていて、もう無理に飛ばさないでいいよ、との周りの声もありましたね
泣いてしまった、、。嵐山で見て以来、ゲームとか模型で改めてスタイルの良さに気付いて、もっとしっかり見ておけば良かったと悔やんでいて、仕事机に小さなダイキャストを置いて、いつも眺めてた。零戦とはまた違った重厚な趣きの中に、主翼のシャープなシルエット、この形だけでもう高性能を予感させられる。その疾風の、飛んでる姿を拝見できるなんて。youtubeこれをオススメしてくれてありがとう、いや、まずUP主様ありがとう。
コメントありがとうございます。太陽光の下で「疾風」の雄姿をまた見てみたいですね。
四式戦…貴重な動画ですね、当時は様々なグラフ誌を買って眺めたものでした。美しく獰猛な姿には感動するばかり。私のBLレガシィは古くなりましたが「直系」と信じて大事にしています。
コメントありがとうございます。プロペラが回っている「疾風」の姿、もっと撮影しておけばと・・悔やんでいます。
いやあ美しい機体だなあ。日本の最高傑作戦闘機だと思う。疾風を作った中島飛行機の流れを受け継ぐスバル、頑張れ!!!!
もう飛べないのが本当に悔やまれる・・・・
本当に飛ばすためには、資金力、情熱力、環境作りが必要なのではないでしょうか。今より文化財的意義が強くなれば、飛行は無理でしょう。
貴重な映像を有難うございます。当時は子供だったので見に行けませんでした。日本などに売らなかったら、今でも大空を飛んでいたでしょう。今からでもプレーンズオブフェイムに返却すべきです。彼等なら、必ずフライアブルな状態にレストアするでしょう。前に日本人が購入した零戦22型も、結局は飛べなくしてしまうと思います😢
コメントありがとうございます。「大戦機を飛ばす派」と「当時の姿で現状保存派」いろんな意見がありますね。でも日本のものは日本に在ってほしい、と思います。
疾風が戦後の日本の空を飛んでる!これは感動する映像ですね!この疾風、日本が負けたアメリカで綺麗にレストアされ日本に帰ってきて、すっかり高度成長を遂げ変わった日本の空を飛んでどんな気持ちだったのでしょうね。
コメントありがとうございます。戦後日本の空を飛ぶことの意味。当時マスコミはスルーしたような気もします。
@@user-lf4wh3ol4u 日本のマスコミが、この疾風の事にしろ災害派遣や隣国の国際的にも非常識な行動に対する自衛隊や海上保安庁の活動等、国民にしっかり伝えて欲しい事をしないのは今も昔も同じですね。
超貴重な動画アップして頂き感謝感激!!オーナーの後閑盛直氏は甲飛13期、フロート付き93式中練で訓練中に敗戦。戦後、民間の航空機ライセンスを取得されましたが、340馬力の93式よりハイパワーの飛行機の操縦経験はなかったはず。そんな人がぶっつけ本番で2000馬力級の飛行機を操縦するなんて・・・今だと法的に絶対ムリですし。当時もアウトだった?
コメントありがとうございます。今考えてみると、当日の飛行はドキドキもの、だったんですね。着陸後、滑走路を逸脱?砂塵が舞い上がったのを記憶しています。その後富士重工FA-200が曲技飛行を披露し、集まった人々を楽しませてくれました。(この日の動画や写真が少ないのはワケがあったのか?)
@@user-lf4wh3ol4u さん当時、クラッシュ・ランディングして廃機になっていてもおかしくなかったんですね。知りませんでした。FA-200のスタントを実際にご覧になったとは羨ましいです。20年以上前でしょうか、甲飛13期の方々がFA-200を旧海軍機色に塗装して共同所有して飛ばしているというニュースを見た記憶があります。この疾風、京都嵐山の戦争博物館にある時に見ました。(ここに展示されている時に部品盗まれて状態が悪化したようです)写真を撮らなかったのが悔やまれます。最近、三式戦のメーカー川崎が知覧の機体を復元しましたが、同じようにSUBARU(旧富士重工業=中島飛行機)に4式戦を復元して欲しいものですが、今のご時世では難しいでしょうね・・・
懐かしい映像ですね!かつては疾風も飛行出来たのに、今では飛ぶことはおろか保存状態もあまりよくないと聞きます!アメリカなどでは大戦機とか大事に保存されているのに、日本ではそんな試みも無く残念なことです。
このコメント欄にもご本人が居ますが、Twitterで保存状態を研究して報告されてる方のツイートを見ることが出来ますがそんなことはありません。保存状態は他のウォーバーズと比べても比較的いい方で、飛ばそうと思えば飛べる状態だそうです。その方は国内の大戦機の保存に注力されています。飛ばすことは叶わずとも、日本でも歴史的資料として保存の試みは多くの人々の手によって行われています。
@@i_Ring ご教示ありがとうございます。安心しました。しかし、海自鹿屋基地に保管展示してある二式大艇の保存は屋外ということもありしのびない状態です。
二式大艇の末路を見ればどうなるかはサルでもわかる
おお。旧日本軍最強の戦闘機疾風じゃないですか。零戦は美しい戦闘機だけど、疾風は凄みがある。
中学生の時入間で見ました。天候が悪く地上展示だけでしたが。もう一度アメリカに渡して飛行可能な状態にし、時々日本で展示飛行してもらうほうが幸せな気がする。ゼロと疾風そして新造隼と3機で戻ってきたらすごく嬉しい。
コメントありがとうございます。昔のフィルムを公開しただけなのに、沢山の方から、いろんな意見を頂いて驚いています。それだけ「疾風」の人気があるんですね。
胴体切断は運搬の為接合部分で外しただけみたいですね。現在の保存施設では形状はちゃんとしているみたいですし、隼を新造しちゃうくらいですから、飛行可能にするのは可能だと思います。スポンサー次第ですが。
czcams.com/video/-8XP0-GJHcM/video.html
知覧に運ぶ時翼を根本から切断して運搬したからその翼では飛行は無理です。またエンジンもシリンダーに不具合があるため今の状態では始動は無理かと マロニー氏は雷電ともう一機渡すから疾風を返して欲しいと打電して来ましたがこれに応えませんでした。米国にあれば今も飛行可能でしょう。
このまま飛ぶとは思っていません。切断されたと思われる部分の補強、補強が無理なら新造する。無くなってしまったエンジンヘッドも残って居るものからコピーし作成。最終的には、丸ごと新造出来るのが米国ですから、そちらに有ったほうが良かったかなと思っています。まあ莫大な費用が掛かりますが、やろうとすれば出来るのが米国ですから。
生きている四式戦を初めて見ました😆貴重な動画をありがとうございます🙇確かもう飛べないんですよね😅せめてエンジン位動かしてほしいですね😢せっかく帰国したのに飛べなくなるなんて残念ですね😅
コメントありがとうございます。当時ビデオカメラがあったらと悔やんでいます。エンジンだけでも動態保存してほしいですね。
何億円もあれば、そりゃ飛べるようになるでしょうが、そんなお金ないしね。国が工業遺産として予算組んでくれたらいいのですが。
日本の主力戦闘機疾風、実際に飛べるのは零戦だけかと思ってましたけど疾風もいたんですね、
もっと皆さんに知ってほしいですね。😄
入間基地祭の時に見ました。当時の写真が何枚か残ってるはず。
拝見させて頂きました。この機の発動機は誉ですよね!誉発動機の動いている姿、音を観てみたい!夢です
コメントありがとうございます。せめて誉発動機に火を入れることができれば、素晴らしいですね。
@@user-lf4wh3ol4u 素晴らしいと思います✨誉発動機の全力運転では時速600kmを大きく上回り「我に追い付くグラマンなし」を本で読み、感動しました。
四式戦の稼働機が見られるとは・・。凄い。4枚プロペラカッコいいです。うちの祖父は陸軍航空隊通信部にいましたが、日本軍での最優秀戦闘機はキ-84と言い切ってました。もっとも、ハ45がまともに動くという前提ですけど。海軍紫電は、性能もですが生産機数が少なく論外だとか。あと、「疾風」という名称は、当時使う人は皆無でキ-84または四式とよんでいたとのこと。
やはり規制やら何やらで日本で古い飛行機を飛べる状態で保存する事がいかに難しいかわかる・・・
飛べるように戦後23年間も保存し、維持していたモノを日本人が買い取り、飛べなくした上に嵐山美術館で錆びさせ、結果、二度と飛べない状態にし現在、鹿児島の知覧特攻平和会館室内に展示中と…1995年にアリゾナのチャンプリン・ファイター博物館で紫電改の復元後に見ましたが、航空機のパーツが多く復元可能な米国ですら当時は1億円かかったそうです。もう二度と日本に戻さないで欲しい。飛べない戦闘機が可哀そうに思えてくる。この映像は本当に貴重だと思います。😂👍
コメントありがとうございます。確かに、日本の空はフライアブル大戦機にとって法規的、資金的にも悲観的すぎますね。
凄いですねぇ〜飛行出来るまで個人的レベルで ⁉️アメリカ🇺🇸凄い国
北宇都宮駐屯地での貴重な動画を拝見させて頂きありがとうございます。私も高校生の頃入間で撮影しました。当時の写真を見ると飛行中右主脚の内側カバーが半開きで尾輪は出したまま、主翼左側ホ5機関砲身が無かったですね。知人に聞いたのですが、この日は零戦の元操縦者がタキシングだけと云うはずが離陸してしまったとの事でしたが本当でしょうか?
コメントありがとうございます。この日の飛行に関しては、確かに予定外の飛行だったらしいですね。 当日は風も強く、機体が横滑りしている様に見えました、でも無事に着陸できてヨカッタ・ヨカッタですね。
映像残っていたんだ、亡き父に連れられて見に行ったんだよなこれ。
そう言って下さると、動画をアップして良かったです。
日本に譲渡せずマロニーさんとこにあれば今でも零戦52型と一緒に飛んでいたでしょうに、現存する唯一の稼働する誉エンジンだったのに(涙)
再度この動画を公開頂けたことに感謝致しています。私としては、この動画で様々な立場と考えで御意見コメントがでると思いますが、飛行姿は大変素晴らしいと素直に喜んでおります。(勿論、航空法上等々の観点では強く自制する点)一つ主脚の問題でご指摘が出るとは思いますが、入間でドン・ライキンス氏の飛行時に作動量は違えど既に発生していた点ですし、この時代の機体の特性上、格納のロックさえ外れればダウンロックは可能ですので(勿論、油圧は多少でも効いていないと直近ではよくない)、客観的な観点と既に過去の事と考慮して頂ければと私的には考えます。この機体の過去と現状の詳細を知りたい方は、知覧特攻平和会館にて【「疾風1446号機」保存状態調査報告書Ⅰ】が、電話かFAXで問い合せて送料と振込手数料持ちで買えます😊chiran-tokkou.jp/books.html日本での保存観点では色々と噂で批判される疾風ですが、この書籍にて是非とも客観的な知識を得て下さればとても幸いです。なんにせよこの動画を見れて本当に幸いでした😊
喜んでいただいて光栄です。「疾風」との再会が楽しみです。😀
@@user-lf4wh3ol4u さま、早速のご返答ありがとうございます。知覧に行かれるときは、もし宜しければ専門員の八巻さんと接触頂ければです。
はじめまして。貴重なフィルムの公開、とてもとても嬉しく拝見致しました。確か後関さんは海軍の方でしたか。このフィルムでも海軍の航空服で飛んでいるのが判りますね。A6M232様も仰るように、色々な意見やコメントは出て来るでしょうが、このフィルムを見ていると、とにかくこの疾風を飛ばしてみたかった…そんな思いも見てとれるような気がします。私の住まいから遥か遠い地にいる疾風1446号ではありますが、いつか自分の眼でじ~っくりと眺めてみたいものです。感激のあまり、ついついコメントさせて頂きました。本当にありがとうございます。
コメントありがとうございます。このフィルムは長らく我が家で行方不明になり、最近発見されました。画質は悪いですが当時の雰囲気を感じていただけると幸いです。「疾風」が文化財として正しい形で保存し次世代に伝えていってほしいものです。
家の爺さん、ここに居たと思う。その時の画像は、今でも・・・格納庫にFの画像がない
質の良い燃料とオイルで疾風も喜んでるんやろうなぁ…
入間でこの疾風が飛ぶのを見ました。確か、エンジンの調子が悪かったか何かで飛ぶ順序が最後になってしまい、ブルーインパルスの後で飛んだように覚えています。
私も入間基地に行ったのですが、フライトは見られませんでした。
この四式戦の売却資金で今もあるオリジナル零戦をレストアしたそうですね。福生飛行場、横田基地で招かれた高松宮様が「零戦はないのか?」の一言があったらしいです。海軍士官であられた宮様。四式戦も横田基地も陸軍ですもんね。
大切に保管せず、雨ざらしにして飛行不能にした日本人を許してください
入間基地に見に行きましたよ・・・。
この近くに美味しいラーメン屋さんと、なかなか良きな模型屋さんがございます…関係ないですが…栃木に大谷鍾乳洞なるものが御座いまして、そちらにて組み立てられていたのが疾風と聞いています。組み立てたパーツごとに汽車に乗せ、飛行場にて完成させ飛ばして配備したと聞いています。最近、こちらにコストコができましたが、実はあの辺りが壬生飛行場跡地になります…はい、地元ネタぶっ込みました。
宇都宮情報ありがとうございます。スバル(富士重工)で保管してくれれば、近くてよかったのに、と思っていました。
主脚が引き込まないのは油圧の不具合か
コメントありがとうございます。着陸時、滑走路を横に逸脱し「ヒヤ!」としたのを記憶しています。
そのまま富士重工が保管していれば、、、もう飛ぶ姿ほ見れないけどせめてエンジンを可動できるように整備してほしい
航空遺産に対する企業の援助が足りないと思います。
絶対に手を出さないさ
コレだね。確かに見ました。
コメントありがとうございます。後で、また遊びましょう。
飛べるように戦後23年間も保存し、維持していたモノを日本人が買い取り、飛べなくした上に嵐山美術館で錆びさせ、結果、二度と飛べない状態にし現在、鹿児島の知覧特攻平和会館室内点字へと…アリゾナのチャンプリン・ファイター博物館で紫電改の復元後に見ましたが、航空機のパーツが多く復元可能な米国ですら当時は1億円かかったそうです。もう二度と日本に戻さないで欲しい。飛べない戦闘機が可哀そうに思えてくる。この映像は本当に貴重だと思います。😂👍
現在の疾風は機体の常態は良好との事です主翼の分解方法についても設計どおりの手順で分離されておりきちんと組み立てられた現在は発動機さえ動けばなんだか飛行出来そうなそんな感じですまあ実際は飛行は無理でもそのうちタキシング展示可能と成ると思われますのでその日がくるのを楽しみに待ちましょう
@@sansogyorai00ver2 1995年に現在、スミソニアン博物館に飾られてある紫電改を見ましたが、復元に1億掛かってたそうです。エンジンが一番大事なのに、そこが動かない場合、レストアが一番大変なんですけど…日本より米国の方が大事にされると思います。
オーナーさんが亡くなって、一時的に行方不明になって。現在は、飛べなくなって、とても残念です。
コメントありがとうございます。たまには屋外展示などやってほしいですね。とにかく周知等がすくないです。
日本には模型だけでいいです。本物は是非ともアメリカなど海外でお願いします。たまに帰って来てくれるだけでいいです。
譲ってくれたアメリカ人が杜撰な管理で飛行不可能にしたことに怒ったんだよね単なる展示物になるくらいだったら元の持ち主に管理していてもらうべきだった
以前、新聞で零式艦上戦闘機が4億円で売られると言う話を聞きました。できれば日本政府が買い上げて自衛隊で保管をしてもらいたいなと思いました…その後の結果はどうなったんだろう?
コメントありがとうございます。国立の航空博物館でさえ作れない日本です。まだまだ航空遺産の意味が認識されていないのが現状です。
故郷に帰って来たら酷い扱いを受けることになるなんて疾風さんも思いもしなかったことでしょうその後のこの機体の処遇には今も変わらぬ日本人の民度が凝縮されているようで複雑な気持ちになります
コメントありがとうございます。東京の国立科学博物館から零戦が撤去されたことも悲しく思います。これも日本人の民度なのかな
飛行できる貴重な飛行機をわざわざ日本人自らの手で飛べなくしたなんて、いかにこの頃の日本人がねじ曲がった根性だったかよく判る
超低空飛行じゃないですか!
大艇もでしたが保存方法が・・って思いますよね@@ 博物館ではなくメーカーに引き取ってもらってれば
メーカーは「航空遺産」に対し資金面で社会貢献すべき。アメリカの「青嵐」にはタミヤが資金を提供している。
知覧で展示されている疾風を見ました。おそらくもう飛行はできないでしょうね。日本人は古いもの・伝統的なものを維持しようとせず、すぐ破棄・破壊してしまう。明治時代全国のお城がことごとく破壊され、今では元の姿すら不明。日本人のこのような気質は嫌いです。
小学6年の時だったか、入間基地で見た機体。前日は、主脚が引き込んだ様だけど 私が見た日は出しっぱなしで飛んでました。この映像でも引き込みが途中で止まってるけど、無事着陸出来て良かった。
コメントありがとうございます。航空遺産としての「疾風」を後世に大切に引き継ぎたいですね。
入間基地での展示飛行は目に焼き付いています。
コメントありがとうございます。 「誉エンジン」の爆音が記録できなかった事が悔やまれます。
@@user-lf4wh3ol4u 当時発売されていた「国際航空宇宙ショー」特集の雑誌付録のソノシートで、たまに「ハ-45」の音を聞いてます。
POFに返せば良かったですよ。貴重な誉搭載の飛行可能機だったのにね。
コメントありがとうございます。以前は私もそう思っていました。しかし現在「疾風1446号機」の状態調査が行われています、やはり日本に残っていて、良かったと思うようになりました。
疾風ですか?
すみません詳しく無いんですけど、コレは空軍機何ですか?祖父は陸奥を降りた後 豊川海軍工廠に行き そこから中島飛行機に派遣されました。海軍の飛行機を製造していたらしいです。
陸軍四式戦闘機「疾風」(1446号機)1944年12月頃フイリピンで鹵獲、その他不明な点が多いらしいです。
@@user-lf4wh3ol4u ありがとうございます!
やってくれたよ嵐山美術館。責任重大、貴重な唯一無二のオリジナルの誉エンジンと四式戦疾風をよくも鉄クズにしてくれたな!当時の責任者、謝罪と賠償をしろ!河口湖自動車博物館様が引き取って復元してくれませんでしょうか?
コメントありがとうございます。「疾風(1446号機)」保存状態調査報告書Ⅰ(2022年3月)を見ると、現在の状態が理解できると思います。安心してください。心配なのは屋外展示の「二式大艇」です。
以前、河口湖飛行館のオーナーさんにそのようにお話したことがあったのですが、知覧特攻平和会館が手放さないのでしょうね😢
時代の仇花、四式戦。いま言う、サスティナブルでしょうか。主、ありがとう御座いました。
なんで、これを維持できなかったんだろう😅
追記:日本に来る前の古い実働映像はコレ、見てね。ほかにも変わりダネ映ってるから。czcams.com/video/8waXqQoBri4/video.html
映像が有るだけありがたいけど、音声が無いのは・・・ねぇ😅
これを野ざらしにする精神が分からない、なんでも個人的ににアメリカから譲ってもらいその方が亡くなり宙ぶらりんになってしまったとか、富士重工あたりが管理し飛行可能状態にしてくれればよかったと無責任ですが思います。
いつ頃の映像だろ?北宇都宮駐屯地って事は戦後だよね?それにしても、こんな貴重な映像があったとは知らなかった。
コメントありがとうございます。宇都宮飛行場はスバル(富士重工業)の航空機部門が隣接しています。富士重工業(旧中島飛行機)は「疾風」に対して冷たかったと、当時思いました。
@@user-lf4wh3ol4u 中島飛行機は陸軍機が多かった。今は富士重工から社名が『SUBARU』に統一されてしまったけどね。
これを「武器輸入に当たる」といって飛行不能に破壊した生産国は、自身が武器として活用できなかった事を認めたくないのだろうか?
Please forgive the Japanese who made it impossible to fly by leaving it out in the rain without keeping it carefully.
アニメならみましたが、疾風
脚は引き込めないの?
当時まだ完璧なレストアが完了してなかったようで、カウリング下にオイル受けがあったのを記憶しています。
スバルの格納庫にあった頃にスバルは自社製品を買い取るという選択はなかったもんだろうか。レオーネ作ってるようじゃ無理か。輸送に不便だからという理由で主翼・主桁を真っ二つ。二度と飛べなくなった。事実ではないという声もあるが、レストアしたマロニー氏は大激怒。マロニー氏は零戦のレストア時、主桁を新規製造することになり莫大な費用が掛かって苦労したそうだから、怒るのも当然。栄発動機で飛ぶ(今は飛べないらしい)零戦も所有しているが、日本には絶対売らない・返さないと息巻いている。(出典・航空情報誌 雑誌丸の特集記事)その後この機体は盆地で多湿の京都の嵐山美術館に半屋外状態で展示、計器類盗まれまくり。儂が見に行った時には計器盤は穴だらけだったけど今はキチンと整備・修復されてるようで一安心。
小野田寛郎さんが、日本に帰って来たのと同じで、酷い扱いです!
小野田元少尉もとっとと日本出てしまいましたからね。ブラジルでも成功されたのは凄いと思います。海軍中尉だった叔父は小野田氏は立派な軍人で横井氏はただの生きながらえた脱走兵とその違いをコンコンと説明してました。
@@sunami808 小野田さんは陸軍中野学校出身のエリート士官、方や横井さんは徴兵されて前線に配属されただけの元民間人だから仕方がない部分もあると思う。
私は、小野田さんは、日本が敗戦した事は解っていたのに、地元民との銃撃戦で2人の部下を無駄に死に至らしめて、自分だけおめおめと帰国した卑怯者と思ってる。早く投降して来れば2人の部下も帰国して両親に会えたのに。
@@kijitora7 小野田さんは職業軍人だからね。例え敗戦を知ったとしても上官からの帰還命令が無ければ任務を続行しないといけない。心中を察して欲しいなぁ。
何て美しい機体だ。。。
こんなことを言ったらは怒られるかもしれませんが、アメリカにずっとあったなら、今でも飛べたかもしれませんね。
コメントありがとうございます。確かにフライアブルな機体は素晴らしいですよね。せめてエンジンに火を入れるくらい挑戦してほしいですね。
まぁ現存がこれ一機なので、たとえアメリカにあり続けていたとしてももうとっくに飛ばすのはやめてるでしょう。
それに、途中で飛ばなくなったからこそ多くの部分がオリジナルのまま保存されていて、資料的価値はとても高いものです。
現状、フライアブルなウォーバーズは米軍機でも無い限りありとあらゆる部品が戦後製造の多機種からの代替品に交換され、オリジナルとは程遠いです。
私は飛ばさなくて正解だと思います。
疾風の現状を見れば、アレが日本の保存の仕方です!
ま、里帰りした、零式戦が年間維持費が一億掛かると、言われれば致し方無いのか?
@@user-sn6dw9mo6w 屋内保管に徹底的な保存状態の調査と機体保存のための多くの保守管理作業。素晴らしい現状と言えます。
飛ばすだけが飛行機ではありません。
おそらくアメリカの61-120も多分そろそろ飛ばなくなると思いますよ。度重なるエアショーでの展示飛行で疲労困憊状態で、いつ致命的な損傷が起こるか。
レプリカを作っていつか飛べばいいと思います。オリジナルは保存しといて。
本機がたどったその後の経緯を鑑みると、「エド・マロニーさん本当にごめんなさい!」と日本人としてお詫びしきれない気持ちになります。
コメントありがとうございます。
確かに当時の日本人にとって、大戦機の維持管理がいかに大変なことか、認識がなかったんでしょうね。
40年ぐらい前に京都の嵐山で野外に展示(放置)されてるのを見ました。素人の若造でも酷いなと感じましたね。
何だかあちこちにトーチか何かでぶつ切りにしたような跡があったように記憶しています。パイプやケーブル類?が切られた部分が見えていて、緑色のペンキ一色でゴテゴテに塗られてました。本当にエド・マロニーさんごめんなさい ですよね。
当時は、まだまだ戦争一時的に、富士重工で保管、当時の整備経験者の整備も受けていて。動体保存もされていましたが。嵐山博物館に売却。現在は知覧に展示されてますね。数年前に、有識者の調査が行われ、嵐山での散々な屋外展示や、嵐山博物館の閉館後に、各地の私設博物館を転々として。『バーナーで切断された』『ほとんどの部品が盗まれた』等々、言われてましたが。調査の結果、バーナー等による切断は無い。一部部品が欠損しているが。機体の状態も良好、動翼も全部稼働状態。エンジンも始動は難しいが状態は良好との判定でしたね。
@@user-sd8pb3bq2k ならば、プレーンズフェイムに返還すべき事案だと思います。お金持ちの気まぐれで始末に困る巨大観音像とか考えると、あとのことを全く考えずに買い取った機体なのですから別にフライアブルでない機体と交換してもらうとか、クラウドファンディングを利用するとか、手段を選ばずに返還すべきです。
飛行機の本当の幸せは、やっぱり空を飛ぶことだよな〜
こ、これは!!!御公開大変感謝致します。
凄い貴重なフイルム過ぎます。
ありがとうございます。
早速知覧特攻平和会館の担当者に見るように連絡致しますので。
疾風(1446号機)保存状態調査報告書Ⅰを拝見。感激しています。ぜひ今後の調査もよろしくお願いいたします。😃
疾風の飛行する映像、初めて見た。感動モノです。
コメントありがとうございます。いろんな発掘映像が公開されるといいですね。
疾風が現存してるなんて素晴らしい‼️
この機体、今は無き嵐山美術館まで修学旅行の昼食時間削って見に行ったなぁ。既に部品の盗難などがあって酷い状態だったけど。
どうも以前に、コックピットまでよじ登って良いとかしたらしいんですよね。
当時の嵐山美術館には、零戦52型と95式軽戦車、その他様々な珍しい火器類も沢山展示してありました。
にしても、マロニー氏から譲り受けた実業家は、先のことまで考えるべきでしたね。本当は、富士重工業が所持保管してくれるか、国が所持保管してくれると良いんだけど。
コメントありがとうございます。航空遺産を大切にする文化が育ってほしいですね。
部品の盗難はガセだそうです。
2017年調査で一部アメリカ製部品に置き換わってはいたものの、外れた部品等は機内にあり、他にもよく言われている「翼を切断されて飛べなくなった」と言うのも結局そんな痕跡は見つからなかったそうです。
Last best Japanese fighter.... I love hayate as a persian person. :) Ki84 always shine, only 3500 made but they show the real power of japan empire during ww2!
貴重な機を譲り受けたのに日本はそれを飛べなくしてしまったんですよね
コメントありがとうございます。
難しい問題ですね。日本はまだまだ「航空文化」が育っていないんですね。国立科学博物館から零戦が移転されてしまい、まるで自然科学博物館?になってしまいました。 悲しいなぁ・・・
😓
凄く貴重な映像を有難うございます!
貴重な映像をありがとうございます!!!本機は現在知覧にて保存されておりますが、一部書籍にあるような酷い状態ではありません。主翼の桁を切って運んだなどの情報がありますがそのような事実もありません。いつの時代でも、遺産を大事に守る有志がいた事に感謝いたします。
コメントありがとうございます。
いつまでも、ニセ情報が氾濫しているのは悲しいことですね。大切な「疾風」を日本人として多くの人に知ってほしいです。
二式大艇のようにトドメを刺す前にアメリカに帰すべき
この疾風の飛行映像、当時のニュースTVで放送されたのをリアルタイムで見たよ、😃
素晴らしいです!
貴重な映像の公開、本当にありがとうございます!!
素人映像を見ていただきありがとうございます。
webで公開し、こんなにも反響があり驚いています。もっと発掘映像が出るといいですね。
貴重な映像ありがとうございます。当時中学1年生で、父親の1眼レフを借りて写真を撮りました。色彩がその時のままの様で、まだビデオカメラも普及していなかった時代8mm?の映像は大変貴重だと思います。この飛行の数日前に聞きなれない飛行音がしていたと思ったら次の日の下野新聞のトップに「疾風、故郷に帰る」の記載が。
興奮したのを思い出しました。製造番号から当時の中島飛行機宇都宮製作所の製作機体だったのですね。
コメントありがとうございます。
確か宇都宮での「疾風公開」情報は地元紙だけだったのか、ギャラリーは1000人くらいだったと思います。疾風保存会の方々がサポートしていました。
@@user-lf4wh3ol4u そうでしたか、まじかで見られてラッキーでした。飛行後にカウリング下のオイルクーラーからオイルがボタボタ漏れていて、もう無理に飛ばさないでいいよ、との周りの声もありましたね
泣いてしまった、、。
嵐山で見て以来、ゲームとか模型で改めてスタイルの良さに気付いて、もっとしっかり見ておけば良かったと悔やんでいて、仕事机に小さなダイキャストを置いて、いつも眺めてた。零戦とはまた違った重厚な趣きの中に、主翼のシャープなシルエット、この形だけでもう高性能を予感させられる。その疾風の、飛んでる姿を拝見できるなんて。
youtubeこれをオススメしてくれてありがとう、いや、まずUP主様ありがとう。
コメントありがとうございます。太陽光の下で「疾風」の雄姿をまた見てみたいですね。
四式戦…貴重な動画ですね、当時は様々なグラフ誌を買って眺めたものでした。美しく獰猛な姿には感動するばかり。私のBLレガシィは古くなりましたが「直系」と信じて大事にしています。
コメントありがとうございます。プロペラが回っている「疾風」の姿、もっと撮影しておけばと・・悔やんでいます。
いやあ美しい機体だなあ。日本の最高傑作戦闘機だと思う。
疾風を作った中島飛行機の流れを受け継ぐスバル、頑張れ!!!!
もう飛べないのが本当に悔やまれる・・・・
本当に飛ばすためには、資金力、情熱力、環境作りが必要なのではないでしょうか。
今より文化財的意義が強くなれば、飛行は無理でしょう。
貴重な映像を有難うございます。当時は子供だったので見に行けませんでした。
日本などに売らなかったら、今でも大空を飛んでいたでしょう。今からでもプレーンズオブフェイムに返却すべきです。
彼等なら、必ずフライアブルな状態にレストアするでしょう。
前に日本人が購入した零戦22型も、結局は飛べなくしてしまうと思います😢
コメントありがとうございます。「大戦機を飛ばす派」と「当時の姿で現状保存派」いろんな意見がありますね。でも日本のものは日本に在ってほしい、と思います。
疾風が戦後の日本の空を飛んでる!
これは感動する映像ですね!この疾風、日本が負けたアメリカで綺麗にレストアされ日本に帰ってきて、すっかり高度成長を遂げ変わった日本の空を飛んでどんな気持ちだったのでしょうね。
コメントありがとうございます。戦後日本の空を飛ぶことの意味。当時マスコミはスルーしたような気もします。
@@user-lf4wh3ol4u 日本のマスコミが、この疾風の事にしろ災害派遣や隣国の国際的にも非常識な行動に対する自衛隊や海上保安庁の活動等、国民にしっかり伝えて欲しい事をしないのは今も昔も同じですね。
超貴重な動画アップして頂き感謝感激!!
オーナーの後閑盛直氏は甲飛13期、フロート付き93式中練で訓練中に敗戦。戦後、民間の航空機ライセンスを取得されましたが、340馬力の93式よりハイパワーの飛行機の操縦経験はなかったはず。
そんな人がぶっつけ本番で2000馬力級の飛行機を操縦するなんて・・・
今だと法的に絶対ムリですし。当時もアウトだった?
コメントありがとうございます。今考えてみると、当日の飛行はドキドキもの、だったんですね。
着陸後、滑走路を逸脱?砂塵が舞い上がったのを記憶しています。その後富士重工FA-200が曲技飛行を披露し、集まった人々を楽しませてくれました。(この日の動画や写真が少ないのはワケがあったのか?)
@@user-lf4wh3ol4u さん
当時、クラッシュ・ランディングして廃機になっていてもおかしくなかったんですね。知りませんでした。
FA-200のスタントを実際にご覧になったとは羨ましいです。20年以上前でしょうか、甲飛13期の方々がFA-200を旧海軍機色に塗装して共同所有して飛ばしているというニュースを見た記憶があります。
この疾風、京都嵐山の戦争博物館にある時に見ました。(ここに展示されている時に部品盗まれて状態が悪化したようです)写真を撮らなかったのが悔やまれます。
最近、三式戦のメーカー川崎が知覧の機体を復元しましたが、同じようにSUBARU(旧富士重工業=中島飛行機)に4式戦を復元して欲しいものですが、今のご時世では難しいでしょうね・・・
懐かしい映像ですね!
かつては疾風も飛行出来たのに、今では飛ぶことはおろか保存状態もあまりよくないと聞きます!アメリカなどでは大戦機とか大事に保存されているのに、日本ではそんな試みも無く残念なことです。
このコメント欄にもご本人が居ますが、Twitterで保存状態を研究して報告されてる方のツイートを見ることが出来ますがそんなことはありません。
保存状態は他のウォーバーズと比べても比較的いい方で、飛ばそうと思えば飛べる状態だそうです。
その方は国内の大戦機の保存に注力されています。飛ばすことは叶わずとも、日本でも歴史的資料として保存の試みは多くの人々の手によって行われています。
@@i_Ring ご教示ありがとうございます。
安心しました。
しかし、海自鹿屋基地に保管展示してある二式大艇の保存は屋外ということもありしのびない状態です。
二式大艇の末路を見ればどうなるかはサルでもわかる
おお。旧日本軍最強の戦闘機疾風じゃないですか。零戦は美しい戦闘機だけど、疾風は凄みがある。
中学生の時入間で見ました。天候が悪く地上展示だけでしたが。もう一度アメリカに渡して飛行可能な状態にし、時々日本で展示飛行してもらうほうが幸せな気がする。ゼロと疾風そして新造隼と3機で戻ってきたらすごく嬉しい。
コメントありがとうございます。昔のフィルムを公開しただけなのに、沢山の方から、いろんな意見を
頂いて驚いています。それだけ「疾風」の人気があるんですね。
胴体切断は運搬の為接合部分で外しただけみたいですね。現在の保存施設では形状はちゃんとしているみたいですし、隼を新造しちゃうくらいですから、飛行可能にするのは可能だと思います。スポンサー次第ですが。
czcams.com/video/-8XP0-GJHcM/video.html
知覧に運ぶ時翼を根本から切断して運搬したからその翼では飛行は無理です。またエンジンもシリンダーに不具合があるため今の状態では始動は無理かと マロニー氏は雷電ともう一機渡すから疾風を返して欲しいと打電して来ましたがこれに応えませんでした。米国にあれば今も飛行可能でしょう。
このまま飛ぶとは思っていません。切断されたと思われる部分の補強、補強が無理なら新造する。無くなってしまったエンジンヘッドも残って居るものからコピーし作成。最終的には、丸ごと新造出来るのが米国ですから、そちらに有ったほうが良かったかなと思っています。まあ莫大な費用が掛かりますが、やろうとすれば出来るのが米国ですから。
生きている四式戦を
初めて見ました😆
貴重な動画をありがとうございます🙇
確かもう飛べないんですよね😅
せめてエンジン位動かしてほしいですね😢
せっかく帰国したのに
飛べなくなるなんて
残念ですね😅
コメントありがとうございます。当時ビデオカメラがあったらと悔やんでいます。
エンジンだけでも動態保存してほしいですね。
何億円もあれば、そりゃ飛べるようになるでしょうが、そんなお金ないしね。国が工業遺産として予算組んでくれたらいいのですが。
日本の主力戦闘機疾風、実際に飛べるのは零戦だけかと思ってましたけど疾風もいたんですね、
もっと皆さんに知ってほしいですね。😄
入間基地祭の時に見ました。当時の写真が何枚か残ってるはず。
拝見させて頂きました。この機の発動機は誉ですよね!誉発動機の動いている姿、音を観てみたい!夢です
コメントありがとうございます。
せめて誉発動機に火を入れることができれば、素晴らしいですね。
@@user-lf4wh3ol4u 素晴らしいと思います✨
誉発動機の全力運転では時速600kmを大きく上回り「我に追い付くグラマンなし」を本で読み、感動しました。
四式戦の稼働機が見られるとは・・。凄い。4枚プロペラカッコいいです。
うちの祖父は陸軍航空隊通信部にいましたが、日本軍での最優秀戦闘機はキ-84と言い切ってました。
もっとも、ハ45がまともに動くという前提ですけど。
海軍紫電は、性能もですが生産機数が少なく論外だとか。
あと、「疾風」という名称は、当時使う人は皆無でキ-84または四式とよんでいたとのこと。
やはり規制やら何やらで日本で古い飛行機を飛べる状態で保存する事がいかに難しいかわかる・・・
飛べるように戦後23年間も保存し、維持していたモノを日本人が買い取り、飛べなくした上に嵐山美術館で錆びさせ、結果、二度と飛べない状態にし現在、鹿児島の知覧特攻平和会館室内に展示中と…1995年にアリゾナのチャンプリン・ファイター博物館で紫電改の復元後に見ましたが、航空機のパーツが多く復元可能な米国ですら当時は1億円かかったそうです。もう二度と日本に戻さないで欲しい。飛べない戦闘機が可哀そうに思えてくる。この映像は本当に貴重だと思います。😂👍
コメントありがとうございます。
確かに、日本の空はフライアブル大戦機にとって法規的、資金的にも悲観的すぎますね。
凄いですねぇ〜飛行出来るまで
個人的レベルで ⁉️アメリカ🇺🇸凄い国
北宇都宮駐屯地での貴重な動画を拝見させて頂きありがとうございます。私も高校生の頃入間で撮影しました。当時の写真を見ると飛行中右主脚の内側カバーが半開きで尾輪は出したまま、主翼左側ホ5機関砲身が無かったですね。知人に聞いたのですが、この日は零戦の元操縦者がタキシングだけと云うはずが離陸してしまったとの事でしたが本当でしょうか?
コメントありがとうございます。
この日の飛行に関しては、確かに予定外の飛行だったらしいですね。 当日は風も強く、機体が横滑りしている様に見えました、でも無事に着陸できてヨカッタ・ヨカッタですね。
映像残っていたんだ、亡き父に連れられて見に行ったんだよなこれ。
そう言って下さると、動画をアップして良かったです。
日本に譲渡せずマロニーさんとこにあれば今でも零戦52型と一緒に飛んでいたでしょうに、現存する唯一の稼働する誉エンジンだったのに(涙)
再度この動画を公開頂けたことに感謝致しています。
私としては、この動画で様々な立場と考えで御意見コメントがでると思いますが、飛行姿は大変素晴らしいと素直に喜んでおります。(勿論、航空法上等々の観点では強く自制する点)
一つ主脚の問題でご指摘が出るとは思いますが、入間でドン・ライキンス氏の飛行時に作動量は違えど既に発生していた点ですし、この時代の機体の特性上、格納のロックさえ外れればダウンロックは可能ですので(勿論、油圧は多少でも効いていないと直近ではよくない)、客観的な観点と既に過去の事と考慮して頂ければと私的には考えます。
この機体の過去と現状の詳細を知りたい方は、知覧特攻平和会館にて【「疾風1446号機」保存状態調査報告書Ⅰ】が、電話かFAXで問い合せて送料と振込手数料持ちで買えます😊
chiran-tokkou.jp/books.html
日本での保存観点では色々と噂で批判される疾風ですが、この書籍にて是非とも客観的な知識を得て下さればとても幸いです。
なんにせよこの動画を見れて本当に幸いでした😊
喜んでいただいて光栄です。「疾風」との再会が楽しみです。😀
@@user-lf4wh3ol4u さま、早速のご返答ありがとうございます。
知覧に行かれるときは、もし宜しければ専門員の八巻さんと接触頂ければです。
はじめまして。
貴重なフィルムの公開、とてもとても嬉しく拝見致しました。
確か後関さんは海軍の方でしたか。このフィルムでも海軍の航空服で飛んでいるのが判りますね。
A6M232様も仰るように、色々な意見やコメントは出て来るでしょうが、このフィルムを見ていると、とにかくこの疾風を飛ばしてみたかった…そんな思いも見てとれるような気がします。
私の住まいから遥か遠い地にいる疾風1446号ではありますが、いつか自分の眼でじ~っくりと眺めてみたいものです。
感激のあまり、ついついコメントさせて頂きました。本当にありがとうございます。
コメントありがとうございます。このフィルムは長らく我が家で行方不明になり、最近発見されました。画質は悪いですが当時の雰囲気を感じていただけると幸いです。
「疾風」が文化財として正しい形で保存し次世代に伝えていってほしいものです。
家の爺さん、ここに居たと思う。その時の画像は、今でも・・・
格納庫にFの画像がない
質の良い燃料とオイルで疾風も喜んでるんやろうなぁ…
入間でこの疾風が飛ぶのを見ました。確か、エンジンの調子が悪かったか何かで飛ぶ順序が最後になってしまい、ブルーインパルスの後で飛んだように覚えています。
私も入間基地に行ったのですが、フライトは見られませんでした。
この四式戦の売却資金で今もあるオリジナル零戦をレストアしたそうですね。
福生飛行場、横田基地で招かれた高松宮様が「零戦はないのか?」の一言があったらしいです。
海軍士官であられた宮様。
四式戦も横田基地も陸軍ですもんね。
大切に保管せず、雨ざらしにして飛行不能にした日本人を許してください
入間基地に見に行きましたよ・・・。
この近くに美味しいラーメン屋さんと、なかなか良きな模型屋さんがございます…関係ないですが…
栃木に大谷鍾乳洞なるものが御座いまして
、そちらにて組み立てられていたのが疾風と聞いています。組み立てたパーツごとに汽車に乗せ、飛行場にて完成させ飛ばして配備したと聞いています。最近、こちらにコストコができましたが、実はあの辺りが壬生飛行場跡地になります…はい、地元ネタぶっ込みました。
宇都宮情報ありがとうございます。スバル(富士重工)で保管してくれれば、近くてよかったのに、と思っていました。
主脚が引き込まないのは油圧の不具合か
コメントありがとうございます。着陸時、滑走路を横に逸脱し「ヒヤ!」としたのを記憶しています。
そのまま富士重工が保管していれば、、、
もう飛ぶ姿ほ見れないけどせめてエンジンを可動できるように整備してほしい
航空遺産に対する企業の援助が足りないと思います。
絶対に手を出さないさ
コレだね。確かに見ました。
コメントありがとうございます。
後で、また遊びましょう。
飛べるように戦後23年間も保存し、維持していたモノを日本人が買い取り、飛べなくした上に嵐山美術館で錆びさせ、結果、二度と飛べない状態にし現在、鹿児島の知覧特攻平和会館室内点字へと…アリゾナのチャンプリン・ファイター博物館で紫電改の復元後に見ましたが、航空機のパーツが多く復元可能な米国ですら当時は1億円かかったそうです。もう二度と日本に戻さないで欲しい。飛べない戦闘機が可哀そうに思えてくる。この映像は本当に貴重だと思います。😂👍
現在の疾風は
機体の常態は良好との事です
主翼の分解方法についても
設計どおりの手順で分離されており
きちんと組み立てられた現在は
発動機さえ動けば
なんだか飛行出来そうなそんな感じです
まあ実際は飛行は無理でも
そのうちタキシング展示可能と成ると思われますので
その日がくるのを楽しみに待ちましょう
@@sansogyorai00ver2 1995年に現在、スミソニアン博物館に飾られてある紫電改を見ましたが、復元に1億掛かってたそうです。エンジンが一番大事なのに、そこが動かない場合、レストアが一番大変なんですけど…日本より米国の方が大事にされると思います。
オーナーさんが亡くなって、一時的に行方不明になって。
現在は、飛べなくなって、とても残念です。
コメントありがとうございます。たまには屋外展示などやってほしいですね。とにかく周知等がすくないです。
日本には模型だけでいいです。本物は是非ともアメリカなど海外でお願いします。たまに帰って来てくれるだけでいいです。
譲ってくれたアメリカ人が杜撰な管理で飛行不可能にしたことに怒ったんだよね
単なる展示物になるくらいだったら元の持ち主に管理していてもらうべきだった
以前、新聞で零式艦上戦闘機が4億円で売られると言う話を聞きました。できれば日本政府が買い上げて自衛隊で保管をしてもらいたいなと思いました…その後の結果はどうなったんだろう?
コメントありがとうございます。国立の航空博物館でさえ作れない日本です。まだまだ航空遺産の意味が認識されていないのが現状です。
故郷に帰って来たら酷い扱いを受けることになるなんて疾風さんも思いもしなかったことでしょう
その後のこの機体の処遇には今も変わらぬ日本人の民度が凝縮されているようで複雑な気持ちになります
コメントありがとうございます。東京の国立科学博物館から零戦が撤去されたことも悲しく思います。
これも日本人の民度なのかな
飛行できる貴重な飛行機をわざわざ日本人自らの手で飛べなくしたなんて、いかにこの頃の日本人がねじ曲がった根性だったかよく判る
超低空飛行じゃないですか!
大艇もでしたが保存方法が・・って思いますよね@@ 博物館ではなくメーカーに引き取ってもらってれば
メーカーは「航空遺産」に対し資金面で社会貢献すべき。アメリカの「青嵐」にはタミヤが資金を提供している。
知覧で展示されている疾風を見ました。おそらくもう飛行はできないでしょうね。
日本人は古いもの・伝統的なものを維持しようとせず、すぐ破棄・破壊してしまう。
明治時代全国のお城がことごとく破壊され、今では元の姿すら不明。
日本人のこのような気質は嫌いです。
小学6年の時だったか、入間基地で見た機体。
前日は、主脚が引き込んだ様だけど 私が見た日は出しっぱなしで飛んでました。
この映像でも引き込みが途中で止まってるけど、無事着陸出来て良かった。
コメントありがとうございます。航空遺産としての「疾風」を後世に大切に引き継ぎたいですね。
入間基地での展示飛行は目に焼き付いています。
コメントありがとうございます。 「誉エンジン」の爆音が記録できなかった事が悔やまれます。
@@user-lf4wh3ol4u 当時発売されていた「国際航空宇宙ショー」特集の雑誌付録のソノシートで、たまに「ハ-45」の音を聞いてます。
POFに返せば良かったですよ。
貴重な誉搭載の飛行可能機だったのにね。
コメントありがとうございます。
以前は私もそう思っていました。しかし現在「疾風1446号機」の状態調査が行われています、やはり日本に残っていて、良かったと思うようになりました。
疾風ですか?
すみません詳しく無いんですけど、コレは空軍機何ですか?祖父は陸奥を降りた後 豊川海軍工廠に行き そこから中島飛行機に派遣されました。海軍の飛行機を製造していたらしいです。
陸軍四式戦闘機「疾風」(1446号機)1944年12月頃フイリピンで鹵獲、その他不明な点が多いらしいです。
@@user-lf4wh3ol4u ありがとうございます!
やってくれたよ嵐山美術館。責任重大、貴重な唯一無二のオリジナルの誉エンジンと四式戦疾風をよくも鉄クズにしてくれたな!当時の責任者、謝罪と賠償をしろ!河口湖自動車博物館様が引き取って復元してくれませんでしょうか?
コメントありがとうございます。
「疾風(1446号機)」保存状態調査報告書Ⅰ(2022年3月)を見ると、現在の状態が理解できると思います。安心してください。心配なのは屋外展示の「二式大艇」です。
以前、河口湖飛行館のオーナーさんにそのようにお話したことがあったのですが、知覧特攻平和会館が手放さないのでしょうね😢
時代の仇花、四式戦。いま言う、サスティナブルでしょうか。主、ありがとう御座いました。
なんで、これを維持できなかったんだろう😅
追記:日本に来る前の古い実働映像はコレ、見てね。ほかにも変わりダネ映ってるから。
czcams.com/video/8waXqQoBri4/video.html
映像が有るだけありがたいけど、音声が無いのは・・・ねぇ😅
これを野ざらしにする精神が分からない、なんでも個人的ににアメリカから譲ってもらいその方が亡くなり宙ぶらりんになってしまったとか、富士重工あたりが管理し飛行可能状態にしてくれればよかったと無責任ですが思います。
いつ頃の映像だろ?北宇都宮駐屯地って事は戦後だよね?それにしても、こんな貴重な映像があったとは知らなかった。
コメントありがとうございます。
宇都宮飛行場はスバル(富士重工業)の航空機部門が隣接しています。富士重工業(旧中島飛行機)は「疾風」に対して冷たかったと、当時思いました。
@@user-lf4wh3ol4u
中島飛行機は陸軍機が多かった。今は富士重工から社名が『SUBARU』に統一されてしまったけどね。
これを「武器輸入に当たる」といって飛行不能に破壊した生産国は、自身が武器として活用できなかった事を認めたくないのだろうか?
Please forgive the Japanese who made it impossible to fly by leaving it out in the rain without keeping it carefully.
アニメならみましたが、疾風
脚は引き込めないの?
当時まだ完璧なレストアが完了してなかったようで、カウリング下にオイル受けがあったのを記憶しています。
スバルの格納庫にあった頃にスバルは自社製品を買い取るという選択はなかったもんだろうか。レオーネ作ってるようじゃ無理か。
輸送に不便だからという理由で主翼・主桁を真っ二つ。二度と飛べなくなった。事実ではないという声もあるが、レストアしたマロニー氏は大激怒。マロニー氏は零戦のレストア時、主桁を新規製造することになり莫大な費用が掛かって苦労したそうだから、怒るのも当然。栄発動機で飛ぶ(今は飛べないらしい)零戦も所有しているが、日本には絶対売らない・返さないと息巻いている。(出典・航空情報誌 雑誌丸の特集記事)
その後この機体は盆地で多湿の京都の嵐山美術館に半屋外状態で展示、計器類盗まれまくり。儂が見に行った時には計器盤は穴だらけだったけど今はキチンと整備・修復されてるようで一安心。
小野田寛郎さんが、日本に帰って来たのと同じで、酷い扱いです!
小野田元少尉もとっとと日本出てしまいましたからね。ブラジルでも成功されたのは凄いと思います。海軍中尉だった叔父は小野田氏は立派な軍人で横井氏はただの生きながらえた脱走兵とその違いをコンコンと説明してました。
@@sunami808
小野田さんは陸軍中野学校出身のエリート士官、方や横井さんは徴兵されて前線に配属されただけの元民間人だから仕方がない部分もあると思う。
私は、小野田さんは、
日本が敗戦した事は解っていたのに、地元民との銃撃戦で2人の部下を無駄に死に至らしめて、自分だけおめおめと帰国した
卑怯者と思ってる。
早く投降して来れば2人の部下も帰国して両親に会えたのに。
@@kijitora7
小野田さんは職業軍人だからね。例え敗戦を知ったとしても上官からの帰還命令が無ければ任務を続行しないといけない。心中を察して欲しいなぁ。