【ゆっくり解説】島津義久・義弘兄弟相克編その8ー庄内の乱(前)忠恒、家督を継承するも伊集院忠棟お手討ちが動乱の引き金に!
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- čas přidán 28. 03. 2024
- 今回は忠恒が泗川の戦いでの戦功を賞されて5万石の加増を受けてさらに家督も継承するも、権臣伊集院忠棟をお手討ちするという大事件を引き起こし、忠棟の盟友石田三成の失脚という中央政局の大変動ともあいまって、忠棟の嫡男忠真による「庄内の乱」が勃発するまでの展開を解説していきます。
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投稿お疲れ様です。江戸時代に鹿児島の人の手によりこの庄内の乱を舞台に描かれたBL小説がありまして賤のおだまきと言います。
平田三五郎と吉田大蔵という二人の衆道関係を結んだ武士の出会いと庄内の乱で共に戦死するまでが描かれた作品です。
どちらも実在の人物で衆道関係を結んでいたのも事実で平田三五郎さんは戦死したときに新納忠元さんから彼は無双の美童だったと悼まれて哀悼の和歌を詠まれたとか
鹿児島では武士道と男色を称揚する作品として若者達に親しまれてさらに全国では自由民権運動の機関紙に連載の機会を受けて全国的ブームになり森鷗外のヰタ・セクスアリスに影響を与えたとも江戸時代にも二次創作はあったんですね
コメントありがとうございます!その作品の存在は自分もちょっと聞いたことがあります。日本の二次創作の伝統は江戸時代から続いているんでしょうか😄😄
忠恒が藩主になってから島津領は最終的に15万石程増える事になるんですよね。この増加分は運も実力も実力も有るけど忠恒は家中統制に最大限利用していますね
ホント義久・義弘が知恵を絞って運営していたのに比べると無分別で強引極まりなく危ない橋を渡っても居ますが最後には不思議と上手くいく。時には蛮勇が事態を好転させる典型例ですね。性格はともかく天が島津家に下した最大の恩寵だったとしか
忠恒の忠棟お手打ち事件は、突発的な気がするけど、その直後に三成が失脚して、無罪放免とか、運の強い人だなぁと思いますね!!
コメントありがとうございます!運という要素はやはり無視できないですね😅😅
伊集院忠棟の妻も家康に直訴に行ったりとかすごい人ですよね
薩摩なまりで家康に通じなかったみたいですが
コメントありがとうございます!忠棟は奥さんの尻に敷かれてたかもと想像するとちょっと笑えます😅😅
伊集院忠棟という人は 有能ではあったけど鍋島直茂や直江兼続ほどの器はなかったんでしょうね
器ってか上からも下からも嫌わてる人間に権力渡したのが失敗だったね。鍋島直茂は龍造寺一門に直江兼続は主君の信任を受けてる前提があるけど伊集院忠棟は家中から信頼されてないから。
15:55 この重役連署の書状ですが意に反して三成が伊集院をかばった場合、豊臣政権の了解無しでの伊集院討伐を忠恒に促す意図もあったんじゃないかと思います。
何か目に見えぬ大きな力に選ばれたのが忠恒で、選ばれなかったのが忠棟と言う感じですね
コメントありがとうございます!ミもフタもないですけど運に左右されてる部分はありますよね。
11:30 古賀公方:俺も関東管領上杉憲忠やっちまったし、あるあるよ
昔、庄内ナンバーで九州に行くと「新しいナンバーですか?」と聞かれて不思議に思ってたけど日向庄内と勘違いしてたのかな(笑)
やっぱり島津の殿様は半端ない
忠恒には義久・義弘がいてくれて良かったですね。
もしいなかったら色々機能しなかったことでしょう。
コメントありがとうございます!三殿体制は問題も抱えていましたが忠恒のバックアップという点では大きな意義があったと思います。
この事件は悪久と呼ばれる原因の一つだろうけど、さすがとしかいい様がない
これを家臣が正当化し運良く三成が失脚し大した問題にならなかったからそのままああなっちまったのか
理由はどうあれ、最低限島津を咎めても良いと思うけどね。家康たちが、介入しなかったのが謎
三成は島津の取り次ぎを辞退しとけば、島津からのヘイトをかわずに済んだのに。こんなややこしい島津家と関わるメリットが無い。
ただの有能なんだよなぁ
この時期に確か義弘も参議に任官してるはずなんですけどこの任官も朝鮮出兵での論功行賞ですかね?
コメントありがとうございます!義弘の参議昇進は忠恒の任官とのバランスを取るためみたいですね。
チャットエンペラータイム来たり!
多分な
22:40
三成の強引さと、融通の効かなさが、義久や島津家臣の不興を買ったのは事実だけど
そもそも領土欲に駆られた家臣団と、義理人情と家臣団の気持ちを最優先した義弘
それを制御出来なかった義久の場当たり的な領土拡大の末の征伐、からの財政破綻危機で
義久が家臣の反発を恐れて改革出来ない中で、三成が介入したから一応財政が建て直せた一面もあるので
仮に三成が介入しなかったら、財政危機からの家臣の不満爆発、佐々成政ルートだった可能性は十分にある
それを義久も義弘も分かっていたから表立っては三成に反発出来なかったし、伊集院を捌け口にするしかなかった
一方の忠恒からすればそんな事ではいつまでたっても改革が進まないと義久、義弘の許可を得ずこのような事が起きたのではないのでしょうか
相談していれば必ず止められたのは目に見えていますし
突発的ではあるものの、考えがあって起こした気がします
酒も入れていたのも、とんでもない事をする覚悟の現れでは?
忠棟暗殺は危うく大阪の陣の片桐且元排斥。ヤバかったなあ。そっから巻き返しが凄い。
コメントありがとうございます!遅かれ早かれ伊集院の排斥は必然だった感もありますね。
伊集院忠棟のお手打ちはやらかしでもなんでもなく中央集権達成の為の第一歩に過ぎなかった。(豊臣)公儀になった時にすべての不満が噴出した結果。
三成が失脚しなかったら中央集権どころか、島津家が解体された可能性もあるんですがそれは
@@user-nr7qd5vh3l ハイリスク・ハイリターンの末の結果論だからね。七将襲撃事件に直江が会津転封する時に兵糧米全部持ってて堀と揉めたり、宇喜多騒動も起きたり秀吉逝去後の不満噴出は島津家に限ったわけじゃないから。最初こそ発作的にやったことだけど、カオスな時期だからこその英断ってやつよね。
石田三成が各方面から憎まれてる事を察知した上での犯行でしょうね。
秀吉が死んで諸大名もタガが外れてきてる
コメントありがとうございます!豊臣政権が制度的に固まってなかった弱点が露呈しましたね。
秀吉の九州征伐の敗北から十数年 豊臣政権からの度重なる内政干渉、奸臣 伊集院忠練の跳梁、相次ぐ家中対立 島津家は闇に沈まんとしていた そんな 島津に光を灯す 救世主が現れた その名も島津忠恒である。(解説やOPはコードギアス風)
島津忠恒を主人公にしたアニメ作るとしたらこんな感じかな
この時期の加藤清正の暴れっぷりは凄まじいですね…
関ヶ原前から大暴れしてたの考えると黒田如水以上の危険人物ですし、こんなのが近場に居たらそりゃ島津も関ヶ原の時本国の軍動かせませんよ
『黒田家譜』では如水は島津攻めにまずは東軍に降伏したばかりの鍋島を攻めさせる。鍋島は弱いから負けるだろうが続けて加藤清正を攻め込ませて、自分は悠々とその後を袴付けて付いていく とか言わせています。加藤清正は如水ごときに使われる様な人物でなく一応豊臣政権体勢では如水よりずっと格上です。まぁ『黒田家譜』は公式の軍記物と言って良いレベルの書物なので仕方ないですが
結局家康の掣肘を受け肥後に逼塞することになりますが、関ケ原では東軍とも西軍とも言えぬ怪しい動きをしていますし中央に居たら日本史がもう一つ楽しい事になって居そうです
タイミングは完璧でしょう。豊臣から徳川にこのタイミングで寝返ったから家康の支持を得られた訳だし。まあ何故か義弘は西軍で関ヶ原に参戦してさらに面倒なことになるけど。
伊集院忠棟って隠田(検地で把握されてないやつ)持ってたんか……。(16:32)
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