福島正則|9割が知らない真実?!徳川家康を天下統一に導いた豪傑
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- čas přidán 21. 09. 2023
- 福島正則は幼少期から加藤清正や石田三成と一緒に豊臣秀吉の小姓として活躍した武将です。山崎の戦いや柴田勝家との賤ヶ岳の戦い、織田信雄と共に小田原攻めにも参加し、秀吉から「日本号」を受け継ぐも、酒の席で黒田長政の家臣である母里友信へ譲ることになり、黒田長政へ竹中重治の兜を渡すことで和解。その後、朝鮮出兵では兵站活動を実施。豊臣秀吉没後には、豊臣秀頼を徳川家康や石田三成が支える形となりますが、のちに加藤清正や福島正則といった武断派と、石田三成などの文治派が対立、関ヶ原の戦いへ発展しました。戦後、広島城の雨漏りを無断で修繕したことが武家諸法度違反として咎められ、最終的に江戸幕府の将軍・徳川秀忠の命により減封処分。悲しき運命を遂げた、福島正則の人生を一緒に振り返ってみましょう!
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魅力的な武将でした。実力がありすぎて警戒されたか。加藤家共々、惜しいですね。
お酒のエピソードが好きですwww
脳筋のイメージ
黒田長政は要するに家康に乗り換えたのですが、福島正則は何を考えていたのか分かりませんね。
賢く計算高いのか或いは思慮が浅いだけなのか。
豊臣家に対する忠誠心はあったのか。
何を考えていたのか分かりませんね。
豊臣家滅亡時…後を考えると何か出来なかったのか…。
福島は事前に兵糧を8万石も用意してくれてました。
これに他の大名から摂取した米が2万石。
大阪中の商人から買った米が2万石。
備蓄と合わせると20万石を越え、4年ぐらいは籠城できる状態でした。
家康は片桐と捕虜から聞いた備蓄米の多さに絶句したとか。
増援なき籠城が出来た理由と、兵糧攻めが出来なかった理由は福島の事前準備のお陰です。
(ただし武器は堺から集めるのに片桐と高虎に邪魔されたので不足していて、淀もまた機鬱になってきたので家康の和平案にのりました)
有能なら豊家が滅ぼされるのを看過した男
無能なら家康に騙されただけの男
どっちにしてもいいイメージはない
14:19縦ノリのクラブ
酒を飲まなければ良い人
秀吉は子飼いの大名を育てる必要があったから競争や優遇で出世したと思うのだけど、正直な所そんなに正則に戦功があったとは思えないんだけどなぁ。