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何十回と見てますが、ほんと泣ける…
プロストは「セナはワールドチャンピオンではあったけれど いつも誰かを追いかけていた、私が(プロスト)グランプリを去ったとき 誰を追いかけていいのかわからなくなってしまったんだ」というコメントを話していたが あながち本当のような気がしました。
93年鈴鹿の表彰式後、インタビューでこんなことがあった。インタビュアーの川合ちゃんがセナに対して、チャンピオンとして引退していくプロストに何か一言と聞いた。すると、君と君の家族に幸運を、と答えた。プロストも、君もねと返答した。これが実は和解への一歩だったのかなと思う。
親愛なる友人、アラン、元気かい❓君がいなくなって寂しいよ。これが、セナ最後のメッセージになろうとは。誰が予想したのだろうか❓
セナプロ最高のドライバー。
セナがいたからプロストがいた。プロストがいたからセナがいたんだ。
ゴメン逆だプロストがいたからセナがいたんだよ1984年モナコから
この前の年のオーストラリアGPの表彰台でお互い分かち合えた。だから本当に寂しかったんだろうね。
プロスト引退後、セナは一体どこに向かってたんだろう。本人しか解らないことだね。
プロストはこれをリアルタイムでは聞いてなかったらしい。プロストも今となってはリアルに答えたかっただろう。セナはプロストがいたから頑張れた。1994年のセナはプロスト兄貴がいなくなって目標を見失ってたような集中力を欠いたレースが続いてた。
セナはデビューした時からずっと目の前には一緒にチャンピオン争いをする先輩ドライバーというライバルが必ず居た でも91年ピケ 92年マンセル 93年にプロストが去り気がつけば目標とするライバルがいなくなり逆にミハエル・ハッキネンという若い世代から追われる立場になり目標を失ってしまったのがセナにとって痛かったな
93年がターニングポイントでしたよね。プロストだけでなく、パトレーゼ、ブーツェン、ワーウィックといったライバル達が去り、気がつけば自分が1番の年長者…ヒルはセナと同じ1960年生まれだけど、セナがF1生活11年目だったのに対しヒルはまだ3年目だったし、94年のセナはどこか寂しげな表情を浮かべてる事が多かったと思います。
f1詳しくないんだけど、この時走ってたシューマッハはライバルたる存在ではなかったの?
シューマッハは若手のNo1だった前年からベネトンのエースになり打倒セナの一番手だった
1990年のシーズンにレース後の記者会見でプロストからの和解の言葉で両者握手を交わし和解したとされた時があったが、この時が本当の和解に思える。ネットでずいぶん前に見た記憶があるが、久々に見てもね。このやり取り。
このやり取りは確かフランスのTV局の開設をしていたプロストにセナが語り掛けた時だと思う。
ディアフレンド アラーン(泣)
セナの強さも1人のものじゃないのがよく分かるな...
最後のメッセージ
確執の始まりがイモラ、最期の別れもまたイモラ。
87年から94年まで、セナ様の走りを生で見に行ってましたが、素晴らしい走りでしたね、特に、予選のフルアタックの時の音とコーナーからの脱出速度がすごかったなあ。
かつての、江川、西本のような感触ですね。お互いを憎み、お互いを尊敬する…
生き返って・・・・・・・・・セナ
セナはプロストの政治的心情が嫌であってドライバーとしてはちゃんと認めていたのだと思う。
あっらーん『がらにもないことするから…😢』
僕の誕生日です
これはセナが帰らぬ人となってしまった後にセナが言った言葉なのか?
QUALIFY(予選)前のWARMING UP(準備)中だろうと思います
これは決勝の日の朝行われたウォームアップです。フランスのテレビ局TF1の解説にプロストが呼ばれててその番組内でセナが無線で喋りながらコース紹介をする企画が設けられててそのときに前年和解したプロストが解説にいると知っていたセナがプロストに無線を通じてこのメッセージを送ったんです
@@user-wf4yb3jz8n😭
何十回と見てますが、ほんと泣ける…
プロストは「セナはワールドチャンピオンではあったけれど いつも誰かを追いかけていた、
私が(プロスト)グランプリを去ったとき 誰を追いかけていいのかわからなくなってしまったんだ」
というコメントを話していたが あながち本当のような気がしました。
93年鈴鹿の表彰式後、インタビューでこんなことがあった。インタビュアーの川合ちゃんがセナに対して、チャンピオンとして引退していくプロストに何か一言と聞いた。すると、君と君の家族に幸運を、と答えた。プロストも、君もねと返答した。これが実は和解への一歩だったのかなと思う。
親愛なる友人、アラン、元気かい❓
君がいなくなって寂しいよ。
これが、セナ最後のメッセージになろうとは。
誰が予想したのだろうか❓
セナプロ
最高のドライバー。
セナがいたからプロストがいた。プロストがいたからセナがいたんだ。
ゴメン逆だ
プロストがいたからセナがいたんだよ1984年モナコから
この前の年のオーストラリアGPの表彰台でお互い分かち合えた。だから本当に寂しかったんだろうね。
プロスト引退後、セナは一体どこに向かってたんだろう。
本人しか解らないことだね。
プロストはこれをリアルタイムでは聞いてなかったらしい。プロストも今となってはリアルに答えたかっただろう。セナはプロストがいたから頑張れた。1994年のセナはプロスト兄貴がいなくなって目標を見失ってたような集中力を欠いたレースが続いてた。
セナはデビューした時からずっと目の前には一緒にチャンピオン争いをする先輩ドライバーというライバルが必ず居た でも91年ピケ 92年マンセル 93年にプロストが去り気がつけば目標とするライバルがいなくなり逆にミハエル・ハッキネンという若い世代から追われる立場になり目標を失ってしまったのがセナにとって痛かったな
93年がターニングポイントでしたよね。
プロストだけでなく、パトレーゼ、ブーツェン、ワーウィックといったライバル達が去り、気がつけば自分が1番の年長者…
ヒルはセナと同じ1960年生まれだけど、セナがF1生活11年目だったのに対しヒルはまだ3年目だったし、94年のセナはどこか寂しげな表情を浮かべてる事が多かったと思います。
f1詳しくないんだけど、この時走ってたシューマッハはライバルたる存在ではなかったの?
シューマッハは若手のNo1だった
前年からベネトンのエースになり打倒セナの一番手だった
1990年のシーズンにレース後の記者会見でプロストからの和解の言葉で両者握手を交わし和解したとされた時があったが、この時が本当の和解に思える。
ネットでずいぶん前に見た記憶があるが、久々に見てもね。このやり取り。
このやり取りは確かフランスのTV局の開設をしていたプロストにセナが語り掛けた時だと思う。
ディアフレンド アラーン(泣)
セナの強さも1人のものじゃないのがよく分かるな...
最後のメッセージ
確執の始まりがイモラ、最期の別れもまたイモラ。
87年から94年まで、セナ様の走りを生で見に行ってましたが、
素晴らしい走りでしたね、
特に、予選のフルアタックの時の音とコーナーからの脱出速度がすごかったなあ。
かつての、江川、西本のような感触ですね。お互いを憎み、お互いを尊敬する…
生き返って・・・・・・・・・
セナ
セナはプロストの政治的心情が嫌であってドライバーとしてはちゃんと認めていたのだと思う。
あっらーん『がらにもないことするから…😢』
僕の誕生日です
これはセナが帰らぬ人となってしまった後にセナが言った言葉なのか?
QUALIFY(予選)前のWARMING UP(準備)中だろうと思います
これは決勝の日の朝行われたウォームアップです。フランスのテレビ局TF1の解説にプロストが呼ばれててその番組内でセナが無線で喋りながらコース紹介をする企画が設けられててそのときに前年和解したプロストが解説にいると知っていたセナがプロストに無線を通じてこのメッセージを送ったんです
@@user-wf4yb3jz8n😭