【ゆっくり解説】 古代中国のごちそう 春秋戦国時代の王侯貴族の食文化 【春秋戦国】
Vložit
- čas přidán 28. 03. 2023
- 古代中国、春秋戦国時代の人々はどのようなものを食べていたのか、どんな食べ物がご馳走だったのか、古代中国の食文化や食にまつわる逸話を紹介していきます。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
関連動画
大宰相管仲を用い、斉を天下第一の覇権国に築き上げた斉の桓公
• 【ゆっくり解説】 斉 桓公 春秋最初の覇者 ...
戦国四君筆頭で三千もの食客を集め、王をも越える名声を天下に轟かせた政治家、孟嘗君の紹介
• 【ゆっくり解説】 孟嘗君 人々に愛され王に求...
遊牧民白狄が建てた春秋戦国時代の国家 中山国の紹介(限定動画)
• 【ゆっくり解説】 遊牧民が建てた神秘の国 中...
最近の動画
中国史ヤバい人物伝 この世に地獄をもたらした人々
• 【ゆっくり解説】 中国史 ヤバい人物伝 この...
ラストエンペラー溥儀(前編)
• 【ゆっくり解説】 ラストエンペラー溥儀 激動...
ラストエンペラー溥儀(後編)
• 【ゆっくり解説】 溥儀 皇帝から平民へ ラス...
妻は中国人で、お冷を口にせず、徹底して暖かいものを飲みますが、お風呂上がりには必ずハーゲンダッツを食べます
自分も漢方医から冬は特に冷たいものを食べるなと。アイスも夏以外は厳禁と言われてました。奥様はアイスが大好物なんですね。湯上がりで身体が温まった時に食べるという折衷案なのでは?
「恩を与えることより、恨みを買わないことの方が大事」。本当になんかの古典にありそうな格言。
華元のエピソードはいつ何時どんな出典で読んだり聞いたり見たりしてもホッコリする。
この動画を見ると、「羹に懲りて膾を吹く」ということわざからも古代中国のごちそう文化の息吹が感じられてきた。
現代は貧乏人でも米や肉もそれなりに食べられるし、文明の進みには感謝。
統計上、日本人の食(たんぱく・ビタミン摂取量)は、1950年代の戦直後並みになっっています。
現代日本人は食も貧困なのですよ。
@@666samurai5どんな統計を引用してるんだ?
流石に貧乏人でも豆腐も果物も食べられる現代が戦後直後レベルなわけねーだろとしか思えん
レス乞食か?
『東周英雄伝』の「孫臏と龐涓」の回でも龐涓が羊料理に舌鼓を打つ描写がある。羊肉は生臭いイメージがあるが、それでも太古において肉は高級品だったということだろう。ところで、現代日本では羊羹と言えば小豆のアンを寒天で固めた和菓子だが、一体いつから羊のスープが和菓子に変化したかと言うと、まずは本家本元、羊肉を使ったスープが鎌倉〜室町時代、禅僧によって中国から伝えられたという。しかし、肉食が禁じられていた禅僧。小豆や小麦粉、葛粉など植物性の素材を用い羊肉に見立てて作ったものが羊羹の原型となり(蒸羊羹)、時代と共に甘みが加わり寒天を加えて作る、現在の羊羹(煉羊羹)になったという説があるそうな。
中国の古代の墓から料理のレシピが見付かることがあり、日本の大学研究者がまとめた、その再現研究本が近々出るらしい。
あれ?霊夢は蝉フライ食べに行くんじゃないの?
へぇ、それは面白そう。
食文化で時代を進めるのも楽しそうですね。
異民族の流入で食卓も様変わりしそうですし。
現代では油と切り離せない中国料理がこんなに淡白だったのは意外ですねえ。中華と油料理の歴史はいつからになるのか気になるなあ…一つ知ると疑問がまた一つ
鉄鍋は西暦10世紀の宋代に普及し始めたばかりで、麻婆豆腐、牛蛙の炒め物などに使われていた唐辛子は17世紀以降のことです
おおよそ明代あたりから増えてきますね。
餃子は漢末三国時代に登場し、ラーメンは16世紀に誕生した料理で、今日ではよく並んでいるが、実年齢は1300歳差だ
現在の中華料理は中華民国(クオミンタン)で作られた料理が元になってたはずだから明清時代に徐々に形成されたのでは?
うろおぼえですが
四半世紀近く昔に
中村喬先生の研究(宋代の料理を手掛かりに魏晋南北朝まで遡った内容)で
なんか見た気がする
調理法ごとに分類されてて
焼について(炒・煎・油)の項目もあったので
民間に広まった時期は知らないけれど
宋代には既にあったんじゃないかなあ
非常に面白い話ですね。
しかし、食事の恨みで他国に走って攻めさせるとか凄すぎる
良かった…孔子と肉料理と聞いて例のあの肉の事かと震えていた
「食べ物の恨みは恐ろしい」これに並ぶものとして「金の恨みは恐ろしい」「女の恨みは恐ろしい」というのがありますね。
食文化は歴史や地理、風俗全てに絡んでくるものですよね、めっちゃくちゃ面白かったです❗️
是非時代を変えて色々な王朝の文化を紹介して頂けると嬉しいなと思いました!
米の消費が増え、江南が発展していく様とか?興味は尽きませんな!今後も楽しみです
時代毎の料理の変遷なんかも知れたらより面白そう
古代の人々の食べ物に関する逸話どれも面白かったです。改めて考えてみると今の私たちは昔の人々がごちそうだと考えている以上のものを日常的に食べているのですね。それを考えて卵かけご飯を食べるとより一層おいしく感じます。
夕飯に、早速味付け無しの羹を作って食べました。素材の味がおいしいです。古代の食事を再現して食べてみるのも乙なものです。
ありがとうございます!
鳥人間さんは古代中国の
ごちそうについても造詣が深いのですね。
敬服の至り~、です。
ご支援いただき、感謝感激でございます~!
ごちそう話もお楽しみいただけたのなら、これ以上ない幸いです!!
古代中国の話はおもしろく、ためになりますね。
むかしの食事を食べたいです、おいしそう。
西洋だとギリシャ以後はキリちゃんの話なので非科学的で賢くもなりませんし、良い感動もない。
中国は素晴らしい。
このチャンネルで食事と言えば蟹を殻ごと食べちゃう様なヤバい逸話の印象が強いけどここまで平和(少し微妙だけど)な食事の話題は珍しいし面白い
うーむ、これを聞くと「食べ物の恨み」というのは美味しいものを食べ損ねた、というよりも無下な扱いを受けたというニュアンスで使うのが正しいように思えます
鳥人間さんの陳平について解説していた動画でも陳平は祭事の肉を公平に分配したことで名声を高めたとありましたね。
この役割も栄誉であると同時に恨みも買いやすい役割だったと聞きます。やはり食、それに伴う作法というのは大事ですね。現代にいたっても食の作法でお里が知れることも多分にありますし…
自分も同意見ですね。
食いそこねたという恨みだけでなく、肉料理が政治的・儀礼的な側面を強く持つ時代だからこそ、「食べさせて貰えない、用意されてない」はかなりの屈辱的扱いのように思えます。
そう言えば、三国志の陳登が刺身というか鱠食ってる記述が有りましたね。
川魚や肉の膾はまずいですよ!!やはり中国、食い物の恨みもスケールが壮大ですね
今の中国でつい最近まで生食の魚(刺身・活魚鮮魚)の食べ方がなかったのは、生だと(特に淡水魚は)泥臭くて食えないと言う理由だと聞いたけど。刺身や寿司が日本の影響で流行ってからは中国人の海産物の消費は爆上がり。
@@tokuchan0525 大陸だと基本川魚なので寄生虫が怖いみたいですね。実際陳登もそれで〇にましたし…
@@simonu-oj8lk陳登吃生魚片得寄生蟲了😂
膾といえば日本では江戸時代まで食されており、伊勢参りの旅人の世話をする御師(おんし)が専門の魚切り役を何人も動員して刻んだ魚を木桶に入れて、鍬で酢と和えて大量生産した膾を伊勢参りの旅人に振舞っていたとか・・・・・
川魚と言っても日本の渓流で取れるような物ではなく、土で濁った川の水で育つので泥臭いでしょうね。
休日前の夜にご褒美を頂いた気分
ごちそう動画、とのことだったので美味しいお酒を頂きながら拝見させて頂きました
とても面白かったです
鳥人間さんの動画は色々な切り口から中国史を学べて本当に楽しい!
ご支援いただき、まことにありがとうございますッ!
動画を愉しんでいただき、とっても光栄です~
この時代の中国ドラマ等でも、周王室から干し肉を下賜される事が、
即ち「王」として認められる証として取り上げられますよね
華元と羊斟たちの話から
食べ物の恨みはあな恐ろし…。
というのがよぉぉぉぉぉく
わかりました…。
ところで鳥人間さんの動画を見て、
今日の夜ご飯は
お豆のスープと豆サラダに
してみましたが…
やっぱり豆だけでは働けませんね😅
昔の人は本当に凄い…。
似非ベジタリアンとしては如何に豆料理と豆の葉スープを美味しく食べられるか考えてしまうのだけれど
そもそもこの時代、調理法も調味料も殆どないってことなのだよねぇ
ちなみにダルカレーは大好物です(自己PR)
食指が動くの逸話、平和で面白い話だなあと思って聞いてたらその後の展開がドロドロしすぎてて笑う
予想以上に面白かったです!続編を期待しています。
お心遣い痛み入ります……!
ぜひまた食べ物回を作りますので、ご期待ください……!!
「羊羹」という字面だけ見ると、羊のスープじゃなくて「ようかん」が浮かんでしまう
なかなか昔の食事の話って
特に中国史では出てこないから興味深く楽しませていただきました。
勉強になる動画UPありがとうございます!昨今の日本では米よりも高い雑穀だけど、栄養価が高くて、日露戦争時の日本陸軍は、せめて辛い戦争時くらいは兵に白米食べさせてあげたいと言う親心で麦とか混ぜなかったら、逆に脚気が流行ってしまったと言う笑えない話がありますね。対する旅順要塞のロシア軍は、生野菜が無くて壊血病が流行っていたと言う…………
ご支援まことに感謝感激ですッ!!励みになります!!!
戦争と兵糧、栄養、病は興味深いテーマですよね……動画作りの参考になります!
辛い戦争時くらい兵に白米を、って本当は当時陸軍軍医のトップだった文豪森鴎外が既に脚気の原因が分かっていて海軍がその対策を模索していたにも関わらず、脚気は伝染病という間違った考えをあからさまに陸軍だけでなく海軍にも押し付けていたから。結果、海軍兵士よりもはるかに多くの陸軍兵士が脚気の犠牲になった。海軍の脚気対策も最初はパン食にしたものの、米(それも白米)をたらふく喰いたい兵士達の反発から米に麦を混ぜて炊く麦飯に落ち着いたと。ただ陸軍を中心に白米とたくわんをたらふく喰えば戦争に勝てるなんて考え方してる脳筋連中が我が物顔で闊歩しており、後々、太平洋戦争で満足な補給も受けられずに悲惨な結末を招くことに。
@@user-kq2hj6wq3y
大東亜はアメカスの雇われた犬が計画的に餓死させたり大量に日本軍が死ぬ戦術をしたり作戦や暗号を垂れ流し敗戦へ導いたんだぜ😢
めっちゃ頭が可笑しい作戦と賢い作戦てま分かれてるのは犬か犬じゃないかの違いなだけ
アメカス公文書館で大東亜中アメカスに雇われた日独の工作員の名前が公開されてます
ヒトラー率いるナチスもアメカスがつくった工作員組織
ヒトラーは自殺してることになってるけどアルゼンチンで余生を過ごした事も公開された😅
支配層の白人の目的は日本をボコボコにして敗戦させ2度と白人に逆らうことがないよう主権を奪い植民地にするため
戦後から、この状態↑
米(稲)が古代中国では黍(モチキビ)よりも更に高級な食料で、貴族や王族は豪勢な服装で黍を食べていたとは初耳です👂😳。閑話休題、春秋戦国時代というのは「たかが食い物、されど食い物」の時代で、それで国の存亡に関わる事態が頻発したんですねぇ😳。中国の食文化史についてもっと知りたくなりました。
食べ物回❗
春秋戦国時代は羹や膾ばかりのイメージですねえ
調理法は焼くと煮るだけのイメージです
調味料の醤は漢の荘助が南方の異民族にお使いに行った時に持ち帰るまで無かったから
現在と味付け自体も違ったんでしょうね
それまでは基本的に塩と梅と酢を使って味付けしていたみたいだし
多分タイムスリップして当時の料理食べても口に合わないかも😅
そんな時代に百牢作れと言った呉王夫差と伯嚭の無茶振りよ😱
文化系の話もめっちゃいいから続編たのんます
近代の中国の料理だと谷崎潤一郎がえらい詳しく書いてますね。しかしやはり古代は調味料が限られるので素朴😮
たまにあると嬉しい良い感じの新シリーズ!
鳥プルクラウン人間は明日のメキシコ戦頼むでしかし!
調味料の話が出てこないな~と思ってたらまたの機会にお預けかぁ。
食指が動くの由来に続きがあったのは知らなんだ…。
文化回楽しいです!故事成語の由来ももっと見たいです!
これ面白かった。場所や気候や時代によって何を食べてたのか勉強になりました。モンゴルが馬にチャチャルガン食べさせてたから強かったみたいな話も本当かどうか知らないけど興味深い。
書籍「古代中国の24時間」も面白かったけど、今回の食生活も大変興味深かったです。人々の衣食住があってこそ、華々しい中国史があるとすれば、こういう話題はとても勉強になる。
粟は古代中国でかなり重要な作物で、隋唐期の税制である租庸調で穀物を納める「租」も粟を納めるのが原則だったらしい。
曹植の七歩詩に豆が歌われてたのも、それだけ身近な主食だったってことなのかな。
食べ物の恨みが強かったのは、馳走=儀礼だったから現代とは比較にならないほど侮辱的行為だったってことか
むしろ体に合えば生肉は非常にビタミン・たんぱく質ともに豊富な食べ物。グリーンランドの白人は一度絶滅したが、あざらしを生で食うカラーリットは生き残った。190cm台だったと言われる孔子は体格の理由はやはり食事。
解説のよう当時肉は祭祀で非常に重要視されており、孔子が魯を去ったのも君主が祭祀をおろそかにして臣下に肉を下賜しなかった(礼に背いた。肉がもらえなかった事にキレたわけではない・・・たぶん笑)のが直接の理由(遠因は色々ある)でした(孟子『告子下』より)
まあ孔子が肉が好きだったというのも本当で動画にあるとおり論語にも膾(生肉)を好んだ話があり
故に肉の匂い、色に注意し、大原則として三日過ぎたら食べない(←刺し身のオカンルールみたいですね笑)などなどの記載があります
また論語にある食べ物(?)の面白いエピソードとしては
ある時、孔子がキジ(雌雉)を見てその振る舞いになにか感じることがあったらしく(詳細不明。文章に何らかの欠落があるという説もある)
「ああ、キジはいいね・・・すこぶるいい・・・😑✨」と感動していると
それを聞いた子路(孔子の古くからの弟子。パワー系)が
😃
現代中国人は基本的に火を通さないと食べないが、中国人の知り合いは寿司は好きと言っていたな
王貞治氏は寿司屋に行っても火の通ったネタしか食べなかったという伝説がありますね(真偽は不明)
江戸前寿司は、江戸時代に東京湾で採れた新鮮な魚介類を使うけど、日保ちを考えて技巧や漬け等が多くなったらしいですね。魚や肉の生食嫌う人はやっぱりいますよね。
@@user-jx5zh5yg8q
中華鍋で炒めたモノばかり食べてきたからな(実家は中華飯店)。
中国でも内陸の方はあまり新鮮な魚はないだろうけど、沿岸部なら沢山とれるだろうし
あのへんより古い世代は漢方思想の影響強くて体を冷やすことを嫌がるってのもあると思う。長嶋もシーズン中寿司を選手に禁じてたし、金田もアイシングは晩年まで否定してた。
大陸はいまでも淡水魚文化が盛んですねえ。
沿岸部では海水魚も食べられていたのでしょうが、
日本でも寄生虫の恐ろしさがわかってくる以前、冷蔵流通が発達していない頃はコイでもフナでも結構生食されていたようです。
今週もありがとうございます。
穆公が馬酒を振舞うエピソードも聞いてみたいと思いました。
シリーズ化ぜひ期待します!
馬酒を振る舞った穆公は秦の穆公ですね。秦が犬戎など西方の異民族の影響を強く受けていた表れです。周(西周)を滅ぼした犬戎は周の西方で牧畜を営んでいた異民族で周や他の民族の文化を積極的に受け入れる進取の気質に富んだ民族だった。西周を滅ぼした後、東へ移った周の宗家に付いて行かなかった人達を受け入れて新たに作ったのが秦。後に商鞅や張儀・范雎に呂不イ・李斯といった他国出身者を積極的に受け入れたのも犬戎から受け継いだ進取の気質からでは?本当は韓非子も始皇帝がその1人に加えようとしたんだけど兄弟弟子の李斯が…。そして韓非子の非業の死が当時15歳の青年だった張良の覚醒を呼ぶことに。
王が息子と兵に囲まれ死を迫られた時に「死ぬ前に熊掌が食べたい」と言ったが熊掌は食材の用意や下拵えや食事に供されるまでに時間がかかるので時を稼ごうとしているとバレて許されなかったな。 中国では食指を「染める」がよく使われ日本では食指を「動かす」が使われるとか。 項羽と范増を仲違いさせるために項羽の使者が来ると「大牢」を見せられ使者が食べさせてもらえると思ったら范増からの使者かと思ったら項羽からの使者でしたかと大牢を下げて粗末な食事を出して范増が劉邦た繋がっていると疑心暗鬼にさせた話があったな。
ありがとうございます。中華一筋の動画が好きなので楽しみですが裏切られるのかな 笑
政治的にも儀礼・宗教的にも重要な肉の料理を食わせてもらえないは、食い物の恨みだけでなく、面子を潰された、蔑ろにされた、廃されるかも知れないという疑心暗鬼にも直結したのだろうと思えますね。
いつじんにくのはなしがでるのかどきどきしながらみてましたが、じかいのようですね…
霊夢は驚いていますが、一人だけ肉を与えなかったんだからそらなにされても文句言えんわな、となった人も多いと思います。動画内で語られているように、肉を分け与えるというは祭祀において非常に重要な意味合いがあり、劉邦の部下でおなじみの陳平も若い頃は地元の祭りで肉を公平に配ることで名声を高め(!)たとき、「こんな物ではなく天下を与えられれば、たちどころに裁いてみせるのだが」と言って嘆息したという逸話もあるくらいですから。そもそも人民の頂点たる宰相という漢字そのものは『料理長』ですからね。肉を与えないというのは「お前の席(この国に)ねーから!」という社会的な抹殺宣言にも等しい。
蔵出しありがとうございます。今回も興味深く拝見しました。
身分の高い人物が、「肉を食べている時」みたいな場面が『史記』に出てきたり、動画にもあったように貧農が汁をすすっていたり、あぁそういう背景があったんだなと。
やっぱり肉は大事ですよね。肉といいますと仏教伝来以後、前近代までの日本では肉食は絶対的なタブーだった、みたいな行き過ぎた教え方をかつて義務教育で受けましたが、自分で史料をめくるようになるとまったく(中世に限ってですが)実態は違っているように思えました。
「これは鹿じゃなくて薬じゃよ」という言い訳が、穢れには特別に喧しい貴族の日記にあったり、逆に武士が、「肉食べちゃったんで欠勤しまーす」と言っていたり、発掘現場からどうやら解体されたらしき獣骨が出てきたり……四足動物の肉は食べなかったと簡単に決めつけてはいけないようです。
分野違い、失礼しました。季節の変わり目は不調も起きやすいことですし、どうぞご自愛ください。
このあと時代がくだるにしたがって食文化がどう変遷していったか、いつかまた動画にしてくださいますよう
人肉が出てこなくてよかった。いつ出てくるかドキドキしました。
現代人で良かったと感じるのは食と病の話を聞いた時……。牛丼、ハンバーガー、コンビニ弁当が安い食事の代表格という時点でどれだけ進歩したかが分かる。と同時に、美味しい食事が貴重な古代において、食の恨みは現代人が想像する何十倍も激烈なものだっただろうとも。食指の話が史実かは別として、当時の人にとってはリアリティのある話だったんだろうな。
うひょー
こういうほのぼの回すき
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」(失敗に懲りて度の超えた用心をする事)と言いますね!
古代中国の食文化については非常に興味深かったです!
食料の輸送にも距離の問題で手間暇かかるから日持ちさせる技術が発達したのも納得
面白かったです。メンバーになって良かった。続編もお願いします。
肉の膾も危険だけど魚の膾が消えたのは、川魚だったからやろうな。
韓国でユッケの付け合わせにリンゴが添えられるのは、生肉に当たるのを防いでくれるかららしいけど、本当かなぁ~。馬刺は、馬の体温が他の畜産動物に比べて高い為に、雑菌が繁殖しにくいからかなり安全らしい。
ちなみに昔、地鶏刺で食あたりしました。
中国の川魚、臭くて食べられませんでした😭😭
@@tokuchan0525 さま ディスカウントスーパートライアルでも地鶏のたたきが手頃な価格で売ってますが当たったことありません。
いっぱい死んだんやろうなあ…
@@n.shikanohone 陳登「オッスオッス」
以前のセミの話もそうだけど当時の文化的背景を知ることで歴史の解像度が上がる気がする。
中国人って極度に生もの嫌うイメージだったから、古代の人たちだとしても刺し身とか生肉食べる文化があったのは意外でした😮😮
中華料理も最初は油がなかったというのは知りませんでした。確かに古代なら油貴重ですよね。
揚げ物や炒め物は菜種など生産が増えてからですね。
つぎは中国の服飾史をリクエストします。特に被りもの(簾がじゃらじゃらしてるのとか)に興味あります。
鼎や爵といった古代中国の食器や調理器具の話や、歴代中国の衣服の話も聞いてみたいです。漢語林の巻末に衣服の絵図があるのですが詳細が分からなくて。
嘘か真か羊が大きいから美しいんだそうで、やっぱり一番のご馳走がでかいっていいですよね。
「食指が動く」の故事、最初はほっこりエピソードかなと思ったらあっという間に陰惨な話になった…
冷静に考えてたら指が動いたら美味しいものが食べれましたで終わるほのぼのエピソードなんて歴史に残すわけないよね…
確かに自分だけ羊がないというのはかなりの屈辱
羊が食べられないというより俺をここまで軽んじて侮辱するとはって意味で
こういう文化テーマ回も好き!
綺麗なオチがつきましたねw
しかし、1人だけご馳走からハブらせる意地悪多すぎませんかね。
農耕をするようになってから人類の栄養バランスはガタ落ちしたそうですからね。肉や魚は保存食にするにも貴重な塩を大量に使うので、ハレの日のご馳走にせざるを得ないでしょうからカロリーを確保するには大量の穀物を食べるしかない。
中華料理が大きく発展した宋代・明代の背景は、やはり内陸部の運河による物流で南北交流が奨励されたからでしょうかね?
農耕は人間に格差を産み、戦争(闘争)を増大させたと言う研究もあるらしい。
あと、日本では、狩猟社会の縄文人のDNAが多い人は脂肪分を貯めやすく太り易く、農耕社会の弥生人のDNAが多い人は脂肪分が貯まりにくいらしい。
いつも興味深く面白く、今回はほんわか楽しく、そして懐かしかったです。
大学時代たまたま選択した一般教養科目の美学美術史、いや世界史だっけ、忘れましたがその教授の学会でのライバル教授について、「あいつは文化論者じゃない、料理研究家だ!(怒)」みたいなこと言ってて(笑)。それでそのライバル先生のほうに興味が出て著作や論文をちょっと見たり。いや食の研究って大事じゃん、そんなこきおろさなくても、って思ったことを思い出しました。
あと白菜の歴史は小学校の時習いました。人類にとっては比較的新しい野菜なんですよね。
そして私が大学でまともにやった事は戦国~江戸初期の文化変遷なんですけど、調味料革命についても少し調べました。動画の前半で霊夢ちんが食べた神聖な食事の感想、笑ってしまいました。
そう、味がね。
東方世界で最も古典的な調味料は塩と梅の酸味という(あんばい、という言葉に今も残る、とされている)から、味付けしてもごくシンプルでバリエーションも乏しいでしょうね。
今後も色々楽しみにしていますが、どうぞお体ご自愛くださいませ。
ご支援いただき、本当にありがとうございます!!
今後も楽しい中国史の時間をお届けしていきますので、ご期待ください~!
現在の中華料理は北宋の時に発達したものらしいですね。
別スレでもリプしましたが、石炭が発見されて強い火力が使えるようになったから。
面白かったです!
有り難きお言葉とご支援、まこと感謝の念に堪えませぬ……!!
豆食……!試されたのですね!?挑戦された事だけでもう感服です!
食の歴史のサブチャンネルもアリなんじゃなね?ぐらい、良かったです!
前コメにありますが、豆の飯に豆の葉スープ、これって確かに「七歩詩」煮豆持作羹、漉鼓以為汁。
古代庶民の食事の描写をもって、兄弟の不信を嘆く...
曹植と兄曹丕。そして彼らの国は肉をたらふく喰ってた連中(司馬氏)に乗っ取られる。羊に塩舐めさせて舐めたところの女とヤる人と米がなければ肉を食えと言った奴。司馬炎と息子司馬衷。
粟が贅沢品だと伯夷と叔斉の「二度と周の粟は食わず」の逸話がまた違った意味になるというか…山菜だけ食って餓死したとか確かにちょっとお坊ちゃんみがある
魚の方は中国の方は雷魚とか鮒の癖のある土味というかそんな感じの味に隠された旨味を感じる能力が高いようですね
膾、今では失伝した処理法や食中毒にならないための注意点などもあったのでしょうね。
少なくとも王侯貴族がよく食べるもので、そうそう食中毒を出していたら大変だったと思います。
また、長い歴史の中には寒冷化や温暖化、降雨量の変化などもあり、それで寄生虫や病原菌の分布が変わったなどの理由も背景にありそうです。
豆の漢字は、器からあふれるほどの収穫をされた豆、という説もあり、当時の中華の人口を支えられたのは、やはり大豆のおかげだったのかなと思います。
ぜひ当時の農業の様子や、食料生産の実情などが歴史書に残っていれば教えてもらいたいです。
でも当時の豆の調理法は塩を入れて煮て食べるしかなかった。それか豆のスープか。戦国末期から漢代に南方から味噌のもと醬が入り、豆を発酵させて調味料(味噌・醤油)を作る技術が発展する。また、夜郎自大の夜郎からは豆を擂り潰して水と共に煮て濾す豆乳とその豆乳をにがりで固めて作る豆腐がそれらを作る技術と共に入ってくるし北の匈奴からはチーズが。
誰かにだけ飯を食わさない
このムーブだけは絶対にしてはならないな
とても勉強になりました。
後漢末期、董卓が西涼刺史をやっていた頃、異民族の長達が董卓を訪ねたところ、彼は自分の所有している牛をご馳走に出したエピソードがありますね。
古代中国の肉料理…羹…と聞いて、どんな肉料理が出るのかドキドキしていましたが(謎)美味しそうな料理で良かったです。
中華料理好きとしては、調味料などが気になりますね。
膾に刻むのが孔子の時代より前からあったのが驚きです。
資料に海の魚が現れないのは、やはり加工技術と輸送の問題と考えます。
現代日本にあっても、二次大戦後辺りまでの山間部では海産物が非常に手に入りにくかった様です。
ついでに申しますと、日本に於いて川魚の生食は普通にあります。川魚料理やさんで「鯉の洗い」を頼むと、鯉が刺し身になり酢味噌と共に供されます。
薄切りにした鯉を綺麗な氷水で何度も洗い締める、手の掛かる料理です。
勿論、食品衛生法もクリアしています。
昔、親父が少年時代に鯉を釣って濡らした新聞紙にくるんで家まで持って行っても、一時間くらい生きていたらしいから、新鮮なものが手に入り易かったのかなぁ。最近見た美味しんぼでは、サメの肉はアンモニア成分があるから臭いけど内陸まで持って行けた為、海の無い山間部で名物になった地域があるみたい。
「鱠」という字は中国古代の生魚料理を指し、主な食材はフナ属、バサ、鯉などの淡水魚,主な作り方は生魚をスライスした後、大根の千切りと生姜の千切りを添え、具はレタス、マスタード(芥辣)or酢(醋浇)。骨の多い淡水魚なので、実際に扱うのは日本料理の刺身よりかなり難しいです。この「鱠」料理は中国の明清時代に消滅しつつあるが、主に淡水魚の寄生虫が人体内の環境に適応できるからだ。寄生虫病に感染すると、死亡率はほぼ100%になる。対照的に、海水魚の生魚料理に寄生虫がいても、感染後は一般的に人体内の環境で生存することは難しい…。
刺身料理は冷凍不活化や冷蔵庫が普及し始めた戦後に流行した。これらの技術が普及してから生の海水魚を食べるのは比較的安全なことであり、淡水魚については、いかなる技術条件でも生で食べるのは極めて危険である。また、醤油、酢、わさびは実際に寄生虫には何の殺傷作用もありません。
@@tokuchan0525
サメ肉を食べるのは、日本だと広島県三次市等の中国地方山間部です。
@@user-lw5sd7lb4uさま 山陰地方でも湯引きにしたサメ肉を酢味噌等で食べたりします。
あと沖縄県でもサメ食べるみたいですが、八重山諸島の黒島では江戸時代に多良間真牛という人が無人島に流されて10年余暮らしたが神様のお告げでサメに乗って帰郷することができたという伝説からサメを食べないらしい。
孔子の食事って、読むと結構おいしそうなんだよね。膾は感性が分かれるがちょっと前のユッケだし、腕の良い料理人がちゃんと料理した季節ものしか食さない、というのはグルメだし当時では可能な限りの食事療法だったのでは。
第一回ってことはシリーズかよ
最高じゃん
餃子は日本では焼いて食べると言ったら、働いてた店にいた中国人にビックリされた。中国では水餃子を食べて日が経つと焼いて食べるらしい。
動画ありがとうございます。
楽しく見させてもらってます。
今回も動画を閲覧した者です。
今回は限定動画で、中国の歴史における食事の内容なんですね。
白米が最高級食料であることは、今回初めて知りました。
今でも、北方の遊牧民族が白米を客のおもてなしにする風習があるところをテレビで視聴しましたが、最高級食料で客をもてなす礼儀から来てるのかもしれないですね。
今回は春秋時代での出来事を中心に取り上げていましたが、時代が進むにつれて食文化がどうなるのか。
今後の動画の投稿を楽しみにしております。
いよいよ新年度に入りますが、また寒くなってきました。
投稿者さんにおかれましては、あまり無理はせずに、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
楚から中山国まで出陣なんてできるのかな?げに食べ物の恨みは恐ろしい。
歴史と食の話は大好きなのでぜひまた見たいです(*´∇`*)
食文化は生活レベルに直結していますのでそれを知ると当時の人の暮らしぶりが想像でき、行動の動機が現代人とどれだけ離れているかなんかも想像できたりするので楽しいです♪
熟語の元の逸話や、食にまつわる逸話、綺麗なオチ🎉全て最高でした!
大変面白かったです!
美食の紹介ありがとうございます!ここは高級中華でお返しせねばなりませんな。満州、奉天随一の料理人に中華フルコースを作らせました。前菜はナマズとスッポンの刺身、チョウザメのスープ、メインディッシュはラーメンメニューとチャーハンメニューのいずれかからお選びいただけます。さあ召し上がれ。
え?いつも通り子路を料理しただって?
いつもご支援いただき、まこと感謝感激です!
普通のメニューかと思いきや子路ォ……泣けるぜ……
楽しい内容でした。
魏志倭人伝には「あいつら魚とか野菜とか生で喰うんだぜ」と書いてあるそうですが、春秋時代には中国でも生食やってたんですね。
川魚とか豚とか、かなりヤバめなんですが・・・。
何進とか張飛とか元肉屋と言うと庶民階級のイメージですが、肉自体が高級品なら貴人の家に出入りするような商人だった、ということかもしれませんね。
食い物の恨みというと、陳平が范増にかけた離間の計も食い物がらみ。
中国人だから効いたのか、それともやられてみると思った以上に腹が立つものなのかw
現代の中国でも広東省、福建省で生魚食べますよ~詳しくはヤンちゃんの省シリーズでご確認ください
特定の人にだけお茶や食事を用意せずその人を侮辱する話は現代でもよくある気がする
それぐらい相手を居た堪れなくしてプライドを傷つける行為だということか
すごく面白かったです!
9:00前の泥を着けて焼くは乞食鶏思い出した。
春秋のスープを入れた甕が奇跡的に最高の保存状態で出土されたニュースあったよね。
玄酒については湯島聖堂の儀式で用いられると聖堂に置かれていた展示品の解説があったのですが、
アルコールを供えないのは仏教の影響だと思っておりました。
水は黒であるというのは、確かに爵などの青銅器に入れると黒く見えるのでなるほどといった感じです。
始皇帝の秦は水徳の王朝だとかで臣下の衣服や旗を黒で統一したそうです。
また、羊の羹が日本で羊肉を食べる文化の無い日本で羊羹になるのは有名です。
これも有名な話で孔子の弟子、子路が政変により殺害されて塩漬けにされたため
孔子は悲しんで家にあった塩漬け肉を全て処分したそうです。
ネット上では孔子が捨てた塩漬けが何の肉なのかで都市伝説的に食人の話が出ていたことがありますが、
春秋時代の食人については子路の様な例は特殊なのか、はたまた一般的な事なのか気になります。
食べ物の話は面白いです
中国で水が黒いというのは、黄河の濁流をはらんだ激しい流れにより濁って水が黒く見えたことから。黄河流域の中華の人間からすると、水とは黄河のことであり、色は黒らしい。
日本人からすると、「なら黄河じゃなくて黒河じゃん」と思うかもしれないが、黄河は黄色い大地を割いて流れる川だから。上流の土地は確かに黄色い。
「玄」の字には「黒い」という意味と「天」、「遥か遠い」という意味がある。古代の祭祀では、王は天地に祈った。天に捧げる水を祭器に入れたので玄酒と言うのではないだろうか。
ただ、私も青銅器に入った水を見たことがないので、それが黒いことは知らなかった。かつての人はそこに夜空、天を見たのかもしれない。
ちなみに、現代の中華人民共和国でも、ある意味水は黒いらしい。悪い意味で。
調味料や唐辛子流入以前の香辛料についてはぜひ解説を聞きたいです
このシリーズ面白い😃
唐と宋が熱そう😄