もし、前田利家が徳川家康より長生きしていたら?
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- čas přidán 26. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、『もし、前田利家が徳川家康より長生きしていたら?』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
0:56 秀吉死す。反目し合う利家と家康
4:29 水面下で動く家康の思惑とは?
7:13 家康死す。そのとき利家は?
9:40 新たな闘争が勃発!?キーポイントになった人物とは?
14:03 そして内乱へ…そのとき政宗は?
~関連動画~
もし真田信繁が大坂夏の陣で家康を討ち取っていたら?
• もし真田信繁が大坂夏の陣で家康を討ち取っていたら?
もし黒田官兵衛が天下を取っていたら?
• もし黒田官兵衛が天下を取っていたら?
歴史のif考察 もし豊臣秀頼が生まれていなかったら?
• 歴史のif考察 もし豊臣秀頼が生まれていなか...
脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行
~画像~
AlexHe34 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, commons.wikimedia.org/w/index...
~地図~
www.google.com/maps/place/%E5... - Zábava
利家が家康より長生きしていたら関ヶ原の戦いは起きなかった。
徳川方に味方する大名も史実より少なかっただろうし、秀忠では大軍を率いる器量が家康より劣る。
人それぞれの想いがあって楽しいですね。いろんなストーリーが生まれてくる、楽しいです。
このシリーズは毎回身終わったあと面白いなと思いますが、今回は更に納得出来るストーリーでした。
ありがとうございます!
さすがにムリがありすぎるな、この話
豊臣秀長、小早川隆景、前田利家。この3人の誰かが生きていれば豊臣政権は存続し、家康の存命中に天下取りは出来なかったと思う。
家康にとって一番鬱陶しかったのは隆景かなあと思います😔
あの時代に74歳まで生きたことと、鬱陶しい人間達がことごとく先に死に絶えたことを考えたら、家康の強運ぶりは他の誰よりも抜きん出てるし、天が選んだ人物だったんだと思います
新たな戦乱にならずに済んだのは、最後まで残ったのが家康だったからとも言えます
私も秀長を除けば、隆景のほうが家康にとって脅威だったのは同感です。隆景の器量は個人としては家康に匹敵しますし、領土も小早川家と毛利家を合わせれば家康に十分対抗できるでしょう。更に秀秋は秀吉の養子ですので隆景は豊臣家の縁者の年長者として秀頼と秀秋の後見人として立ったとしても誰も異議を唱える者はなかったと思います。
また彼の性格からみましても、輝元と同様に全力で秀頼を補佐、教育して立派な秀吉の後継者にしていたのでしょう。家中も争いなく豊臣政権は盤石となったと思います。家康は用心深い人物ですので、こうした状況では隆景と争う事はしないとでしょうから争いは起きず豊臣政権続いていたのではないかと思います。ひでかわさんのおっしゃる通りライバルがいなくなるまで生き残る事ができたのは家康が天運の持ち主だったのでしょうね。
@@user-mj6ho8jx3u ご賢察お見事です!🙇
おっしゃるように隆景が生きていたら、家康が乗じようにも乗ずる隙がなかったと思います😔家康が野心を起こそうにも、起こせなかったでありましょう。またNo.2に徹して補佐に回れる人物でもありますから、秀頼に求心力が付くように仕向けたでありましょうね。同時に中央政権内で毛利の立場を如何に高めるかを、家康らと競っていたかと思います😔また家康も人間50年を過ぎた高齢だったので、隆景同様に徳川の立場を少しでも有利になるように思案したでしょうね😔
隆景なら、三成などとは違い、一応家康と同格の五大老であり、毛利の大身代を背景とした格があります。封建社会ですから、893の世界以上に格は重要で、誰が上だの下だのが凄まじいので、大変重要な要素です!また年齢も上で家康と互角以上だし、家康も納得するに十分だと思います😔
豊臣政権というのは、応仁の乱以来、130年ぶりの統一政権ですから、誰か一人が突出する状況さえ出来なければ、やっと訪れた平穏を誰も壊したくなかったって思うし😔
隆景が賢人なら家康も賢人です!勝ち目がほとんどない博打を打つはずがありませんから
秀吉も家康と隆景に政務を託したでしょうからね😁
優れた経営者達が大成功を収めた最大の要因として皆口々に上げるのは、必ず人並み外れた運勢の持ち主だった、ということです!
自分も運勢が最大の要因だと思うし、まさに =運も実力のうち=
です笑
つか
=運こそが最大の実力=
なんだと思います笑
私も隆景が1番厄介だと思います。
中興の祖である元就の次の器量人は、
隆景以外に考えられませんね。
秀長が生きていたら秀次も切腹させられなかった可能性が高かったと思います。
秀長がいれば加藤清正や福島正則と石田三成の反目も上手く調整したでしょう。
そして前田利家、小早川隆景が豊臣家が居れば
家康も天下取りを諦めていたかもしれませんね。
豊臣家内部の争いは秀長が上手く抑え調整したでしょう。
良い考察だと、思います。
正宗は、徳川政権でも唯一無二でしたが、こちらも面白い。
政宗
前田利家に加えて豊臣秀長が長生きしていたら流石の家康も付け入るスキがなかったのでは?
秀長が生きていれば秀次が死ぬ事もなかっただろうし、そうなれば秀頼の周辺には秀長、秀次といった血縁関係で固められ石田三成、小西行等の文治派と福島正則、加藤清正等の武闘派の間もうまく取り纏めていたと思う。
でしゅうね。秀次の家系は子沢山な上に秀吉に大部分殺されても何人か生き残っていますし、嫁が大名の娘ですから政略結婚が上手くいっていますからね。
秀吉に秀頼のために大名たちの娘や孫殺されて内心怒り心頭の大名たちが東軍にこぞってついていますからね。
この話の場合、利家が死ぬ頃には豊臣秀頼が政権を担える年齢になっており、政権も盤石になっているのでそれ以上は世は荒れなくなるかと。
今ちょうど、大河の名作「葵」を見直しているから、どうしても、秀忠が西田敏行さんで脳内再生されてしまうw「こまった・・こまったのぉお・・正純ぃ~」と嘆く姿を想像してしまうw。
私もちょうど「葵」を見直してます!同じく西田敏行さんを思い浮かべながら動画作成していましたw
秀忠「遊女を曳け!」
関ヶ原遅参のシーンが浮かぶわ笑
生きていたら家康は動けない。豊臣が勢力残したまま秀頼が普通に成人して何も起きないとしか。
最低10年利家が長生きしていたら秀頼も成長してますし。家康が動くとすれば利家が雪で動けない冬にワンチャンあるかも知れませんが…大乱より絶妙に拮抗してて大きな動きは無い可能性の方が高いと思う。政宗は有能且つ野心家なれどキーパーソン迄はなれないでしょう。
かつて秀吉は柴田勝家が雪で動けない時期を見計らって天下簒奪を着々と進めたわけですしね。
なのに利家を加賀に置いたという事は秀吉は利家をあまり信用してなかったのかも知れませんね。
本当に信用していたら雪の少ない地域に配置してるはずですし。
ひょっとしたら秀吉の信頼度は家康>>>>利家だったのかも知れませんね。
私もそう思います。家康がその成長を恐れるほど有能だった秀頼が恐らく天下を収める。徳川家は天下人ではない為、秀忠が継がず、結城秀康が跡目という事になったかも。
となると、佐渡金山も豊臣が知る事となり、せっかく開拓した関東からの国替えも起こったかも。
毛利は基本、毛利元就の遺言にあるように、東進はご法度。伊達も東北の勢力争いでそうそう自由に動けない。
東北や九州(島津起点)での争いは度重なるかもしれませんが、豊臣による大阪中心の世の中は続いたかもですね。
でも、非常に興味深い動画でした。
前田利家加賀においたのは柴田勝家と秀吉の織田家の主導権争いに加賀の一向一揆の残党と上杉連動させないためでしたし、利家の信頼度は、むしろあつかったでしょ。
前田利家は加賀で上杉軍二万の抑えとして存在していた。
秀頼のために殺された秀次一族に東軍方の大名たちの娘や孫が含まれていてまた生き延びた大名の娘や秀次の娘や息子匿っている大名も多いために後に秀頼殺すことも密約書面条件にいれて東軍で戦った大名たちもいて秀頼恨まれまくっていて、豊臣家は利家生きていても家康に結局天下とられていたと思う。
利家の役目の上杉二万へ前田一万は有効だが徳川十万には余り抑止にはならなそう。
まあ豊臣家と仲が良かった家康も頭下がらなかった家康の母親が1603年に死ぬまでは豊臣家の秀頼を害する行動はとらなそうですけどね。
利家より秀長が生きていたらだろうね
まあ確かに秀長が生きていたら、秀長と並ぶ豊臣家の両輪利休の切腹も無かっただろうね。
朝鮮出兵の可否については議論がある所だろうけど、少なくとも秀次の自害や妻子殺害は無かったと思う。
北政所の正妻としての立場もより万全であったし、淀君やその周囲の専横も抑えられた。
然し未だ豊臣政権が磐石な時代の中での秀長の死であった訳であり、
秀吉死後に家中が動揺、野心の爪牙を露わにした家康に対抗する人物として利家を於いて他に無し、という歴史上のイフを語る上では、利家以上の人物はいないと思う。
秀次の沢山の殺された妻子が大名の娘や孫だから、東軍方の大名の中に秀頼あとで絶対殺す密約に、いれている大名も多かったから、秀頼は秀次の妻子殺された時点でかなり恨み勝っていますからね。
関ヶ原で西軍裏切った一人も娘を秀次の嫁で殺されたから、その人だけは家康に書面で本領安堵確約され実際に本領安堵されていますね。
家康秀頼のために娘や孫殺された大名たちを東軍や仲間に引き込んで秀頼恨む連合つくっていますからね。
大阪の陣でも意気揚々と秀頼は家族のかたきだから殺すいっている大名も多かったですしね。
秀長なら秀次妻子殺させはしなかったでしょ。
関ヶ原や大阪の陣がなければ秀忠の立ち位置が物凄く変わりますよね
秀忠は合戦の経験がない上に、特に苦労せずに天下人の義父になれたわけで豊臣による平和の恩恵を一身に受けた人物であるはず。もはや豊臣恩顧と言っていいレベルだから、家康はすぐには家督を譲らないんじゃないかな。下手したら家康秀忠で対立もあるかもしれない。
大奥もないだろうし徳川家が磐石ではない以上家光は嫡男不適格。嫡男は忠長で決まり。
大阪の陣の頃はまだ千姫も若かったからそのうちに秀頼と千姫の子が生まれて徳川家が完全に吸収されることもあるかも
前田利家が長生きしてたら石田三成の台頭に関ヶ原の戦いも豊臣家の滅亡も起きてたかどうか?
前田利家が徳川家康をどう思ってたか分からないけど戦乱はそう続かなかったんじゃないかな。
そこに小早川隆景もいたら、、
信雄が明智光秀を討てばもう少し歴史が変わっていたのかも……
めっちゃおもろいやんこれ
毒殺説の在る秀頼義兄秀康も史実関ヶ原で負傷の忠吉も健在である可能性が高いし忠輝より年長の忠直もいる。何れにせよこの世界線だと豊臣に次ぐ石高の徳川は割れる可能性が有る。五奉行石田三成等と加藤清正等との確執は矢張り続いていると思う。伊達の周辺には會津上杉、出羽最上、常陸佐竹がおり動けないと思われる。丹羽長秀、堀秀政、秀長、蒲生氏郷、黑田孝髙、駿府転封受け入れた織田信雄、小早川隆景、、、等などの長生き設定豊臣政権は妄想が膨らむ。
もしもシリーズ!
関ケ原の戦いで
西軍の大将に?豊臣秀頼が総大将だったら?
西軍が勝っていたかも⁉️
何だか利家公を蔑んでいるコメントが多くて悲しいです。当時家康と刺し違えても豊家を守る気概のある大名は他に居ないでしょうが。彼が動けば宇喜多、細川、加藤、小西、上杉、南部、佐竹、真田は完全に同調するのでは。そこに石田、大谷等が加われば負けは無いと思うのですが、見て来た訳では無いですけどね。
日本最弱のポンコツおぼっちゃま同士(秀忠、輝元)の争いは笑えるw
更に豊臣秀長と蒲生氏郷が長生きしたら。さしものの家康は身動き取れない。
東北勢の大名は蒲生氏郷に睨まれて身動き取れない。
畿内は豊臣秀長が朝廷工作等をして家康に与する公家は身動き取れない。迂闊に動けば家康自身が朝敵になりかねない。
更に、小早川隆景が存命なら、毛利輝元等に元就公の遺言を盾に迂闊な行動はさせないだろうな。
淀も秀長健在なら。北政所(お寧)とお松(利家夫人)が睨みを効かせて迂闊な行動はさせないだろうな。
淀が、頼る。石田三成や大野兄弟は加藤清正や福島正則等の北政所の子飼いが睨みを効かせてのは必至。
蒲生氏郷では…?彼は家康の監視も兼ねて会津へ行った人ですから。
蒲生郷舎は元々は氏郷の部下でしたが、石田三成の部下になって関ヶ原の戦いで亡くなった人です。
@@daisukenakayama375 訂正してお詫びします。
@@masazom3895 さん
ありがとうございます。
家康が婚姻事件を起こしている時に利家は加賀から大軍を大阪に進駐させてますが、家康は江戸から軍を呼び寄せるべしという進言を却下し、伏見城は守備に難があるから京極高次に大津城を借りろという提言も拒否しています。
武士の本気の喧嘩がなんたるかを知る者同士のせめぎ合いは実に面白い。
意外と家康と利家は惹かれ合う間柄だったのでしょう。
本動画のよう利家が生きていたら利家も家康もお互いに苦笑いを噛み殺しながら政治ゲームを楽しんだことでしょう。
前田利家が長生きして居た場合家康は上手く動けない考え面白かったです!
家康が居なくなった後、利家もその後を追うようにいなくなるのも想像がつきましました!
ですか、その後の事は少し疑問もありました、石田三成は?大谷は?西国になると黒田は?島津は?
伊達の抑えとなってた上杉が簡単に伊達に従う?
歴史の面白いところだが切りがなくなるのも事実。
内大臣、左大臣、右大臣の時に関白に就任し、太政大臣になるのは,その後、が故実かと。後、宇喜多秀家の正室の生家は前田家、利長は兄なので毛利よりも絆があります。
政宗ならやりそうですね。
史実ではスペインと同盟して日本を征服する予定を立ててたとか立ててなかったとか…
支倉常長に持たせた、スペイン国王宛の親書に軍艦派遣の要請が書かれてたとか実しやかに言われてますね。
スペインとの通商交渉が上手くいかずに焦った交渉役のソテロが一か八かで言ってみた大嘘でスペインにも全く相手にされなかったみたいですね
歴史学者の中でもスペインとの軍事同盟説を唱えてる人は今や皆無みたいです
逆に幕府の命でスペインと戦う時の為に領内の測量してたなんて記録が仙台藩にあったりします
今回も面白い内容でした。個人的には前田利家・徳川家康が退場した後は豊臣政権は鎌倉幕府のように内部抗争どまりで大乱は怒らない気がしますが。
毎回、面白い。
寝返りに関して小早川秀秋がやたら叩かれるけど、この人の方が質が悪い気がしますけど、イメージ戦略は抜群に上手いのでしょうかね。
家康、利家が亡き後なら
秀頼も成人しているのだから
親政を始め後見役は不要では。
小一郎(秀長)が生きてれば
愚痴を聞いたり相談役だったから
石田三成と仲間割れも酷くは無かったろうし
朝鮮出兵ももう少し作戦を練って行ってたろうし千利休も死んで無いと思う!
千利休と秀長の死が一番デカイな!
前田利家まで生きてたら
なお良かったと思うね!
正直な話し豊臣政権時代にも
譜代と外様の国替えはあったし
譜代と外様をもっと極端に分かりやすくし直したのが家康だから
ついでに言ったら
首都が大阪で天皇は京都にいたかもな!東京なんか畑や田んぼばっかり
の田舎だったろうなぁ~
そう考えたら歴史って凄いよな
豊臣の話題になるとどうしても中田のあっちゃんが話してた都市伝説思い出す⤴︎
豊臣政権と豊臣家中が秀吉の死によって分解しつつある以上は誰かが舵取りをしなければならない…
皆が思ってる100倍くらいグダグダになるだけじゃないかな?(史実でもグダグダやったあげくの秀頼切腹やし
たしかに、秀吉病没後、家康の対抗馬を立てるとすれば、利家がその筆頭だとは思うけど、利家と家康とでは役者が違うのではないかと。
本能寺の時点で、秀吉は中国方面司令官、家康は三河・遠江・駿河の三か国を領有する大大名、利家は北陸方面軍の府中三人衆の一人に過ぎませんでした。
本能寺の後は、家康も利家も老獪な立ち回りで生き残りましたが、どさくさ紛れに織田領の甲斐・信濃を奪い、秀吉と敵対しながら最終的にはVIP待遇で迎え入れられ、田舎に飛ばされながらも大幅加増を受けて200万石を超える大大名になった家康に比べると、利家は、柴田を見限ったことと、北陸戦線で成政と乳繰り合っていた印象しかない。
もし長生きしていたらというIFをして、家康を止められる存在がいるとすれば、秀長か中継ぎ登板を許された秀次ぐらいではないでしょうか。
天下人になって欲しかった。ただそれだけ。
ちょっと秀忠を過小評価しすぎで輝元を過大評価しすぎだと思います
秀忠なんか無能のボンクラだろう(笑)
秀忠の場合、関ケ原の戦い(……正確には関ケ原で家康軍に合流さえできず、圧倒的優位な兵力差で真田の上田城に固執しすぎて大敗したこと)での大失態があったからこそ彼の将としての精神面の成長に繋がり、将軍としての治世もこなせるようになった面もあるかもしれませんね。父の家康が若いころに血気盛んで色々と失敗した(例として三方ヶ原とか)ことの反省の積み重ねが彼を成長させたように。
秀忠は秀吉生前時から徳川家のナンバー2として関東を差配したりと実績があるんだよなぁ…
毛利の「保守主義」、
織田が進出してきた時も、消極的な態度で勢力圏を失い、関ヶ原でも大坂の陣でも、どっちつかずの態度をとって「バカとの」と言われた毛利輝元ですからね。
前田利家が徳川家康より長生きしたifストーリー、伊達政宗が暗躍するのはわかるのですが、黒田官兵衛が登場しないのが、ちょっと引っ掛かりますね?
官兵衛、1604年に亡くなりますからね。
官兵衛が死ぬ死なないの話ではなく登場しない事が気になる。
官兵衛は大した影響力を与える程の力が無かったからではないでしょうか。
@@supremegarbage9796 あくまでも予想だから史実とは違うから。
これは応仁の乱に逆戻りだわ
にしても、関ヶ原本戦に来れなかった者同士が衝突するのは面白かった
こんなことがあるから歴史は面白い!
まあ利家が家康より長生きしていたら間違いなく歴史は変わっていたでしょうね。
利家は好きな武将‼️
利家は『以って六尺の孤を託すべし』武将であったと思います。
利家健在ならば、豊臣恩顧の武断派の中でも一際三成憎しで凝り固まる、正則や清正を抑えられたのではないでしょうか。
秀頼の生母として権勢を握る淀君に対しても、唯一苦言を呈せる人物でもあり、利家の死は秀吉死後生き残りに右往左往する武将達を家康に近付け、豊臣政権崩壊の序曲を弾いた痛恨事であったと言えるでしょう。
秀吉派の大名達がもっと長生きしてたら勝手な動きをして権力や勢力拡大に目を光らせて牽制出来たかも知れないけどね~
たらればの話しですが、豊臣政権が続いたとしても、大政奉還が早まるくらいで特に変化は無かったでしょう、徳川幕府で長州、薩摩を長い間虐げたため大政奉還に繋がり、徳川幕府滅亡となったけど、誰が天下取りしたとしても時代の流れには逆らう事は出来なかったでしょう。
確かに。江戸徳川幕府時代だろうが大阪太閤殿下時代だろうが明治維新は同じようにやってきたでしょうね。ただ現在の東京と大阪の位置づけは全く逆になっているかもね。もしかしたら、東京は名古屋よりも小さく、関東平野には3つほどの100万都市があるのがせいぜいだったかも知れないな。
世間は伊達政宗を評価し過ぎだと思う。どうせIfストーリーを考えるのであれば、蒲生氏郷や堀秀政や島津家久が亡くならないストーリーを妄想する方がこのような動画を観ている人間にはウケが良いように感じます。
利家がいれば家康を押さえられたかもしれないとは思うが兵力が足らないので結局毛利とくまざる得ない気がする隆景広家がいた毛利とくまざる得ない気がする。正宗景勝だと変わってしまうなぁ路線が
政宗な
(;●д°)歴史ifだな とりあえず暴れておけ
家康の調略メンバーの中で金森長近が家康に就くかは疑問、長近は利家と同じ信長の赤母衣衆出身・同じ織田北陸軍・領地飛騨の経済は戦国、江戸前期は前田領の越中だよりだったはずなので金森が裏切るかどうかだけ疑問。他はすべて面白かったです。
正直、利家死後以降はやっぱり豊臣家の崩壊は免れないと思う。
秀忠は優秀な君主だし、利家死去後はやっぱり石田三成が問題起こしそうだし、動画にもあった政宗が絶対に動きそう。
この設定で、大河ドラマをやって欲しい。
豊臣、徳川にとって「最も危険な男」が天下を狙う・・・・か。
伊達政宗ファンには胸熱な展開である。
伊達政宗には、動かせる兵力はほとんどなかったのであり得ないシナリオですね。
秀吉の朝鮮出兵で伊達家病死で家臣の半分が死んでいるから、次の世代が大人になる十年は、動けなかったですからね。
今回の動画を見させていただきましたが、もしも前田利家が史実より長生き出来たら、豊臣政権は、安泰だったと思います。
豊臣秀長と豊臣秀次がもっと長生き出来たら、豊臣政権は、史実よりもっと安泰だったと思います。
面白い考察ですね。前田利家は豊臣家に忠誠を誓っていたのか。この部分が抜けてしまっているので別のIFも大いにありそうです。何しろ利家は遺言状に豊臣のことは一切触れていません。織田家のことばかりです。秀吉のことを苦々しく見ていた可能性は大いにあります。さらに自分自身が天下を治められるとも思っていなかったでしょう。家康は婚姻策の強行で豊臣政権内の力関係は見切っていたと考えていい。とすればやはり上杉に難題を吹っかけて討伐という鬼手は打ったでしょう。利家が収められるか。おそらく家康は討伐を強行するでしょう。東日本の大名はほとんどが家康に恭順するはず、この時点では佐竹も家康側でしょう。鬼義重が家康側なので。上杉を救えなければ利家の名声は地に堕ちます。家康討伐の兵を起こせば場所は違えど関ケ原のような合戦が勃発して家康が勝つでしょう。利家と家康では国主としての経験と器が違いすぎます。私はやはり家康の天下が成立したと考えます。
長々すいません。
歴史にIFはありませんが、それを想像するのも楽しみですよね。動画楽しく拝見しました。ありがとうございました。
江戸時代に60代まで生きるとは、長生きですね。
宇喜多秀家と前田利長が割れるとは思えない。義理の兄弟だし。
豪姫の旦那様ですよね
@@GrassGRACEtongue そうです。
幾ら何でも秀忠がマヌケ過ぎるよ・・・・・・
可能性として親利家派と親家康派が武力闘争となっていれば、利家側が有利だと思うのですけどどうでしょうかね。
お見事な想像力ですね、秀忠を殺した伊達政宗はその頃には病魔に侵されてろくにうごけないはずでは?
しかもかなりのご高齢、その辺をもう少しアレンジして欲しかった。
でもこのお話は大変に良かったです。
豊臣政権は秀吉亡き後、例え家康居なくても争い事が起きますね。なるほどです。
何がすごいかって?
掛け軸の等の肖像画だよね...顔以外だと簡単にへし折れそうな刀とかさ
あの書き方で本人は良かったのかな?
利家が生きていたら家康の天下は難しかったと思う。家康は何より戦も仕掛けにくいし誘いも利家は乗らない。正史利家の死は家康にとってつごう良くでき過ぎかな
金森長近は,柴田勝家の与力であった為,利家につく可能性あると思う。
五大老として利家は家康と対立して旧織田家の流れを汲む武将を取りまとめていったよ雨な気がします。丹羽長秀。滝川池田蜂須賀と有力な人はいる豊臣の直轄領でもまだまだ力はあったのではと思えます。
宇喜多は前田につくんじゃないかな
それから伊達が来るならスペインの支援も
秀家と利長は義理の兄弟だしな
島津がどう出るかだな・・・
ただ、秀頼も大老である義父が殺されたら気分はよくないし毛利、宇喜多は秀頼の叱責を受けるかもだろう・・・
軍師、歴史家気取りのコメントが面白い
前田利家様が徳川家康様より長生したら、豊臣家に仕え、加賀百万石の
礎を守り抜いていたかもしれませんね・・・・・
笑いました。
毛利輝元にはそこまでの器量はない
減封され36万9000石で丁度良かったんだと思います。
慎重な家康だから、豊臣政権内での権力拡大に注力するんじゃないかな
まぁ利家死んでおらず・・云々で・・
家康の定説通りの隠居はないと思うy
世界史受験した者だけど(20数年前)乱世が続いて、それを鎮め統一王朝作った政権って長くないから遅かれ早かれ豊臣政権は崩壊していたと思う。
このBGMなんでしたっけ。。。。
Ancient White
@@user-ut7ik2yr9i
ありがとうございます。
外戚が大きな力を持つのは普通なので、利家が生きていたって家康が圧倒的に優位じゃないのかな。三成はトップではなく豊臣家を持ち上げようという行動理念なのだから、それに伴って徳川家も持ち上がるわけです。この手の話で力の拮抗が保たれていたとするのであれば、相手側にも同じような立場を用意すべきでは?少なくとも生存時のストーリーは全く腑に落ちない。
秀長と、利家、両氏が生きていた場合
高台院、ねねが発言力を維持できると思います
そうなれば、黒田、加藤、小早川、福島あたりは、関ヶ原に参戦することはないし、何なら、石田三成を更迭する可能性大ですね。
コメ見てて思うが…まともな奴かヤバい奴かの見分け方は…
ただのクソ素人なのに、〇〇に決まってるって根拠が無い事を断定して書き込む奴はヤバい奴…
〇〇だと思うけどなぁ〜とかはあくまでまともな人でただの考察だとわかる。
凄く分かりますそれw
また◯◯に決まってる!的な根拠のない事を断定してるコメントに返信すると大抵烈火の如くキレて
「大した知識もないくせに俺に噛み付くな!」
的な返信米が来るのがデフォですね
歴史系動画でよく観ますこういうのw
とか偉そうに言ってる私も人の事言えないのでなるべく気をつけるようにはしてます
前田利家公のおまつりしている神社に行って来ました。ごしゅういんもいただきました。
後継の利長さえ家康より早く死んでる件についてw(梅毒)
まあ関ヶ原が起こらない場合は豊臣政権は室町幕府のように基盤の弱い政権になり、応仁の乱のような状態になったんじゃないかな、、、一気に決着がつかず10数年間戦乱状態になったんじゃないかな?
利家が生きてたとしても、秀吉に屈服した様に家康とは同盟して家康側についたでしょう。
利家って秀吉を支えたいうが、賤ヶ岳では柴田勝家から願って訳だからね。
美化され過ぎでしょ。
伊達政権は広く海外との交流を進め、対外的に鎖国政策などもなく相当以前から近代化された日本ができたことでしょう。順調に通商、産業の育成がなされ、よって急激な近代化も必要なく、日本はグローバルビジョンを持って、他国との交渉ごとにも長けていたかも知れません。よって、世界大戦の災禍も全く違ったものとなっていたかも知れません。
これは、秀頼の権威をちゃんと分析して入れてない為、このifはないな。
前田利家の天下統一
仮に利家がただ長生きしてても
病気で寝たきりだったら
効果薄まるよなー
関ヶ原がないなら、真田がキーになるような気がしますね
味方につけた方が勝利しそうです
ある本では、既に息子に任せていたので、長生きしても、もしかしたら「まつ」の考えに従って徳川に仕える決定をしたかもしれない。
そして、傾奇者の血を滾らせて、派手な女物の服を着て、もろ肌脱いで槍を担いで馬に跨り、愛する「まつ」を同じ馬の前に乗せて、二人で笑いながら徳川の下へ、人質として、豪快に入る。
そんな設定があったけど、利家らしくて、この創作、凄い気に入っていますw
似た立場の池田恒興は長久手で倒したから良かったのかな
歴史に、もしは無い❗
もしを言い出したら切りがない。
どこかで聞いた安い言葉では誰にも響かないぞ。たいして理解も思い入れもない言葉だろ?
少なくても主はそれなりに調べ勉強した上で動画を作成している。
お前は何の下地もなしに安い批判してるだけ。お呼びじゃないよ。
@@htsuzidou9946 貴様にお前呼ばわれされる覚えはない。
それは禁句だ。日本の歴史はみんな繋がっていて上を目指す以上はいろいろな覚悟はみんな持っていたと思うし、本当は天下泰平を望んでいても現代よりも疑心暗鬼になりやすい時代においては生死を分けて時代を切り開く力が必要だった。是非もなく紡ぎ出した歴史だ。悲しみも失敗も過酷な災難も全て日本人に培われた経験であり、我々日本人はそのあらゆる時代を生き抜いた末裔だ。過去よりもこれからの日本人が誇り高く志を共により良き日本の時代、日本の正義を貫けるよう自分は願っています。
石田三成等が前田利家に与したのはVS家康の為。
秀吉が秀次粛清の後に家康に対抗する力を付ける為に
利家に尾張等の領土を与えようとしたが三成らが
反対したという逸話もある。
家康が先に死んだ場合、利家に素直に従うか?
少なくとも三成達VS利家と親しい清正・細川達や、
大老と淀殿周辺や奉行ら等の主導権争いはあるはず。
それぞれの地盤周辺で実権を握りたい上杉や毛利、
大老ではないが実力ある島津や伊達等と
波乱の種は沢山ある。
利家にそれだけの政治力があるかどうか。
いやあ今回のIFは見ごたえがあった!
「ゆっくり」じゃなくなってから一時勢いをなくしたけど、IFを導入することで復活しましたなあ
利家とまつでも表現がありましたが、
利家が存命の際にキーポイントなのは
蒲生氏郷が健在か?伊達政宗の去就かと。
利家が健在であれば
既存の徳川の勢力形成は難しく
関東付近で固めるしかないでしょうね。
なにせ利家=豊臣みたいなものです。
真田昌幸も息子と分裂せずに健在し
大老•奉行も徳川の敵。
となると愛娘の死罪で恨む最上義光や
藤堂高虎、結城晴朝、黒田長政以外は
難しいかと。
徳川家康•前田利家死後であれば
島津•伊達が躍進し大老に加わり
岡山〜中部地方の
『宇喜多秀家•前田利長•上杉』
『毛利輝元•島津忠恒』
『伊達政宗•徳川秀忠』で内紛なのかな
取り敢えず、関ヶ原合戦が起こらないって事は石田三成も大谷吉継も生存しているので、五大老の会議に政宗が同席することは彼らの権限で良しとはされないと思いますよ。
家康の死によって淀殿らが秀頼の婚姻関係を破談させる可能性もあります、公家や皇家と結んだ方が天下を治めやすいですから。
なんとなく『伊達政宗の天下取りシナリオ』を逆算していった結果みたいな企画ですね。
利家が長生きしていても「関ケ原の戦い」は発生していると思います。違うのは「豊臣恩顧の大名が一致団結して家康と戦う」ことですが。この場合、福島なども豊臣川で戦うでしょうけど。(福島は「三成憎し」で家康に従ったようなモンですし。「関ケ原の戦い」も「豊臣家の権力闘争」でしか、ないので)
ただ、豊臣家は「淀殿」とゆう「巨大すぎる癌」も抱えているので、利家でも・・・(三成に押し付ける、とゆう手もありますが)
実は似たような状況なのが仮想戦記「異戦国志」があり、この時は秀長が長生きして家康と「関ケ原の戦い」で争っております。
最終的には「伊達政宗」が天下を取りましたけど。
ただ家康と協力して何も起きなさそう
起きたとしても合戦→討伐になるだけ
徳川家が100万石以下になりそう
毛利、上杉、前田、伊達が大きく動きそう
徳川に味方するのは前田利家だけしか生きていなければ秀吉が秀次一族大部分皆殺しするの止められなかったから、秀頼に大名の娘や孫殺されて恨んでいる大名や秀次の嫁の娘や秀次の子供匿っている大名もかなり多いから結局家康天下になったでしょうね。
家康軍直属は兵力十万こえていたために、上杉二万、前田利家兵力一万では止めきれなかったと思う。
関ヶ原の時点で石田三成が徳川軍を秀忠軍と江戸守備軍と家康軍に三分割してようやく戦えるようになったが朝鮮出兵で疲弊した近隣の他の大名には徳川軍全軍と戦える兵力ないですからね。
伊達家も朝鮮で病死相次いで秀吉死後十年は兵力半減していますから近所の徳川に味方するでしょうしね。
この当時徳川軍十万と戦える兵力持っているのが毛利と島津だが島津は関ヶ原でも精鋭千人しか派遣してくれずに関ヶ原後の島津討伐軍二万を島津軍八万で打ち破ったみたいに基本的に他人のためにはほとんど兵力出さない。領国に八万以上引きこもりしている。
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たらればを予想する人ってだいたい家康もとい徳川の力を舐めてる人多いんですよね
守備隊残して5万以上の兵動員できるのって徳川くらいじゃないですかね?
徳川秀忠と毛利輝元を比べると家康死去後も改易を増やし徳川幕府の力を見せつけた秀忠のほうが能力ありそう。秀忠には土井利勝もいるし。
流石は独眼竜と言った事かな?
藤堂高虎って利家大好きじゃなかったっけ
秀吉の惣無事令を無視して東北で暴れまわった政宗ならやりかねない😅
秀頼はもう二十歳くらいだろうから後見人争いにはならないんでね?
関ヶ原の合戦の先送り