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戦地ヘ (500マイル/松たか子)

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  • čas přidán 16. 08. 2024

Komentáře • 6

  • @suesan1951
    @suesan1951 Před 7 měsíci +1

    アコギ好きの私は、この歌を60年代フォークの名曲としてのみとらえてましたが・・・そうですね、日本語の歌詞と映像を見てたら、本家(父の実家)の
    3人の伯父たちのことを思い浮かべました。赤紙で大陸や南方に行かされて、戦死した伯父たちにもそれぞれ夢があったと思います。妻や子供や恋人の
    こと、仕事のこと、みんな断ち切られて理不尽な死を受け入れざるを得なかったんでしょうね。人間っていつまでたっても愚かな殺し合いをやめることが
    できないと思うとやり切れません。

  • @user-mr7ex7gt1c
    @user-mr7ex7gt1c Před 3 lety +3

    生きて再び故郷に帰れるか解らないと言う意味では大不況当時のアメリカの放浪者と出征した兵士は同じ様な者なのでしょうね。
    私の父方では父と叔父が陸軍兵士として出征し、父は生きて帰れましたが叔父はフィリピンで戦死しました。
    母方は母の兄と弟が陸軍兵士として出征し共に生きて帰れましたが、叔父は特攻隊員で終戦が数日先だと出撃していたそうです。
    戦争で人生を狂わせられた方は多いと思いますが私の母もその一人で戦死した叔父は母の許嫁でした。
    叔父が亡くなった後暫くしてから母に何人かの結婚話しが有り、その内の一人が父でした。
    以前母にどうして父と結婚したのか聞いたところ、許嫁が亡くなってどうでも良かった、たまたま父と結婚しただけと言っておりました。
    母にすれば許嫁が亡くなり他の人と結婚などどうでも良いと思ったのでしょうね、
    叔父が戦死しなければ母と結婚していたでしょうし、そうなれば私は生まれて来なかったのですが、母にとってはそちらの方が幸せだったのかも知れないと思うと複雑な気持ちになります。

    • @user-pw7ed5ks7y
      @user-pw7ed5ks7y  Před 3 lety +3

      大変貴重なお話を、とてもご丁寧に記していただいて、本当に有り難うございます。このお話が、これから他の皆様にも読んでいただけるかと思うと、この動画をUPして本当によかったと思います。

    • @user-mr7ex7gt1c
      @user-mr7ex7gt1c Před 3 lety +3

      @@user-pw7ed5ks7y
      こちらこそ貴重な映像を拝見させて頂き有り難うございました。
      昨今領土問題等で複数の国々と色々有りますが、ネット等では国交断絶しろとか日本も核を持つべきとか勇ましい論調が多いと思いますがどうなのでしょう?
      私は憲法9条改正論者で自衛隊は国防軍に改編すべきとは思いますが昨今の勇まし過ぎる論調には些か辟易しております。
      確かに戦争を仕掛けられたら自存自衛の為に戦わなければいけないとは思いますが、軽々しく戦争を口にしてはいけないと思います。
      戦争は勝っても負けても多数の人が不幸に成ります、
      私が子供の頃(1960年代終わり頃)
      町でよく傷病兵の方を見ました。
      実際は戦争で負傷したのでは無い人も多かったそうですけど、一部の方は本当に負傷され生活に困窮している方も居られたそうです。
      事実、私の父も砲兵で耳を悪くして身体障害者の認定を受けておりましたし。
      戦争は勝っても負けても泣く人が多く出ます、その事は理解して頂きたいですね。

    • @user-pw7ed5ks7y
      @user-pw7ed5ks7y  Před 3 lety +2

      @@user-mr7ex7gt1c
      ありがとうございます。
      まさしく、戦争は勝っても負けても多数の人が不幸に成ります。全く同感です。
      スサナルさんとは同年代のようです。私も子供の頃、買い物客で賑わう商店街で、人々に施しを乞う二人連れの傷病兵の方々を時々見かけました。二人とも軍帽に白装束で、一人は車椅子に乗りアコーデオンを弾き、もう一人がその車椅子を押していました。そしてまさに、「あれはインチキだよ」という大人たちの陰口も耳にしております。こども心に、寒々とした気持ちになったことを覚えています。