【月山富田城の戦い】難攻不落「天空の城」での籠城戦を制し、中国制覇へ向かう毛利元就【地形図で解説】
Vložit
- čas přidán 11. 01. 2024
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SE:効果音ラボ、OtoLogic様
地図引用元:Google社「Google Earth」、国土地理院「地理院地図」等を加工して作成しております。 - Zábava
落ち目になっていても約1年粘れたのは、尼子の底力または富田城の堅牢さが伝わりますね。
何がすごいかって、軍略ではなくこれほどの長い時間、敵地で合戦を継続できた事それ自体でしょうね。
月山富田城の戦い、これほど各大名が取り巻く戦いだとは思ってもおらず、元就らの思惑も垣間見える場面もあり、壮大な戦いなのだな、と思いました。実は今、隆元が生きていたらどのように歴史が変わったのだろうかを考えており、富田城の戦いではどのように活躍したのだろうかなどと考えることもあるので、参考にさせていただきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いします。
富田城を見に行ったことがありますが、堅固な巨大山城に感銘しました。
興味のある面白い動画ありがとうございます!!(((o(*゚▽゚*)o)))
何となく攻めあぐねてる感じがするけど当初の尼子はまだ4カ国に跨る大勢力で
本拠地の出雲を攻めて動きを止めてる間に数年かけて周辺領土や制海権を奪取していくという
戦国時代でも珍しい長期戦。毛利の国力と作戦能力がずば抜けてた証左ですね
晴久が5年くらい寿命長かったらどうなったんだろ
晴久の寿命分を経久が持っていったかもしれないですね🤔
尼子はやはり衰退する→毛利との和睦を選ばない→月山富田城の陥落時に族滅されるになりそう
晴久が死んでいなかったからこそ、義久が降伏という選択肢をとれたかと。
猪突猛進の晴久なら尼子の血が一滴も残らない形で幕引きを迎えたんじゃないかなぁ。
晴久の寿命長かったらそれか信長の中国制圧がはやまるとかありえそうじゃない?
新宮党を滅ぼしたのが痛かった
先日義久の終焉の地、墓所がある山口県阿武町大覚寺を訪問した。墓所は今でも整備された様子で供養されている。大覚寺自体が尼子氏一族の末裔が務めているからだろう。義久の子孫は佐々木氏と名を変え輝元から1000石と萩城大手門前の一等地に屋敷を与えられ幕末、現代まで家系が続くことになる。戦とは不思議なもので真の勝者とは何なのか。結局生き残り家名を存続させた方が勝者ではないのではないか。
ほんとそうですよね!!
結局のところ、生き残り、血を繋いだ家名が勝ちだなと私も感じます!
知らない事たくさん教えていただきありがとうございます!
他のチャンネルの知識ですが、義久と元就は義兄弟ではなかったのですか?
尼子詮久(尼子晴久)のほうやね、義久の父
毛利元就でも小田原城の攻略は無理だろう
わたなべとおる?かよう?
アカアナ❌アカナ〇
教えてくださりありがとうございます!
@@chizu-kassenshi
地元近くなので知っていただけです(^^;)
後に毛利家臣となった赤穴氏はアカアナと発音します。