気鬱になってしまった武将ワースト5
Vložit
- čas přidán 26. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、
『気鬱になってしまった武将ワースト5』ついて紹介していこうと思います。
【目次】
0:00 オープニング
0:54 第5位 裏切りの背徳感から気鬱に?『小早川秀秋』
4:10 第4位 侘しい蟄居生活の中で気鬱になってしまう『真田昌幸』
8:16 第3位 相次ぐ身内の不幸から、晩年は廃人状態に『最上義光』
13:20 第2位 愛する嫡男の死が気鬱のきっかけとなる『長宗我部元親』
17:00 第1位 悪運に魅入られた天下人の末路『三好長慶』
~関連動画~
家康に嫌われた人物ワースト5
• 家康に嫌われた人物ワースト5
どうしてそうなった!? 偉大な父のダメ息子ワースト5
• どうしてそうなった!? 偉大な父のダメ息子ワ...
最弱武将ワースト5 戦国の愛すべきポンコツ武将たち
• 最弱武将ワースト5 戦国の愛すべきポンコツ武将たち
脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行 #歴史解説
▼チャンネル登録まだの方は登録お願いします!
/ @rekishi-jikkuri
~画像~
By 米田賢一, CC BY 3.0, commons.wikimedia.org/w/index... - Zábava
真田昌幸の哀しい晩節は
東日本大震災などの被災者が故郷を追われ
仮設住宅で心を壊してしまう事例と重なる。
郷土愛こそが強さの原動力だったんだろうな
現代も大変だけど生死が掛かっている戦国時代のストレスは半端なかったんだろうな
戦国大名のストレスは半端ないものだったでしょうね😅
真田昌幸ほどの偉大な武将も心折れるよね。信繁は悲しい最後だったけど、死ぬ前にでっかい花火を打ち上げられて満足だったんだろうな。運命の前には真田昌幸の知謀も無力だった。
昔の人は強いなぁと余っていたけど皆さん結構無理して生きてたんですね。やっぱ乱世は健康に悪い...
みんな息子を失って鬱発症してるけどそれを考えると家康は精神強かったんだな
息子失ったからって、別にみんな鬱発狂してないだろw 😅
普通に元気にすごした戦国大名の方が圧倒的に多いぞ👺
鬱発狂した人をここに集めただけでしょw😇
そうじゃなければ天下を取れなかったでしょうね。
親の愛に恵まれずに育ったから子に対する愛が無いんだろう
家康入れ替わり説が昔からある
@@user-dp2ie8fg5m 入れ替わり説で子供を作ってたと思ったら嫌な気分になってきた…
足利尊氏
朝敵にされてしまい鬱
長慶、元親、義光はいずれも大大名で、いいところで嫡男失って気鬱になって、重臣を抹殺してるところで共通してるな
そーゆー点で武田信玄、織田信長、尼子経久みたいな身内しんでも乗り越えれる系は強いですね
長宗我部元親は、長男の信親を失った後は確かに冷酷になったり、跡継ぎの選択を誤るなど人柄が変わってしまい、晩年はまるで生ける屍のように書かれてる本もあるが、晩年になっても元親は法を制定したり、城を移して城下町を整えて商業育成をはかったり、土佐名産の木材を全国に売り捌いて財政を豊かにするなど、国内の整備に力を入れている。必ずしもおかしくなった…とは言えない部分もあると思う。
それが、果たして元親本人が承認したり指示したりしたのでしょうか?
息子の盛親が動いてたという説は果たしてないのだろうか?
@@user-lb3nc2uw5o
盛親の年齢から考えて、最初の方は一時後継者候補になった元親の三男の兄あたりが父の補佐して進めていたのでは。
小早川秀秋は慶長の役の際に総大将として出陣し、自ら混戦の中で剣をとり奮戦したようです(自分の中の秀秋のイメージと違い驚きました)
しかし、その行いを聴いた秀吉は秀秋に対し、総大将としての資質なしとして叱責し帰国を命じたようです
この慶長の役の数年前に豊臣秀頼が生まれ、直後に豊臣秀次が切腹させられていることから、秀頼が生まれるまでは秀吉の養子だった自らの将来を秀次に重ねて恐ろしくなり、秀吉から必要な存在だと思われなければならないという強迫観念から功を焦ったのかもしれません
もしくは、既にこの時点で躁鬱の躁状態だったことから、総大将でありながら自らの命を失いかねない無茶な戦い方をしてしまったという可能性もあるかもしれませんね
駒姫が1年遅く生まれていれば、秀次の謀反?が1年早ければ、最上義光の人生も変わり、その後の日本史も変わっていた?
じっくり様投稿お疲れ様です!
小早川秀秋以外は皆賢く、謀将とすら言われる武将ばかりだな
やっぱり賢い人ほど鬱になりやすい説は本当なのだろうか?
と鬱になった過去を持つ馬鹿が言ってみる
自分が賢いみたいな物言いで草。
まあ実際賢いんだろうけど。
昌幸ほどの武将でも状況を見誤ると思うと事前に東軍に付いた武将は凄いんだな。
そんなものはただ運が良かっただけ。どっちが勝っても真田家は生き残る策を取った昌幸は凄い
東軍に味方した武将も命懸けで考えて選択した。それを運だけで片付けるのは、思考の停止以外の何物でもない。
昌幸は確かに凄いが、今回のように見誤ることは人間だからある。
私は、そういうところも含めて昌幸が好きだ。
表記比興はあなどれない。くせ者の意味て研究が進んだのでは?まあ、兎にも角にも昌幸公がはあなどれない。真田が生きたので!
光秀も鬱になったノイローゼ説ありましたね
でも光秀程の武将がうつになってたとしてもどーしても無計画で謀反を起こすとは思えません!
でも史実として根回し無しの無計画で一部家臣にだけ打ち明けて実行しているし、結果として近隣の余力衆の協力も得られなかったしね。やはり京に同時に信長と信忠が僅かな手勢でいたことが絶好の機会だったので突発的にやってしまった説が有力だと思いますがね。
そこに闇を感じる
細川達が直前で裏切った可能性の方が高そう
光秀が根回しなしに起こすとは考えにくい
「あ~あ。休みたいなぁ。会長、中途入社でも出世させてくれたけど、ひとつ仕事終わったら、次の仕事のハードル上げよるしなぁ。あれ?今会長・・・手薄やんけ。会長おらんなったら、ワシ休めるかな?」との明智光秀鬱病説。
武将じゃないけど淀殿も酷かったそうですね。
まあ3英雄相手じゃ無理もないだろうけど
鍋島直茂の主筋にあたる竜造寺家の高房が出ないかな~って
見てたけどやっぱり出なかった。
ちょっとマイナーだもんね~。
うつ病治療中なんだけど、「ワースト」って言われると、改めて、ワイ、ワースなんやな、ってなるな。
めんどくさい奴
コメントくらい元気でいろよ
鬱でも頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ!!
最上義光、真田昌幸は以外すぎる
晩年おかしくなったであろう人物
直江山城守 本多政重を養子にしようとしたことに尽きる。山城守には実子がいたが夭折してしまい本荘繁長の子、長房を養子にしていたが、当時前田利長の家臣であった政重を養子にしようとしたのだ。このことに小国実頼(山城守の実弟。尚、小国家は置賜郡小国城主だが、のちに「大国」に改姓する)がキレたのだ。しかも、自分の娘が政重の女にされ、山城守の家臣が迎えに来た際、その家臣2名は実頼に○害され、実頼は米沢藩を蓄電している。
その後、その実頼の娘、本荘房長、直江家家臣等大勢加賀藩に移っている
明智日向守は織田信長のパワハラにより、うつ病やったかもしれない。
あと、最も有名なのは、幕末最後の将軍徳川慶喜。
鳥羽伏見の戦いで、薩摩長州が天皇の家紋をつけて出陣した官軍なった姿に恐れ、鬱病になり家臣を見捨てて江戸に逃げ帰り、そのまま寛永寺に蟄居。
このベスト5さえ超える人物がまだいる。
稲葉紀通。
残念ながら戦国武将ではないんだよね。
明智光秀も入れてほしかった。どうみても、本能寺の変は光秀らしくない不合理な謀反。鬱になってしまったとすれば、すべて理解できる。
鬱だと謀反とかそんな気力起きないから統合失調症では?
戦国時代なんて全員ストレスあるだろ(笑)
そうでもないかな?
ちょうど今日、地政学者の奥山氏が自身のチャンネルで「戦争のゲーム性」という題で、戦争が楽しいという心理を表していますが、
戦国の武将もそのストレスが楽しむインセンティブにしていた人物も多々存在したのでは?
命をかけてるから信長の野望とは全然違うよ@@user-ct1wl9vo5p
@@user-ct1wl9vo5p
ゲームと現実は全然違うでしょw
@@user-yv3ut1fg3n
そこが違うんだよ。
イギリスの狐狩や日本の鷹狩りなんかを引き合いにそうした貴族・武士のシュミレーションが戦争とリンクするってな。
あと、私見だが、中世・近世までの貴族の戦争とナポレオン戦争以降の市民による国民国家間での戦争の価値観は違うし、また二度の世界大戦の前後でもその市民の戦争というものの価値観が違うかと。
キミみたいにゲームによる高揚が戦場に於ける高揚とは別物だと考えるのは、この時代の大多数の価値観であり別の時代は別の価値観だった訳でな。
逆にソノ時代の為政者でも戦いをストレスにする者は当然居ただろうしね。
森、水野ぐらい振り切ってる奴はそうだろうけど、まともな感性してたらストレスはあるやろ