【ゆっくり歴史解説】レイテ島の戦いとフィリピン防衛戦 その3【知られざる激戦94】
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- čas přidán 7. 09. 2024
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参考文献
大岡昇平『レイテ戦記』中公文庫 1974年
ラファエル・スタインバーグ『フィリピンの激戦』(ライフ 第二次世界大戦史)1978年
佐藤和正『史上最大の海空戦「捷号作戦」の11日間』丸 別冊『究極の大戦艦 大和・武蔵の真実』 2005年
森本忠夫『特攻 外道の統率と人間の条件』光人社NF文庫 2005年
やっぱり島嶼戦は補給が大事なんだな....
第一師団は精鋭だけど、その生き残りの人の手記で、上陸して早々に四発機(B24)の空襲があり、「これは支那とは全然違うぞ」と痛感した…というのが印象的でした。
軍馬を輸送船で運んでいるってちょっと不思議
2:00こんなに若くて将来を有望される様な青年が特攻か…
ついに上陸されたか・・・
これから地獄みたいな戦いが始まるのか・・・
現地状況を無視して作戦介入して本来なら出さなくて良い犠牲を強いた大本営少壮幕僚は許されていい存在ではない。
ゆっくりの「タ号↑」の発音好き
もう亡くなってしましたが、自分が前に勤めていたデイサービスの利用者にフィリピンから生還してきたおじいちゃんがいました
陸軍の航空隊の整備士として居たみたいですが、このフィリピンの戦いで陸戦に巻き込まれ付近に手榴弾が炸裂したところで気を失い、気が付いたらアメリカ軍の救護施設にいたようです
当時まだ20歳にならないのにすごいとしか…
ちなみに航空隊にいたとあってかカラオケで「同期の桜」を 歌いたいと仰ったので歌わせてみたらしっかり歌いきって驚きました
「俺は今ボケててもあの光景は忘れられない」という言葉が忘れられません…
音楽が銀英伝みたいだな。
地図がよくできていてわかりやすかったです。
基本的にどこで戦うか選んで戦力集中する権利は攻撃側にある。
レイテ戦記を読んでる最中も思ってたけど、やはりフィリピン戦は凄いですねぇ…
動画UPお疲れ様です〜堀栄三さんの本で、第一師団の上陸の成功とその後の重火器の輸送失敗の話があっての思い出される。
島での防衛がいくら上手く進んでも、海軍が勝たなければ太平洋側の戦いは負けるんだよなぁ…。そう考えると海軍の方が重要に思える不思議。
本気で決戦する気があったのかと思うくらいの準備の悪さ
定期テストの時の俺みたい
@@user-vh3zx4ve3i 毎回ボロ負けするのか...(困惑)
全然ないよ。一方的に戦争に追い込んだのアメリカだし。
東京裁判でも「共謀の罪!」って言われた時「いえいえ、急に戦わざる得なくなり準備もままならなかったので恥ずかしい戦いを見せてしまいました」って思っくそ皮肉で返されてる。
@@ys4414 戦争の準備が悪いんじゃなくてレイテ島の戦いの準備が整ってないって言ってるんだぞ
そこに米が開戦に追い込んだとか関係ないから
@@ys4414 もしかして真珠湾攻撃をご存知でない…?
あと、少し勘違いされてるかもしれませんが、レイテ島の戦いで陸軍側航空部隊である第四航空軍の戦力は作戦発動時の19日頃は50機ほどの戦力しかありませんが、これは「米軍の上陸前の航空攻撃をやり過ごすために前線基地に配備する航空機は最小限にし、作戦開始とともに航空戦力を集結させて反撃する」という作戦目的から(台湾沖航空戦で打撃を受けていたとはいえ)少なかった面もあり、実際24日以降の航空総攻撃には200機近い戦力を集結させて反撃をしています
実際のところレイテ島での戦いは陸軍航空隊の兵力集結の成功、熟練搭乗員による地形を利用して敵レーダー網をくぐり抜けての奇襲攻撃、米軍が確保した飛行場の問題などもあり、日本側は少なくとも11月上旬まではレイテ島の制空権を確保していて、アメリカ側の公刊戦史に「太平洋での反攻開始以来、これだけの規模、昼夜を問わない空襲に晒されたのはここ時が初めてだった」と統括されるほど善戦しています
あまりにもの日本側の攻撃にマッカーサーと同行していた極東空軍司令官ジョージ•ケニー少将は陸軍のトップエースパイロットのリチャード•ボングやトーマス•マクガイアなど34名を招集して対抗させましたが彼らは着任後24時間で半数が戦死したという話もあります
しかし元々航空戦力に差がある事や、既に国力人材の限界に達していた日本には増援の航空戦力を回す事ができなくなり、11月中旬には制空権確保のための飛行場攻撃に手が回らなくなり輸送船団護衛に全力を入れる(11日に増援の輸送船4隻が撃沈されるという事件もあった事もあり)事になります
レイテ島での戦いに投入された陸軍航空戦力は50機程度ではなく、もっと大規模に投入されてるし、抵抗もできずに最初から制空権を奪われていたわけでもありませんよ
後半の作戦指導はやや半狂乱的ではありましたが、前半の作戦指導は巧みであり、それにより第4航空軍は活躍できたと思うので、そこについては富永中将は高く評価されるべきであると思います。
@@user-vy4ig1tf6d
そもそも精鋭の第一師団が、ほぼ無傷でレイテへの揚陸に成功したのも、米軍に占領された飛行場に攻撃を繰り返して制空権を確保し続けていた陸軍航空隊の善戦があったからなんですよね
この時期は米軍航空機の跳梁跋扈を陸軍は許していませんから
ですが毎度毎度の海軍の補給線防衛への理解の無さが悪影響を及ぼし、第四航空軍への増援は米機動部隊に阻まれたりしてうまくいかず(レイテ沖海戦で戦力を無駄に損耗する作戦をしたため米機動部隊の無力化が出来ずにフィリピン自体への増援補給が米機動部隊により阻まれたため)、徐々に第四航空軍は戦力をすり潰し、結局11月上旬には制空権を明け渡してしまう
その結果米軍の基地航空戦力は息を吹き返して反撃に転じ、レイテへの増援船団を攻撃
多号作戦は大損害を被り、本当はもっと送るはずが四万の将兵と1万の物資しか送れなかったわけですね
追記
10/23(航空総攻撃前日)時点での第四航空軍の出動可能機数は
単座戦闘機91機
複座戦闘機5機
襲撃機31機
重爆撃機49機
軽爆撃機32機
偵察機各種37機
との記録があります
※戦史叢書比島捷号陸軍航空作戦より
私はこの前まで富永中将は世の評価通り愚将だと思っていました。
しかし、ひょんなことから調べるうちに、特攻兵に対して「無駄死にするな」と言っていたり、帰ってきた特攻兵に「よく帰ってきた!」と喜んだり、台湾沖航空戦の大本営発表の戦果を疑っていたり、レイテでの奮戦ぶり、マッカーサーに「こんなに激しい爆撃を受けたことない」と言わしめたり、実は名将、人格者だったのでは?と思います。
フィリピン撤退についても、病気で弱ってた所に参謀が虚報でそう仕向けたにも関わらず「全て自分の決めたことで、自分の責任」と言っていたようですし。
@@msh7149
富永中将は北部仏印進駐時に無用な損害を出した上にそのことを上官に咎められた際激怒したというエピソードや職権を盾に高圧的な態度を取っていたことから敵が多かったというエピソードなどがあるため人格者とは言えないかなと思います。しかし、非常に高いレベルの人身掌握術と統率力、事務処理能力を持っており優秀な将軍であったのは事実であると思います。
第一師団がほぼ無傷でレイテに上陸出来たり、その後米軍の阻止行動が激しくなる中、増援物資補給をし続けれたのも、栗田が無駄死にになる突入を勇気を持って取りやめて戦力の無為の損耗を抑えて護衛戦力になる中小艦艇を残してくれた事も要因ではあるんだよね
あまり知られてないけど、所謂多号作戦は第三次作戦での大敗(島風などが沈んだ作戦での有名)などのイメージから、ほとんど増援を送れなかった失敗作戦と言われるけど、実際には当初の守備兵約20000名に対して約45000名の増援、物資約10000tを送る事に成功していて、アメリカ軍に苦戦を強いています
(このため米軍はルソン島決戦に使う予定だった戦力をレイテに投入せざるを得なくなった)
前の動画回での話だけど、突入を継続してのもオルテンドルフ艦隊や周辺の護送空母群からの空襲で、突入は不可能な状況だった栗田が戦力の無駄な損耗をせずに突入を取りやめて戦力を温存した判断は、ほんと正しかったと思うよ
絶望的な戦力差、連合艦隊や軍令部のプライドで誤った情報を聞かされてレイテ決戦を決断してしまった参謀本部や南方軍の現場無視の作戦指導
レイテを戦った陸軍将兵はそんな状況でもよく戦った
現場の状況を理解せず、後方で阿呆な作戦指示を出し、それに従わないと命令違反だとか、強権を発して無理強いをしようとするのは陸軍も海軍も一緒ですね
輸送船からの揚陸量と、実際に前線に届いた量がだいぶ違うんだよね。
10000tのうち相当な量が海岸で山積みされたまま消し炭になったし、揚陸地点と前線の地上部隊を結ぶ兵站線なんて米軍、ゲリラ共に目の色を変えて探していたしね...
クソな作戦を現場の頑張りでなんとか形にはしたというだけ
とにかく東京の大本営がクソ過ぎる
現場指揮官はそれなりに有能だったし、
現場兵士はめちゃくちゃ頑張ったが、
地の利のない悪所で戦力を磨耗されてしまった
@@okw6124
そうなんですよね
上級司令部の判断ミスで、準備不足のレイテ島に急遽送られ、そんな状況下でも米軍を手こずらせて、予想外の出血と時間浪費をさせた現地の将兵の善戦には敬意を表します
@@macminmi
確か昭和天皇独白録で、天皇は戦後
「陸軍、海軍、山下、皆意見が違う。その様な訳で山下も思い切って兵力を注ぎ込めず嫌々戦っていたし、又海軍は無謀に艦隊を出し、非科学的に戦をして失敗した」
「参謀本部は現地の事情を知り抜いている現地軍に作戦を一任せず、東京から指揮する有様だった」
と語っておられます
陸軍は現地軍に一任せずに後方から現状に合っていない作戦指揮をし、海軍は成功の見込みのない作戦を命じて艦隊を無謀に出し、当然目的達成は不可能となり無駄に戦力を壊滅させただけに終わったわけですね
海軍関係者の中には戦後にその責任を現場指揮官に押し付ける様な破廉恥な意見が押し通る様な風潮の組織だった訳ですから、「非科学的な戦」しか出来なくて当然だったんでしょうけどね
@@kansaikontentu 栗田艦隊はおそらく西村艦隊と同じ凄惨な運命をたどったと思っていましたが、即効性のある艦隊保全の側面もあったんですね。
富永、牟田口と違って、栗田氏は人格まで否定されてはいないとは思いますが…。
今回の動画でも、現場の将兵は日頃の努力の成果もあってか、やりすぎなほどに善戦していますよね。
日本も今、アメリカ型の一時雇用社会に切り替えてますね。
アメリカは上層部ほど働き、非情なまでに自分の売り込みと成果を要求される社会構造なのでそれで成り立つんでしょうけど、日本の上層部は基本的に武士階級のままですからね。
省庁の官僚たちも、自分たちの仕事で手一杯の視野しかないところから上層部に進んでいくわけで…。
311にうまくやれた組織とだめだった組織、例えば東電など色々思い出されます。
商売なら貧しくなるだけですが、人に命をかけることをお願いする国防、防災でそれが繰り返されることがあっては絶対にほしくないです。
(最もアメリカ軍も上層部の醜聞とは無縁ではないのだけど…ここまで国民を生贄にはしていないですね。)
どう考えても、日本の島嶼戦はまともに輸送できない海軍に非があるのに
陸軍ばっか非難されてて、なんかモヤモヤする
海軍はもっと叩かれるべき
海軍善玉論の影響は大きいね
レイテは放棄してルソンで粘ろうという方針があったのに、レイテに逆上陸という形になってむざむざ戦力減らす愚。そろもこれも台湾沖航空戦の大本営発表から陸軍が混乱した。
???「海軍は...悪くないっすねぇ〜」
連携を欠いている時点で輸送云々以前の問題かな〜
海軍が「全面的に悪」でしょう。こと太平洋においては。
タターン難民救済
私の大叔父はレイテ島で戦死しました。小指の骨のようなものだけが箱に入って帰ってきたそうです。「敵の機関銃に撃たれて死んだと言われた。本当かどうかわからないし、その骨もただの石かもしれない」と曽祖母は幼い私に何度もその話を聞かせました。大叔父はレイテ島のどこかで今も眠っています。
何かコメントしようと思い、他のコメント見てたけど、涙しか出てこない。
この頃の日本軍航空機の稼働率は慢性的な疾患ようなもので、開戦当初の北米(カナダ?)製の高純度潤滑油は開戦1年でほぼ使い切り
それ以降南方産石油から作られた国産潤滑油になってから故障率があがったとか。
どうも潤滑油に含まれてるパラフィンが原因という話です
待ってたで
後知恵で何とでも言えるんだけど、返す返すも台湾沖航空戦がなかったら。あるいは、その後に海軍が集計した戦果「空母4隻の撃沈(これでも過大だったけど)」が、陸軍側に伝わっていれば。その後戦いの様相は、かなり違ったものになっていたかもしれない。結果は変わらなかっただろうが。それでも非難されるのは陸軍だけというのは理不尽すぎる。
ぶっちゃけ台湾沖航空戦の実態が陸軍側に知らされても史実とは変わらなかったと思います。なぜかというと、陸軍側、特に寺内元帥がレイテ島に航空基地を建設され、フィリピンの制空権を取られることを非常に危惧していたからです。よく、寺内元帥がレイテへの兵力投入を強引に決定した要因として台湾沖航空戦の誤報を挙げられますが、それ以外にも制空権を奪取されることへの危惧もありました。
戦闘機が多いなら上空援護に徹すればいいのに、
日本航空戦力は余り陸上戦力を支援しないね。悲しいな。
@@user-xq1iy2gb3i
日本陸軍の航空部隊は陸上支援をよくしていましたよ?インパール作戦では対地支援に注力(これのせいで英軍の輸送機部隊に対応できず、英軍の戦力集中を阻止出来なかったのではと言われている)し、レイテの戦いでは、レイテの第35軍へ軽爆をもって補給物資を届けたりしていました。ちなみにレイテの戦いでは木下第2航空師団長が補給物資を届けるための軽爆を独断で爆撃任務に用いたことを富永第4航空軍司令官が激怒し、木下師団長を更迭するという一幕がありました。
多号作戦の動画が見当たらないけどけされてしまったのでしょうか?
マッカーサー元帥の言うことって敵国なのにかっこいいと思ってしまう。
彼は次期大統領選の
共和党候補を見据えてたようだし
報道映えする言動には備えてたのかも
知れませんね
うぽつです
ちゃんとした戦車が数揃ってるの良いな米軍
こっちなんか同軸機銃なしの47mmとか
同軸機銃なしの37mmだぞ、なんで機銃がそっぽ向いてんだ?戦争する気あんのか?
同軸機銃はそんなに重要ですかね。一応ハ号、チハ両方に前方に向いた車載機関銃が搭載されてますよ。
@@user-vy4ig1tf6d
大砲撃って装填中の何も出来ない時にバズーカでゆっくり狙えたとか言う話をどっかで見たし必要だと思う、
戦争ゲームでも戦車に同軸機銃が無いと考えると扱いづらい頻繁に車体動かせないし
@@Speciale.Sdkfz__181
確か、日本軍戦車がバズーカの餌食となったのは、同軸機銃の有無ではなく、機関銃が弾倉式な上に弾数もそこまで多くなかったことが原因だったと聞いてます。ただ、同軸機銃はあると便利ですよね。ちなみに日本軍も同軸機銃付きの戦車を試作はしていました。ただ、日本軍の戦車の砲塔は設計がギリギリだったのと、肩当て式の戦車砲だったことにより結局同軸機銃はオミットされてしまったのです。
@@user-vy4ig1tf6d
へ〜、調べたら車載機銃凄い弾数少ないね、たった20発って
やる気はあります!(準備万端とは言ってない)
この状況でこの戦いぶり、なんだかんだで陸軍は強いな。
これで作戦指導がまともだったら・・・
シンプウ何だかカミカゼ何だかもうこれ分かんねーな
勉強になりました、面白かったです。
BGMの音量をもう少し下げて頂けるとより聞き取りやすいかなと思いました。
必死で奪え返しにきたはいいものの、一度追い出された土地の支配者には返り咲けなかったがな。
元々独立させようとしてたから独立が一年遅れて被害が多数出ただけじゃ・・・。
フィリピンにおける影響力は減ったかもしれないけど
@@user-to9dc8jj6c
そもそもフィリピンを植民地にする時から「スペイン追い出せば独立させてやるぞ」って約束してそれをなあなあでずーっと無視して植民地にしてたがな。
独立運動弾圧で虐殺までやってる。
@@ys4414
そういえばその時村田銃をフィリピンに送ったんだだったね。
沈んだ事件あったけど
連合国は勝ったのに植民地失って情けないよな。その点日本は史上初の原爆実験場になれたしアメポチになれたからセーフ!国民が無駄死にしまくったし今でもたまに沖縄で米兵がレイプ事件起こすし中国にeez侵犯されても自国の判断で文句言えないけどコメ主からしたら些細なことなんだよね?
@@user-to9dc8jj6c 乗員ごと海底に配備されただけだからセーフ
幼いころ、亡父の親戚宅の座敷に海軍服を着た方の遺影を見つけました。
ある程度成長してから、「あの海軍服を着た方は誰ですか」と聞きました。
「海軍へ行ってフィリピン沖で死んだ人だよ」
「どんな船に乗ってたの?」
「軍艦らしいけど、よく分からないさ」
「いつのこと?」
「昭和19年の秋」
うちの祖母は、中国で1人息子を栄養失調で亡くしました。
最期は、ニンジンを口元にもっていたけれど、ピクリともしなかったそうです。
「1人息子」を亡くたけれど、自分がこの世に存在しているのが、戦争の混乱を表しています。
ちなみに、100歳を超えて存命の祖母と自分は血縁関係はありません。
亡母は、運命の歯車が少しでも狂っていれば、残留孤児になっているところでした。
ノルマンディー上陸作戦の解説をお願いします
宇垣纏第5航空艦隊司令長官は
特攻機に便乗し
体当たりを断念して自爆を遂げ隊員たちのあとにつづき
約束を果たした。
なんで大西中将は遺書を
残して自刃なんだよ?
宇垣は終戦後ににも関わらず一人で突っ込めば良いものを自分で飛行機操縦出来ないから若年搭乗員に操縦して貰った上に僚機を引き連れて行きました。
責任取るなら道連れは必要ない。
早く‼️フイリッピンの戦いを‼️待ってます‼️秋田歩兵十七連隊と青森歩兵第五連隊の戦いを待ってます‼️
レイテ戦が不可避だったとして、あそこまで悲惨な状況を招いたのは何だったのだろうか?
堀栄三「大本営参謀の情報戦記」に書かれている話で、
台湾沖航空戦でアメリカ空母は全滅と発表されているが、
アメリカ航空機がフィリピン上空を多数飛んでおり、
米軍パイロットの捕虜からも空母がすべて健在していること、
堀参謀自身が台湾沖航空戦の日本側パイロットのあやしい発言を聞いているため、
堀参謀がアメリカ空母は沈んでいないと主張し、
山下14方面軍司令官はレイテ決戦に反対したが、
大本営、南方軍の主張で、第1師団の上陸が成功したため、
第26師団、戦車第2師団の一部、日本最強の第68旅団を輸送して海没させている。
伊藤正徳「帝国陸軍の最後」に書かれているが、
第1師団歩兵49連隊第2大隊が、カルガリ湾に米軍の一隊を追い落として、
米兵に泣きながら海へ飛び込ませてこともあった。
僕が施設で仕事してた時にある爺ちゃんは予科練で特攻訓練して、お兄さんは特攻で戦死したって話してたな😢
認知症の爺ちゃんは陸軍の兵隊で、テレビが騒がしいと逃げろ~叫んでたな・・・奇しくもフィリピン戦の生残りだった☝️