伊奈忠次の生涯 30代で徳川家に帰参し数年で事務方トップに上り詰める【どうする家康】

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  • čas přidán 6. 10. 2023
  • 参考文献
    本間 清利『時代を創る伊奈忠次』
    amzn.to/3PP0SGR
    伊奈町教育委員会 編『伊奈忠次の生涯 : 関東の水を治めて太平の世を築く』
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    伊那忠次は、三河一向一揆、信康事件で二度にわたって徳川家を去っており、前半生はほとんど土木工事の人足として過ごします。
    伊賀越を機に徳川家復帰を果たすと、土木建築技術で家康の目にかかり、事務能力が重視される新しい時代に適した人物として家康に重用され、瞬く間に出世していきます。
    1万石を超える領地を手にし、大大名並みの領地の管理を担当するようになっても実直に仕事に取り組み、江戸幕府の基礎固めに粉骨砕身しました。
    今回は、関東総代官とも称され、現代の東京の基礎を作った実務官僚 伊奈忠次の生涯について紹介します!
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    【画像引用】
    大河ドラマどうする家康公式サイト
    www.nhk.or.jp/ieyasu/
    #どうする家康 #日本史 #歴史

Komentáře • 20

  • @T2_CCV
    @T2_CCV Před 9 měsíci +24

    追放されても技術を学び、出世しても謙虚に実直仕事をする。見習いたい人物ですね。

  • @takeshiishikawa9198
    @takeshiishikawa9198 Před 9 měsíci +11

    こういう人の大河ドラマが観たい

  • @32mack82
    @32mack82 Před 9 měsíci +8

    知らない人であまり知名度がないと思いますが、なかなか面白かったです。こういう実務的な人は実際の治世の場では重要だったと思います。

  • @theshowmustgoon5760
    @theshowmustgoon5760 Před 9 měsíci +13

    レキショック様
    こういう人を大河ドラマで取り上げるべきだと思いました。
    忠次は今でいえば管理部部長でもあり、技術部部長でもありますね。
    槍働きから事務管理能力が重視される…加藤清正や福島正則が三成を嫌ったように本多忠勝などは嫌ったでしょうね。仰るように忠次は武将達(今でいえば営業部門)からは良く思われていない事は理解していたでしょう。ですから質素、謙虚に振る舞った…三成のような単なる堅物ではなく、融通もきかせたと推察します。
    死因は過労死かもしれませんね。もっと長生きして欲しかったです。

  • @user-dk7sg5mm8m
    @user-dk7sg5mm8m Před 9 měsíci +10

    家康は目立たないですが、家臣を抜擢する眼力はすごいですね。
    伊奈忠次・大久保長安しかり、榊原康政といい。
    この辺はさすが天下人たる人物だと思いますね。

  • @user-zo5nj3hx8x
    @user-zo5nj3hx8x Před 9 měsíci +1

    徳川家康の人を見る目。適材適所に登用する感じがナイス。

  • @user-mo5bt1ru4t
    @user-mo5bt1ru4t Před 9 měsíci +2

    伊奈忠は天才。

  • @genheywoodkirk
    @genheywoodkirk Před 4 měsíci +2

    家康は武将としての面が強調されすぎて、都市計画者としての面が少々蔑ろにされている。江戸の設計など見事なものだが、その実務を担当したのが伊奈家。利根川東遷、荒川西遷...
    というより利根川と荒川の切り分けを思い立ったのが家康か忠次かどっちかは知らんけど、これ当時としてもさることながら現在だって国も躊躇するほどの大工事。というか今なら住民の大反対でぶっ潰されてたろうけど、そこは江戸時代。結果として江戸近郊の穀倉地帯の開発、水路の建設による東北からの物資の流通路建設、治水による水害回避の一石三鳥、江戸を実質的に作った大事業だったわけだ(まあ治水に関してはその後4世紀、政体すら変わって昭和に至るまで改良が続けられたけど)。こんな工事を任せられたほどだから家康からの信頼のほどがわかる。

  • @user-zu6tc9mb7s
    @user-zu6tc9mb7s Před 8 měsíci

    芸は身を助ける。逆に武士を辞めても建築や土木で大成し現代に続く伊奈組 伊奈テクノス 伊奈建設になっていたと思います。

  • @user-ponkotsukakumei
    @user-ponkotsukakumei Před 9 měsíci +3

    この伊那忠次が
    荒川西遷・利根川東遷の計画を
    立てなければ
    本当に現在の東京や首都圏は
    存在しない。
    日本という国に与えた影響で言えば
    武田信玄や上杉謙信なぞ
    足元にも及ばない。

  • @tetsujinara2019
    @tetsujinara2019 Před 9 měsíci +2

    信長の野望の内政要員です。

  • @ahashim-khajiit2249
    @ahashim-khajiit2249 Před 9 měsíci

    太閤立志伝5でよくお世話になってます
    ステや技能が本当に有能

  • @tmsplash720
    @tmsplash720 Před 9 měsíci +4

    家康にとっての石田三成ですね。
    業績としては三成以上か。

  • @vianeplus
    @vianeplus Před 9 měsíci +1

    江戸時代初期から官僚組と先手組に分かれていたのか。

  • @user-gb3lk1wm5l
    @user-gb3lk1wm5l Před 9 měsíci +5

    面白い経歴の人物だな…

  • @ME-ch7fk
    @ME-ch7fk Před 9 měsíci +3

    戦国の世が終わり能吏が脚光を浴びる世に移ってからも、決して奢らず実務に邁進する生き様は正に名臣、名代官と言えるであろう。
    どこぞの誰か……(大久保〇安)とは大違いでしたね。

  • @JI-py3xf
    @JI-py3xf Před 9 měsíci

    17:20 伊奈忠喜は伊奈 忠善ですね。

  • @user-oc7lp4ko7p
    @user-oc7lp4ko7p Před 9 měsíci

    一族討死しすぎ問題。余程信用されてなくて常に先陣だったか、相当身分が低かったのか…。