【ゆっくり解説】 高句麗VS隋王朝 高句麗と大帝国との全面戦争[後編㊤] 【高句麗 隋】
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- čas přidán 11. 04. 2023
- 中国を約250年ぶりに統一した隋王朝による四度にわたる高句麗への侵攻や高句麗救国の英雄の活躍などについて語ります。
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シリーズ高句麗史
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戦争と外交を操る高句麗の戦略が面白いですね。
戦争に勝ちつつ降伏し、かつ相手の国内情勢をにらみながら降伏の条件を反故にする、という超大国と渡り合う小国の狡猾さが最高です。
おおおお。いいぞーいいぞー。隋だけの回と唐の回に分けてくれて嬉しい。
なんならもっと続いてもいいくらい。なんで私はこんなに高句麗の話で発奮するんだろう。わからんっ。
(なんかアウトなコメ返がついたようなので文言を変えました)
僕も大学で高句麗史専攻しようとしたけど、歴史資料が少なくて諦めた口です
なんというか…首都や遺構がありそうな場所が、将軍様の国の領土なもので…
それでもここまで、きれいに纏めた動画出していただいて感動ものです。
高句麗の後は、そのまま渤海動画かなw(無茶ぶり)
書籍「渤海国の謎」は必須。
例えて言うなら隋が前秦で、高句麗が東晋かな?しすいの戦いを連想します!
将軍様の国にあっただろう史跡は、特に平壌は、完全に破壊されたと考えた方が良いでしょうね…😭
しかし、金将軍家が滅んでから発掘調査したら、高句麗どころか恐らく楽浪郡の痕跡も見つかり、東洋史が大いに活気付くでしょう。
そういや金将軍と淵蓋蘇文は容姿が似てるかも‼️😮
高句麗の動画面白いので、どんだけ引き伸ばしても飽きずに観れます
隋建国前の570年に高句麗から日本に初めての国書が送られます。この頃から外交方針の転換を図ってたようです。日本側は、高句麗の国書を解読できず、百済系渡来人の王辰爾に解読させますが、彼は交渉を遅延させます。百済と高句麗間の和平がまだ成立してなかったからですね。595年には、仏僧・外交官の恵慈が来日して聖徳太子の師となります。
隋の第1回高句麗遠征時は、百済は隋側で参戦してます。が、隋の敗北を見て百済も加わり、日・高・百三国同盟が成立します。
送り返すのメンドくさいから使者を海に突き落とす倭国マジ蛮族。
高句麗の国書は烏の羽に書かれてなどと日本書紀にはありますが西晋の時に文体が確立した当時最新の四六駢儷体で書かれてて、当時の大和朝廷の古くからの史は漢代の文体に慣れてて四六駢儷体には馴染みが少なくうまく読みこなせなかった所、新来の渡来人の王辰璽は読みこなせたといったところでしょう。その後、敏達天皇と蘇我稲目は最新の文体の漢文を読める様、実務の役に立つ漢文学習をしろと他の史に命じたというわけです。
その当時は日本ではなく倭国です。
後編上は斬新で草
愛を感じる
後編を2回に分けるとは…高句麗の持久戦は凄いな…
相変わらず画像のセンスが凄い
数百万人の大軍ってだけで、補給が途切れるのは明らかなのに、ミスった同じ作戦を3回も繰り返すって、隋の将軍たち大丈夫か?
まあ率いてる皇帝があんなですから。
@@FREEDOM-vv3wu
まあ、確かによーだいですからね。。
中華史の百万は負けフラグ
@@user-lr3io3yq2x
百万人の大軍をドヤ顔で動かしたところは、どの国でも負けですわww
実際には八割くらいは物資輸送、補給路の治安維持、その他非戦闘任務で、戦闘員はたいしていなかっただろうなあ
「高句麗の平壌(へいじょう)」と聞くといつもの中国史のようですが、よく考えたら平壌ってピョンヤンですもんね。キムさん一家の住んでるあたりにそんな歴史があったと思うとまた面白いです。
平壌には、英雄タングンの巨大な墓があるとかなんとか。
@@FREEDOM-vv3wu そもそも大昔の朝鮮の首都は王倹城という名称の平壌だったからな〜‼️😁👍
乙支文徳はどこから来たのか?
乙支文徳は何者か?
乙支文徳はどこへ行くのか?
動画投稿おつかれさまです
魔理沙には高句麗の滅びを語ると言ったら語る「凄み」がある
隋の猛攻を退けたと思ったら、次は最強の皇帝と最恐の女帝か
高句麗のこの粘り阪神打線も見習って欲しいですね、煬帝にとっては完全試合だと思っていたらピッチャー交代→岡本選手初級アーチ並の驚愕だったでしょう。今日の巨人阪神戦から書かせてもらいました。
今年に入ってから、鳥皇帝陛下の茶番の部分がめっちゃパワーアップしている様な気がします!
毎回霊夢の言いまわし方とかが独特で可愛いですよね(笑)
落ち着いたら、センちゃんとかオカくんの出番もお願いします( ^ω^)
嬰陽王、かなり有能な国王だったんですね!
高句麗遠征はどうしても隋側の視点で見てしまうことが多く、嬰陽王の名すら知らなかったけれど、かなり魅力的な英雄だったんですね😉
日本でももっと知名度が上がってほしい!
本当に学びが深いよいチャンネルです。
すごいな、随を相手にこれ程頑張るとは。
モンゴルを打ち払った鎌倉武士も凄いけど、高句麗のほうが余程凄い気がする。
更なる大国を相手に高句麗がどう戦うのか、高句麗の歴史から目が離せないな。
次は4話通しで見なきゃ。
嬰陽王が曲者すぎる…大国を散々に翻弄する小国の王ってキャラ立ってていいね
山ばかりの地形で、攻めるのが難しい朝鮮半島。近代兵器が揃った朝鮮戦争でも、戦車部隊が大苦戦していましたね。
乙支文徳の薩水での勝利、凄いですね。孫子の「兵とは詭道なり。兵者詭道也。」の言葉を連想しますね。戦いは正攻法もあるが、騙し合いの部分もあるのだと、孫子なりの戦いの本質を説いたものの様ですね。残念なのは、高句麗と隋で講和を結ぶタイミングや機会が見出せなかった事ですね。お話し面白かったです。
次の栄留王で次の唐と和平するんですが、淵蓋蘇文のクーデターに遭ってしまいます。
隋の侵攻中も背後の百済や新羅が何してくるか分からないし
こんな綱渡りみたいな状況でよく持ち堪えましたね…
この間、日本と交渉してました。
国内に引き込んでボコった上で詫びを入れる高句麗。陳朝などベトナムの王朝も似たようなことしてて面白いですなあ。
新羅も唐と組んで百済と高句麗を滅ぼした後に朝鮮半島に進駐してきた唐軍を散々に打ち破った後に侘びを入れて唐の面子を保った上で朝鮮半島の統一という実を得ています。
まず先攻したのは高句麗が先に遼西地域の臨淮館を攻撃し、水門制の高句麗侵攻は臨淮館から出発すべきだったが、あらかじめ高句麗軍が焦土化させてその後方から出陣させた。
第1次戦闘で隋軍30万中80~90%が全滅して退却し、再び内部を整理した後、602年にベトナム遠征をしてベトナムのリー王朝2代国王を捕らえて殺し、ベトナムを占領した後、604年に隋文帝が死んで隋の王が即位した。 この時、修養帝時代は唐の太宗~唐の高宗時代より隋の最全盛期時代の虎口首を跳び越えることができなかったが、修文帝時代に追いついたのが唐の顕宗時代であることを勘案すれば高句麗と戦争して完全に殺されたのが事実だ。
合わせて1,133,800人だが、2,000,000人とも称し、兵糧を運ぶ者はその船となった。 南側の上建守家では土地の神[社]に祭祀を行い、臨朔宮の南側では上帝に祭祀を行い、桂城の北側では馬祖に祭祀を行った。 皇帝が自ら指揮官を任命したが、各軍上将·牙将1人を置いた。 騎兵は40代(隊)だったが、馬ごとに100人がいて、10代は1段(團)になった。 歩兵は80台だったが、4段に分け、段ごとに各編長(偏)1人がいた。 その鎧·兜·英仏(纓拂)の旗は段ごとに色が異なる。 毎日1軍ずつ送り、互いの距離は40里であり、陣営を相次いで漸進的に進むと、ついに40日ぶりに出発することが全てだった。 先頭と後尾が続き、太鼓と笛の音が聞こえ、旗が960里に伸びた。 御影(御營)の中は12位(衛)3代(大)5城(城)9時(寺)を合わせて内·外·前·後·右の6郡に分けて配属させ順に出発すると再び80里に延びていた。 それほど遠くない頃に軍隊出征の盛大さがこのようなことはなかった。
『三国史記』巻20「英陽王本紀23年」
第2、3次戦闘が失敗し、第4次戦闘を準備していたところ暗殺され、戦争は終わった。
無向遼東浪死歌
長白山頭知世郎 純著紅羅錦背襠
橫槊侵天半, 輪刀耀日光。
上山吃獐鹿, 下山食牛羊。
忽聞官軍至, 提劍向前蕩。
譬如遼東豕, 斬頭何所傷。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、感謝の念に堪えません……!!
いつも励みになりまくりです!!!!
戦争と講和とを使い分ける高句麗の巧みな外交術。隋の疲弊を利用しその大軍を撃退し、勝利を手にしてしまう。明晰かつ狡猾な頭脳と策略がなければ不可能なこと。ところでこのときに出現した謎の英雄乙支文徳が未だ謎の存在なのが個人的にも興味深い。
Thanks!
いつもご支援いただき、まこと感謝感激です!
今後も一層奮励努力して参りますので、ご期待ください!
17:47 羅生門で草
高句麗の粘り強さは21世紀でも健在だったとは…………次回本当の最終回お待ちしております
面白い!
タイトルが「後編㊤」に🤔
ということは「後編㊦」も期待できそう。
それだけ話を深掘りしてくださっているということ。これは楽しみです😊
…いや、これは後編㊥がある予感!
まってた
今回も動画を閲覧した者です。
今回は【高句麗 後編【上】】なんですね。
隋の戦い方を見ると、他の方も話しているように、杜撰さを感じました。
補給線が伸びたら負けるということは、今昔を問わず、戦術の基本原則ですし、兵力を分散して攻めをバラバラにするところも同様です。
煬帝は父のやり方を見て、戦略・戦術の見直しをしていないなあと感じましたし、太平洋戦争のガダルカナルの戦いを見ているようでしたので、時代は変わらないなあとも感じました。
自分だったら、国境線近くに本拠地を立てて、兵士の疲労を回復・戦える状態にし、時を合わせて、一気に攻める。その際には戦術を練り上げることも忘れずに。
結局、隋の戦いはガダルカナルの戦いと同じ結果となりましたが、次の唐王朝はどう攻めるのか。
また疲弊した高句麗は、どう対処して滅びの道に進むのか。
次回の動画が楽しみになってきました。
投稿者さんにおかれましては、あまり無理はせずに、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
滅亡回後編上という部分に中々最後を締め括れない進撃の巨人みを感じました😂
むかし田中芳樹にはまってて風よ万里を翔けよというこの時代を書いた小説が大好きだった
やっぱり後編は2話になったか。終わらないと思ってた。
自分も中学からじじのいいトシまで長年資治通鑑を読んで色んな解読をホビーとして研究したけど高句麗の鮮卑助っ人みたいな武勇伝は本当にスルーしたアセアセ😅ここでもう一回自分のバカを見直すべき!いつも楽しい動画を作ってフリーに出してくれてありがとう!台北からスーパーサンキューす!!❤
おもしろい。次早く。
朝貢関係の第一歩
田中芳樹 風よ万里を駆けよにを読みました
まさか後編一本で終わらないとは(後編と言ったが、一本で終わるとは言ってない系の中国史にままあるパターン)、長寿王もびっくりの長寿連載に有終の美を飾るであろう滅亡の姿も楽しみ
高句麗と唐のバトル。楽しみに待ってます。
ウルチムンドク、ヨンゲソムン、ヤン・マンチュン。隋や唐の軍を苦しめた❗高句麗の名将は興味深いですね‼️
高句麗シリーズ凄いボリュームになってますが、高句麗の歴史は面白いですね
やっぱり、3回で終わらんかったかぁ~
……いつもの事だから、わかってた。
後編2はヨンゲソムン、わずかだと思うけどテ・ジョオンも
登場したりして
20世紀に書かれた朝鮮史書には、親の乞乞仲象が隋の第2回遠征時に活躍したとか書かれてますが証拠はないです。大祚栄の子孫は、韓国にいます。峡渓太(テ)氏がそうです。
「朕は海を干上がらせ~」は言われた方はたまったものではないがなんかカッコいい。有名な土木皇帝は本気でそう思っていたんだろうな
次回、何事も無かったかのように、後編🈭ってなってそう😚
朝鮮半島は地形が強すぎる。色んな時代で補給問題にぶち当たってる。
全盛期のモンゴル帝国軍相手にすら本土決戦でしばらく耐えてますもんね。防御特化の地
@@q.7546 遥かに技術が発展した現代戦の朝鮮戦争ですら補給問題を解決できませんでしたからね。そりゃあ中世、古代の軍隊じゃ無理ですよね。
군대를 다녀온 한국인으로서 말씀드리자면
아주 깊이 공감합니다....
嬰陽王なかなか老獪ですね。隋の足元をよく見てる。
乙支文徳は中学生時代に雑誌・ラジオの製作でラジオ韓国(現KBS WORLD RADIO)の日本語放送アナウンサー・鄭英子さんのコラムで初めて知りました。蜃気楼のように現れ消えていった…。
なんか、我らがローマ帝国vs.第一次ブルガリア帝国を思わせる怒涛の長期戦だなぁ
次回こそブルガリア帝国でいうサムイル的存在こと淵蓋蘇文を解説してクレディオンの戦い
上手い!対オスマン十字軍の為に目潰し捕虜送ってやるよ^_^
煬帝、もはやギャンブラーになっとる・・・
ここまで注ぎ込んだんだから、勝って元を取らないと意味がない的な?
ゆっくり歴史解説あるある 後編の前編的なやつ
高句麗面白いので何回になっても大丈夫だぜ
もしも隋が高句麗を討伐しなければ、韓半島はどうなっていたでしょうか?
隋による討伐で国力が消耗していなければ、高句麗が韓半島も統一したように思います。
ただ内部分裂で、高句麗の統一状態は長く続かなかったかも知れませんが。
次回高句麗滅亡後編(中)楽しみにしています。
百済、新羅、任那(韓国が絶対に認めたがらない)を含む倭国の動向も楽しみです。
任那って外交拠点みたいなものだと思う
遜って罪臣は聞いたことあったけど糞土臣は草枯れる
マッカーサーも朝鮮戦争の時、上手く海から上陸してましたね
仁川上陸には、旧日本軍が関わってますよ
次は絶対に滅びる!と見せかけて後編㊥だったりして笑
後編…①!?
次回は絶対に高句麗が滅ぶので「後編㊤」にしてみました^^
隋はもちろん騎馬隊が主戦力なんだけど、陳を滅ぼした水軍も強力でした。結果論だけど水軍主体で攻めていれば高句麗は滅んでいたでしょうね。
(ネタバレだけど)李世民も騎馬隊で攻めて惨敗するのでこれは騎馬民族国家の宿命でしょう。
アケメネス朝ペルシャも、騎馬民族である都合海軍はフェニキアなど海洋に長けた民族に依存していましたね。対してペルシャに攻めたアレキサンダー大王はアテネがいても油断せず、逆にフェニキアをペルシャから引き離す(または海岸を制圧など)作戦でペルシャから海軍力を奪いましたね。
そうでしょうか?
水軍による侵攻で平壌が陥落しても、高句麗は抵抗を続けたでしょう。
高句麗の領土の広さと住民の少なさを考えると
水軍を主体にしていても補給の困難さは付きまとう問題だと思います。
ローマのカエサルが八年かけてガリアを平定したように
補給の問題を軽減するために、少数精鋭の戦力を率いて
戦勝した地域の有力者を自国に取り込んでいく方法でなければ
高句麗を攻め滅ぼすのは難しかったのではないでしょうか?
全くもってそのとおりで、年表上の高句麗滅亡は668年ですが実際にはその後も15年くらい復興運動は続いています。
そして最終的に有力者を取り込めなかったから、渤海国(698-926)として復活するわけですね。
ただ補給に関して言えば水路が圧倒的に有利です。
水路は遼東半島上陸後、海岸に沿って直接平壌を狙えます。
対して陸路は山海関~営州~遼東城と大回りを強いられる上に、いくつもの大河で阻まれてしまいます。
じゃあ、なぜ水路にしなかったのか?
これは推測ですが、軍部の中心が馬に乗ることを誇りとする鮮卑族だから。水軍中心だと彼らの出番はありません。
楊堅も煬帝も李世民も軍部の意向を無視できなかったのです。
@@shou-sho さん
ご丁寧な解説をありがとうございます😊
民族のアイデンティティは、強さにも弱みにもなる諸刃の剣ですね。
(´・ω・`)隋唐王朝絶対高句麗殺すマンになってしまった
次回の解説が楽しみε=ヾ( ・∀・)ノ
王が!降るまでッ!
攻めるのをやめないッッッ!
エリツィンってヨーロッパぽく無い名前だなって思っていたけれど…突厥系の名前だったのか…
エリツィン姓は、地名のエレツに基づくのですが、フィン・ウゴル語が語源のようです。
エリツィンていうと、どうしてもロシア連邦の初代大統領思い出す
今が後編㊤ということは、次が後編㊥で、その次が後編㊦(前編)→後編㊦(後編) になるはず
後編・上の次は、後編・下だと思うじゃん?
いざとなれば、後編・中って手も残されてる!次回の高句麗の時間で、李世民や李勣が時間たっぷり大暴れしてくれても大丈夫って訳よ!
実は中国歴代王朝(元清を除く)って、
中国の支配領域の限界を知っていたようで、先制攻撃など積極的な侵略戦争は少なかったように感じる。宇宙から見える唯一の人工物の長城も防衛のために作った
万里の長城が宇宙から見える唯一の人工物というのはガセですよ。いくら長くても幅はせいぜい10メートルですから。長城が見えるならピラミッドだって都庁だって見えないといけません。
逆にアレキサンダー大王みたいに限界を知らない、知ろうとしない人もいましたけどね(インドまで行ったが兵にこれ以上の進軍を拒否され引き返した)。
いえ、地図を見比べれば明らかですが、秦→漢→唐と領域は確実に広がっています。
中国王朝は儒教の国だから戦争の理由付けをちゃんとやってるだけのことです。(それが偉いんですが)
長城も別に宇宙から肉眼では幅が狭すぎて普通に見えないし、レンズで拡大するんなら今の偵察衛星なら解像度30センチよりもいい(一説では10センチぐらいまでの物体形状を認識?)から屋外構造物ならその辺の体育倉庫でも犬小屋でも結構見えるっぽいらしいですよー
高句麗の粘り強さは異常…。統一中華帝国である隋による侵攻を4回も撥ね退けるなんて…。(先制攻撃を仕掛けてきたのは高句麗の方だけど、先制攻撃せずとも隋の方が何か因縁付けてきて攻めてくるだろうから、隋と高句麗間で戦争が起きるのは時間の問題だと思う。)そして、最後は煬帝が高句麗討伐にムキになってしまったせいで、隋が疲弊して自滅する形で助かるという…。
まあ、水陸両方の軍の連携は通信技術の発達した現代ならともかく、古代ではほぼ不可能でしょうね…。それに新羅や百済とも連携すればワンチャンあったかもしれないのに、それすらしなかったところを見ると、文帝はともかく、煬帝は隋単独で高句麗を制圧する事に固執した事も隋が敗北した原因かもしれませんね。(唐はこの事を知ってか高句麗侵攻時は新羅と連携していたし。そして、その煽りで日本の同盟国百済が滅ぼされてしまったため、日本は当時持っていた朝鮮半島の権益を完全に失う事に…。)
韓国と日本が学ぶ歴史が本当に全く違うということをここで悟った。 韓国では韓半島から日本に文明を伝播し、中国の文化や仏教など多くのことを伝えたと学び、百済と日本の間で友好的な関係だったと学んだが、日本では日本が韓半島で利益を得たと学ぶんだ。 韓国で学ぶ古代史(扶余、伽耶などを含む)で日本よりは中国に関することをたくさん学んで実際侵略もたくさん受けたりもして、日本に関することは海賊が多いようだ。
高句麗って半島諸国の中で唯一倭国時代の日本が勝てなかった国だっけ
絶対王者の隋と唐の侵攻を7回受けるのはきついなぁ。
特に唐は、周辺国もだいたい平らげていた気がするし。
なかなか強かったのか、侵攻軍(上層じゃなくて末端)がやる気なかったとか?
高句麗って朝鮮じゃなくね?扶余とか独立国じゃね?
中国は周辺異民族に弱いみたいな風潮あるけど戦って得るものが薄い旨味無い敵相手に士気は上がらんわな😫
8:11 ここからの怒涛の糞土臣連呼に笑いました😂
嬰陽王の必死さが伝わってきますね。
後編㊤である時点で滅亡まで行かないのはわかってました!😂
隋唐も高句麗攻めるんじゃなくて勝手に中句麗に改称するくらいにしとけばよかったのに
隋も少しずつ高句麗の領土を削って行けばよかったのではないだろうか。
あと旅順辺りへの攻撃をもっと早くしていれば。
後編の上…🤔
上中下🤔
平原王イイね!
煬帝怒る!~高句麗編~
隋の高句麗遠征に、もしも倭国が協力していたら…と考えましたが、メリットが何も無いんですよね。
任那の旧領回復にしても現実味が無く、新羅と揉めるだけなので隋倭同盟は最初から有り得ないですね。
そうした点を考慮しても、煬帝の思惑は外れたと言えます。
そもそも日出ずる国の馬小屋の王子様があんたの国は斜陽でっせwとケンカを売ってので手を組むはありえないと思う
現代もそうですが、朝鮮半島が中華王朝と異なる勢力であること自体がとてつもないメリットなので。
新羅とはずっと揉めてるので今さらな気がします。
次回『鳥人間氏ついに高句麗を亡ぼす』w
蔚遅氏は驚く事なかれ、月氏族なんです。僕の北京語の先生が蔚遅姓でした。
蔚遅氏のルーツも面白いので書いておくと、ホータン王国にいたスキタイ人です。そこの部族長は、Vi-ca(勝利者)と呼ばれ、北魏に服属した時に音写で「蔚遅」が当てられました。孝文帝に従い中原に移動し、一般には鮮卑族と扱われてます。北魏から唐代にかけて、多数の将軍の名が見えます。現代まで続いてますね。
後編上ってw
まぁ内容の濃さを考えたら仕方ないよね。
スパーサンクス ! !
スパーサンクス!本当にありがとうございます!!
最後までご覧いただき、スパー嬉しいです!
第二回であれだけの大功をあげながら、三回目にはいない高句麗の闇
普通に考えたら粛清されてるよな
烏巣も方便ですね
糞土臣率いる高句麗の完勝🤣🤣🤣
私も仕事でミスったら「私は糞土臣お許しください」と言おうかな
まず煬帝がムキになりすぎと感じた。そこに付け込んだ高句麗の運と頭脳と忍耐の勝利だな。
始皇帝や武帝以上に短気?
一食2合(150g×2)食べるとして1日1kg。兵1万人あたり、1kg×1万=10,000kg=10t
兵一万は一日10トンも消費するから(他に飲料水や薪も必要)、兵10万人だと一日100トン❗も必要で、当時は補給もままならなかっただろう
なななんと「後編『上』」って🤣
暴君煬帝を打ち倒すだけでなく名君文帝や李世民をも打ち負かすのはどちらかというと高句麗の優秀平凡関係なしに土地が守りにかなり適していたからですね...
煬帝くんそんなに出兵するから処刑されちゃうんだよ...
???「高句麗は 滅びぬ 何度でも跳ね返してやる」(cv.寺田農)
後高句麗こと高麗もけっこうしぶとく戦いましたな。
なおその後…
次回は後編(中)だったりして。
女真族って高句麗の中にいたのかな?この後、金を建国するくらいだし高句麗の中でどんなポジションだったんだろ?
高句麗遠征をしなければ良かったものをねー、なにせ遠すぎますよ
11:30 これは認めません。中国でも日本でも韓国でも古代歴史書は不思議な点が多く信じがたい部分が多いですが、隋の遠征に記録されたものは正確に編制まで表示されています。 10分の1というのは理解できない数値です。
電話も無い時代に水陸軍の攻撃タイミングを合わせるってどうやってやるつもりだったんだ隋軍よ
後編の上とはおそれいります。
最後、よつばチャンネルみたいな終わり方になったなあ、しかたないね。
そして次回はジョテーイ!
ソフィアちゃんは、違う方が上げてますよ。
@@FREEDOM-vv3wu 俺の(以下略)ですね!
@@FREEDOM-vv3wu サムネでかかってこんかい!って言ってましたねw
한국의 역사에 관심을 가져주시니 기쁩니다😊
「2003年の動画投稿者まで打ち負かしてゆくなんて!」
うーん、気象や地形も考えずに戦争を仕掛けるか、ロシアの方見ながら、普通国が亡びるよなぁ、ロシアさん瘦せ我慢しなくてもいいんやでと、思いつつ、次回作に期待!
女、子どもを動員した大運河の建設と高句麗遠征って無茶だよ🤔ヨーダイさん。
それでも必要な事業だったから...
その後の李世民も運河フル活用して高句麗討ってるし...
ただ、同時にしようとしたのがダメなのであって、していることは理にかなっているんだよね。特に運河。
詳しくは某wikiの煬帝の項目を参照されたし
@@sorato0327 あの大運河の事業で唐や北宋が豊かになったと昔世界史Bで習った😃
@@heiho_ita そうそう。中国が大国になるには、必ずしなければならないことだった。そういう意味では煬帝ありがとう(by唐太宗
ってところだね
あれは烏巣だと!そこさえ突ければ…
思い出した、任那や百済が中国の髄【骨までしゃぶる】】の援軍で高句麗に負けたんだよね。--百済が任那に援軍頼んで、、ハクスキエの戦いで負けてとんずらしたので、案外全員日本に逃げてきたかもね。