The secret of the strength of the successor to the Zero Battle, "Shiden Kai(Kawanishi N1K)"?

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  • čas přidán 2. 07. 2024
  • Many people think of "Zero fighter plane" as the most famous fighter in the Japanese Navy. But in the late Pacific War, Zero fighter was no longer obsolete.
    "Shiden Kai" was expected as a successor to such a Zero fighter . What kind of fighter was it?
    Shiden Kai improved to overcome the drawbacks of Shiden (N1K1-J). Officially, the aircraft after "Shiden 21 type" is called Shiden Kai.
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    #Shiden Kai #Kawanishi N1K
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Komentáře • 1,1K

  • @user-cj6ne6cc7s
    @user-cj6ne6cc7s Před 3 lety +183

    もう7年前になりますが、行きつけの居酒屋で紫電改の元搭乗員のかと偶然居合わせて、びっくりした思い出が有りますよ。緊張のあまり何を話したか覚えておりません!良い思い出です。

    • @user-sm7mp6kr3z
      @user-sm7mp6kr3z Před 2 lety +5

      もしや松山343航空隊の生き残りの方ですか?

    • @miyuki970
      @miyuki970 Před 2 lety +2

      映画良かったですよね!
      ちなみに自分は飛燕と零式乗りに会いました

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 2 lety +3

      私は対潜哨戒機の東海に乗っていたという方とお話しする機会がありました。

    • @miyuki970
      @miyuki970 Před 2 lety +8

      自分は二式大艇設計士、駆逐艦水兵、高射砲中尉、高射砲伍長、機関銃手、戦車のドライバー、船舶工兵、豊橋騎兵26連隊整備兵、近衛兵軍曹、鳥取42?連隊、姫路39連隊、回天訓練兵、飛燕2名、零式、大竹海兵団2名に会えました。戦争の話しが好き過ぎてこの仕事をしていました。今は兵隊の人も少なくなりましたから辞めましたが。お客様に大正から昭和初期生まれを見つけたら無理矢理戦争話しに持ち込んで聞かせて貰ってました。今でもたまに見かけますが下士官以上の人は歳を重ねても雰囲気ありますね。思わず話しかけてしまいます。

    • @user-gr5vl9tl1m
      @user-gr5vl9tl1m Před 2 lety

      誰に会えたとかなんの自慢にもならんのに自慢しあってるジジィ多くて草

  • @mrhakkaten
    @mrhakkaten Před 2 lety +11

    幼い頃紫電改の展示を父と見に行きました
    痛々しさと華々しさが同居している独特の空気感を覚えています

  • @user-en6lu2kx5g
    @user-en6lu2kx5g Před 3 lety +35

    幻の紫電改を見たさに愛媛県愛南町、南レク紫電改展示場へ4度行きました。紫電改の勇姿、装備、激戦を戦った若き搭乗員の写真、遺品等々な現物資料が沢山展示されています。当時を想像し感動で胸が熱くなりました。

  • @user-nx1td2sf9h
    @user-nx1td2sf9h Před 3 lety +35

    ディープな解説有り難う御座います。私も大戦について詳しく学習致しましたが、新たな事柄を学びました。有り難う御座います!

  • @feAt.tAkuyA
    @feAt.tAkuyA Před 3 lety +218

    零戦と紫電と紫電改を操縦した経験がある本田稔さんによると、紫電と紫電改は全く別物といっていいくらい性能差が大きかったらしいね。ずっと劣勢続きだった戦況のなか紫電改の登場でようやく互角に戦える武器を得て自信になったと仰ってたけど、でも紫電改の登場があまりにも遅すぎたと悔やんでた。ただし好きな戦闘機は本人いわく零戦らしい。

    • @akirasatou9782
      @akirasatou9782 Před 3 lety +47

      本田稔氏は広島原爆の時に上空を飛んでいた数少ない目撃者です。原爆の爆風で紫電改が吹き飛ばされそうに成り、ようやく立て直した時に広島の街が消えていたとお話しされていました。

    • @我派秋昭
      @我派秋昭 Před 3 lety +10

      紫電は水上機。海上に離着陸するので、主翼の位置も違う。

    • @20b-rew
      @20b-rew Před 3 lety +37

      @@我派秋昭
      水上機は強風ですね。強風の陸上改装機が紫電で中翼です。

    • @jolteonjolteon5172
      @jolteonjolteon5172 Před 3 lety +5

      とても為になる話ですな。

    • @user-zo4pq9ug6j
      @user-zo4pq9ug6j Před 2 lety +8

      紫電はキャノピーとコクピットの設計が悪すぎて前面の視界がほぼ見えないくらい悪すぎたみたいですね

  • @TV-he8yi
    @TV-he8yi Před 3 lety +52

    紫電改 見に行きました愛媛県に住んでいるのでやっぱり気になりますからね。パイロットの手紙とか見ると涙腺崩壊です。おみやげで海の武蔵、紫電改と書いてあるTシャツを買って帰りました。

    • @cb1300sbsp
      @cb1300sbsp Před 3 lety +2

      俺のアイコンみたいな漢字?

    • @user-uy1sk3vh2e
      @user-uy1sk3vh2e Před 3 lety +2

      愛南町昔の城辺ですね🎵

    • @user-vk7js8ys2d
      @user-vk7js8ys2d Před 3 lety +2

      @@user-uy1sk3vh2e 今は一部の地区が城辺と呼ばれています。

    • @bonusshop
      @bonusshop Před 3 lety +1

      展示場から半島の先に偵察場があって米国の戦闘機の機銃であろう後が生々しく残っています。合掌して帰ってきました。

    • @user-wj6pi8wr6q
      @user-wj6pi8wr6q Před rokem +1

      @@user-uy1sk3vh2e さん
      離れているけど一応南予出身だから懐かしい名前。愛媛を離れて50年以上。

  • @user-zd7ph3cy8m
    @user-zd7ph3cy8m Před 3 lety +37

    日本で唯一の実機がある愛媛県愛南町の「紫電改展示館」へ4ヶ月前に行ってきました。
    目的が紫電改を観たいだけの一心だったので、現地までは伊丹空港から松山へ飛び、翌日貸し車を借りて現地へ参上。
    やはり実物の紫電改はなんとも美しく素晴らしい戦闘機で、海中より引き上げられた現状を尊重してある形跡が見受けられました。英霊に合掌!
    翌日からはせっかくなのでついでに4泊し、松山城の視察及び道後温泉入湯等々を楽しんで帰りました。
    紫電改展示館は利便性の宜しくない場所にはありますが、日本人なら是非一度は行くべきではなかろうかと思います。     (滋賀県在住)

    • @user-kj1jp3lx3e
      @user-kj1jp3lx3e Před rokem +6

      ありがとう御座います。亡き父が畑から不時着水見ていました。話しでは完璧な着水で、予科練のカッターがすぐ救助に向かいましたが、搭乗員は機体とともに沈んだそうです。さすがに腕前はすごかったんでしょうね。

  • @user-qq2ij4ue4c
    @user-qq2ij4ue4c Před 3 lety +195

    往年の育毛剤『紫電改』。名前の由来は「最後の戦い」「最後の希望」だからだとか…。
    涙なしには聞けないエピソードです。

    • @user-xv4nt2tf7x
      @user-xv4nt2tf7x Před 3 lety +15

      そういえばずいぶん昔に薬用「紫電改」ってあった❗今はもうないかな。やはり、あの育毛剤はこの紫電改からきてたのか!そもそも紫電改なんて言葉も名前はこの戦闘機以外はないしね。

    • @user-eg1ii3fd6m
      @user-eg1ii3fd6m Před 3 lety +42

      『紫電改』、最後の戦いに敗れたり!
      禿げしく絶望せしむ!!

    • @JJHARENCHI
      @JJHARENCHI Před 3 lety +10

      天草屋
      ⬆️
      コノコメ欄に於いてだが1番寒く且つ笑えた💬コメント💬をドウモ有難う、、、[笑]www

    • @done-s
      @done-s Před 3 lety +12

      かといって、
      雷光、電光、極光とかいう命名だと、
      ピカピカ、ツルツルのイメージで、
      『間に合わなかった』って意味になるし、、

    • @minejuli5902
      @minejuli5902 Před 3 lety +7

      「最後の守り」という意味だと思います。

  • @candy8780
    @candy8780 Před 3 lety +8

    素晴らしい動画をありがとうございます♪ これからも応援します📣

  • @user-kj1jp3lx3e
    @user-kj1jp3lx3e Před rokem +91

    私の父は、畑から紫電改が湾に不時着水を、見ていました。皆さん愛南町に見に来てください。日本を守ってくれた先人に手を、合わせ冥福お祈りしてください。

    • @NN-dy2mc
      @NN-dy2mc Před rokem +9

      私が高校生のころ、100歳で亡くなったひいおじいさんは体が弱くて徴兵検査に落ちて戦争にいかなかった(ひいおじいさんは行けなかったと表現していた)のですが、親友が徴兵で戦争に行って亡くなりました。
      その話を聞いていたので毎年靖国神社に参拝して、遊就館の戦争で亡くなられた方達の写真や遺品を目に焼き付けるようにしています。
      もちろん戦争ですし負けた戦争なのでたくさんの失敗や過ちはあったと思いますが、それでも平和に戦争もなく生活できているのは過去の先人達が戦ってくださったからですからね。

    • @user-kp2zk2pf5d
      @user-kp2zk2pf5d Před rokem +5

      3年前に愛南町へ行って来ました。四国一周の途中偶然知り、寄り道した程度のものですが、まさか の感動で、心臓が震えました。

    • @user-eg6ff3pn8f
      @user-eg6ff3pn8f Před rokem +4

      お祈りしますじゃないのか?お祈りしてくださいは違うだろ

    • @user-kj1jp3lx3e
      @user-kj1jp3lx3e Před rokem +3

      @@user-eg6ff3pn8f さん。もちろんお祈りしますですが、今戦争支持者が多くなり、日本や世界平和祈って戦った人達の、冥福をも祈って欲しいんです。上から目線で、失礼しました。

    • @abysstia5278
      @abysstia5278 Před rokem +3

      実は私のおばあちゃんも紫電改が海に落ちるのを見たと言っていました!おそらく同じ時間帯に同時に見たのでしょう

  • @user-gw2xg5jq2m
    @user-gw2xg5jq2m Před 3 lety +4

    感動した!

  • @60paleo57
    @60paleo57 Před rokem

    名前だけ記憶にありました..搭乗員の写真の笑顔が戦時とアンバランスで少しだけ気持ちを楽にして見ることができました。
    ありがとうございます。

  • @user-cg9tb7ci5q
    @user-cg9tb7ci5q Před 3 lety +29

    懐かしい、松山の343航空隊の活躍を描いた映画「太平洋の翼」(主演 加山雄三)を
    見た記憶が蘇りました!

  • @krider9882
    @krider9882 Před rokem +3

    去年西日本をバイクで回った時に行きました、今まで零戦、隼、一式陸攻しか見たことなかったのですが紫電改の大きさに驚きました、紫電改を見た瞬間初めて震えるような衝撃を受けたので今年もまた行ってみたいと思います。

  • @windsnow7226
    @windsnow7226 Před 3 lety +70

    ちばつや作「紫電改のタカ」当時の子供達は主人公にとても感情移入していて零戦より好きだった。ちなみに辻なおき作「0戦はやと」ってのもあったけどね。

    • @user-zs5nd9rp1s
      @user-zs5nd9rp1s Před 3 lety +7

      零戦レッドと言うのもありましたよ‼️

    • @windsnow7226
      @windsnow7226 Před 3 lety +4

      @@user-zs5nd9rp1s あったねー

    • @windsnow7226
      @windsnow7226 Před 2 lety +1

      @@user-hp6eg4ws2o あったねー

    • @user-cy8qs4og8u
      @user-cy8qs4og8u Před rokem +5

      やられキャラで一回だけ雷電も登場してました。冒頭の台湾の基地では一式陸攻や彩雲も登場していて1964年当時の作品としてはよく調べていたと思います。ちばてつやさんは「失敗作だ」と言ってましたが、ご自宅には滝の肖像画が飾られていましたね。父もこの漫画が大好きで紫電改のプラモデルよく作っていました。

    • @windsnow7226
      @windsnow7226 Před rokem +1

      @@user-cy8qs4og8u お父さんと同じ世代かも

  • @user-sh5sf6kj2v
    @user-sh5sf6kj2v Před 3 lety +15

    愛媛県愛南町に墜落した紫電改を目撃した老人が言っていました。当時、空中でアメリカの戦闘機と戦って敗れた紫電改が海にの墜落したので近くにいた軍人さんに紫電改が墜落したから早く助けに行って!と言ったらその軍人が当時、少年だった方に紫電改が負けるわけないだろ!と叱られ殴られたと言ってました。結局軍人が怖くて助けに行けなかった。今思えば何故、自分は泳いででも助けに行かなかったのだろうと悔やんでました。

    • @user-wj6pi8wr6q
      @user-wj6pi8wr6q Před rokem +3

      当時の軍人の悪い部分が満載のエピソードですね。

  • @hiro-iv6zk
    @hiro-iv6zk Před 3 lety +7

    大好きな機体です。近所の鶉野飛行場跡に紫電改1/1レプリカがあります。何度も見学に行きました。
    最近は復元された操縦席に座ることも出来るようです。

  • @manndorinn009
    @manndorinn009 Před 3 lety +15

    頑張って下さい 応援します   良い動画をありがとうございます

  • @sachi0922
    @sachi0922 Před rokem

    動画、ありがとうございます。

  • @naoten4640
    @naoten4640 Před 3 lety +87

    紫電改といえば撃墜王、菅野直大尉に敬礼。

    • @user-py8jv1zg3w
      @user-py8jv1zg3w Před 2 lety +8

      鴛渕大尉も忘れずに、

    • @junnisitani
      @junnisitani Před rokem +6

      @@user-py8jv1zg3w
      梶二飛曹と杉田庄一上飛曹も

    • @user-cy8qs4og8u
      @user-cy8qs4og8u Před rokem +1

      あと半月生き延びれば終戦だったのにね。享年23歳。生きていれば陸軍の小林照彦少佐のように創成期の航空自衛隊に尽力されたと思う。「紫電改のタカ」では「菅野大尉は戦死されたよ」の一言で済まされ戦死した時の状況は描写されなかったけど、撃墜された瞬間を見ていた目撃者は当時いなかったんだからしょうがない。アメリカ側の空戦記録では指揮官機を撃墜したと記録が残っているそうな。

    • @user-fx3zv3gi5y
      @user-fx3zv3gi5y Před 3 měsíci +2

      武藤金義上飛曹 最後の乗機ですね😞

  • @user-nd4qu4qf8d
    @user-nd4qu4qf8d Před 3 lety +13

    愛南町の紫電改展示会で初めて実物観ました!

  • @maejimasauto-bikeelectoric3289

    おつかれさまでした
    なるほどなー
    この機種もゲーム等で出てくるよなー

  • @yukke2999
    @yukke2999 Před 20 dny +2

    日本軍最良の戦闘機は疾風でしょう

  • @user-cf2bd5ph2s
    @user-cf2bd5ph2s Před 3 lety +16

    航空機にはあまり詳しくありませんが、ゆっくりとした語りでたいへん分かりやすいです。

  • @user-zi8il4uz3l
    @user-zi8il4uz3l Před 3 lety +31

    分かりやすい
    紫電改って海軍機だったの知らなかった勉強になります!

    • @user-uu7fn3kf1j
      @user-uu7fn3kf1j Před 3 lety +7

      愛媛県にある紫電改は搭乗員は武藤金義少尉らしいです。座席の位置やきれいに着水してるところからベテラン搭乗員で背丈が小柄な搭乗員から推測だと武藤金義少尉じゃないかと思われるらしいです

    • @user-bn2iz6qh8d
      @user-bn2iz6qh8d Před 2 lety

      毛生え薬だよ!🤣🤣😂😂

    • @user-kj1jp3lx3e
      @user-kj1jp3lx3e Před rokem

      展示しているので、ぜひ愛南町に来て見てください。亡き父は最初山陰から出た機体を、見てずんぐりした機体で米軍機だと、思っていたら主翼の日の丸見てビックリしたそうですよ。

  • @user-ui1lw5zr8u
    @user-ui1lw5zr8u Před 3 lety +78

    自動空戦フラップは経験の浅いパイロットの技量を補佐する優れた機構ですね。

    • @yuusama5203
      @yuusama5203 Před 3 lety +13

      実際はGに応じてフラップを作動させる電気の導通に使う水銀が酸化していたりして、作動が良好な訳ではなかった様です。

    • @user-ui1lw5zr8u
      @user-ui1lw5zr8u Před 3 lety +10

      @@yuusama5203 そうだったんですか。戦時中、特に後半から終戦にかけて、日本の軍事技術の発想はユニークで優れたものも少なく無かったですが、そういう材質や精度の面で残念な結果になった事が多かった様ですね。誉やアツタもそうでしょう。

    • @r.nakagawa7931
      @r.nakagawa7931 Před 2 lety +14

      日本も航空工学や機械工学についてはかなりのレベルだったと思いますが、
      如何せん資源が無さすぎました…

    • @user-mn6vx1gl2r
      @user-mn6vx1gl2r Před 2 lety +11

      @@yuusama5203 その証言の話に水銀は常温や多湿では酸化は起きないので証言が本当の事か疑わしいって聞いたことある(間違ってたらごめんなさい)

    • @user-wj6pi8wr6q
      @user-wj6pi8wr6q Před rokem +1

      @田中一郎 さん
      密封性が不十分で揮発か漏れたり? 昭和40年代の自動車ウインカー用に水銀が使われていました。

  • @user-yc1ly7hh1v
    @user-yc1ly7hh1v Před 3 lety

    thanks for english subtitles

  • @kenken21757
    @kenken21757 Před rokem

    先週愛南町に行ってきました。防弾タンクや自動消火装置、各ボルトナットのワイヤリングによる緩み止め等など、実物を見て初めて分かるような機構ばかりで大戦初期に活躍したゼロ戦とは違い随分と進化していたので驚きました。エンジンはアメリカのプラットニーホイットニーのコピーから始まってここまで進化していった事もよくわかります。

  • @user-jq2kx3es4p
    @user-jq2kx3es4p Před 2 lety +3

    子供の頃に愛南町に展示されている紫電改を引き上げるテレビ番組をくいるように見ていました。
    21機の紫電改で500機のグラマンに戦いを挑んだ未帰還機の1機だと。いつか現存紫電改を見てみたい。

  • @user-qz1oc5sh2h
    @user-qz1oc5sh2h Před 3 lety +20

    紫電改が活躍出来たのはやはり技量の高いパイロットのお陰だとか。零戦に比べると馬力も重量も倍も有った機体を乗りこなすのは難しかったそうです。ベテランはなんとか乗りこなして居たそうですが、若手は苦労していたそうです。自動空戦フラップはちゃんと働けば性能は良かったそうですが、スイッチを入れるタイミングが難しかったそうです。それと、エンジンの振動にも悩ませられていたとか。その中でも鴛渕大尉の機体は振動もほとんど無く馬力も出ていた為大尉は非常に気に入ってたそうですが、スクランブルの時、若手パイロットがその機体で飛び上がり着陸の時に大破させて使えなくなったそうです。鴛渕大尉は若手パイロットに怒る事は無かったけど、数日間かなり不機嫌だったそうです。零戦で有名な坂井さんは紫電改の審査やテストをしていた事もあり、取り扱い注意書のようなものを作りパイロットに配布していたそうです。そのお陰で戦闘701は他の隊と比べて壊す頻度が低かったそうですね。終戦時、アメリカが紫電改の性能を調べる為に追浜まで飛ばせと言われた時に、プラグもオイルも燃料も無いと言ったら、アメリカの物をくれたので、紫電改は機銃を降ろし丸腰、お目付役のグラマンはフル武装で飛んだのですが、紫電改がどんなにゆっくり飛んでもグラマンはついて行くのがやっとだったとか。当時の日本に誉発動機の性能をフルに発揮出来るプラグ、オイル、燃料が有ればもっと活躍出来たのでは?と思います。因みに、スミソニアン博物館の紫電改はレストアチームがやり過ぎて、ほとんど飛べる位までやったらしくて、館長がやり過ぎだとボヤいたとか(笑)けど、絶対に飛ばさないそうです。

  • @user-bx4wz3do9p
    @user-bx4wz3do9p Před 2 lety +3

    愛南町の前、御荘町だった頃に数回行きました。 もう25年前位かな、ロープウェイもまだあった頃 紫電改のプラモデルを買って帰りました。

  • @user-cn5mh7pt4w
    @user-cn5mh7pt4w Před rokem +6

    昔、会社に入社したばかりの若かりし頃、三鷹市にある富士重工(株)(スバル)に出張したときに
    ロビーにカラスショーケースに入った星形エンジンを見ました。栄-発動機と掲示してあり、先輩が
    これがかの有名な「ゼロ戦」のエンジンだと聞かされました。三菱の設計でありながら、エンジンは中島製の
    栄1000馬力を採用。堀越二郎技師が、次に手掛けた、時期迎撃戦闘機「雷電」の開発にてこずった事は、本当に残念です。
    紫電改の登場が、余りにも遅く、海軍省はプライドが高く、陸軍との協力性に欠けていた感があります。
    陸軍では、中島を主体とし、1式、2式、3式、4式、5式戦と順調に開発がされました。

    • @machboy9222
      @machboy9222 Před rokem

      海軍が頭でっかちで高慢ちきなため陸海共同が遅れたというのはおおむね同意ですが、陸軍も笑えないほどお粗末で愚かな組織だったのも確かに思います。
      あと1式、2式、3式戦闘機はセットで開発されていましたし、4式は左記機体の実戦データを踏まえて1式と2式の折衷案としてこしらえたものなので実質1式~4式はほぼ同時開発です。そして5式は3式のエンジン積み替えただけのものを便宜上5式と「呼ぶことがある」だけなので新開発されたわけではありません。あしからず。

  • @user-zw9hp4ih6t
    @user-zw9hp4ih6t Před 3 lety +33

    紫電改の鷹!
    懐かしい!

    • @junktk_2216
      @junktk_2216 Před 3 lety +2

      63ですが、私もとても懐かしい。
      といっても、辛うじて覚えてるのは、
      ちばてつやの漫画、少年マガジンだったですかね~。
      最終回は、壮絶な感じだった・・・のかな?
      あれ、忘れてしまってるよ。

    • @user-qv3ux6fg2n
      @user-qv3ux6fg2n Před 3 lety +1

      @@junktk_2216 さん 最後は特攻隊員として飛び立って行きました、基地にお母さんと許嫁が面会に来るのと入れ違いに…😢

    • @a19587420
      @a19587420 Před 3 lety +1

      @@junktk_2216 62歳ですが当時人気りましたよね。

  • @user-ww9ks7jf4w
    @user-ww9ks7jf4w Před 3 lety +4

    紫電改の実機がある地元にすんでいますが、やっぱり実機を見ると感動します。

    • @jj-ko1eu
      @jj-ko1eu Před 3 lety

      戦闘機を見て、感動するのは危ない。

  • @user-rz3tp5kb5z
    @user-rz3tp5kb5z Před 3 lety +14

    1963年公開の東宝映画
    太平洋の翼がありました
    それと少年マガジンに
    連載された紫電改のタカ
    に登場しました!

  • @SILVIA-yb4cu
    @SILVIA-yb4cu Před 3 lety +25

    子供の頃に読んだちばてつやさんの「紫電改のタカ」が好きでした。今でも時々思い出します。飛行機については全くの素人でこの動画で多くの事を教えていただきました。
    でも思い出すのは信ちゃんとの悲しい場面がおおいですね。動画ありがとうございました。

    • @yuki-zb3sb
      @yuki-zb3sb Před rokem

      紺野、米田、久保……(´・ω・`)

  • @bihorodoor
    @bihorodoor Před 2 lety +12

    搭乗員の間には無線が使えるようになったのが一番大きかったと言っています。零戦はアースが付いていなく雑音が多い為に機体から取り外し編隊空戦も形だけでしたが紫電改はフォーメーションで敵に対抗していました。

    • @whitepandajp
      @whitepandajp Před rokem +1

      零戦の中波無線電話は隊内通信用で、これは使い物になりませんでした。短波無線電信は機能したが、モールスの暗記受信の訓練を受けた課程とそうでない課程とで、零戦の無線の評価が分かれます。紫電改の無線電話は改善されたが、当時の無線機は複数の周波数(チャンネル)の使い分けは出来なかったので、分隊長(大尉;陸軍なら中隊長)クラスが簡単な号令を送信し、分隊士はそれを聴いて従うのが基本です。

  • @s.a4789
    @s.a4789 Před 2 lety +4

    ちばてつや先生の紫電改の鷹読んで泣いたの思い出した最後は主人公は教師になる夢を捨て特攻に、それを知らされない恋人と母が慰問に向かう所で終わる。

  • @redanntube
    @redanntube Před 3 lety +15

    旧日本の最も惰弱たる点の一つが、発動機(エンジン)の開発に大きく遅れを取っていた事が挙げられる。
    工業技術の分野では、同じ部品を生産するのにこの製造誤差は何十万分の一の範囲に抑えなければならないが、当時の日本はこの工業技術力の点で大きく劣っていた。
    手作業で同じ物を沢山、寸分の誤差無く作る事が如何に難しい事か容易に想像がつくだろう。
    当時の日本は航空分野での設計力は決して遅れを取っていた訳ではない。各航空機メーカーの名物技師達がそれぞれ凌ぎを削っていた位だ。
    でもその国の工業技術力は技師一人で何とか出来る物じゃない。
    大戦時に於ける日本の航空機の評価が分かれてしまうのもこの点にあると言っても過言じゃない。
    紫電も紫電改もその一つだ。烈風に至っては満足に飛行テストすら完遂出来ていない。
    現場では常に稼動能力と継戦能力が求められるが、当時の日本は何も不足していた。
    日本が空冷エンジン開発に踏み切れ無いのも頷ける。
    戦後日本は工業技術立国として生まれ変わったけれども、今又、この地位が揺らぎ始めている。今の日本ではエンジニアリングが軽視されているのだ。コンサルタント業務という高給取りの詐欺士ブームと単価の安い中国製に流れた為だ。
    こう話すと信じない奴が大半だが、現場では問題が顕在化していた。
    日本の戦闘機開発は日本のエンジニアリングの裏返しの歴史である事も言及すべきだね。

    • @freeway104
      @freeway104 Před 3 lety +4

      ただ、当時の軍人独裁国家の日本では、すべての方針を「軍」が決めたからなあ。その「軍」は、強い戦闘機を求めたが、強力なエンジンを求めなかった。そういうことだな。まあ、体育会系に政治を任すと、物事の根本的な道理にまでアタマが回らない。上っ面の華やかさだけに目が行ってしまう。

  • @user-fn5sh8kb3u
    @user-fn5sh8kb3u Před 3 lety +16

    今年の夏、愛南の紫電改展示館に行って引き上げられた実機を見てきました。
    意外と大きかったです。

    • @user-os4pm5tl2f
      @user-os4pm5tl2f Před 3 lety +2

      兵庫県の加西市にある紫電改の実物大模型もなかなか立派ですよ

    • @ytomo0506
      @ytomo0506 Před 3 lety

      コロナで皆自粛しとるのに旅行に行くとか!!
      不謹慎やし、コロナ広める気満々やな

    • @user-fk3qw2eq7i
      @user-fk3qw2eq7i Před 3 lety +4

      @@ytomo0506
      その名前で言うか

  • @NIKUNOBOU
    @NIKUNOBOU Před 3 lety +45

    戦闘機隊には珍しく、彩雲が配備されていたようです。
    剣部隊はエースの集まった隊だからこそあり得たことだと思います。

    • @user-sn9gk8ym9k
      @user-sn9gk8ym9k Před rokem +2

      美濃部中佐でしたっけ?

    • @NIKUNOBOU
      @NIKUNOBOU Před rokem

      剣部隊隊長 菅野直中佐 です
      美濃部中佐とは芙蓉部隊 美濃部正少佐 でしょうか?

    • @user-sd5py5go2z
      @user-sd5py5go2z Před rokem +3

      剣部隊司令は源田実大佐。
      部隊は戦闘機隊が3つ。
      新撰組・維新隊・天誅組だったかな
      その隊長が菅野・鴛渕・林の三人の大尉。あと、彩雲の偵察隊があったはず。
      資料を見ずに記憶で申し上げたので、彩雲隊の名前とか度忘れしてますスミマセン

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h Před rokem +1

      坂井三郎曰く
      343空も所詮ヘタクソ集団。
      俺が何度教えても事故ってばっかりだったw

    • @KI-yk2nv
      @KI-yk2nv Před rokem

      ベテランを中核とした精鋭整備班の活躍もお忘れなく。

  • @user-rk3fp9lq7y
    @user-rk3fp9lq7y Před 3 lety +3

    ついこの間、鶉野飛行場跡にレプリカ見に行ってきました!良かったですよ!色味が明る過ぎていかにもレプリカってかんじでしたが… 近くで見ると迫力あります

  • @user-kp4mx9uw8j
    @user-kp4mx9uw8j Před 2 lety +4

    紫電界は聞いた事が有り現物も知らずに好き飛行機だった今話を聞いて戦争用ではなく乗りたい機体ですね此のコメントは戦争にたずさわった人達には大変な
    時代において国を守り散っていった人達に敬意を送ります

  • @user-oj5ty4si6j
    @user-oj5ty4si6j Před 3 lety +6

    紫電改のタカの黒の紫電改がカッコいい

  • @tosizohijikata4145
    @tosizohijikata4145 Před 3 lety +16

    最強! 紫電改

    • @user-nh8wt2ur4i
      @user-nh8wt2ur4i Před 3 lety +4

      今はリアップにその座を奪われました

  • @takahiro5408
    @takahiro5408 Před 3 lety +6

    いろいろ言われているようだけど、元々海軍は「雷電」に注力・期待しており「紫電(改)」は"雷電が上手くいかなかったときのための控え"程度でしかなかったとか。

    • @user-nh8wt2ur4i
      @user-nh8wt2ur4i Před 3 lety +3

      東電や関電も控えにどーぞ

    • @takahiro5408
      @takahiro5408 Před 3 lety

      @@user-nh8wt2ur4i さん笑っちゃった(Q )) >

    • @jx6004
      @jx6004 Před 2 měsíci

      終いには三菱も雷電やめて紫電改作れと言われる。

  • @user-pk8td5es1s
    @user-pk8td5es1s Před 3 lety +1

    紫電改、何故か姿がF35とだぶって見える
    同じエンジンを積んだ陸軍4式戦疾風にもフォーカスして欲しい

  • @mrrazyc
    @mrrazyc Před 2 lety +2

    紫電改とF6F、F4Uのエンジンを双方2000馬力としてしまうと誤解の元になります。
    離昇出力では2000HPと2000Bhpで同等ですが、(細かく言えば0.5%程度HPは低出力となるはず)
    大きな違いはターボ過給の有無で、F6Fは最大出力2,135Bhpを3800mまで維持できますが、
    誉21型の公称出力は、
     一速全開 1,860 HP / 3,000 rpm / +350 mmHgブースト (高度1,750 m)
     二速全開 1,620 HP / 3,000 rpm / +350 mmHgブースト (高度6,100 m)
    となり、実用域では1クラス以上違うエンジンだと思います。
    一方で米軍の戦闘機は強度要求の大きい艦上戦闘機というハンデも存在しますが。
    誉の過給機はエンジンの軸出力から2段変速のギヤで過給しているので、高度に従った気圧の低下に2段階しか対応できません。
    一速全開の高度1,750 mを超えると2速となりがっくり過給機への回転数は落ち、過給圧、出力は落ちます。
    ターボチャージャーでは排気圧で駆動し大気を圧縮するので、気圧が下がれば駆動、圧縮の双方共効率は上がります。
    これが広い範囲で高出力を維持できる理由です。
    これ以上の高度ではターボの軸受けの回転数制限の影響があるのかも知れません。

  • @takaakionishi1735
    @takaakionishi1735 Před 3 lety +3

    愛媛県の愛南町に、御荘湾から引き揚げられた個体が展示されてます。

  • @tamama2200
    @tamama2200 Před 3 lety +8

    子供の頃ずっと「紫電改」という古の言葉が名前の由来だと思っていて紫電の改良型という意味だと知ったのはつい最近だったw

  • @zutti01
    @zutti01 Před 2 lety

    かっこいい

  • @NSY319
    @NSY319 Před 3 lety +2

    8:15 源田大佐の横で志賀飛行長(当時は少佐?)が腕を組んで笑っているけど、当時の海軍は結構フランクな組織だったのかな。

    • @user-dg2zi1wo4b
      @user-dg2zi1wo4b Před 3 lety

      現場サイドでは、陸軍との交流もあったみたいですけどね。

  • @user-qb2zl5hk5e
    @user-qb2zl5hk5e Před 3 lety +20

    紫電や紫電改は、水上戦闘機「強風」から発達したというのが興味深く関心ひかれる点です。

    • @user-mz8fg1st3p
      @user-mz8fg1st3p Před 11 měsíci

      水から陸に上がった機体ですね。川西はあまり戦争を考えていないのか、いるのかわからない感じで、紫電改の水上機化も提案していたらしいです。勿論、ボツになったそうですが。

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y Před 5 měsíci

      @@user-mz8fg1st3p 副社長のコネで商売できたから

    • @jx6004
      @jx6004 Před 2 měsíci

      @@user-mz8fg1st3p そもそも水上機の出番がなくなって川西としては商売あがったりだったから不慣れな陸上機化に挑戦したのに、紫電改の水上機化なんて馬鹿げています。とても信じられません。

  • @foodplanning
    @foodplanning Před rokem +6

    コメント数からもこの飛行機の伝説的な人気がわかりますね。紫電改と343空の実相については、大部ですが「源田の剣」高木晃次、ヘンリー境田 共著がとても参考になりますよ。ともあれ大戦末期に米軍に対して一矢を報いたというストーリーが戦中、戦後も我々に勇気と希望を与えてくれた事実は残りました。祖国を守った勇気あるパイロット達に感謝。

  • @JEDAYOB
    @JEDAYOB Před 3 lety +2

    TV特別番組で武藤金義さんの役を、勝地涼さんが演じていましたね・・、とても勉強になった番組でした。

  • @wbyas5597
    @wbyas5597 Před 3 lety

    紫電改のタカ、最終回最終ページ。
    あまりにも哀しい、つらいラストでした。
    でもだからこそ、今も読み継がれていますね。

  • @user-qj9hr6yj1y
    @user-qj9hr6yj1y Před 3 lety +7

    強い兵器って何故か格好も良いですよね

    • @secondgoto6739
      @secondgoto6739 Před 3 lety +1

      その理屈だと性能が紫電よりも良いF6Fもカッコ良いのでしょう

  • @user-pv9cx3ro8e
    @user-pv9cx3ro8e Před 3 lety +28

    海軍最後の正式戦闘機

  • @asyuray8598
    @asyuray8598 Před rokem

    グラマン、ヘルキャット、
    凄い‼️

  • @user-vp3jr2wo4t
    @user-vp3jr2wo4t Před 2 lety

    私も、昔ゼロ戦の搭乗員と会い、空中戦の戦い方を、聞かされました、偶然ですね、それから、ゼロ戦を何度か作りました、又紫電改も源田大佐が率いる、航空隊だと聞きました、嘘なら、ごめんなさい、とてもすばらしい、動画ですね。

  • @user-yp6sx8uh3k
    @user-yp6sx8uh3k Před 3 lety +9

    私も知っていましが、 B 29に 対応するために

  • @user-pc5hq6nx4k
    @user-pc5hq6nx4k Před 3 lety +16

    紫電改の鷹のマンガが好きだった。

    • @kazukazujcc2902
      @kazukazujcc2902 Před 3 lety

      ちばてつやさんの作品ですね。最後、特攻に向けて出かけた時、涙が出ました。終戦後は、主人公は学校の先生を目指していたようです。
      恐らく帰ってこれなかったでしょう。

  • @kato246
    @kato246 Před 3 lety

    紫電改といえば・カイ・シデン小学のころ・タミヤのぷらもで改造して作りました。懐かしい~

  • @user-shinsyu_alps1961
    @user-shinsyu_alps1961 Před 3 lety

    紫電/紫電改の設計に携わった方の授業を大学4年の時に受けてました。当時の話は全くありませんでした。自分の親は出兵していませんでしたので、戦争をより身近なものに当時は感じました。(ちなみに、大学は私大で、講義は流体力学についてでした)

    • @user-zw2fc4ey6p
      @user-zw2fc4ey6p Před 2 lety

      どちらの大学でしたか?
      小生は、引退間際の川崎の土井技師に材料力学を、三菱の小沢技師(4式重爆設計)に航空工学を習いました。名城大学でした。

  • @priceostia6292
    @priceostia6292 Před 3 lety +18

    ソフトで声を篭らせて昭和初期放送っぽくするとこのコンテンツは面白くなりそうな気がしました

  • @user-dg4rv4ui9d
    @user-dg4rv4ui9d Před 3 lety +18

    末期の我が軍の戦闘機の名機は、ほとんど改なんだよな。紫電自体言ってみると強風改だし、陸軍の五式戦も飛燕改

    • @user-nh8wt2ur4i
      @user-nh8wt2ur4i Před 3 lety +4

      改善は日本の得意技だぜ!

    • @user-mn6vx1gl2r
      @user-mn6vx1gl2r Před 2 lety

      強風とパーツを共有して一緒に生産出来るようにするって話で設計した別機体らしいコックピット部分以外ほぼ別物になったけど

  • @user-hc3jb1nh6t
    @user-hc3jb1nh6t Před 2 lety +2

    幻の名機、愛媛県愛南町にあるのですか、ぜひ行ってみたくなりました

  • @user-vm8gs8py6k
    @user-vm8gs8py6k Před 2 lety +1

    紫電改には魅了されます。このような本当のことを知りたいですね

  • @user-ds2gz6um1d
    @user-ds2gz6um1d Před 3 lety +6

    東京湾で、空母「信濃」において紫電改による発着試験が行われたそうですが・・・

    • @user-gx6xh2fn3y
      @user-gx6xh2fn3y Před 2 lety

      信濃の乗組員予定だった人達が、やってきた紫電改が信濃に配備されると喜んだそうです。残念ながら紫電改が来た目的はそうでは無く、帰ってしまった様ですね。

    • @user-ds2gz6um1d
      @user-ds2gz6um1d Před 2 lety +1

      @@user-gx6xh2fn3y お返事ありがとうございます。そうですね。紫電改は空母艦載機にしては航続距離が短いです。零戦の後継機である烈風が開発の遅れで
      ピンチヒッター的に紫電改を艦載機にしようとしたのですが。坂井三郎氏も航続距離が短いからダメだを言われている通り紫電改艦載機は諦めたようですね。

  • @miyamiya2237
    @miyamiya2237 Před 3 lety +29

    源田実がかかわると戦果は誇大になる。松山上空での戦いも大戦果として知られるが、双方の損害を突き合わせると互角の戦いであった。

    • @akibanokitune
      @akibanokitune Před 3 lety +12

      戦地から零戦に防弾装備の充実をという要望に対してアメリカ人の様な個人主義は装備に頼るが我々に日本人には大和魂がある!火力や航続力を犠牲にしてまで改造する必要などない!と言ったのはこいつなんだよな

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +17

      @@akibanokitune
      戦地からの防弾に関する要望をすんなりと受け入れ、一式戦闘機の段階で防弾板を取り付けられるようにしたのが陸軍。
      太平洋戦争初期からいた陸軍戦闘機パイロットたちの命を守った功績は大きい。

    • @koujitanaka8348
      @koujitanaka8348 Před 3 lety +7

      源田氏ですか。志賀氏とは対照的な人物です。
      顔に冷酷で卑怯な人間性が出ています。
      のうのうと生き残って 自衛隊幕僚、参議院議員、 大嫌いな人物です。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p Před 2 lety +2

      負けてる軍隊は必ず戦果を盛る。少しでも景気のいい話が欲しいからな。

    • @nineball9236
      @nineball9236 Před 2 lety

      というか防弾板つけても意味は無いと思う。別に銃弾を防げる訳では無いし。だが燃料タンクにゴムを使った米国はずるいなと思う。

  • @zadkmb
    @zadkmb Před 3 lety +2

    紫電改の振動は毛根に刺激を与え、髪が濃くなるらしいぞ。

  • @kimitoitou1059
    @kimitoitou1059 Před 5 měsíci

    祖先の方々努力と知恵に敬服します。
    涙が止まりません。

  • @KK-bk1cz
    @KK-bk1cz Před 2 lety +10

    登場があと1年早かったら戦局変わったかもしれない。それぐらいの可能性を感じる。
    にしてもサクッと改良て言ってるけど、この時代の人達は凄すぎるよね。だからこそ、戦後、飛躍的進歩できたのかもしれない。

    • @user-sn9gk8ym9k
      @user-sn9gk8ym9k Před rokem

      GHQのイジワル白人達が日本人に飛行機造らせなくしたのも、彼らの戦略上は大成功の布石。
      ただし、人類の文明を阻害したのも同時に事実ですね。日本人を苛め、ニコラテスラを抹殺したユダ系アメリカ人達は、やっぱり鬼たちです。

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před 11 měsíci

      (三菱で疾風作ったらええやん…?)

  • @user-op9fe3wn9p
    @user-op9fe3wn9p Před 3 lety +14

    四国の愛媛に墜落した紫電改を修復して展示されていたが、意外とずんぐりむっくりで、ちゃちかった。このような飛行機で空を飛び命懸けで戦ったパイロットに感動する。

    • @hien_61
      @hien_61 Před 3 lety +2

      ずんぐりむっくりは大馬力エンジンを搭載しているということ。アメリカ軍の戦闘機などは大馬力エンジンなので胴体が大きい機体が多いです。紫電二一型に当時乗っていたパイロットにも『紫電改は私の命綱、今日も頼むで、紫電改が私を助けてくれた』と言われています。それほど多くのパイロットを助け、戦った紫電改は傑作機です。

  • @user-bb6cw4qg4l
    @user-bb6cw4qg4l Před rokem

    戦記漫画「紫電改のタカ」は雑誌少年マガジンで愛読していました。ちばてつやの代表作のひとつです。

  • @user-xj9gx9dx6o
    @user-xj9gx9dx6o Před rokem

    確か私が幼少期に「紫電改の鷹」と言う漫画あったような。
    それと零戦隼人も。

  • @kyamsun
    @kyamsun Před 2 lety +6

    タイトルの「遅すぎた」ってのが最高速の事かと勘違いしたw

    • @siosyosyo
      @siosyosyo Před 2 lety +1

      それは触れてはいけない、、、技術は高かったし、書いた仕様書のレベルは高い。ネーミングもいいし、、生産数だって3桁だ。

  • @user-ce1ob5kh9b
    @user-ce1ob5kh9b Před 3 lety +3

    紫電改展示館 行きました。
    感動しまくりです。
    T-シャツ 買いました。
    滅茶苦茶遠いのが難点。
    行きはタクシーか自家用車がおすすめ。上り坂だから
    城辺営業所(宇和島バス)から4500円ぐらい
    私は、バスの都合が合わず歩いて同営業所まで歩きました。約1時間ぐらい

  • @genyama714
    @genyama714 Před 2 lety +1

    先週、f6ヘルキャットの実機見てきたよ。びっくりするぐらい大きい機体なのに、羽根を畳んで格納してあった。コクピットは狭くて前見ないだろうねえ。

  • @user-eh2sq6fz1m
    @user-eh2sq6fz1m Před 2 lety

    漫画で 紫電改のタカ 夢中に読みましたね。

  • @user-uf1oy3cj3r
    @user-uf1oy3cj3r Před 2 lety +4

    戦後、アメリカがドイツや日本に戦闘機の開発を禁止していたのが理解できる。

    • @user-dg2zi1wo4b
      @user-dg2zi1wo4b Před rokem +1

      ドイツは分かるんですが、日本は・・・・

  • @DAHLIA1029
    @DAHLIA1029 Před 3 lety +28

    「紫電改」のイントネーションね…

    • @user-wi5ls9pg2i
      @user-wi5ls9pg2i Před 3 lety +1

      確かに気になりますね、、、一層の事紫電二一型で良いかもしれませんね、

    • @user-wb2bp8uo1s
      @user-wb2bp8uo1s Před 3 lety +4

      自然界みたいな

    • @daisuke5755
      @daisuke5755 Před 3 lety +2

      おそらく近畿地方の方なんでしょう

    • @user-lq9di3lf4l
      @user-lq9di3lf4l Před 3 lety

      コルセアのイントネーションも吹くw

    • @user-ss2vz3bl5j
      @user-ss2vz3bl5j Před 3 lety +3

      @@daisuke5755 関西人の私はこのイントネーションがしっくりきます

  • @xxxdontdothat
    @xxxdontdothat Před rokem

    声と語り口が何とも素晴らしい。

  • @user-xq5eg7ym9x
    @user-xq5eg7ym9x Před 2 lety

    羊毛でお馴染みの日本毛織は川西航空の流れを組んでいると伺いました。

  • @user-hg5vf8th5y
    @user-hg5vf8th5y Před 3 lety +3

    カイ・シデンの元ネタ

  • @user-uy1sk3vh2e
    @user-uy1sk3vh2e Před 3 lety +97

    零戦と比べるのは少しおかしいと思う。基本コンセプトも違うから。艦上と局地戦ですよ。

    • @user-sl8ne2ke4b
      @user-sl8ne2ke4b Před 3 lety +8

      最初は水上戦闘機

    • @user-uy1sk3vh2e
      @user-uy1sk3vh2e Před 3 lety +6

      @@user-sl8ne2ke4b 呉と愛南町に零戦と紫電改それぞれ見にも行きましたが、最初はそうでも最終的にはコンセプト変わってるのだから比較はおかしいと思う。それぞれその時代の名機だと思います。

    • @user-nh8wt2ur4i
      @user-nh8wt2ur4i Před 3 lety +3

      @@user-uy1sk3vh2e 実物はやっぱり零戦がいいのかな?
      それとも紫電改がいいのか?
      プラモじゃ零戦が美しく見えるけど実物はどうなんだろう

    • @user-uy1sk3vh2e
      @user-uy1sk3vh2e Před 3 lety +5

      @@user-nh8wt2ur4i 個人的にはスマートな零戦が格好いいかなぁと思いますけどあくまでも個人的感想です。

    • @lex3513
      @lex3513 Před 3 lety +1

      言うて比べる物がない

  • @user-jl3cu6td8k
    @user-jl3cu6td8k Před 4 měsíci

    昔、漫画で「紫電改の鷹」てのがあったね。作家さんは確かちばてつおさんじやなかったかな。

  • @user-lz3lq1ut6b
    @user-lz3lq1ut6b Před 3 lety +2

    ちばてつやのマンガで「紫電改のタカ」というのがありました。その中で出てくる一撃必殺の逆鷹落とし戦法がゾクゾクしました。

  • @kazusan120764
    @kazusan120764 Před rokem +3

    紫電の元になった強風に触れていないのが惜しいです。
    なぜ紫電が中翼だったのかは強風の存在無しには語れません。

  • @user-hr8uo2uk7v
    @user-hr8uo2uk7v Před 3 lety +3

    局地戦闘機と艦上戦闘機を比較はおかしい
    運用の差がある為です
    陸軍機と海軍機の考え違い
    パイロットの技量
    傑作機とはなんなんでしょうか
    対戦初期は機体性能を最大限に生かすパイロットが居たはずです
    剣隊は精鋭だと認識していますので戦禍はすごいと思いいます

  • @user-mz2cu2uc8b
    @user-mz2cu2uc8b Před 3 lety +1

    ほとんど大村基地など
    九州で配備されていたよ
    川西製ですよ

  • @NN-dy2mc
    @NN-dy2mc Před rokem

    源田実は源田サーカスと呼ばれた戦闘機のプロフェッショナルで大西瀧治郎、小沢治三郎とともに早くから航空機が主流になることを主張されていました。
    歴史にイフはないですが、源田実、大西瀧治郎、小沢治三郎、山口多聞が連合艦隊のトップで戦っていたらどうなっていたんだろうとよく考えます。

  • @user-rs7gg5sp1c
    @user-rs7gg5sp1c Před 3 lety +10

    一回空に上がって戻って来ると エンジン回りはオイル漏れで酷かったそうです。ゼロ戦に比べて手がエンジンの奥まで入りにくく整備にいつも難儀したそうです。

    • @user-dg2zi1wo4b
      @user-dg2zi1wo4b Před 3 lety +2

      栄エンジンを無理矢理18気筒化してますから、手が入りにくくもなりますしね。
      あと熟練工員が召集され、学徒動員で召集された学生が大量に工場へ配属されてますから、部品の精度もなし崩し的にガタ落ちですわな?
      それと、エンジンのパッキンやゴムの原料が入りにくくなり、代用品や混ぜ物をしてたりして、オイル漏れは日常的ですし電装品の漏電もあったんとちゃう?

    • @user-rs7gg5sp1c
      @user-rs7gg5sp1c Před 3 lety

      @@user-dg2zi1wo4b おばちゃん達が整備していたそうですね。

    • @user-dg2zi1wo4b
      @user-dg2zi1wo4b Před 3 lety +4

      @@user-rs7gg5sp1c さすがにそんな事はないと思いますよ?

    • @user-rs7gg5sp1c
      @user-rs7gg5sp1c Před 3 lety

      @@user-dg2zi1wo4b 全てでは無いですがおばちゃんの手も借りて板が正解か。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o Před 2 lety +1

      @@user-rs7gg5sp1c さん
      整備は軍の基地内なので、製造工場ではないでしょうか?
      にしても、中学生や女学生は聞きますが、おばちゃんは?
      手が足りなくて飯炊きの人に手伝わせた、とかですかね。

  • @user-tj4nz6vy3j
    @user-tj4nz6vy3j Před 3 lety +7

    俺の好きな航空機や~

  • @user-yo9nl9hz5l
    @user-yo9nl9hz5l Před 3 lety +1

    私が思い出す作品は『撃墜王』です。
    菅野隊長の二番機の方が主人公だった。関係者に取材をしての劇画作品です。
    エピソードの一つ。芸者さんのいるような場所。パイロット達は、野球拳をしてのドンチャン騒ぎ。
    そこへ、『お前達には、国をうれうる気持ちがないのか!』と、部屋に乗り込む陸軍の兵隊さん。
    それに対して、『陸軍さんは、こんなところで作戦会議ですか?』と、誰かが返す。
    『なにぃ!』陸軍の兵隊さんと、三四三空のパイロット達の殴りあいの大喧嘩が始まる…。
    心に残るシーンです。

  • @mogurofukuzo10
    @mogurofukuzo10 Před 3 lety +1

    雑誌「丸」別冊で「グラマンに似た、日本の強力な新型戦闘機」と米軍が警戒していたという記述があります。

  • @rafalemirage6875
    @rafalemirage6875 Před 3 lety +28

    ワシントンまで見に行ったよ

  • @kazudog1
    @kazudog1 Před 3 lety +5

    名前がいいですよね紫電改って(^^)
    四式戦とよく比較されるけど、速度が劣るとはいえ、横旋回には優れ、操縦性も良好。
    上昇力や加速性能はほぼ互角で急降下性能はやや劣る?かな。
    せめて、四式戦と同時期に配備されていたら・・・と思いますね。
    零戦の後継機として。
    視界もよく、翼面積も大きいから艦上戦闘機にしても素性が良さそうだし。
    陸軍は五式戦がもっと早く出ていたらなあ。
    まあ、だからといって戦局が大きく変わることはなかっただろうけど。

    • @user-pz5re5vq3r
      @user-pz5re5vq3r Před 3 lety +3

      というか、海軍でも四式戦を使えばよかったのでは?
      限られたリソースを、陸軍と海軍で奪い合うようなことしてたから、必要な時に数を揃えられなかったのでは。

    • @miyamiya2237
      @miyamiya2237 Před 2 lety

      誉が本来に近い性能を発揮すれば高性能だったが、そうでもなかったのは上昇力の評価をみるとわかる。カタログデータと異なり、上昇力はすこぶる悪い評価で、B29に雷電が期待されたのも上昇力であった。発動機の出力低下は速度よりも上昇力に大きく影響する。

  • @user-fd5mz1sb2i
    @user-fd5mz1sb2i Před rokem

    名前がかっこいい

  • @Reiwa4KARASU10Age28
    @Reiwa4KARASU10Age28 Před 2 lety +2

    紫電改の名前がとても印象的で、素晴らしいです。活躍する機会が少なかったと思いますが、この様な技術があったからこそ、現在の日本国に生かされて居ると思われます。この時代は、軍事に使用されましたが、国産技術が高度に成長した事を冷静に判断すべきだと思われる❣️❣️❣️
    ※国産技術は、未来の橋を渡るひとつ‼️ひとつ‼️の方法に成る❣️❣️❣️