秀吉の怒りを買った武将トップ5
Vložit
- čas přidán 25. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、秀吉の怒りを買った武将トップ5について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
0:55 第5位
4:21 第4位
7:03 第3位
10:57 第2位
16:19 第1位
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行 - Zábava
勉強になりました。感謝
楽しみで待ち遠しかった!
流石は内匠頭の御先祖様 関わってはいけないタイプの人ですね
戦国武将のいろんなランキング見てみたいですね~
榊原康政かなぁ…秀吉を煽って激怒させた徳川四天王の一人。
武力、兵法も優秀で家康も信頼していた武将ですよね。
織田信勝はなんとなく袁術とキャラが被るなぁ…
名君であった長宗我部元親が、仙石秀久のせいで大切な息子が殺されたことを潮目に、狂気的に没落していくのが、もののあわれを誘うなあ。
許す秀吉殿は優しいなあ
神子田正治が真っ先に思い浮かんだわ
次が動画にも出てきた尾藤知宣
あとは武将じゃないけど山上宗二
私が1番に思い浮かんだのは、佐々成政でした。
どうしょうもなく秀吉とは折合いが悪いイメージですね
@@avr2vfr 峠を越えてまで家康に再度の挙兵を求めたほどらしいですからね
因みにこの行動によって「登山家」と呼ばれたりする
仙石にしてみれば、鬼島津家久の侵略の速さに阿鼻叫喚したんだろうな
防備を固める時間もないことなど秀吉が理解するわけないと思ったろうし、やらなきゃやられると追い込まれたのだろうw
仙石を四国勢の軍監にしたのは、元羽柴隊先駆け武者で10万石大名であっても
武功を求める性格を利用して、九州討伐の正当性の為にわざと軍監に任命した。
だからあれ程の失態にも関わらず「改易」だけで済み、後に1万石を拝領した。
だけど同じく子飼いの尾藤・神子柴は、打ち首になっている。
※尾藤はちょっとかわいそうだけどね。
竹中半兵衛から、後継者として期待されていた秀吉傘下の武将・神子田正治も秀吉に嫌われて滅ぼされた人物として有名ですね。
島津歳久も秀吉を怒らせちゃいましたね
でも島津は最強だから攻めたらかなりの被害が出たと思えますね家康も戦を避けたくらいですからね。でも秀吉は秀次殺したのは間違いでしたね豊臣家を滅ぼすためのことをしたなだからね。やはり秀長がいなかったのが痛かったね秀吉自体はあまり有能ではなかったからね。
小一郎の貢献ホント大きいよね 生きていれば家康を抑えることが出来たかも
秀吉のライバルの佐々成政は出なかったね。
仙石秀久の上に尾藤知宣が加わっているのは納得として、神子田正治もベスト5以内に入りそう……?
波多親かと思ってた
大友吉統も随分だと思ってたけど…
あの辺りは地方大名らがそれぞれ持ってた海外の交易権やら交渉権やらをはく奪し、秀吉の統一政権に集約する過程での難癖説あるとかどうとか(島津はカンボジア中心、松浦はタイ、有馬や大友等はポルトガル中心とそれぞれ九州の諸勢力がそれぞれ独自に「国王」等の体装って海外と交易)
仙石秀久かな
高橋紹運と甲斐 宗運が見たいです
一つの原因はおさえ役の豊臣秀長が居なくなったから。
秀長が長く生きていたら。これ等の武将も処罰されなかった。
秀長存命なら 朝鮮出兵もなかったかも⁉️
@@user-xx3lr5ib4c 秀長が生きていたら。命懸けで助命嘆願書していたかも。秀次や利休も切腹じゃなくて、秀次なら、前田家の加賀に預かりなっていたかも。利休は蒲生家に預りなっていたかも。秀次の妻子も処刑されずにすんだかも。
その秀長は秀吉と家康の間を取り持つ一方で、お互いが妙な動きをしないか牽制をしていました。ところが自分の余命が幾ばくも無い事を悟った秀長は家康に自分や秀吉の死後の身の振り方を指南してその後亡くなり、家康は秀長の指南した通り行動して秀吉に処罰される事なく生き延び秀吉の死後関ヶ原の戦いを経て江戸に幕府を開いた。恐らく家康の一連の行動の陰に秀長の口添えがあったからで、秀長は秀吉と政権の限界を一番に知っており亡くなる間際の地点で秀吉を見限っていたのだろうと考えられます。
神子田正治がいない
黒田 勘兵衛(如水)も、本能寺直後に、「これで、天下は殿の物」とか言い、忌避を買ったらしいね。
10万石、現在で50億円の懸賞金をかけられた榊原康政は?
仙石秀久って前田利家みたいやな。
主君から勘当され、それでも諦めきれず,勝手に戦に参戦し、許される。みたいな
仙石秀久は小田原で奮戦したのもそうだけど秀吉の盟友となった徳川から陣借りしたのも大きいと思う。世渡り上手なところある。
一番残念なのは弟の大和大納言秀長の早世ですね。
秀長が生きていたら家康も豊臣家には手出し出来なかったと思います。
秀次が残っていても豊臣家は安泰だったかも知れませんね。
秀次事件に関しては不可解な点が幾らかあるけど、
関白という大役、誕生した秀頼、唐入りによる秀次の渡海(結局中止したけど)、
相次いで亡くなる弟たち、プレッシャーは尋常じゃなかっただろう。
政務も上手くいっていなかった様で、色んな地位や名誉を秀吉から与えられてはいたが、
却って追い詰められていた様だ。
秀次事件は、色んな事情が複雑に絡まった末に起きた悲劇かもしれない…。
やっぱり豊臣政権は徳川に簒奪されたというよりは、自滅の面が強いですね。
仙石は上の人間に可愛がられるタイプやったんやろね
九州での失態での処分も甘かったし復帰もさせてもらえた
徳川の時代には秀忠から6万石程度の小大名ではありえない程の格別の待遇されてる気に入られぶり
秀忠付という名誉職を賜る程、幕府からかなり信用されてたらしいですね。
姉小路頼綱をお願いします!
ナレーターさんの声、いいですね!
丹羽長秀お願い致します
それにしても仙石が許された、更に返り咲いたのは信じられないというか普通に有り得ない。
特別な理由があったとしか思えん。
仙谷秀久はその頃には数少ない最古参の家臣であった事、どういう縁かは不明ですが、徳川家康に陣借りさせてもらって自らの古参家臣を率いて小田原城攻めに参戦、早川虎口を攻め落とすと言う見事な戦ぶりが秀吉好みであった、と言うのが主な理由だと思います。
逆に言えば秀久は秀吉の最古参の家来であったので、「秀吉が好む振る舞いを熟知していた」故に返り咲きに成功したんだと思います。
尾藤はそれを知らなかった為斬って捨てられたのでしょう。
神子田正治が居ない…
歴史上、最強のしくじり先生。
豊臣秀吉。
秀吉は信雄の家臣になったが、己の野心の為に反逆したんだよね。
真っ先に浮かんだのは仙石秀久と佐々成政だった
秀次事件の仮説は面白かったです。
秀次没後、妻子を根こそぎ抹殺した狂気は確かに、通説では説明つかない気がしていました。
ただ、秀次が自分の意志で自害した場合、何の遺書を残していないのは不可解です。
秀次が人並みの器量があるのなら、
①謀反など考えたこともない
②自らの潔白を示すために自害する
③妻子や家臣には今回のことは一切関わりないゆえ、お咎めなきよう
と、いう内容を書き置きそうなもの、とは思います。
切腹は、原則遺書を書く事が許されないのでは?家族に伝えてくれ。とか、主君に伝えてくれ。とか、ほとんど口頭の様な気がするのですが。
遺書があったとしても、(秀次を天下の静謐を乱した謀反人にしなければならない)秀吉に握りつぶされていた可能性が高いと思う。
利休はどうなんでしょうね。嫌われたのかどうか。
今度は織田信長の怒りをかい暗殺または追放された武将ランキングやって欲しいです。
秀吉の晩年は残念だったな、もう少し上手くやれなかったか。
佐々成正、豊臣秀次、千利休・・仙谷秀久含め何人か激怒されて処刑された奴もいたから、多すぎて5人なんて決められない。
秀次謀反は当時は考えていませんでしたが秀吉死後に秀頼を普通に追放する事は頭の片隅にあったはずです。秀次も次の関白には自分の息子にするはずです。秀頼には自分の娘を嫁がせて一大名ぐらいの考えだったはず、ですから、どのみち秀頼には天下は回ってこない、
秀次か?徳川か?だけの話で特に、関白は15才からだから
どのみちその制度では
又天下争乱になっていたでしょうね、
織田家が幕末まで残るのだから
歴史は面白い
徳川将軍家にも織田の血が流れていますからね。ホントに歴史は面白い。
戦国時代の政略結婚により、血筋が華麗すぎる武将って意外と沢山いるよね😃
細川さんだって明智の血筋だし
織田信長も父の有形無形の遺産の上にあるけど、豊臣秀吉は何もない所からの出発なので、一代成金の限界かと。
いくら戦国乱世でも、権威を背景にした大義名分がないと大改革は無理でしょうから。
仙石と長宗我部と十河なんて最悪の組み合わせだと思うんだけど何で組ませちゃったのかねえ
ごりごりに争ってた不倶戴天の敵同士でしょ
四国勢でチーム組ませたのだろうけど、あまりにも軽率だったような…
処分が甘かったのも、”仙石に酷なことをした”と思ってたのかもね
そもそも四国勢って言っても讃岐と土佐の軍勢だけなんだよなぁ……(伊予は小早川、阿波は蜂須賀のため別行動)
四国勢はもっと秀吉に早く恭順していれば良かったのにね。
信勝さんの性格は信長に似たのかな?秀吉さんとびでつぐさんは話あった方が良かったのにそうすれば駒姫が、死ななかったのにです
佐々成政が入ってないのは納得できない
秀吉は当時としては長寿であり当然地位もあった。
晩年の秀吉ボケ老人説があり、納得の所業だと思う。
重度のボケでは無さそうですが軽率な行動ばかりが目立つ。
秀吉、「自分は信長のように甘くない」「主君は無理難題を言うものだと考えておけ」みたいなこと言ってるから、信長より理不尽さは高い感じ。
棄教せずに改易された高山右近も怒りを買ったと言えそう。
自分は信長のように甘くない
↑
信長ってなあなあで済ませるの結構多いんですよね。
過激そうで過激じゃないんだよ。
比叡山とか同情できないよ。
秀吉は 信長見て育ったから エグい事をするわな 恐怖感でひれ伏すそれが人間 それに対峙すれば どちらかは死ぬ
秀次事件は、石田三成ら五奉行(淀君の周り)が、絡んでると愚考します。
宇都宮重房はどうですか
本多作左が入ってるかと思った。
作左「ババアが寒いと抜かしよる、屋敷に火を放てw」
一番理解できなかったのは織田信雄。
家康の旧領地への転封は悪い話ではないのに、元主君の息子だから言い分が通るとでも思ったのか。
それでも家は大名として明治維新まで続いたのは恵まれていた方です。
仙谷秀久と尾藤知宣の処遇の差は、積極的に動いて失敗したか慎重というより消極的で失敗したかの差もあるでしょうね。その後も戦場で戦働きした仙谷に対し尾藤は何をするでもなく許しを請うなど、秀吉の立場からしたらとても許せないでしょう。
仙谷秀久ではなく仙石秀久ですよ。
あれは勅命で、わざと囲まれて長曽我部信親を誅殺する手筈だったと思う。
この曲なんて曲ですか?
武将ってやっぱり大名のことでしょうか? 侍大将くらいからの勝手なイメージもありますが。
鎧兜身に付ければ立派な武将になるんじゃないでしょうか。
旗本、使番、母衣武者、全部武将かと。
部将だと侍大将であり大名では無いものなんでしょうけど武将は曖昧ですね。
でも流石に少人数でも郎党率いるぐらいはしてないと武士ではあっても武将とは言えない気がします。
ちなみに家康の家臣で、足軽50人ほどを率いた渡辺守綱なんかも立派に武将と呼ばれてますね。
秀吉が、大阪を作ったとか言われてるけど、全く違うと思う。京都が首都ならば、どう考えても大阪は自然と日本の中心地になる。秀吉が、家康を抹殺出来なかったから、豊富の滅亡、江戸へ中心が移った。大阪は秀吉が居ない方が発展していた。
のぶお「ぼく、おわりからうつりたくないもん!ぽくのぱぱはのぶながだもん!」
あれは事実上左遷だからなぁ…
秀吉は信雄を潰すためにわざと無理な移封を命じたのかもしれない。
@@BEKU02 信雄を潰すためと言うより自身の本拠である大阪に近い尾張美濃辺りに自分の直臣(賤ケ岳七本槍等)入れて防壁にしたかったんじゃないかな
家臣が移封に猛反発してたし信雄は正直可哀想
佐々成政じゃないの?
信忠と信雄も側室生まれだけどね
信長と正妻濃姫の間に子供がいなかったからなぁ(実際は不明)
吉乃は正室と同等レベルの女よ。
武将じゃないけど、千利休も
島津はあかんて。
武士じゃなくて、
奴らはバーサーカーだからね。
榊原康政や本田重次はいないんですね
康政の煽り好きです
宇都宮国綱は浅野長政の私怨の様な気がしますね。この語り口だと。佐々成政の方が相応しいと思いますね。
そうだよね。宇都宮取り潰しは確か浅野の息子を子供のいない国綱の養子にって言う話から宇都宮家が賛成派と反対派に分かれてしまって、最終的に反対派の奴が賛成派の奴を抹殺する事態に発展したことが原因だから秀吉のパワハラではなかったと思う(なおこの時佐竹も連座改易食らいそうになったけど三成の執り成しで逃れた)
真っ先に千利休が思い浮かんだ武将じゃないけど
マコトさん、千利休との対立の理由は趣味の違いで千利休の茶の湯の心が理解出来なかった事が原因とか、目映い光を放つ豪華絢爛な茶室での茶会を断ったらしいです。利休は日本の文化を伝えたかっただけ。不憫でなりません。
弟子の山上宗二も殺されてる。
@@CX-EURO400 さん、そうですか。やっぱり罪人扱いで処刑なので弟子も罪人の家族同様の扱いを受けたんでしょうね。時代が違うと現代では理不尽も当時は当たり前だったんですね。
@@user-ko8jh5iy1l
宗二の場合は利休の仲介で許されて
秀吉が再登用しようとしたんだけど
茶席で北条幻庵に義理立てして秀吉がブチギレ
鼻と耳を削がれて首をはねられました…
@@user-co4uy9zu1s さん、詳しいですね。それにしても、死因が恐ろしいです。
親父殿から奉公構え喰らって秀吉に仕え、「猿は嫌いじゃ」で出奔、
暗殺者まで(その当時一介の若武者に過ぎなかった)差し向けられた水野勝成も入れて欲しかった。
尾藤は不憫すぎるね。やらかし具合は確実に仙石が上だもん
尾藤は状況とタイミングがまずかった。
戦に参加せず、終わった後にノコノコ現れて許しを乞いたわけだからそれが気に入らなかったのかも。
仙石の様に参戦して戦っていればワンチャン許されたかもしれない。
秀次の件では「駒姫」を処刑した事により、出羽の雄「最上」を完全に敵に回してしまいました。「駒姫」は伊達政宗の従姉妹でもありますし、奥羽での「豊臣」「徳川」のパワーバランスを崩す結果になってしまいましたね。
駒姫の一件は誰が見ても恨まれて当然と思うよな、最上義光公も嫁がせたくないぐらいすごく溺愛してたっていうぐらいだもんね
更にその一件が原因で義光公の愛妻大崎夫人も亡くなってしまったしね
そら怒り心頭ですわ
東北の雄は最上義光だと思う。
駒姫は、助命の使者を走らせましたが、間に合わなかったと聞いています。現代で言う女子中学生から高校生の年代で亡くなったとか。
秀次事件の裏で石田三成が動いていた…。
と言う説もありますね。
伊達政宗。
武将じゃないけど、千利休
秀吉の怒りを買って切腹させられたからな…(´・ω・`)
なんかそれがホントは切腹させてないで追放しただけ説が出てきてるんですよ!!
サムネの武将が自分も真っ先に思い浮かべました(笑)
まあ漫画も人気ですし。そこからまた這い上がりましたね。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
秀吉が女狂いじゃなかったらな〜
まーあの島津の吊りは、実際にやられたら、殆どが引っ掛かるからね。
人望なんかねえよ。
秀吉が輝いてたのは、明智光秀を討ったときまで。
信長に仕えていた頃の秀吉はどこにやら。
初心忘るべからずとはこのこった。
「所詮信孝は側室の子」
信雄もそうですよ。
正室帰蝶の男子はいないのだから。
早急=そうきゅう×さっきゅう○
神子田正治が居ないのはどうなの
神子田正治も入れて良かったと思う。尾藤と同じ末路をたどったし。秀吉の負の側面から歴史小説や大河ドラマで悪役になることも少なくない。
しかし漫画の『センゴク権兵衛』を見ていると天下人秀吉の孤独が垣間見えて嫌いにはなれない。乱世を治め、天下を安定させるために奔走する者に聖人君子になれというのは逆に傲慢すぎるかもしれない。僕らは後付けで好き放題言えるけど。
秀次さんは秀次さんで周囲に「秀吉怒ってる、ヤバい、逃げた方がいい」とか色々言われて冷静で居られなかった。
と思います。
二代目を殺してしまう事が多いですね。
(武田、徳川)
この解釈はおかしいと思う。秀次が関白を辞すれば秀吉は許したはず。親心とはそういうもの。
名前は忘れましたが、確か利休の弟子で殺された方居ましたよね?
山上宗二?だったかな?
鼻と耳を削がれて首をはねられたとか…
@@user-co4uy9zu1s ありがとうございます。
仙石秀久は秀吉の内命で、長宗我部信親を葬ったのでは?
佐々成政はどうすか?
秀吉と仲が悪い武将第1位!
人望なかったから一代で終わった天下人だったんだろ。
権力の座に就くと、猜疑心の塊になるのは世の常。
始皇帝、劉邦、豊臣秀吉、毛沢東、習近平❗
粛清の嵐で、有能な人々を失いました。
秀吉の怒り勝ったやつなんてベスト5で収まらんぐらい酷いの多いんじゃね?
羽柴四天王だっけ?神子田とかあと誰だったか忘れたけどもう一人も悲惨じゃないすか
2位に挙がってる尾藤じゃない?島津戦で慎重論を唱えたら秀吉の怒りを買って領地没収されてしまいに処刑されたって言う
その秀吉の怒りを常に買っているのが、言わずと知れた「徳川家康」であろう。
軍令違反でも戦は勝つことが全てですから、やむを得ないでしょうね…。
本来の秀吉はホリエモンやひろゆきみたいな、真面目で忠実だけど気が小さくて無能な人間は大嫌いな人だったんでしょう。その中で生き延びた脇坂安治はかなり世渡り上手?
仙石秀久の独断専行が秀吉の怒りを買ったと言う事は長曽我部家は秀吉にとっては大切だったと言う事に。この一件はゲームでは語られなかったので衝撃的でした。
@yamada taro さん、ありがとうございます。勘違いだったんですね。すみません。
単純に「守りを固めて後続の到着を待て」っていう自身の命令を破ったからでしょ
@@user-yu6ok8gf5b さん、確かに上司の指示には結果を見越した物も多く、長曽我部家は謂わば被害者ですね。恐らく亡くならなければ出世とか次の出陣の予定も有った可能性。それらが一度に部下の身勝手でパー怒りはもっともですね。
@@user-ko8jh5iy1l 秀吉もこれには不憫に思ったのか九州征伐の戦後処理で元親に大隅一国を与えようとしたけど、元親はこれを断ってますね。同じように大友にも日向一国を与えようとしたけどこれも宗麟が拒否してこの沙汰はなくなりました。
@@user-yu6ok8gf5b さん、興味深い話をありがとうございました。
やむを得ず、秀次を謀反人にするにしても、処罰は家老どまりの筈。信長が村重の家族を殺したのも、村重が見殺しにしたから。愛妾まで巻き添えにするならば、別の理由じゃないかな。
それでも世間は秀吉が切腹を命じたと受け取りまからね。そうなると遺族が恨みを持ち、秀頼に害をなすと考えたのでは?
秀次の一族皆殺しにしたのはひどい
政宗も小田原へ行く時と一揆の揺動疑惑で2度も秀吉を怒らせたが、知恵とパフォーマンスで何とか乗り切ったからな
ちなみに政宗は朝鮮出兵の時、ド派手な武者行列をしたという話もある
信雄に関しては最後は「秀吉は将来自分を粛清する気だ!」と感じて、「広い領国など貰ったら、難癖つけられ放題ではないか!」と蹴ったようにも思えるなあ
多くの人が「なぜ神子田正治が出ていない」と言っていますね。
神子田正治は智謀で秀吉を支え「羽柴四天王」の一人に挙げられました。しかしプライドが高かったのか放言癖があったそうです。小牧・長久手の戦いで無断で陣を離れて敵の首を取り、無断離陣に目を瞑って手柄を褒めた秀吉に対して放言した上に主君を面前で誹謗するという理解に苦しむ行動をしたため秀吉が激怒。軍令違反の咎で改易・追放されました。
妻子共々追放され、庇護することを秀吉が固く禁じたため諸国を放浪。伊勢朝熊山に逃げ込んだら秀吉に焼き討ちされたそうです。最後は九州で死亡しましたが、九州征伐中の秀吉の本陣へ許しを請いに参陣したところ斬首されたとも、自害したとも言われています。首は「臆病者」の捨札と共に一条戻橋に晒されました。
「羽柴四天王」には神子田のほか尾藤知宣・宮田光次・戸田勝隆が居ました。尾藤は本編の通り、宮田は若くして戦死、戸田だけ伊予宇和島10万石を拝領しましたが後継者なく無嗣断絶となりました。
仙石は秀吉の命令に背いて後に小田原で許されたけど後世に恥として残った逃亡だしw
信雄はねえ(笑)
プライドと実力がまるっきり見合ってない(笑)
武将ではないけど山上宗二も秀吉の怒りを買った1人だよね。ずばずば何でも言う性格が災いした結果、2回も秀吉の怒りを買って鼻と耳削がれた上で打ち首なんて。
秀吉が所謂秀吉らしかったのは秀長が生きていた間だけだったように思う。
死後はまるで別人のようなエピソードばかり。
表向きは秀吉の才となっているがほとんどは秀長によるものだったのかもしれない。
秀長は肉親ということもあり秀吉に唯一意見できる人だっただろうねぇ
竹中半兵衛の存在も大きかったかもしれない。
若い頃の秀吉が着々と出世を遂げたのも彼のお陰の様に思える。
秀吉は元々残忍というか真っ黒なとこあるからなぁ…→秀長が亡くなる3年前から、落書き事件(淀の妊娠に対して茶化す落書きを聚楽第に書かれた)の容疑者も村も寺も破壊しつくし、落書きされた部分の番兵らも全員鼻そぎ落とされてる
まぁある意味秀長が、秀吉の意向を汲んで“行動”(汚れ仕事・裏工作)をしていたからな。だから秀長在命中は人柄も良く謀略に長けた秀長によって秀吉の本性を覆い隠すことが出来ていたけど、秀長が亡くなり秀吉が直接手を下す様になり秀長の様な裏工作や謀事が出来なかったのもあります。更に秀長の力で繋ぎ止めていた家康や官兵衛孝高そして正室であるねねが秀吉と距離を置きだしたり、(小早川)隆景や(蒲生)氏郷といった有能な協力者が相次いで亡くなったりした事も秀吉にとって大きな痛手だったですね。
弟秀長の早逝も豊臣家の大きな損失なのに秀次の弑逆、また武将ではないが
長く関わりのあった千利休の殺戮なども周囲に与えた影響は大きかったと
思う。自ら手足をもぎ取る振る舞いに、家康は内心ほくそえんでいただろう。
家康のような強力な家臣団が無かったとも言われるが、構築の可能性を
自らつぶし、晩年自身を窮地に追い込んだのが、豊臣滅亡の遠因だと思う。
こんばんは秀次が生きていればまた豊臣家も変わっていたと思います❗️秀次は優秀で織田信長を尊敬したと言われています秀次はいち早く今で言う水道を引いたのです。これは秀次は信長の内政を真似たのであります。僕は優秀だったと思います。今でも秀次が引いたとされる水道のようなものが残っております。
怒りっぽい・短気は邪悪とは違うよね?わざと「邪悪」って言葉使ってる?ミスリードしてる?