詮子の最期 息子に無償の愛を捧げるも息子に憎まれながら亡くなる【光る君へ】
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- čas přidán 8. 09. 2024
- 参考文献
元木泰雄『王朝の変容と武者 (古代の人物 第6巻) 』
amzn.to/3WKAe6w
八馬朱代『東三條院と上東門院の石清水八幡宮・住吉社行啓についての試論』
(日本大学史学会『史叢』77, 2007)
cir.nii.ac.jp/...
古瀬奈津子, 東海林亜矢子『日記から読む摂関政治 (日記で読む日本史)』
amzn.to/4dHCDVp
服藤早苗『藤原道長を創った女たち』
amzn.to/48J0IZT
下玉利百合子『枕草子周辺論: 続篇 (笠間叢書 283)』
amzn.to/3Rm4i5u
繁田信一『天皇たちの孤独 玉座から見た王朝時代 (角川選書)』
amzn.to/4czyJy1
倉本一宏『一条天皇(人物叢書) 』
amzn.to/4cEFyhO
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詮子は朝廷の政治に介入し、一条天皇や道長の反対を押し切ってお気に入りを要職に就けるなど、息子のために権力行使を行っていました。
定子をめぐる問題では、敦康親王誕生を喜びながらも、一帝二后の実現に手を貸し、定子への当たりが強くなりました。
定子が亡くなった際、道長の気持ちを優先して葬送を邪魔し、最愛の息子から死を悲しんでもらえない最期を迎えました。
今回は、一条天皇の子孫による皇位継承を果たしながらも、息子との良好な関係を失った詮子の晩年について紹介します!
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【画像引用】
大河ドラマ光る君へ公式サイト
www.nhk.jp/p/h...
【目次】
01:24 詮子の権力濫用
07:19 皇子誕生と詮子
12:28 詮子の最期
#光る君へ #詮子 #一条天皇 #大河ドラマ
まあ、道長だけでも味方がいたのは不幸中の幸いというか…。光る君へを見ると一層不憫さが輝く(日本語としておかしいのは十分承知)というか…
女院様の最期を語るには前提の整理が必要で、前置きがだいぶ長くなりました…
その分、詮子の行動と考えを丹念に追えて、理解が深まりました。
親には駒扱い。
帝には毒婦呼ばわり(盛ったのは父だけど)。
子には…。
つくづく家族運というか縁の薄い人だなぁ。
それでもしてきた事が家族の為の横暴というのがなんとも。
13:21 先日の大河(光る君へ)でやってましたね。
信じられたのは道長だけ…
なんだか幸薄き人生でしたね。
すでに院政は始まってたのですね…
母は強し!
そして哀し………
なんだろう史実での女院様の行動を見ると女院様からみて一条帝の姿はいくら大人になったとはいえ即位した7歳のままだったのかな
確かにそういう面もあったのかもしれませんが、それほどの愛の深さとも感じられます。大人になり自身の判断が行える年に成長しても、だからこそさらに別の面の助けとなりたい!そんな感じでしょうか。でもこれ、いい大人になった一条帝には、やはり鬱陶しいでしょうが。
@@cancan5892 帝にとってみれば、定子を蔑ろにされるなら、何をしてくれても母を疎んじる気になったでしょう。
ただ定子様の死は貴族たちにとって傾国の美女が居なくなって良かったのが本心ですからねえ
うーん、詮子やっぱり好きになれんなあ。一条帝に愛想をつかされるのもむべなるかな。勝手すぎましたな。
途中でコメントが切れて、出て来ない🤬
キシリア様っぽい
元々、溥儀に対して愛情を持っていなかったから(当時の貴族は見合いだった)夫の無関心に耐えかねたのではないよ!!側室との確執や、溥儀に接近して来た日本軍のきな臭さからの不安、離婚を望んでも、身内の大反対等、夫婦関係より周りから強いられる不自由さや監視等の方が、苦痛に感じていた。それに、阿片を使用するきっかけは、重い病気になった時に薬として処方された事だよ!!内容に間違いが多々あるから、もっと正確に作ってね!!!