ロス五輪 燃えろ!宗兄弟~42.195キロの青春~
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- čas přidán 19. 03. 2021
- 1983年、兄弟そろってロサンゼルスオリンピック・マラソン出場の夢をかけた旭化成陸上部の宗茂・宗猛の双子のマラソンランナーのドキュメンタリーです。 宗兄弟は、1979年12月、福岡国際マラソンで勝ち、モスクワオリンピック出場を決めた。しかし、ソ連のアフガニスタン侵攻で、米ソを中心とした東西関係が悪化。1980年4月、アメリカオリンピック委員会は、モスクワオリンピックボイコットを決定。日本もアメリカに従ってボイコットを決定し、宗兄弟のオリンピック出場は絶たれた。 オリンピックボイコットから3年。宗兄弟30歳は、再びオリンピックを目指して走りはじめた。
初放送1984年(昭和59年)1月1日(日) - Sport
この精神力。
この持久力。
なにより邪気の無さ。
市民ランナーにとって
教科書になります。
増田選手の映像が観れたことに感謝です!
当時福岡国際マラソンを競技場で見ました。昔はチェックが厳しくなかったのか一般人もスタンドの中に入れました。日本の選手の活躍よりイカンガーの人懐こい笑顔、五輪二連覇のチェルピンスキーの神々しい雰囲気がなぜか今も印象に残っています。
宗猛さん 印象に残っているのは ロス五輪 無念の4位 身体は楽だったがスピードが無く付いていけなかったとコメント マラソンには そういう事も有るのかと思った 悔しかっただろうな😢
UMK 宮崎放送でのドキュメント番組、見た記憶有るわ、しかも宗兄弟て宮崎の人だったし、延岡の。貴重なアップ有り難う。
マラソン解説者、指導者としては瀬古より上だと思う 江川の野球解説のように素人にも分かりやすく、選手の心理を的確に捉えていると思う
瀬古なんて言ってることがちゃらんぽらんでバカ丸出し
もっとは酷いのが選手のプライベートをペラペラ喋る増田明美
映像を見ていると自然に涙が出てきます。オリンピックに出るためにこれだけ一人一人が辛い道のりを歩かなければならない。過酷です。
宗兄弟は、波があったように思う。兄の茂は日本記録を出したがコンスタントに首位争いをしてなかった記憶。弟の猛は、ロス五輪でまさかの世古失速のなか四位で戻ってきたのは以外に思ったくらい後ろで粘っていたんだなと思った
35:25 折り返し直後、先頭集団後方には翌年の福岡で優勝して名を上げる中山選手の姿も。
42キロ、走って瀬古に100メートル勝てないというのがマラソンなんですね
音声が小さい。
ソウ、イトゥ、カマタ、ヒゲイチの走り味がある。ねこまんま。セコ ビフテキ。