運の良かった武将vs運の悪かった武将!戦国の名将たちの驚異の物語!【2ch歴史】2chスレ民の見解が面白い!
Vložit
- čas přidán 20. 02. 2024
- 戦国時代、運が武将たちの運命を大きく左右しました。この動画では、運の良かった武将と悪かった武将を比較し、彼らの人生にどのように影響を与えたかを探ります。驚きのエピソードとともに、歴史に名を残す名将たちの未知の一面をご紹介します。運の力が武将の成功にどう関わったのか、その秘密を解き明かします。運命の遊びに翻弄された戦国の武将たちの物語を、ぜひご覧ください。
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内ヶ島氏理の家老を務めていた川尻氏信は金森長近の侵攻に降伏したため、のちに氏理に帰雲城での酒宴に呼ばれなかったために大地震から難を逃れたんだよな。
水野勝成さん、
あの不運過ぎる水野家出身なのに88歳まで生きた時点で凄すぎ
水野一族の運を全部持って行ったぐらい運が良すぎる
運が悪かった人達
水野勝成さん以外の水野一族
まともに天寿を達成した人がいないぐらい早死にした人が多すぎる
内ヶ島家は酷すぎて映画にもできそう
運でいくと最強は秀吉より家康じゃないですかね。幼少期も親父が◯されたうえに人質交換とかいう薄氷の綱渡り人生、信玄もなんかヤバいタイミングで退場、伊賀越えからの小牧長久手最中に大地震と天に愛されてるとしかいえない逆転の生き残り。自分よりも先に秀吉利家が逝ってくれたし。逆に秀吉は信長の後継になるまで苦労したし家康を倒せなかったし秀長が先に逝ったし秀頼産まれたのも不運だし、結局完全な政治体制整えられずに文禄・慶長の役なんて泥沼に小西とかに騙されて引きずり込まれたし、散々だと思うわ。
家康の幼少期の人質交換って実話じゃなくて、実際は広忠が織田に降伏したから引き渡された、みたいな事を柴先生の講演会か著書で見た気がする
読みやすくするために、改行が必要です。
運も能力もあった信長は最強
運が良かった。
前田利家、上杉景勝、徳川家康
運が悪かった。
佐々成政、武田勝頼、内ヶ島氏理
信長は尾張に生まれた時点で運SSSなんだよなあ
逆に武田信玄は甲斐で生まれたのが不運でしたね。
水害やら塩不足に悩まされ、隣国には北条や上杉と言った強敵たち、駿河取った頃には余命5年、西上作戦中に発病して没。
信長なんかは「遠すぎず近すぎず」な距離が良かったのかも。
内ヶ島一族がブッチギリだわ…
長宗我部潰れる遠因を作っておきながら、自分は大名にカムバックして江戸期も生き残った仙石秀久…どうも長宗我部ファンとしては割り切れない…
おまけに漫画の主人公になってる。
@@user-cu2dh3tl1y
長宗我部ファンとしては、漫画の主人公になんかなるのもケシカランと思っている。
@@user-bs5eb8ys2s ですよね・・・。
長宗我部家も恩義のある一条家を滅ぼしてるから因果応報@@user-bs5eb8ys2s
優秀とされる武将はたいてい運がいいんだよねえ
敵が失敗を強要されるシチュエーション(詰むのをさけるために打った悪手)につけ込んで得た勝利で名を上げてたりするから
上杉景勝
勝頼と同じ運命にあってた
勝ち筋を見極める天才である信玄さまに負ける寸前で難を逃れた家康さん豪運。
大友義統「事前に相談したし他の武将も撤退したのになんで自分だけ敵前逃亡で改易扱いに…(小西を罰するわけにもいかなかったのでスケープゴート説)」
伊東祐兵「御家滅亡して転々、親父は砂浜で寝たきり放置…だけど、家臣らに恵まれて九州征伐で頑張って故郷・飫肥に大名家として帰れた…諦めなくて良かった…(´;ω;`)」
大名家としての今川氏真「親父は死ぬし義弟(元康)助けたいのに越後からヤバいの来てるから舅殿(氏康)助けないとあかん…→そりゃそうだ。見捨てられたんだから家康は俺を裏切るよね…→信玄さぁ…妹婿消してまで裏切り侵攻とかマジでなんなんだよ…orz」
家康の人生を調べると運が良すぎだろって思うことばかりでそこにかんしてだけは羨ましく思った
ただ、苦労も多いけどね。
マイナスからのスタートだし、桶狭間で義元死ななかったら、
一生今川家の武将で終わった可能性も。
本能寺で信長死ななかったら一生織田家の与力大名としてこき使われていた可能性もあったかと。
@@user-sv8hi9in8n 確かに、
信長や秀吉のパワハラに耐え抜いてるし、
信長死んでなかったら
ナンバー2~3止まりだったかも。
信長・秀吉・家康って
歳の差も兄弟程度だし、
秀吉や利家が先に死んだのも、
「タッチの差」程度かな、とは思う。
家康に関しては秀吉の元で「自分は天下取れないだろうな」って思ってたら、秀吉が勝手に甥とその一味を絶縁に追い込ませたことで秀頼以外の後継者が頼れないことになって、それから間も無く死んだから「じゃあ自分しかいねえわ」ってなったからな
そこら辺を秀吉がきちんとしていたら家康も豊臣の重臣止まりだった
@@user-on7dx9ue3p さん
天下を取った後の秀吉は秀長と鶴松を一気に亡くしましたからね。ここから朝鮮出兵とか秀次事件が起きてるので秀吉の不運と自滅により家康に幸運が巡って来た感じですね。
見方によっては運が良くも悪くも取られる小早川秀秋
酒が原因で早死したことを考えたら不運寄りだろうが
諏訪勝頼に一票。
親父がこれ以上ない最悪なタイミングで死に、後継者でもない状態で織田・徳川・上杉に囲まれてのハードモードでスタート。しかも親父の自転車操業のツケで家臣団も分裂寸前。それを強引に打開するだけの実力もあった。
動画内でも出てきたけど不幸のトップ選手は内ケ島さんかなぁ。
信長はある意味幸運なタイミングで謀反で散れたんじゃないかな。秀吉が貧乏くじを引いた感じ。
不運は黒田官兵衛もかな。降伏の使者として城に行ったら1年間幽閉されるわ(足に後遺症が残る)、頭が良すぎたせいで警戒され中央から追われるわ、九州で挙兵したは良いが本戦が1日で終わったため消化不良のまま退かざるを得ないわ。
自力があっても運がないと天下は取れんは正しい解釈だと思う。
ただ、黒田の身の処し方は「賢い」と言わざるを得ないね。
今にして思うと本能寺の一報が入った時に秀吉に「これは天下取りのまたとないチャンス」と言ったのは
マズかったかな。
状況判断としては正しいけど…あの状況であの言葉は、言うべきじゃないよ。
秀吉が警戒したのも解る。
@@user-ng8mx2jd7j さん
そうですね。秀吉からすれば見透かされたと思ったんでしょうね。
@@user-sv8hi9in8n 見透かされたもあるが、
あの状況であれ言えちゃう
ダーティー・シニカルさかな。
自分が仕えてる秀吉の上司である
信長の死を「チャンス」と
言ってのける部分。
状況判断能力は最高だよ?
でも、もしこいつが俺に反旗翻したら?
はあっただろうね。
信長はある程度大きくやってからならまだしも、尾張平定する前はかなりきつい状態じゃね?
信長は強運だったと思いますが、いくつかの危険な合戦などを数多くくぐりぬけての命拾いのシーンで
強運を使い果たした。
(1)桶狭間では、悪天候が味方した(強運を少し使うい果たす)
(2)天王寺の戦いで、明智光秀を救うため少ない兵数で突撃し負傷するが強運で致命傷には至らず(運を使う)
(3)スナイパーに火縄銃で狙撃されるが、強運で弾丸はそれて無傷(強運を少し使うい果たす)
(4)長篠の戦いの際には、連日の雨続きなのに、決戦日には晴れて火縄銃が濡れずに使える(運を使う)
などなど数えきれない、かなりの数の危険な戦いで、実力+運の良さ(強運を少しづつ着実に使い果たしていく)
強運でも、危険な戦いの数が多すぎたから、いつかは強運を使い果たしてた。
しかも最高のタイミングで信玄謙信逝くしな
信長よりどう考えても家康だよな。
嫡男信康失ったダメージからよく長生きして立ち直れたのが
それまで松平家は
清康が暗殺 広忠も暗殺とバッドルートだったのが
家の運不運も関係するな。
長尾家だと家中対立や家臣離反が
為景 晴景 景虎 景勝と相次いだし
甲斐武田氏だと親子や身内対立が
信昌 信虎 晴信 勝頼と
真田はな
真田幸隆の代で甲斐武田氏家臣になったが
長篠の戦いで長男信綱 次男昌輝が戦死
三男昌幸が真田の後継いだが
1582年主家甲斐武田武田氏が勝頼の代で滅亡以後転々とし豊臣政権大名になるが
関ヶ原で昌幸と信繁と長男信之対立
九度山で昌幸病死後
大阪夏の陣で信繁戦死
あまり真田は運悪い方だと
池田輝政というより池田氏がすごいんだよね輝政の祖母が信長の親父で尾張の虎こと織田信秀の側室になった後信長の乳母になり、息子恒興が信長と兄弟の関係になって信頼されてた時点で勝ち組でしょ。
運が無かった感あるのは龍造寺かなぁ