零戦に対抗するために生まれたF4Fワイルドキャットの後継機、F6Fヘルキャットをゆっくり解説します【ゆっくり解説】

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  • čas přidán 9. 01. 2022
  • 今回は、グラマンF6Fヘルキャットについて紹介します。
    F6Fは、第二次世界大戦中のアメリカの空母艦上戦闘機です。
    F6Fは、初期のF4Fワイルドキャットの後継機として、また日本の零戦に対抗するために設計されました。
    太平洋戦争後半にアメリカ海軍の主力戦闘機として活躍し、視界や空母への着艦に問題があった高速のヴォートF4Uコルセアよりもパイロットの人気を集めています。
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    #F6F#ヘルキャット#グラマン
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Komentáře • 144

  • @hia926
    @hia926 Před 2 lety +101

    F6Fの開発時期からも対零戦用に設計された訳ではありません。次のF8FはFw190の高い旋回維持率や余剰馬力による優れた運動性能とコマンドゲレードに感銘を受けたグラマンの技術者により海軍に提案された仕様書がベースで、零戦の実機を入手評価後はF6F-5で上昇率と旋回半径以外は充分対抗可能と判断されたそうです。

  • @keyyou3478
    @keyyou3478 Před 2 lety +64

    ヘルキャットの開発は1938年からだしどっちかというとコルセアの保険として開発された機体だと思うよ。(対零戦用は結果論もしくは後付けだと思うよ。)

    • @user-xk3nn8sp6d
      @user-xk3nn8sp6d Před 2 měsíci

      コルセアが性能的に良くても少々斬新過ぎてやっぱり不安なので保険として堅実な設計で作ったらしいですね。
      結果は案の定で作っといて良かった❗良かった❗
      でも強力なエンジンの開発と大量生産がアメリカには出来た事の方が大きな理由でしょう。
      日本ならエンジンがでかくて前が見えないとかごちゃごちゃ文句垂れただろうな。
      でもパワーに余裕があればそれなりの対策も取れただろう。
      無駄をそぎおとした零戦の思想が後々呪いの様に降りかかって日本の航空機設計を縛り付けた様に思いますよ。

  • @SSGB
    @SSGB Před 2 lety +15

    既に他の人も指摘しているように、F6FもF8Fも、共に対零戦用として開発が始まったものではない
    F4Uはエンジンの直後に燃料タンクを置いてコクピット位置が後退したせいで、着艦時の角度では翼で空母の甲板が見えないのが問題だったのであって、信頼性とか関係ない
    F4Uは、後に供与されたイギリス海軍で、大きく旋回しながら斜め下を見て位置を決めて降りる方法を開発、海兵隊が陸上運用していたF4Uも空母での運用が可能になった

  • @user-ec9xf2tp6q
    @user-ec9xf2tp6q Před 2 lety +16

    P-51とF6Fは無駄をなくして、生産も容易というのが傑作機であり平凡。
    日本が職人技で生産している時代に、既に女性工員でも確実に組み上げられるシステムが構築されていたから、無限に湧いてくるのは恐怖でしかない。
    それに独特の主翼折り畳み機能は、空母に最大積載量で汎用機を乗せられる。こんな相手に戦争をしたのは勝てる要素が見つけられない。

  • @nekomimiz5559
    @nekomimiz5559 Před 2 lety +28

    零戦に対抗で作られて無い!零戦に遭遇する前からF4Fのアップグレードで開発している。

    • @user-xi7xk3xv8r
      @user-xi7xk3xv8r Před 2 lety +7

      確かコルセアが視界が良くないとかで競作で落ちたヤツの改良版として作られたのがF6Fだったはず

    • @user-zw6wh5ud1d
      @user-zw6wh5ud1d Před 2 lety

      原型初飛行は、零戦より先だった。

    • @user-ed6xt4yf3o
      @user-ed6xt4yf3o Před 2 lety +1

      @kohada_kobou
      艦上機だから翼断面は大抵同じになりますよ(揚力欲しいので

  • @user-qh5cn5yd2t
    @user-qh5cn5yd2t Před 2 lety +37

    零戦   F6F 
    設計  1937  1938
    試作  1939  1942.6
    正式  1940  1942.10
    良く言われるダッチハーバーの零戦鹵獲が1942.6でどう考えても設計に影響は出来ない。
    設計段階だと両機は互いを知らないので対抗しようが無い、もし考えるなら中国派遣のフライングタイガースの報告書だけど新型機(おそらく零戦)の報告を上げているが
    信用されなかったらしい(1940頃)
    F6Fの本格登場が1943年頃で米軍の本格反攻と重なって、零戦キラー的なイメージが付いたと考えるのが妥当じゃないかな?

    • @ttora9031
      @ttora9031 Před 2 lety +1

      ゼロを意識して設計された機体はF8F ベアキャット、ゼロより一回り小さい機体!最初の部隊配備機は日本に向け航行中に終戦。

    • @amesupiiii
      @amesupiiii Před 5 měsíci

      @@ttora9031
      空戦能力はレシプロ最高峰だったが、爆装もできない使い勝手の悪さとジェット戦闘機の時代の到来からすぐに消えてしまった悲運の名機。

  • @hiroturbo7311
    @hiroturbo7311 Před 2 lety +26

    戦争は数! 芸術品より量産品...

    • @LITHRONE35
      @LITHRONE35 Před 2 lety +1

      というのをガルパンで知った。
      ティーガー、パンターが登場しても、4号戦車の生産は終戦まで続いたという。

  • @Woosei
    @Woosei Před 2 lety +23

    突出した性能はないけど、全てにおいてバランスが取れた機体ですね。
    必要十分なスピードに機動性、
    ブローニング6丁の高火力。
    そして堅牢な防御力と高い生産性。
    地味な存在かもしれませんが、ヘルキャットは文句なしの名機だと思います!

    • @user-pt5iq9fy8c
      @user-pt5iq9fy8c Před 2 lety +4

      誰だったか・・・・
      「無駄だらけだけど、贅沢にできた良い飛行機」
      って言ってた気がする~♪

    • @user-middlemountmirror
      @user-middlemountmirror Před 2 lety +2

      @@user-pt5iq9fy8c
      松本零士戦場まんが「復讐を埋めた山」で、鹵獲した本機で米海軍が鹵獲使用していた零戦を撃墜した主人公の父・大山田中尉
      終戦後に喰ってかかってきた鹵獲零戦の模擬空戦相手だった米パイロットに本機の感想を聞かれた時に答えた言葉
      中尉といっても兵隊からの叩き上げらしく、白ヒゲのオヤジパイロット

    • @user-fb3oq9jq3d
      @user-fb3oq9jq3d Před 2 lety +3

      @@user-pt5iq9fy8c「 指が銃の一部になったか。よくあることだ」

    • @user-middlemountmirror
      @user-middlemountmirror Před 2 lety +1

      @@user-fb3oq9jq3d
      byミスター・オマーシャリフ(ガイド)

  • @guillotinethegreat
    @guillotinethegreat Před 2 lety +13

    「日本軍機は胴体内に工員がやっとひとり入れるほど細くスマート、だがヘルキャットは三人同時に入れそうなほど。生産性の高さが違ってた」とは、故 木村秀政氏。
    それに、零戦の「神話」なるものは機体性能や操縦士の技量のみならず、後方の警戒システムや生産現場や整備要員たちの練度・経験も大きかった…という面も。
    日本軍は航空機も他の兵器・装備類も含め、戦局悪化に比例し製造段階からの品質低下、維持管理の劣悪さで負のスパイラルに陥っていった。警戒・索敵のソフト面も同様。
    何km/h速い遅いとか、出力何HPとかいった以前の次元で、そもそも大日本帝国は全世界相手の対外侵略なんか出来る国じゃ無かったというしか。

  • @31gts54
    @31gts54 Před 2 lety +17

    昔のNHKのドキュメントでも 零戦を徹底的に研究し生まれたのがF6Fだと言っていましたね😅
    カッコはどうあれ パイロットを最低限度以上に守る思想は素晴らしいと思います。

  • @ains19630101
    @ains19630101 Před 2 lety +9

    F6Fは零戦対抗機種ではありません。本当の零戦対抗機種はF8Fです

  • @user-vu3pd5jw4v
    @user-vu3pd5jw4v Před 2 lety +10

    皆さんコメントしてますが、F6Fは対零戦用として開発された機体ではありません。
    ただ、対零戦用の機体が開発されるまでの「繋ぎ」として、実戦配備を急がせたのです。
    真の対零戦用の機体として開発されたのが、F8Fベアキャットです。
    仮に、零戦の後継機の
    烈風が終戦までに間に合って実戦配備されたとしても、相手をするのがこのF8Fだと思われますので、苦戦は免れなかったでしょうね。

    • @user-jd7ip5gq1z
      @user-jd7ip5gq1z Před rokem

      ベアキャットは、ほぼ幻の機体になっちゃったけど、あのエンジン性能と洗練された機体デザインそして過剰とも言える火力はやばい

  • @user-nn6ko4wx4u
    @user-nn6ko4wx4u Před 2 lety +27

    F6Fの形はあまり好きでは有りませんがペーパークラフトを作り飛ばしてみると形に反して良く飛びます。高速では零戦より旋回機能が良かったのも納得です。

  • @user-dg2zi1wo4b
    @user-dg2zi1wo4b Před 2 lety +3

    たしか対零戦用よりも、意欲的なF4Uの開発が失敗した時の保険機とされたのと、グラマン社がF4Fの後継機として開発していたF6Fが、量産された側面があるのだったかな?
    操縦に癖があり難しいF4Uが実用化に向けてモタついてる間に、操縦がしやすく少々荒っぽい離着陸や操縦をしても、大丈夫なF6Fが急速に空母へ配備された感じです。
    玄人向けのF4Uに対して、初心者から中級者向けのF6Fで、太平洋戦争が終わったら急速に退役していったF6Fに対して、朝鮮戦争でも戦闘爆撃機として空母上に配備されていたF4Uが、本命じゃ~なかったのかなぁ~?

  • @mansyouwa3994
    @mansyouwa3994 Před 2 lety +8

    子供の頃は零戦が好きだったけど今はヘルキャットが一番好きです。
    特に折り畳み翼のアイデアはすばらしい。

    • @user-pt5iq9fy8c
      @user-pt5iq9fy8c Před 2 lety

      零戦だって・・・・
      翼端畳めるモン!!!←単なる負け惜しみ

  • @everyday914
    @everyday914 Před 2 lety +6

    このずんぐりとしたいかにもカチカチな見た目がアメリカっぽくて好き

  • @masa695
    @masa695 Před 2 lety +6

    F6Fは零戦なんて見てない
    開戦後すぐに初飛行したことも零戦の強さを痛感する前だしF4Fの強化版が正しい

  • @KM-gz1ib
    @KM-gz1ib Před 2 lety +9

    ヘルキャットは零戦に対抗する為に生まれた┉┉時々こういうのを見ます、
    しかしワイルドキャットはバッファローの、ヘルキャットはコルセアの保険機で、対零戦はベアキャット。
    もちろん戦争中ですから、ヘルキャットの製作に当たっては戦訓が取り入れられたのは当然すが、それはどこの国でもするでしょう。

  • @user-zp2ds3kc6v
    @user-zp2ds3kc6v Před 2 lety +9

    ワイルドキャットの後継に
    開発されたスカイロケットの大失敗に懲りて、
    無難な設計(大馬力エンジン、
    重武装、重装甲、量産可能)
    に落ち着いた戦闘機。

    • @user-kj9rz3su8r
      @user-kj9rz3su8r Před 2 lety +2

      「XF5F」と書いておけば「F4FとF6Fの間」が解りやすかったと思います。

  • @user-tg4kj5xt8f
    @user-tg4kj5xt8f Před měsícem

    結局、大きな機体に強力なエンジンという組み合わせが一番重宝する。
    キチキチに作ってしまうとすぐに行き詰まってしまう。

  • @bsnjw999
    @bsnjw999 Před 2 lety +3

    子供の時から一番好きな二次大戦戦闘機でした
    経験値が低い兵士でも確実に飛んで連れて帰るがすきでした
    1970年代に販売されていたF6F関係の本は出来るだけ買い揃えました
    輸入盤もあにに手配してもらい輸入しました
    完成版の-5より-3の方が好きでした

  • @kingofthenoob1668
    @kingofthenoob1668 Před 2 lety +1

    なんかめっちゃカッコいいってわけじゃないのになぜかすこってしまう機体

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Před 2 lety +1

    グラマン社の戦闘機は凄いし、かっこいいですね!

  • @maejimasauto-bikeelectoric3289

    おつかれさまでしたー
    なるほどなー
    こんな、機種かー

  • @ainayuzu6276
    @ainayuzu6276 Před 2 lety +3

    あたりまえのことを普通にやって勝つ。これが強者の戦い方。
    奇襲や突飛なことは弱者が一発逆転を狙った戦い方。
    F6Fは焦る必要なないアメリカの余裕と思えます。

  • @zubizuberpapa
    @zubizuberpapa Před 2 lety +7

    初飛行は零戦と殆ど同時期の1941年、元から大馬力機だったのも凄い。航空機開発ではドイツよりイギリスの方が勝った感があるけど、この当時既にそのイギリスよりアメリカの方が勝っている気がする。それに意外にカッコよく見えてしまうのも悔しい(笑) 開発開始が1939年でF4Fの後継機ということは、もしかして日本海軍が96式艦戦の時、既にアメリカ海軍はF4F持ってたんですね。

  • @user-tu2dd7ji2p
    @user-tu2dd7ji2p Před 2 lety +3

    今関係ない話しだと思うがプライベートで第一第二大戦に無い空想の艦上戦闘機を設計しているがかなり難しいそう考えると昔の設計士はすごい

  • @honhon999
    @honhon999 Před 2 lety +1

    ワイルドキャットからのビヤ樽ボディが好き

  • @pcx2325
    @pcx2325 Před 2 lety +2

    ヘビー級ボクサーを具現化したカッコいい、アメリカらしいレシプロ戦闘機!

  • @user-uw9ji5xw2r
    @user-uw9ji5xw2r Před 2 lety +1

    ナレーションの監修時自動音声部分を是正してください 疾風は はやて でしょう。 中身がいいだけに要修正です。

  • @user-zx6hg4np8j
    @user-zx6hg4np8j Před 2 lety +9

    F6Fが零戦対抗って勘違い多いですね。設計開始は1938〜、初飛行は1941.6月で設計は単にF4Fの発展でしょう。ただアクタンゼロを参考にサッチウェブとか対抗戦術を立てたから対抗馬と言えばそうだけどね。

  • @nightflyer1100
    @nightflyer1100 Před 2 lety +1

    少しくらい重くなってもいいから防弾をしっかりしてくれ!とのリクエストがあったそうですね。設計思想の違いがわかりますね。空母に乗せて前線での運用中の稼働率はとても高かったようです。
    対して日本軍では「大和魂で乗り切るんだ!」との精神論が優先されてたようで...

  • @tiber5742
    @tiber5742 Před 2 lety +2

    F4F/F6Fは海軍のM4シャーマン戦車と思いませんか。ゼロ戦以上の艦載機だと思う。実用性No1の兵器らしい兵器。

  • @user-ui1lw5zr8u
    @user-ui1lw5zr8u Před 2 lety +1

    今は亡き母が言ってた。「機銃掃射してきたグラマン、操縦士の顔が見えたよ」

  • @user-mw6ki5if8u
    @user-mw6ki5if8u Před 2 lety +2

    戦いは数だよ、兄貴ィ

  • @genyama714
    @genyama714 Před 2 lety +1

    22年のお正月にヘルキャット見てきたよ。予想を上回る大きさでスカイレイダーと同じぐらい。コンパクトに羽根を畳めるし、コクピットが防弾構造で異様に狭くて大変そう。

  • @leiola1006
    @leiola1006 Před 2 lety +3

    ヘルキャットの開発時期を考えると、零戦に対抗することが明確な目的とは言えない気が・・・。

  • @user-pz2oe1jf2r
    @user-pz2oe1jf2r Před 2 lety +2

    私もWW2のアメリカ艦上戦闘機では一番好きな機体ですね、開発経緯はどうあれ結果的には零戦封じの役割を果たしたのでしょう。

  • @user-kt5ci7jf7i
    @user-kt5ci7jf7i Před 2 lety +2

    兵器の高性能ってカタログスペックが高いとはまた違いますからね

  • @kakimaron1550
    @kakimaron1550 Před 2 lety +1

    翼の折りたたみが最高

  • @akanwazibune
    @akanwazibune Před 2 lety +1

    戦いは数だよ。兄貴!

  • @user-ec2ly3xm1y
    @user-ec2ly3xm1y Před 2 lety +2

    私の父親世代は「グラマンは零戦をコピーして作った」って良く言ってましたね。
    自分がオトナになると「全然違うやんけ!」と解るんですが( ̄▽ ̄;)

  • @aamm11111
    @aamm11111 Před 2 lety +1

    タラワの30対1というのは、爆装ゼロ戦との空戦のことでしょうか?
    2日で10数機やられていますが、ゼロ戦は爆装させられていてまともに空戦できてないし、3日目の攻撃はこの戦術は無茶苦茶だというパイロットからの猛抗議で中止されています。
    30機というのはどこから出てきたんでしょうか?

  • @user-ij5ib2ep6w
    @user-ij5ib2ep6w Před 2 lety +3

    fw190に衝撃を受けたのでそれで少し設計を変えたぐらいで 零戦は全く意識してないね

  • @BBS335
    @BBS335 Před 2 lety +11

    対ゼロ戦に使われた機体だけど、対ゼロ戦用に開発された機体では無い・・・ ! そもそも開発開始時期はアクタンゼロの発見よりず~っと前ですよ・・・。
    対ゼロ戦用と云うなら開発時期的とコンセプト的にはF-8Fじゃないかな・・・?
    元ゼロ戦乗りがゼロ戦が劣勢になったのはラバウル~硫黄島以降・・・。硫黄島の頃までは性能差は操縦士の腕でひっくり返る程度だったそうです・・・。
    F-6Fの優勢は数の暴力が発揮され戦力差が5~10倍になりしだした頃から、その頃には弾切れで反撃できず落とされるゼロ戦も多かったそうです・・・。
    でも、当時のゼロ戦の操縦士はF6-FよりF-4Fの最終型(FM-2型?)を嫌がる方が多かったですよ・・・。F-4Uは絡んでくれば鴨と云ってた方も居ました・・・。

  • @user-rl1ty5ml6h
    @user-rl1ty5ml6h Před 2 lety +3

    カタログスペックは凡庸でも戦果が優秀さを物語ってるよね

    • @BBS335
      @BBS335 Před 2 lety +3

      F-6Fは数の暴力・・・。沖縄戦の頃には1対8以上の戦力差・・・。新米操縦士がそれに勝つなんて無理・・・。

  • @user-zi2fc5fw3h
    @user-zi2fc5fw3h Před 2 lety +6

    F6Fで零戦と格闘戦で挑んだ猛者もいたらしいな

    • @user-lt3sy8wk3j
      @user-lt3sy8wk3j Před 2 lety +4

      高速域の格闘戦なら大丈夫

    • @sei-un
      @sei-un Před 2 lety +2

      @@user-lt3sy8wk3j 逆にゼロ戦で一撃離脱戦法した人も居るしな

    • @BBS335
      @BBS335 Před 2 lety +9

      本土防空戦を戦った操縦士の手記だったと思うのですが・・・、
      隼3型でF-6Fと格闘戦をして共に低空まで降りてしまったが決着がつかず、そこで隼の操縦士は軽くなれば小回りが利くと思い機銃を撃ちまくって
      F-6Fを追従していたらF-6Fが急にバランスを崩して墜落した。
      旋回中、隼の照準器の30度上にF-6Fを捉えていたので、銃弾が命中した訳ではなく単に操縦ミスで墜落したのだろうと思い帰還後に墜落したF-6Fを
      見に行くと、F-6Fに1発だけ機銃弾が命中していた・・・、しかも操縦士に・・・。
      隼と互角に格闘戦をするくらいの猛者が30度も逸れた、たった1発の不規弾を身に受けて墜落した・・。運命を感じた出来事だった・・・。

    • @yutas8710
      @yutas8710 Před 2 lety +1

      旋回半径では負けるけど、旋回率は互角なので、垂直機動を混ぜることで零戦のバックを取れたそうだよ。

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před rokem

      @@BBS335
      そうでなくても隼はコックピット狙う傾向があって落とされると生還率が一際低い
      P-47Dエースのニールカービィなんかもパラシュート開くことには成功したものの
      コクピットに受けた傷が元で殉職している

  • @user-middlemountmirror
    @user-middlemountmirror Před 2 lety +2

    パッと見ボテッとして鈍重に見える本機だが、上面から見ると胴体は細く絞られていて横や正面からとは全く違うイメージを受ける
    主脚などF4Fからの進化がスゴイ
    「保険機」と言われた本機だが、「本命」F4Uがなかなかモノにならず、優速でヤーボとしては優秀でも、空戦では「シコルスキーは速いだけw」と言われるヘッポコぶり、扱いにくさを考えれば「兵器としての優秀さ」で本機は大きく優ると思う
    ま、本機登場後も小さな護衛空母では機体のコンパクトさからF4Fが好まれたり、F4Uは登場から四半世紀に渡って使用される大器晩成の名機になるんだけどw

  • @sss-jm8wo
    @sss-jm8wo Před 2 lety

    ヤンウェンリー提督「戦争のほとんどは数で勝負が決まってしまいます。」

  • @esohsa4759
    @esohsa4759 Před 2 lety

    子供の時読んだ空戦モノの漫画に登場する仇役と言えばコレでした。 型式とかわかんないけど「グラマン」って名前だけは覚えました。

  • @user-lh7oj9fd6d
    @user-lh7oj9fd6d Před 3 měsíci

    デザイン性?

  • @nao3039
    @nao3039 Před 2 lety +4

    まず零戦に対抗して出来たってのが適当すぎるだろ

  • @aokicc9
    @aokicc9 Před 2 lety

    零戦はP51ムスタングよりF6Fヘルキャットに日本のパイロットは苦しまされた。
    紫電改でやっとF6Fに勝てたけど。

  • @mk-zx4cw
    @mk-zx4cw Před 2 lety +1

    結局、日米の差は大馬力エンジンを開発できたかどうか

  • @sansige1404
    @sansige1404 Před 2 lety +1

    誉エンジンやってください

  • @todaymania1985
    @todaymania1985 Před 2 lety +1

    16:45 F6Fのコクピットに収まるデビッド大尉の写真で確認できるが、F6Fにはキャノピー上部に後方確認用のバックミラーが装備されていた。
    自動車大国ならではの装備とも言えるもので、この発想は新人パイロットばかりで後方が疎かになる日本軍機の方が装備するべきとも言えたね。

    • @CX-EURO400
      @CX-EURO400 Před 2 lety +3

      バックミラーの装備はスピットファイアの方が全然先ですね。
      スピットもF6Fも機体の形状がファストバックという真後ろが全く見えない構造だったから、ミラーを付けたのでしょう。零戦は水滴型風防で後方視界は確保できていたので必要を認めなかったし、開発当時のパイロットたちも攻撃は最大の防御といって後ろに付かれることなど全く考えてませんでした。坂井三郎氏が戦後になって、かつての敵機のコックピットに座ってミラーを確かめた感想として、視界が狭くて後方の見張りには全く役に立たないと述べています。

  • @user-ff2zn4ic8o
    @user-ff2zn4ic8o Před 2 lety +1

    ヘルキャットは対日専用で大西洋戦線では使われませんでしたね、大西洋では正規空母ではなくて護衛空母でF4Fが使われていましたねただし護衛空母で使われたのはゼネラル・モーターズ社で製作されたFM2が搭載されていました、そもそもF4Fの生産数はゼネラル・モーターズで生産されたほうが多かったようです

    • @straker1701
      @straker1701 Před 2 lety +1

      F6Fの生産をグラマンに集中させる為にF4FやTBFはゼネラル・モーターズに移管されて生産されました。

  • @user-yw3mg5md6j
    @user-yw3mg5md6j Před 2 lety +5

    15:27 雷電は疾風より善戦してるんですね

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o Před 2 lety +1

      雷電は対爆撃機しますから、ヘルキャットやムスタングが寄って来ても逃げるでしょう。
      よほど有利ならば、別ですが。

  • @ehehe123456
    @ehehe123456 Před 2 lety

    陸軍のパイロットの田形准尉は部下と2機で60機のF6Fと空戦をしたらしい。最終的には撃墜されたが生きて帰って来たらしい

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +1

    国内余力が別次元な当時のアメリカ
    ヨーロッパやアジアと比べると
    まるで異世界だな。

  • @tykoon6278
    @tykoon6278 Před 2 lety +1

    F6とF4は、霞ヶ浦で終戦を、迎えた爺ちゃんによう話し、聞かされた!

  • @user-ur3cn2rm8m
    @user-ur3cn2rm8m Před 2 lety +2

    畑違いの話で恐縮だが、かつてタミヤがラジコンレースで他社に勝とうと徹底的にこだわった本格マシンより気負わずに開発したシンプルな廉価モデルの方が使い勝手よく速かったそうな…。

    • @rona1806
      @rona1806 Před 2 lety +1

      アバンテ「…」(でも、アバンテは中坊の時憧れだけど高嶺の花だった、復刻版を手に入れました!積みプラとの格闘でまだ手付かず)

    • @user-jd7ip5gq1z
      @user-jd7ip5gq1z Před rokem +1

      タミヤは変なとこにベアリングいれたり、ギヤの配置がいまいちだったりで、こけた印象

  • @BBS335
    @BBS335 Před 2 lety +4

    元ゼロ戦乗りだった人との会話です・・・。
    迎撃戦で52型なら同数のF-6Fには何とか対抗出来た、9対12位で始めると、いつの間にやら30~40機に囲まれてて逃げるのが精いっぱいになるんだ・・・。
    ゼロ戦は消耗戦が考慮されない時代の少数精鋭の考えの元で開発され、拘りを全て取り入れたが為に製造に手間の掛かる機体になってしまった・・・。
    腕の良い奴がゼロ戦に乗ると8機や10機のF-6Fに追われても戻って来るし、時には撃破して戻って来る事も有った・・・。
    後で知ったが、戦中に開発されたF-6Fは消耗戦を前提に大量生産に拘った設計をしてて、艦載数を増やす為に性能を犠牲にして折り畳み翼を採用、そして
    戦場へ投入できる機数を増やしたら相手を集団で袋叩きにする戦法に徹してきた・・・、それが出来たのは国家規模と桁違いの製造能力の違いなんだよ、
    もし、日本がF-6Fを作っていたとしても米国の様に大量に生産する事は出来なかった・・・。基盤産業の規模が違い過ぎたんだ・・・。
    結局は、質と量の戦いで、パイロットと機体の質が勝っていた時は勝てても、結局は量で押し潰されたんだよな・・・。
    ゼロ戦は32型でやめておけば良かったんだ・・・。フルモデルチェンジとマイナーチェンジの戦いでは無理だよ、とも・・・。
    あと飛行訓練の話、日本には四季が有り天候も変わり易く訓練をし難い、しかし戦後カリフォルニアに行って判ったよ、だだっ広くて晴ればかりなんだよな
    何もかも出だしから違ったんだよ・・・。天候だけでも3倍は有利だったんだよな~~~、と

    • @CX-EURO400
      @CX-EURO400 Před 2 lety +1

      堀越二郎氏も自らの著書で零戦の生産性の低さを述べてますね。
      艦上戦闘機としての要求だったので、空母に載せる機数とある程度の予備機があれば十分と考えて生産性より多少時間がかかっても仕上げのよい機体になるようにしたが、まさか陸上基地でも使い、まさか一万機も作ることになるとは思っていなかったそうです。
      パイロットの養成については坂井三郎氏もカリフォルニアの晴天率の高さに驚き、これなら訓練も捗るだろうと述べてます。

  • @user-os9yp5ni6v
    @user-os9yp5ni6v Před 2 lety +1

    機銃も同サイズを6丁装備していて、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式に初心者でも戦果を挙げやすかったとか。あとP51と戦えた疾風なら、互角以上にいい勝負が出来た気もします。勝手な推測ですが、戦後の自衛隊がグラマン社を採用しないのはこれへの怨念の所為かも??

    • @rona1806
      @rona1806 Před 2 lety

      空自がグラマンを採用しないのは「良くも悪くも、米空軍流で育った」「グラマンの戦闘機は艦載機なので、地上運用では不要な装備が出てくる」等かと…

  • @modfunky6830
    @modfunky6830 Před 2 lety +1

    うちのじーちゃんグラマンに機銃掃射されたってよく言ってた

  • @ehehe123456
    @ehehe123456 Před 2 lety

    飛燕は丈夫な機体でF6F追われると急降下で逃げたらしい。

  • @user-fb3oq9jq3d
    @user-fb3oq9jq3d Před 2 lety +4

    仮想敵、Bf-109だったんじゃ?

    • @user-fb3oq9jq3d
      @user-fb3oq9jq3d Před 2 lety +1

      いや、これも主の深慮遠謀、あえて零戦で...?

  • @tubemimimi
    @tubemimimi Před 2 lety +2

    時期的に単にF4FのスペックUP機でしょ

  • @a6m2zerofighter21
    @a6m2zerofighter21 Před 2 lety

    戦いは勝てばいいのだよ。

  • @user-iq7tc6mw3g
    @user-iq7tc6mw3g Před 2 lety +2

    バンバン生産された機体だけど合衆国以外であのクオリティで生産出来ない
    ベスページ工場の技術と生産力が無ければあの戦果はなかったっぽい

  • @user-jq3hh7nm4q
    @user-jq3hh7nm4q Před 2 lety +1

    みんな不格好だと思ってたんだろうね、便利で使いやすいヤツだけど、あるじに愛されてなかった実用道具、見た目って大事だね
    だけど胴体が太いと中からの製造工作もスムーズなわけで、日本の一式陸攻も量産しやすかったはず

  • @user-ym1pv1zy6i
    @user-ym1pv1zy6i Před 9 měsíci

    もしも金星エンジン搭載の零戦が間に合っていれば、F6Fに対しても優位に戦えた可能性はあったかもしれない。
    勿論、どのみち日本が負けるという結果は変わらないが。

  • @user-pf6ry8dt8d
    @user-pf6ry8dt8d Před 2 lety +3

    坂井三郎中尉は片眼が失明(ラバウルで敵爆撃機の銃撃を受けた)しているにも関わらず硫黄島の戦闘に於いて2機のF6Fを撃墜し、さらに数機のF6Fの追跡を受け、銃撃を受けましたが、被弾ゼロで帰還しました。

    • @sei-un
      @sei-un Před 2 lety +1

      16対1での生還の話でしたっけ
      戦後にパーティーの招待を受けたときに
      米軍元パイロットが話しかけてきて「俺たちがその時のパイロットだ」と言うと
      坂井さんは「下手くそ!」と返し
      皆で笑いあったのだとか…

    • @user-fb3oq9jq3d
      @user-fb3oq9jq3d Před 2 lety +1

      サンケイ出版で出てたバランタイン版第二次大戦ブックス「零戦 日本海軍の栄光」冒頭で紹介されてるエピソード、「硫黄島上空一対十五」ですね。あのシリーズ、ストーリーの起承転結しっかりしていて、印象に残る本が多かった。完訳かどうか多少疑念は有りますが。

  • @user-ms2rk4eo9v
    @user-ms2rk4eo9v Před 2 lety +1

    うちのお袋は、これにおいかけられたんだよな。

  • @marieiru
    @marieiru Před 2 lety

    エセックス級空母の広い飛行甲板+F6Fの頑丈で戦死者を出せずに数で押す設計は結構日本側にとって痛く、飛行機搭乗員の練度を逆転させる結果となった。ただし、ドッグファイトを徹底してやらない搭乗員ほど長生きするのは・・・当然の結果だった。日本機相手にやったら大抵戦死します。エンジンの気化器が旋回に弱いから。

  • @amx10rc88
    @amx10rc88 Před 2 lety

    F4Uは、第二次大戦後も、しばらくは使用されたけど、F4Fは戦後急速に退役したね。

  • @narihira572
    @narihira572 Před 2 lety +1

    翼面積が30平方mもあったのだから、戦闘爆撃機としても十分に使用できるし、旋回性能もよかったはず。機体をスリムにすれば、諸性能も、F4Uに負けないはずだ。改良型のF6FはF8Fより、はるかに実用的な機体になっていたと思う。F8FはFw190のコピーに失敗したような機体だ。F6Fは結果的にだが、1000馬力級の非力で低速な日本機を撃墜するのにうってつけの理想的な機体になってしまった。

  • @takumi4795
    @takumi4795 Před 2 lety +1

    1938年から開発開始した機体なのになんでゼロ戦に対抗するために開発されたと言うのか理解できないね

  • @user-ne9jo8zu9c
    @user-ne9jo8zu9c Před měsícem

    F6F

  • @user-pt5iq9fy8c
    @user-pt5iq9fy8c Před 2 lety +1

    対零戦→F8F
    F6F はF4Fの発展改良型
    だよね???

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Před 2 lety +1

    堀越二郎氏がこの戦闘機を日本用に改良した、だが一度火が付いたらおしまいだった、

  • @Caligula_Armjanskaja
    @Caligula_Armjanskaja Před 2 lety

    米軍機らしくガチガチに硬い上に機動性も高いから日本機から見ると隙の無い最悪の敵なんですね。

  • @user-ur3jx2te3g
    @user-ur3jx2te3g Před 2 lety +3

    F6Fは見た目も含めて面白味のない凡機みたいなイメージがあるけど、例えばクルマに例えてみたら、
    『スープラのエンジンを積んだ、見た目がカローラのランクル』って考えたらそのバケモノ具合に驚愕しますなw
    ・・・でも個人的には見た目はF4Uの方が好きです。コルセアは文句なくかっちょいい!

    • @user-hu9zo8zy7g
      @user-hu9zo8zy7g Před 2 lety

      カローラのランクルって見た目にどっち?

    • @user-pt5iq9fy8c
      @user-pt5iq9fy8c Před 2 lety

      @@user-hu9zo8zy7g
      見た目はカローラ
      堅牢さはランクル
      動力性能はスープラ
      って事じゃね?

  • @sss-jm8wo
    @sss-jm8wo Před 2 lety

    兵器の戦後って、韓信や義経とあまり変わらんな。

  • @user-nr6ov9vl7u
    @user-nr6ov9vl7u Před rokem

    F6Fは名機だと聞いています
    2000馬力級エンジンを搭載していて、ゼロ戦と渡り合えたらしいですね

  • @hira5391
    @hira5391 Před 8 měsíci

    パイロット不足はアメリカも同じ、女性パイロットを採用したり
    攻撃と防御を2人組でやることでベテランの技を新人でもできるようにしました

  • @user-yr7rq3hp5d
    @user-yr7rq3hp5d Před 2 lety +1

    ゼロ戦はもともとは、アメリカ製だから🇺🇸

  • @tomohikoo8949
    @tomohikoo8949 Před 2 lety +5

    模擬空戦の話だけど、これ最新鋭のF6Fを鹵獲した零戦五二型と戦わせてF6Fが圧勝する予定だったのが零戦五二型が勝ってしまって米軍が慌てた、という逸話だったりする。

    • @user-pf6ry8dt8d
      @user-pf6ry8dt8d Před 2 lety +4

      実戦に於いても零戦52丙型はP51、F6F、F4U、にたいして圧勝とはいかないまでも終戦まで戦い抜いてました。対照的に陸軍の戦闘機は1945年2月より敵戦闘機の戦闘を禁止されましたから。

    • @user-ed6xt4yf3o
      @user-ed6xt4yf3o Před 2 lety +3

      零戦の特徴としていろんな所が有りますが
      一番でかい特徴は高い維持旋回能力です
      F4と零戦で縦旋回の比べをした記録が有りますが、F4は開始高度から数百フィート近く下り逆に零戦は1800フィート近く登ってたりします

    • @BBS335
      @BBS335 Před 2 lety +6

      むか~し、知り合いのゼロ戦乗りの方が云ってましたね・・・、52型で胴体機銃を13mm1丁だけにした乙が最良だと・・・、
      丙は重過ぎて攻めも守りも難しく32型より曲がらない登らない、さっさと仕掛けて20mm全弾打ち尽くして軽くしてから13mm撃ってたそう・・・。
      その方の感想、
      52型乙とF-6Fの速度はほぼ互角、高速域の旋回はF-6F、それ以外は零戦、F-6Fの防弾は凄い、加速は零式、伸びはF-6F、F-6Fの機銃は射程の長い散弾銃
      願わくば、20mm降ろして13mm3丁にしてくれた方が嬉しかったんだそうです・・・。13mmは当て易く燃やし易かったそうです・・・。

    • @user-ft1eb4mc8j
      @user-ft1eb4mc8j Před 2 lety +1

      燃料の質も関係あったりして。

    • @user-xy6bq1zz5i
      @user-xy6bq1zz5i Před 2 lety

      @@BBS335  零戦52型ぐらいから離昇出力が10分使えるようになったと考えると、21型→32型→52型まではエンジンの強化と重量の増加が釣り合っているように見えます。丙型は数字で見ると重くなっているのでマリアナでの敗戦後の零戦だなと感じます。丙型は離陸滑走距離と空戦での攻撃回数を妥協して火力と防弾強化したのかもしれません。20mmは性能基準だと爆撃機や攻撃機への対応能力が優先され対戦闘機の優先度が低かったのでその結果だと思います。前線から戦闘機相手なら13mm4挺が良いと要望が上がっても軍令部と航空本部が共同で制定した性能基準だと「1) 敵攻撃機の阻止撃攘」「2) 戦闘機撃破」なので1が優先され採用されなかったのかも。

  • @user-yh8bb1uf5e
    @user-yh8bb1uf5e Před 2 lety +3

    間違った説明(笑)ゼロ戦に対抗❌

  • @sansige1404
    @sansige1404 Před 2 lety +1

    2000馬力クラスのW2800と1000馬力クラスの栄が対戦するのでしょう。日本海軍の用兵思想が無茶です。
    2000馬力クラスの誉と比較動画を作ってください。
    たらればの誉じゃなくて、現実の量産型の誉で本当にF6Fに勝てたか?。

  • @user-uu1et1nf6u
    @user-uu1et1nf6u Před 2 lety +1

    戦争終盤のキルレシオにはあまり意味が無いですよ。
    素人に乗った少数の日本機を、プロの乗る多数の米軍機が袋だたきにしたんですからね。
    機体の優劣以上に、そっちの方の要素が大きいでしょう。
    それに他の方が書いているように、対零戦用に作られたのはF8Fでしょう。
    もちろん捕獲機の解析や戦訓なんかは盛り込んだとは思いますけどね。

  • @ponhugo813
    @ponhugo813 Před 2 lety +1

    零戦54型を早く作っていたらF6Fと互角です F6Fが活躍したのは日本海軍の後継機開発のミスのおかげです

    • @user-qq6qy8li5c
      @user-qq6qy8li5c Před 2 lety +1

      零戦54型は52型よりほんの数km程度速度が速いだけで、高速時のロール等の操縦性も重くF6Fのダイブ&ズームへの対応はおろか、1:1を挑んでこられても高速機動されたら手も足も出ないのは変わらない上に52型からさらなる重量増加して分低速時の運動性も怪しいですし、互角は望めない機体であると思います。ifとして昭和18年当時に零戦54型に相当する機体の作成は可能でしょうけど、金星5x型は水メタがなく出力1200馬力程度で栄21型の1150馬力の機体と比べた場合、正面面積の増大に重量の増加が加わり速度低下と大幅な航続力低下、三菱だけの生産の割に他の機種への需要も多かった金星のせいで生産数の大幅な減少も加わり審査で落とされた可能性が大だと思われます(まだ13mm機銃や推力式単排気管の採用は厳しいと思いますし)

    • @BBS335
      @BBS335 Před 2 lety +1

      21・32・52と乗り継いだ方が、最終傑作機は52型と云ってました・・・。
      それ以降は重く、登らず、曲がらず、駄目の一言でした・・・。機銃を増やすより弾数がもっと欲しかったそうです・・・。
      52型の胴体に13mm1丁積んだのが一番良かったそうで、燃料もそこそこ減った状態なら真っすぐ逃げるF-6Fに追従できたそうです・・・。

  • @user-sg7sh7fu8y
    @user-sg7sh7fu8y Před rokem

    開発時期からして零戦の対抗馬は嘘ですね しかし捻じ曲がった解説ですね合理性を追求しない兵器などありえません 烈風がほぼF6Fの劣化版なので文句無しの傑作兵器だと思いますよ

    • @marisareimu
      @marisareimu  Před rokem

      コメントありがとうございます。
      一応、コメントいただく際のガイドラインはありますので、引き続きよろしくお願いします

  • @user-il1og6yf3i
    @user-il1og6yf3i Před 2 lety

    アメリカは余程、ゼロ戦が怖かったんだな。他の機体にヤラれても、無視して、タダひたすらゼロ戦を落とすためだけの戦闘機を作ったとしか思えない。ここまで来るとアメリカのゼロ戦への怨念を感じるな。