デビュー60年で老朽化するのに引退NGなワケ。115系(鉄道車両)
Vložit
- čas přidán 20. 08. 2024
- デビューから60年も経過する国鉄時代の鉄道車両である115系、なぜ今も走り続けるのか? 老朽化していても現役である理由について解説。
首都圏の宇都宮線や高崎線から登場し、その後は全国の直流区間かつ寒冷地、急勾配が多い路線にて取り入れられた。抑速ブレーキ、耐雪装備などを持つ。
現在もJR西日本の岡山地区、山口地区で使用。新型車両が登場しても引退には至っていない。
ナレーション原稿、撮影、編集などは全て私個人が行っています。
完全にオリジナルコンテンツです。
#115系
<画像出典>
・国土地理院地図、maps.gsi.go.jp/
(一部加工して掲載)
岡山や山口で運用されている115系は老朽化が進んでいるとはいえ座席が転換クロスにリニューアルされているものが多く、
18きっぷなどで山陽本線を長距離移動する際には快適に過ごせるので自分は結構気に入っています。
東の静岡、西の山口と言われるほど一度入県すると他県に抜けるのに時間はかかりますが、海の景色も良いので癒されますね。強いて言えば窓の汚れをなんとかしてほしいですが。
お金の問題もあるけど、
長生きな理由No.1は、115 系の完成度が高いから、ってことなんだろうな
これぞ、本当に国鉄の匂いがする車両です!
重くて長くて丈夫な車両です!
115系は増備期間が長いので、さすがに60年使い続けている車両はありません。
でも50年位なら岡山地区で現役です。
山口地区の車両は最終増備車なので、昭和50年代後半に作られた物です。
ほんとそれ。
牙城だった高崎から引退するときも昭和38年から使われていたような言われぶりだったが、ガチで昭和40年代に製造された0番台や300番台なんてE231系が投入された時点で中央東線に転出したり廃車になったりと早々に首都圏から駆逐済み。
高崎・宇都宮線での中電運用がなくなり高崎エリアでのローカル運用に晩年就いていたのは1000番台のみで、昭和50年代半ばにかけて増備されデビューは201系とほぼ同時期。
むしろ民営化を見据えていい加減旧型国電を一掃しておかないとマズいとなって、国鉄末期に115系が増備された高崎局、岡山局、広島局は当時の国鉄では車両配置でかなり優遇されていた。205系や211系デビューは、1000番台の最終製造から2、3年しか間隔がない。対照的なのが仙台局で客車列車のまま基本放置され、東北新幹線開業で余剰になった特急型や急行型を改造して電車化はしたものの、輸送ニーズに合った近郊電車への置換は民営化後に本格化する。
プロダクトサイクルは長ければ良いという国鉄の車両設計思想があって物持ちしたので、本州3社でも財務基盤の弱いJR西日本はこれに乗った格好なのは事実だが、承継車両は1000番台と並行して製造された2000番台、3000番台も多い。
結局のところ、昭和38年に形式化されたものが21世紀まで残ったのは、同一形式が番台区分を変えて長いこと製造され続けていたことが大きく、これは115系に限らず113系、103系も同様で、新形式の導入に労組が抵抗するという国鉄特有の事情もあったのだろう。EF64に関しては、これの最たるケースで、旧型国電どうよう民営化を視野に旧型電機の置換を図る際、本来は別形式としたいところ労組との折衝を嫌気して、あくまでも既存形式のマイナーチェンジであるという位置づけでEF64の1000番台を115系1000番台と同時期に製造している。
正しい情報ありがとうございます。
新潟は昭和39年製のボロも結構根強く走っていましたが、ほとんどは昭和53年製でしたね。
@@changnabe2606 昔の労組マジでクソですねえ
@@user-mz8dk8yt1w 越後線弥彦線電化時に入った車は国鉄が虫の息で新製車を入れる事が出来なかったので各地から掻き集めた古い車両に改造を加えて使用していたのでこのようになった、一部首都圏から集めた1000番台や身延線から移した2000番台は新しい車両の部類だったが冷房化はAU712を使うなど不思議な所もあり弥彦線の2連はドア内側が薄緑に塗られた初期車もあった。山陽線の115系3000番台も労組絡みで117系を入れられなかったみたいですね。
岡山には製造から50年近くの車両もいますが、大半は、製造から45年程度の車両が、活躍しています。
モータ音がたまらないんよ
115系は、車体が鋼鉄製で、安定感があって、レールの繋ぎ目の音が心地よく、ボックス席に座ると優しく抱っこしてもらっているような、いい電車でした。
姫路駅で黄色の115系岡山方面三原行きとか、福山行きとかを見るたびに関西が終わって中国地方になるんやなあって感じる
私は1本の列車としては姫路~岡山ほど方言の変化がわかりやすい区間はないと思っています。
115系が同時期に登場した113系と比較し、現役で残ってる比率が高いのは、
耐寒耐雪対策や山岳路線での運用を考慮し、抑速ブレーキの標準搭載されてる部分が大きいと思います。
更に基礎設計が優秀で後継車種への置き換えが遅い部分も関係してると思います。
お姉さんの切れ味がどんどん上がっていくの草
1:17
雪道や坂道に強い!!
初めて知った!!
本当 万能なんですね!!
広島ではセノハチという坂道に対応するために導入されました。
@@hc-ir2dr おお〜!!
あの瀬野八ですね!!
正確には大阪環状線、山手線といった都市圏のような駅間の短い路線には向いていない
確か、広島地区に配置されていた103系はセノハチを越えられないから山陽本線の瀬野以西、呉線と可部線にか使えなかったんですよね。岡山地区ではほんの一時期103系が船坂峠を越えていました。
@@rosarium7586 それは103系の仕事だから。
国鉄車両が今も現役なのは凄い
山陽地区の115系は、都会のお古だけでなく、国鉄末期に地元向けに「新製」された車両も多いから
しぶとく残ってるんですよね。広島地区に投入された115系3000番台は1982年の製造。
次世代車の211系は1985年に首都圏デビューですから、3年しか違いません。
ロングシート車にしても、首都圏や京阪神にはチョッパ制御でエアサスの201系や203系を投入する一方で
地方には非冷房の105系や、地下鉄乗り入れ車でも103系(筑肥線)を「新車」として入れるなど
経営が厳しかったとはいえ、国鉄末期は地域格差が激しかったですね。
いつもわかりやすい解説と面白いダジャレと例え方と自虐ネタありがとうございます
JR東日本で115系が長生きした理由、1000番台が多かった(最古の車で1977年)、3両組みがしやすい、寒冷地仕様になっている。類似の例は165系、455系、169系。
165系は東でも西でも短命でしたね。やはり直流専用というのが痛かったです。東日本の場合、交流電化区間が多いので、無駄な交流電化区間を直流電化にしてしまったら165系の末永い活躍が出来たのではと思います。羽越本線や奥羽本線がその最たる例です。
財務省がブレーキなのは笑えない事実ですね
財務省は何も関係ない
115系の話題嬉しいです。30年以上前から特に山陽本線の115系のお世話になっています。今でこそ一部を除き末期色で転換クロスですが、かつての山陽地区の115系は外観・内装ともバリエーションが豊かで、乗っている電車もすれ違う電車も見ていて楽しかった。先日、下関の115系3000番台1編成の塗装が瀬戸内色に復刻変更されたとの情報がありましたが、第二次長野色とともに私が好きな地方色です。
この車両に乗ったら、旅に来た感じがして好きなんだよなぁ。風情がある。
そこから財務省が出てくるかと感心しちゃいましたよ。面白い例えだと思いました。
115系に特化しないけど、近郊型(もちろん新性能)というのは国鉄の傑作のひとつですね。60年代の古い写真にもカボチャとか近郊型のあのスタイルが写ってるのを見ると現代と錯覚しそうな、時代を超えた名作だと感じます。
地元のしなの鉄道も115系なので親近感があります!
115系、JR西日本で残る電車は227系シリーズに置き換わるのかなと推測します。
それはそうと、最後まで元気に走行することを願います。
115系はMT54という「伝説の高速馬力モーター」の威力が大きい。最初は勾配がきつく積雪量の多い上越線などへの対応車両として製造された。115系の先輩格として、後に新快速の主力車両を担った153系は急行用車両として製造されたが、MT46という、非力なモーターを使っていたため、登坂性に難があり、115系の弟分で急行用車両として製造された165系が登場するとたちまち置き換えられた。また、115系に類似した113系は、同じくMT54モーターを使用していたが、数字が若いにも関わらず、115系よりも1年後輩にあたる。「湘南型電車」の愛称で親しまれた、「吊り掛け駆動」の80系の置き換えとして、当初は111系が製造されたものの、非力なMT46モーター搭載車両だったため、後に113系に置き換わった。
113系は115系より新しいのですか?てっきり、113系を改良して115系にしたのだと思ってました。
@@user-ev8km8py7g113系は確か1963年12月だか1964年1月だかでデビューしたような気がします。115系は111系をベースとしてるので、113系は115系ベースなので実のとこいうと113系のが新しいのです。113系は暖地での使用がほとんどなので、そこまで注力して投入はされなかったですね。民営化後に転属先に困った車両でもありました。
@@asokai2346 113系は人口が多い東海道山陽エリアを中心に投入されたから、製造数は多いんじゃないでしょうか?
ま~昭和40年代以降に電化された東北・北陸・九州は交流ですから、高直流電車の415系のほうが広く投入されたとは思いますけど。
しかし私鉄の人たちからしたら、120kwの電動機出力でよく高速馬力モーターと言ったものだなと当時言われていましたね。昭和38年だと東武8000系が登場しておりましたが、115系よりも電動機出力は上なんですよ。また、1967年頃になると私鉄でも国鉄の新幹線並みの高出力電動機を搭載した特急・通勤型車両が多く出てきたので国鉄の車両は一世代前の性能と揶揄されるほどでしたし。近畿日本鉄道では、0系新幹線と同出力の特急型車両が1967年に登場しましたね。トルクは断然、近鉄電車の方が上でした。
この子とキハ40系は
未来永劫現役であってほしい。
あと、103系に500系とかDE10・・・
色々な所を挑発する主、頑張れ👊😆🎵
都心部から山間部にかけて長距離運用かつ汎用性高く、未だに主要路線で使われてることを考えれば、同じく登場から60年経つ私鉄の103系と呼ばれる8000系も同じだと思った。
貧乏神に取り憑かれた北海道でさえ気動車とはいえ新型車両(H100系)に置き換わっているのに古い115系ってまだ走っているのは設計が余程良かったのでしょうね。
首都圏から引退した 103系が、仙山線の快速で爆音立てていたのはある程度知られていましたが、
長岡夜行の 115系はそんなもんじゃなかったです。
通勤客がほぼいなくなった新前橋で日付が変わり、渋川過ぎて車掌のアナウンスで減灯し、水上過ぎてからが本領発揮の場。
新清水トンネルを爆音立てて走るあの迫力、そりゃあもう、凄かったです。
で、トンネル抜けて越後中里から岩原スキー場前を過ぎ、越後湯沢まで、何事もなかったかのように、しとやかに走る…。
今年の 8月に、185系で新潟夜行が走ったのにはビックリでした。
103系が仙山線?仙石線では、115系長岡夜行は減光してたのですね、佐渡の165系は一晩中明るいままで寝ずらかった。
碓氷峠でも一応トラブル時に備えて機関車付けてたものの
性能的には5両編成の奴だと単独で登り降りできちゃうんだよね
今年の春、赤穂線の115系にS.52 山梨などと書かれた落書きを見て115系の歴の長さを思い知らされましたね
プラレール(当時)を思い出して 寂しい気持ちになりました。
本音は財務省に「おいマジふざけんな!」言いたいんですね!わかります🎵
太平洋ベルト地帯の一翼を担う岡山と山口が未だに115系の一方で、首都圏でもない新潟はE233系ベースのE129系にすべて置き換わってるの。よらば大樹のJR東日本という気しかしない。
抑速ブレーキ分かり易い!
例えばRC。坂道に置いて、その動き
普通にモーター積んでる→ゆるゆる降りる
モーター無しのギヤのみ→勢いよく降りる
つい最近まで環状線で103系が使われてたのが西日本。ローカル線に限った話じゃないのよね。
むしろポンポンと新型に変わっていく首都圏が異常に金持ちなんだよ
財務省ブレーキはめっちゃわかりやすい。素晴らしい(#^.^#)
115系の歩みがよくわかり参考になりました。それ以上に政治批判などペーソスが効いていて良いですね。
JR九州のステンレスの415系電車も、足回りの設計は古いのだよね。
JR九州も収益は良く無いから、
関門トンネルがある限り、これからも走り続けるだろう。
抑速ブレーキ=財務省
ナイスな例え🎉
115系の魔改造車「ろくもん」
これぞ水戸岡スペシャル!
真田家の家紋といえば六文銭
色も真田と同じ赤備え。かかんに挑戦している所も真田と同じ
古い車両を大切に、末長く使いましょう計画😅
しかしながらLED照明は例えば従来はちかちかが起きる 突然切れる 点くことに暫くかかる 再び点けると更にかかる 発熱する ガラス割れる 黒くなる等を解決 抑えたものです。2050年ちょうどには全てLED照明には変えなさい。つまり従来の照明は現在から少しずつ卒業しなさい。
しかしながらテレビ 冷凍自動販売機 食器洗い乾燥機 洗濯乾燥機 商業設備 工業設備 漁業設備 農業設備 電子レンジ スチームコンベクション コンロ ファンヒーター 給湯器 キュービクル高圧受電設備 節水機器 マルチ決済端末PAYGATESTATION キャッシュレス券売機 油関連機器 防犯カメラ 空調設備 ハンドドライヤー 除菌剤アクアウィッシュ キッチン設備 風呂設備 トイレ設備 洗面化粧台 光触媒 除菌脱臭機ターンドケイ 空間除菌脱臭機ジアイーノ リノベーション 建物 公共機関 その他は古く 駄目になるまで使うべきです。
115のシートとモーター音は安心感があって好き
新潟県全滅、長野県はしなの鉄道でギリギリある
岡山から姫路へ行く時はたいてい相生で223系とかへ乗り換えるんですが、違いが絶句するレベルなんです😱
慣れ親しんで好きな車ですが、利用者立場だとやはりねぇ。
115系は、一時期伊豆急行200系として運用されてました。残念ながら10年にも満たずに廃車となりましたが。
短命で終わりましたね。東急のお下がりになったのが本当に残念です。
さらにそれが209系に置き換えられ
MT54の爆音モーター音が良い!
抵抗制御の直流モーターはメンテさえすればもちます。100年でももちます。ただ、そのメンテが面倒くさい。全然別機械ですが、20年前に初めて100kW直流モータのブラシのメンテを見たときには、「うわーめんどくさ」ってのが初見でした。カーボンの方は取り換えるだけですが、回転子の方はカミソリで溝を切るように汚れをぬぐう感じ。車両と違って固定された機械で、周囲が暑かっただけに尚更。
キハ40も似たようなデザインをしているため両方好きです
乗り心地はともかくまさか優れた性能とは!
岡山とか言う国鉄車両の墓場で運動会
でも特急やくもの381系や奥出雲おろち号なんかも今年いっぱいで引退なのでようやく新しい時代を迎えることができるのだろうか??
同じMT54の415系1500番台も、もうデビューして40年近く経つのに、関門シャトルで必要だから今だに引退する気が無いんだよな()
115系の動画 待ってました
岡山の115系はそろそろ引退が近いですね!
広島山口は227系RedWingに、岡山は227系Uraraに置き換えられました(置き換え中)
岡山市民ですが、特に宇野線で227系をよく見ます。
山陽線よりも瀬戸大橋線、宇野線の方が四国の影響もあり、新車が多いです。
姫路〜岡山を在来線で移動する時に115系によくお世話になるので思い出深いです。
(普段はマリンライナーしか乗らないので笑笑)
山口地区はしばらく残りそうですね
JR西日本は京阪神地区以外だと、大阪環状線が利用者の多い路線ですが、ドル箱路線と言えるほどではないですね そう考えるとJR西日本はドル箱路線がほとんどないですね そもそも関西圏のドル箱路線は御堂筋線くらいしかないですもんね
山口地区の115系は2~3年くらい前にシートを取り替えた車両が出現し、方向幕も黒を基調にしたものになりましたが、これは当分の間新車に置き換えないことを意味すると私も思っています。ただ、窓が汚くてせっかくの瀬戸内海の景色も台無しで何とかならないものかと思います。
@@Yoshin-Sashizumeその辺は関係ないと思うよ
幕や座席は愚か、車体丸ごと大幅なリニューアルしてから5年程度で廃車にした事だってある(逆に何にも手を付けなかったボロ電車が50年走り続けた事もある)し
久々に鉄オタらしい内容。
たくみっくの迷列車解説見るの初めて。
115系は岡山や広島のイメージが強いですよねえ
新潟もイメージが強い。
20年くらい前、東海では一時期115系の塗りドア車によく当たりました。冬場ならレトロ感が味わえるけど、夏は後付けで性能の低い冷房機のためか扇風機も稼動していて、それでも暑くて長い場合だと豊橋から熱海まで汗をにじませながら移動しました。
上野口のイメージが強かった。
1000番台なら長野と新潟ですわ。0・300番台なら上野口ですわ
解説も上手いですけど
ボキャブラリーも凄いです。
山口の115系はワンマン改造までされたのでまだまだ使うでしょう
懐かしい、高崎線でお世話になりました
山口県西部在住の身としては、最後の最後まで115系を見続けることになりそうだ
最寄りの車両基地には227系が置いてあるのを見るけど、待てど暮らせど乗れる227系が西に伸びてくれん・・・
7:12 地元で草
セノハチを補助無しで走れる車両は,スペアで残しておきたいものです。
東海道線で115系が快速運用されていた頃(1990年台前半)、トイレはまだ垂れ流し式でした。
普段阪急と(大阪)地下鉄ぐらいしか使っていなかったので茨木駅の対面ホームの車両から黄色い水が線路に流れ出たのを見てカルチャーショックを受けたのを覚えています。
115系こそ、『湘南電車の集大成』だったのではないかと今にして思います。
加速時のモーター音。適度な揺れ。トンネル前の汽笛。
かと思えば、湖西線のような近代設備の路線でガンガン飛ばす!
完成度の高い技術が結集された車両だったからこそ、今でもつかわれているし、コアなファンも多いと思います。
熊谷駅が出てきた事に、喜びを感じた
115系 最後は ”かぼちゃ色”で 見届きたいかな
神戸からの帰りで、岡山で久々に見ました。もうここにしか無いとは、知りませんでした。自分は詳しい訳ではないですが、どんどん古い車両は無くなってきているんですね
老体でも現役で走り続けててもらいたい。
115系は最後に製造されたのが1983年であるのだ。
ただ製造から40年以上が経過しており順次廃車となっているのだ。😂
無理やり笑わせようとしてる感が表面に出過ぎていて、恥ずかしくなっちゃう
もう少し抑制して、センスの良い笑いをさりげなく頼む
鉄道の弱点は坂道と寒冷地、115系はそこに見事に対応した構造だから長生きしている、というのがよくわかりました。キハ80系もなんだかんだ言われながら長命なのは、使い勝手の良さがあるのでしょうか。
あれ?今残っている115系は番台的にはおろか旧型客車やSLや譲渡車輌のキハ20系位ではないと流石に車歴60年の車両は残ってないないんじゃないの?
MT54の爆音が好き
115系にVVVF搭載改造した115系改とか出ないかな。
近鉄でも抑速ブレーキのある旧型車両がバリバリ現役ですよ。
景気停滞期に消費税という抑速ブレーキで増税しまくった自民党と財務省
抑速ブレーキって、車のエンブレみたいなもんかな。たぶんコレ積んでる車輌少ないから、まだ働き場所あるんだろうな。
山道対応の他、山陽や甲信越などの中規模エリアで沢山走っていたのも大きいですね。
大都市部の投資と、ローカル線の合理化ワンマン化の双方の対象から外れたので生き永らえたといえます。
西多摩民の私には115系や気動車は行楽でしか乗る機会がなかったので
「特別な車両」という認識だったのもあり成人してから両毛線などで乗ったときは
子供のころを思い出してたのしかったです
末期色乗りに行きたい
西武のイエローラッキートレインも 115並みの古さです 最近小田急の青帯車に置き換えがやっと決まり めでたしめでたし
新潟の115系も60年代?にデビューして22年に遂に全車引退したから約50年も使用された(と言っても後程加わった転属編成もあったが)
最後の映像の駅,総社駅ですね。たらこ色(桃太郎線)も健在。
113と5系の置き換えをしないと,山陽線の姫路以西の線区が時間かかってアクセス悪いんだよな。車体が重いから加速も減速も悪いし,トップスピードが100km/hを超えないから,新快速からの格差をむちゃくちゃ感じるんだよな。uraraは新快速と同じくらいの性能だから,姫路~岡山(糸崎)間の所要時間がかなり短縮されるはず。中途半端な今はuraraの性能を持て余しているんだよな。
Wikipediaで
確認した。
やっぱり福知山線は
113系が
主流だった...
115系に そっくり!!
3:11 抑速ブレーキ=財務省。合ってますよ❗️最もその使い方はご遠慮願いたいですが…
東武8000系も頑張ってるよ!
総社へ行ったのですか?
新しい車両とは設計思想が違う気がします。最近出る奴は短期間でモデルチェンジを想定してる。
115系は宇都宮線(高崎線)は2回、群馬ローカル(元宇都宮線4連もいた)、中央本線、新潟ローカル、山陽エリアでは山程お世話になった。
東日本と東海は山手線や東海道新幹線などで所持金に余裕がある(東海地区の115系は2007年に卒業し、東日本より先に全車卒業)けど、
西日本の場合黒字でも壊れと言うほどの収入はないから、新型車両が出るまでの間115系他多数の国鉄車両に体質改善工事を施して経年劣化を遅くしているのだと思われます
自分の地元でも115系が走っていますが新型車両の導入で置き換えが進んでいます(悲)
デビュー60年はすげー
攻めて100年までには廃車にしてもらいたいです。
最近JRで新型車両は40年間は今の路線で活躍をし100歳までは転属を繰り返して活躍してもいいです。
100歳したら廃車の方が良い。
学生の頃山陽本線と呉線でお世話になってた広島県民です
まっ黄色(末期色)は迷列車から生まれた鉄用語。
伯備線の115系は最後まで図太く残りそう
最近のたくみっく教祖の説法にはキレが無いような…
ちょっと心配です😢😢😢
福知山線でも2005年の尼崎脱線事故以降117系から115系1000番台が今まで以上に車両が増えたのには事故の原因追及に時間を要した為に全国からに一時的に115系置き換えられたのでしょうか?
私的には115系(クリーム色)の古い国鉄感満載で小学生時代115系が新快速で使用されていた時、小学生低学年時代に良く見かけたので115系で尼崎から西宮名塩まで通勤でお世話になりました。
今はもう乗れませんがとても寂しいですね
東急・小田急「お譲りしましょうかぁ?」
ご遠慮願いますw
西大寺・総社・宇野で何したのかな
最近うららとか言う新卒が入社してきたんで、岡山の115系が心配。あれに乗ると地元に帰って来た感がある。ご卒業されちゃったら泣きそう。
そもそも今残ってるのは後期に作られた車両がメインだから、60年じゃ無いし
201系とオーバーラップしてますからね。長野のいる115なんてよく乗りますが、昭和56とか昭和53とかしか銘板みないから言わずもがな昭和30年代製の115なんて国鉄末期に廃車が進んで民営化時にはそんなに残ってないはずです。あと昭和52年以降製造の115系はフルモデルチェンジという位置づけなので、正確には115系ではありません。おそらく117系と称して製造しようとしたところ上層部から待ったをかけられ設計変更したものです。なので細かいところを見るとコンプレッサーや電動発電機の型式が既存番台の物とは全く違うんだそう。運転室周りもモデルチェンジに合わせて既存番台より広くとり、計器メーターなどは一から設計変更している為、互換性がないのだとか。なので、既存番台は老朽化した時点で多くが廃車となりました。
115系のモーターは、113系等と同じもの。(制御器は違う)
ただ、MT比が高い編成が多く、減流値もやや高めに設定されている。
最終型が残ってるでしょうから40年くらいでしょうか。昔のヤツはボックスのシートピッチが狭くて扉横に3人席とかありましたな。岡山地区は姫路で近畿に来るから習熟とかで残ってたりするのでしょうか。あ、でも113系ならこの夏に福知山でセミクロスシートのやつに乗ったけどまだ走ってるのかな?湖西線と草津線の113系はこの春終わったか。