【ゆっくり解説】島津四兄弟九州統一戦その11ー戸次川の戦い~迷走の末の豊後進攻で豊臣四国勢を撃破!
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- čas přidán 18. 01. 2024
- 今回は筑前攻めの失敗から再度の方針転換でついに大友の本国豊後への進攻を果たした末弟家久率いる島津軍が、戸次川の合戦で仙石秀久・長宗我部元親ら率いる豊臣軍先遣隊を大破するまでの展開を解説していきます。
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実家がこの戦場側なんですが、ある時期になると早朝は濃霧で何も見えない日が結構あるんですよね。あんなところで伏兵されたら死ぬ
大友義統は味方を見捨てるイメージが強いのよね。
仙石だけに勝てたというのは実は長宗我部と同じだったりする。
義弘より家久の方がヤバい気する
知れば知るほど、家久がなろう系主人公ってのは納得できるわ
たのしいなかまがぽぽぽぽーん😚
仙石さんの嫡男の忠政が、褒美として上田を欲しがったお陰で、真田家が上田を手放すことになる
本当に仙石家は・・・🤣
歳久がほとんど音信不通って……。(0:06〜)
志賀さんはこのあと悲惨な末路を辿っていくのがなー。あと家久の最後の活躍だって?島津家にはもう1人家久がいるじゃないかい。
悪久は別枠よ(笑)
長宗我部や十河や大友はそもそも家康じゃなくても長生きしてたら秀吉は潰そうとしてたみたいね 島津戦後の統治考えた場合 統治力の強い島津は解体できないけど大友十河長宗我部は支配体制が弱いから解体できると思った節もあって 確かに仙石には激怒したけど内心はシメシメと思ってた感もある それに仙石は切腹1歩手前なんて言われてるけど実際は京に一万石クラスの給与もらって生活してたみたいだから 豊臣先遣隊の大敗は実は想定内どころかシナリオ通りだった可能性も
個人的には流石に戸次川の戦いは秀吉の予定調和だったとは思いませんが
敗戦に関しては秀吉が怒ったのは世間の目を気にしての事で
仙石の事を本気で怒っていたとは思えませんね……
本気で怒っていたなら既に仙石は物理的に首が飛んでいたでしょうし
島津軍の行き当たりばったりな戦略に乱され配置ミスを犯したのは致し方ない面もありますし
寄せ集めの連合軍である以上、連携の齟齬に関しては仙石一人の問題ではありません
秀吉の言い付けを守れば、という意見もありますが
大友は耳川の戦いの大敗で大友から離反する国衆が続出
ガタガタになっている所に島津が侵攻してきて島津の切り崩しが始まれば一気に大友が瓦解しかねない状況
そうした中で家久の鶴ヶ城への攻撃が始まりこれを見捨てれば大友も秀吉も助ける気がないと判断して国衆が一気に島津側への傾き秀吉本隊が上陸する足場を失いかねない危険性があった
そしてこの状況を理解していたのは現地にいた仙石と長曽我部位なものでしょう
もしここで秀吉の言い付けを守りを固めたとしても
鶴ヶ城を見捨てた事を契機として一気に国衆寝返り大友が瓦解して上陸する足場を失った秀吉は
「何で鶴ヶ城を見捨てた」と問い質し厳しい罰を与えられていたかもしれません
つまり仙石と長曽我部率いる秀吉連合軍詰んでいる状態で罰を咎められるなら家久と戦うしかなかったのだと思います
仙石と長曽我部のいざこざはどちらの選択が秀吉の怒りを買わないか?という事でしかなく
秀吉が後に北条征伐で仙石を許したのもどうしようもない状況下の選択するしかなかった失態を赦す時間は十分に取れたと判断したからでしょう
長曽我部の選択も正直正しかったかは判断出来ませんし
仙石の代わりに入った尾藤知宣が味方の救護に慎重論を出し秀吉の怒りを買い浪人になり
赦して貰おうと北条征伐の秀吉の元に出向くも再び怒りを買い手打ちさせられた事を見るに
仙石の出撃は致し方ないが世間の目もあるため仕方なく秀吉は仙石に罪を押し付けた、とも見てとれますね……
「今回を含めてあと三回」!?
マジか!!
じゃあ後2回しかないのか!!
よし『島津四兄弟九州統一戦』が終わったらそのままの流れで『島津兄弟の生き残り』をやっちょおー
信親の左文字の刀はその後どうなったんだろ…
十河は可哀そうだよな… この後は生駒に後継ぎを殺され、大坂の陣で滅亡…
センゴクへの名指しの叱責の書状が多いのは、勿論やらかしが多いという点もあるけど、子飼い中の子飼いという立場から叱りやすいから
という可能性もないですかね?十河や長曾我部は衰微しているとはいえ国持ちで地勢力を持ってるから下手に叱ってへそ曲げてもめんどくさいし・・・
ヤクルトでノムさんにいつも怒られていた古田、ラインハルトにいつも怒られていたビッテンフェルト、田岡にいつも怒られていた魚住、
敢えて中心人物を必要以上に叱責することにより集団全体に緊張感を持たせたとか・・・。そう考えると良くて切腹レベルのミスをしたセンゴクが
後年大名に復帰できたのも説明がつく・・・・・かな???
水野勝成さんが敗戦した戸次川の戦
水野勝成と島津の因縁の始まり。
信親の遺骸、その後調査で掘り起こされていて、頭蓋骨そのものに3か所以上深い刀傷があり、普通なら大将首クラスは論功行賞で見分け付きやすくするために顔をそんなに傷つけないものなのに力任せに刀を打ちおろしたのがわかる。鹿児島県民は怒らせてはいけないって授業でならったなぁ。
「センゴク」では主人公がゴリ押しで大失敗をするクライマックス的な場面のはずなのに、長曾我部も十河も同意した上で出撃したみたいに描かれてモヤったんだけど、どちらが正しいんでしょうか?
仙石だけやられとけば良かった
大友への救援がなぜ遅れたのかと思っていたら 秀吉も官兵衛の合理的に判断する人だから 相手もそのように判断すると思い込んちゃったわけか
遂に来たァァァ!
それと伊達稙宗の勢力拡大と伊達晴宗の嫁取り騒動と天文の乱をお願いします。
某戦国時代漫画では長篠の戦いとか独自の考察で描かれておもしろかったから、戸次川の戦いはどのような展開になるんだろうと楽しみにしてたが、センゴクが「なんかわからんけど戦いたいんじゃ」とか言い出したり、家久が超能力で敵を粉砕したりで、ゲンナリして単行本を買うの止めてしまった思い出がある
毎回、自分の名前と呼び方と同じ歳久の言葉を聞くとオレ呼ばれた?になる