明子の子供たちのその後 正妻 倫子の子との格差に悩み苦しみ戦っていく【光る君へ】
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- čas přidán 5. 06. 2024
- 参考文献
服藤早苗『藤原道長を創った女たち』
amzn.to/48J0IZT
和田律子『➂知の挑発 平安後期 頼通文化世界を考える (考えるシリーズII)』
amzn.to/3XbTxpT
河野房雄『平安末期政治史研究』
amzn.to/4aOCNIE
井上宗雄『藤原長家の生涯』
(京都大学文学部国語学国文学研究室『国語国文』43 1974)
cir.nii.ac.jp/crid/1520009409...
関口力『摂関時代文化史研究』
amzn.to/3UMc49G
繁田信一『殴り合う貴族たち』
amzn.to/4ba1Wya
斎藤正昭『源氏物語のモデルたち』
amzn.to/3JG88lu
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明子は正式な妻でしたが、正妻の倫子とは明確に格差がつけられており、特に子供たちの扱いに顕著な差が出ました。
明子の後ろ盾だった女院 詮子が亡くなったことも影響して、子供たちは権力者道長の子として優遇はされながらも、摂政 関白 天皇の后になった倫子の子供たちの下に置かれて彼らに従うことを余儀なくされます。
この格差に対し、長男の頼宗は兄に従順に従い、次男の顕信は出家、三男の能信は公然と反発し、四男の長家は倫子の養子になり、兄弟それぞれが各々の考えを持って現実に向き合っていきました。
今回は、高貴な出自ながらも倫子の下に置かれ続けた明子の人生を象徴するような6人の子供たちの生涯について一人づつ紹介していきます!
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#光る君へ #明子 #倫子 #大河ドラマ
倫子は先に女子を2人産んで、その1人が彰子というのが確固たる正妻の座となったと思う。
明子は3人人連続男子を産んで、女子を産むのが遅かったのをみても、倫子が運も持ってる女性という感じですね。
秩序を守るという点で正しいのかもしれませんが、実の子どもたちに露骨な格差を作る道長は冷淡な側面を感じますね。頼宗の舞のエピソードはひっでぇ!と思いました。
僕は理不尽な扱いに反抗し続けた能信が明子の子たちの中では好きになりました。
乱闘をするのは良くない部分でしたが、異母兄に屈せず、不遇の皇族に忠義を尽くし続けた結果、死後に異母兄の血筋の摂関政治が崩壊するというのは、どこか感動します。
道長政治の因果が巡ってきたのかもしれない、とも感じました。
詳細な解説、とても面白かったです。4人の男子がそれぞれ別の道を選んだという点が、新鮮な気づきとなりました。頼宗が舞いの席で天皇に絶賛されるほど褒められたのに、父の行動にショックを受けただろうことは、幼いながらも強烈な記憶として刻まれたことでしょう。それ以降正妻腹の兄頼通姉影子に従順で政治的に出世し大臣まで務めたことは、この日の遠い思い出が常に眼前にあったからのように感じられます。同じように出世できないならせめて彼らの側近として信頼を得ようとした姿勢は、私はずる賢いというよりむしろ現実的で悲観しないで済む生き方のように感じます。顕信は、兄とは違い純な人だったのでしょうか?!もともと倫子の子供と出世で差をつけられている上に、出世のきっかけとなるはずだった蔵人頭昇進を父に阻まれ、自暴自棄になって若い年齢で出家してしまったのでしょう。能信は若き頃から暴力的でちょっとヤバイやつのようですが、その徹底的な反骨精神が、後の後三条天皇、白河天皇の家系へと繋がり院政という新政治スタイルを生み出たというのが、皮肉ですね。それが結果的に藤原摂関政治を破壊したわけですから、見事な敵討ちとなっています。長家もかなり複雑です。倫子や頼通に可愛がられ実質的な倫子の三男扱いであったとは、何か経緯があるのでしょうか?彼だけ特別扱いなのは、不思議です。他の3人の実兄達との確執など想像してしまいます。それでも他の倫子の子供達との格差は埋められずやはり悔しい思いをしたのは、順調に運んでいる流れの中ではかえってショックが大きかっただろうと感じます。和歌の御子左流の祖となってその言い尽くせぬ思いを和歌に詠んだのかもしれませんね。
頼宗かわいそうでしたが、彰子の信頼を得た事で好転しましたね。
平安時代は武力がないのかと思っていたのですが、かなりバイオレンスがあったのですね。
能信は先を読む力があったんですかね。明子の子達が摂関政治を終わらせ、院政を始める源になったとは皮肉な結末です。
明子の子供達は不遇という印象だったのですが、それぞれ皆強かに生きたと思います。子孫に藤原定家俊成を出したというのも凄いと思いました。
ドラマの明子のキャラは子供たちの性格を融合させた感じがします。
できれば全員出て欲しいくらいキャラが濃いです。
一番愛されていたのは明子女王だと言われていますね。貴族が出世する為には、強い後ろ盾が無いと難しかった宮中では、生きにくかったとは思います。明子然り、息子達然り。
天皇の孫の明子と曾孫の倫子...
なんか煮えきらんなあ
摂関政治が崩壊して院政期に移行していく過程は永井路子さんの「望みしは何ぞ」で主人公藤原能信を通して描かれていますね。小説ではありますが道長以降の政治情勢が解りやすく説明されているので興味ある方にはお勧めです。
保元の乱の摂関家当事者である藤原忠実の母親は頼宗の家系で、源平合戦以後の摂関家には頼宗の血が加わることとなりました。
子供達それぞれの選択があった様ですが、中には荒れてしまった子がいるとすればやはりそれは母親である明子さんの日頃の鬱屈を感じてしまっていたんだろうと思いますね。
明子さんがもし毎日の様に朗らかに倫子さんや道長を誉めそやし彼らと仲良く従うべきは従ってと教えていたら別の結果があった事でしょう。
しかし明子さんも人間だから辛い時は顔や言葉や行動に出てしまっていたのかもしれませんね。
子供は敏感に母親の感情を感じ取ってしまうので😢
頼宗が報われなさすぎる…長家、子孫(定家)が有名人で良かった😭
同族、兄弟争を達観しての差別化なら賢明と思う。
末っ子はやっぱりかわいがられるなぁ。
明子様のご子息達が格差に苦しめられても、道長政治の流れの終焉に関わるとは、やはり祖父の代からの恨みが効いてしまったのかな。倫子様のご活躍もあっぱれだけど、栄華も永久には続かない。
頼宗の孫全子は、頼通の孫師通に嫁ぎ、忠実を産む。
ここで、倫子の血と明子の血が一緒になる。
自分の母方の祖父の先祖(という事になっている)正妻の倫子の子教通の子孫が数代を経てると零落して行き、公卿としては誰も残れなくなった。一方、正妻腹でなくても曲がりなりにも公家としてちゃんと生き残れた道綱の子孫の系統&後に天皇の母になった子を出した明子腹の子孫の系統の方がよっぽど勝ち組だと思います。
よしのぶの略奪の話、よく分からん…
救援に向かって略奪した?え?
能信が救援したのは加害者の大江側ということです。そちらに加勢し拉致に協力し、抵抗した女性側に暴行を加え略奪をした、というとんでもないエピソード。