テニス名鑑 ジョン・マッケンロー 【ボレーの天才】
Vložit
- čas přidán 22. 02. 2019
- ジョン・マッケンローはドイツ出身でアメリカ国籍のプロテニスプレーヤー。天才と称される反面、マナーの悪さ等から悪童とも称された。現代のテニス人気に大きく影響を与えたのは言うまでもなく1980/7/5のウィンブルドン決勝である、この決勝は男子テニス史上最高の名勝負として今でも語られている。
マッケンローの強さはその圧倒的なテクニックだ、現代テニスの父ボルグをして「彼はコートのあらゆる所にあらゆる球種を打ち分ける」とあるようにテニス史上最高と言われたマジックリスト、その卓越した技術は芸術物と謳われ【芸術家マッケンロー】と言われた。
芸術ボレー
マッケンローのプレーは特にグラスコートで光る。と言うのもマッケンロー独特のフォームから放たれるスライスサーブは相手の膝下にバウンドする程の回転があり滑る。それと同時に前に出てボレーをするのだがこのボレーが正しく芸術、コートボールギリギリにボレーしたり手首を捻って逆サイドに落とす等した。特にドロップショットは彼の必殺技でもあり決まったときは5㎝以下のバウンドだった。
マッケンローの特筆すべき点はただでさえ打ち辛いウッドラケットでガットを35ポンド以下に張っているのにも関わらずあれだけのテクニックは正しく天才である。
マッケンローの身体の柔軟性と、そこからあふれ出るパワーは本当に魅力的なショットを連発して、めちゃくちゃ魅了されていました。僕の中で最強のテニスプレーヤーですね。
言えてる
打点が、普通のプレーヤーよりも体に近い。エドバーグやシュテフィーグラフに打ち方が近い。ただ、グラフやエドバーグはグリップをしっかり握ってたけど、マッケンローははじっこを緩く握って打ってた。
プロ野球は金属バットを導入しませんでしたよね。それ同様にテニスはウッドラケットのレギュラーサイズのみ。この規制をしていたら今頃どんなテニスが展開されてたんだろうか
最後のダブルスはまだツアープロがデ杯に本気だった時代のアメリカ黄金期のやつですね。トップテンプレーヤーのチャンやGSでダブルス優勝のダブルススペシャリストですら補欠扱いだったまさにテニス版『ドリームチーム』。その中でマッケンローは選手としてピークは過ぎていたものの、ここぞとばかりに鬼神のごとき大活躍だった決勝戦ですね。
対戦国スイスのラセク&ロセは急造でなくその年のGSも取っているペア。それに対しダブルス苦手のサンプラスとの急造ペアなのに、さすが次元の違う天才。
詳しい説明に感謝です!! ダブルスのあまりの凄さに口が空いて固まってしまいました
マッケンローのボレーの巧みさはダブルスでは圧倒的。
ベースラインから一歩も下がらないストローク
自由自在な打点が可能にするフェデラーと同じかそれよりも攻撃的な位置どり
現代でも余裕で通用するな
流石未だ破られない年間最高勝率を持つ男
serious genius
ボレーもだけど、ストロークが特徴ありすぎて・・
1984年の映像で最初に戦っている相手はスウェーデンのアンダース・ヤリード選手。エドバーグ、ビランデルらと共にスウェーデンの黄金期を支えた一人でダブルスの名手でもある。シングルスは5位が最高だがダブルスではチャンピオンペアをエドバーグと組んでいた。1984年デビスカップで当時無敗を誇っていたマッケンロー・Pフレミング組に勝ち連勝記録を止めた。2人目が同じくスウェーデンのマッツ・ビランデル。3人目は米国ジミー・コナーズ。レジェンド選手なので知ってる人は多いと思う。
トスの上げ方で、ヤリードだって分かりました。
マッケンローについては、天才としか言いようがない
打ち方理解不能
今のラケットが当時もしあったら
それがフェデラーだと思います😉
マケロー
マッケンロー=ボレーのイメージが強いが、全盛期の頃はストロークも強かった🤓
コンチネンタルのワングリップなんですよね
ダンロップのウッドラケット (^^♪
MAX200G使い→マッケンローとグラフ
∴凄すぎて参考にならない人の道具(野球でいうなら落合)