1985 FUKUOKA INTERNATIONAL OPEN MARATHON CHAMPIONSHIP
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- čas přidán 14. 02. 2016
- <日本のマラソンは強かった/1985 福岡国際マラソン>
LAオリンピックの翌年に開催された大会ということもあり、瀬古選手、宗兄弟、中山選手といった日本のトップクラスの選手は参加していない大会だった。にもかかわらず日本マラソンの層の厚さを示す大会となった。本大会の主役となった新宅選手、谷口選手ともマラソン2回目ながらすばらしいタイムを叩き出している。伊藤選手も前半から世界記録を上回るペースで飛ばし、まだまだ健在ぶりを示している。次のソウルオリンピックを目指し、ベテラン、中堅、新鋭が鎬を削り、まさに日本男子マラソンは世界のトップクラスに君臨していた。
谷口とエチオピアのA.メコネンは幾度もの名勝負を繰り広げていましたね。
この当時のマラソンは、日本人が本当の1位、2位、3位。
福岡になっての新しいコースでしたね。当時見ていて15キロまでの各五キロ14分台のスプリットタイムは高速レースで見ていてわくわくしました。新宅がソウル 谷口がバルセロナの代表になったレースだったなあと思い出しました。次の福岡はイカンガー優勝仙内が日本人最高の順位でしたね。この年からNHKのマラソン中継スタート一分前から中継する様になりましたね。
これ、東京国際マラソンで宗の独走を後続がとらえきれなかったことに、それを模しようと伊藤がとびだした。
ロバコーチも東京の時になぜ先頭につかなかったのかと選手を叱ってたようなんですが、それがこのペースを生み出したのでしょう。
67年の佐々木さんをも上回る、今後のスピード時代を予測できる大会だったのでしょう。
メコネンも若い頃は腰高な良いフォーム。
晩年は腰が落ちて、後半はアゴが上がってもがく感じでした。
このレースを走ったエチオピアのケベデバルチャ選手は、先年亡くなられた。御冥福を御祈り致します。
金井を見ると哀しくなる…
運転してたやつ絶対許せへん
福岡国際マラソンて今年(2016年)で第70回なので、当時だと第39回になるはずですが、第20回てどういうことですか?
keisuke 1983
1947年に始まった福岡国際マラソンの元となった朝日国際マラソンから数えることを10年前からやっているようですが、当時は1966年に福岡国際マラソンという国際レースになったタイミングからの回数を数えているもののようです。