HeilRJ ロベルト・バッジオ スーパープレイ集
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- čas přidán 8. 09. 2024
- ロベルト・バッジョ(Roberto Baggio、 1967年2月18日 - )は、イタリア・ヴェネト州ヴィチェンツァ県カルドーニョ出身のサッカー選手。
1993年度欧州年間最優秀選手、1993年度FIFA世界年間最優秀選手。03-04シーズンで現役引退。
名手ジーコをして「何も出来ない事はない」と言わしめた超人的なテクニックを持つ。「イタリアの至宝」「偉大なるポニーテール」と称され、ファンタジスタの象徴的な存在として知られていた。主に点取り屋の後ろでチャンスメイクを担う「ナンバー10」の選手だが、同時に類稀なる決定力でゴールを量産した。セリエA通算205ゴールは歴代5位。キャリア318ゴールはイタリア人歴代3位である。弟のエディ・バッジョもサッカー選手である。
通称は「ロビー」、愛称は「コディーノ」(馬の尻尾。髪型に由来する)。
2002年に国連食糧農業機関 (FAO) の親善大使に就任。世界の貧困や飢餓撲滅のための慈善活動に取り組む。病院への寄付、ハイチ地震への寄付、アウンサンスーチー解放への協力などの功績が認められた。2010年11月14日、ノーベル平和賞受賞者世界サミットの事務局から「平和サミット賞」を授与された。
キャリアを通じてイタリア国内リーグで活躍。1981年にセリエC1のヴィチェンツァでデビュー。1984-85シーズンに12得点を記録。1985年にはセリエAのフィオレンティーナに移籍した。ところが契約成立からわずか2日後、右膝十字靭帯断裂の大怪我を負った。それでもフィオレンティーナは契約を破棄せずに辛抱強く回復を待った。移籍直後の1985-86シーズンを欠場、1986-87シーズンも数試合の出場だけにとどまってしまう。だが、怪我の回復した1988-89シーズンには15得点をあげ、フィオレンティーナはUEFAカップ出場。1989-1990シーズンには17得点の活躍。
1990年、当時史上最高額の150億リラという移籍金でユヴェントスに移籍。フィレンツェではクラブに対する暴動が起こっている。バッジョ自身も望まぬ移籍だったため困惑していた。ユヴェントスの選手として初めてフィレンツェに戻ってきた試合では、地元のティフォージから裏切り者扱いされ、彼がボールを持つ度にブーイングを浴びせられた。しかし、後半になると状況が一変する。ユヴェントスが決勝点のチャンスとなるPKを獲得するが、通常のPKキッカーであるバッジョは蹴るのを拒否した。監督の怒りを買ったバッジョは即座に交代を命じられたが、スタンドから拍手を受けながらピッチを去った。1992-93シーズンはリーグ戦で21得点を挙げ、またチームをUEFAカップ優勝に導いた。これはユヴェントスにとっては久々のヨーロッパタイトルだった。この功績・貢献が認められ、同シーズンのFIFA最優秀選手賞とバロンドールを受賞した。1994-95シーズンはユベントスの役10年ぶりのリーグ優勝、コパイタリア獲得に貢献した。
に貢献した。
1995年、若手のアレッサンドロ・デル・ピエロが台頭するなか、高額の年俸更新を避けたいユヴェントスはインテルへの移籍交渉を進めていた。選手の頭越しの交渉に反発したバッジョは、あえてインテルのライバルチームであるACミランへの移籍を自ら選択。1年目はレギュラーとしてそれなりのプレーを見せ、フィオレンティーナ戦でPKを決めるなど、ミランの優勝に貢献した。しかし2年目はミラノダービーではゴールを決めたが、タバレス監督からサッキ監督に代わると、ベンチスタートとなるなど、出場機会を減らすこととなり、バッジョの起用は限定的なものとなり、目立った活躍を見せることはなかった。
終わった選手と見られがちになった1997-98、ワールドカップ代表招集を目指すべく先発起用を目的に中堅クラブのボローニャに移籍。目論みは当たり自己最多の22得点をマークし、予選では呼ばれなかったが本大会メンバー招集を果たした。背番号は18。
1998年から、インテルに2シーズン所属、ロナウドとのコンビが話題となりモラッティ会長から活躍を期待する発言もあった。しかし同年のUEFAチャンピオンズリーグのレアル・マドリード戦で2ゴールを挙げるなどの活躍もある一方で負傷欠場も少なくなく、ロナウドには膝の故障による長期離脱が生じ二人が組むスペクタクルシーンを見る機会はほとんど生まれなかった。翌年は、負傷もあったがとりわけマルチェロ・リッピ監督との確執によって出場機会は減少してしまった。
インテル退団が半ば既定となった後の2000年5月23日のCL出場権プレーオフパルマ戦で大活躍。前半35分にFKで先制、さらに同点にされた後半38分左足ボレーで決勝点を奪い、翌日のガゼッタ・デロ・スポルト誌で満点の "10" を獲得した。最後の試合で、自己をクビにした指揮官を最高の活躍で救うという皮肉な結末となった。
2000年から、カルロ・マッツォーネ監督の下ブレシアで4シーズンを過ごした。
2001-02シーズンでは、2002年FIFAワールドカップ出場を目指すべく、シーズン前半にゴールを量産。しかし、2002年1月31日のコッパ・イタリア準決勝パルマ戦で左膝十字靭帯に全治6ヶ月の負傷。このシーズンは前半でも靭帯を故障しており、1月31日の試合は復帰2試合目だった。ワールドカップ出場は絶望と思われたが、自身は招集を目指す意志が強く驚異のリハビリで僅か2ヶ月で復帰。4月21日のフィオレンティーナ戦で後半25分に途中出場、2ゴールを挙げた。しかし結局のところワールドカップ本大会への招集はかなわなかった。
その後も中心選手として活躍を続け、2004年5月16日のサン・シーロでのACミラン戦が現役最後の試合。先発出場し83分の途中交代時にはアウェースタジアムにもかかわらず、客席全体からスタンディングオベーションが送られた。ブレシアの背番号10はクラブの永久欠番となっている。
イタリア代表としては1988年11月16日に行われたオランダとの国際親善試合でデビュー。1989年4月22日に行われたウルグアイとの国際親善試合で初ゴールをあげた。
1990年の地元開催では当初はスーパーサブ的存在であったが、グループリーグ第3戦目のチェコスロバキア戦において、中盤から単独ドリブル突破を仕掛け、ディフェンダーを次々と抜き去ってゴールを決めた。この得点は大会のベストゴールのひとつに数えられ、世界に名を知られることになった。
前年の1993年に、バロンドールを受賞していたこともあって、周囲の期待は大いに高まっていた。しかし本大会直前に右足のアキレス腱を痛めてしまい、万全でない状態で1994年ワールドカップを迎えた。
イタリアは、予選グループリーグ初戦・アイルランド戦を落とし、予選グループリーグ第2戦ノルウェー戦では、ペナルティーエリア外での故意のハンドの反則をしたGKジャンルカ・パリュウカが退場処分となった際には、アリゴ・サッキ監督により控えGKルカ・マルケジャーニの投入のためにバッジョはベンチに下げられてしまった。このとき、バッジョはサッキに対して「狂っている」と漏らしたといわれる。試合後にサッキは「(足を怪我して)走れないバッジョを人数の少なくなった状況では使いづらいから」と説明した。 結局、イタリアは1勝1敗1分けで辛うじて決勝トーナメントに進出(当時の規定でグループ3位ながら救われた)。無得点と精彩を欠くバッジョへの風当たりは厳しく、地元メディアはジャンフランコ・ゾラへの交代を唱えた。
決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦でも先制を許し、反撃の切り札で投入したゾラは不可解な判定で退場処分となり1点を追い掛ける苦しい試合展開になる。しかし、試合終了直前の89分、ついにバッジョが同点弾を決め、延長戦でもPKを沈めた。
準々決勝のスペイン戦でも再び終了直前にカウンターから角度のない所から決勝点をあげて、2-1で勝利。準決勝のブルガリア戦でも続けざまに2得点を挙げて2-1と勝利した。決勝トーナメントの準決勝までの3試合でチーム6得点中5得点、どのゴールも試合を逆転・決定するもので、酷評から一転して救世主扱いとなった。しかし、準決勝で右足のふくらはぎを痛め、決勝への出場が危ぶまれた。
決勝のブラジル戦、バッジョは強行出場したものの精彩を欠き、試合はワールドカップ決勝史上初のPK戦となった。ブラジルがリードを保ったまま最終キッカーであるバッジョの番となるが、彼はゴール左上にはるか高く打ち上げてしまう。これによってイタリアは優勝を逃した。
1998年フランスワールドカップでは、デル・ピエロに背番号10番を譲ったが、大会を通じて2得点1アシストを記録した。
初戦チリ戦で先発出場。パオロ・マルディーニからのロングボールを、バッジョがダイレクトでスルーパスを走りこんだクリスティアン・ヴィエリに通しアシストを記録。その後追いつかれるが、バッジョ自らPKを誘い、これを決めた。グループリーグ最終戦のオーストリア戦では決勝ゴールを決める活躍を見せた。
準々決勝のフランス戦では途中出場し、延長後半に決定的ともいえるボレーシュートを放つが、ボールはクロスバーをわずかに越えていった。結局、この試合も決着はつかず、PK戦に突入。バッジョはPKを決めたが、イタリアは3大会連続でPK戦で敗退した。
現役引退を表明後の2004年4月28日にジェノヴァで行われたスペインとの親善試合にキャリアへの敬意から特別招集され、この試合を最後に代表を引退した。
なお、ロベルト・バッジョのイタリア代表での通算成績は国際Aマッチ56試合出場27得点。そのうち得点を決めた試合の成績は22試合中18勝4分で「バッジョが点を決めれば負けない」という記録を持つ。
獲得した個人タイトル
バロンドール(1993年)
FIFA世界年間最優秀選手(1993年)
英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手(1993年)
オンズドール(1993年)
英誌ワールドサッカー選出20世紀の偉大なサッカー選手100人(16位)
イタリア代表通算得点記録歴代4位(27点)
セリエA通算得点記録歴代5位(205点)
「偉大なフットボーラーのリストにバッジョを加えるつもりはないよ、何故なら彼は別の惑星からやって来た宇宙人だから。」エンリコ・キエーザ
「確かに、私の元には沢山のクラブからオファーが届いた、ビッグクラブからも多く。けれども、このオファーより望むものはなかった。バッジョとプレーできる、それだけでどのクラブでプレーするよりも意義のあることだと私は思う。」ジョゼップ・グアルディオラ
「彼のようなフットボーラーと出会うには、少なくともあと20年はかかる。」ガブリエル・バティストゥータ
「世界でイタリアだけが唯一、彼を世界一だと認めなかった。」ジネディーヌ・ジダン
「彼がフィールドの中で出来ない事など何もない。もし同じ時代にプレーしていたなら教えを乞うよ。」ジーコ
「彼のフットボーラーとしての偉大さを知らない人はいないが、ひとりの人間として見たときの彼は、さらに魅力的だ。」ジョージ・ウェア
バッジョのプレー初めて見た。
今日から俺の憧れ。
ファンタジスタという言葉を知ったのはバッジョから、これからもファンタジスタと言えばバッジョ。永遠のファンタジスタ、バッジョ。
ブレシア時代の監督に「90分間で1度だけでいいから君らしいプレイを見せてくれ」って言われたエピソード好き
「頭に浮かんだ選択肢で1番難しいプレイ選択している」これカッコ良すぎ
ロベルト・バッジオ。今までのサッカー選手の中で個人的に一番好きな選手です。彼のプレイは何故か気品と優雅さを感じるんですよね。ただ上手いだけじゃない。そこが凄く魅力的な選手ですよね。
ほんとそれ
バッジョの伝説的なところはいつも「ダメだ、終わった」ってところに
「それでもバッジョなら」ってサポーターに思わせてるところなんだよね
しかも期待に応えてくれる
本当に困ったときのバッジョ様な人だった
無を有に、0を1にする天賦の才が他の選手よりありすぎな選手だった。
1番好き!不屈の精神!
全世界のフットボーラーはかれの人生に触れてみるべき!現役でも、引退しても、バッジョの人間性は世界の模範だと思う。だからこそ、全てが絵になる!
W杯決勝のPKでさえも、ブラジルの歓喜の瞬間よりも寂しそうなバッジョの顔!全てが芸術!
ドリブル パス シュート トラップ FK すべてが神々しくて優雅
時代や、勝利の女神に見放されても、その運命に対して、ただただ自分のサッカーだけで抗い続ける姿が美しかった。
他の誰よりもサッカーを愛し、他の誰よりもサッカーに愛された男だと思います。
ザ・ファンタジスタ!ですよね
ワールドカップでのドラマは本当に泣けます
勝利の女神はなぜ微笑まない!と、サッカーの神を恨む決勝
しかし、いま思うとバッジョ率いるイタリア代表が優勝してたら間違いなくイタリアは勘違いして今よりも早く弱くなってたなと…
バッジョに降りかかる災難はイタリアの未来のサッカー少年達が気付いて強いイタリアになる為だと思ってる
@@user-vv5jq5ty5wそれは違うと思う
バッジョで勝てなかったからイタリアはより一層守備重視、オフェンス軽視の時代に舵を取ります
80年台のジーコとかマラドーナ、プラテァニを見て育った子供達の世代 バッジョ、ゾラ、デルピエーロとかトッティたちがほとんど活用されず、チームに一人で良くいなくても良い的な扱い
それ以降
イタリアではそう言う選手がまるでいなくなってしまった
育てても使われないなら当たり前...
@@user-pm1tl9lb9h
なるぼな〜
どちらかと言うとバッジョ後ってよりは日韓ワールドカップ後って感じてますね
トッティもデルピエロも出てるのにあの結果…そのディフェンス寄りの作戦が噛み合ってなかっとも言えますが
裏金疑惑抜きにしても、イタリアは死んだと思った
あの時に作ったデルピエロのユニフォームまだ持ってる(笑)
引退から17年が経ちましたが今もバッジョは私の憧れです。満身創痍になりながらも最後まで超一級品のテクニックを見せてくれました。😊
「私が、現役の時悪魔のような選手が3人いた。マラドーナ、ファン・バステン、そしてバッジョ。」Byジュゼッペ・ベルゴミ
バッジョは残した成績もヤバいんだよな
ブレシアでの4年間(33歳~36歳)でもトップ下なのに常に10ゴール以上決めてる
しかもデルピエロやトッティみたいに、キャリアを通してクラブの象徴として優遇されてたわけじゃなく
全盛期の半分が冷遇され、右膝十字靭帯断裂のハンデを背負いながら200ゴールも決めたのが凄すぎる
境遇に恵まれたならメッシに匹敵する成績を得られたという言説が出るのも頷ける
これな!
イタリアはもっとバッジョに敬意を払え
メッシより上だと思う
ラリーガってなんだかんだ言ってもどこのチームも点取ることを求めるから撃ち合いみたいな試合が多いけど
セリエって一点の重みが半端なくて先に点取ったらどこのチームもガチガチに守りにはいる展開が多いリーグ戦で決して面白くはないけどアタィカーには苦難のリーグだった
しかも当時は世界でもトップクラスのアタッカーはみんなイタリアに集結してた中でだからね
@@user-pm1tl9lb9hメッシより上は草
@@user-ph4qk8sv3b メッシより上はマジで言い過ぎなんだけど、
もしバッジョがメッシくらい環境に恵まれたら毎シーズン30ゴールくらい決めてもおかしくなさそうだとは今でも個人的に思う
メシロナ全盛期のリーガって他のプレイヤー(ネグレド、ソルダードとか)も20ゴール以上決めまくってるけど、
バッジョ全盛期のセリエAは毎シーズン20ゴール決められるのは大体一人くらいしかいない
これはデータサイト見れば一発で分かる
そのセリエAでバッジョは得点ランキング2位タイに4度入ってる
しかも全盛期であるユーベ時代の監督はトラパットーニとリッピ
バッジョにはロマンあるんだよね
あまり知られていない話らしいけど、ドラガン・ストイコビッチが現役時代に唯一「真似ができないプレーをする」と評した選手。
サッカーというスポーツをアートに変えた男
テクニックは言うまでもないけど、何か引き付けられる魅力のある選手。ワールドカップなど、大舞台での活躍は今でも思い出す。過去イタリア代表の選手ではおそらくバッジョが一番でしょう!
ワールドカップの決勝で負けたのにも関わらず、あれだけ注目されたのも何か人々を惹きつける魅力があったのだろう。勝利の女神には見放されただろうが、サッカーの神様には常に愛され続けた。
バッジョのユベントス時代は輝きに満ちていて全てのサッカーファンの希望となった。
バッジョのミラン時代は起用法に全てのサッカーファンが疑問を感じ
バッジョのボローニャ時代の見事な復活劇は全てのサッカーファンが歓喜した
バッジョのインテル時代の度重なる怪我は既にもう30代となった彼に全てのサッカーファンがもう終わったと感じた
そしてバッジョのブレシア時代は
既に30代半ばでありながら全盛期のスピードやキレは失ったものの、それ以上のファンタジーなプレーで全てのサッカーファンを再び魅了した。
彼のプレーもそうだが
彼のサッカー人生もファンタジーそのものだった。
フィオレンティーナ時代も追加お願いします!
😅🎉@@treasuretokyo7460
ジダンもバッジョも想像性溢れるプレーかつ1人で局面を変えることが出来る芸術的プレーヤー 本当に凄い。 また美しい。
ジダンはまた違う
2003年からサッカー好きになってバッジョのプレー生で見れて良かったなー
永遠のアイドル。何から何までかっこよかった。
バッジョ好きすぎてサッカー部でもないのに、ディアドラのシューズ買ったなぁ。ボールタッチがすごく色っぽい。
後ろからのボールのトラップは大迫がかわいく見えるレベル。後ろからのボールをトラップでキーパーかわすのは次元が違う
ペナルティエリアで一体何人抜いたんだって位落ち着いたプレーが素晴らしいですね!
どうしても外してしまいそうなシュートも平然と決める。正にイタリアの至宝ですね!
カッコイイっすわ
特に2番目のピルロのパスからのゴールなんて最高
W杯、CL、手に届かなかったでも多くのサッカーファンをプレイで感動させたフットボールアーティスト最後のファンタジスタ。今でも心に94W杯の勇姿が焼き付いている
98年のグループリーグの対フランス(この年の王者)でも交代で入った残りの時間は全てバッジョの時間でした。良かったら見て欲しい。
エレガント、セクシー、ビューティフルといった形容詞が追いつかないほどに観る人を魅了するフットボールプレイヤーだ!
メッシが史上最高にすごいのはわかるけど、
やっぱりバッジョのプレーが好きだ。
バッジョ、デルピエロ、伸二。
一瞬で空気を変えてしまうような、芸術的な、、なんと言ったらいいか。
ファンタジスタ!
芸術的って表現いいね
流石にそこに小野は入れないと思うが.....レベルが違いすぎる
@@user-pm1tl9lb9h怪我してなかったらなぁ……
@@user-nx2qh9rw5v いや同じくらい大変な怪我をバッジョも若い頃にしてるけど、やっぱりレベルが違いすぎるよ
同じレベルではない
もちろん上手いし速いし強いんだけど、それだけじゃなくてプレーに驚きがあって、しかも美しい。
ファンタジスタに必要な要素を示してくれた天才だと思う
本当に憧れる一番好きな選手、こーゆうプレイスタイルで右利きというのもなんか嬉しい。
ゴール前での冷静さ、針の穴を通すような的確なパス
本当に凄い
自分が生まれる前のことだからリアルタイムでは見てないからなんとも言えないけど
今の時代にも魅力的なプレーをする選手はたくさんいるけどこの時代ほどではないと思う
この時代をリアルタイムで見てたけど、私はメッシほど、魅力と結果を兼ね備えた選手を知らないな
@@ygdr.9469メッシはずっとバルセロナでプレーしてたし、そもそもあの時代のラリーガはセリエと比べてディフェンスがかなりザルだった...
ジダンもユーベでプレーしてた時と比べてかなり楽に流してプレーしてたから
@@user-pm1tl9lb9hあの時のリーガのディフェンダーがざるは草メッシが結果を残してるのはリーグ戦だけじゃ無いぞ
あの戦術家ペップをして、バッジョとプレーしたいから移籍したって言う位だからな。
全盛期より個人的には怪我したことによって老獪さが出たブレシア時代が好き
世紀末覇者ラ王 自分もです。テク、技術だけで相手を混乱させるのがマジでステキ過ぎる。メッシもロナウジーニョもめっちゃ上手いけど速いもん異次元に。あのスピードなかったらそう簡単には抜けないと思う。バッジョだけは何故取られないのかが謎。
素晴らしい動画をありがとうございました。
やっぱりこの人は本当の天才だ。
5:35 スライディング避けざまにさりげなく膝蹴りまでお見舞い
やはり次元が違う
この哀愁漂うメロディと、バッジオのプレーがマッチングしている。
手のひらでボール扱ってるみたいに柔らかいな。
バッジョのプレーは感動するわ
切り返し一つにしても技術の結晶を見ているようだな
心の底から尊敬する
ファンタジスタという造語がそもそもバッジョの為に造られた言葉
彼こそがまさに唯一のファンタジスタ
4114 muscari ファンタジスタと言う言葉は超頭脳ジャンニ・リヴェラの為に作られた言葉です。
そのファンタジスタの称号を受け継ぐ事を許されたのがバッジォただ1人です。
4114 muscari 惜しいな
プレーの一つ一つが神々しい。
やはり凄い!寧ろ凄いの一言では言い表せないが凄い!
ドリブルやパス、フェイントのセンス、エレガントなトラップ、角度の無い所からも決めれる決定力、ボール持った時のワクワク感も素晴らしいですが、
個人的に1番リスペクトしたいゴールは、
ブレシア時代のユヴェントス戦の後方からのロングフィードを何事も無かった様にサラッとワントラップで鮮やかにGKを抜きゴール。コレ何度見ても飽きない程鳥肌もんです!(この動画で最初に紹介されているゴール)
えっ!?これ決めるの!?みたいな感じです。
ロベルト・バッジョはイタリアだけでは無く世界が誇るファンタジスタですね!不滅のコディーノは伊達じゃない!大好きな選手です!
インテル時代のルーズなユニホーム姿のバッジオが好き
同感!
わかる!
ブカブカなんだけど
バッジョだから似合ってるw
「全てのフットボールファンは、ロビーに感謝しなくてはならないと思う。彼が僕達に与えてくれたものの大きさ‼️、つまり人生を情熱的なものにしてくれたことにね‼️」Byマヌエル・ルイ・コスタ
一つのプレーで局面を変えられパスも上手いし、自分で得点も決められる。これがサッカーで10番を背負う人間の仕事だと思った。日本もこんな10番が早く出てほしい。
世界でもこんな10番なかなか出てこないのに日本は無理やろw
個人的に世界最高の選手だと思ってます
メッシよりもすごい選手だと思いますね
メッシやクリロナ、ロナウジーニョのスーパープレイ集を見て凄いと思っただけでしたが、なぜかバッジオのプレイは、凄いと思うと同時に涙が出てきました。
すべてが上手いプラスかっこいいなんだよな。
ボールだけでなくDF、GKも転がす男
「彼は、コンコルドみたいなものさ。自由に飛ばせてあげればいいんだ。」Byロナウド
膝の手術をして回復して活躍して凄すぎる。リアルタイムで見たかった
やっぱりカッケェ😍
天才的なボールタッチ、、、
ロベルトバッジョ、ジダン、ベルカンプはトラップが天才的だったな
綺麗な映像も良いけど、こういうちょっと雑な昔の映像も良いと思う今日この頃。
唯一無二のファンタジスタ
えぐいほどに美しいな
一人で持ってって決めきれるのがすごい
もちろん 若い頃のバッジョはそりゃすごいんだけど、
どちらかというと晩年の頃のプレーが
彼の凄みをより感じれる気がするし、
彼の名声がグッと上がったのは
ブレシア時代だと思う。
マッツォーネとの相性もすごく良かったし。
今みても上手すぎるって思うわ
体幹も五感と六感も、常に研ぎ澄まされていて、リズムを奏で、ボールを追いながらも、適と味方の動きを俯瞰するように、
瞬時に把握できる能力を持ったすごい人だな。
初めてバッジョのプレー見たけど、開いた口が塞がらなかったわ笑
晩年おじいさん監督のブレシアで伸び伸びプレーしてたな。
試合みるの楽しみだったよ。
みんな好きなようにプレーしたいんだよな。プロはシステムとの兼ね合いがあるからストレスになるようだ。
結果云々より好きなようにプレーできないのが嫌なんだろうね。
記憶に残る選手だね。
なぜだろう。サッカー観てるのに涙がこみ上げる。なぜだろぅ…
病気だろ
@@Johnbrown-nb7um おたがいね
やっぱり、メッシ、ロナウドとは違う何らかのオーラをまとっていた。98年フランス大会でデルピエロ代わって入った時、明らかに空気が変わったのを覚えている。今だと完全に「持ちすぎ」「独りよがり」と言われるだろうが、皆彼の魔法のプレーを見たかったんだ。時代により、或いは監督の思い通りのシステムに収まりきらないが故、否定と肯定とを両方背負い込んで、それでも諦めることなくゴールを、勝利を目指した。こんなかっこ良いジョカトーレはいない。
天才。
ロビーが好きすぎて…
未だにウイイレの現イタリア代表に入れてる💦
ロビーがいないイタリア代表は見る気がしない…(T^T)
「リッピは私を亡き者にしたかった、しかしそれは不可能だった」
94年のアメリカW杯のナイジェリア戦をたまたま観て、一目惚れしてから30年。今だにバッジォの衝撃を超えた選手はいない。
傷だらけのヒーロー感、大空翼に、だぶる。アニメから出てきたような、スーパースター
カッサーノって大して練習しないでもあれだけの能力を見せた天才だと思うけど、カッサーノがバッジョ、グティ、メッシの才能を両手放しで褒め称えるもんな。プロから見ても憧れる人なんだろう。
バッジョが活躍当時、日本はまだ世界のリーグ中継に乏しかった
今の様に世界リーグが簡単に見れる時代なら、バッジョはかなりの人気だっただろう
イタリア最高のファンタジスタはデルピエロでなくはたまたピルロでなくロベルトバッジョだったと認識出来たはずだ
バッジョが出たワールドカップは夢中で観てましたね。
98年のフランス戦は円熟味を増したプレーで本当に凄かった。
ユベントスのユニフォームあまり好きじゃないけどバッジョが着るとめちゃくちゃカッコ良く映るのよ
アメリカ大会の決勝のPKは忘れられない
倒れる相手選手の数が異次元
今にして思えばバッジョがデル・ピエロかなんて悩んでられたんだからイタリアは贅沢だったんだなあ
そして強いと勘違いして
今年のワールドカップは出場すらできない
もっと本気出して自国の選手を育成しないと、このまま沈んでいく
バッジョってポニーテールが余計にファンタジスタっぷりを引き出してるよな
パスをもらった選手もしっかりゴールを決めている。ここも大切なことだと思う。
ロナウジーニョ、バッジオみたいなボールを持ってるだけでワクワクするようなサッカー選手って憧れるよなぁ
優雅の一言に尽きる
素晴らしいの一言!
久しぶりに鳥肌が立った。
イタリアサッカーの歴史上最も背番号「10」の似合う男❗
国民から最も愛され❗監督から最も嫌われた男😢
それこそが「ロベルト・バッジョ」😄
トリプル H 何できらわれたの?
ハリネズミ バッジョは、唯我独尊 型のファンタジスタで戦術重視の監督には、扱い難い選手だったんだよ❗
特に、インテル時代とか90分ベンチを暖める日々が続いてパルマの監督しよったアンチェロッティが宝の持ち腐れと言って当時の監督リッピを批判してたしな。
90年代のイタリアはバッジョ意外にもゾラとかマンチーニ(本大会は落選)もシニューリもいたのにスタメンで使うのは1人だけだったんだよな 本当勿体無いというかなんというか ブラジルなら少なくとも2人くらいは同時に起用したよな
バッジョを愛し続け、かつ最高に活用した監督はカルロ・マツォーネただ一人
イタリアだけが唯一世界一だと認めなかった…
ハゲの有名なセリフですな🤔
ブラジル代表ロナウドやプラティニ、ジーコが憧れる選手なだけありますよね。
デル・ピエロ、トッティ、ゾラ、ジャンニーニ、いろんなファンタジスタがイタリアには居たけど、ファンタジスタらしい選手と言えば、やはりバッジョと思ってしまう。真の天才だと未だに思う。
一番最初の方のプレイ
アルベルティー二からのフィードをノートラップでヴィエリに預けたパスや
ピルロのパスからワントラップでファンデルサールをかわした足元の繊細さよ
やっぱりバッジオは絵になるね
まさに身体能力には頼らない技術サッカーの見本
イタリアブルーのユニフォームが一番似合う男
そこはアズーリかアッズーリと言って欲しいです。
『ファンタジスタ』を世に広めた選手だね
へーあの漫画の宣伝とかしてたの?
バッジオのすごさがよくわかる映像
伝説ペレ
神マラドーナ
天才クライフ
守護神カーン
怪物ロナウド
貴公子ベッカム
王様ジダン
ファンタジスタロナウジーニョ
司令塔シャビ
マジシャンイニエスタ
神の子メッシ
人類の到達点C・ロナウド
鉄壁ファンダイク
神童ムバッペ
プロフェッショナルケイスケホンダ…
主人公バッジョ
シャビとイニエスタは無理やり感あるな
悪童 イブラヒモビッチ
@@user-rw8yg6ov9r そう?イニエスタのニックネーム魔術師だけどね。
より繊細なジーコって感じ
9:13 の相手使ったワンツーすごい好き
素晴らしい!
2番目のやつはライブで見てた。その時解説してた水沼が絶叫のあと絶句してたw
私的には最後で最高のファンタジスタだよ
史上最高のファンタジスタ
Gol incredibili come solo un fuoriclasse come lui poteva fare
「世界で唯一イタリアだけが彼をNo1と認めようとしなかった」Byジネディーヌジダン
当時ほかのセリエAの選手たちのインタビュー記事でも「俺ら選手からみたらバッジョが一番凄いのに、バッジョの凄さをいちばんわかっていないのがイタリア人」って語ってたのが今でも印象に残ってる。
トラップ一発だけでも技術のケタが違う。思い出補正なんかじゃない。もっと試合に出してほしかった
日本でいう中田英寿みたいな感じですね
303tk4 というか当時のイタリアは今もだけど、攻撃的な選手をか複数使うことにいつもためらいがあるよね
守備の穴になるからと言う理由で
今以上に昔は上毛の選手は全く守備しなかったけどさw
逆にブラジルは守備のポジションでも常に攻撃的な選手を好むのが面白い
ロベカルがインテルで通用しなくてスペイン渡ったみたいな
スーマーサ
中田英寿ってあまりに美化されすぎてませんか?
やっぱり全盛期にやめたらそうなるんですかね
D M 美化されすぎ、日本で言う中田より日本で言う香川だね
バッジオに憧れてたから、中学サッカー部時代はマッチウィナー履いてたな。
世界で唯一イタリアだけが彼をNo. 1だと認めなかった。ってジダンが言うのもわかるわ。
日本もレベルが上がったとはいえ、バッジオのような天才はまだ現れていない。
代表ではあんまり活躍できなかったけど香川はかなり近かったんじゃね
@@chelsea_hav
J2時代とドルトムント時代の香川は近いかもね。
@@chelsea_hav香川もめっちゃ上手いけどバッジョはレベルが違いすぎる