【驚異的】ピラミッド級の超巨大構造!謎に包まれた仁徳天皇陵建造の秘密に迫る!(エジプト・大山古墳・大仙陵古墳・世界遺産・考古学・歴史)
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- čas přidán 26. 07. 2024
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仁徳天皇陵古墳と堺市博物館を見学したシリーズ最終回です。
今後もこんな感じで国内の遺跡などを見学したいなと思っています。
気になる遺跡があれば、ぜひコメント欄で教えてください!
(スタッフのクヌム)
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00:00 前回のあらすじ
00:26 古墳の造り方
04:47 馬形埴輪
05:23 葺石はどこから採ってきた?
07:36 クフ王の大ピラミッド・始皇帝陵と大きさを比べてみよう
08:31 古墳はいつ頃から森みたいになった?
12:38 古墳の起源
15:46 鉄と馬はどこからやってきたのか?
16:50 朝鮮半島から伝わったもの
21:03 なぜ5世紀の古墳の副葬品には馬形埴輪や鉄製の武器・武具が多いのか?
24:14 おまけ 葺石(ふきいし)を持ってみよう!
24:48 エンディング
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■参考URL
堺市博物館
www.city.sakai.lg.jp/kanko/ha...
■おすすめの参考文献
広瀬 和雄 (2015年)『知識ゼロからの古墳入門 』、幻冬舎。
広瀬 和雄 (2019年)『前方後円墳とはなにか』、中央公論新社・中公叢書。
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≪ オススメ動画 ≫
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仁徳天皇陵古墳と堺市博物館を見学したシリーズ最終回です。今後もこんな感じで国内の遺跡などを見学したいなと思っています。
気になる遺跡があれば、ぜひコメント欄で教えてください
(スタッフのクヌム)
【世界三大墳墓】その大きさはピラミッド以上? 仁徳天皇陵を巡る
czcams.com/video/jnP0-H0b-_0/video.html
【仁徳天皇陵】エジプト考古学者も興味津々!古墳にはどんな副葬品が眠っている?
czcams.com/video/Z7hC8FhuYn0/video.html
古墳シリーズ最高でした!
次回は縄文遺跡群見学見てみたいです🙏🏾🙏🏾
巨石系など面白いんじゃないでしょうか。飛鳥の石舞台古墳とか、縄文系(?)なら岐阜の金山巨石群など。ピラミッドにつながる雰囲気もあるような気もします!
ここ最近話題になった吉野ヶ里遺跡を観てみたいです!
教科書で写真で見るだけだったりするので、有名な吉野ヶ里遺跡や山内丸山遺跡などを考古学者目線で語ったり質問したりしてほしいです😊
何がすごいのか、今回の動画の甲冑や武器で時代背景までわかるような何かがあるのかなど気になります!!🫣
吉野ヶ里遺跡も見たいですが、個人的には奈良県のキトラ古墳をお願いしたいです!
仁徳天皇陵とピラミッド、お互い「うちの子」という感じで謙遜したりちょこっと自慢したりしている(ように見える)のが、ほっこりしました☺️
古墳の歴史を細かく理解することができました。このお二人に、また対談してほしいと思います。歴史は知らば知るほど面白いものですね、ありがとうございました。
古墳にだんだん草木が生い茂り、山のない土地に里山としての役割や、田畑の水源の役割を担い、人々の生活に溶け込む所が、とても日本的に感じて素敵なお話でした。
河江先生を通じて色々な古代の文化に触れられてとても良い楽しかったです!
13:00~に、
学芸員の白神さんは勾玉は中国から渡って来たと述べてますが日本では縄文時代から翡翠の勾玉が出土してます。
そうすると中国では縄文時代以前に既に勾玉が作られてたのでしょうか?
私もところどころ「なんで?」と首をかしげる解説だったので、この白神さんという方を調べました。
推進係の学芸員のお一人とのこと。
自己紹介が「専門分野は考古学。研究まで昇華できたものはありませんが、しいて言えば 、遺跡や遺物を主題に “ 堺の歴史や文化を考える”こと 」だそうです。
彼は“堺の歴史”というフィールドから、日本と朝鮮半島・中国との関わりを眺めているだけなので、トンチンカンな解説になるのではないかと…。
この先生の言葉選び素晴らしいなぁ。3本通してとても慎重な言葉選びをしつつ明確にわかりやすく説明してくれている。
こんな喋り方できるようになりたい。
白神先生の話をもっと聞きたい。ほんとにわかりやすい説明、話し方も上手い
もの柔らかな話口調でちょっと地方言葉っぽい言い方(でんばた、とか)交えての平易な表現でのご説明、聞いていて妙に癒される…
@@user-ui6kv4ph2p さん
でんぱたって方言だったんですか!後進国の朝鮮から先進国の日本に伝えたって嘘を平気に言ってのける白神に驚愕だ!
時代や地域が違ってもプロ同士が話すと面白い質問がポンポン出て面白いなぁ。
任那日本府が朝鮮半島にありました😊半島にも日本の古墳より新しい前方後円墳がありますね。
百済まで日本の勢力が及んでいた…だから「白村江の戦い」には日本も派兵したのでしょう。
「民の竈」仁徳天皇の御陵、行ってみたいです😊
日本一の御陵の専門家が日本から半島へ伝わったものは勾玉と貝しかない、なんて、ちょっとびっくりな発言ですね。
私も驚きました。
何故、朝鮮半島の前方後円墳のことは一切語らないのかと不思議でしたが、寧ろ恣意的なものを感じ取りました。
お話が面白いから時間があっという間に過ぎてしまった😊
河江先生も考古学者の視点から中々に鋭い質問をされていて普通に見学に行っただけでは絶対に知ることのない世界が見えました、お疲れ様でした❤
小学生の頃に古墳の形がドアの鍵穴に見えて不思議に印象に残って未だに見るとワクワクします。先生の動画に感謝します。今後も楽しみにしております。
意図的に伽耶の話が出てきませんね^^ 鉄製の武具は伽耶で沢山出土いしてるんですよ、それに馬も伽耶で生産されています。元々はモンゴルですけどね。
伽耶には古墳もあります。 百済だけ強調するのは非常に違和感を感じますね。
群馬で古代に馬を育てていたという情報なかったっけ。
古代に思いを馳せるってだけでも楽しいのに、専門家がその知見を語ってくれる
こんなに楽しいことはないよなぁ
日本に馬がいなかった❓
神宮の参道で流鏑馬をし、数千年前の古史古伝に軍馬の乗馬方法まで載っている。
前方後円墳が韓国にも有ったんですよね、その経緯の解説もお願いしたいですね。
前方後円墳について、韓国は今まで積極的に調査をしてこなかった。
調査をしたとしても、報告書を作成してこなかった過去があります。
日本に、その研究結果がもたらされるまで、もう少し時間が掛かるかもしれません。
czcams.com/video/tF0bWvT2yGY/video.html
稲作は南方から伝わった、馬は当時の船舶技術では大量の輸送不可、渡来人に征服されたならその痕跡のあるその時代の人骨がもっと大量に見つかるはず、
が近年の研究の結果ではなかったでしょうか?バイアスがかかりすぎてます。
近畿在住で古墳は身近にあるのですが、こんなに詳しい説明を聞けたのは初めてでした。有難うございました。
更新早くて嬉しいですー!
面白かった…もう一回見てくる
時代で取り崩された古墳は多数あるだろうから、作られた数ってもっともっと多かったんだろうな
すごく良い解説ですね。展示もすごいですね~新幹線とホテルだいが大変ですか、行ってみたいです。
終戦直後、マッカーサーGHQが、仁徳天皇陵古墳に立ち入り石版(アラビア語?ユダヤ文字?)を
持ち去ったという話をよく聞くのですがこれって事実なんでしょうか。
もののやり取りの均衡をとるのに、人が関わっていたという話、とても面白かったです。古墳群から世界が見えてくるんですね。
先生の動画字幕も大きく出してくれるので
お風呂上がりのドライヤー中にも見れてとっても助かります😊
大大大大ファンです!😊
18:24渡来人じゃなくて、長い年月をかけた、ある意味「帰国」なんだけどなぁ🙄
埴輪に関しては、イスラエル考古学者と共同研究したほうが良いんじゃないの?
日本の歴史は世界中と繋がることを、全考古学者に知ってほしいです。
鉄や稲作は朝鮮半島経由(だけ)ではなく、沖縄やトカラ経由の南方ルートのほうがメインだったというのが最新かつより科学的根拠がある説のようです。加耶は任那と記したほうが歴史的に正しいですね。
その辺の説明がまったくないのが大変残念ですね。
本当に興味深い。ぜひともほかの関連分野でもやってほしい。
つくづく文書がないのが悔やまれますね😓
エジプトに対して日本の考古学調査が進んでないのがよくわかる、調査できてないからわからないことだらけ
古墳に木が生え始めていく過程の話、
聞けてほんとに良かったです!
里山として庶民の生活の中に組み込まれていった話は感心しました。
前半お墓の営業聞いてるみたいで面白かったw
知識量、話し方で引き込まれます。
堀は水を引くためでしょうか。
水を張れば水平は簡単に得られますし、段々も簡単ですね。
あと、水を海に見立てて島を表現してるようにも見えます。
再現した巨大古墳はよく白と赤のツートンカラーで彩られたりしますが、それピラミッドの復元でも同じ色味にされてたりしますよね!?
偶然とは思えなくなっている、、、
面白かったです
不均衡ってつまり日本の支配力の強い地域だったんじゃないのかな?
古墳の事がよくわかりました。また、国内の遺跡も回ってもらいたいです。色々な城後など回ってもらいたいです
最近までは「水糸」を使いましたが、濠の水を利用して水平を確保してたんじゃないでしょうかね。
結果的に池になってるだけで、本来は工事のための水かも?
古代好きとして古墳シリーズ大変楽しませていただきました👏前回の動画でお話があったように日本の古代は海外の文献以外の文字記録がないため事実のわからないぼんやりした部分が多いと思うのですが、今回は河江先生のご専門のピラミッドの建築方法とも比較可能な古墳造成の解説でお話が弾んでいたように見えました😊
仁徳天皇陵は前方後円墳全盛期とも言える時代の古墳だと思うのですが、動画内でもお話が出ていた弥生時代の墳丘墓や、九州の甕棺墓や初期古墳や装飾古墳など、ピラミッドと比較すると小規模ですがもっと古い時代のお墓(遺跡)もぜひ動画で見てみたいと思いました✨いま話題の吉野ヶ里遺跡も広大な土地にお墓がたくさんあって大変興味深い遺跡です💡
東北大が読み解く千葉県の遺跡からの埴輪は、古代史を学ぶ上では非常に興味深いです。
河江先生、是非深掘りして下さい。
縄文時代も今までの概念とは違って半島繋がりでは無いとてつもない日本のルーツ、文化が広がっていたようで、ワクワクしてます❤
😊😊😊😊😊 阿波邪馬台国説系には、箸墓より古い前方後円墳があるそうです
今後の邪馬台国論争がたのしみです
岡山の楯築遺跡はいわゆる邪馬台国時代に築かれた日本最大の墳丘墓であり、後の古墳の特徴となる埴輪群を伴った最初の例なので、瀬戸内を支配する巨大勢力があったのは確実でしょう。
ただ瀬戸内を邪馬台国とするのであれば投馬国の位置がどこになるか比定しなければならないし、それ以東の勢力についてどう考えているのかも重要なので、定説を覆すのは難しいかも知れません。
箸墓以前の形態を持つ前方後円古墳(墳丘墓との過渡期)であれば千葉県にもありますしね、何故か。
@@nekono_mimikon 千葉県は初耳です 😀😀😀 岡山あたり古墳とともは鉄の採掘か加工地だった話は聞きました 年代は不明ですがね
是非阿波説を調べて欲しいです。交易品??水銀も出るし不老不死の薬?
非常に興味深く観させていただきました。
今回の動画を観て、改めて早く大規模な発掘調査を行っていただきたいと改めて思いました。
私は幼少期、仁徳天皇陵の周りに住んでいたのですが、今のように整備されたのは、昭和天皇が御来訪されるということで、3年ぐらいかけて整備しています。それまでは古墳と知らず、小さな古墳に入り、虫取りやザリガニ釣りをしていましたし、仁徳天皇陵でも乾季のときは一部外堀は水が無くなり、大人はゴムボートを持って内堀へ行っていたのをよく見ていました。(昭和天皇御来訪前は柵が無かった箇所もあったので)
既に専門家以外の人で荒らされている可能性もありますが、御陵のなかにいる動物(たぶんタヌキ)も野生化しており、これ以上荒らされないうちに国は真剣に考えていただきたいです。
ちなみに私の近所では「仁徳さん」という言葉よりも、「御陵さん」と呼んでいました。
古墳もそれこそ全国に何気なくあったりなんかあって解説の看板があって初めて古墳なんだとわかるといったこともあるですよね。
ちなみに先生ご存知でしょうかね。あの東京の上野公園の敷地のなかにも古墳があるなんてこと。
東京文化会館の背後周辺の存在。なお、都内最大の古墳が、芝増上寺隣接芝公園内(東京タワーも近在)の芝丸山古墳(全長
百十余mの前方後円墳)ですね。
面白かったです
勉強になりました
御用学者さん…?
ピラミッドは勿論凄いのですが古墳の凄い所は現役の王朝のお墓ってことに尽きると思います。
近隣に住んでいるんですけど、行ったことはないので機会があれば見学に行ってみたいですね!
学芸員の白神さんの説明もわかりやすく想像を膨らませやすかったですね。
仁徳天皇陵に興味があるのでとても興味深く視聴しました。お堀の水源が気になって調べていたところでしたのでタイムリーでした。
葺石からお城に使われる石垣へどのくらいの時代に変わっていったのかも気になりますね😮
石垣に使うほどの大きな石を加工する場所や運び方などなど……。
非常に興味深い内容であっという間でした
面白すぎました!
とても興味深く拝見させていただきました。日本史、東アジア史に対する興味から拝見しました。
しかし、幼少期からエジプトのピラミッドへの興味が人生最大だったかもしれません😊
この流れで河江先生の目線で、始皇帝陵をご覧になっている動画なんかを期待してしまいます。
高さ、面積、体積の三制覇を😃。
武器や防具の輸出か。
食料がメインの商材かと思ってました。
南朝鮮(任那)に居た日本人から鉄と一緒に技術が持ち込まれたでは?また朝鮮半島にも前方後円墳がある事から日本人や文化が渡ってたのでは?
私もその点が気になりました。この先生はそこら辺を全く言及していませんが、日本から半島に渡ったのが勾玉と貝くらいしかない。後は兵士を送るくらい、なんてかなり強引な話だと感じました。文化水準が高ければ日本よりも大きな独自の古墳があってしかるべきだと思います。半島最大の古墳は日本よりはるかに小さい前方後円墳だとのことです。
古墳時代の日本では高野槇で棺を作つていましたが、朝鮮の武寧王の棺は日本産の高野槇製です
朝鮮半島まで運んでいます
そもそも古墳のなりたちが水田などの土地造成で出た残土処理の側面もあったのでは?
ともいわれるので、古代の水耕開拓の残土山と思って眺めてみるとまた別の風情も感じられる。
携帯電話の充電品分の金メッキの腐食の具合もあのような風合が鳴るのかもしれませんね。
古墳が森になっていったという話が、
作った当初は死の世界として堀や埴輪で隔てていた場所に、時間が経つにつれて自然の運行の中で新たな生態系が出来て、命が生まれる場所として再生する
ということかなーと思って、自然信仰的な意味があったんじゃないかと思ってしまいました。
日本史好きじゃなくて、古墳にもあまり興味なかったので、この動画でロマンティックさを感じられたことにびっくりしました😂
日本再発見ですね!🎉
永遠性を求めないのは日本人のタヒ生感からではないかと思っています。
現代仏教の日本の葬送儀礼は七回忌、四十九日、一回忌から始まって五十回忌で終わります。
神道は五十日で人は完全にこの世からあの世へ行くと考えるのであまり相違がないのが分かります。
なので規定の葬送期間が終わったら自然に任せるのが当時のタヒ生感だったのではないかと考えています。
日本の交易史から考えると海産物もあるかと思います。今でも中国の高級干し鮑の最高級品は日本産だそうで、江戸時代も非常に優良な輸出品だったのが分かっています。文字が無い時代なので消え物の食品は記録されなかったのではないでしょうか。
堀があるものは平野部でしょう。堀を作る目的ではなくて、古墳本体の残土を得るために掘りをほった。と考えるほうが土木工学的にはあるのではないかと思います。しがない施工管理技士の意見ですが、大変な作業ですのでより効率的な工法を取るのが普通かと思います。巨石は陸運より海運のほうが効率的なのでそういうことかと思います。古墳が崩れないように石畳で補強したことは2400年異常前の古墳で分かっているので雑木は管理しなくなった頃に己生えしたのでしょう。後半とかなんだかツッコミどころ満載ですがやめときます。
もっと詳しく調査してほしいですね。とても興味深く、色々知りたくなりました。
発掘調査がされていないから学芸員の方の想像の話が多いのが少し残念だった。建設に携わった人々が暮らした集落についても難波宮近くにあったと思われると2本目で話されていたが片道15kmの距離を往復することが巨大墳墓を建設するにおいて果たして合理的と言えるのだろうか。墳墓建設のために広大な平地を整備したというのも想像でしかなく、建設当時に国内での争いはなかったとするのにも剣や鎧等の武具が出土したとする資料と矛盾するように思う。そもそも巨大墓を造る理由は力を誇示するためのものだろうし、それが国内ではなく海外向けだとするのにも5世紀前後の渡来人や中国王朝などとの文化交流からしても矛盾があるようにも思う。この3本の動画を見て過去を学ぶには驕りを持たずきちんとした科学的な調査や発掘がいかに大切かということを再認識させられた。
当時は河内湖がまだ大きく、大和川石川も大雨のたびに氾濫していたので、稲作のための治水事業として、浚渫した土砂や丘を削った土を盛り上げたというのを、本で読んだことがあります。😊
古墳の保存継承を考えていくうえで、現在の放ったらかし(言葉は悪いけど)のやり方がいいのか?考えさせられるお話でした。
私の地元にある前方後円墳は、市区町村が入札をして、そこで決まった業者が、定期的に清掃・整備していますよ。
天皇稜ともなれば、宮内庁管理ですので、間違いなく行なっているはずです。
堺市博物館すごい!
エジプト大博物館もパネル形式で今現在わかっていることの建造方式を図示化してほしいです。日本語訳版パネルもほしい
ピラミッド周辺にお堀があってもいいのに。なぜ、エジプト人はお堀をつくらなかったんだろう!?
洪水があったからかな?
定期的に水に浸かるところに壕は不要なのでは?
濠を作るときに出た土を盛ることで、別途盛土を運んでくる手間が省けるということでしょうか?
宮内庁管轄の古墳もちゃんと調査する時代にならないかなー。
前方後円墳は外堀を含めると「銅鐸」に非常に似ている 頂の部分は「舌」のようだ 音の響き 三重の輪
京都と奈良には、修学旅行で行きました。奈良の興福寺が、田園の中に有ったのが、印象的でした~😊数年前に、青森県の山内丸山遺跡を、訪れました。縄文遺跡…1万数千以上の平和で穏やか歴史…その後に続く…弥生…大和…奈良…平安…鎌倉…室町…安土…江戸…明治…大正…昭和…平成…令和…と。滅びた事ない歴史。そこが尊いと感じました。
とても興味深いお話ありがとうございました。古代エジプトの馬も貴重で、大切な戦力だったはずですね。
ツッコミどころ満載という点で面白い動画ですが、
ひとつだけ蒸し器について、
上海博物館に青銅製の蒸し器が展示されているとコメントしておきます。
古墳(特に前方後円墳)の方向がバラバラなのは、どのような訳があるのでしようか?
この近くに、日本最古と言われる狭山池と言うものがあります。
日本最大のため池は、香川県の満濃池ですが、そこそこ狭山池も大きいです。
ため池について調べた時に、狭山池を見ましたが、隣接している所に資料館もあります。
狭山池と、仁徳天皇陵の堀の水も繋がっていると聞いた事があります。
五稜郭跡見てみたいです。あとは、奈良のキトラ古墳や戦争遺跡ですが千葉県の赤山地下壕跡も気になっているので、お願いしたいです。いつも楽しく動画を拝見しています。コロナがまた流行ってきているみたいなので、お体に気を付けてお過ごしください。応援してます!
古史古伝を見直すべき、日本に豊富な金や資源、技術、文明がある。
7世紀中の古事記、日本書紀の時代は日本の衰退期、平城京時代から仏教再興により成長期に入る。
現存する大きな前方後円墳、被葬者不明なのが不思議。
続きキター
古墳のイメージですが、大体今は森のように木が生い茂っていますが、この木って意図的に植えたものではなく、自然に生えてしまったものなのでしょうか?
動画と関係ないのですが、先日は、ご来館頂き有難うございました💕私のお願いに快くご対応して頂き、想像通りの優しい先生でした😊私が騒ぎ過ぎて、ゆっくり色んな見学が出来なかったのではと、大変申し訳ありませんでした。すみません💦一生のお宝です‼️
古代日本は軍事輸出国だったのかと妄想するとがぜん関心が湧きました。白神先生の流ちょうな語りも興味をそそります。河江先生の質問もなかなかアカデミックで面白かったです。
大仙古墳は当初の姿に戻すべきだよ。もしこれができたらピラミッドより凄い観光スポットになるよ。
前方後円墳のデザインは銅鏡と銅鐸を合わせたものだと思います。銅鐸教から銅鏡教へ宗教改革が起き、その統合の象徴として古墳のデザインが生まれたと思ってます。
日本から出た文化の話の時に2人の一歩目が合うところが
考古学を見る方の波長の合いなんかなーって面白い
5世紀、武具と交換に大和は何を輸出していたのか?
半島南部の鉄原料を持ってきて、大和で武具に加工して、製品に仕上げて輸出していたのではないでしょうか?
現代と同じですよね?
朱石(辰砂)を輸出していたのはもっと後の時代ですか?
いずれにしても大陸の情勢に巻き込まれて、かつ、いろんな技術がもちこまれてさらに発展していったのでしょうね。
百舌古墳群と古市古墳群が水路で結ばれていたというのを本で読んだことがあります。それは5世紀ではなく、平安時代の事なのでしょうか?
本を読むより、音声と動画で説明いただくほうがわかりやすく学べました。
ありがとうございました。
😊😊😊😊😊
過去にガッツリ発掘されたりしていないのが不思議だよなぁ。
鎌倉時代とか戦国時代にもされていれば文献に残っとるやろし、ロマンだな。
古墳の法面というか斜面に石を並べ積む、ってのは賽の河原を彷彿させるし、この世・あの世の向こうの世界を石積みで表わすのは感覚的に妙に腑に落ちる。馬と言えば…確かどこかで馬の骨が出土してなかったかな?
馬の骨は全国各地で出土していますよ。
面白いなぁ^o^
とてもご説明がわかり易いし面白かったのですが、その一方で自分の国の歴史にもっと興味を持つべきだなと、少し襟を正すような気持ちにもなりました。
何か今こうして在ることが当たり前と思ってしまっていたというか、ここに至るまでにあった様々な事を学びながら未来を見るのは、きっと必要な事ですね。
大地震が起きたら、堀の内側の高いところにみんなが避難できる場所にもなったってのは突飛すぎるか、さすがに。堀には水なんか元々入ってなかったとか考えたりする。
めっちゃ面白く、めっちゃ楽しく、めっちゃ勉強になりました。
河江先生に感謝するのはもちろん白神先生にも大感謝であります
(*´ω`*)
仁徳天皇陵のお膝元で生活させて頂いています。取り上げて頂いてとても嬉しいです。ありがとうございます。
博物館には、ボランティアで解説して頂ける方もいてますが、次に行った時は、この動画を見ながらまわろうと思います。
学校で学ぶ日本の古代史は時間の長さに関係なく、内容が大変薄いと思います。
今回の話は大変面白く、文字がない為想像力が働きますね。
百済との関係は周知の通りで、日本とは密接な繋がりがあった事は間違いないと思います。
あの巨大な古墳をどの様に作ったのか?測量は?労働力は?と想像が膨らみますね。
仮に縄文時代の土器の作成(16500年前)からを日本史とすると、1/10程度の事しか解っていませんね。
古墳と神社には日本の古代史を感じますね。
仁徳天皇陵は墓やけど、ピラミッドは墓じゃ無いからな。まあ、造ると云うことの民衆の苦労は同じだが。
朝鮮半島から技術が伝わり云々、と言ってましたが日本での前方後円墳の数は16万基、朝鮮半島では南部に僅かな数しかなく実は逆に日本から古墳建造技術を教えたのではないか、前方後円墳は日本では3世紀から朝鮮半島では5世紀から始まり、昨今韓国では古墳発掘後直ぐにそのまま埋め戻す様な事をしている、韓国にとって何か都合が悪いものが発掘されたのだろうと言われてましたが。
自然に帰るというのが日本的な感じがします。
いつも思うのは高等数学も存在しない時代によくまあ技術者は図面を書けたもんだなあという事。
三角定規も鉛筆もコンパスもAUTOCADもないのに。
古墳が朝鮮半島に沢山あることには触れないのですね。。どうしても日本は朝鮮や中国あってのもの。という代表例でとても残念。ぜひ直近の日本史に精通している方との対談もお願いしたいです。
古墳時代の前から弓月の国民が来ているし、日本は金が豊富だった。それは史実ですよ。
何でもかんでも渡来品と言う学者は怪しい。
逆は言わないもんね。
日本から朝鮮半島にいっているのは「翡翠と貝さじ」位しかない…?!
おもわず、椅子からズリ落ちました😅
白神さん「当時の倭と朝鮮半島」について、もっと知識を得てからご解説いただけましたら幸いです。
(youtube動画は、世界に広く拡散してしまいますので、本当に困ります)
うーーん面白い!
さすがの白神先生!古墳が活っき活きしてきますね🙌🌈✨
長年にわたる応酬の果てのドロドロの戦乱時代 西方東方ひっくるめた広範囲 多国間多民族間に広がりきった戦乱時代
集権化もいまだ成しきったとはとても言えぬ長閑とした当邦 おそらくはかなり密に関わり合っていなければおかしいというレベルですよね
しかし歴史資料はあまりにも少ない 大陸側にも記録はないでしょう
どこでどのくらい どのようにこの広大な世界史と関わりあっていたのか、、、
瞭原の奪い合い 衰退する大帝国と燃え尽きんとする新興勢力と なだれを打つ国際的緊張のエネルギーに 当時の人々はどう関わりあっていたんでしょう、、
ロマンですね✨✨✨
ダイナミズムがロマンが まさにここにある
うーん古墳がまた面白く感じられたプログラムでした👏🌈✨
Hokano katamo itterukedo "omoshiro sugimashita". 😊 Senseigata kyoumi bukai hanashiwo arigatou ❤. Motto atama yokattara koukogakusha ni naritakattanaa😢. Comeran mo kekkou sugoizo 😮.👍👍
ながら聞きには良いっすー