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新潟交通にも内野営業所や今は亡き新潟中部営業所にも所属していたなか三条の営業所にも一台在籍していました。内野や西部営業所所属のブルドッグどのくらいかは分かりませんが現在の潟東営業所移転前の白根営業所に転属したブルドッグもありました。今は亡き巻営業所にも数台でしたが新潟市内の営業所からの転属したブルドッグもありました。
アクセルを緩めた時の「ヒュ~ン」音が三菱らしくていいですね。
北1条西5〜4丁目辺りで東方向、西方向の車線がそれぞれ分離帯で「1・2・1車線」に分かれていた時代が懐かしい。まだ「道立近代美術館」が「北1条西17丁目」、「西区役所前」が「琴似本通」だった頃ですね。ジェイアールバス55 札幌駅↔手稲営業所路線は混んでたけど、中央バス45 札幌ターミナル↔花川北3の1(現 宮47 宮の沢駅↔花畔に変更)の方が席が空いててよく乗ってました。中央バスの赤白の塗装のバスは床に木の板を貼り合わせてたけど真ん中の通路は滑り止めみたいな緑色っぽい(ゴム?)板を貼りつけていた気がします。どちらに乗ってもレトロな車体だと得した気分に浸ってました。この頃のジェイアール北海道バスは、方向幕が青地に白文字(丸ゴシック体)でした。地下鉄東西線が宮の沢まで延長された99年頃に、白地に青文字のものに変更され、やがて電光掲示になってしまいました。
この型、見た事があります。JR北海道バスはそれまで日野といすゞの車輌だけだったのが三菱FUSOが導入されたのが印象的でした。FUSOのブルドッグは札幌市営バス1982年式でお馴染みの型で何度も乗りました。同'78年式三菱FUSO車まではヘッドライトの形(ライトベゼル)が独特の形でしたが'82年式からモデルチェンジしたのが画期的でした。ウィンカーの音も特徴的でした。側面の行先表示板の下の広告が'ワリッカ'や'月桂冠'などが見られました。
このバキバキいう木の床が懐かしいわ。同時期の中央バスはすでにしっかりした床に代わってたから初めて乗った時はタイムスリップでもした気分だった。
札幌の市電も昔は緑色であって今から見ると古くさいイメージに見えるが凄く歴史やロマンを感じていいですね。
三菱ふそうのブルドッグバス🚌は、昭和54年から岐阜バス🚌が観光バスベースの車両で私が一番大好きな車両でした。車両にもバリエーション豊富にありました。観光バス並みの車内で今のバスでは考えられない車いす非対応で、前扉はもちろん、後扉は中央でなく一番後ろにありました。乗り心地は良かったし、エンジン音もこれが三菱ふそうだとわかりました。実家に車がなく、私が免許取る迄は三菱ふそうバスのお世話に19歳迄なりました。
イイね!JR北海道バス。中々いいじゃあ~りませんか🤩
今の車内放送の声より、こっちのが好きだなあ
私はブルドッグバスに何回か乗ったことがあり、今でもどこかで動いていたら乗りたいです。私はブルドッグバスが大好きです。
JRバスは空知地方でも運行していました!わたくしが高校時代にJRバス走ってましたからね!今じゃあJRバス走ってないから寂しいですね!
札幌のバスの車内放送や運転手さんの声がとても綺麗な発音で私は生粋の札幌っ子であるが、好きだ!
私の記憶を動画化?と思うくらい、始めから終わりまで全てが懐かしいです。
シフトレバーはロッド式(棒の長いタイプ)MT車
昔のバス最高だった。床木材
かつて、手稲営業所の神奈中移籍のブルドックでありながら、フィンガーコントロール搭載車のP‐MP118Nという希少モデルに乗車したことが有ります。
エンジン音が力強いです!
JR北海道にしては丁寧ですね
導入当初、なんで今更ブルドッグと驚いた記憶があります。予想通り、あまり長くは使われませんでした。ブルドッグは割りと早く陳腐化してしまったのは、ライトベゼルを筆頭に、プレスラインが実は60年代のボディの流用だったからですね。
札幌市営からの移籍ではなさそうです。僕も大学時代に帰省した時に「今になって?」と思いましたね。
当時、JR北海道バスの運転は荒かった・・・市バスもひどい運転手がいた、急ブレーキを踏みながら、ため口・・・今だったった苦情がすぐ入り厳重な注意。バスの床が木だったこと思い出す。運転手にとって大変な二段クラッチ、時々切り替えが入らないときがある、そして夏になると暑いバスの中、今はエアコン完備。市バス採用試験の倍率は20倍以上だったと思う・・・
昔から名の知れすぎた大手電鉄系でさえ、遅れたら文句たらたらで済んだら相当ましですが、張り手か下車か転勤でしたから・・・・ラッシュの4分ヘッドで後ろから追いつかれた日にゃあ。。。遅れて欠便出してしまったら、今でも行政処分で、数台180日使用停止と2年間新規路線開設不可能、バス路線広げてる時代にこんなんやられたら他社に路線網強奪されてしまう私鉄でコレでしたから実質公営なんて・・・今は車内転倒事故起こしたら下手すりゃ同じ行政処分ですから飛ばせなくなりましたが、遅れすぎて無断欠便発生したら同じ様な処分なので・・・それで無茶しよるのも一定数いるのは。。。職場の上下関係、現場と事務管理の関係どうにかしないと、安全な運行なんて・・・
神奈川中央交通からの大量移籍してきましたね。当時高校生で何回か乗車しました。
はじめまして長崎県在住の物ですがかなり懐かしいですね👍三菱ブルドッグは私が幼稚園ぐらいの時長崎県営バスで良く乗ってましたよ🚌因みに長崎バスの一般路線用のブルドッグはわずか2台しか居なくてあとの何台かはトップドアタイプの急行専用でした😄
紛らわしいので今の表記で話しますが90年代の手稲営業所は札幌営業所や厚別より古い車体が多かった、この当時はこの移籍車は札幌や厚別には1台も在籍していませんでした。手稲の車体だけ中古でも後ろの方向幕をつけてました。厚別は当時運行範囲が広過ぎ(南幌、恵庭、北広島、米里まで厚別で運行)てダイヤ改正の度に大変で早々に後ろの方向幕廃止しました。この当時の手稲は、札幌駅→手稲営業所 札幌駅→手稲鉱山 札幌駅→公住中央 札幌駅→星置駅札幌駅→桜井通経由、手稲駅南口がメインで系統が厚別に比べて大幅に少なかった、今では信じられないと思うが殆どの便が手稲駅南口を経由しませんでした。西区役所前ですれ違った日野の中ロマ車個人的に大好きでした。日野なのにシフト音が違う旧式。札樽の快速で使われ、札幌営業所に7台位いました。快速廃止後は札幌→新札幌の路線で頻繁に走ってた。しかしそんな手稲営業所も宮の沢駅が出来てから形勢逆転しまして新型の良い車両は手稲優先になるわ前車LED化するわ(厚別はしばらく幕式でした)その流れは今でも続いてます新車は手稲、琴似優先に入ります。運賃表も手稲から新しい物に変えてます。
この路線もエルガばかりで味のある車が居なくなってしまいました。
それにしても『ブルドッグ』バスはかつて札幌市営バスでも走ってたね(^-^)しかも年式がわかり過ぎるような車輌番号(◯ふ82-◯◯みたいな)つけてたし(^-^)
K-MP118Mですね。前面方向幕が小型で正面から見て左に寄っていて、側面方向幕が大型で幕下窓は西武バスと同じはめ殺しでした。座席はパイプ椅子で中扉の向かい側には座席がありませんでした。前扉は狭く1枚ガラスでした。新車当時は全車両が幕式運賃表で昭和60年頃から一部の車両がレシップ(当時はS-light)製の8文字停留所名表示付きデジタル運賃表に交換されていました。
他にも、カマボコやオバQバスがいました。本当に昔のバスは味がありましたね。
@@Sapporo-pk7oz かつて札幌市バスの藻岩営業所所属のブルドッグ車は、対キロ区間路線(定山渓線など)の運用の関係でデジタル式運賃表が使用されておりました。2区間専用に降格後は、札幌市バス独特のデジタル運賃表に交換されたはずです。
この年代、中央バスは何故かブルドッグを発注せず、ブルドッグシャーシでも富士重工で発注していました。理由は判りません。
岩手県交通でキュービックになる前は、ブルドッグでした。懐かしいです。
札幌営業所(現手稲営業所)のブルドッグは見るだけで、乗れないまま除籍されてしまったな。映っている琴似本通停留所付近の風景は今もあまり変わっていない。
現在の西区役所前の場所ですかね。
STV向かいのLAWSON併設のガソリンスタンドも変わっていない。
なつかしい車
コロナ禍に経験されてない
ブルドッグソース❓
それは豚カツにかけるもの
ワハハ(笑)
新潟交通にも内野営業所や今は亡き新潟中部営業所にも所属していたなか三条の営業所にも一台在籍していました。内野や西部営業所所属のブルドッグどのくらいかは分かりませんが現在の潟東営業所移転前の白根営業所に転属したブルドッグもありました。今は亡き巻営業所にも数台でしたが新潟市内の営業所からの転属したブルドッグもありました。
アクセルを緩めた時の「ヒュ~ン」音が三菱らしくていいですね。
北1条西5〜4丁目辺りで東方向、西方向の車線がそれぞれ分離帯で「1・2・1車線」に分かれていた時代が懐かしい。
まだ「道立近代美術館」が「北1条西17丁目」、「西区役所前」が「琴似本通」だった頃ですね。
ジェイアールバス55 札幌駅↔手稲営業所路線は混んでたけど、中央バス45 札幌ターミナル↔花川北3の1(現 宮47 宮の沢駅↔花畔に変更)の方が席が空いててよく乗ってました。
中央バスの赤白の塗装のバスは床に木の板を貼り合わせてたけど真ん中の通路は滑り止めみたいな緑色っぽい(ゴム?)板を貼りつけていた気がします。
どちらに乗ってもレトロな車体だと得した気分に浸ってました。
この頃のジェイアール北海道バスは、方向幕が青地に白文字(丸ゴシック体)でした。
地下鉄東西線が宮の沢まで延長された99年頃に、白地に青文字のものに変更され、やがて電光掲示になってしまいました。
この型、見た事があります。JR北海道バスはそれまで日野といすゞの車輌だけだったのが三菱FUSOが導入されたのが印象的でした。FUSOのブルドッグは札幌市営バス1982年式でお馴染みの型で何度も乗りました。同'78年式三菱FUSO車まではヘッドライトの形(ライトベゼル)が独特の形でしたが'82年式からモデルチェンジしたのが画期的でした。ウィンカーの音も特徴的でした。側面の行先表示板の下の広告が'ワリッカ'や'月桂冠'などが見られました。
このバキバキいう木の床が懐かしいわ。
同時期の中央バスはすでにしっかりした床に代わってたから初めて乗った時はタイムスリップでもした気分だった。
札幌の市電も昔は緑色であって今から見ると古くさいイメージに見えるが凄く歴史やロマンを感じていいですね。
三菱ふそうのブルドッグバス🚌は、昭和54年から岐阜バス🚌が観光バスベースの車両で私が一番大好きな車両でした。車両にもバリエーション豊富にありました。観光バス並みの車内で今のバスでは考えられない車いす非対応で、前扉はもちろん、後扉は中央でなく一番後ろにありました。乗り心地は良かったし、エンジン音もこれが三菱ふそうだとわかりました。実家に車がなく、私が免許取る迄は三菱ふそうバスのお世話に19歳迄なりました。
イイね!JR北海道バス。中々いいじゃあ~りませんか🤩
今の車内放送の声より、こっちのが好きだなあ
私はブルドッグバスに何回か乗ったことがあり、今でもどこかで動いていたら乗りたいです。私はブルドッグバスが大好きです。
JRバスは空知地方でも運行していました!わたくしが高校時代にJRバス走ってましたからね!今じゃあJRバス走ってないから寂しいですね!
札幌のバスの車内放送や運転手さんの声がとても綺麗な発音で私は生粋の札幌っ子であるが、好きだ!
私の記憶を動画化?と思うくらい、始めから終わりまで全てが懐かしいです。
シフトレバーはロッド式(棒の長いタイプ)MT車
昔のバス最高だった。床木材
かつて、手稲営業所の神奈中移籍のブルドックでありながら、フィンガーコントロール搭載車のP‐MP118Nという希少モデルに乗車したことが有ります。
エンジン音が力強いです!
JR北海道にしては丁寧ですね
導入当初、なんで今更ブルドッグと驚いた記憶があります。予想通り、あまり長くは使われませんでした。ブルドッグは割りと早く陳腐化してしまったのは、ライトベゼルを筆頭に、プレスラインが実は60年代のボディの流用だったからですね。
札幌市営からの移籍ではなさそうです。僕も大学時代に帰省した時に「今になって?」と思いましたね。
当時、JR北海道バスの運転は荒かった・・・市バスもひどい運転手がいた、急ブレーキを踏みながら、ため口・・・今だったった苦情がすぐ入り厳重な注意。バスの床が木だったこと思い出す。運転手にとって大変な二段クラッチ、時々切り替えが入らないときがある、そして夏になると暑いバスの中、今はエアコン完備。市バス採用試験の倍率は20倍以上だったと思う・・・
昔から名の知れすぎた大手電鉄系でさえ、遅れたら文句たらたらで済んだら相当ましですが、張り手か下車か転勤でしたから・・・・
ラッシュの4分ヘッドで後ろから追いつかれた日にゃあ。。。
遅れて欠便出してしまったら、今でも行政処分で、数台180日使用停止と2年間新規路線開設不可能、バス路線広げてる時代にこんなんやられたら他社に路線網強奪されてしまう
私鉄でコレでしたから実質公営なんて・・・
今は車内転倒事故起こしたら下手すりゃ同じ行政処分ですから飛ばせなくなりましたが、遅れすぎて無断欠便発生したら同じ様な処分なので・・・それで無茶しよるのも一定数いるのは。。。職場の上下関係、現場と事務管理の関係どうにかしないと、安全な運行なんて・・・
神奈川中央交通からの大量移籍してきましたね。当時高校生で何回か乗車しました。
はじめまして長崎県在住の物ですがかなり懐かしいですね👍
三菱ブルドッグは私が幼稚園ぐらいの時長崎県営バスで良く乗ってましたよ🚌
因みに長崎バスの一般路線用のブルドッグはわずか2台しか居なくてあとの何台かはトップドアタイプの急行専用でした😄
紛らわしいので今の表記で話しますが
90年代の手稲営業所は札幌営業所や厚別より古い車体が多かった、この当時はこの移籍車は札幌や厚別には1台も在籍していませんでした。手稲の車体だけ中古でも後ろの方向幕をつけてました。厚別は当時運行範囲が広過ぎ(南幌、恵庭、北広島、米里まで厚別で運行)てダイヤ改正の度に大変で早々に後ろの方向幕廃止しました。この当時の手稲は、札幌駅→手稲営業所 札幌駅→手稲鉱山 札幌駅→公住中央 札幌駅→星置駅
札幌駅→桜井通経由、手稲駅南口がメインで系統が厚別に比べて大幅に少なかった、今では信じられないと思うが殆どの便が手稲駅南口を経由しませんでした。西区役所前ですれ違った日野の中ロマ車
個人的に大好きでした。日野なのにシフト音が違う旧式。札樽の快速で使われ、札幌営業所に7台位いました。快速廃止後は札幌→新札幌の路線で頻繁に走ってた。
しかしそんな手稲営業所も
宮の沢駅が出来てから形勢逆転しまして新型の良い車両は手稲優先になるわ
前車LED化するわ(厚別はしばらく幕式でした)その流れは今でも続いてます新車は手稲、琴似優先に入ります。
運賃表も手稲から新しい物に変えてます。
この路線もエルガばかりで味のある車が居なくなってしまいました。
それにしても『ブルドッグ』バスはかつて札幌市営バスでも走ってたね(^-^)
しかも年式がわかり過ぎるような車輌番号(◯ふ82-◯◯みたいな)つけてたし(^-^)
K-MP118Mですね。
前面方向幕が小型で正面から見て左に寄っていて、側面方向幕が大型で幕下窓は西武バスと同じはめ殺しでした。座席はパイプ椅子で中扉の向かい側には座席がありませんでした。前扉は狭く1枚ガラスでした。
新車当時は全車両が幕式運賃表で昭和60年頃から一部の車両がレシップ(当時はS-light)製の8文字停留所名表示付きデジタル運賃表に交換されていました。
他にも、カマボコやオバQバスがいました。本当に昔のバスは味がありましたね。
@@Sapporo-pk7oz かつて札幌市バスの藻岩営業所所属のブルドッグ車は、対キロ区間路線(定山渓線など)の運用の関係でデジタル式運賃表が使用されておりました。2区間専用に降格後は、札幌市バス独特のデジタル運賃表に交換されたはずです。
この年代、中央バスは何故かブルドッグを発注せず、ブルドッグシャーシでも富士重工で発注していました。理由は判りません。
岩手県交通でキュービックになる前は、ブルドッグでした。懐かしいです。
札幌営業所(現手稲営業所)のブルドッグは見るだけで、乗れないまま除籍されてしまったな。
映っている琴似本通停留所付近の風景は今もあまり変わっていない。
現在の西区役所前の場所ですかね。
STV向かいのLAWSON併設のガソリンスタンドも変わっていない。
なつかしい車
コロナ禍に経験されてない
ブルドッグソース❓
それは豚カツにかけるもの
ワハハ(笑)