【ゆっくり解説】島津四兄弟九州統一戦その8ー大友との決戦論に傾く島津家中と徹底阻止に動く義久

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  • čas přidán 28. 12. 2023
  • 今回は因縁の甲斐宗運の死がきっかけになった義弘率いる島津軍の肥後完全制圧戦や、対大友との全面衝突やむなしの機運に向かっていく家中とそれを回避しようとする義久の駆け引きなどの動きを中心に解説していきます。
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Komentáře • 40

  • @user-ky8sp2ql6o
    @user-ky8sp2ql6o Před 2 měsíci +2

    どっちの家久もやる事成す事勝手過ぎて手放しで褒められないくせに、最終的に全部結果オーライになるのが本当にもうコイツらってなる

  • @user-gp7on5sj5p
    @user-gp7on5sj5p Před 6 měsíci +8

    国境の国衆の動向と家中の重臣に振り回される当主の悲哀が感じられて良かったです。

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci

      コメントありがとうございます!国衆はいつもトラブルを運んできますね😥😥

  • @user-cu6qu7bu1i
    @user-cu6qu7bu1i Před 6 měsíci +8

    この辺の話、大友側(立花宗茂、高橋紹運)からの視点での艦これmmdでニコ動にあるんですけどそこでも秋月種実は食えない国衆みたいな感じでしたね笑

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!北九州の国衆・国人はキャラが濃いですよね。

  • @user-uj8qv8kb6h
    @user-uj8qv8kb6h Před 6 měsíci +5

    家久はやはり“脇腹の子“という出自がよっぽどコンプレックスだったのか。

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!そのあたりの屈折が家久の人格形成に与えた影響はありそうですよね。

  • @user-rq7tw4by5s
    @user-rq7tw4by5s Před 5 měsíci +5

    薩摩の若手の暴走は西南戦争までつづくけど、伝統なのね

  • @Legendary_mapo_tofu
    @Legendary_mapo_tofu Před 6 měsíci +8

    ゲームみたいに指示通りに動いてくれないのが辛いところですな
    暴発して結果オーライにしてくるから扱いに困る
    これだけ勢いがついてしまうと、もうどうにも止まらない

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +1

      コメントありがとうございます!ゲームのように部下が動いてくれたら上司はどんなに楽かと😢😢

  • @MUSASI40
    @MUSASI40 Před 6 měsíci +7

    旧日本軍のやらかしそのものだな
    島津義久の立場は そのやらかしの尻拭いをさせられる時の総理大臣みたい

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!そんな感じなんですよね。

  • @user-zd6ug3uy9e
    @user-zd6ug3uy9e Před měsícem +2

    あの高橋紹運ですらびびる道雪って…

  • @user-xp6uq4ek6o
    @user-xp6uq4ek6o Před 6 měsíci +3

    家久って義経と似てるな
    軍事抜群のKYってとこが特に

  • @user-vv8jw1wl9b
    @user-vv8jw1wl9b Před 6 měsíci +5

    自分の中で家久のイメージが『サラリーマン金太郎』の金太郎とダブってしまう

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +1

      コメントありがとうございます!確かにそんな感じがありますよね😲😲

  • @user-ik8yc9qq9s
    @user-ik8yc9qq9s Před 6 měsíci +5

    道雪と義弘がやり合ったらどっちが勝つんだろ?

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!それはやはり興味がありますよね。

  • @user-th8rx3uq3z
    @user-th8rx3uq3z Před 6 měsíci +9

    島津は……もはや何も言うまい
    島津軍という一体感はあっても実態は義久・義久・重臣・家久の連合軍ですね……この後の顛末も納得ができます
    個人的に感じたのは甲斐宗運もとい甲斐氏と阿蘇氏の悲哀ですね……
    あれだけ島津家を翻弄した甲斐氏ですが宗運が亡くなると先制攻撃を仕掛け、島津の報復で呆気なく降伏する姿は
    如何に甲斐氏が甲斐宗運ありきで成り立っていたかが分かります
    最も宗運も島津の手駒として進攻してきた相良氏と戦った時点で甲斐氏の滅亡を予期している様でしたし
    自分がいなくなった後はどうする事も出来ないとは思っていたでしょうね……
    甲斐宗運は父親としては駄目で家族仲は最悪だったという話も聞きますし
    継いだ親秀は恐らく周りの家臣から「甲斐宗運様がいれば……」と思われていたでしょうし
    宗運は「戦いではなく外交で世渡りしなさい」(意訳)と言っていたのに親秀がそれを破って城を攻撃したのは
    「父が何だ」
    「俺が優れている事を家臣に証明してやる」
    という思いがあったかもしれません
    武田信玄の息子勝頼が信玄以来の家臣と折り合いが悪かったのを見ているとそう思えてなりません

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +3

      コメントありがとうございます!次回も相変わらずのカオスが繰り広げられるんですが😰😰甲斐宗運みたいな家宰的存在は頼りにはなるんでしょうけど、存在感が大きすぎて喪失したときの影響が甚大になってしまいますね。

  • @user-ie4zu2vl8t
    @user-ie4zu2vl8t Před 6 měsíci +2

    一番ノリか楽しみにしてた

  • @user-yp9oo3qm4s
    @user-yp9oo3qm4s Před 2 měsíci +1

    島津って割と今の株式会社形態に似てますね。義久は代表取締役社長→会長で、義弘は大抜擢の専務取締役か代表権のない副社長(社長じゃない?)って感じで、あとは取締役に執行委員沢山。義弘は文句言うけど取締役会では会長絶対支持、違うのは社員がヒャッハーで結果が良ければ追認が出来る事、監査役は今はいないけど(笑)後で苦労するのも…

  • @user-hirotaka0123
    @user-hirotaka0123 Před 6 měsíci +5

    この辺は異戦国志3巻の九州三国志の話でだいたい表現されてるけど、やはり島津義久の統率不足が原因だろうね

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +1

      コメントありがとうございます!義久のリーダーとしての評価は難しいですね🙄🙄

    • @user-vv8jw1wl9b
      @user-vv8jw1wl9b Před 6 měsíci

      ​@@user-mq5gx3rh6y
      ハマって読んでましたよ
      確か最後は、伊達政宗が自身の四男を家光の養子にして家光死後に徳川将軍家を乗っ取るという形で天下統一したのかな

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Před 6 měsíci +3

    島津からすると毛利に梯子を外された形になってるのかな

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!そのあたりは義久の認識の甘さだったかもですね。

  • @user-kh6sf9hw6u
    @user-kh6sf9hw6u Před 6 měsíci +7

    国衆の家臣団まとめるには、武田信玄みたいに外敵作って、ひたすら戦争するしかないからな。まあ結果的に滅びちゃうけど。

    • @user-uj8qv8kb6h
      @user-uj8qv8kb6h Před 6 měsíci +2

      武田や島津みたいな鎌倉発祥の中世型大名はだいたいそんな感じ

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!結局そのやり方だといつか限界が来てしまいますよね。

    • @user-qz3go1ft3p
      @user-qz3go1ft3p Před 6 měsíci +2

      尼子家がまんまそうなってますよね

  • @user-np2qk4mu1p
    @user-np2qk4mu1p Před 6 měsíci +5

    世間的なイメージと全然ちゃう‼️
    島津四兄弟とか、島津家って家中一致団結して強国を作り上げたイメージだったけど、
    その実、まるで学級崩壊😅
    とは言え、義久も義久で、前線の空気感は全く違うんだから当主が視察に行くことの重要性も教えてくれますね。
    一方で、幕末鍋島藩はとても個性的だったのに、戦国の鍋島直茂のソツのないイメージ💦
    個性派武将が多過ぎるからでしょうね〜。
    実体が判るとイメージが全く変わりそうですね。

    • @user-uj8qv8kb6h
      @user-uj8qv8kb6h Před 6 měsíci +5

      それ言ったら“徳川史観“なんて実態はロクなもんじゃない…

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +2

      コメントありがとうございます!今に伝わる戦国武将のイメージは江戸時代以降に作られたものが多いですからね。

  • @user-mq5gx3rh6y
    @user-mq5gx3rh6y Před 6 měsíci +6

    もう動画冒頭の時点で毛利は秀吉と本気で事を構えるつもりはなかったでしょうし、正直義昭の扱いに困っていたんじゃないかと思います。ちなみに室町幕府滅亡のタイミングにはいろんな説がありますが、個人的には毛利が秀吉に従属した時点だと考えています。幕府が最後の力を振り絞って築いた大友包囲網が消滅してしまい、「幕府再興のために」義昭にできる事が完全に無くなってしまいましたので。
    ふと思ったのですが信長の野望で忠誠度とは別に従属度というパラメータを作って、この数値が低いとプレイヤー(大名)の命令に従わないことがある・・、なんてことしたらクソゲー扱いされますかね(笑)。

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Před 6 měsíci +3

      小牧長久手あたりはやる気を見せつつも秀吉との交渉を詰めて行ってる頃でしょうね

    • @user-ii9wu7fn7p
      @user-ii9wu7fn7p  Před 6 měsíci +3

      コメントありがとうございます!毛利としてはようやく将軍様の重荷から解放されてホッとしたかもですね🙄🙄
      ノブヤボでそんなパラメータができたらストレスが超溜まって台パンしそうです笑

    • @user-qz3go1ft3p
      @user-qz3go1ft3p Před 6 měsíci +2

      現実要素を大胆に導入する新機軸!

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 6 měsíci +2

    ただこの権力が分散した状況が
    当たり前だけど戦国大名のデフォ
    これに苦労した大名を挙げれば
    家督継承後の信長から上杉謙信
    毛利元就、勿論武田勝頼まで
    枚挙に暇ないくらい。この状態が
    我々が何となくイメージする
    殿と家臣が忠義で繋がる体制になるのは家綱綱吉期までかかり多くの大名家が移行期の内紛で改易の憂き目にあってる。同格国衆中最大勢力というのが所謂戦国大名でこれが
    幕藩体制下での将軍藩主家臣の上下関係に整理されるまではどの家も
    島津家的な混乱があった。