昭和30年代前半 かけこみ乗車 のようす

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  • čas přidán 5. 09. 2024
  • 昭和33年お正月 まつたけ劇場公開作品「張込み」より
    監督 ;野村芳太郎 原作;松本清張
    宮口精二 大木実ほか
    国鉄協力作品
    本作は、つべのⒸ申立制限なし でLoadしています。
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Komentáře • 14

  • @asaichban9842
    @asaichban9842 Před 3 měsíci +1

    デッキにいて ポイントで揺れ 転落して死んだ上級生がいましたね
    あの年は 海水浴で溺死、交通事故で死んだり 小さな小学校だったけど災難続きでした

    • @qsht
      @qsht  Před 2 měsíci

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      まだ客車列車の自動扉化が進んでいない頃、
      橋梁通過中にデッキに立っていた人が、
      突風で吹き飛ばされた事故がありました。
      いまでも、日本以外の国では列車のドアが開放タイプの車両が多く残っており、
      少々の乗り遅れには便利かもしれませんが、やはり危ないですよね。
      それにしても災難というのは、得てして続けて起こるものですね。

  • @Chinjyang
    @Chinjyang Před 8 měsíci +5

    1980年代前半でも旧型客車のドアは開けっ放しがあったのでやってたぞ!

    • @qsht
      @qsht  Před 8 měsíci

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      そうですね、
      九州や山陰、四国、紀勢線、北陸線、東北や北海道各線では
      1980年代は旧型の普通客車列車が最後の大活躍をしていた時期でした。
      走り出したり、まだ停まっていないのに
      ホームで飛び乗ったり飛び降りたりして、失敗している人も見かけました。私鉄でも津軽鉄道や大井川、同和鉱業片上鉄道あたりは、
      同じような体験ができた最後の時代でしたね。

  • @user-uc8oe6gi5p
    @user-uc8oe6gi5p Před 4 měsíci +1

    ウチの大学の後輩が和歌山県の某有名私立高校(中高と通ってたそうだ)出身で、通学時旧型客車が走っていた最後の世代で飛び降り飛び乗りは日常茶飯事だったそうです。
    京浜東北線の72系の路線札(窓の上に小さく白い部分がある、そこに[京浜・東北]と書いた札を貼り付けていた、山手線と田端田町間を共用していた時代の誤乗防止のため)が確認できますね。

    • @qsht
      @qsht  Před 4 měsíci

      毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
      紀州路の阪和線や紀勢線には、かなり後年まで客車鈍行が走っていましたから、思い出をお持ちの方が多くいらっしゃると思います。
      都市圏が旧型国電の頃は、たいていがブドウ色の車体でしたから、
      白表記が注意を引いて、効果的なアクセントでアピールされていました。
      今の時代はどこでも銀色の車体にカラー帯ですけど、色がありすぎて
      かえって分からなくなったりすることがありますね。

  • @bolaurel1
    @bolaurel1 Před 8 měsíci +6

    客車列車の扉は手動だったから、飛び乗りも出来たし、逆に列車が完全に停まる前の飛び降りも良くあった。
    その為、駅では「列車がよく停まってからお降りください。」「完全に停まってからお降りください。」のアナウンスが繰り返されていた。
    またローカル線では末端部がホームにかからない場合も多く、小生も降りる際にホームの無いところに飛び降りた事も数度ありました。
    (一般的に、荷物車がホームにかかるところに停まるようになっていた。)

    • @qsht
      @qsht  Před 8 měsíci +1

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      この映画が公開された時代には、
      拡声器のある大きな駅では、おっしゃるように乗降の注意がアナウンスされていましたが、
      ちょっと規模が小さい駅になると、誰も何にも言わずに、
      お客さん自身の"運"と責任で駆け乗り・降り駆けが見られました。
      自動扉が普及しても、連結面に乗るお客さんも出てきて、
      ひと頃、問題になっていましたね。

  • @user-hu8rp8hk4j
    @user-hu8rp8hk4j Před 8 měsíci +2

    旧型客車はドアが手動で、電車よりも加速が緩やかだったので、飛び乗り、飛び降りができました。車掌さんや駅員さんが「列車が完全に止まるまでお待ち下さい!」とアナウンスしていましたね。

    • @qsht
      @qsht  Před 8 měsíci +2

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      飛び乗るのは比較的容易なのですが、飛び降りるのがむずかしくて、
      流れ去るホーム上で転倒するお客さんを、私どももよく見た覚えがあります。
      長距離列車では、乗り遅れは深刻な問題になったので、牽引する機関車の性能にもよりますが、
      飛び乗りを想定して、後部がホームを切るまではダッシュで追いつくスピードを
      機関士がサービスしていたという逸話(鉄道ジャーナル記事)も残っています。

  • @GO-ix8cv
    @GO-ix8cv Před 7 měsíci +1

    動いている列車に飛び乗った経験はない世代です。横浜駅の思い出は東横線がまだ地上にあったのと横須賀線のホームが今より狭かったことくらいですかね。

    • @qsht
      @qsht  Před 7 měsíci

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      むかしもいまも、横浜駅は東海道本線の主要駅なのに、
      東横線も京浜急行線も上下線の2本がぴったり国鉄線を挟んでいた前後左右に余裕のない駅ですね。
      おなじ東海道本線で、
      西の神戸駅も似たような環境czcams.com/video/imvGgbNcJGc/video.htmlです。
      乗り換え駆け込みは、こうしたシンプルな駅だとみなさんやりやすいようです。

  • @k.i1428
    @k.i1428 Před 6 měsíci +1

    今なら、「駆け込み乗車は危険ですから、おやめ下さい。」と、アナウンスがながれそうです。加速の遅い当時の機関車牽引列車だからこそです。

    • @qsht
      @qsht  Před 6 měsíci +2

      いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
      機関車牽引+手動ドアの時代には、
      飛び乗り飛び降りがある,とゆうことを鉄道側も十分知っていて、
      列車後部がホームの端を切るまで
      "自転車に抜かれるくらいの速度"を意識して維持していたのだ
      とする元国鉄機関士の回想が、
      先年の毎日新聞の記事には書かれていました。