衝撃!なぜ邪馬台国「卑弥呼」は日本の歴史書に登場しないのか!?隠された真実とは
Vložit
- čas přidán 3. 07. 2024
- あれ?卑弥呼って、なんで中国の歴史書にあんなに詳しく書かれているのに、日本の歴史書には出てこないのだ?
これはニオうのだ!
隠された真実を探るのだ!
エンターテイメントとしてお楽しみください!
#古代ミステリー #卑弥呼 #邪馬台国
00:00 卑弥呼はなぜ日本の歴史書に存在しない?
01:11 唯一卑弥呼を記した史書「魏志倭人伝」とは
09:43 「古事記」と「日本書紀」
15:24 失われた歴史書「天皇記」と「国記」
19:29 蘇我氏と中臣氏(藤原氏)の因縁
28:23 卑弥呼は誰なのか
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卑弥呼という呼称じゃないだけで既知の人物ということもあるかもね
卑弥呼は名前でなく「姫巫女」のことだとも言われていますね
消されたのではなく知らないから書けなかっただけかもしれない
意図的に書かなかった☺️
まあ、知っていたとしても自分達以外の他の部族の事なんて書く必要は無いだけだろう。
古事記や日本書紀は大和朝廷の歴史を書いたものなんだからね。
聖書にブッタは出でこないし仏教の経典にイエスキリストは出てこない
蘇我蝦夷の邸宅跡から、焼け残った「国紀」の一部が出てこないかなぁ。
邪馬台国と大和朝廷が全く別の王朝だから、大和朝廷の話を書いた古事記や日本書紀に書いてないんだと思ってたわ。
日本書紀の崇神紀に登場する倭迹迹日百襲姫命こそが卑弥呼(姫命=ひめみこ)の正体だろう?
自分もそう思う。
唐書だったか、倭国は古の倭奴国で日本は倭の別種と書かれていた。
魏志には邪馬台国の東には海がありその向こうには倭種の別の国があると書かれていたはず。
その推理が妥当だろうね。
記紀の神さまや登場人物の誰かと思うというのは貴方はそう思うのですかという事でしかないからな。五王ですら誰が誰かわからないのにこの神様が卑弥呼だなんて言えるわけない。
@@olivefuruta
唐書には倭国と日本は別種かもしれないし、
あるいは倭国という文字が卑しい意味なので、国号を日本と変更しただけかもしれないと書かれていて、別種と断定しているわけではありません。
また半島最古の正史の『三国史記』では、倭国が国号を日本へと変更したと断定しています。
もう学問でなく宗教だからね
実は帯方郡の位置すら確定してない。遺跡すらゼロなんだから
複数の史書で帯方郡は遼西にあったと書いてるが教科書で習う位置と全然違う
全部無視して邪馬台国論争してる人たちは素人学者ひっくるめて論理なき考古学と海外からバカにされてるの無理ない
この手の動画の色々な説を聞くと全部…その通りだ!それが真実だったのか!ってなる自分が悲しい🥺
冒頭から中盤までの、推測じゃ無い部分は勉強になりました。魏志倭人伝て書物があるわけじゃなかったのですね。
魏志倭人伝に書かれているから、日本人から見ても重要人物と言う事自体が思い込みかもしれない。
そうかもしれん。
たまたま魏に使いを派遣した国ってだけだったのかも
実は姫巫女って愛称だったりして
それがお年を召されても結婚してなかったからいつまでも姫扱い……という悲しい物語を思いつきましたが、色んなところから恨まれそうなのでこれ以上の妄想はやめておきます
姫というより日巫女だと思う。
やはり、邪馬台国と大和朝廷は全く別の国だった、と言う説が一番合ってると思います。
卑弥呼の何年後かはわかりませんが、田油津媛が邪馬台国の最後の王だったと思います。
「卑」弥呼や「邪」馬台国という呼称は辺境の劣った国として殊更卑しいネーミングがされたもので、倭国内での正式呼称(おそらく偉そうな立派な名前)ではないはず。だからド頭から信じ込んで国内で単語を手がかりにいくら探しても、出てくるはずがない。
東大の歴史の教授はアカだからね
日巫女やヤマト国の呼称を漢字圏の国が当て字したのでしょうね。
日本書紀に神功皇后が卑弥呼らしきことが書かれていることは、日本書紀の編者が魏志倭人伝を知っており、かつ紀年操作をした都合上、神功が卑弥呼であるようなことを言わざるを得なかったと解釈するとすっきりします。紀年操作を元にもどせば卑弥呼は神武天皇の先祖に当たり、天照大御神に比定されますし、卑弥呼が250年頃の人なのですから、神武天皇は3世紀末頃の人と考えられます。
同感です。
同感です。宮地嶽神社や宇美八幡宮の御祭神なので実在したのだろうと思います。ちなみに宇美八幡宮近くの志免町(宇美八幡宮で産んだ子のおしめを変えた場所)の町名の語源になったと言われてます。
古代日本に想いを馳せる時、この『邪馬台国』は私たち日本人には“永遠のテーマ”である事は間違いなく、興味さえ有れば、本居宣長や新井白石と言った超偉人とも肩を並べて語ることが出来る魅力が有ります。
私もその魅力にひかれるひとりですが、戦後教育にどっぷり浸りきった世代である以上、自分で興味を持ち、日本の神話を知ることから始めて得た、日本人の“気質”を再確認する時間が増えました。
つまりは『日本人とは?』と言う単純な、自分に対する“アイデンティティ”への問いです。
この動画に対しコメントを寄せる方々は、少なくとも私と同じ“日本人とは?”についての問いに、それぞれの興味がお有りなはずです。
私は…『邪馬台国』は『ヤマトコク』
ヤマトコクとは、“倭国”“大和国”そして“日本(ヤマト)国”と、信じて疑わない一人の日本人(ヤマト人)です。
そして『卑弥呼』とは“巫女”であり、“皇女”です!
つまりは“日の巫女”であり、時の祭祀王であると考えています。
太陽の巫女とは天照大神としか思えないですね
@@jangle999
その通りです。
“日の巫女”とは“太陽の巫女”であり、巫女とは『天照大御神』の“依代”となる役目を受けた“祭祀王”のことだと、私は確信しています。
大和国でも十分良い名前なのに日本に変更したのはもったいなかった
藤原氏は徳川よりながいよね。奈良散歩すると蘇我氏を敬う気持ち今にも繋げてるの凄い。
いた、いない、ではなく、いたと魏志倭人伝に書かれている、と正確に今の歴史書に書けばいいだけなのに。
美術史研究者の田中英道氏によれば魏志倭人伝の著者は日本に来たわけではなく噂話を聞いただけではないかと言われている。その理由は古墳が発見されてない事です。日本の古代歴史は決定的な証拠がないと正式には認められないと思う。今でも卑弥呼の子孫であろう蘇我氏系の古墳の所在がハッキリしていないので。
消されたも何もそもそも歴史を残すのが当たり前ってのが違うからね
歴史は勝者によって作られますもんね
敗者も普通に作るぞ
そんなスタンスの国だからFみたいなやつがゴロゴロ輩出されるのか
@@user-vq5yx3tq2l
古代からどの国でも歴史書はそんなもん
それだけ藤原の影響力がすごかったと
卑弥呼の独りの人生の話と古代日本全体の歴史を同じような感じでとらえるのは
間違っていると思う
卑弥呼は職名だからたくさんいる
巫女さんみたいなもん
倭国の男王は魏志倭人伝ではヒミココとか言われているもんね。
日巫女(天照大神)
ホツマツタエには天照大神は男性神として記述されているそうです。
なので、大乱を収めた卑弥呼(姫巫女)を神格化する際に最高神である天照大神と置き換えられてしまったのではないかと思っています。
それ偽書だぞ
@conspiracy_shine そうそう、「ヒヒイロカネ」の名前が出た『竹内文書』もだね。偽書。
@@conspiracy_shine
ホツマツタエを偽書とする説があることは承知していますが、まるっきり嘘を書いているとも思えません。
逆に偽書だと断定できるだけの根拠をお持ちならぜひ教えてください(学者さんがそう言っているというのはナシね)。
正史とされる古事記、日本書紀と内容に食い違いがあるということなら、古事記、日本書紀の間にも内容に違いがあります。
むしろ政治的理由で内容に虚構が入る公式文書よりも、損得勘定抜きの民間伝承の方にこそ信ぴょう性があるのではないかと私は考えています。
@@conspiracy_shine
秀真伝が偽書として評されていることは承知しています。
日巫女(天照大神)
投稿日にNHKでやっていた卑弥呼についての番組より、こっちの方が面白いわ。
バカには難しかったか
最近のNHKはワイドショー化していて偏向報道がひどいからな。
九州説の詳細や畿内説が否定されている論点も同時に報じない制作スタンスからして論外なんだよな。
だから説得力に欠ける。
@@yon4988 お前みたいな素人にはプロが携わった番組は難しかったか
あんな内容の薄い番組を、ありがたがる方がバカだとおもうがね。@@conspiracy_shine
@@conspiracy_shine あんな内容の薄い番組を、ありがたがる方がバカだと思うがね。
「天皇記」と「国記」はどうして蘇我氏宗家の館「だけ」にあったんでしょうね?
それだけ重要な歴史書ならば、なぜ写本をしなかったのかと、疑問に思います。
紙が貴重すぎた?
編纂途中だったからだろ
日本書紀読め
@@conspiracy_shine
日本書紀に天皇記等は編纂中だったとの記載があるのですか?
そんな記載は無いようですが…。
推古天皇28年に献上された書が編纂中であって、更に天皇家に原本又は写本が存在しないとはちょっと考えにくいかな。
普通に焚書だろうね
たぶん写本狩りもやってる
火災で焼失なんてのは事実の一部を切り取った演出的な記述だと思う
ただ音に当て字しただけだしね
卑弥呼 日ノ御子 ヒノミコだと
思うんだよね
神功皇后が卑弥呼かなあってのは
編纂者がそう勘違いしてくれないかなあってミスリードに引っ掛かってるよな
元来のアマテラスは古来男性神で習合し乗っ取られたという話もあるけども
真の皇祖神は外戚筋である高木の神こと高皇産霊神ともいわれる
卑弥呼は名前でなく「媛巫女」で王族の女子巫を指して敬称にしていたんじゃないかね
日巫女(天照大神)
実際、高皇産霊尊は「日本書紀」だと「古事記」以上に出しゃばってきてますよね。
すっげーのだ。
おんなじ様な国が無数にあっただろうな。
元寇のころは60余国 秀吉の天下統一が100余国 3世紀なら30以下❓❓
オオヒルメノムチは小名木説ですね
魏書の前の後漢書にも邪馬台国は載ってますよ
時代的には前だけど書かれたのは三国志より後
ヒミコ→アマテラス
トヨ(イヨ)→トヨウケ
かと思った
ヤマタイコクのヒミコなんていうのは、外国語で書かれたものを無理やり現代日本語で読んでるけだから
ペケペケ国の女王マルマルさんがいました、と言っているのと全く変わらず、どこの国の誰なのか全くわからない
ヒミコというのも名前かどうか不明で、称号だとすると例えば、江戸時代に「ショーグン」という人に贈り物をしたよ、と外国の書に書かれていたとしても、将軍の誰なのかわからない
使者を送ったのも魏側の都合であって、天照や神功皇后のような有名人が治めていたタイミングに都合よく送ったとも限らない。もっとマイナーな女王がいて、その時に送っていたら?
ペケペケ国と大和朝廷に直接的なつながりがあったかどうかも不明。まあ特定は不可能に近いかなと
国記、天皇記、どこかの神社とか、山奥の洞窟の奥とかに残ってたりしないかな~。
三国志に出てくる、「遁甲天書」みたいな?
竹内文書とかはロマンですけどねw
そもそも大和王権と邪馬台国を同一視している風潮に無理があるんじゃないですかね?
魏志倭人伝にも「百余の小国がある」と記されています
その時点で奈良を拠点としている大和王権が中国の魏と外交を出来たというのがまず不自然です
北九州にあった邪馬台が地の利を活かして独自に外交をしたと考えるのが自然だと思います
自国の国策文書に他国の歴史を紹介しないのは当然かなと思いますが。。。
「百余の小国がある」、、というのは、魏志ではなく、それより200年くらい古い、漢書地理誌の記述だったと記憶していますが???
でもまあ普通に、大和王権と邪馬台国が別の政権の可能性はありますね。
@@user-pg1qe8fm9r 確かに、百余国は昔の話で、今は30国位と書いてましたね
失礼しました
御指摘ありがとうございます
古事記や日本書紀は720年〜750年、卑弥呼の時から約500年経ってるから、死後の呼び名も変わったのかもね
想像が多すぎる
自分は子供の頃に見た手塚治虫氏の「火の鳥」で卑弥呼を知った。実写版の「火の鳥」を映画館で見た覚えもある・・・祈祷で女性が四つん這いなって畝いてた所があったけど当時は意味不明だった・・・
地形が倭人伝と一致する日田郷と久津媛が邪馬台国と卑弥呼だと思う。
古田武彦さんや斎藤忠さんの著書を少しでも読んでみれば、よくわかりますよ😆
現代の教科書みたいなものだよね
確証が得られなかったり、当時の資料が実はあいまいだったって分かると次年度の教科書からは消えてたり
※実在は疑わしい
とか注釈入るし
卑弥呼 アマテラス
卑弥呼は18人いるとどこかの動画で言ってました。
あと
卑弥呼=マリア=◯◯
とか、どこか動画で言ってました。
テレポーテーションしてたって。違う時代だけど行き来していたのではないかって。
はやしひろしさんの動画だったかな。
九州説をとると邪馬台国の正統な系譜を継ぐのは滅ぼされた磐井のような気がするんだよな。
何となくだが。
九州に王朝はありません
@@user-yo6vh2oi9b
いまだに近畿説な人もおるんすね
@@KARAMAZOV_3
違うよ。
畿内説ではない。
実は魏志倭人伝には邪馬台国の位置について、会稽の東にあるってハッキリ書いてあって、現在の沖縄か台湾あたりになる。
気候風土も亜熱帯気候の中国の海南島に似ていると書かれている。
邪馬台国は刺青の文化だと書いてあるけど、沖縄は明治あたりまで刺青の風習があった。
どう考えても九州ではない。
@@user-yo6vh2oi9b 神功皇后もヤマト王権の九州王朝をつくった。のちに近畿王権にクーデターを起こして、本家を乗っ取ったが。
@@user-eu2zn3ue2g
九州に王朝はありません
隋書には九州から東はみな倭国の領土だと書いてある
前方後円墳の分布状況や稲荷山古墳と江田船山古墳の金石文から考えても、倭国とは大和朝廷に他ならない
卑弥呼は日本語の「ひめみこ」を聞いた魏の役人が漢字を当てたもの。一般名詞であって個人名ではない。
とても興味深く視聴させていただきました。
後の政権にとって都合の悪い事を無視するというのはありうる話ですね。
そもそも邪馬台国が九州の一地方政権で、大和朝廷とは無関係である可能性。
配下が我が主とか我が王という感じで「ひめみこ(姫巫女)」と呼んでいたのを、中国人が卑弥呼と記録したのであって、名前は別にあった可能性。
考えれば考えるほど可能性は広がりますね。
「国記」は存在が確認できないだけで喪失が確認できている訳では無いので、いつか出てくるかもしれませんね。もし存在するのなら、私の存命中にお願いしたいものです♪
日巫女(天照大神)
記紀はヤマト王朝の歴史書なんやさか、無関係の国の事なんか記さんよな。
戦争したとか、国交を結んでいたとかなら、登場するかも知れんけど。
陽明文庫のどこかにあるかもしれない。
蘇我氏のルーツはスサノオだと聞いたコトある❗🤔
スサノオが建国した出雲の地にはスサノオに似た発音の場所があるらしい❗🤔
卑しいという文字が入ってて嫌だなあ。
日子山の.日巫女
徐福神社があって卑弥呼神社がないのは明らかにおかしいので、なんらかの別名の神として吸収されたのかなと思います
徐福神社は近世伝説に基づいて作られただけだぞ
吸収ではなく、もともと宇佐神宮じゃないの?
徐福は日本には来ていません
日巫女(天照大神)
@@conspiracy_shine
だとしたら、なぜ魏志からの伝説に基づいて卑弥呼神社を作る人間が今までいなかったのか、という話で
実際には「いなかったわけがない(別名の神社として残ってる)」が答えかなと
倭国大乱についても書かれてないと思うけどなぁ
常に、歴史書は後の時代に作られる。その時代に権力者が自らを是とすること以外、真の歴史家でもない限り記録に残さんわな。
個人的には別王朝だからだと思う。そして、日本には当時複数の王朝が有ったのではないかと思う。九州王朝や機内王朝他。で、魏とお付き合いの長い九州王朝の話を魏志倭人伝で書いた。同時期に機内で王朝が有ってもお付き合いが無ければ書かれない。不思議なのが神武天皇は宮崎からスタート。現代でも陸の孤島。神武東征も北九州あたりまで行って、現福岡市あたりまで行ってない。玄界灘沿岸は古来から栄えた場所だろうに。宮崎や宇佐があるから九州から東征した連続した王朝という方も居るけど、地図しか見ていないと思う。
九州に王朝はないと思います
日向はヒムカと呼びますが、宮崎以外に筑紫にもヒムカと言う場所があったみたいですよ。私も神武東征は筑紫から始まったと思う。
大陸にそそのかされて反乱を起こした地方豪族だからなのでは?
卑弥呼は魏志倭人伝、弥生時代の邪馬台国統率者だと記憶ある。
曹操の拠点洛陽に金印を貢いだって事。習った事はそんくらいだったな。
国の歴史書。現代なら何でしょうね?公式記録は国会議事録とかでしょうが2000年前も同じかなと。どうも歴史マニアの方はドラマチックな展開を求めがちですが、現実はもっと奥深いリアルな話が書かれているのかもですよ。逆にそこに歴史ロマンを感じます。
アチシ、忘れられたのー?
ヒミコさまー!!😭
貫頭衣の解釈は最近改められたって聞いたけどな。
後の権力者が歴史書を操作したとしても、日本中の "庶民が卑弥呼を崇めた" 痕跡を隠滅することまで出来るものだろうか
日本中の・・・とは限らんのですよ。例えば大和から見れば、九州の一地方豪族の信仰的権威に過ぎなかった可能性もあります。
民衆は自分たちの安全保障さえ担保されれば、支配者に関心は持たない。古き信仰が敗れ、汚されれば、新たにアップデートされた確実な信仰を崇めるのです。
それが人々の生活感であるのは先の大戦の前後でも証明されています。
大和政権とは無関係の国のことだから
位の高い人って昔からその名前をみだりに呼ぶことはしないのがルールだから、卑弥呼は日の巫女様とでも呼ばれていたのではと思う。
天皇を昔は天子様と呼んで名前は呼んでなかったし、今でも今上陛下のことを徳仁様とは呼ばないのと同じじゃないのかな。
神話学者の金子武雄さんは、著書(古事記神話の構成)で「日本神話は筑紫の神話である、高天ヶ原
は筑紫の上にあった」と書いてらっしゃいます。古代日本の謎を解く鍵は筑紫にあるのではないでしょうか。
神功皇后=卑弥呼説は無理があり過ぎるw
そもそもそれだともっと天皇話として書くでしょ
だからこそ、そこにロマンを感じる(>_
富雄丸山古墳、チト気になりますな?(疑)
🙄🤔🤨🧐
邪馬台国「ヤマタイコク」ってヤマト国と読むべきじゃないのかと常々思うのです。「卑弥呼」と大超賎人たる47人が書いてたとしても日巫女なり日御子なりって称号じゃないかとも思うのです。
因縁はいつの時代にも存在しますね。現代は因縁が原因でリニア問題が勃発している
「大日霊女貴尊」(天照大神) 「撞賢木厳御魂天疎向津毘売尊」
おおひみこむちのみこと つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと
正しい呼び名を~~~
日本には卑弥呼について歴史の記録が存在しないのだから謎ですね。
卑弥呼はあくまで魏での呼び方だからなあ
あといくつもある国のひとつにしか過ぎないなら滅亡して歴史から消された可能性もある
古今東西、静謐なる為政者は民を憂い、傲慢なる為政者は歴史を改ざんする。
個々の事象は正否あれど、世の理は永遠不偏なり。
反射、火属性、聖騎士くらいしか…
朝鮮の歴史書「三国史記」の新羅本紀にも、一行だけですが卑弥呼の記述があります。
なんて書いてあるの?
阿達羅(あだつら)王の二十年(西暦173年)夏5月、倭の女王卑弥呼が(新羅に)使者を送り来訪させた、というものです。@@user-ss6xl8vo6g
阿達羅(あだつら)王の二十年(西暦173年)夏五月、倭の女王卑弥呼が(新羅に)使者を送って来訪させた、というものです。
記紀に「ヒミコ」が出てこないというのは「フジサン」同様に、おそらく「政治的意図や偏向」が関与してるのだろう。
けれど、あちこちのあれこれ身分のごちゃまぜ「万葉集」にもヒミコを謳ったり崇めたり追想したりした挽歌がないのは不思議っちゃ不思議。ひょっとして、違う名前で出てきたりしてないのだろうか?
古事記也日本書紀をまとめる際、諸王家の文書をことごとく提出させて都合の悪いのはすべて燃やしたからね。
ボクの勝手な考察なんですが、
中国と交流を持ちやすい地域を卑弥呼が治めていて中国からしたら卑弥呼は面識あったんだけど、
日本全体からしたら邪馬台国は中国寄りの一部でしかなくて、日本国内では卑弥呼は名前が挙がらないレベルでマイナーだったんじゃないかな?
「卑弥呼、中国だとメジャー。日本だと無名だった説。」 これどうスかね?
聖徳太子は存在してないって通説もあったはずでは?
つまり日の巫女で卑弥呼って事かな?と安易に考えたけどw
大和朝廷の歴史は意外と浅いし最初からそんなに権力がなかったのかも知れないわね。
まぁ…色んな見解があるけど、外国から見る(捏造された)歴史と、我々が知りうる歴史では大きな隔たりがあるんだけど、それを言い出したら中国の歴史だって『本当にそうだった』と言えるかも判らないモノがあるからねw
本当は全然別の人がトップだったのかも知れないし…
巴里国(パリ) 好古都国(スコット)は江戸時代以降だろう。
魏志倭人伝が適当すぎるだけに難しい
う〜ん、卑弥呼は人名ではなく、役職のようだね。そしてその役職はヒメミコとか。倭は、九州方面らしく、邪馬台国はヤマト王権。倭国大乱とは、奈良地方出雲王家数家の長きに渡る分裂紛争、この説好きだね。魏志倭人伝、古代中国にとって倭もヤマト王権も違いが分からなかったくらいらしい。
卑弥呼の墓に三角縁神獣鏡が多数埋まっていないかなあ~もしあったらその古墳に卑弥呼が埋葬されてるかも
そうだよね。卑弥呼のあとはイヨだよね。
小学生のころ図書館の本にはそう書いてあったのに、今は違う女の子の名前で説明されてることが多いよ。
調べるうちに変わって行ったのかな。
『志魏志倭人伝』では「壹与」と書かれており、『後漢書』では「臺与」と書かれているそうです。
壹は「壱」の意味なので壱与(イヨ)となり、臺は「台」と書き換えることができるので台与(とよ)となります。
同様に現存する『魏志倭人伝』のすべての写本・版本には「邪馬”壹”国(邪馬”壱”国)」と表記されていて、『後漢書』では「邪馬”臺”国(邪馬”台”国)」と表記されて居るので、これもどちらが正しいか不明ですが、日本では一般的に「邪馬”台”国」でほぼ統一されている感じになって居ますね。
@@user-wo9oy8vb2r 詳しくありがとうございます!
このように教えてくださる方がいることに感謝します。
歴史はやっぱり面白いですね!
聖徳太子は蘇我馬子の孫。蘇我馬子がアメタリシヒコで聖徳太子が薩夜麻。倭国王が「君」と呼んでいるのは唯一「筑紫の君薩夜麻」だけ。
卑弥呼って呼ばれておらず、外交上の官位なんじゃないか?ウチの岸田がって言っても岸田って誰?えっとウチのトップですよ、女性?じゃ卑弥呼って呼ぶわぐらいなものでしょ。
そもそもあの稗田阿礼が知らなければ当時の人間では邪馬台国も卑弥呼も誰も知らないのでは……
魏志の現在のソウルからの距離をそのままに読むと海上に出てしまうなど矛盾が今でも解決出来て居ませんね。
日巫女なら天照大御神と意味的にもかさなってくるかな
卑弥呼だけが特殊な文化風習で以後にはない。
GHQに歪められた日本の歴史だが、戦前の学校でも卑弥呼や邪馬台国を教えていたのだろうか?
戦前はそこまで重要視してなかったと聞いてます。そもそも倭国の位置を示す記述がデタラメなのに、それ以外の記述が正確だとは思えませんよね。日本国内で編纂された記紀よりも陳寿が伝聞で書いた支那の記述を信頼するというのは、戦後解放された左翼学者たちの影響ですから。
教えてるわけねえよ。縄文時代すら無かったことにされてんのに。
@@MarkWater
戦前は天皇家崇拝ゆえに卑弥呼も邪馬台国もなかったとか?
邪馬台国も、やまとのたいこくとすると、大和政権?みたいな感じだし
卑弥呼も、ひのみこさまとすると日の皇女(みこ)だしねえ。
音だけ拾って漢字を当てるとすると、当時の中国語の発音が正しく解る必要があるけどね。
いわいのレーズンwwwww
ホツマツタヱによると天照大御神は男性であり、瀬織津姫という正妃がいた事になっています。
卑弥呼は土蜘蛛と言われる地方豪族の女王で神功皇后に征伐されたって聞いた
卑弥呼▶日の巫女▶天照大御神だと思ってる
邪馬台国もなんか大和国の発音に似てる気がする
当時の日本ではどんな発音で自国名を呼んでいたのか?
三国志で語られる当時の魏国人にはどのように聞こえていたのか?(これはヤマタイコクか)
訛りが酷くてヤマトコクがヤマタイコクに聞こえてただけのような気がする
知らんけどな
卑弥呼の邪馬台国と⚔戦争していたのは南側にあった卑弥弓呼と言う男王
熊襲の女王
単純に距離は適当なんだろうなと思いました笑
距離はあってる
方角もあってる
日数がデタラメ
と思う
とても多い≒28=≒10≒8≒八百八萬と同じノリで5000里ということですねw
日本側の記録は記憶頼りなんだもん
齟齬があって当然よ
卑弥呼は畿内に入り天照大神となりましたとさ
国記、見つからないかしら?
邪馬台国が大和朝廷とは別王朝だったからでしょう。
蘇我氏のルーツじゃなく、むしろ藤原氏(中臣氏)こそ邪馬台国に連なる一族だったと考えられないだろうか。かつて魏と交流していたくらいの雄族だったのに、その後の政争でものの見事に没落していた。長い雌伏を経て鎌足はようやく成り上がりに成功した。しかし鎌足は父母の名すら知られていない謎の人物。成り上ったとはいえ、まだ豪族のライバルは沢山。邪馬台国の事を変に詮索されたくない。できれば「無かった」事にしたい。だが秘かにこの国の王は自分達一族であったという意識は残った。だから皇族達を王とも思わない事を後世平気でできたのでは
今聖徳太子が、消されようとしている理由の方が、知りたいですね。