【鎮魂の祈りを後世へ】会津慰霊祭

Sdílet
Vložit
  • čas přidán 24. 06. 2024
  • 近代日本に繋がる明治維新の戊辰戦争で戦死した会津藩士殉難者の埋葬は先人の血の滲むような努力により1869年に始まりました。
    先人の思いを引き継ぎ戊辰殉難者の霊魂をまつるために長い歳月を重ねながら関係者の多大なるご尽力により行っている祭典(慰霊祭)になります。
    [撮影場所]
    ・飯盛山
    ・長命寺
    ・善龍寺
    ・阿弥陀寺
    [白虎隊墓前祭 秋季祭典]
    ▼公共財団法人会津弔霊義会様のHPより要約・一部抜粋引用
    飯盛山には、会津鶴ヶ城を望んで自刃した白虎隊十九士、各地で戦死した白虎隊士のほか
    同時期に戦死した少年武士らが祀られています。
    白虎隊の霊を慰めるため、公益財団法人会津弔霊義会様主催のもと
    飯盛山の白虎隊士墓前で毎年4月24日と9月24日の春秋2回、白虎隊墓前祭を行っています。
    [戊辰殉難者長命寺 秋季祭典]
    ▼公共財団法人会津弔霊義会様の活動のご案内より要約・一部抜粋引用
    長命寺は、戊辰戦争で佐川官兵衛を総督にした大激戦があった場所です。
    「戦死墓」とした墳墓には殉難者145柱を合葬しています。
    毎年4月23日と9月23日の春秋2回、戊辰殉難者慰霊の祭典を行っています。
    [善龍寺 奈与竹之碑 碑前祭]
    毎年5月1日に戊辰戦争で殉難死した会津藩士の妻・母・娘など女人の霊を弔います。
    供養祭では詩吟の奉納や県立葵高等学校の生徒による舞踊やなぎなた演武が奉納されます。
    奈与竹之碑という名称は、会津藩家老・西郷頼母の妻・千重子の辞世の句
    「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」
    から名づけられたもので、これは、か弱い婦女子の心を曲がらぬ竹の節に
    なぞらえ会津女子の精神の強さを歌い上げたものです。
    [阿弥陀寺 春季祭典]
    ▼公共財団法人会津弔霊義会様の活動のご案内より要約・一部抜粋引用
    阿弥陀寺には、戊辰戦争で戦死した会津藩士を合葬した墳墓が築かれています。
    本堂の拝霊殿には多くの会津藩殉難者の霊を集めて祀っています。
    毎年4月23日と9月23日の春秋2回、戊辰殉難者慰霊の祭典を行っています。
    #会津 #戊辰戦争 #幕末 #日本史
  • Jak na to + styl

Komentáře • 1

  • @user-du7ym9tb4i
    @user-du7ym9tb4i Před 18 dny +2

    戊辰戦争の歴史的を改めて知り、日本の歴史勉強しました、ありがとう御座います、機会有れば是非再度訪問したいですね、ありがとう御座います、