今こそ考える!織田信長はなぜ強かった?
Vložit
- čas přidán 17. 06. 2021
- 信長解説の中間決済です
ここまで30回近くに渡り、織田信長を解説してきた私が
信長の強さを考察(妄想)致します。
次回以後は短編と足利義満の皇位簒奪論について触れようと思います。
信長解説は経済政策、毛利家との外交等
まだまだやることがあるので近いうちに戻ってきます
紹介した、いい悪いまとめ管理人さんの信長動画はこちらです
• 織田信長はどのように『織田信長』になったのか・前編
音源
/ baron1_3
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ucchii0artist.wixsite.com/ucc...
peritune.com/
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信長個人の優れた資質として感じるのは、いわゆる勝負勘が尋常ではないほど冴えていることですね。
劣勢覆し難いと見るやなりふり構わず手打ちに持ち込み、逆に勝機は逃さず最大限の勝利を挙げる。
そうした状況判断を誤らず、進むも引くも極めてアグレッシブに行動できるのは間違いなく非凡な才だと思います。
伝承されている諸葛亮の評価を思い出した
「いる間は特別な人に見えなかったけど、今思うとあんな人はもういないように思える」
尾張兵弱兵説について個人的に思うことはなんで「尾張兵」だけなんだということ。信長は美濃併合以降も尾張兵のみを戦場に投入してたのか。そんなアホな話はないだろうと素人ながら。
秀吉の中国侵攻の途中、別所長治が裏切った事により上月城が包囲され手も足も出せないまま二ヶ月対峙せざるを得ない状態で、三木城攻略が困難になった事を信長に報告したら即座に「策もなく上月城を取り巻いていても仕方がない。軍を収めて他の者と神吉城、志方城を落とし、その後三木城を攻めよ」と指示を出した信長はやはり戦の天才だと思う。
やることは普通だけど
成果出すまでやり続ける「しつっこさ」は異常だと思います。石山合戦10年やって、結局寄り切ったのは恐ろしい。
負けない
負けそうなら逃げる
勝てないなら戦わない
勝つのは良いけど負けないのが大事
「三河武士は忠義に厚い」ってのも
都合が悪くなると松平宗家当主を二代続けて殺したり、一向一揆に参加して家康と戦っていることなどを知れば知るほど、「ええー?ほんとにござるかぁ?」となります
一度こびりついたイメージを払拭するのは、ものすごいエネルギーが必要ですね
「徳川」家康になったから三河国人から絶対的忠義を集める存在になれた。「松平」家康では足りなかったとかなんとか
イギリスが英国紳士って言ってるようなもんだな
歴史は勝者が作るもんだししょうがないね
三河武士の忠義? 三方ヶ原の戦いで、家康とは別の城に逃亡した連中が忠義?(笑) 大阪夏の陣で、ほぼ完全崩壊してますが?(笑)
@@hanasakimasanao
遅いレスですが家康の安祥松平は宗家でもないですからね
松平郷松平氏は500石で江戸時代もひっそり残ってました
主さんの答えはしっくりきますね
成功したと聞くと、そこに何か特別な理由があると考えがち
大抵は「地道な積み重ね」という、退屈な答えになるのではないか(それが中々できない)
あと例外的に「適材適所で、できる人に仕事を振った」というのがあります。・・・・・人事異動とか仕事の引継ぎは考慮しないパターンw
恵まれた立地だと思いますね。
毛利は大内家を滅ぼして4カ国程度の領土を有したときでさえ、尾張一国で朝廷への献金額は毛利より遥かに上
それだけの金があれば、武装・食料・鉄砲などを大量に用意できたと思う。
傭兵数や兵力も大きくできただろう。
武田・上杉などは一回の出兵で資金を捻出することがいかに大変だったか、雪も少なかっただろうし。
当たり前と言われていることを、当たり前にこなせる事が、いかに当たり前でないか…って事なんだろうか。落合野球の例えは卓見だった。
ちなみに森監督の西部も同じ事をやってます。だから上手いのにポカをするショートの田辺は嫌われていた。そしてCMが下手な堤オーナーの側近も森監督を嫌っていた(笑) 宣伝部隊は「奇抜な事をする事を好んでいた」からねー(笑) 森監督の本で色々と分かりますよ。
@@user-lv9qr9hx4e😊
「歴史から学べる事はそんなにない」ってたまに聞く言葉ですが、客観的な洞察を経た歴史を広い視点で見つめると、現代でも通用する実践的なお手本になるんだなと思いました。また、参考文献の多さにびっくりしました。解説の内容に厚みがあるのも納得です。信長解説ありがとうございました。足利義満、楽しみにしてます。
信長はトライ&エラーを重視した人だと思います
僕も、産業構造の変革期(銃など火器発明)に、家柄がパッとしなくて、トライ&エラーを繰り返さなければならない(素性の怪しい明智や秀吉やイエスズ会を採用など)
信長の立ち位置は有利にみえます。
トヨタ自動車みたいな大企業から新しいものはなかなか生まれにくく、中国のよくわからない電気自動車の会社が名を馳せるのに近いです。
ある意味、すごく基本に忠実な戦い方なんだよ。
陳腐な言葉になると思うけど
・負け確の戦はしない
・常に相手を上回る戦力を用意する
・勝ち目がないと思えば徹底的に戦争を回避する
美濃抑えるくらいまでは綱渡り要素もあったけど基本攻めどころをきっちり抑えてた感があるな
「合戦に至るまでに何をするかが合戦」
某漫画の名言はほんとに名言だと思う
桶狭間、天王寺と寡兵で大軍に挑んでいるから、戦力だけでは決めてないよね。
尾張統一戦を見てみると敵より少ない兵で敵を破ったり、状況に的確に対応したり、直接戦闘でも強かったりと凄く優秀な武将なんだよね。
このころの信長の方が大変だったと思うし、戦いながらも学んだようにも思えるね。
天王寺の戦いとか信長公記が多少盛っているとしても鬼神の如き活躍なので個人的な戦闘力は非常に高いと思う。なぜ戦が弱いと世間で思われているのかわからん。
@@user-zp2hk8xf5g 案外逃げることが多いせいか。いや負ける前に逃げたのでは?勝ち続けるのは無理でも、負け続けないなら可能だ。
i know Im kinda randomly asking but does anyone know of a good site to watch newly released series online?
@Major Jason flixportal :D
桶狭間の戦いを「あのような戦いは二度とやってはならない」と後述するあたり、主さんの言う通り現実的な人物だったんだと思います。
まあ、後述なんかしてないし、似たようなことを何度もやってるね
信長の強さ=普通の事を普通に考え、普通に出来る人
自分の場合、普通の事を普通にするのは難しいのよね
信長を落合で例えるとは面白い視点!
ただ、普通のことを普通にやるだけが信条の落合博満という男を一言だけで形容すると、やはり「天才」になってしまうのと同じことが信長にも当てはまる。研究が進んでも戦国のミスター三冠王としての実績は揺るぎようがないと思う。
楽しみに待っていました。
運の良さと言えば斎藤義龍の急死は信長3本の指に入る僥倖でしょう。
こいつがいたら間違いなく尾張から出られなかったよ。
浅井と挟撃しても無理だと思う。
美濃を取れた事が非常に大きいよね。
尾張・美濃を両国抑えられた事で国力で勝って、伊勢で全盛期を迎えていた北畠具教を倒せたし、優秀だった義龍が普通に長生きしてたら、
美濃斉藤・尾張織田・伊勢北畠と拮抗してて、上洛も出来なかったと思う。
こう言う運もかなり信長に味方したよね。
美濃・尾張だけで後の秀吉の時代の基準だけど、石高100万石以上いってましたからね。他にそんな戦国武将は当時は三好・毛利・北条各氏ぐらいです。ただ運が良かっただけではその後が続かない、天下人にはなれませんが、信長はやはり戦国乱世に終止符を打つ為に現れるべくして現れた風雲児だったのでしょう。
結果を出すという意味において、概ね同意です。当たり前と言われている事をいかに実行し継続させる事の難しさときたら…。
でもエンターテインメントで信長が描かれ続ける限り「革命児・信長」像が反映され続けるんでしょうね。
そっちの方がキャラ付けもし易いし、物語も作りやすいですしね。
でも「普通・信長」像のエンターテインメントもみてみたいなぁ。
尾張兵が弱いってのは帝国陸軍の第八連隊が弱いと言われていたけど参加した戦闘を見るとこれと言って弱く無い。むしろ激戦に毎回参加してるって話を思い出しました。
あと、コンチネンタル航空を立て直したゴードン・ベスーンのやった事も特別な事はしていない。当たり前の事を当たり前にやっただけだと言う事だったような。
普通の事を普通にやるのって意外と難しい事なのかもしれませんね。
家格と権威と前例
これが16世紀最終盤まで
強い動因で、ここからの変革と補修を
江戸幕府が吉宗前までに行うイメージ
になって来ました。
やっぱり立地の良さと生まれた家が良かったと思う。何より織田家は金があった。確か信秀の時から伊勢神宮や熱田神宮に莫大な献金をしていた気がする。
金があるっていうのはそれだけで戦を有利に進めることが出来る。
いつも通りの知的に誠実な内容ですね。
失敗を恐れない人は一緒に仕事しててもコワイって感じる事があります。失敗や負けを恐れている時こそ着実に結果に向かってたりします。
大変勉強になりました。
義満回多くて3回・・・
10回になっても拝見させていただきます。
本拠地を変えるときに臣下の家を放火するとか
やっぱり普通で無いと思うが、だからと言って
奇策に走らず手堅くやってたのが成功の秘訣かも
しれませんね
ヴェネツィアという商業だけしかしてないのに海戦最強だった国があるので商人が弱兵ってのもめちゃくちゃなんだよなー
軍事革命したオランダもいるしね
若い頃は戦で結構無茶をしていた……ていうか、天王寺の戦いで無茶して負傷するまで度々部隊の先陣きって戦ってましたからね……。
戦場では猛将で有り、刀根坂の戦いのように人の心理を読み取って利用する達人でも有った。
まぁ、普通に強いですね。
完走おめでとうございます。毎回楽しみにしていました。これだけの内容をエタらずによくぞまとめてくれました
地方住まいで参考書籍が図書館で中々読めない身としては(購入は高くて無理)驚いたり納得したりと毎回好奇心を満足させてくれる内容でした
次回の足利義満編も期待しています。と言うか室町の日常エピからもっと室町を知りたくなっています。おいおい室町全期をやって頂けるのを首を長くして待っています
信長は若いときから今川や家中を相手に小競り合いを重ねてきているので、絶対的な強さと云うよりも、戦さ慣れしている印象があります。戦場で良く感が働く様な感じですね。
個人的な強さもあるかも知れませんが、近習・馬廻りも良質で、且つ連携が上手く執れていた印象があります。
家臣でも足を引っ張る者は遠ざけてますね。
組織とかでも能力の低い人材が上層に居て しがらみとかで排除できなかったりすると組織全体が能力低下・機能不全になってしまいますが、信長は能力の低い人材を見抜く能力も備わっていた様ですね。
信長の強さって、「自分のやるべき仕事をちゃんとやり続ける能力」にあったのではないかと思っています。
学生も日に12時間(学校の授業を含めて)くらい勉強することを続けていたら、相当な学力を身につけることができるでしょうし、社会人が自分の仕事の勉強を平日業務後2時間休日6時間と続けていたら(残業や休出はしないという前提で)、その分野の権威者になれるでしょう。自分の勉強を続けていたらいくつもの資格試験に合格できそうです。
信長って、そういう人だったように思います。私の考えでは見習うべき人ですね。
信長の強さの理由はケチではなくちゃんと金を払ってくれるところだとおもってます
人がついてくるってのはそういう人だしどんなに辛くても金を出し渋りしない人には最後までついていく
足利尊氏がそうですよね。
だから大軍を何度も組織出来た。
榊原康政「うちの殿も見習ってほしーわ」
「ダービーに勝つ馬はダービーに出た馬」
運命論者ではないですが、織田信長は運命を味方にした男(機を逃さない)だと思います。人事を尽くして天命を待つ。
なんだかんだ言って、やることやってますからね。
江戸時代でしたか尾張国の石高が三河遠江駿河3つ分とためを張れるくらいあった(無かったらとっとと今川に吸収されてるでしょう。)のですから立地は悪くなかったでしょうね。
面積考えたらおかしい(笑)
@@sugisinfkk さん、たしかにそうなんですがどうも遠江とかそんなにお米どころでは無かったようです。
@@TSUDATOSIYKI そうなんですね
美濃尾張を手中にした時点で天下を取ったも同然ですね
織田家の兵力を拡大・維持する財力をどこから、どのように得たのか、常々疑問に思っています。その辺りの解明があると織田信長の強さが一層理解出来るような気がするのですが。
漫画なのでやや根拠としては弱いかもしれませんが、宮下英樹氏のセンゴク外伝 桶狭間戦記でその財力の一端がわかるとおもいます。
祖父信定の代からの津島、熱田湊からの利益からスタートし、美濃攻略からの木曽川流域支配、更に伊勢攻略により伊勢湾経済圏の完全な掌握だと思います
ここから上洛戦を経て堺、大津、今浜支配で琵琶湖流域の支配木津川から大阪方面にかけて畿内の経済圏確保
信長は誰もよりも商業重視尚且つ経済圏を重要視していたのではないかと思われます
信長の強さは「経済力」だと認識しています。それが永楽通宝の旗にも描かれているまさにその通りで、軍事に使える金銭が豊富にあり、武装(火器)強化、傭兵や工兵の動員が非常に行いやすかったのではないか、と思っています。言ってしまえば巨人軍と同じで金でブイブイ言わせられた結果、鉄砲大規模運用なり野戦築城なり兵糧攻めが可能となり、他の大名が陥ってしまう「農繁期で撤退〜」とか「これ以上は財政(兵糧)が持たないから〜」といった理由で撤兵せずに戦えた可能性はありそうです。
それな。織田家の港の収益は4万貫以上、現在の貨幣価値だと年間約60億円もあったのも影響して、資金的には信長の親の代から武将トップクラスの資金力だったし。城が経済の要所に置かれてるのは金を重視した結果だからね。資金不足に陥らないために分割相続をやめさせて領地替えを積極的にしてたしね。まあ、やり過ぎて裏切られたけどね。
落合監督まで出て来るとは思わんかった。
でもそのせいで凄く深くて教訓を得られる動画だった、感謝です
そういやフロイスは「信長の仕事のやり方は、細かい作業を確実に積み重ね大きな成果を得るやり方」って書いてるな、これを見ても落合監督とは共通点あるかも?
基本は堅実かつ合理的なんだけど、桶狭間みたいにここぞという時には博打を打てる度胸と決断力を持っている…
普通にめちゃくちゃ優秀やん
織田信長解説お疲れさまでした!
なぜ強かったか理由での人物例にも納得ですわ。
おもしろかったです。
信長、興味なかったけどここまで夢中で見れました!
信長の強さ
① 【経済力と地盤】尾張 農業生産力があり人口規模が大きく常滑などの輸出力のある商品を産出する地域を抑えていた。地域の流通の中心地である熱田も支配下にあり近隣の三河から木綿も容易に手に入ったのも大きい。鉄砲は勿論だが当時の木綿は軍需品としても重要。
② 【超強運】今川義元の首級(想定外だった)。斎藤道三、龍興の死。三好長慶の死。足利義昭の将軍就任と上洛要請。武田信玄の死。上杉謙信の死。他にもあるけれど、メジャーなものだけでも凄い数。
結局信長は自分の強みが経済力である事をよく理解して、強運で得たチャンスを逃さなかった事に尽きると思う。当時では珍しい重商主義の考え方は親父である信秀から受け継いだものでしょうね。
次回は「何故、信長は失敗したのか」をお願いします。
戦闘開始するまえの戦略段階での優秀さだとおもいます。
そしてそれを準備するための資金も十分用意できる環境を作った事。
もし毛利隆元が生きていたら同じ事ができたかもと思いますね。
よく「神速こそが織田の強さ」なんて言われてますよね。
確かにあの速さは強いなぁと。
うp主名古屋人なんだろうか…中日黄金期の記憶はたしかに輝かしいし、それが普遍的な意味を持つなら嬉しい
Jリーグでここ4年で5つタイトル取ってるフロンターレ選手が一番練習してるのが「止めて、蹴る」だからね。普通は大切なのですよ
牛一先生、落合を引き合いに出すとは目から鱗です!
共通点も多い、若いころうつけ者と言われた、責任者になった途端有能な指揮官となった、パブリックイメージが偏っている、敵(チーム)にとっては魔王、尾張で活躍した・・ここまで似ているとは。 素晴らしい例えでした!
「信長は普通に強かった」のテロップが出た瞬間、ああそういえば落合監督の頃の選手たちもそんな事言ってたなぁ……と思ったら、
直後にそのまんま登場してきて大いに草生えましたwそんな私はン十年来の中日ファン。
勇将の下に弱卒無しって言うし、兵の強さに関しては、やっぱ指揮官クラスの人材の層の厚さが重要なのかな
落合さんの著書を読むとわかるけど、俺流とか言われてるから人とは違う、いわば邪道な流儀なのかと思いきや、「そんなところまで掘り下げるの?」と思うほど誰よりも基本を徹底追求してるんだよね。
誰もそんなことやらないから他人とは違うという点ではある意味邪道なのだろうけど。
今までのさまざまな信長像が描かれてきたけど私には一番スッキリする信長像に思いました。
ただドラマ向きじゃないかと思います。
美濃尾張で100万石程度、この時点で大大名だもんな
信玄は最盛期でも120万石ぐらいだったとどこかで見た気がする
美濃を併合した時点の石高は約110万石です。武田、毛利、上杉にひけを取らない。今川義元の尾張出兵時点よりも大きい。
私見ですが、信長のもう一つの強みに譜代家臣の裏切りがほぼなかったことかと思います。柴田、丹羽、佐々、前田、河尻、池田、滝川、佐久間、森あと木下(羽柴)いろいろ無茶を繰り返す信長をしっかり支える家臣団のおかげかなと思います。外様が裏切っても譜代は揺るがずついてきたやはりそれなりのカリスマはあったものと思います。
本拠地の京からの距離感はかなり重要だろうな。
大内義興の例を見れば、京から見れば明らかに遠く、畿内周辺に大軍を常時配備する事が出来ずに、
結局、戻らないとならない感じになってしまった。
それと成り上がり者が将軍権力とどう付き合えば良いかのノウハウなども
三好長慶政権の例(信長はその時に上洛して実際、見聞している)で知っていた事も大きいだろうな。
いきなり信長が天才的に何かを思い付いて行動したと言うより、そう言う直近の事例の積み重ねの歴史と本拠地の立地条件の良さ・
敵対有力周辺勢力がたまたま次々と倒れた運の良さ(斉藤義龍・武田信玄・上杉謙信)が重なった上の成功だな。
もっとも信長自身も何だかんだで自力で尾張一国を制圧できた力量の持ち主だから、他の有力諸大名と比べても遜色ない器があった感じ。
それにプラスアルファ(畿内の三好政権の興亡でのノウハウ・本拠地の豊かさと京からの距離感・敵対相手勢力がたまたま早逝した事)が重なった感じ。
その要素のどれが欠けても、大成功は無かっただろうね。
個人的には三好長慶の成功から色々学んだ事が大きいと思ってるけど、ようやく近年、三好政権の研究が進んで、その面が光が当てられてきた感じ。
羽柴秀吉や明智光秀など能力のある成り上がり者に方面軍を任せる感じなどは、長慶が松永久秀に大和方面を任せたやり方のまんまだしな。
長慶が堺の商業権益重視やなり上がり者の登用方法など、信長政権以前にすでにやってる事なのに、その印象が薄いせい(まともに研究されてこなかった)で、
何でも信長がすげぇ・天才だみたいな今の世間的な印象になっちゃってる所あるw
卓見です
「普通」「基本」というのは派手ではないかも知れんが、それだけで大事な事ですね
特に戦国時代のような荒々しい時代なら「普通に基本をやり届ける」と言うのは、本当に難しい事だったんでしょうね。
世界中の歴史を見ても、その「普通」が出来なくて滅んだ国は本当に多い…
いつか大河でここで出たような信長物語とかやらないかな?割と面白そうな気がする。
普通に強いっていうのはその通りだと思います。ですが、その「普通」をやり通すのがどれだけ難しいのか。
軍事であれ、政治であれ、効果が実証されているものを取り入れる。逆に間違っているもの、時勢に合わないことをやらない。
簡単に言えばこれだけですが、それをできる情報収集力、判断力、実行力を持ち続けるのは並大抵のことじゃありません。(もちろん、立地条件などの運もありましたが)
教育制度の整った現代でさえ、その「普通」をやり通している企業や政府がどれだけあるかを考えてみれば、織田信長の凄さが再確認できると思います。
桶狭間でもわかりますが、あの時は奇襲しか打つ手がなくて、奇襲で敵の先兵を叩いて士気を挙げ、敵の厭戦気分を盛り上げて撤収させるのが偶々義元本体と遭遇してしまったので全軍撤退させられただけで、信長自身こんな手は二度と出来ないから敵より数を揃える事を以降は徹底してますよね。当たり前の事を当たり前に出来る、というのはとても優れた才能だと思います。
「信長自身こんな手は二度と出来ないから敵より数を揃える事を以降は徹底してますよね。」←桶狭間の再現を狙って成功させてるのが信長なんやけどね
現実的かつ合理的に判断できる人だったんでしょうね。必要以上に欲張りもしないし。
長い、嬉しいな。
仕事終わったら
車で見よ。
プロ野球選手は子供の頃から神童レベルで野球が上手かった連中の集まり。
そんな連中が集まったプロのチームですらスローガンに「凡事徹底」を掲げたりする。
それくらい当たり前のことを当たり前にやるのは難しい。信長はひょっとしたら戦国大名の中で一番ミスが少なかったのかもしれない。
相手よりも多い兵力・装備を用意して戦う。基本中の基本だけどそれを常に出来るという堅実さが最大の強さだっただろうな
尾張が農産・流通・経済的に安定した地域であり、そこが本拠地だったからこそ出来たんだろう
良い話、教訓にします☀️
落合野球の例えが凄い説得力www。普通に強い。
とても興味深く拝見させていただいた。私は愛知在住なので信長所縁の土地、主に尾張統一戦の戦場を訪ねてはその戦争について調べているのだが、なんで生き残れたんだ!?って思うくらい過酷な戦いの連続で驚いている。私はその経験が躍進の原動力となったのは間違いないと考えているのだが何分当時は尾張の一勢力に過ぎない信長の信頼性の高い史料は多くなく、躍進出来た理由はこれだと言うものが見つけられずにいる。
信長は部下の育成が上手かったことも強みの一つだと思います。織田家の若手である蒲生氏郷や堀秀政や細川忠興など優秀な若手が多く育っていました。信長存命中は若手に相撲の大会運営の責任者や家老クラスの取次などの重要なポストで経験を積ませていました。
有名大学卒業を多く取るのも、求められる「普通」の人材をたくさん得る合理的な方法だからだしねぇ
現状把握能力、情報処理能力、未来予測能力。この三つはずば抜けて諸侯よりも高い気がしますね。孫子とかは読んでなかったらしいですが、逆に言えば古典派ではなかっただけでも充分な能力かと。
落合は言い得て妙かもしれないですね。
数百年後の司馬遼太郎のような大作家の手にかかれば、山井の完全試合未遂の件からはドライで苛烈な人物像に。数々の俺流のエピソードからはカリスマな人物像に。妻の尻に敷かれる姿からは家庭思いな人物像に。
こうして色んなエピソードを膨らませて、人物像を盛っていくうちに、未来の落合は現代で語られる織田信長のように、とんでもない落合博満像となって広く知られるようになっていたりするのかもしれないですね。
荒木や井端が落合をいたって普通ですよ、と語るように、前田や柴田に尋ねれば「普通也」という言葉が案外返ってくるのかもしれません
策士のイメージが強い野村監督もプレイ事態はわりと普通だったらしいですね
落合さんも
策を弄するのは「普通が通じないケースのみ」ですよ・・・・・・・
那古野の実力者の嫡男として生まれた時点でだいぶ有利
普通に戦争が強い。戦術的手腕は日本史上屈指だと思うけどなぁ。桶狭間、天王寺砦、刀根坂、長篠とか金ヶ崎の退き口出の逃げ足の速さもすごいし、分が悪くなったら何でも使って休戦するしなw
兵力で負けてても、ここは勝負と思ったら寡兵で勝負をするところとか、他の戦国大名では見られないとおもうのだが。
稲生の戦いでは、自分の手で敵将討ち取ったり、戦になると結構な猛将よね。尾張兵はどうか知らんが、直卒の3000人くらいは異様につよい。
どーいう戦術やドクトリンだったのか気になります。
信長が普通に強かったは同意、例えば親父の信秀は対美濃斉藤戦で大敗北を喫している(その後取り繕うよう何も無かったのように大金を寄付しているけど
長篠の戦いも陣を敷いて待ち仕掛けなかった、これは損得勘定がハッキリしていたからこそやれた芸当
まぁ信長も美濃攻略に手間取ってたけど、これは斎藤義龍が優秀だったって事かな?
逆に尾張兵は普通に強い説はどうでしようか?明智軍との二条御所での死闘の時、信忠軍は装備が不十分であるにも関わらず、明智軍を3度押し返しました。
運があったことはもちろんとして、(1)より高い確率で勝利を得る行動が選択できる、経営者としても判断能力 (2)天皇を中心とした日本の社会構造をよく理解し、その理解を信念として生きたこと この信念は尾張の一勢力でしかなかった信長が尾張一国を統一する過程で学んだのではないでしょうか。
人材登用という点で、信長は優れていたのか、それも普通だったのか、そこが気になります。
信長の臣下には優秀な人物が多かったというイメージがありますが、それは真実だったのか、それとも他の大名も信長並みの家臣を持っていたのか。
信長考察動画の一旦の締め、お疲れさまです。
当たり前のことをちゃんとやり切るっていうのはなかなか難しいですよね。人間は、息切れしたり油断したりしてしまうものですから。
そこをやり切れているところに信長の凄さ、強さがあるという見立ては現実的で腑に落ちやすいです。
(個人的には、加えて内側から足を引っ張られなかったのも良かったのかな~と思いましたが、信長の若い頃には織田家のごたごたとかありましたね。離反もされているし。それに、天下人になってからの話ですが、最期は光秀によって思い切り内側からやられてしまったわけですし、強さの要因としてはいまいち挙げづらいですかね。)
今回の動画内では、信長の状況判断の速さや(必ずしも的確ではないものの)状況分析のための情報収集力も彼の強さの一因として挙げられていました。
これらを成り立たせるに至った要因、つまり信長の性格形成や組織づくりについても、今後の動画で考察してみていただけると嬉しいです。
第二次世界線や日露戦争とかでは地域による兵の強さがモロ出たって話は聞くけどね 基本平地が多い都道府県は弱い傾向があるとか 大阪とか名古屋とか
面白い!!!!!!!
「秀才」の面以外に注目すると、決断の素早さと合理性は他の大名より長けていたと思います。
「短気」という見方は偏見が混じっているかも知れませんが、ピンチに際して合理的な判断を素早く下す力は他を圧するものがあるでしょう(例:金ヶ崎からの撤退)。
いい線いってますよ。
信長の強さは祖父や親父、また平手政秀らの教育があってこそだと思うな~
信長1人が優秀なのではなく三代に渡って蓄積された経験や手法、それらを利用するだけしているということ
個人的に特に優れていると思うのは情報の精査と決断後の行動に移す早さ
失礼します。
それが良く表れているのは、信玄が亡くなった後の、将軍義昭の追放・浅井朝倉の滅亡・伊勢長島一向一揆のせん滅ですね。
銀英伝のヤンの台詞を思い出した。「戦略は正しい方が勝つが、戦術は勝った方が正しい」と、「戦略上の失敗を戦術レベルで挽回するのは不可能」。
そうそう!
だから、自由惑星同盟の銀河帝国侵攻作戦の大失敗を取り返すことは、ヤン・ウェンリー(楊文里)でも無理でした。
戦略上の失敗を戦術レベルで挽回するのが織田信長なんよなぁ。
信長の強さで運というのはよく言われるけどそれをド頭に持ってくるのは笑う
ちなみに自分は思い切りの良さも信長の強さだと思ってます(特に対今川)
あと太田さんの動画見てると信長の若い頃のうつけイメージも疑いたくなるんですが、でも平手の爺さん腹切ってるし
太田さんに信長のうつけ時代解説もして欲しいです
位牌にぶちまけたのは「こんなボロボロの織田家残しやがってクソ親父!」ってことでいいんですよね?
長谷川平蔵も、若いころに無頼と付き合ってるし・・・・・まぁ、色々あると思いますよ。
政策、戦術、外交は手堅く普通のことを真面目に執拗にしっかりとやる。 しかし、個人の嗜好としては新しもの好きで絢爛、奇抜さを好む。 このギャップが「革新的な風雲児」としての信長像の形成に影響したのかもしれませんね。
三国志でも出兵を支える内政能力、高い士気を維持するカリスマと統率能力が非常に重要であることが見て取れます。信長は両方とも高い水準であり、それは結局戦国武将として基本に忠実だったという事でしょう。そこに強運や強烈な個性が乗っかり、何か飛び抜けた存在だったような印象につながっているんでしょうね。
鉄砲の導入が早いわけでもないし配備率が高いわけでもないし
軍が主に専業武士で構成されているのは他の大名も同じ
本当になぜ強いのか不思議ですね
普通の事を持続し努力し続けるのが大変という事でしょうか?
パイナップル・アーミーのテロ対策でも言われてますよ。普通を徹底するのが難しい、と。 実際、貴殿の生活にも当て嵌めてみれば分かると思いますよ。「今日一日、徹底できたかな?」と。
信長の強さは攻めなきゃいけない時と引く時の見極めがうまかったこと
普通の人が光秀の様な教養ある人物に謀反起こされるかな、、それとも普通過ぎてこんな簡単に天下が取れるなら俺にも出来ると光秀が思い上がってしまったのか
光秀がどうして謀反を起こしたのか、いくつも説があるが、どれも無理があり、定説はない。ただ言えることは二つある。一つは、その時、信長は油断していた。二つには、謀反を起こしたことは無謀であり、光秀にとっても起こすべきではなかった。
光秀は教養も常識も分別も人並み以上にはあったと思うが、野望や自惚れも大いにあった。野望を成し遂げるため、無理を承知の賭けに出て、失敗した、と見るべきだと思う。
光秀の謀反は、別の人の動画を見た方が良いですよ。「本能寺の変に期待し過ぎ」というのが最近の流れのようです。「やれる機会があったからやった」というだけのようで。その証拠に、変後の光秀のかじ取りがグダグダ・・・・・・・
マイクロソフト(ビルゲイツ)も別に革新的な事で世界を席巻した訳じゃないという事かな
正直、落合野球以上にすごく良い例えだと思います
こういったテレビメディアが広めたタチの悪いステレオタイプの認識は、むしろ戦国時代より江戸時代のほうが深刻だと思います、武士は清廉潔白だが商人はずる賢い、農民は純粋っ常に搾取されていた、といった、本当はそうでもなかてのに。
今や落合博満も歴史上の人物として名前が刻まてるよね。
普通と言われる人ほど、合理的、客観的判断が出来ず失敗するものである。
更に組織内での勢力争いや、限定的な成功体験、金銭問題なども邪魔をして難しくなる。
むしろ合理的、客観的な意見というのは慣習と主観で生きている「普通」な人達には理解されない事も多い。
「津波も考慮して予備電源を設置するべき」というのは合理的で普通な事だし、それを指摘する専門家の意見が国会でも取り上げられたにも関わらず、結局合理的な判断は出来ずに安全神話を信じて福島原発は爆発したのだ。
現代においても合理的判断で組織を動かすというのは至難の業。
それを中世日本でやってのけた織田信長は、やっぱり超人的な天才であると私は思う。
後半霊夢が言ってた「究極の合理主義」ってのが俺の考えと完全一致って感じ
信長は普通の事をこなし続けたと言われるが、各方面に軍団を作って大名クラスの権限と軍事力を与えたのは普通ではないと思う
ただ信長の中ではそれが一番合理的だから遂行したまでで
その超合理主義な考えが最後に命を落とした原因ともなったんやろなと考察します
普通の大名なら自分の寝首をかかれることを恐れて家臣にそこまでの権限を与えられんと思うから
センゴクだと銭回しがとにかくうまかった、て説明がされてるよね
主要な湊、航路、水路、街道を抑えたり整備したり、活かしたい商業路に沿って街を作ったりと。
家臣達も光秀や秀吉を筆頭に戦がうまいだけじゃなく銭回しがうまいやつが大きく出世してる。センゴクで紹介される一次資料にどこまでこれを裏付ける話があるのかはわからんけど。
武田勝頼が同じように銭周りを意識したそういうことやろうとして旧来勢力から反発があって甲州征伐時の裏切りに繋がったとか。
漫画とか小説とか、たまに資料提示されながら話進められちゃうとコロッと信じてしまうし信じた方が楽しめるしだけど、実際どうなんだろ
第一回は最早一年以上前…………感慨深いです(小並感)
そういえば 昔の漫画にこんな言葉があったな 普通が一番難しいって
戦争も相手より少ない戦力で仕掛けたのは桶狭間や天王寺の光秀救出時ぐらいですか
尾張統一までの戦争の多くが相手より少数で仕掛けてますよ。吉良大浜の戦い(800VS2000)。赤塚の戦い(800VS1500)。萱津の戦い(不明)。村木砦の戦い(不明)。安食の戦い。清州城攻略。森山城攻め。以下略。
一般論としてよく言われるのは、信長は、桶狭間の戦い以降は、天王寺の戦いを除いては、常に敵より大兵力を準備して戦った。
@@745yop6 意外に思えるかもしれないけど、そうでもない。信長本隊は大兵力だけど局地戦は無勢で見捨てるケースが極めて多い。弟などは基本見殺しでほとんど死んでるし高天神城を見捨てたり尼子や黒田官兵衛・秀長を見捨てたり光秀も一度は見捨てられて丹波で死にかけてる。天王寺の戦いは光秀を救うため信長が特攻したとされてるがそんなわけじゃない。それだったら塙直政を救ってるよ。単に天王寺で負けたら100%織田政権が瓦解決定だったから命を懸けただけ。