谷口浩美 ’91世界陸上東京大会男子マラソン 国立競技場のセンターポールに日の丸を掲げた唯一のレジェンド
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- čas přidán 19. 04. 2015
- 1991年第3回世界陸上東京大会男子マラソン
9月1日のレース。暑さを考慮して早朝6時スタート。気温こそ30度そこそこで済んだが、湿度の高さはいかんともしがたい。49:30ゲロ吐くメコネン(ご丁寧にVTR挿入)。かくして出場60名中途中棄権24名の拷問レースに(1週間前の女子は7時スタートで39名中15名棄権)。2位のサラが名言を吐いた「トウキョウはアフリカより暑い」。
1位谷口浩美(日本) 2位アーメド・サラ(ジブチ) 3位スティーブ・スペンス(アメリカ) - Sport
オリンピック・世界陸上を通じてただ一人の男子マラソン金メダリスト
伝説の男。
そして、国立競技場のセンターポールに日の丸を掲げた唯一の選手。
国民栄誉賞もんだろーよってな気運が全然ないのが悲しいよねえ。
この頃の谷口選手、最強だったなぁ。
個人的には、ここ30年のマラソンの中では一番の痺れたレースです。
次に森下谷口中山のそれぞれのドラマがあったバルセロナ、次は19年MGCかな。
1991年の東京世界陸上大会は、マラソンのみならず、競技全体とっても映像が見やすいのも特徴。NHKのBSでも放送があったと思うけど、ホスト中継局は日テレだったようにも記憶してます(間違ってたらすみません)。映像の良さが評価されて、確か海外から賞を受けました。私はこの東京大会が印象に残ってるので、その後の大会を見ると、ちょっとゲンナリする事もありますw 走り幅跳びのカメラ位置が砂場の真横じゃなかったり、マラソンで今何キロ地点を走ってるか分からなかったり…。
解説の伊藤さん、アナウンサーみたいに滑舌が良いですね。
谷口選手の一分間ピッチ210でマラソン走り続ける実力は凄かった。日体大時代は大塚正美さんに次ぐ存在だったけど山下りの名人としてマラソンで大成する片鱗は既に見せてました。マラソンで勝つ為ライバルの性格を徹底的に研究したエグさもマラソン選手として卓越してた。
レース後、閉会式の準備で、観客は一度外に出された。新宿で時間潰してたら号外配ってたから貰って競技場に戻ると、タクシーに人だかりがあり、覗くと谷口さんがインタビュー受けていた。号外出てましたよ!と見せたら、隣に乗ってた宗監督が、どれどれと手に取ったので、渡してきました。
このころは日本の男子マラソンは人気があった。国民大注目のなかのレースだった。
若い頃はよく走ってました
元気をくれてありがとう😃念願は人格を決定す 継続は力なり
谷口さんは別大で優勝して頭角を現したのですが、その時の陸上関係者は
「一分間に220歩も費やすあんな、ピッチ走法では絶対に世界と戦えない」
って評価だったんですね。本人の努力で開花、勝負強い選手でした。
小林高校から日体大で高校駅伝と箱根で活躍し、初マラソンの別大で優勝。スター街道に乗ってるようなマラソン人生ですが、苦労人みたいなイメージなのが面白いですね。
懐かしいです。テレビで観てました。
アーメド・サラが、東京はアフリカより暑かったと名言を残したレースですね。
日本駐在のアフリカ各国の大使館員は夏になったら自分の国へ帰る、避暑のためにってのも笑った。
東京に来てたタイ人が、暑すぎると怒ってたのも覚えてるなあ。
谷口さん、この頃最強でしたね。こけちゃいました、は本当に泣けました。
このレースでは本命じゃあなかったですね。
日本勢でも中山のほうが上だと思われてた。
期待を一身に背負う立場じゃなかったのもラッキーだったですかね。
tamatamanakaji 中山さんは、10人くらいしか出場しないアジア大会で勝ったくらいしか記憶にないです。オリンピック4位を二回連続でとりましたが、メディアが騒いでただけです。持ち記録はソウルオリンピックくらいから谷口さんが上で、メンタル的にも中山さんはムラがあって、結局大成しませんでした。
まあそのアジア大会では谷口を破ってるからなあ。日本最高連発してた時期だし。
ソウル五輪の選考で谷口は惨敗したのが痛いね。一方の中山はぶっちぎりで優勝。
それにしても谷口は五輪に縁がなかったなあ。ソウルの時はもう実力備わってたのに出られなかった。
バルセロナはこけちゃいましたで、その後終わってしまったけど、谷口だけじゃなく日本マラソン界が全滅状態になったおかげでアトランタにも出場、しかし19位。
面白いのは、中山と谷口のイメージの違い。中山は高校時代は全くの無名で卒業後、陸上部がある企業に就職すらできなかった。まさしく雑草。
一方の谷口は、小林高校から日体大で高校駅伝と箱根駅伝出ずっぱりで優勝もしてる。6区で三年連続区間賞だっけ。そして旭化成入って初マラソンの別大で優勝。超エリートといってもいいくらいだよね。
しかし谷口はなんだか苦労人みたいなイメージなのに対し、糞だめからのし上がったような中山のほうがスター性があったのが面白いなあ。
個人的に中山は嫌いでしたけど、ソウルで負けた時、「2位もどんべも同じ」と発言した(らしい)のは良かったな。しかし次のバルセロナで、4位でゴールするときガッツポーズしたのにはずっこけた。
大人になっちゃったのかねえ。まあソウルでは日本勢では一番期待されてて優勝候補でもあったが、バルセロナでは日本勢の中でも3番手扱いになってたからな。
しかしやっぱり彼はずっと突っ張った野郎でいて欲しかったね。
tamatamanakaji ご苦労さん
このレース、谷口さん自身の一番の会心のレースだったと思います。
観ていて、とてもシビれたレースでした。
タイムではなく、この気象状況下で最強でした。
登りでスパートいける選手は魅力的。
谷口、最後の2.195kmは6分41秒。
フィニッシュタイムとしては悪いけど、夏の酷暑でのレースでこの最後のロングスパートは驚異。
よく聞くと、蝉の声が聞こえてきますね。真夏ですね。。
ラスト3~4キロあたりくらいの市ヶ谷から四ツ谷駅までの急坂で他選手を振り切ってますが、あの坂は途中で自転車漕ぐのを諦めるくらい急激な登り坂なのに、すごいなあ。
30度の中でマラソンをすることがどれだけ過酷なことか、マラソンを走ったことのある人ならわかるはず。暑さへ対応できるかは遺伝的な部分もかなりあります。谷口はそこを持っていたのでしょうが、それにしてもすごい走りでした。東京オリンピックでも似たような状況になるので、誰が一番暑さに耐えられるかが勝負の分かれ目になり、普段のスピードはあまり関係なくなると思います。
瀬古が強化プロジェクトのリーダーとかいって五輪を目指してるけど、暑さ対策に失敗した自身の経験を活かすということ考えてるのかな。あんまりそういうのが見えてこないけど大丈夫なんだろうか?
これは懐かしい映像ですねえ。ボルディン、フルク、モネゲッティ、スペンス、アーメドサラ、ベッティオル、メコネン…。懐かしいメンツです。谷口選手は東京での優勝から翌年のバルセロナ五輪での転倒、「こけちゃいました」の名言につながっていくのですよね。あのころの日本勢は夏マラソンに強かった。
瀬古の失敗が強烈でしたからねえ。北海道マラソンができたのもその後でしたよね。 夏に強かったというより、森下を最後に、そもそも世界と戦える選手がいなくなっちゃったような…。
instablaster.
42:50 25kmの給水ポイント。中山選手がスペシャルドリンクの補給失敗が後々響く。
52:25 日本のエース中山選手、遅れる。
54:38 谷口選手、一回目のスパートを仕掛ける。
58:34 中山選手、止まってしまう。
58:52 中山選手、最後の力を振り絞って、再び走り出す。
1:04:25 中山選手、無念のリタイア。
1:21:33 この辺りで谷口選手、仕掛ける。
1:23:00 谷口選手のスパート。給水をしっかり摂取。
参考になった。
ありがとうございました。😀
当時の世界選手権は4年毎の開催で更に重みが有りましたね。
谷口選手は当時の海部総理大臣から金メダルを受けました。
雑草のごとく を読んで感動しました。
谷口選手には同じ宮崎県民として勝手に親近感を抱いていますが笑笑(*^^*)
今でも谷口選手の母校、小林高校は強いですよ!
金メダルは凄い
メコネンは残念でしたけど雑草のごとくでも凄い選手だと分かりましたねー
お疲れ様です!
とても尊敬してますね
第3回世界選手権 東京大会
当時は4年に一度の開催でした。1991年9月1日(日)午前6時スタート それでも30℃まで気温上昇し多湿も加わった過酷な気象条件。
谷口選手への金メダル授与式は海部総理大臣からでしたね。
泣いたなぁ
やっぱ日の丸はカッケェな
55:24 このドリンクを膝から下にかけて足を冷やすのが勝因だったみたいなのをテレビで見て
小学校の持久走大会でさっそく真似した記憶
朝はよからスタートから現地行ったんだよな、懐かしい(笑)
中山さん一色だったけど、スタート直後に僕は谷口さんに声援送って、金メダル嬉しかったね
沿道の声援は多かったけど、競技場が埋まってなかったのが残念でした。
歴史的な優勝になったのに。
@@tamatamanakaji
あんな早朝にスタートされたら無理です(笑)
自分も見に行きました。最後尾の監察車は第一師団のジープでした。
これだけ感動したレースは先にも後にも無いな。
Qちゃんのシドニーも、谷口選手のこの激走には、かなわない。
この時のメンバーもデンシモは居ないくらいで、普通にオリンピックメンバー(当時マラソン1回の森下、当時無名のホワンヨンジョは除く)
東京五輪のマラソンもこんな風になってくれたら最高だ。
JAPAN AS NO.1は、世界的にスポーツの記録が伸びる。
当時最強のメコネン、中山は酷暑でスピードを発揮できませんでしたね...
Saludos y Abrazos desde la nasion de PANAMÂ.ESTE DEPORTE es el mejor del mundu
今年から夏場の選考レースも考えるべきですね。
このときは、夏の北海道マラソンが選考レースに入っていたんだよね。
ワンウェイコースに変わった北海道マラソンで優勝したのは谷口さんでした。
それ以来、谷口さんのファンです。
懐かしい。
先導の日産プレジデントを電気自動車に改造…1991年にはもう現代に繋がるプロトタイプが出来てたんだな
この番組でだったか、あるいはもっと前に
「欧州では先導車は電気自動車、日本は先進国面してるくせにまだなのかよ」と呆れられたとかいうエピソードが紹介されてたことがありました。
もう30年以上前の話。時代の流れを考えたらとっくに世の中は電気自動車に切り替わってるはずだと思うんですが、遅々としてますなあ。こんな勢いでは到底主流にはならないなって感じもいます。
そいういば4,50年前は、石油はあと50年で枯渇するとかも言われてたような。何年経っても50年後とか言われ続けて、実際に50年経ったら、誰も言わなくなったとさ。
逝ってしまった、芦沢アナウンサーの実況ですね。
箱根駅伝の1号車、辰吉丈一郎の実況も懐かしいです。
マイクタイソンが負けた東京ドームの試合も。
「歴史は変わった!!」
後輩の河村アナが行かれたら、叱ってあげて下さい。早過ぎる、と…
Gran carrera en condiciones extremas . Siempre he admirado a Taniguchi por su perseverancia, capacidad y ser todo un deportista íntegro. Una medalla ganada a sangre y fuego. Saludos desde México país donde se admira y quiere a Japón
Taniguchi también es conocido en México?
Sin embargo, a pesar de la victoria de esta carrera en Japón, parece que la popularidad general y la reputación son un poco bajas.
結果を知ってから観るのも面白いな。あーこの人この地点でこんな所にいるんだーってね。
日の丸を渡してポンと背中を押した宗監督の満面の笑みと、爽やかな笑顔でウイニングランをする谷口さんに涙しました。
それに比べて翌年バルセロナでの森下の扱かわれかたは可哀そうだった。
「ごくろうさん」と言われただけ、もちろん笑顔なんかない。森下は相当ショックだったそうです。
実業団にいるから、この時代はプロを理解してなかったのが残念です良い駅伝ランナーでしたよ!
この頃よりちょっと前、レースに賞金が出るようになった当初、日本は選手に金が渡らなかったんだよね。アマチュアだから賞金貰うなんてことはもってのほかだって。
谷口さんは確実に世界トップクラスのランナーでした。夏場の高温多湿なこのレースで後半のスパートはすごい。
オリンピックを考えたら冬場の選考レースは意味ないですね。
夏に強い(強かった)選手は、やっぱり本当に強くてシーズン問わないですね。昔からすったもんだ繰り返してるけど、マラソンは選考が難しいですね。選考レースだけの一発好成績ってのはほとんどダメですしね。
ガチで伝説で草
この頃から、夏の東京は暑かったんですね。谷口選手は翌年の、バルセロナ五輪で「こけちゃいましたw」が印象的です。こけても8位だったんで、こけなければ優勝だったかもと思うと残念です。
素晴らしい自分もこうなりたいなあ〜
もう男子マラソンは日本人では世界のトップに迫ることは不可能になってしまいました。2時間3分なんて絶対無理!しかし夏の東京でやるなら話は別。気温35度、湿度90%の灼熱地獄で2時間10分の優勝タイムなら金メダルも可能でしょう?2020年に向けて毎日サウナでマラソン練習してください。
限界を決めるのは自分です必ず希望はあります上から目線ですいません
東京五輪の選考はなんだかこねくりまわしたややこしいことにしたようですね。画期的と評価されてるようですが、灼熱拷問マラソン用の選考になってないじゃないか。選考で揉めないように配慮しただけの事で、メダルを取る、取らせるとか二の次だわ。瀬古もヤクニンになっちまったようだ。
赤のたすきに日の丸。これこそ日本陸上のユニフォームだよ。最近のはダメだ。
ほとんどの競技で国旗の色をベースにってのが完全になくなってるのね、最近は。
いいのか悪いのかは人の好みの問題になってくるかもしれんが、ある程度統一感は出してもらいたいなあ。
あの色合いは日本だってすべての競技でわかるようにね。
先頭を走るボルディンとサラ、遅れてモネゲッティ、まるでソウル五輪の幻を見るようだ。
宗茂さんはソウルの結果を見てこう言ったらしい、「ああ、谷口がいたらなあ」。
しかし、2020年、真夏の東京で、本当にマラソンやるのだろうか?
ソウルはまだしもバルセロナでは、谷口と森下でワンツーもありうるってのがダメだった。もう五輪で日本人は勝てないだろうね。2020は7月末から8月の開催ですね。スピード勝負避けるためにも、もうヤケクソで真昼間の炎天下灼熱拷問レースにしちゃえ。コースは熊谷とかでさ。
+tamatamanakaji でも死人が出たら国際的な批判を浴びて日本の関係者は責任の擦り合いをしそう
大丈夫。誰に責任があるかわからなくするのがジャパンクオリティ。賠償金を請求されても、払われるのは税金からだ。
これにワキウリがいたら、ソウル五輪とその前年のローマ世界陸上と同じですよね。ソウル五輪はローマ世界陸上のメダリストと全く同じ顔ぶれです。順位は異なりますが。
@@tamatamanakaji 3年前に懸念していたことが現実になりましたね。
1991年の皇居、丸の内〜芝、増上寺〜第一京浜〜新ハツ山橋あたりのコースは箱根駅伝の往路1区(折り返し復路の最終区)と同じなんですね。興味深いです。
Por suerte ahora aprendieron que esta bueno ver los pies de un corredor :P
メコネンとかポルディンだけでなく、スティーブン・モネゲッティとかアーメド・サラとかマジで懐かしいゎ
ってか、メコネンの吐くシーン、今なら確実に放送事故やん
オリンピックのマラソンは冬にやって欲しいですね
伊藤さんの解説、声、いいなぁ〜。引退して解説を始め、解説のうまさが当時結構言われたりも
してよく解説で出ていたように思うけど、最近じゃあまり見かけない。ご本人が仕事断ってるのかな?
男女共に日本人としては素晴らしい最高の結果になりました。
が、やはり真夏にこの過酷なコース設定は選手に過酷過ぎて無茶苦茶でしたね。。
8月23日から9月1日の開催で気温30度が暑さの中のサバイバルレース、と言われる時代だったのか。
現時点で、世界陸上、日本男子マラソン、唯一の金メダル。
箱根駅伝から思うように強いマラソン選手が出ないのは、巷言われる燃え尽き症候群だけではなく根本的に気候が原因ではないのだろうか。
五輪や世界陸上は夏季開催の一方、箱根駅伝は真冬。最近の箱根では最初の数キロを2分40秒台で入る選手も多いが、夏の大会に通用する戦略とは思えない。
難しいとこだろうね。
若くしてマラソン目指す選手は、1キロ何分で、1万mを何分、そして42キロって考え方&練習するんだろうから(全然違うかもしれんけど)。
夏場の耐久レースで勝負強さを身に着けるなんてことは、少なくとも最初からはやらない、できないでしょうね。
個人的に思うのが、今のアメリカ勢のマラソンは、中距離選手がそこから距離を伸ばしてマラソンを走ってる。
中距離の選手が、中距離のつもりでマラソン走ってるから、そりゃ長距離あがりの日本勢はなかなか敵わない。
日テレの実況素晴らしいなあ。日テレのスポーツ実況は本当にすごかった。箱根駅伝のせいで凋落したね。
91年、この時も相当暑そうですが、折り返し地点での気温が27.2℃。さらに25キロ地点から30℃超え。2020東京はもっと暑くなると予想されていますよね。過酷です…
日本中の全シロウト、いや世界中の人が予想していて、確実にその予想通りになるのに、日本陸連が何か対策しているようには全く見えないんですが、実際はどうなんでしょうか?
選手個々人任せ?みんな対策立ててるんでしょうかね?
代表になることに必死で本番のことは選ばれてから、とかそんな感じなんでしょうか?
たしか前日までは涼しかったんだよね。
で、関東を台風が直撃したあとから、蒸し暑くなった。
(男子50km競歩競技中に台風直撃した)
確か湿度も凄かった記憶があります。
ジャージのバックの、ロゴはソーティJAPANやんけ!
モネゲッティがまだ髪があるw
東京オリンピックも普通のマラソンレースじゃ無くなるだろうな。
今のスピードレースには全く歯が立たない川内が、あれほどの寒冷悪天候マイスターだったのは感動的でしたが、寒さじゃなく暑いほうで強くあって欲しかったですよね。
中山が自分から救護車に乗り込んだ様に見えました。
極暑、極寒レースは、誰が勝つかわからんけんおもしれえ。
この映像は貴重ですね✨
この時代のマラソン選手って みんな一歩一歩(頭が)上下動を繰り返し跳ねるように走っているのに、明らかに谷口 一人だけ上下動なくスゥーっと進んでいるw(゜o゜)w
今は、ピッチ走法、ストライド走法って言わないの?
瀬古の登場で日本人はピッチ走法という用語を覚えたんだ。谷口もそうだね。
瀬古も全く頭が上下しなかった。上半身も動かないって感じ。足だけシャカシャカシャカってやってて速いの。
@@tamatamanakaji 私は 高橋尚子さん と 野口みずきさん の間ぐらいの世代なので 今 そのように言うか言わないかは分からないです。 ただ 私のコメントは単純に上下動があるかないかに着目しての、そして この観点で 目で見てわかる程の違いがあったのか という驚きを共有したいという意図での発言だったので、ピッチ走法⇔ストライド走法 の区別はまったく意識していませんでした。
ちなみに高橋尚子さん(ピッチ走法) や 野口みずきさん(ストライド走法) が活躍していた頃は そのような区別が言われていたことは 記憶にあります。
瀬古の印象が強烈だったけど、ピッチ走法の選手は少ないみたいですね。このレースでも谷口だけのような・・・。
野口はまたとんでもなかったですよねえ。あんなにちっちゃいのにストライドで跳ぶように走ってましたからねえ。
@@tamatamanakaji 本当に彼女はとんでもない選手でしたね✨ もし 彼女のストライド走法を163cmの高橋尚子さんがやったとしたら2時間10分を軽く切るタイムが出るのですから(2時間19分×(150/163))‼️
アラフォーですが、最近はミッドとかフォアとか足の接地の仕方に注目されてる感じで、いやはや時代は変わったなぁって感じです。
モネゲッティーすごい覚えてる
同じ豪州のキャステラのパワフルさと違って、スマートな感じでしたね。
このレースではズルズル落ちていっていなくなりましたが、なんとか11位でフィニッシュしております。
@@tamatamanakaji ソウル五輪の時は序盤で遅れたが、5~10kmのラップは唯一この人が14分台で走って先頭陣に追い付いて、最終的に5位になって中山を脅かした記憶がある。バルセロナ五輪でもその後の戦績も振るわなかったのでフェードアウトかと思ったら、アトランタでも上位入賞、何と2000年の地元シドニー五輪に出てて、ノーマークでTVにも映らず後方で走ってたのだろうが、何とスタジアムに10位で戻って来たのが嬉しかった。その時、ひときわ歓声が大きかったのも覚えてます。
そうそう、モネゲッティはシドニーに出てたってのは当時驚いたな、層が滅茶苦茶薄いんだな、豪州はって(日本男子もひどいもんだったが)。
しかし出てたってことだけで結果まで知らなかった(興味全然なし)が10位ってのは立派やな~。
2020では、この時のレースと同じようになるのでは
「なるのでは?」じゃなくて、そうすべきですよね。
いや、黙っててもそうなる。だからそれ用の選手選考と強化をしなきゃって思いますけど、暑さ(対策)で失敗した瀬古がいても、どうもそういう意識じゃないみたいですねえ、日本陸連。
❤❤❤❤❤❤
この時に もう日産プレジデント電気自動車が走っていたのか!
この時だったっけかなあ?
「日本は今頃初めて先導車を電気自動車にしたの」
って欧州から皮肉言われたって実況してたのは??
それからもう30年も経ってる。それで普及してない(石油から切り替わってない)ってのは、やっぱ自動車を電気でってのは合わないんだわとも言えたりして。
この時代より少し前かもしれんけど、ハイルマンっていうタイツはいてる
イケメンランナーいませんでしたっけ?
来年の東京五輪のマラソンもこれ以上の過酷なレースになって棄権者続出しそう。むしろ日本にはそうなってくれたほうがチャンスかもしれない。海外勢から不満が出るのが目に見えてる。
このレース自体は谷口さんにとって会心のレースだったんじゃないか。序盤は集団の後ろのほうにいって最大のライバルである中山さんを疲弊させ、30km過ぎて上下動で揺さぶりをかけて、そして38km過ぎての急坂を利用しての満を持してのスパート。おそらく事前の想定通りのレースができたのではないか。
あとアナウンサーは今だったら中山が棄権したところと谷口がスパートしたところで絶叫してるやろうな
スパートの前に揺さぶりもかけてるんだよなあ。
これで思い出すのがバルセロナ五輪。森下は競技場勝負と踏んでたのに、坂の上でスパートかけられて予想外なことに驚いて対応できなくて負けたが、谷口はスパートするなら坂の上だと想定してたんだよなあ。絶対あそこが勝負どころだと思ってたと。
来年の東京五輪はそういった駆け引きなんかやってられないような、みんな暑さに対して自己との戦いでいっぱいいっぱいになるのかな?
篠原ってこの時、期待が持てる走りを途中までしてたんだけどな。
ここでもバルセロナ五輪の選考会でも最後に遅れるパターンだったんだよね。
メダルの期待も出たからがっかりだったけど、本人の実力考えたら大健闘なんですよね。
まあ世界選手権や五輪の3位は、この時のスペンスとかバルセロナのフライガングとか全く無名の選手が入ったりするんで、やっぱちょっと残念でしたけど。
補欠ですから。
小指選手が故障して出番が回ってきたはず。
入賞8人のうち、翌年のバルセロナ五輪でも入賞したのは、谷口、フルク、ベッティオルの3人。
これは多いと見るのか少ないのか?
バルセロナのメダリスト3人ともこの大会には不出場だからなあ。
今まで考えたことなかったけど、少ないと言えるんじゃないかな?
@@tamatamanakaji 逆に世界陸上入賞8人のうち篠原と7位のメキシコの選手を除く6人がバルセロナ五輪にも出場しましたからね。
その6人中3人と考えれば微妙かもしれませんね。
1:04:34 生きてる生きてる!
まあそっとしておきましょう。
動画のタイトルどおり谷口は唯一の金メダリストでレジェンドだけど、指導者時代のプライベートな問題で表舞台から消えちゃいました。残念ですね。
なにやらかしたんですか?ヒロミちゃん?
「レジェンド」って題名つけさせてもらいましたが、世間一般では認知度低すぎですよね。
やっぱオリンピックの金じゃないとダメですねえ。
@@tamatamanakaji さん
何をしたかはググればすぐ分かると思いますので私からは差し控えますね。一昨年の延岡ゴールデンゲームズで瀬古、宗兄弟、君原、森下、高岡等、長距離界のレジェンドが勢揃いしましたが、谷口はいませんでした。地元宮崎出身で今も宮崎在住の谷口がいないのはあまりにも不自然でした。
不倫?
ググってもなかなか見つからなかったよ。
日本は寛容なんじゃね?不倫とかには。
当事者間の問題だろってなことで。
最近は大分風向き変わったかもしれんけど。
宗兄弟と森下が一緒にいましたか。
わだかまりってないんですか?
バルセロナで銀を取ったけど、金じゃなかったことが不満だった宗監督(兄か弟どっちか知りませんが)は、「ごくろうさん」と一言言ったきりで森下はショックだったとか。賞賛はおろかねぎらいすらなかったとか。
谷口も、スパート地点は坂の上だと思ってたが(森下は競技場だと読んたが、坂でスパートかけられて負けた)、そんなことは森下と話し合うことはない、同僚だがライバルなんだもん、作戦なんか明かさないよってなこと言ってたのが印象に残ってます。
@@tamatamanakaji さん
そう不倫です。沖電気時代に20歳以上年の離れたマネージャーとです。しかも当時の奥さんと谷口双方が訴訟を起こすという泥沼でした。不倫は犯罪ではないけど、清廉潔白を求められるアマチュアスポーツの世界では致命的ですよ。そのため彼は東京農大の准教授と助監督をクビになりました。その後、宮崎大学に拾ってもらいましたが、私がコメントしたように地元の延岡ゴールデンゲームズにも呼んでもらえないほどで、陸上界の表舞台には立てなくなってしまいました。とても残念です。それから宗兄弟と森下は間に瀬古、喜多、伊藤、児玉、川嶋をはさんで並んでました。今もわだかまりが残っているのかどうかは分かりません。
一夫一婦制をやってる以上、不倫は犯罪に相当しますが、世の中は不倫は横行し、周りもそれを見る目は寛容ですらある。
こりゃ、一夫一婦制ってもんには無理がある、多くの人がそれには納得はしていないってことの証左じゃなかろうか?
少子化対策にしたって、一夫多妻、あるいは多夫多妻にしたほうがいいに決まっている。
1:04:33 瀬古利彦を亡き者にすなw
今ほど(2024年)ほど熱くなかった1991年でも、棄権者続出の過酷なレースに、やはり真夏の東京でマラソンやトライアスロンやるのは自殺行為だな。。。
中山が棄権したのは知りませんでした。
三解脱門、333メートル、昭和33年、33年前、平均333メートル、30年ぶり、あとなんだっけ。。。あ、山門、おっと、3じゃあなかった・・・。
キューバのキューバ笑
完走36人中の30位でゴールしています。翌年のバルセロナ五輪では途中棄権。93年シュツットガルトの世界選手権では東京よりタイムも順位も落としてます(39位)。彼にとってはこの東京の気候はグッドだったのかもしれません。
キューバのキューバって聞こえたが(?_?)🇨🇺
翌年のバルセロナ五輪は残念だった。大いに期待していたのだが。
日本の暑さがもろに出た大会、ゆえに日本人にあまりにも有利なレースであったのかもしれないけど、谷口さんは翌年のオリンピックでも、アクシデントありながら8位入賞を果たしたのだから、やっぱりこの頃の谷口さんは世界トップレベルの実力があったと見ていいと思う。
…2022年の今から思えば、湿度高いとはいえそんなに気温高くないんじゃないか?って思えてしまうのも笑ってしまうがw でも、オリンピックをのぞけば、これだけ暑い時期に開かれるレースっていうのも当時はあまりなかったかも。
地元とはいえ、日本の暑さが日本選手には有利、と当時はほとんど思う人はいなかった。
ロサンゼルスの瀬古の失敗(暑さが真の敗因ではなかったのだが)も尾を引いてたしね。
日本人は苦しむに決まっている。といって、どこの地域の選手なら有利ってこともなかったけどね。まあイメージとしてアフリカ選手はいいと思われてはいただろうが。
ただはっきり言えることは、暑い中で勝つのはフロックじゃできないってことですね。
暑さに負ける実力者はいるが、勝つのはやっぱり強い選手の中から出る、と。
@@tamatamanakaji 確かに、よくよく当時を思い起こしてみれば「日本人だから有利」っていう見方はあくまで「コース」であって「暑さ」の点でそういう事が言われる事はあまりなかったかもしれません。谷口さんの優勝や女子の山下さん有森さんの好成績等にひっぱられ、後付けで「あの東京大会は日本人有利だった」という見方が為されてるのかも、って感じます。
暑さは日本人に有利なんて聞いた記憶は一切ないんだな。
瀬古の失敗(暑さを意識しすぎての調整の失敗が原因だったが)は強烈だったし、そもそも金栗四三のストックホルム以来、「暑さは不利」が日本の「伝統」でしょう。
いまでは二回り年下の嫁さんがいるとは知らなかった
金メダル、、、
気温30度、湿度62%!!殺す気かな?
甲子園??
中山さん普通に止まった…
俺のペース走みたい
その止まった中山に歩み寄ってずっと付き添っていったのは実父です。
ちょっと似てるよね。しかしあの局面でアロハはねえ…。
@@tamatamanakaji Takahashi-san?
はっきり言えば彼の走りには全く可憐さを感じませんね。
金メダルを取ったのはいいですが。その実績は誰もが求めるとおり。
しかし、皆が理想としてい選手とは言い難い。
マラソンって人の走り方を真似るってことやらないんじゃね?
走るだけのことだけど、有名選手はそれぞれ個性的だよね。
過去に、理想の走り方とされて手本になった選手とかいるのかなあ?
瀬古の登場でピッチ走法ってのが一般にも知られるように有名になったけど、瀬古と同じ走り方した有名選手ってのも思いつかんな。
なんていうか、今となってはこの頃は世界の2流3流を相手に日本のトップランナーがたたかっていたんだよね。。。
当時は日本人はマラソンが速いんだとおもってたけど。。。
世界記録保持者のメコネン、五輪メダリストのボルディン、サラーが2流だったら誰が1流でしょうか。
無知にも程がある
今でだって日本のマラソンは非アフリカではトップだ
当時はアフリカが台頭してなかっただけで日本人の実力は世界トップクラスだった
谷口の悪人顔のせいか金でも盛り上がりませんでした。