【ゆっくり歴史解説】 鎌倉幕府滅亡 絶対幕府倒して自分の政治がしたい!後醍醐天皇と鎌倉幕府がどうやって滅亡していったのかを簡単に解説

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  • čas přidán 13. 08. 2022
  • 今回は鎌倉幕府の滅亡について
    正中の変、元弘の乱と二回も倒幕計画がバレても
    絶対にあきらめずに挙兵した後醍醐天皇と
    鎌倉幕府が滅亡していった流れを
    簡単に解説してます!
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    #ゆっくり解説 #鎌倉時代 #日本史

Komentáře • 16

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Před rokem +7

    幕府の賞味期限がちょうど切れかけてる時に後醍醐帝みたいな強烈な人が出てきてしまった…

  • @user-ob5yj1dr9p
    @user-ob5yj1dr9p Před rokem +1

    ありがとうございます!

  • @akikawa_6664
    @akikawa_6664 Před rokem +2

    大河を観てるので、タイムリーに予習ができて嬉しいです😊

  • @user-cx4zg9qn6x
    @user-cx4zg9qn6x Před rokem +10

    後醍醐天皇は、天皇の肖像画に分かるように中国の皇帝にあこがれていた。
    また、ごりごりの朱子学の信奉者でもあった。基本的には武士を見下していた。
    時代的に鎌倉幕府にも矛盾があり、鎌倉時代の終わりは免れなかったろうが、
    一人よがりの制度変更は時代に即しておらず武士方の不満を爆発させてしまった。
    この時代は、遺産相続の方法が後世のように嫡男相続でなく兄弟での分割等
    所領が曖昧だったが、よく調査もせず所領を決めてしまった。
    北条氏が滅亡したため、与えるべき所領は十分あるのに。また、護良親王に対する
    愛情のかけ方や赤松氏に対する評価(倒幕行動の無私)、兵乱が終わってないのに
    御所の造営計画など政治を安定化させる前に自分の理想を追い求め人心が掌握
    出来なかった。但し、古代は除き自分が先頭となり国政を担おうとした事や
    当時の武家の節操のなさなど、同情できる部分はあるが、その後の室町時代の
    停滞を巻き起こした。この時代と昭和初期だけは日本の暗黒時代だと思っている。

    • @kaminagam
      @kaminagam Před rokem

      まあ、独裁者によくある「世界を読み切れていない」の典型ですな。鎌倉幕府が成立したのは、朝廷が全国の土地管理をできなっくなっていたこと。朝廷軍という政府軍をまったくもっておらず、治安を維持できていなかったことが要因と考えています。初期は、東国支配の自治領政府みたいな組織だった幕府も、承久の乱や元寇を経て西国にも支配が及んでいきますが、全国を支配する有効な統治システムを確立できなかったことが、鎌倉幕府滅亡の原因だと思っています。
      親政が始まって、いざ土地分配の采配をはじめたら、「え、こんなに裁くのかよ・・」という状態で、政治を行えるまともな組織を整えられなかったのが親政失敗の原因です。全国を有効に支配できる政治システムは、室町幕府も確立できず、戦国時代へ突入していきます。ようやく全国支配を確立するのは、徳川幕府成立を待たなくてはなりません。

  • @user-dh4pq2om7e
    @user-dh4pq2om7e Před rokem +3

    鎌倉時代から江戸時代になるまでって 〜の乱、 〜の変やら 〜の戦いとか次々と起こるし関係する人物も多いから動画みてるだけじゃ理解が追いつかないから時系列で自分でまとめてみようかな。

  • @user-wh6nn3wj9c
    @user-wh6nn3wj9c Před rokem +2

    後二条派の中に徒然草の作者吉田兼好がいました

  • @user-ji8ql1ij2x
    @user-ji8ql1ij2x Před rokem +1

    絶対自分で政治やりたいマンのサムネで吹いてしまったww
    無理に院政やろうとしなければ武士勢力とも上手く行ってたのかな??
    個性的な天皇ではあると思う😂

  • @user-iz8ix5sj5s
    @user-iz8ix5sj5s Před rokem +2

    >鎌倉幕府滅亡 絶対幕府倒して自分の政治がしたい!
    ここまで読んだだけで、もう誰の解説動画か分かっちゃうの強い

  • @Sugiura_Kenji
    @Sugiura_Kenji Před 11 měsíci +1

    後醍醐帝の肖像画の、被り物の縁からなんかぶら下がっているのがとても気になります。
    歴代天皇の肖像画をみると、被り物は、神主さんが被っておられるようなもの(:「衣冠束帯」でググると出てくるもの)が多くて、縁から飾りのようなものがぶら下がっている被り物のお方を捜すと、桓武天皇だけ見つかったのだけど、他には見当たらないので、やはり、ああいった被り物は珍しく、後醍醐帝の独特のキャラクター・生き方の現れの一つかな、と感じています。
    秦の始皇帝の肖像画でも、被り物の縁から沢山の紐がぶら下がっているので、後醍醐帝は、秦の始皇帝のような皇帝を目指していた、と考えられるのかな?

    • @memejiro7147
      @memejiro7147 Před 9 měsíci +1

      これ、2つの被り物を頭に乗せているみたいだけど、実際には 安定が悪くて こんな事は出来ないらしい
      絵の中だけでも 飾り立てたかったのかもね

  • @user-ss5op5fe8w
    @user-ss5op5fe8w Před 3 měsíci +1

    まあ一言でいうなら人の心がわからないっていう言葉がふさわしいわな。自分が有能だから無能な奴の考えが理解できない。だからなにもかも他の人と政策がかみ合わなかった。

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t Před rokem +2

    ーコメです