【戦国武将ランキング】犬猿の仲だった武将TOP5
Vložit
- čas přidán 25. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、
~【戦国武将ランキング】犬猿の仲だった武将TOP5~ について紹介していこうと思います。
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/ @rekishi-jikkuri
【目次】
0:00 オープニング
0:48 第5位
4:42 第4位
8:33 第3位
12:51 第2位
17:19 第1位
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史 #歴史解説 #ゆっくりじゃない歴史解説 - Zábava
犬猿の仲だった伊達と上杉が、幕末には奥羽列藩同盟として幕府のために共闘するというのもまた面白いですね。
犬と猿なのに
終生の友であった前田利家と豊臣秀吉
納得のランキングですね。
次も楽しみにしてます。
細川忠興と黒田長政は有名だな。後は黒田長政と後藤又兵衛。後藤又兵衛基次と細川忠興は仲が良かった。後は柴田勝家と丹羽長秀の仲が良かったら羽柴秀吉の天下は無かったんじゃないか?って考察もあったな。
又兵衛は細川家に「長政は必ず軍の先頭に立って馬を駆って来るから、先頭の者たちを鉄砲で狙えば長政を討ち取ることは容易」と
アドバイスしたとか…(^^;
兎に角、日常的に戦闘があって「昨日の友は今日の敵」と油断ならない時代、それが戦国だったのですね!
黒田長政公は家康公の養女を正室に迎えるため、それまでの正室であった糸姫を離縁。糸姫の里の蜂須賀家と絶交状態が127年間におよびました。
長政の計算高さと見栄っ張り具合は戦国随一ですよね。
自分も黒田家と蜂須賀家の不仲が取り上げられるのかと思った。細川家と前田家も、細川忠興が、前田家から嫁いだ息子の嫁を追い出したため、不仲だったとか。
大浦(津軽)為信と南部利直
ちなみにこんな動画があります!が多すぎる。まるで一日中番宣してるTVみたい
毎回、右上に出すのはいいけど、あからさまの動画誘導は、確かに感心しませんね💦
@@giantnioinoba2023
いやいや。。
内容も面白い上に無料で学べるんだから別にいいじゃん。
見たくなきゃ見なきゃいいだけの話じゃないの?
勉強になります。百万石の酒では仲良さそうに風呂入ってますが、現実は違うんですね~。
豊臣秀吉と佐々成政
太閤立志伝シリーズでは仲が悪かったですね😄
こんばんは、面白かったです。
でも、ひとつだけ後藤又兵衛と長政の軋轢を差し込んでみたら良かったです。
先に書かれてるけど
加藤清正と小西行長
津軽為信と南部信直もトップ5に入ると思ったんだけどな〜‼️
何か今にも通じそうな争い
性格だけではなく利害絡んでると評価しにくくなるのはあるんじゃないかな。
あそこは犬猿を通り越して憎しみあってるというイメージで
水野勝成さんvs後藤又兵衛
水野勝成さんvs伊達政宗
関ヶ原後上杉が30万石に据え置かれたのは、
家康が犬猿の仲の伊達の抑えとして評価したから。
その割には幕府の上杉に対する待遇が減封処分とか伊達の抑えになるほどは良くないようですが
徳川と伊達は別に犬猿の仲と言う程仲が悪くはないですよ
直江兼続が一方的に伊達政宗を
嫌っていたような感じ
上杉景勝にとって伊達政宗は
越後再統一をアシストしてくれた
恩人な訳で
伊達の抑えとして評価していたのは、上杉より最上。
秀次事件で娘が処刑されて以来、最上は豊臣を見限り徳川を「次の天下人」として頼りにしており、関ケ原後は出羽山形57万石の大大名として東隣の伊達を監視する役目を果たしていました。
最上義光が伊達政宗の伯父であり、自身の妹で政宗の生母・保春院を預かっていた、というのも大きいでしょう。
黒田長政は後藤又兵衛との不仲も有名ですし他にも福島正則とも仲が悪くて仲直りの証に兜を好感したとか石田三成とも折り合いが悪く襲撃事件に参加したとか官兵衛時代からの武将たちが結構遠慮しない物言いでずけずけものを言ってきてそれにキレて喧嘩になったりと人付き合いが下手なイメージがありますね
福島正則ですけど…
ほんまやw
指摘ありがとうございます
高虎が嘉明を会津に推挙したのは松山城築城の苦労を無に帰させるためという話も…w
おもしろ!
稲葉一鉄と池田恒興。独立志向で縄張り意識強い稲葉と土地が接する池田とでよくもめてたらしい。というか長曽我部はむしろ仙石じゃないのw
10:20 毛利秀元と吉川広家は、輝元にとっては従兄弟だと思ってたんですが、甥になるんですか?
従兄弟ですね。
直江兼続と石田三成は非常に親しい友情で結ばれていましたが、
お互いもう少し性格がなんとかなっていれば歴史もだいぶ変わっていただろうなー
ってところまで似なくてもって感じですねー
加藤清正と小西行長
高坂昌信と長坂光堅にも1票。甲陽軍鑑で長坂の悪口書きまくり…
堀秀治と直江兼続。最上義光と直江兼続。前田利家と德川家康。三成失脚後豊臣家蔵入地を一括管理していた増田長盛が石田三成と密に協力していいたら?
誰もが相性の悪い人を持っているものですからね。創作では今川氏真にいじめられている徳川家康ですがこの二人実は終生そんなに険悪でなかったそうです。
本当に仲が悪ければ、幕府は今川家を高家にしていないでしょう。
氏真の公家とのパイプがお家存続に大いに貢献しました。
徳川家康と本当に仲が悪いのは豊臣秀吉と真田昌幸。
思えば、こういう犬猿の仲が歴史に大きく響くことは少なくないですね。関ヶ原でそういう武将同士の険悪な因縁が爆発して、笑う者泣く者ができたわけですか。あと豊臣秀吉と柴田勝家はまさに『犬猿の仲』で、『あの合戦解説』でも信長に喧嘩はやめよと何度も言われてました。
秀吉さんと勝家殿の犬猿の中ならぬ、猪猿の中だった2人は入ってないんだ
『あの合戦解説』で、お市様を巡るライバルでしたからね。
う~ん・・・どれも逸話扱いの物でもありますし、確かに史実として扱われている物もあるしで、個人的には別説がある場合は併記して貰えると
有難いなと感じる(収録時間の関係も理解していますが)
また長宗我部家の家臣粛清は、本来四国全土を収める筈の予定で家臣へ領土を分配していた所、土佐一国のみとなった為に家臣達への分と本家の
土地に余裕がなくなった為に、反対派を利用して領地を立て直したと言う説も有るので、親直のせいだけって言うのも違うと感じました。
ただ、全体的には分かり易く纏められていると感じます。
よしあきの漢字が嘉朗になってました
太閤立志伝的に 羽柴秀吉と柴田勝家😄
柴田勝家は主人公 羽柴秀吉を目の敵にしてくる🤣
柴田勝家のことが嫌いになれるゲーム🤣
太閤立志伝5だと勝家じゃなくて佐々成政が秀吉を目の敵にしていました。
……後々の処断フラグ?
伊達政宗と浅野長政
伊達政宗と蒲生氏郷
伊達政宗と佐竹義宣
伊達政宗と細川忠興
伊達政宗と最上義光
まさむねは同格くらいの人達からしたら、深く付き合うと取り潰しの原因になりそうでコワイですw
毛利輝元と毛利元就
同じ源氏でも甲斐・木曽・清和で
仲が悪いし、人間って面白いよね
石田三成と福島正則
それよく言われるけど歴史的根拠がないんですよね〜
一番やばい津軽と南部が無いな
あれ鹿ちゃんと吉川元春がないやん?
高虎と嘉明の逸話は刎頸の友、廉頗と藺相如の関係に似ている。
伊達政宗と直江兼続不仲有名ですし 黒田長政と細川忠興も有名ですね 因みに長政の父親官兵衛と忠興の父親藤孝は、どうだったのか❓
伊達政宗と蒲生氏郷
小西加藤が入ると思ってた…
オレも
これが1番ガチやと思う
親世代の遺恨はその代で終わりにしてほしい…昔は親しく付き合っていた親戚が、両親の晩年のいざこざですっかり絶縁となってしまった自分の現状😮
伊達政宗×佐竹義宣
伊達政宗×加藤清正
伊達政宗×浅野長政
12:58 チカチカ動画はじまるよ~♪ ( ノ╹ヮ╹)ノ
石田三成はいろんな武断派武将に嫌われた?
一説によれば、福島正則とはそれ程険悪ではなかったとも言われてます。
藤堂高虎が加藤嘉明を会津の大名に推挙したのは、加藤嘉明が伊予に松山城造ってこれからという時だったからこその嫌がらせなのでは?(笑)
自分もアレは高虎の嫌がらせなんじゃないかと思ってますw
松山から遠く離れた縁もゆかりもない豪雪地帯の会津はキツいよなあと(地元の方ごめんなさい💦)
雪に慣れてるつもりだった自分も冬の鶴ヶ城観に行った際に見舞われた大雪には流石に泣きたくなりました…w
温暖な松山から東北の会津へ・・・幾ら石高倍増でも私はイヤだ。
藤堂高虎と幕閣の巧みな政治工作の可能性は大いにあり得ます。
会津を領地にした大名はほぼロクな目にあってないですし・・・
蘆名氏(滅亡)、伊達氏(会津領没収)、蒲生氏(減移封、復帰するものの後に断絶)、上杉氏(関ケ原敗戦・減移封)
加藤氏(改易・大幅減封)、会津松平氏(戊辰戦争で悲惨な事に・・・)。
広島から2日間で大阪に入ったって中国大返しどころでないスピードだね。
石田三成と加藤清正って仲良かったのかな
若い頃夜遅くまで飲み明かして叱られた逸話があったような無かったような…
秀吉と利家
え?そうじゃないって?
実は利家が改易寸前まで関係冷え込んでたらしいですね
私の中で本当にかねがね評価しずらい武将が「吉川広家」なんよぬぇ…毛利を存続させた功か…大減封になってしまった罪なのか…。
江戸時代の吉川家は、岩国3万石の領主となり毛利本家とは別に江戸に屋敷を持ち参勤交代の義務を負いながら(当初は居城・岩国城の築城許可まで与えられていた)、毛利本家の推挙がないために大名となれず、江戸城の伺候席が定められていない・無位無官という、極めて変則的な存在の家でした。
藤堂高虎は自分が奥州に行きたくないから犬猿の仲の加藤嘉明推挙したんやなかったかしら(笑)
前おきが長くて見る気なくなった😢
これじゃ輝元がただのアホじゃん…
言って悪いが、何とも大人げない。「にんげんだもの(BY相田みつを)」は言い訳にならないと思う。こういうところに仕事は人間関係が一番厄介と考えさせられる。
兼続のエピソード性格悪いの多いよねw
国替えで米がーってのは兼続が越後の堀家にもやってるよね
一揆を扇動したりとか
上杉の疫病神と言える行動が多い武将のイメージなんだが変に評価されてると思うよ。
兼続の死後は上杉家中では「上杉家を滅亡の危機に陥れた奸臣」と扱われ、直江家も兼続の未亡人・お船の死をもって断絶しました。
当初から評価が高ければ、兼続が亡くなっても他の家臣の子息を養子に迎えてお家が存続されるんですけどね。実際、他の上杉家臣の家は後継ぎがいなくても養子を迎えて存続されているケースがほとんどです。
直江兼続は単に礼儀知らずなだけ。そもそも主君の景勝の素性は長尾氏の傍流。その家臣だから、大叔父が上杉の養子になりかけてた政宗から見れば陪臣ですらない。小物過ぎて政宗も困ったと思う。
😩😩😩หน้าคือลูกหมอกวิรุณเทพบุตรเปะเลย..