【ゆっくり解説】 万里の長城は本当に機能していたのか 【春秋戦国 秦 漢 南北朝 唐 明 清】
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- 無用の長物と言われがちな万里の長城の歴史を、始皇帝の秦の時代から中国最後の王朝の清まで眺め、本当に機能していたのか確認していきます。
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考えてみれば、長城というのは「ここから先には一兵も入れないぞ」って防壁というよりは、敵軍の侵入を許しても、その兵站線を限定することができ、それを攻撃できる、という障壁としての役割が大きかったのかもしれませんね。
長城の手薄な部分にワーと襲い掛かって、そこを抜いたとしても、そこを通らないと行き来ができないとなれば、敵(中華国家)からすれば兵站線を攻撃し、塞いでしまうのはたやすく、そうなれば戦線は維持できませんから。
しかし、中国の歴史の中では秦や隋のような結果からみれば「大規模土木建築をやるためだけに存在した」王朝があるのが、ちょっと面白いですね。
俺が聞いたのもこの使い方です。
あとはモンゴル草原側に逃がさず大軍で押し潰すためと。
昔北京の万里の長城を見に行った事があります。
通路の狭くなっている部分で、上り側と下り側の中国人が順番を守って通る事が出来ずデッドロックを起こしているのを見て
狭い通路で少ない守備兵で防衛する仕組みが機能しているのを直に見てUターンしたのを覚えています。
自分も八達嶺に行ったことがある。竜の背中のような山々に沿って建っているので昇り降りがきつかったのを覚えている。
北京の長城は原物ではなく現代で建てられたもの。場所、スケール、設計は全然違う。元の長城は防御用ではなく警戒用、敵が来たら烽火を焚き駐屯地の兵を呼び寄せる機能であり、最低限の通過防止機能と最大限の長さを追求し、高さ3m、幅1.5m、土盛りで作られたもの、見た目は非常に庶っぽいし、気候関係で年々壊れている。現在観光地である長城は「我が中華すごいぞ」というお見せ計画の一部にすぎない。特徴として、現在観光地にある城壁の建設は、城壁防御知識を持っていない建築士が主導したため、射撃用の勾配はなく、対下方射撃用の穴(兼排水用)もない。更に山頂に設置したことに関わらず、高すぎて射撃の死角もあり過ぎてあまりにも不科学だった。同時期に建設された北京城の城壁にはそれらの構造を完備したのに、長城に一つですら設計されていないとは観光用過ぎたと当時にも指摘される。
鳥王朝の隆盛を祈ります🎉。
烏桓の王朝みたいだな、漢字違うけどw
我らが鳥王朝はゆっくり系歴史解説の世界の中でも着実に勢力を拡大しております故、今後も磐石と思われまする
@@afo3738ほんとだ!漢字違う!今まで鳥だと思ってた、、、
@@user-zm5fg9mb8w
意外とね。からすって漢字だっけか。
盛者必衰は歴史の常よ
万里の長城に関しては蒼天航路の曹操が「始皇帝の力の巨大さを示すものではあるが、同時に自分の支配が及ぶ空間はここが限界なのだと認めた証だ」って評してたのが印象的でしたね
同じく長城の話と言えばこの解釈って思いました
そして曹操はその長城を越えて烏桓族を攻めて従える事で始皇帝や武帝を超えた存在だと強調したかったのだなと
それ、フェクションだよね??
もし、ベトナムの日本町に城を建てたらそこまで日本領ってこと??
@@user-uv7nn2yk2p 突然クシャミしてどうした?風邪か?
って冗談はさて置きこのエピソードは当然フィクションでは有るけれど、中世以前は武力侵攻して相手勢力を屈服させればいくらでも領有権を主張出来たからねぇ
現代でもロシアがウクライナへ武力侵攻してるのと同じだよ
@@user-uv7nn2yk2p
日本人はともかく、中国人はそう思っているのではないのですか😅?
@@user-cr8bu8et3v中国人が勝手に言ってるだけで本人の意思無視だからな
まあ確認できないから何とも言えないが...
壊さないと馬で越えられない壁に監視兵を置いておき、遊牧騎兵の機動力に対処する動員をかける時間を稼ぐだけでもかなり違ったでしょうね。
高さ的に騎兵がそのまま侵入してくるのは防げるが、歩兵なら防壁を乗り越えることもある。相手の機動力を奪って侵入を遅らせるという役割は果たしているので、大砲が発達するまでは十分な効果を発していたと思います。
漢代には弩弓が普及してたそうだし、壁の上から矢が飛んでくるのは怖いはず……
歩兵なら漢民族の方が強いんですよ。鉄は遊民族には貴重だからね。越えられても別に穴を塞ぐように展開すれば勝てる。遊牧民の強さは機動力だから正面からはそこまで強くない。チンギスカンの時代にはもう鉄が遊民族にも広がってるほがあります。
@user-tm6xj9nj4k
その時点で鬼に金棒ですからね(馬と鉄、矢)
@@FREEDOM-vv3wu 更には宋を攻略して攻城技術も手に入れましたからね。チートすぎますね
昭和の熱河作戦でも万里の長城は防衛拠点として活躍している。
名将宮崎繁三郎が長城は軍事的に考え抜かれた位置に建設されていると評価している。
でも突破された以外の、小規模の『あったかもしれない異民族侵入』に対しては潜在的にかなり効果的だったと思うのですわ。あと侵入が簡単でも、略奪して帰るときに邪魔にもなるし
始皇帝時代の長城は現存するものよりもっと北にあり今のよりも低くてショボい感じだけど、馬が越えられなければよいので当時では有効だったみたいですね。その後も歴代王朝で改築、補修、新たに建設があってそれぞれの王朝の性格や国力を反映しているようで興味深い。秦漢は土塁を連結した長城で三国から五胡南北朝は長城を越えて北方遊牧民が侵攻、隋唐はその遊牧民の末裔たちが長城外まで領域を広げ無用の長物とし、宋代は長城以南まで国境線を設定させられモンゴルの元は言わずもがな、明のときに今の長城建設、清で版図最大化してまた無用の長物化。こうしてみると長城の歴史的意義は各王朝の国力バロメーターとして機能していたことかも✨
清でも長城が無用の長物になれたのは、乾隆帝のジュンガル部殲滅以降の時代でしょうね。
ホンタイジやドルゴンが長城を越えるのに散々な苦労をした事があったからこそ、より純粋な騎兵集団であるジュンガルを防ぐのに使えたワケで。
しかし騎兵優位の時代が終焉しかけた乾隆年間にモンゴルが完全に清の支配下に入ったら、途端に仁宗・宣宗以降の衰退期に入り、王朝の命運を海からの侵略で止めを刺された事は
東洋的世界の軍事思想が遊牧民VS農耕民の関係に翻弄されてきたことが伺えます。
そして現在では『万里の長城 胡を防がず』=『盗人を 我が子と知らず 壁造り』→『海からの侵略に対応したいが海岸線に長城は造れない。山海関も結局、滿洲にも日本にも突破された』と考えているから、国民党も共産党も海への進出を言い立てるのだ、と観られます。
第1次世界大戦で敷かれたマジノ線も正面からの攻撃に対して効果があったけど迂回されたら無力になっていたわけで、防御構築物っていうのはそれ自体の強さよりもどう運用されるのかというところがカギになりそうですね。
築城と言うのは平時にマンパワーを供出して戦時のために貯めておく政策。特に戦時と平時の区別がつかない大陸では直接戦果をあげられなかったこと=無用だったとはならない。
あけましておめでとうございます!!!
鳥王朝家臣(登録者)共々、今年も中国史を盛り上げていきましょうぞ!!!
万里の長城は約2000年間の歴史の中でたった600年ぐらいしか実用化されていなかったのですね。とても意外でした。ローマ帝国の長城(リメス)はハドリアヌスの長城は防衛として、ゲルマニア方面のリメスは防衛としての役割を次第になくし、交易拠点として栄えたといわれますが、中国の長城も恐らくそうなっていったのでしょうね…
このような明・中・後期に万里の長城沿いのモンゴルと明の国で「互市」(貿易))が始まった
西欧にも「ハドリアヌスの長城」があり、長さが120kmありました。20箇所ぐらいの小さな砦群を高さ4m幅3mぐらいの壁で繋いだものです。これらの助けを得て、ローマは2万の兵で北方のスコットランドとの国境を守れたようです。
たしかに防衛システムの一部として評価するのが大事なようですね。
ハドリアヌスの長城は砦や駐屯地を結ぶだけでなく間に馬鹿みたいに塔を立ててたので万里の長城より防御力高いかもですね
@@yogaFire-lu9on
万里の長城にも塔が山ほどあるぞ
実際に見に行った人なら分かるが、ただの壁ではない
あまりに大きすぎて作れても維持改修が難しすぎたというのはありそう。
西方の城塞都市は攻城兵器や大砲の発展に伴って城壁も技術革新していったけど、万里の長城でそれは無理だっただろうから、ある程度有効とはいえ17世紀の明代末期には既に時代遅れでコスパに見合わなかったのではと思う。
国防はハード面だけでなく、ソフト面でも色々と準備や活用してこそ効果を発揮するんですね。
今年もよろしくお願いします。
謹賀新年 今年も沼に浸かるため、鳥人間様おすすめの歴史本特集をやってほしいです。
太っ腹!!👏👏
多大なご支援……まこと感謝の念に堪えませぬ……!
書籍の紹介は何かしらの媒体で行えればと思います!ぜひご期待ください!!
長さだけじゃなく歴史の奥深さも万里あるとは。
時代時代によって重要度や使われ方の違いが面白かったです。
かなり昔に生で見たことがありますが、そもそものところ見た目からして侵略する気はガン萎えするゴツさと頑丈さですし、崖上から一方的に攻撃できる状況なので相当な効果はあったと思います。あれを人力で作ったと思うと恐ろしいですが……
万里の長城は壁が延々と続いているだけのイメージがありますが、前漢時代では長城の外側には無数の狼煙台を兼ねた小規模な砦が、内側には中規模・大規模の兵力が駐屯する城塞が配置され、ローマ帝国のヘイドリアンウォールのような防御コンプレックスを形成していたんですよね。
前漢時代の長城外の砦が半ば砂の山となりつつも現存しているようです。
万里の長城は遊牧民の財産だった羊のための牧草地が広がるのを防ぐことが主目的だと聞いたことがあります。
流石に羊に長城を越えさせるのは難しいでしょうから。
遊牧民族の王朝の清の頃の話でそう言う使い方もあったみたいなのをちらっと聞いた事がある気がします。NHK BSの古代中国とか中国王朝とか空旅中国とか巨大遺産の謎シリーズで…。あと遊牧民の農耕民の取引の目印的な…。でもそれは遊牧民族が天下をとっていた時代の話。
清の時代も長城の整備はしてたけど、それまでも両者を隔離させるものでは無かったと。
ただ、そのためなら、漢民族系王朝(と言う事になってる王朝も含む)時代にも中華の方ではなく、メリットがある北方遊牧民族側が作ってそうかなと思ったり…どうなんでしょうかね😅…。
因みに、秦の始皇帝以前から長城はあり、世界最初の長城は、春秋時代の楚の国の長城。だけどこの頃はまだ遊牧民族が国境を脅かすおそれは無かった頃で、対遊牧民族のものでもなかった。
その頃は統一王朝ではなく、中華側の各勢力が争っていて楚の国がそちらからの侵略を警戒して作られた物。
長大な防壁を築くと共に通信(狼煙)の即応性も確保していたのも重要なんだよね。
国防における外交を重要視する代も出てる事から、長城の維持と新造に膨大なコストに頭を抱えているという、何時の時代も国防や要塞建造のコストに頭を悩ませつつも、外交による安全保障に行き着くのだなと・・・
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
新年初めから素晴らしい動画をありがとうございます。万里の長城がどれほど防衛に役立っていたのか、よく知らなかったので勉強になりました。
明朝の官僚にはリスク管理におけるスイスチーズモデルと多重化・冗長化の重要性を教えてやりたい。立派な長城をつくってもいったん突破されると北宋と同じで白兵戦をやるしか侵攻を防ぐ手立てがなくなるとは……。
多大なご支援、感謝感激雨霰でございます……!
大変励みになりまする……!!
定住しない、領域支配をしない遊牧騎馬民族相手には拠点として役に立つ時代もあったけれど、中世から近代になって軍事技術が進歩するに連れて段々と有効性が低下していったというところかな?
軍事拠点として維持するには長大過ぎるから近代的経済システムが進展するほど巨費が顕在化するし。
最近「漢帝国と辺境社会」を読みました。この動画で描かれている辺境の防備、少し前の動画で描かれていた官吏、書記の詳細がわかりやすく、生き生きと描かれた名著でした。この書に出会えたのも鳥人間さんの動画のおかげです。ありがとうございます。
長城は兵を通さない役目以上に、遊牧民族の領土を広がらせないために、遊牧用の羊を容易に通行させないという意味があるそうです。
なるほど
俺もそう思います❗️
今で言う車よけのパイロンみたいな....
そりゃあそうですよ、
そもそもこんな全長1万4000キロもある防御線、今のハイテク軍隊でも守れない❗️
つまりは軍事的な効果など殆ど期待してなくてせいぜい遊牧民に対する心理的な威嚇だけだったのでは...
それ以上のことが出来ないのを時の権力者も解っていたからこそ
こんな一見軍事的な意味の無いものをわざわざ造ったのだと
俺は今更ながら想いますね🎵
一見ソフトすぎて気の長いやり方だけど長い目で見れば結果遊牧民を
中国領内に殆ど入れずに済んだと言う結果がもたらされるやもしれませんね‼️
万暦の三征について扱ってほしい😃
明けましておめでとうございます。
本年も面白い中国史動画を楽しみにしております。
明けましておめでとうございます
今年も楽しみに観させていただきます😊
逆にいえば大規模な勢力でないと越えられないというのは遊牧民が気軽に略奪したり生活範囲を拡げるのを防ぐことができたというのはとても大きい、平野が多いのにローマ帝国で起きたアーリア人の流入のようなことが起きなかったから長城には大きな意味があったと思う
五胡十六国時代....
明けましておめでとうございます。
今年もためになる楽しい動画を楽しみにしています。
明けましておめでとうございます。今年も解説を期待してます。
軍事的な効果より、平時における遊牧民族が活動範囲を広げない為の効果が大事だったんじゃないの?
あけましておめでとうございます
今年の動画もとても楽しみです
結論 長城は良いものだ 日本には海って長城があるからよくわかる
お疲れ様です。
事情通ぶった人がよく「長城無用論」的なことを唱えがちですが、兵科に「騎兵」がある限り、馬防柵としての長城の機能はかなり大きかったと思います。また「火器大好き明王朝」が長城を重視したのも攻守において機能するという判断があったからだと思います。
動画の終わりでも通商においての拠点の指摘もあったり、ただ突破された事実だけをあげつらっていたずらに無用論を唱える言説には注意が必要でしょうね。兵科と経済という面からも長城の意義を考えるべきかなと。
それどころか、日本でさえも城(壁)は不要だと言う人すらいますよ。呆れて物が言えませんが。
@@FREEDOM-vv3wu こんな所でチクってるのを見るとよほど悔しかったんかね…
しかし事情通ぶった人(達)がイキリまくってんなw
実際中国人がこれを使いこなせたかは、甚だ疑問
長城無用論が判らんけど、大阪城、江戸城がそのまま残っていたら、町は発展しなかったろうなぁ。
その意味で大阪城、江戸城は要らん。
中国の古代王朝も長城で防衛、修復されていない事実から、要らんと思うよ。戦争に浪漫は禁物だよ。
火器が発達すれば人工構造物は標的でしかない
城郭に至っては権威を見せ付けるディスプレイ
追記
数年前のヤフコメの話で、記事自体蒙古襲来の土塁でしたが、(城)壁は不要、山など自然があれば良いとそのコメ書いた人は言ってましたが、遊牧民以前に紀元前から自然の要塞は簡単に攻略されている、日本ですら自然の要塞鎌倉を陥落させた新田義貞の例があるなど、世界はおろか日本ですらそれが無意味と証明されています。
結局長城というハードウェアだけでなく、防衛システムというソフトウェアが伴って初めて有効ということ。
漢代の長城防衛システムなんて、同時期のローマ帝国の北方防衛システムとほぼ同じだしね。あっちはライン川とドナウ川という河川が防衛ラインだったけど、両川の間やイギリスにはハドリアヌスの防壁のような長城を築いているし、活用できれば長城はやはり有効か。
ローマは当初川の防御を過大評価した結果、異民族に川越えられ襲撃もされていましたからね。
@@FREEDOM-vv3wu あれは別に川で侵攻を止めるものではなく、川沿いの拠点で侵攻を察知しつつ時間を稼いで、後方の機動部隊が急行して叩くシステムだったはずなので、川を越えられることは別にいいのでは。
@user-sd7wl4zg4z
いえ、アウグストゥスの計画案は川を国境かつ防御拠点とし、兵は最小を配備して回すはずでしたが、兵が壊滅したため再編しなければならなくなり、アウグストゥスは私の兵を返せと嘆いていたと言われています。
@@FREEDOM-vv3wu あー、ヴァルス率いる三個軍団3万5千が全滅した事件ですね。あれは防衛というより、防衛線をライン川からエルベ川へ押し上げようとしてゲルマニアへ侵攻したものの、指揮官のヴァルスが勝手の違うゲルマニアの統治をミスって反乱軍に待ち伏せを食らった事件なのでちょっと違うのでは。
あけましておめでとうございます。今年一年よろしくお願いいたします
地方の農民が、建材などに利用する為に長城を毀してしまった話は、聞いたことがあるな。長城の歴史的価値とか知らないが故だそうだ
あけましておめでとうございます🎍
いつも楽しみにしております。
お体に気をつけて頑張ってください!
明けましておめでとうございます。王朝の益々の発展をお祈りします
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
長城の機能性の検証面白かったです。それと同時に、「狼煙」はどう変化していったのかも気になりました。
明けましておめでとうございます
新年一発目はこれぐらいメジャーなネタいいですね!
今年も楽しませていただきます
今年も楽しみにしています。
万里の長城は攻めるに安く守るに難い欠点があり、秋になると度々匈奴が「天高く馬越ゆる」らしかったので
ある程度の境界線にはなっていたものの防衛線としては扱いにくく国費くい虫だったのでしょうね。
あけおめことよろ
あの広大な中国大陸を、敵から守るという理由で壁をつなげて人工衛星からも観測できる長城を築いちゃうあたり、古代中国の底力を感じるなあ
鳥人間さん 明けましておめでとうございます㊗
元日から様々な事が起こってますが、平常通り動画をUPして下さると、それ自体が沈みがちな心にとっては励みになります
少ないですがスパチャ送らせて頂こうと思います🙇
明けましておめでとうございます!
ご支援いただき、まことにありがとうございます……!お楽しみいただけたこと、こちらこそ恐悦至極に存じます……!
北京の北の玄関口で国境の町である張家口から、内モンゴルのウランチャプまで167km。騎馬兵なら4日もあれば走破できる。めっちゃ近いし大した地理的障害もないから、人工的な障壁を作るのは当然の発想だな。事実、張家口にはかなり大規模な万里の長城の遺構が残っている。
今年もさまざまな分野の中国史を心から期待してお待ちしてます。
長城修築に熱心だった中期以降の明朝。
堅牢な構造物が完成はしたが、
建設に費やした費用と人員は膨大であり、
負担は臣民に重くのし掛かる。
また長城自体の建設や構造材の煉瓦を焼く為に木材を大量消費して華北を中心に環境破壊が進む。
明末に相次ぐ天災も長城修築による環境破壊が一因とする見解もあり、
今日に至っても破壊された森林資源が回復していないとする。
修築された明代長城だが、防御施設として機能していたとは言い難くモンゴル諸族や清に度々突破されている。
防衛を強化する為にさらに重い負担を強いた為に反乱の導火線となり、
明朝滅亡原因の一つになった。
Thanks!
いつもご支援いただき、感謝……圧倒的感謝でございます!!
大変励みになります~~~~~!!
なんやかんや言っても役立ってはいる!…よね…?
ともかく多くの血が流れたであろう万里の長城は建築の労力や争いの戒めのためにもなると思うし長く健在してほしいものだわ
万里の長城は、実際に行きました。
急坂などがあり、昇り降りするのに大変な場所がありましたが、山々を簡単に歩き通せるのは便利だと感じました。
観光地ですが、城壁が欠けている部分の下には、人民解放軍の兵士がいましたよ。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、有り難きことこの上ありませぬ……!!
ありがたや……ありがたや……!!
あけましておめでとうございます。いつもお世話になります。今年もよろしくお願いいたします🙇。
蒙恬登場するかと思ったけど、予想が外れました(^_^;)
漫画の男塾にはコウモリで長城を越えたり、長野県に長城があったりしました。私はあの漫画の詳細な解説文を本気で信じてました…(-_-;)
明けましておめでとうございます。今年も楽しく詳細な動画を楽しみにしています!
民明書房ですね😂
とりんだもん「僕の名前はとりんだもん!中国史三昧の妖精なのだ。色んなチャンネルから鳥人間チャンネルに新年のお祝いが届いているのだ。」
ウラジミール・トリニンゲン「鳥人間チャンネルのように全ての視聴者が平等なパラダイスみてぇなチャンネルを作りてえ」
鳥頭王トャルル2世「俺もそう思う」
????「鳥人間!やっほい!わっほい!」
明けましておめでとうございます。
今年もハードコアな解説動画を楽しみにしております!
今回の万里の長城に絡めてで恐縮ですが、武廟六十四将にも選出された檀道済を取り上げてくれると嬉しいです。
「俺が死ぬ=万里の長城が無くなるのと一緒だぞ!」と言い残した武将の生き様、鳥人間バージョンで語ってくれるのを楽しみにしております~
射線通りまくりのだだっぴろい戦場は攻撃側が確実に有利なんで兵士がしゃがんで隠れれるだけでもだいぶマシっすね
それに長城くんは今でも観光名所として頑張って仕事している💪
一方日本には海があった
結局農牧境界線に造られたのを万里の長城と言っているだけなんですよね。
金みたいに遊牧世界まで領土が広がっていたり、南宋みたいに長江沿いに防衛線を引いても万里の長城とは呼ばれないということ。
我が国の場合は同じ物を水城、石築地と呼んでますね。
万里の長城って、騎兵が中心の北方遊牧民に対してはけっこう効果を発揮していそうですし、対北方遊牧民勢力に対する防護壁としては役に立ちそうですが、コストとかが高くて、長期的運用には向いていなさそうですね…。唐王朝も長城を運用するのではなく、自国の軍事力と外交力を駆使して対北方の安全保障を図ろうとしたのも、コスト面からそうした方がいいと判断した可能性が高いと思います。
明代の長城は山海関など首都である北京近郊の部分は堅牢な防護壁として役立ったでしょうが、それ以外の所はイマイチ効果を発揮しなかったんじゃないかと思います。(実際、北元や後金(清)の軍団に北京を包囲された事があったし…。)
こうして見ると、よく言われている「万里の長城は役に立たなかった」というより、「役には立つがコストがかかりすぎて運用できない」とか「そもそも元や清のように不要な時代があった」といった感じですね…。現代中国の領土は万里の長城の北側まで広がっていますし、航空機の発展とかもあるので、今後万里の長城が防衛線として役立つ日はもう来ないでしょうね…。
防御壁も有効に兵力配置されていないとあまり役に立ちませんし、長すぎて兵力配置も難しい。
わたしも他の国境防衛手段と比べて有用な部分はあっても効果的に運用しきれない、というイメージですね。
新年快樂!
囲碁の結果の数え方は、日本式と中国式で違う。日本式は石を目=領土として数えないが中国式は石も目=領土として数える。日本式は石を「国境線」、中国式は石を「城壁」として捉えている。これは両国の歴史が反映されていて面白い。(なおどちらのルールでやるかで約1/250の確率で勝敗が変わるとか)
あけましておめでとうございます。鳥人間様の健康を心より願っております。
最後に鄧小平が登場したのは少し驚きました。
今年もよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます🎍
今年もよろしくお願いします。
北からやってきた北魏が長城防衛を再開したということに歴史の皮肉を感じました。北からやってきたからこそ北の遊牧民に脅威を感じていたのかもしれませんね。
場所によっては馬でも乗り越えられる所はあるみたい
ただ羊は乗り越えられない
相手は遊牧民だから牧畜が出来ないと生活が成り立たない
軍事的というより経済的な防衛線としての機能の方が大きかったんじゃないかな
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします。
現代日本では野生動物の侵入を防ぐために畑の周りを囲って長城みたいになりつつある
新年おめでとうございます🎍
今年も日々を彩る中国史動画楽しみにしています
今🎍をつけて思ったんですが、中国の新年のお祝いのしかたってどんなものがあるんですかね(やるのは旧正月?)
なんとなく知ってるのは福を逆さまにしたような赤の飾りと、中国出身のおばちゃんが、日付をまたぐ前に靴下を替えるっていうのをやっていたような…?
あけましておめでとうございます😊
今年もマニアックなネタの掘り下げよろしくお願いします!
そんな偉大な建造物なのに地元の住人に燃料として破壊されてるのはかなしい。そして、三峡ダムが未来の万里の長城に並ぶ観光スポットとなるとみた。みんな大好き三峡ダム&万里の長城。これはキンペーもニッコリですわ。
一発目のギャグはハンチング帽かぁ~
WW2のマジノ要塞線の様に常備兵を置くとコスト掛かり過ぎな気がする
ローマのリメスと比較しても面白いかも。結局、民族大移動を止められなかった。一方、リメスでも遊牧民相手じゃないハドリアヌスの長城は機能していたみたいなので、長大な国境線を有する歴代中華王朝の苦悩が感じられるな。
豊臣政権の軍が万里の長城まで進出してたらどうなったか考えると胸熱ですね
それ普通にカルバリン砲で穴空くやつかと…(・∀・;)
万里の長城まで補給が持つとは思えないが…
あけおめです!どこまでもネタがある中国史。今後ともよろしくお願いいたします。
新年一発目が長城とは、これまた頂上。
長城自体の防御力より、北方騎馬民族が自由に出入りするのを制限する意味が大きかったのでしょう。
不意に出てきて、追えば逃げる。これを制限できる意味はあったんだろうなと。
あけましておめでとうございます
これ超気になってました。
下に穴掘るとか海沿いをちょろっと船で迂回すればなんら障壁にならなかったのではと思ってました。
万里の長城は現物が残ってるのロマンよな
どうせなら写真で良いから函谷関も見てみたかったなぁ
あけおめ!!
ところどころ東方に反応してくれるのうれしい
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
兵站線をあまり必要としない騎馬民族の戦略機動を遅滞減殺させることが必要で、ようは帝国の「鉄条網」みたいなものかと、対応する予備兵力が必要です。決戦する主力動員までの時間稼ぎということなのかと考えました。
かなりの部分は低い(羊が越えられない壁一㍍で充分だから🐑)から騎馬民族に軽々と超えられてしまったから無用の長物とする考え、前述した羊さんは防げた点もあるから一定の効果あった考えもあるしはっきり決めつけるのもどうか、と思うけど費用対効果なんて後から考えてみると苦しかったかも🤔
なるほどです😉
「防壁」としては役立たず、事実上の「国境線」としては長年機能した、というのが最適解に近いのかな、と思っています。マジノ線やジークフリートライン等、線としての防壁には大して意味はありません。万里の長城も同じ。長大な防壁は帰ってそこに大兵力を釘付けにしてしまうからです。
確か岩手県奥州市の胆沢城跡にある復元城壁も版築で作られていますよね
実際に見てきたけど重機が無い時代によく作ったと感心しましたね。
明けましておめでとうございます。
あんまり関係ないですがチャゲアスの万里の河は名曲ですね。
目立った活躍があまり語られなかったですが
現代になって「宇宙からも見えるんだ」って嘘が広まるくらい象徴的な存在になったのは面白いですね
歴史的な物を文化大革命で破壊しすぎてあまり残ってなかったのもあるかもしれませんが
自分が社会の役に立っているか分からなくなってきたので見に来ました。鳥王朝に幸あれ
だいぶ昔のことですけど、世界史の授業で燕雲十六州というのを習った時は、ちょっと笑ってしまったのを覚えていますよ。壁の内側の領土を献上しちゃったら意味ねえぇぇ🤣🤣
もう一回壁作ろうとはしなかったのかね
@@fox37812
内側に新たな長城を作ったようで、燕雲十六州の地図を見ると一部がグルっと壁に囲まれた状態になっていたようですね。
歴史的な国防では微妙かもしれないですが、今ではグレートウォールと呼ばれて一大観光地になっていますから、価値のある資源でしょうね。
鳥人間さん、今年も動画期待しています^^
「長城」といってもほとんどの王朝では、人の背丈ほどの塹壕を掘りその土を守りたい側に積み上げた程度のものであった。あと狼煙台を多数築いた。「城」は「土が成る」という字であり、「長城」とは「長い土壁」という意味である。定期的に補修していなければ、何年も風雨にさらされていればゆるやかなマウントと化してしまう。
明代の長城が異様に壮麗なのである。しかし煉瓦で造った強固な長城があるのは首都近郊や重要な関門付近だけである。
壮大な明の長城を遺産として受け継いだ清王朝は長城の防御力を必要としなかった。しかし清の帝王は長城の北に対してはモンゴル帝国以来の草原の帝王として、長城の南に対しては中華の皇帝として、と二つの顔を使い分けた。長城は二つの世界を区分する便利な仕切り線となった。長城は一つのシンボルになった。
狼煙の通信システムをテーマで取り上げてほしいです
そもそも広範囲の平地を人工物だけで守ろうってのは難しいからなぁ。造りを簡素にしても膨大なコストがかかるだろうな
遊牧民と定住民の争いが行われる中国史は良い中国史
「現在では『万里の長城』みたいな『線』で護ろうという発想はあまりされていないような…」
「まぁ現在は縦深陣地といって、巨大な要塞じみた境界を建設するより、クッションとなる陣地を複数構築し、前線を頑固に護ると言うより、突破された箇所に迅速に予備兵力を投入して出来た穴を塞ぐという戦術が一般的だからな。でもそれは電波通信情報網が構築出来るようになってからであって、貧弱な連絡能力しかなかった時代では無理なことだ。でもまぁ『壁』というモノには幾分の心理効果はあったと思うが」
「『トランプの壁』みたいな…」
「まさにその通りだな。米国とメキシコの間に物理的な壁を築いたところで所詮は弥縫策でしかない。アメリカの不法移民問題というのは、結局は世界全体の格差問題に由来するものだから、アメリカだけパラダイスにしたいというトランプの発想では根本的な解決にはならない。しかし権威主義指向の強い権力者にとっては『壁』というモノは魅力的に見えてしまう実例が、現代に再現されたというのは、『万里の長城』の意味を考える上で大いに参考になるだろう」
アメリカ人はそのことをどの程度理解してるんだろうな
あるいは理解してても手っ取り早い方法に流れてしまうものなのか?
長城というハードがあっても、ソフト面(運用法や管理する人)が伴わなかったら機能は発揮できないってと
中の人に手引きされて侵入許しちゃったらどうしょうもないから。
しかしまぁ、重機で近道作られたり家の修理にレンガ持ち去られたり現在の長城が1番災難かも(笑)