【ゆっくり歴史解説】 挫折した天才皇帝 煬帝 【隋】
Vložit
- čas přidán 17. 09. 2020
- 中国史上で最も悪名高い皇帝 隋の煬帝を紹介します。
※14:04
煬帝の兄弟は4男 楊秀が文帝に庶人に落とされた後、生存しているので、兄弟全滅は誤りでした。お詫びして訂正します。
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3回だけでなく
3年連続高句麗征伐だったから
誰にも耐えられない
たしなめてくれる官僚と、それを聞き入れる皇帝の器と、どっちが欠けてもダメなんだなあと思わせてくれるお話だった。
逆境に弱かったっていう言葉が重くのしかかるような人物でしたね。面白かった
なんか、やりたい事は全部やって、やりたくないことは何一つしなかった。そんなイメージ。
21:52
この李密は、「梟雄」という言葉が世界で最も似合う男だと思います。
個人的なスペックは高く、名君としてスタートを切り暗君として殺されて終わる、ローマ皇帝にもよくいるタイプだと思います。単に暗君ではなく殊更暴君とされるのは、後継王朝の都合でしょうね。
後継王朝にとっては、前の王朝の皇帝が暗君であれば暗君であるほど都合はいいわけですからね。「歴史は勝者が作るもの」とはよく言ったものです。
確かにネロ的な感じがしますね〜
ドミティアヌスかな
国の防衛などに貢献したけど、最終的に暴君となり暗殺されダムナティオ・メモリアエの刑となった…
楊堅も独孤伽羅も有能かつ働き者だから臣下達はさぞ疲れただろうなぁ
楊堅は、評価が低すぎですよね。
私は、彼は始皇帝と並ぶ傑物だと思っています。
親子3人そろって性格が似ているっぽい。やると決めたらやらないと気が済まない。どうしても思い通りにならなかったら文帝は出奔するし煬帝は江南行幸する。
30分の動画もあっという間の
面白い編集と、素敵な知識が満載。
いつも楽しく拝見しています。
次は宦官なのに素晴らしい人材のひとり
張承業とか扱ってくれると
うれしいです。だめでも、いつかよろしくおねがいします。
独孤皇后の絵、綺麗すぎだろ。実際も美人だったんだろうなあ〜。
彼女が主人公の中国ドラマが2作放映されてました。演じていた女優さんは両方美人でしたししかも美しいという設定でした😊
ブスだったら皇后には成れないでしょう?
夫は独裁者なんだし…
仮にブスなら夫を尻に敷くのは絶対不可能
人柄が良くて夫の浮気にも寛容じゃないと
ブスは捨てられちゃうと思います。
コロンボ「あなたのアリバイは完璧すぎるんですよ、だから逆に怪しい」の精神で、煬帝を疑うべきだったなあ・・・
がっつり長い動画も見ごたえあって好きです!!!
政治センスがあって人を見る目がある人間でも、かわいい息子の言い分には盲目的になって真偽が見抜けなくなる。
凄く分かりやすい説明ありがとうございます、全ての動画を拝見させていただきます
お疲れ様です。大変勉強になりました。ありがとうございます。
掛け合いが面白くてつい見ちゃうんだなぁ、このチャンネル😊
何度遠征しても抵抗しきったこの時の高句麗すげえな
朝鮮が中国を崩壊させた数少ない例
朝鮮に勝てないと中国は求心力が低下して国が崩壊する。
そしてその後、唐の攻撃も撃退する(しかも唐軍を率いていたのは英雄・李世民)
さすが北朝鮮のご先祖さま
軍事力神や
@@user-ez8gy1sn7t
どう読んだら良いかわかりにくいのだが。
ただこの遠征のおかげで高句麗も疲弊、朝鮮半島で最大勢力だったのに百済に統一される遠因になったのよねえ・・・。
無茶苦茶面白かったです!
長編ありがとうございます
今中国ドラマの隋唐演義を見ているのでとても役に立ちました。
登録します
昔、図書館で借りた田中芳樹さんの『風よ、万里を翔けよ』を何度も読み返したのを覚えています。
花木蘭の方が馴染みのある私は、煬帝にもあまり悪いイメージを持っていなかったように思います。
なのに今回の動画を見ると記憶との齟齬がww
いのまたむつみさんの挿絵も素敵だったー。
自分も田中芳樹の「風よ…」を読みました。花木蘭を主人公にした作品だけど煬帝のこともじっくり掘り下げて描かれてましたね。才能があってもそれに見合う器量がないと臣下の諌言を聞き入れないですよね。
いつも興味深く拝見させて頂いております。
隋の楊家と唐の李家は親戚関係であった。
確かこの動乱の時 突厥軍に城を包囲され危機に陥って救援を要請
しようとしたが蟻も逃さぬ警戒態勢の中 一人の娘が河に手紙を流し
それを李世民が拾い城を開放した。その娘こそ・・・
三国時代魏の名参謀荀彧の子孫の娘だった。
人々は「さすが!名軍師の末裔だ」と称賛した。
それ西晋の荀カンのエピソードではなかったか?
手紙を流したのは確か煬帝に仕えていた宦官だったと思うけど。
煬帝と李世民は繋がりどころか、母方、独狐氏のいとこ同士で一族でんがな
従兄弟同士は煬帝と李淵です。詳しくは 独孤天下 で。
独狐天下は、独狐家の、3姉妹が、それぞれ、天下を取る陛下になる、男性に嫁ぐ。
面白い歴史ドラマで、3姉妹役女優も、美しくて、演技力抜群で、魅力的だったから、オススメです。
@@user-vm5qk8qh4m
何か、宋家の三姉妹みたいな凄い三姉妹居たんですね。
しばらく民を休めて、晩年にでも建設か外征のどちらかに絞って着手する(完成は子孫に託す)のが理想だったと思うけど
全部一人でやりたくなっちゃったんだろうか
外征に関しては割と逼迫した事情があった気が
風よ、万里を翔けよ は好きな作品の一つです。
田中芳樹ですね
同じく田中芳樹が翻訳した
同時代の作品
「隋唐演義」も面白いし読みやすいですよ
風よ
に関しては
子ミックス版もあります
作画は女性で
プリンセスコミックスという出版社です
いや、とっても面白かったです
この時代の人物だと張須陀が好きです。彼のエピソードの中だと煬帝もちょっといいとこ見せてますよね。張須陀単独での動画は難しいかもしれませんが、もし李密か秦叔宝を取り上げることがあれば張須陀にも触れてくれると嬉しいです。
運河建設でやめておいて、後はひたすら内政に努めていれば……もしかすれば、国を保てたかもしれない。
中国人(漢族)には、「内政重視」という姿勢は、基本的には無いでしょう。今の中共にしても人民を「統制管理」するための施策はあっても、「幸福」にするが優先ではないので。人民自体が「統制管理」された方が楽で「幸福」と思っているから、中共も好き勝手やってますが。
@@user-nm7bl2fr3v
厳密な所ですが、隋や唐は元々漢民族では無いです。北方の騎馬民族の末裔です。でも長く中華文化に触れているので、精神的には漢民族になっていたと思います。
@@user-qh9lf7cg3h 北魏~唐までは鮮卑王朝で当時シナ人をイスラムやヨーロッパではタブガチと呼んでいた
隋楊氏の胡姓は普六如氏で唐李氏の胡姓は大野氏で北魏孝文帝自ら漢化政策で拓跋氏から元氏に改姓
し胡服や胡風の習慣などを厳しく禁止したため六鎮の胡族たちが反乱を起こし北魏分裂の原因になった
@阪急京都線
有名な文景の治や貞観の治はご存じでないとな
もう何でも共産党批判に繋げるのやめれ
文帝夫妻の話で皇后の弟が引き起こした猫鬼の話の小説を書いたことがあります。そこで調べた皇后は非常に聡明でした。ですが皇后そして文帝は煬帝だけは見抜けませんでした。煬帝の本質を見抜く作品も書きましたがそれは聖徳太子を主人公としました。
煬帝も運河完成と共に突然崩御すれば、名君として扱われたのだろうか...?
田中芳樹の小説で詳しく取り上げてたな
悪意の政策と言うよりも責任を負わなかったからの結果だった。と書いてた。
初めてコメント投稿します。
色々な時代の中国史についてとても勉強になります。
煬帝=大運河という知識しかなかったので、色々な意味でスケールの大きな人物だなと思いました。
それから、煬帝そのものとは違いますが、三国志の曹操の息子、初代魏の皇帝曹丕が長生きしていたら煬帝みたいになったのかな?と感じました。
詩文の才能に長け、弟の曹植を冷遇し続けた所や、軍事的な才能には恵まれていなかった所など。
楊素は卵のみの炒飯が好きだったといわれてますね。揚州炒飯は彼が揚州に持ち込んだのか、逆に春秋時代から揚州の人民が食べていたものを気にいったのか諸説あります。煬帝自身も炒飯を好んでいたのではないかともいわれてますし。遣唐使が日本に伝えた可能性はありますが、食用油が高価だったのか(あっても灯り用が主)、日本の竈では火力が足りずべちゃっとした物しか再現できなかったのか、油料理が口に合わなかったのか、普及したという話も聞きません。江戸時代以前に多量に油を使うのは天麩羅しか思いつきません。炒飯が日本人に普及しだすのは、明治時代に中国人がつたえてからじゃないかと思います。
やっぱ、当時の中国の国力じゃ戦乱の世が収束してからまだあまり時間が経ってないのもあって、大運河建設が限界だったのだろう…。最低限必要な事業である大運河建設だけで一旦終わらせておけば…。
しかし、何でそこまでして煬帝は高句麗遠征に固執したのだろうか…?まさかただのプライド…?(ちなみに「プライドが必要以上に高いやつは身を滅ぼす」というのが私の持論です。)
大運河は中国の歴史としては確実に大功績。だかあれだけの距離の運河成立は、機械文明が進んだ現代でもかなり厳しいだろう。
それをあの時代にやったら、それはあの時代の人々が恨みに思っても仕方ないだろうね。
隋→唐の関係は、秦→漢の関係に近い気がする。基礎をつくるが滅び、それを受け継いで長い王朝とする。
家臣の言うことに耳を傾けられない君主は、安定的な国家運営ができないんだな
現代の日本の会社で言い換えると部下の言うことに耳を傾けられない経営者は安定的な企業経営ができない(数多のしくじり企業の栄枯盛衰を見た感想)
まさかの煬帝擁護動画、希少なだけに面白く見させてもらった。こんな見方もありだ!
帝国の創成期ではなく安定期の皇帝としてだったら名君として無難な生涯を過ごせた気がする。もっとも、やらなくても良い事をして帝国に終焉をもたらすタイプかもしれないが…
万暦帝「せやな」
その場合武帝みたいになりそう
どちらにせよ後世の評価は二分されそう
プロイセン王国のフリードリヒ大王無双も、先々代あたりの王がとんでもねぇレベルにまで軍隊を強化してくれてたのが一因だしねぇ…煬帝も、反感買ってでも国家のために頑張った先人の一人なんだなぁ
先々代のフリードリヒ1世は初めてプロイセン国王を称した。軍隊を徹底的に強化したのは先代のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(別名兵隊王)。
先代でしたか…!
いくら大事業でも
日本で全土に新幹線、高速道路
空港整備で消費税100%な
国家のためにやろう
と言ったらさすがに政権飛ぶでしょうね
大運河は今も使用されている。高速道路は1400年後もあるのだろうか。
2114 sa さん
日本横断運河構想って言うのが1960年代に有ったそうですが、構想あげた方がお亡くなったのと日本の海運業が下火になったので今のところ止まってるそうです(場所とシステムを変えての構想は今も生きてるらしいです)
後漢王朝滅亡から、中国では三国時代・五胡十六国時代・南北朝時代と短期的な統一と安定期は間にあったものの
隋が成立するまで四百年あまりに渡り、ずっと分裂と戦乱の時代だった
その長い混乱からようやく脱し、国家基盤を固めるために隋は無理に無理を重ねたのは間違いない事実だ
隋が行った国家事業もその多くは必要なことだったしな
@@green8714
そんなアホな政治家がいたのですね、、、
まことに興味深く拝聴いたしました。御礼申し上げます。
先を見据える目はあったんだろうけど、先を見すぎて足元を見なかったという感想の人物。
先を見すぎて足元がおろそかになってしまったかな。(;´д`)💦
ワンチャン兄貴が皇帝になってたらもっと隋が滅ぶのが早かった説
それにしても文帝と煬帝のやってることってまるで現代のエリート家庭だな
煬帝の若かりし頃はまさに儒教の理想だったのだろうか
この頃の中国は仏教と儒教の影響を共に受けていて、かつ最も強い影響があった時代です。
大運河の構想も煬帝だったのか、以前からプランはあったのだろうか。
煬帝の評価はうp主氏のおっしゃる通りかな。
チャンネル登録者数暫く見ない間に1万人突破遅ればせながらおめでとうございます。(^_^)
李世民は煬帝の失敗から学んだのでしょうね。
人の意見を聴かなくなるのは皇帝として致命的ですからね。
しかし秦の公共事業の万里の長城プロトタイプとか、始皇帝陵という、
公共事業をやりすぎて民を疲弊させると反乱を起こすという前例があるのに、
なぜ煬帝は急ピッチな運河建設を強行してしまったんだろう。
もしの運河建設を次の代くらいまでの長丁場で行っていたら、煬帝は名君扱いされてたかもしれない。
一万人突破おめでとうございます!
ちょっと気になったのですが「不世出」はプラスの意味にしか使われないので「希世」等を使うのが穏当かと思います(重箱の隅)
李世民にことある毎に反面教師にされる煬帝くん
悪人だが破鏡合一など粋な逸話も残した楊素の動画も是非お願いします。
中国史(正史)は世界のスタンダードと比べても別格に「勝者が歴史を書き換える」度合いが高いですからねえ
易姓革命という概念がそうなんだから仕方ないとも言えるが
特に王朝交代前後の暴君・名君エピソードは信ぴょう性5%くらいと思って読まないといけないと思う
隋→唐の政権交代の経緯は、秦→漢の政権交代の経緯と恐ろしく似ていると思う。歴史は繰り返されると言う事なのでしょうね。
秦の場合は外征に失敗していないけどね
@@user-pz3yr8pc1w 後違うのは隋が滅亡した時は既に次期王朝はほぼ唐で確定していたのに対して、秦が滅亡した時は楚か漢か確定していなかったというのもあるとは思う。もし楚が次期王朝になった場合は中国を代表する言葉は漢でなくて楚になったとは思う。
@@hitoshi19780512 でも楚が長く続くとは思えないんだよなぁ
あの項羽は部下、特に文官系は軽く見てる節がある、とても長く続く二世三世に有能な内政官を残せたとは思えないんです、そのまま戦国乱世に逆戻りなんじゃないかと
@@torigaraiidashi そもそも項羽の体制は統一したいという意識が希薄ないしは不在だったように思います
人気取りがうまくて
人気取り続けなきゃいけない立場だったらいい政治家だったかも
なんとなく武田(諏訪)勝頼を思い起こさせます。
偉大すぎる父、廃嫡された兄、有能な家臣団に囲まれて、幸か不幸か頭脳明晰で勉強家でもあったため、父亡き後は自分が正しいと信じる政治を強引に推し進めて離反を招き、最後は身内からも裏切り者が続出して滅亡。
若い秀才というのは、えてしてベテラン実務家に対して丁寧な説明を欠いてしまうものなのかもしれません。
義信は勝頼への書状で武田氏扱いしてた数少ない1人(他は諏訪四郎殿みたいに書いてた)
こっちと違って険悪な仲ではなかったみたいだしその点が決定的な違いかな
一年たって見返すと、煬帝って万暦帝同様抑圧された子供時代有って燃え尽きたのだなぁと…何かこう愛情持って子供育てないと…
…と思う反面、子供を全員可愛がって死後殺し合いになった王朝や、無能な長男可愛がりすぎてえらい事になった王朝も有り、独裁政権のしんどさを痛感します
昔…何かで、中国の長い王朝は、その前に勃興したキツい土木や基礎作りをやり恨まれた王朝を倒し、その業績の上に建ってるとありましたが…
秦 隋 はそうだな
始皇帝に近いか
tikki oono さん
そうですね、煬帝個人はキャラ的に紂王(殷の最後の王、文武両道で回転早く人の忠告を聞けず女色にだらしない)に近い気がしますが
頭もよく、構想はりっぱだったけどバランスが悪く独善的っていうのはあるよね。ただ中国の場合、皇帝権力が強すぎて器に足りないとかなり悲惨になることが多い。煬帝もその一人かな
最近は国共内戦に日本が加わった
20世紀前半を清滅後の再分裂期と考える
のもありかなと思ってます。軍閥が割拠して中央を伺うとか婦人側の縁戚が権力を振るうとか中華史に良くある事が起きてますし、農民反乱の側面も強い。では
現在の王朝はいつまで?長く権勢を保つのはなかなか難しいようで。
何時の時代も、自分に優しく人に厳しい奴は、人から嫌われる。
その逆をすると尊敬されるんだけど、中々居ないよね。
紂王や王莽、あるいはデーヴァダッタのように
あとづけで優等生エピソードできたのかも?
中国が華北と華南で分裂しやすいのは、『疫病の世界史』によると、華南の疫病のためとしています。モンゴル帝国のように東西の移動であれば緯度が変わらず気候の変化は少ないですが、南北の移動は気候が大きく変わります。曹操が呉を制圧しきれなかったのも疫病が原因だし、清朝も華南にはずっと手を焼いていました。煬帝が華南を制圧出来ていたのは、南朝陳が弱っていたからでしょう。煬帝が晩年華南に身を置いたように煬帝の南朝文化への憧れは大運河建設に導きます。南朝の文物が北に流れることで経済は潤ったのですが、疫病も北上したことが想像されます。その上、南朝を制した倍以上の人員をまた気候の異なる北の高句麗に送り込んだら、中華の体調不良は極限に達したでしょう。
現在の武漢は南方の荊州ですからね
北方の勢力が華南へ遠征してる途中に指揮官が病死して中止というのが割とデフォだったですからね
中華の歴史を通じて、南北の大戦で慣れない気候により大勢の兵士が風土病にかかり撤退するとかそれでも強行して惨敗するのはお約束のようにありますもんね。
岳飛とか梁山泊がよくわからんから、その辺をやって欲しいなぁ
悪名高い皇帝の功績が後の違う王朝を支え、やってることは名君と同じって紙一重なところが歴史は皮肉的かつロマンだなって感じます
高句麗遠征の執着ぶりは何だろうなあ。大運河については必要だったのはわかる。なお、民衆の恨みを煬帝に押しつけて、その果実を得た唐朝はわりとずるい……というか運がいいというか……、運河だけに(爆)
5代目あたりの平時ならいけたかもしれんけど
2代目という1番安定しずらい時に
生まれたのが不幸かな
名君を目指して失敗した者こそ、往々にして最悪の暴君になる。
銀河英雄伝説で読んだ言葉です。
3:42 文帝のヤバヤバエピソード 廷臣が集まる朝堂に杖を置き 家臣の罪を見つけると朝堂で杖で打ち据える刑を行ったという
3:52 文帝ヤベー奴じゃねーか!
事業部長や支社・支店長として有能な功績に有る人が
経営陣 ましてや社長に成ったら、精彩を欠き企業を倒産させて仕舞う実例は多いです。経理担当として、
社内外で、その実際問題を
観ました。私自身も そんな上司に 今で言うパワハラを受けました。
一時の耀かしい成功ほど
恐ろしい物は有りません。
この時の高句麗征伐の話が、木蘭(ムーラン)だよね。
田中芳樹先生の小説でもありました。この作品もコミカライズされてましたよ。
煬帝って実は地球侵略に来たタコタコ星人で聖徳太子と小野妹子によって撃退されたんだよな
小野…イナフ…
@@tikokun フィッシュ竹中…
なお本人は牢屋にぶち込まれていた模様。
煬帝から見たら李淵の挙兵が遅すぎたのかもしれません。
晩年のやる気をなくした後の煬帝はただ自分に代わってくれる人物の登場を待っていただけだったみたいですから。
もっと早く李淵が挙兵しておれば蜀漢の劉禅のように李淵に禅譲し、安楽な余生を送ることもできたのかもしれないですね・・・・・
これは日没す処の天子さんですわ
日本に1日でほうりゅうぢを建てる有能な大工が居るのを煬帝に教えてやらなくちゃ(使命感)
独孤皇后回見てから復習に来ました~
個人としては有能で、教養もある人だったかもしれないが、挫折に弱い人だったのだろう。高句麗遠征の失敗を自分の中で飲み下すことができず、脇目もふらず遮二無二暴走してしまい、大ポカをやらかした。曹操や劉備と違い、負けに耐える精神力と、物事の引き際を見極めて引く能力がなかった感じ。今でもこういう人間は珍しくないし、挫折を経験しても、生きていればやり直せる。あきらめたり、失敗を認められず暴走したら終わりという事を教えてくれる人物と言えるかもしれない。
本当にね。
現代人にも凄く教訓になり、或る意味で普遍性の有る人ですよね。
雨具を着たらそれが目印になってて暗殺されちゃったというオチがつかず良かった
随だと、楊素(漢字あってるかな?)を紹介して欲しいな。
沈総持(漢字あってるかな?)もいいな。
鳥人間陛下に視聴者が拝謁いたします。(五拝三叩頭)
煬帝の失敗が無ければ隋も唐のように世界帝国になれた…のかな?無理か
煬帝が江都で滞在中に占った所、離為火の九四(四爻)の占断を得た。内容は突然に焼かれて死に、死体は捨てられる、という最悪なものだが結局その通りに非業な最期になってしまいました。
前王朝の周、隋、唐 の創業者一族は同じ穴のムジナ。
共に辺境の守備軍を率いた首長で、
独狐氏の縁戚。
っていうより皆さん独狐氏のお姫様繋がりの義兄弟。
長女は周の皇后。三女?(七女?)が独狐カラで楊堅の尻をたたいて隋を建国させ、
二女?のバンジャクがちょっとした手違い?で「カラ」と入れ替わり?李さんに嫁いで地方軍閥の嫁となり
~息子がいとこの煬帝を倒して唐王朝を建国
周、隋、唐共に正に嫁の「独狐氏の天下」だった
@@user-fw5jy1zf7y 独孤天下、長女は独孤般若で北周大王妃、四女は独孤曼陀、七女はこの動画で触れられた独孤伽羅で、生前に皇后になつたのは伽羅だけ、般若と曼陀は後に皇后に追尊されています。
夫々、宇文家、李家、楊家に嫁いでいますが、3人の中で最長寿が曼陀の50代、短命が般若の23〜24歳、伽羅は49歳となっています。
当時の平均寿命は男で35歳、女で24歳なので、この動画の登場人物は皆異常な長寿です。
関連ドラマの独孤天下を薦めます。やりすぎ感があって、面白かつたですよ。
後世の評価が辛いのは天子でありながら戦乱に苦しむ民衆に背を向け。それでいて己の生き残る気は満々だった点。
皇帝は才能より性格がものをいうお仕事なのだろう。
才能あるものは部下にいくらでもいるんだし、しょせん皇帝一人ではすべての仕事をこなせない。いったんいい人材を見極めたら信用して任せて余計な口出しをしないのが大事。自分の名前を後世に残そうとして戦争なんか始めるのは最悪。
実はちょっとお人好しぐらいの方が向いている仕事なのかも。
皇帝が好き嫌いだけで政治を行った見本のような人。
暴君の定義は名君に成りそこねた賢君、晩節を汚した名君だと思う。
独孤皇后とかいうヤンデレメンヘラフェミニスト(ただし有能
なるほど…そういう事だったんですね✌️😁私もどうしてなんだろう?って思っていたんです✌️💖💕
唐の太宗とか明の永楽帝とか、王朝が続いていたなら隠蔽できたことができなかった人なのかな?
…でも、隠蔽し切るには失敗がデカすぎるかぁw
日中戦争中は日本の装甲艇がこの大運河を走り回ったりしてて、日本人にも無関係ではない。
長男がそのまま皇帝になっていれば隋は長生きしたかな?
要領の良い次男坊、ただ…。高ケイなど能ある人材を使いこなすだけの器量がなかったのがなぁ。しくじり皇帝煬帝。
伯夷叔斉やって欲しいです
kenta sakuma 义不食周粟,饿死于首阳山
中国ドラマのムーランに出ていた煬帝
大運河を評価するとのことで、またそういうコメも見られるが、どうだろうな・・・。
ローコストなら私も評価したいが、相当ムリがあったように思う。
現代でも未来のために色々出来るだろうが、何万何十万人が苦しみ死んでいく事業には、私は反対したい。
煬帝の目は青かったという話もある。
もし官吏として生まれていたら宰相まで上り詰めていたかもしれないですね。
楊は姓で煬は唐から送られた下げる意味を含んだ字なんでしょうか?
仕事熱心すぎたって感じもあるね
賈似道今度やってください。(╹◡╹)
ギャグ漫画日和思い出す
タコタコ星人のせいで煬帝と言われたらジャージの聖徳太子とイナフに助けられたイメージがな…
賢い
こういう感じで始皇帝の解説も聞きたいなぁ~ジロジロ
大運河建設事業は絶対必要だったでしょうけど、高句麗にこだわり過ぎたな...
唐は、煬帝の建設した大運河を基盤にして経済成長出来たんだろうな。