【ゆっくり歴史解説】燕の滅亡「太子丹と荊軻の暗躍」

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  • čas přidán 22. 08. 2024
  • 燕の滅亡を題材にしたゆっくり解説動画です。
    燕は西周時代の初期よりあった国ですが、
    辺境の地にあり西周時代、春秋時代と分かっている事は少ないです。
    戦国時代になると斉により国内は荒廃し滅亡寸前となりますが、
    燕の昭王と楽毅が国を立て直し、合従軍を率いて斉をほぼ壊滅させています。
    ただし、燕の昭王が亡くなると楽毅も燕を去り趙に行き、
    燕は弱体化していきます。
    燕王喜の時代は、太子丹が荊軻を養い暗躍しますが、
    最後は秦により滅ぼされています。
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Komentáře • 49

  • @user-qx8co4ur7p
    @user-qx8co4ur7p Před 3 lety +41

    世界史の教師が最近、
    『その時の様子を見てみましょうか』
    って言って1人寸劇を始めるんだけど、絶対このチャンネル見てると思うんだよね…

  • @user-zx5mw9po9i
    @user-zx5mw9po9i Před 3 lety +10

    最初からゆっくりなのに、「ゆっくりになるのだー」で吹いたwww

  • @thor0610102
    @thor0610102 Před 3 lety +4

    このエピソードを見る度に田光、荊柯、秦舞陽の義侠の人達と太子丹が価値観の共有ができないのが哀しい。
    もし太子丹が彼等と価値観を共有できていれば田光が死ぬことはなかったし、荊柯も待ち人と合流でき、暗殺を成功させていたかもしれませんね。

  • @urarakamome
    @urarakamome Před 3 lety +1

    田光先生の件、どこかで見たなぁと思ったら、れーしチャンネルさんの動画でそのエピソードを取り上げてらっしゃってましたね。

  • @tfujisaki72jp
    @tfujisaki72jp Před 3 lety +2

    燕については長い間残っていたのに、本当に不明な点が多いですね。

  • @t333game
    @t333game Před 3 lety +1

    鶏の鳴き声は別のネタをそのまま持ってきているのだろうけど、どこかのゲーム実況でそれは別のネタと言っていたがちゃんとネタがあったんだなぁと

  • @KOUMORIish
    @KOUMORIish Před 3 lety +6

    漫画『天竺熱風録』のあとがきで伊藤勢は「中国史書において数字の誇張は文飾のうち」と言っているので、彼の言っていることが事実なら数字はあまり鵜呑みにしない方がいいでしょう。同時に有能な為政者の条件が上がってきた報告書の数字を見て実態に近い数字を想像出来るか、それが出来る側近がいることだろう。

  • @NT-iv9os
    @NT-iv9os Před 3 lety +5

    いくら剣術に秀でていても、刺客とは全く違うという事ですね😅💦
    ただ今回紹介されてはいませんでしたが、荊軻が旅立つ時に詠んだとされる「風蕭々として易水寒し。壮士ひとたび去って復た還らず」という詩は凄くカッコ良くて好きです!

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 Před 3 lety +1

    この当時の「義侠の人」を相手にするのは大変ですね。
    無条件で一切の疑いを持たず、全幅の信頼を寄せなくてはならないのですから。

  • @user-clarkfieldangeles

    新鮮な語り口で面白かったです。解りやすくて楽しい動画ありがとう御座いました。荊軻の話しは高校の漢文で一番好きでした。司馬遷の描写が今でも残っています。だから意外と優しい人だったのかもという解釈は新鮮でした。これまでの動画も楽しませてもらいます。

  • @chiekoasai
    @chiekoasai Před 3 lety +3

    後世の我々でさえ、たとえこのとき荊軻が首尾よく秦王政を撃っても、秦そのものが続く限り、すぐ凄惨な報復戦を受けることは目に見える。
    当時の彼らも、それくらいの事は分かっていただろう。しかし、ここで登場する燕の人士、そして樊於期は、侠客的な名誉心を優先しそうな面子(ただし秦舞陽オメーはダメだ)。
    一矢報いるという”自己満足”の事業に国家の最期をすべて賭けてしまう点に、狂気じみた美しさを感じる。
    同じ時代の燕の民にはぜったい産まれたく無いけれど。

    • @user-qw8jy7jt1r
      @user-qw8jy7jt1r Před 3 měsíci +1

      そうかな?
      ハンオキ将軍のように秦の中に、政に恨みを持っていた人は多かったと思う。
      政はこの頃まだ太子を決めていなかったのではないか。
      だとしたら、秦が空中分解する可能性もあったのではないかと思う。

  • @宴は終わったが
    @宴は終わったが Před 3 lety +3

    今日も楽しく拝見させていただきました。
    秦王政への暗殺の試みは結構ドラマとか芝居になっていますね。
    しかし、このエピソードが事実だとしたら太子丹は余りに気の毒としか思えません。刺客を送ったつもりではなく、田光先生、樊於期に死んでもらおうと思ったわけでもなく、何か哀しい話です。

    • @nishiki3244
      @nishiki3244 Před 3 lety

      ただ、彼の言動は国の為というよりも私怨の為という感じがしてな・・・
      そう考えると丹が周囲を巻き込んで事態をひたすら悪化させたとも見えるので、あんま同情はできない。

    • @宴は終わったが
      @宴は終わったが Před 3 lety

      @@nishiki3244 私は歴史は専門外なのでよくわからないのですが、真実のところはどうなのでしょうかね。
      いろいろな解釈があると思うのでそこら辺はれーしチャンネルさんはじめ、他の皆さんの教えを請いたいところです。

  • @yukia8674
    @yukia8674 Před 3 lety +2

    この頃の燕は趙にぼろ負けで領域支配ができてない状態だったはず、燕は趙に滅ぼされないように秦に接近していた、格上の趙が滅んだ時点であとは道路になるしかなかったのだと思う、gdgdというか最初から正解がないというか

  • @user-xl7kb8hk6f
    @user-xl7kb8hk6f Před 3 lety +2

    先日、遼寧省本渓の太子丹の自決した場所と言われてる場所に行きましたが、太子河の麓の燕丹亭というところで、自刎したらしいです。太子河というのは、太子丹を憐れに想い、河の名前になったようです。遼寧省では、太子丹の墓と言われるのも最近見つかっているようです。今度行ってみたいと思います。^ ^

  • @user-qf2ce4jc2x
    @user-qf2ce4jc2x Před 3 lety +1

    秦舞陽の祖父は昭王時代の猛将秦開なんですよね
    先祖の名に泥を塗る点では趙活と同じようなことしてるなあ

  • @user-kf1eo5wg7c
    @user-kf1eo5wg7c Před 3 lety +1

    もはや秦以外の国の終わりはみえてるのにこのグダグダ具合はどうしようもないな

  • @ukelelewww8427
    @ukelelewww8427 Před 3 lety +2

    ゆっくりになるのだーw

  • @user-sz8ni9jb9v
    @user-sz8ni9jb9v Před 3 lety +3

    大ちゃんが太子丹ならチルノは?
    と思ったら秦舞陽かぁw
    ルーミアの刺客なのだーには
    ちょっと笑ってしまった(*^^*)

  • @reizoukoreizouko
    @reizoukoreizouko Před 3 lety +1

    荊軻を得たことは穀物の雨とか過大表現では。
    暗殺が成功していればそう言えたかもしれないけど、結果だけ見れば事態を悪化させている。
    太子丹の一言で田光先生は自決しているし、荊軻を急き立てているしで、噛み合わない人たちやったんかなって。

  • @kappanouen
    @kappanouen Před 3 lety +1

    このエピソード聞くたび毎回「ちょ、おまッ、秦舞陽うぅぅぅゥッッ・・・・・・(絶句)!!」ってなる笑

  • @user-pw8pi1mr8t
    @user-pw8pi1mr8t Před 2 měsíci

    ここら辺早くキングダムで見たいんだけど、あと何十年後か

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 Před 3 lety +1

    召公の一族ははじめ、山東半島の奄という地に封じられていたけど、成王の時に現在の北京周辺に移った。この時、当時そこにあった韓(戦国七雄の韓とは別)が現在の陝西省に移っている。

  • @user-gn8xd5dz1u
    @user-gn8xd5dz1u Před 3 lety +2

    函谷関が鶏の鳴き声で開いた話しは枕草子の作者清少納言が詠んだ和歌「よをこめてそらねははかるともよにおうさかのせきはゆるさじ」のもとになった

  • @REKI-AKAHOSI
    @REKI-AKAHOSI Před 3 lety +3

    楽毅のときに斉を併合できてたらなぁ

  • @sukizoable
    @sukizoable Před 3 lety

    れーしchでは「滅亡シリーズ」が一番の楽しみ

  • @v6w95fkucqpe1igfyzei
    @v6w95fkucqpe1igfyzei Před 3 lety +1

    始皇帝の歪んだ性格の被害者とも取れますね…ただ燕と秦の国力の差を考えると短慮過ぎた…

  • @user-gh8hd2pj8y
    @user-gh8hd2pj8y Před 3 lety

    まさか太子丹もこの一言で人が死ぬなんて思っても無かっただろうな…

  • @jodasow
    @jodasow Před 3 lety +1

    ツバメの絶滅みたいなタイトル

  • @user-og9rj9kf1c
    @user-og9rj9kf1c Před 3 lety

    うぽつです。今回は燕の滅亡とあって、荊軻の話もメインの一つでしたね。
    妖夢が解説役となったからなのか、以前の田光や李信の話の時とは、太子丹と荊軻と李信の役がレミリアと妖夢とパチュリーから大妖精と文と八雲紫に変わったようですが、以前に豫譲の役をやって以来、文は刺客の役が増え始めてきた感じがしなくもないですね(^ ^;
    しかし、動画でも言われていますが、太子丹が荊軻を急かさずに彼の知人の到着を待っていれば上手くいっただろうなと……
    ……あと、薬箱を投げた人の役には永琳か鈴仙か てゐ あたりを据えておけば良かったんじゃないかなとも……(^ ^;

  • @taknar4020
    @taknar4020 Před 3 lety +4

    荊軻監督「この選手を助っ人として獲得してほしい」
    丹GM「いやこの選手は年俸高いから無理、代わりにメジャー通算○○発内野も外野もイケる(守ったことがある程度)秦舞陽選手ともう契約したぞ、契約上最低△△試合は使ってくれ!」

  • @paranoiary
    @paranoiary Před 3 lety

    秦舞陽ってどうなったんだろう

  • @user-sz4wj6rb3n
    @user-sz4wj6rb3n Před 3 lety

    代って趙の一部みたいなイメージだったから趙が滅びた時一緒に滅びたと思ってた。

  • @user-sb8mn9di3b
    @user-sb8mn9di3b Před 3 lety

    日本も大きく影響を受けている部分だと思うけど、「自死」を尊ぶ文化が昔から根付いているって感じがするね。勿論現代の価値観で計ったところで詮無き事だけど、それが今でも根強く残っちゃっているのは問題かな。

  • @2ytku723kp
    @2ytku723kp Před 3 lety

    この始皇帝暗殺を題材にした劇作等だと献上する督亢の土地の地図(巻いてる竹簡)をカタカタと紐解いていき平たく見開きになった最後に匕首が現れるという演出がされてる作品もあってまさにクライマックスのシーンではあるんだけどお供の秦舞陽が電通ごり押しの三文役者過ぎて興行収益大爆死した感じ(笑)
    とはいえ、仮に秦王政の暗殺に成功したとはいえ既に韓と趙(亡命政権の代はあるが…)が滅亡し魏も風前の灯であった時勢下では秦の国内には混乱は起きただろうけど既に誕生していただろう扶蘇(10歳くらい?)を新王に擁立して李斯等が中心になって体制の建て直しをしただろうし時間稼ぎにしかならなかったのでは?という想いと秦王政の早すぎる死で今の時代に伝わる【中華帝国】は存在しなかった世界線になったのかな、とも思われてならない

  • @nekozame_history_fan
    @nekozame_history_fan Před 3 lety

    馬に角が生えた・・・? ・・・! 二世皇帝胡亥に献上されたというあれか! (おどけてみました)

  • @user-jw3qn4bi1z
    @user-jw3qn4bi1z Před 3 lety

    そら、1対1で人殺す訓練をロクに受けてない人を殺し屋に仕立てても、失敗する。まあ、もうこの時なり手が居なかったんだろうなぁ。

  • @ponpon7512
    @ponpon7512 Před 3 lety

    燕から秦に人質に行くって?。趙や田斉を通っていけるのかネ?。

  • @user-ng7kx4ng3f
    @user-ng7kx4ng3f Před 3 lety

    「若かりし」じゃなくて「若かった」
    標準日本語使おう

  • @user-ow2ye7lu2r
    @user-ow2ye7lu2r Před 2 lety

    音声で聞こうと思うと、全く何言ってるのかわからん。
    音声だけはなんとかなんないのかなぁー。
    タイトルは唆られるのに残念。

  • @user-wf9di7ye9x
    @user-wf9di7ye9x Před 3 lety +1

    いち

  • @user-sl8fs5fp1k
    @user-sl8fs5fp1k Před 3 lety +4

    5:50 孟嘗君じゃん