昭和30年代半ば 国鉄151系ビュッフェサービスのようす
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- čas přidán 5. 09. 2024
- 映画作品に観る 151系特急電車で、食堂車を補完し続けたビュッフェの職掌のようす
パーラーカーもテリトリー。モハシ150。
1961年春 とうほう映画劇場公開作品 「特急にっぽん」より
監督;川島雄三
出演;フランキー堺 団玲子 谷村昌彦 平凡太郎 ほか
本作は、つべのⒸ申立制限なし でLoadしています。
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新幹線開業前の看板列車だけあり、沢山の乗客で賑わっています。乗客も多いですが、職員も多い。モーターリゼーション前、国鉄が赤字に陥る前の鉄道黄金期の雰囲気が感じられました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
おっしゃるように、戦後の高度経済成長に押し上げられていくこの時期が、
いちばん国鉄で脂の乗っている時代でした。
我が国の自動車や道路が未発達で、鉄道が交通の王者として君臨していた
象徴的な時機だったのかもしれません。
ブルーリボンのエンブレムが見えるぜ!😊
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昭和の後半あたりから、ブルーリボンを視野に入れて新形式車を送り出す流れが出てきますが、
この151系当時はそうした認識は意図していなかったと、
鉄道友の会会誌RAIL FANには中川浩一先生が述べています。
このこだま型は、
デビューさせたら迷わず投票数を獲得できた文句なしの車両だったのでしょう。
いまの丸っこいプレートよりも、この時のデザインのほうが味がありますね。
東海道新幹線開業前の東海道本線特急は当時の国鉄の看板列車文字通りフラッグシップもといフラッグトレイン?そして当時は黒字だったことと、映画に出せば良い宣伝になると言うことで国鉄当局も協力的だったのですね。
それにしても…特別1等?クロ151の個室(4人入れるので区分室という方が適切?)入口に掲示してあったのでしょうか?確かにパーラーカー部分や、2号車以降のモロ・サロとは一線を画してはいますが…(^^);
然し戦前の超特急燕、C51+ミキ20時代からの伝統で富士川橋梁上での乗務員交代が151系でも行われたとのこと。すると…区分室を除交代運転士がその時お邪魔していったのでしょうか?(^^);
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
本作映画公開後の交通新聞の連載記事に大垣電車区運転士の体験が出ていまして「・・もう熱海で立ち乗りしてまして、一緒に閉塞と場内を称呼しながら、橋梁(富士川)渡り切って 薩埵(隧道)入る手前で助士さんが客室から入ってきて手ブレーキに手ぇ掛けたら惰行に入った時に(田町の方に席を)立っていただいていました。上り列車も浜松で逆ですね・・」 動労新聞(ガリ刷)には「・・夏はもう狭いところに4人もダブって暑いから 上り は特1後ろなんでロ号お客様とおしゃべりしながら扉足で半開にして客室の冷房を取り込める・下りは特1客がチューインガムくれた・チタ(田町)入ってる時はトイレ行けた・・」 民社党(当時)の議員さんの回顧録には、「・・前があると思ってドア引いたら、ただいま国府津通過中です,と言われまして、運転台だったんですね・・」カッコ内は追記。など、様子が分かる記録が残っています。
毎日グラフ!
東宝は151が好きなんだろ。二年前の「宇宙大戦争」じゃ実車のシーンに続いて、特撮で模型を転落させてるし、その6両編成のこだまは、この映画の翌年に「キングコング対ゴジラ」で、なんと東北線廻りの急行「津軽」に設定。当時、東北線にボンネット特急はまだ走ってないし、なにより黒磯以北を直流車が走るってのが不思議。加えて同年開業した上越特急161を真似て、ヘッドに赤帯をつけたから、余計おかしなことに。
「天国と地獄」の第2(だっけ)こだまの勇姿と内部の登場は、みんなよく知ってるよね。翌年の「フランケンシュタイン対地底怪獣」(地球最大の決戦だったかな?)には、ほんのちょっとだけ、山陽本線に転戦したはとが映るよ。
あと新東宝の「桃色の超特急」でも、151が出て来るね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
当時、国鉄と仲良く映画を制作していたのは、
東映のほうが一足先だったのですが、
国鉄が世界中に宣伝した151系に真っ先に飛びついて、
特撮にも及んで東宝もあちこちで織り交ぜていました。
競争するうちに"劇場ウケ"するのが分かり、好きになっちゃって
前後に強い脈絡が無くてもシーンに入れてしまう根性がいかにも東宝らしいところですね。
0:28 列車のセットの中で男二人がユラユラ揺れてる演技してるのを想像して可笑しい。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
実車を使用しているので車内シーンはセットとは言えないのですが、
ほぼ停車している車両のなかで撮影されてます。
おっしゃるように、揺れ方や走り去る光の明暗などは不自然ですよね。
乗務員室でサンドイッチを食べるシーンは、
窓を開けて、外から撮ってるものです。
けれども実車です。
あんな狭い部屋で、カメラ位置は後退できませんからね。
セットのシーンは、走行場面に多用されています。
ビュッフェは、コックが関西訛りだから、都ホテルが営業していたのかな?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
本作では割愛していますけれど、この映画の冒頭シーンで
フランキー堺さんが牽くリヤカーの積み荷の段ボールに
「パーラーカー用 日本食堂 品川」とありまして、
宿泊所の建物は品川の札ノ辻に当時あった日食のビルですから、
日本食堂だと思います。
都Hも構内列車営業を担っていて、東海道に古くから入っていましたが、
どちらの会社も、関東関西から広く社員や職人を雇用していましたので、
喜劇映画という性格もあり、関西弁の軽快なやりとりを生かしたのだと思います。
川島雄三監督作品「特急にっぽん」‼️
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
川島監督は東宝お抱えの乗り物エキスパートと言われた方で、
ご自分で監督していない作品にも、鉄道考証におかしなところがあると、
ラッシュフィルム段階でも修正を申し入れたそうです。
私どもの公開動画では、以下3本でも使用させていただいています。
czcams.com/video/OfAy0vLUvJ4/video.html
czcams.com/video/MkJJaiMoF5o/video.html
czcams.com/video/IjN6BJCXM9g/video.html
「メン・イン・ブラック」みたい😅
パーラーカーはVIPの利用が多かったのでしょうか?
当時の料金で5000円強
会社員がせいぜい2.5~4万円の時代、今なら 8万円くらいか、今のグランクラスのほうが安い
乗れる層は 会社社長・オーナー、大病院の院長、外国人、政府要人、皇族、芸能人くらいですね
急ぐ人は当然飛行機ですけど 当時は飛行機嫌いな人が多かった
シート毎に車内電話がありました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
パーラーカーは誰でも所定の料金を支払えば乗れたのですが、
デビュー前から国鉄が政党や大企業、大使館などに宣伝を行い、
事前予約取りに出向いていた記録があります。
所謂、VIP専売の様相を呈していました。
旅行者向けの販売でも旅行社割り当ては極めて少なく、
スーパープラチナチケットのうちに、車両形式も廃止されていきました。
@@qsht 様、展望車の後継ですから、当然客層がそのように限られるのは無理もないですね。戦前の展望車は政治家や軍の偉い人専用みたいだったそうですから。ビュッフェの様子を初めて見ました。従業員のユニフォームが独特で、食堂車のように出来上がった料理を客まで運んでいたとは知りませんでした。モハシのトップナンバーだったからB賞のプレートが飾ってあるのでしょうか。1961(昭和36)年といえば151系の黄金時代ですね。私はこの年に生まれたので当然知りませんが。
VIP利用に関連して、昭和天皇が急なご旅行でお召列車の手配が間に合わずパーラーカーを利用された際、先に予約していた人に事情を話して列車を代わってもらったことがあるそうです。ということは、国鉄でも誰が利用するのかを把握していたので、相当な立場の人でないと利用しなかったということにはなるかもしれません。
0:11 二等客でしょうか?w
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
このおじさんは、台本では、「サツマノカミ(薩摩守)」と添えられていまして、
特急券無札で乗っていく人です。
"薩摩守"は、ご存じと思いますが、
平安時代に実在した武将「平忠度(たいらのただのり/薩摩守忠度)」に掛けた徒名で、
ご覧のように、特別一等からはたちまち摘まみ出されて、
食堂車(当時は食堂車内は国鉄直営ではないので、
食堂長に断りなく車掌でも改札-検札-はできませんでした)に入ったまま、名古屋駅で下車していきます。
劇中では、おじさんの忘れた風呂敷包が原因で、こだま号車内が大騒ぎになります。
むかしから、キセル乗車のことを「サツマノカミ」と呼んでいましたが、このおじさんは、どうやら
乗車券だけは持っていたようです。
@@qsht聞いた事あります!!現在は新幹線に警備員が居ますので現行犯になりますね😊
で、風呂敷の中身は何だろう😮
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
ネタバレになってしまいますが、目覚まし時計 です。
なんでそうなのかは、本編をご覧ください。
@@qsht 目覚まし時計!このドラマ見た事はないけど、カチカチの音で時限爆弾だぁ〜って感じですね🤔スッキリしました!ありがとう😊
第2こだまですか?。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
実在した時刻だけれども、使われなかった時刻です。
この映画の撮影当時には、整理用の臨時のスジが引かれております。
このスジは、あとにも先にも実際に用いられることはなかったのですが、
映画の列車ではこの時間帯発に設定されています。
実在する列車時刻で劇場公開してしまうと、それに人気が出てしまい、
混乱するのを避けるためです。
当時の新聞記事には、この映画で公開された東京発車列車に乗りたくて、
問い合わせが窓口に多かったと書かれています。
最初からサシで良かったのに、何でモハシなんて言う後々編成の組み立てで困る車両を作ったのだろうかね?
軽食の補完と言うのなら、サハ164のような大型売店車でも良かったような気がする。
・当時の特急では優等車は編成端に連結し三等との間に食堂車を置くのが常識だったが初期のこだま型にはサロしかなくてそれが不可能だった
・初期のこだま型では食堂車が無かったためにその代りにビュッフェ車で優等車を囲んだ
・初期のこだま型はTc+M+Mb+Tsの4両を背中合わせで繋ぐ事で万一の場合の車両差し替えに備えた
・ビュッフェ車を付随車とした場合初期のこだま号編成では出力不足となるため電動車とせざるを得なかった
始めての電車特急列車と言う事で色々手探りな部分が多かったし、技術畑主導の企画だったので営業列車としての不備もあった、と
んでその当時営業畑が何やってたかと言うと「電車の優等列車なんぞ有り得ん!」とあさかぜ型客車他の新特急型客車を考えてたらしい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
151系電車は、
当時すでに建設が始まっていた東海道新幹線の車輛コンセプトの
実験車でもありました。
そのため、乗客サービス面以外でも、全車を電動車としたときの
サフィクス無しで補完能力を実験する必要があり、
それはヤ号(事業用車)では到底測れない実乗範囲でしたので、
営業車に詰め込んでいます(電気車の科学=電気車研究会刊より)。
成果として、新幹線には生かされましたが、おっしゃるように
組成で運用しづらくなり、早い時期に消滅しています。
151系は、トイレもタンク対策しないままでデビューしており
時速100キロ越えの黄害はそれは大変だったようです。
「あさかぜ型客車ベースの新型特急用客車」
・・・・・青大将編成の20系化プラス一等展望車付きバージョンということでしょうか?
それはそれで見てみたかったような・・・・・
151系でも、まだ、トイレ垂れ流しだったとは初めて知りました😵💫。
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151系は確かタンク式のトイレだったと思いましたが・・・・・・・
デビュー時は違ったのかな?
フランキー堺w
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
フランキーさんはこの映画を契機に、
のちの松竹の旅行シリーズで主役に起用されていきますね。