The Shinden could have been a remarkable fighter but even in 1945 it had numerous bugs that killed more than a few test pilots early on. One of it's worst faults was it's tendency to pull hard to the right because of the rear propellar spinning without a counter that the German Arrow had. Another problem was with a loss of power the Shinden would not glide and would fall backwards due to the huge weight imbalance to the rear from the large engine. Third problem was the engine was immediately in danger if a fighter attacked from the rear. The upside was the Shinden was probably the only Japanese fighters to carry twin 30 mm cannons which were greatly needed as 20 mm cannons were shown to be too weak against B-29. Does anyone know if this plane exist in any museums any more or were all destroyed from allied air attacks before WW2 ended?
よく残ってたなあ…この映像
現代までこうやって映像が残ってることはほんと奇跡だよな
ゴジラ-1.0から来ました!恥ずかしながら今回初めて震電の存在を知りました。試作機で実戦では使われなかった戦闘機が70年以上経った令和の時代に映画の中で大活躍するなんて本当に感動!さすが山崎監督ですね。
スクリーンの中ではあるがこいつを実戦投入して活躍させてくれたゴジラ-1.0には感謝
この映像は、撮影後すぐに終戦となったため未現像のまま置いておかれ、戦後7年後に現像されたフィルムなので痛みが激しい。
ぜひ、今のデジタル技術できれいに直してほしい。
無い無い尽くしの大戦末期に飛行までこぎつけた技術者たちに敬意を表したい。実戦には間に合わなかったけど、実機が存在しているのはやっぱり凄いよ。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!
無くてもなんとかしろ!!w
今の日本は何でもあるのに、このくらいの技術魂とか、頭脳があるのだろうか
@@nishiy5538そりゃあ国が研究に金出さんからなぁ
@@lh8883 西側に武器輸出して開発費を稼ぐ。
@@nishiy5538
ないね。三菱重工が復元した零戦に火は入らなかった。栄ならスバルの方がよかったのかも。
まさかこの震電が戦後、対ゴジラ様のリーサル・ウェポンになるとは未だ誰も予想すらしてなかった、、、、、😅。
ほんとですね。重巡高雄も合わせて感動しました。
👍👍👍👍👍👍
戦況逼迫する中でこんな斬新な機体を実用化しようと考えた技術者魂に敬服する
零戦も、軍部上層部の無理な要求をクリアしてできたんですよね☺️あぁ➰世界の名車❗フェアレディZ車🚗も難題を乗り越えた技術者の成果ですよね。これからは、国の財産として技術者を支援するのを確立して欲しいです✨
まさかゴジラで震電が出てくるとは、と感動しましたね。
実は昨年、大刀洗の震電実物大模型を観に行ってたんですよ。
「あれは実は今回のゴジラで使われたモノだ」と知って感激しましたね。
ゴジラ-1.0から来ました。
80年越しにCGで再現されるとは・・・。
機銃の搭載ベイが他の機体より多い利点を生かして、戦っていましたね。
全くおなじです!
映画を見て中学生ながらとても興奮してしまいました!
いくらテスト飛行時にいろんな問題が出てて実戦で使えなさそうだろうとやっぱりかっこいいなぁ
本当に貴重な映像有りが等御座います、これを踏まえてもう1度ゴジラ「-1.0」を見たいと思います。
よくもまぁ撮ってたよ。
感謝しかないね。
亡くなった父が長崎に居た頃テスト風景をぼんやりと見てたらしい
当時は変わった形の飛行機が飛んでるなと思ってらしい
今見ても格好いい機体だな
これは驚き!震電は飛行していたとは!!
貴重な画像ですね。
まさか今の時代の映画で出てくるとは思わんじゃん…
今、ゴジラで1番熱い戦闘機!🎉
ゴジラから来ました!
確かに飛んでますね、素晴らしい映像です!
雁ノ巣飛んでたんやね。幼少の頃この辺りに保育園で遠足で来て、米軍のハンガー跡地でお弁当食べた記憶がある。
これがゴジラとの戦いに…
現在、2023年11月。動画が上げられてから13年。
関連動画に『ゴジラ-1.0』が出て来た。
僕は震電が好きです。デザインになぜだか魅かれてなりません。
ゴジラから来ました〜
かっけ〜〜〜👍
ゴジラ-1.0から来た
本物の震電の飛行着陸シーンが見れる、希少動画ですね👍
こんな動画があったのですね!
めっちゃ貴重じゃないですか!
震電が空中に居る瞬間の実像を見れるとは思わなかったです
ゴジラ-1.0で倉庫の中でカバーが掛かった戦闘機が映った時「震電だったらいいなあ」と思ったら震電だったので戦慄しました
来年の1月には大刀洗平和記念館にある1/1震電を見に行ってきますヽ(*´∀`*)ノ
監督本当にありがとうございましたと言いたいぐらいあの映画で急に出てきたの本当に嬉しかったです。
ゴジラ-1.0を見てからこの動画を見ました
機首の機関砲を2丁撤去
代わりに爆弾搭載
操縦席に脱出装置新設
マイナスワン仕様だね。ハセガワから来月1/72スケールが発売予定だよね
@hiroakiasada すごいでしょ。この戦闘機の設計に私の父も参加してました。
大昔に見た動画がまた再浮上してくるなんてゴジラパワー凄いですね
かくいう私も震電が飛び立つシーンに目から汁が出ました
トンデモ戦闘機になっていたのには苦笑しましたがw
震電の試運転時に自分の祖父が立ち会ったって話聞いた事あったから多分この人たちのどれかがおじいちゃんなんだろうなぁって思うと感銘を受ける
今日、飛ぶ姿を見に行ってきました!
子供のころよく読んだ「雑誌丸」なんかに幻の局地戦として出ていましたね。凄い戦闘機を作ったもんだと感心していたものです。
映像があったんですね。この映像から感じるのは、未完成な機体で離着陸も困難そうで直進性もどうかなという印象です。雑誌の記事は上昇高度12,000m、時速700Km以上30mm機関砲2門搭載とか書かれていたので、一撃離脱戦法やればB29は火だるまだろうと勝手に思っていたけど、この映像ではとてもとても使い物にならない段階ですね。しかし夢のある機体ですよ。飛べる段階までこぎつけた開発者の皆さんに敬意。
震電は立川Ki-94の長谷川氏と東大航空学科同期の鶴野大尉の作品。長谷川氏による戦後の証言「あの優秀な鶴野君がなぜこのような機体を設計したのかわからない」。なかなか含蓄のある証言ですね。でもこの機体、大好きです。長谷川氏が戦後、トヨタカローラを成功させてトヨタの屋大骨を成したのに対して、鶴野氏の戦後の動向が全く不明なのが残念です。
鶴野氏は78年に書籍へ寄稿された事があり、肩書は住友セメント取締役だったようです
今更ですが失礼。
とても貴重なお話ありがとうございます。長年の疑問が氷解しました。78年の書籍を知りたいです。
@@nekoneko805 現物確認は私もしていないので情報だけですが
文林堂 1978年10月 世界の傑作機 No.102特集 海軍試作局地戦闘機 震電
こちらかと思われますので、宜しくお願い致します
@Ryukash様 昔の世傑に特集があったとは知りませんでした。再販もされていないので、古本を探してみます。ありがとうございました。
ちょっと讀賣に気になる記事があったので追記です
映画「ゴジラ-1.0」に登場、幻の戦闘機「震電」…設計した父に思いはせ実物大模型を見学という記事で鶴野氏のご長男が取材受けておられました
その中で鶴野氏は2000年に82歳でお亡くなりになった旨記述がありました
遅ればせながら御冥福をお祈りいたします…
この美しいデザインを誰が設計したのか賞賛したい。
ほんとそうですね...元々はジェット戦闘機だけプロペラ機となってしまったがこっちの方が好きかも....
@@user-ek3mx1ey4e さん
あなたが好きななのは
レシプロですか?
それとも
ターボプロップですか?
@@I_love_Hien さん どちらとも好きかな。
かっこいい
ロマンやな
@@motiro-29
何言ってんだこいつ
貴重な動画だ
戦後日本機の調査してた米軍の人が震電はじめて見た時スパイダー!って呼んだそうですね
ゴジラ最新作のクライマックスシーンで大暴れして、一躍注目❗これを機会に、太平洋戦争を見つめ直すキッカケになってほしいです
ありがとうございます!
西戸崎で震電飛んでたのか😮すごいな
このフィルムをなんとか綺麗に修復できないものかね。
初めて日本軍機を図鑑で知った時に、この震電と火竜はインパクトが強くてずっと心に残っていたなあ。
飛んでる姿はジェット戦闘機。今までの前方プロペラは気流をかき回しながら飛ぶので、機体にあたる気流がメチャクチャ;この震電は後方ペラで気流の安定性が良い。高速になればなるほど気流の影響が大きい為後方プロペラは理想的。更に今までの尾翼は揚力はでず、昇降、方向のみに対し震電の前方翼は揚力を生み出す。
なるほど!勉強になります。
@@lovehide2006
なお震電の場合高速になるとエンジン排熱が追いつかずあっという間にオーバーヒートする模様…
@@user-tg8jz1sl8l さん
エアインテークが見当たらないですもんねw
後々ジェットエンジン化する計画があったとの説もあり、架空戦記やゲームなどではその設定が散見されます。
@@lovehide2006
操縦席両横に開口してます。
エンジン排熱は、強制冷却ファンを取り付けていましたが、冷却風不足が分かってきたので、空気取り入れ口の大きさを増やす計画だったそうです。
うわ!震電の実物!?
貴重な映像ですな
ゴジラで蘇って嬉しい
こんな古い時期の投稿でしたか。ありがとうございます。
動いてるのを見るのは初めてです。ペラを傷めたところも。
機体や当時の動静については言いたいことがある方に任せます。
零戦とかは現在飛行可能な実物がるけど震電も復活飛行可能にならないかな・・・ ラジコンじゃない本物の震電が空を飛ぶ!って想像しただけでかっこいいな〜w
どんかめ 量産機じゃないから無理かな
そもそも実機はあるけど今分解されてるししばらく直せないそうな……
スミソニアン博物館の倉庫?に分解状態で保存されてるようですね。
資料が無いせいでもうスミソニアンにある震電は飛ばないみたいです。
う〜ん、いろんなゲーム会社と協力して再現しようとしてもそのデータ自体が「まぁこんなものかな」程度のものだった場合が悲惨ですしね......それとそもそもの機体が腐食が進んでいるでしょうし
コトブキ飛行隊から来ました(´・ω・`)の機体紹介でこんな形の飛行機なんてホントに飛ぶのか疑いの気持ちだったけど日本の航空技術は本当に凄いですね( >﹏< *)
ゴジラのおかげでこの飛行機もかなりの人に認知されたのではないかと思います。私は50年前くらいからこの飛行機知ってました。いろんなサイズのプラモデルも作りましたよ。😂
私の住いはテスト飛行をした蓆田飛行場(現福岡空港)の近くに住んでおります。
テスト飛行は西戸崎飛行場であり、志賀島方面。
そこから席田飛行場(=板付空港=現:福岡空港)まで直線距離にしてもだいぶ離れている。
本当に美しい機体だよね
近代小型ジェット機に至る途中の機能美というべきか
HondaJetのフォルムと重ね合わせた時に驚いたものだ
震電には、男のロマンがありますね。
本当に飛んだんだ!!
最初にプロペラ破損!!は
理解出来る!!
だからあんなに高さがあるんだね!!
プロペラが地面と接触して離陸失敗した時のパイロットは設計主務者の鶴野正敬さんですね。
確かテスト飛行の時にはカウンタートルクが強すぎて真っ直ぐ飛ばすのにも苦労していたはず。
カウンタートルクが強い事は設計段階で分かっていて二重反転プロペラを付ける予定だったのだけど、当時の日本の技術では実用的な二重反転プロペラを作る事が困難だったので試作機を作った時点で諦めた。
でも、エンテ型にする事により陸攻用の大口径空冷エンジンを積んでも空気抵抗を少なくできたのは、発想としては間違っていなかったと思う。
もし、もう一年早く開発されて日本に二重反転プロペラを作れる技術があれば、歴史に名を残す名機なってたかもしれない。
でも、戦争には負けたやろうけどね。
二重反転は部品数多いし重いし コンパクト化目指した震電とは別系統じゃないの? 機首に30ミリ4門 大きくていいなら双発戦闘機のほうが簡単でしょう。
川西の強風の1号機が二重反転ペラでしたっけ。
1回目の試験飛行がプロペラが曲がって失敗と聞いて思ったこと。「王立宇宙軍オネアミスの翼」と言うアニメに震電そっくりの機体が出るのだけど、プロペラが最初から曲がっている。これって、震電の試験飛行の出来事を知ってたメカニックデザイナーが、離陸時にプロペラが曲がらないように最初から曲げたのかなと思った。心憎い設定だ。
調べてみると、プロペラの先端が音速を超えるのを遅らせる為に後退角を付けてるらしいです
これ、この形状で飛べたんか! 驚き
震電の設計は、鶴野正敬海軍技術少佐なのさ。
救命ボートを積んでいる。九州飛行機は、東海を作った会社
一八式局地戦闘機「震電」
連合軍コードネーム:Godzilla killer
20年くらい前かな、映像がDVD化されたの持ってる。コレはその映像かしら? いや、もっと長かったはず。ドイツの先尾翼機の設計を参考に作られた、と聞いた覚えがあるけれど、スマートでカッコいいですよね! 元から好きだったのでG-1.0に出て来た時は映画館で飛び上がりそうになりました!
ドイツの先尾翼機ってどういった機体でしょうか...?
この動画、20年くらい前にビテオで売ってたね
意外とでかいんだな
ゴジラから来ました
いい機体だ
貴重な映像だ。現在、大刀洗平和記念館で公開中
戦車好きとしてはci_toが砲撃した場面でよだれ出まくりでした
確か、振電は最高速度は零式艦上戦闘機(零戦)より100~200㌔ほど早く、それと引き換えに航続距離は零戦と比べると短いが、本来の役目は、米国空軍の空の要塞B29スーパーフォートレスを迎撃するために生まれた機体、しかし、その役目は果たすことなく終戦を迎えた。
黒木大成 局地戦闘機だからしゃーない
震電だよね?
これミス?俺が知らないだけ?
振電って
なお実際は安定した飛行すらままならない上、安定するよう改良できたところでエンジン排熱が上手くいかないという...
の~ん上に日本機がいる~~
ノーンニホンノシンガタキダー
@hinagiku0303hunter ということは、私の父を知ってあったということですね…
(キ64も試作機が何回か飛んだらしいし
映像も残ってないかな…)
「ガーディアン」・・・「プレデター」・・・ アメリカに持って行かれたね?
ゴジラに活躍しました!
先尾翼ではなく先翼なんです。主翼の一部が前に付いてる無尾翼機だってイメージです。震電の開発時に先翼と呼び名を統一すると会議して決めてます。
字幕で「西戸崎飛行場」との事ですが「 席田飛行場で初飛行」との資料もあります。九州飛行機の工場からは西戸崎の方が近いのですが西戸崎・席田のどちらでしょうか? 一番近いと言えば雁ノ巣?
九州飛行機雑餉隈工場だからすぐそばの席田飛行場で正解。画像の奥に見える山並みが現在と同じ→現在の福岡空港。ウチの婆チャンは当時、雑餉隈工場に女子挺身隊で勤労奉仕してました。もちろん震電も知ってました(J7って機体番号も知っていた!)「婆ちゃんは後ろ向きになった飛行機見たよ」と言ってました
The Shinden could have been a remarkable fighter but even in 1945 it had numerous bugs that killed more than a few test pilots early on.
One of it's worst faults was it's tendency to pull hard to the right because of the rear propellar spinning without a counter that the German Arrow had. Another problem was with a loss of power the Shinden would not glide and would fall backwards due to the huge weight imbalance to the rear from the large engine. Third problem was the engine was immediately in danger if a fighter attacked from the rear.
The upside was the Shinden was probably the only Japanese fighters to carry twin 30 mm cannons which were greatly needed as 20 mm cannons were shown to be too weak against B-29. Does anyone know if this plane exist in any museums any more or were all destroyed
from allied air attacks before WW2 ended?
Thank you for your interesting explanation.
only the frontal part of the first prototype exists now, and it is in Steven F. Udvar-Hazy Center, the US.
確か3機保存されています 本当に見たいのなら自分で調べて下さい
テストパイロットの犠牲者はいません。武装は30㎜機銃4門。3機製作され現存する機体はスミソニアン博物館が所蔵しています
@@user-gb4cb4ux7d
現存するのは1機のみですね。
完成していた初号機は敗戦時に機密保持で破壊、連合軍命令で完成直前の2号機の部品を使って修理して米国での評価試験後スミソニアンに分解格納。
進捗が遅かった3号機は破棄されてます。
スミソニアンでの復元修理は経年で当時の資料が喪われたことと現存保有スクラップからの流用もできず復元進捗は芳しくないですね。最終的には静態展示になるかも。
離陸時にプロペラが接地してしまったのは設計ミスではなく、機首を上げすぎてしまった為です。
従来の機首プロペラ機と同じ動作をしてしまったのでしょう。
何でもかんでも「設計ミス」だの「欠陥」だのと批判する前に、一度自分で考えてみよう。
それを含めて特異な型の飛行機だけに量産までの仕様変更はどうしても多くなるのは必然だよね。
Wikipedia に乗ってますから調べれば誰でも分かります。
やっぱり梯子で乗り込んでいる。
もっと早く完成していたら、B29の爆撃も防げたかもしれません。私の伯父は、この震電の試作機製造に学徒動員にで携わりました。福岡の板付空港線の近くにある、確か?渡辺鉄工所という工場で試作されたようです。その会社は、今もあるんじゃないかな?
母体の渡辺鉄工はあるんですが、軍需受け持ってた九州飛行機(九州兵器)は摂取された後に春日市に移転して渡辺自工(自動車工業)って会社名になって、自動車やらバスの部品やら作ってたけど、2000年だったか2001年頃に無くなったよ。途中、基山の方に移転していましたね。そこにそのまま今は西鉄車体技術本社があるはず。自動車道で鳥栖ジャンクションから福岡に戻って来る際、東洋水産の工場の手前、左手に見えてますね。板付空港付近から自転車で渡辺鉄工所まで通ってたけど、現在の南福岡駅の南側、春日駐屯地の方までの広大な敷地だったから空港の近く・・・っていうのはちょっとね。近くと言えば近くか。
南福岡駅の北側を通り、春日駐屯地の北側を通るすくすく通りを線路渡ってすぐのとこに今も母体の渡辺鉄工はありますね。ナフコ博多店の隣。
そのさらに親会社の渡辺藤吉本店も呉服町の地下鉄の駅降りてすぐのとこにある博多渡辺ビルの中に本社が残っていますよ。ガラの悪い人のような何かがいつも出入りしてるからすぐ分かる。
@@user-uv1mw6ie2m 色々、教えていただきありがとうございます。
@@user-uv1mw6ie2m 詳しく教えていただき、ありがとうございます。
西戸崎⁉️、、、陸軍の飛行場を使用しての試作飛行では‼️因みに「陸軍席田飛行場」。
確か連合軍側のコードネームはFelixではなかったでしょうか…
確か幸運て意味の英単語だったと思います
(ラッキーではない)
@@user-rd6rp4qi6p
ふぉーちゅん?
สวัสดีครับฮาเอียด
ผมรักอาเอียดครับ
なんかニニ型が逆のバージョン見たいwww
514 114 たぶん零式艦戦じゃないかな
ゴジラ-1.0でこれ出てきたけど凄いんだな。🫡
ビーチクラフト スターシップという旅客機に似てますね。震電を参考に作られたのでしょうか
ちゃいますよ
これ見るまで架空の兵器だと思ってた。
これを、ジェットかロケットエンジンに兵装転換できていればと妄想してしまう
あ、ゴジラに出てきたやつや!ほんまにあったんや!
私の子供の頃は「相撲は雷電、飛行機は震電」とそりゃ評判でした。
テロップでは西戸崎飛行場になっているが、蓆田飛行場だったと記憶しているが…。違う?
蓆田で正解です。
西戸崎で正解です。1機は席田にて、1機は西戸崎にて。
こちらの映像は確かに西戸崎のもので間違い御座いません。
@@user-uv1mw6ie2m 雑餉隈の九州飛行機で製造して西戸崎まで引っ張って行って試験飛行したの?
製造は香椎の工場?
でも実機は二重反転プロペラじゃないから、試験飛行時に、カウンタートルクがひどかったって話で、それを解消するのにまたえらい時間がかかっただろうな。
独特の形状ゆえの仕様上の弱点や設計ミスの克服には明らかに手間かかる。
実用機として量産にいたるまでの仕様変更は多岐にわたるはず。
Wow❤
震電は、はっきり言って神格化されすぎだと思う。むしろ実際に飛ばせてみたら問題続出で、ほとんど使いものにならなかった可能性が大きいだろうな。
エンジンのカウンタートルクが強烈で、本来なら二重反転プロペラで打ち消すはずが、技術的に難しいので方向舵と水平翼を当て舵気味に設定する事で凌いだと、何かの資料で読みましたが。
確かに二重反転プロペラの量産不可判断で長径6翅(量産型では4翅)プロペラの採用とカウンタートルク問題、空気吸入口の大きさから発動機冷却不足問題、脱出時のプロペラ爆砕用分離ボルトの信頼性問題など、解決すべき問題はまだ大きかったですね
ただ、秋水のような高角度上昇時の燃料系寸断問題などは発生しませんでしたし、各部は既存機体の部品流用などで生産性も考えられていましたから、あと1年早ければ、でしたね
開発兼試験搭乗員だった鶴野技術大尉自ら形状試験用滑空機で物にできると確信していたのですから
そんなことは無い。天才鶴野を舐めてはいかんよ。問題は解決していくプロセスに過ぎない
@@morikuma-wi3vr終戦時にP-80は訓練飛行が始まっていたし、F8Fも空母に積載して日本向かっていること考えると無理としか思えない…。
@@takaoy5208
P-51H 「ワシも居るんじゃが出番来るんかのう…」
操作が難しいそう
あ、宮藤少尉のあれですね。
分かります。
あと、蒼來もね。(笑)
豆 藤 芳 佳