裏では険悪ムード..? 2連覇中のチームが崩壊した壮絶なエピソード【F1解説】【ウイリアムズFW11】【ホンダ】
Vložit
- čas přidán 17. 04. 2023
- ◆動画について
ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルのコンビ、強力なホンダエンジンを搭載して86、87年と2年連続のタイトルを獲得したウイリアムズ。
ターボ最盛期で一見成功を収めていたように見えたチームには様々なエピソードが隠されていました。
◆関連コンテンツ
【モーター天国NEXT】
/ @motortengoku_next
F1以外のモータースポーツ、市販車の歴史等解説チャンネル。
【投稿者Twitter】
/ motortengoku
投稿者(ただのレースファン)レインのツイッター
◆動画内の画像について
この動画では解説内容の補足のためテーマに関連する画像を使用しています。
各画像の引用元は下記を御覧ください。
sites.google.com/view/mortert...
また当チャンネルでは引用要件を遵守し著作権を侵害しないよう注意を払っておりますが
万が一使用画像について問題がある場合は大変恐れ入りますが下記までお問い合わせいただけますと幸いです。
logist121212@gmail.com
◆その他の動画もぜひご覧ください! - Auta a dopravní prostředky
今見てもウィリアムズホンダは格好良いですね。
86、87年と険悪な関係だったマンちゃんとピケさん、今では友好的な関係に
ピケさん曰く「マンセルからゴルフやらないって誘われた」とか仰ってました
セナとプロストもプロスト引退したとたんに、仲良くなってたからそんなもんじゃ無いの。
@@user-er8zq4nr2i セナがプロストに引退して寂しいとか言ってるの映像と音声で残ってるけど。
@@user-er8zq4nr2i 風通にテスト走行か、本番で会話してたが。
インタビューじゃ無いよ。
セナの無線にプロスト出てきて、セナが寂しそうに語ってたよ。
動画探してみたら。
@@user-er8zq4nr2i 映画かドラマで使われたの?
もちろん、フィクションで。
ウイリアムズは人間(ドライバー)を軽視してましたからね。
その後のチャンピオンのデーモンヒル放出は、ニューウェイも激怒し終わりの決定的ダメージでした。。
チームとしては最強でしたけどドライバーの扱いは物凄く雑なイメージが今でも拭えません。
ニューウェイさんはデイモン・ヒルさん好きでしたよね。
当時ドライバーの扱いとか見てて、ウィリアムズだけは好きになれなかったです。どちらかと言えばミーハーな自分ですが、良い所を見付けられない。
多分、ドライバーに執着したことでホンダエンジンを失った教訓から得た姿勢だったと推察します。
MobilのCM、「MobilのライバルはMobilだった」が凄く印象的でしたね。
87年、シルバーストンでの2人のバトルはウイリアムズの強さを象徴するワンシーンでした。
こんな結末にはなってしまいましたが、このタッグに登場する人や組織、ウィリアムズ、ホンダ、マンちゃん、ピケ、FW11とB、みんな大好きで、やっぱり胸踊る思い出です。
FW11は、今見てもやっぱりカッコイイですね。ちょうどこの頃からF1マシンのデザインにCADシステムを導入し、昔ながらの紙の設計図ではなくコンピュータを使って設計する時代になりつつありました。FW11シリーズはそんなCADシステムが生んだ初期の傑作マシンだと思います。
当時スポンサーで、サイドポンツーンエアインテークにロゴが入ってたGE社のCADシステム、Calmaを使用。
仲は悪かったけどマンちゃんもピケもコース上では良識があった。わけわかんない同士討ちとかなかったですし。ピケがベネトン、マンちゃんフェラーリでのオーストラリアはファイナルラップまでの超バトル。でもギリギリのところは両者とも守ってゴール後はともに笑顔、みてて爽快なレースでした☆
マンセルのキャリアNo.1レースだと思うけど、1987イギリスGPのハンガーストレートフェインとぶち抜きは、ストウコーナーでピケが引かなかったら両者大クラッシュになってたかも。
この頃のドライバーは良くも悪くも癖があって好き
チーム内の人間関係はさておき
FW11.11Bは間違いなくベストハンドリングカーですね😊🏁👍
特に1986年のハンガリーGPでの
ロータス·ルノーのセナとピケとのバトルで第一コーナーでピケがドリフトしながらセナを抑えたシーンは印象深いです。
セナに片腕を振り上げながらの、ピケのスーパーオポジットロックパッシング。
87年のイギリスGPでのホンダ1234には興奮したなあ
実力がある2人のドライバーを抱えたチームは難しいね。
確かにマンセル贔屓は有りましたね。
ピケがピットインして燃料補給の時、フェイスシールドを拭いてくれと合図するとスタッフがティシユペーパーをピケの目の前に放り投げた映像が当時のF1グランプリで映てました😅
HONDA、F1といえば、やっぱりこのイメージが強いですね
HONDAがF1で活躍してるのがきっかけでF1に興味を持ったのが、FW10・FW11でしたから
当時はまだTV中継がなかったので、映像を観るのは大変でした
HONDAエンジンのタイトル獲得のニュースは食い入るように見てました。
1986年マクラーレンTAGポルシェターボのプロストは、まさに「漁夫の利」ですね。
マンセルが出てたキャノンのCM良かったなぁ~
仲悪かったけど、相手にぶつけなかったのは偉い
険悪だったと言ってもさすがに「お互いが相手を殺したくなるほど憎み合っている」と言うわけではなかったようです。
ジョイントナンバーワンはやはり難しいのですね。この頃のウイリアムのドライバーを何故ロズベルグから替えたのか当時不思議に思ったのですがそういう理由だったのですね。
懐かしいですね、ちょうどフジテレビが中継を始めた頃のことで自分が日曜の深夜に一人だけ熱くなってたことを思い出しました
常に隣にセナがいるのは純粋に凄いと思う
ウィリアムズのなかで一番好きなマシンです!
わいの中ではFW11、11BがTHE F1。ピケマン最高や!賛否両論色々言われてるがな😅
HONDA監督の桜井淑敏 氏
この ゴタゴタ状態を間近に視てて
チームに見切りをつけたとか
ちなみに桜井 氏は ピケを推してたそぅ。
(文献は忘れました
アジア人への差別が根強かった当時でも、ピケもマンセルもHONDAには好意的だったんだよね。
ピケはHONDAのスタッフと個人的に仲良くなったり、マンセルはスタッフのアイデアを褒めて実用化に向けて後押ししたり。
その状況を改善できなかったのも、それはそれで様々なチーム内の差別意識だったらしいんだけど...。
同じ時期にウィリアムズとマクラーレンにホンダエンジンが供給されていたら、どうなってたのかな。
マンセルが「無冠の帝王」って言われるようになったのはこの頃でしたっけ?
ピケはあるレースで優勝後の川井さんのインタビューで自分の頭を指差してして「ここが違うよ!」と言ったそうです。
1986年のオーストラリアGP。
マンセルのバーストでピケもピットに入ったけど、
既にコンストラクタータイトルは獲得したた訳だし、
ピケとマンセルのドライビングスタイルも違うから、
残り19週、ピケの方から交換を言い出すまでは
タイヤ交換無しに賭けてみても良かったのでは?
ピケは車の状況把握が上手かったし。
グッドイヤーから、タイヤ交換しないとピケの生命の保証はできないとウィリアムズに言ってきたから、仕方ないね。
後藤も、チャンピオンはピケの命には代えられないとコメントしていた。
@@5red90 さん
貴重な情報、ありがとうございます。
グッドイヤーからそう言う話があったとは知りませんでした。
確かに命には代えられませんから、あの交換は仕方ないですね。
Wikiで調べたら、プロストはアクシデントで早い段階でタイヤ変えてたんですね。
@@user-er8zq4nr2i
レーシングオン1987年1月号の、オーストラリアGP記事に記載されていたことなんだが?
なんなら電子版で確認しろよ。
てかお前、ピケ大好きマンセルアンチかよ?
ウザいから絡むな。
そして88年限りで、チャンピオンを取った、ピケもホンダから離れてしまった(ロータスもエンジンがジャッドに変わってしまった)
まぁロータスがグダグダだったから仕方ないでしよ
当時のウィリアムズはチームはマンセル派、ホンダはピケ派に分かれてゴタゴタなイメージがあったが、87年はロータスにもホンダエンジンだったけど、セナは中嶋からホンダのことを色々教えてもらってたみたいで、中嶋の影響もあってセナとホンダとの関係は良好だったもんね
初めてのホンダエンジン車をドライブしたセナが、「振動がひどい。壊れてるのでは?」と言い
そのマシンを中嶋さんがチェックすると・・・「いや、ホンダエンジンはこれでいいんだよ。」と。あのセナを黙らせたのがすごい。
セナは逆に、最初に走ったモナコで、セナの5秒落ちのタイムしか出せなかった中嶋さんに、攻略のポイントを丁寧に教えていた。
タミヤがルノーRE30B以来久々にグランプリコレクションで商品化したマシンがこのウィリアムズFW-11ホンダでしたね。個人的には再販して欲しいけどやはりライセンス料の高騰などもあり難しいんかな?
Bを1/12で出さないだろうか。
@@5red90 ロータスホンダ99T、マクラーレンホンダMP4/4、ついにロータスホンダ100T(製品化決定発表!)まで出てきましたからねぇ~。
可能性は高そうですね。
ジョイントナンバーワン…マクラーレンでもセナとプロストが…。
どうせならマクラーレンホンダのセナ&プロストとウィリアムズのピケ&マンセルの豪華ラインナップで4つ巴の戦い見たかったです。
私も見たかったですがちょっと時期がズレてるのが残念です😅
@@Fifties-we7hm 様
マクラーレンが、1987年ホンダエンジン獲得のためにプロストとデニスが来日して交渉したけれども一旦断られましたね。
ウィリアムズの圧力掛かったのと2番目供給がロータスに決まっていた(先にセナがプロストよりもホンダエンジン使用する事に)からでしょうね。
でも交渉時点で1988年からの獲得を取り付けた。その際にプロストの次期チームメイトもセナ内定に決まっていた?
ピケもマクラーレン移籍候補に挙がっていたけれどもセナの方に決まったので、ロータスに移籍した。
さすがにホンダと言えどもマクラーレン、ウィリアムズ、ロータスの3チーム供給出来るだけのマンパワーが無かった。
後にウィリアムズは、マクラーレンにホンダエンジンを奪われたと逆恨みしてライバル対抗心を強めましたね。
そんなゴタゴタがあってホンダが引き上げてジャッドになったってか。
その1年冷や飯食うことになってもそこからルノーと黄金時代を築いたのだから、それほど悪くなかったんじゃないかな。
実力のあるチームとドライバーが揃うと、基本的に仲悪くなる。
両雄並び立たず。 ・・・ですね。
ウイリアムズホンダが良かったのは86年と87年の2年間ですかね…FW11になってシャシーが格段に良くなりましたね。
86年はピケに獲らせて87年はジョイントNo1って感じにしてたら2年連続Wタイトルだったかも……。まぁ…ピケが連覇だっただろう…という私見ですが…。マンセルは不安定感全開でしたから…。後年チャンピオンになりますが、あれだけ勝ってタイトル1回って……何か欠けてたのかな…??と感じてしまいますね。またドラスティックにチームが低迷していくのもウイリアムズの特徴ですかね…。ホンダ後、ルノー後なんかはいい例ですね。それから20数年…30年近く浮上のきっかけを逸してますね……。
マンセルがチャンピオン一度に終わったのは、単に不運だな。
完走すればチャンピオン取れた、86オーストラリアGPの原因不明タイヤバースト。
87ハンガリーGPの、首位走行中に終盤でホイールナット外れる。
首位走行中の91ポルトガルGPの、タイヤ交換中にウィリアムズのアホスタッフによるホイールナット締め付けミス。
ピケは担当メカニックに成績によって自腹でボーナス払っていたけど、
今も同じようなことして士気を高めているドライバーいるのかな
シューマッハがタイトル取った時はスタッフ全員にオメガの時計プレゼントしたりとかはしてましたね
改めて難しい
どのチームもやっぱりあるね😅セナ•プロみたいな事が😅
マンセル鈴鹿の予選でクラッシュしてピケが年間タイトルが決めたのが印象的でした。
懐かしいですね~
ウィリアムズホンダ
ロータスホンダ
って
でも、
半ば強引に
マクラーレンに
ホンダエンジンを
奪われたのは
本当に残念です。
中嶋 悟選手をチーム入りさせなかったのは正解ですね。ダブルタイトルは取れませんでした。酷だが足を引っ張るのは明らか。
口では公平に扱ったとフランクは言ってるけど、フランクは明らかにクレバーで冷静なドライバーよりアグレッシブなファイタータイプのドライバーに肩入れする傾向にありますね。
カルロス・ロイテマンしかり、マンセルしかりといった感じにチームオーダーを出さずに失敗してしまう事が幾度もありました。
たらればですがフランクがドライバーに序列を付けて居ればアラン・ジョーンズは81もタイトルを獲得していた可能性が高いし、ピケは86もタイトルを獲得していた可能性は激高だったと思うし(ただそうなるとピケは81はタイトル獲れないけど)88シーズンもホンダエンジンのまま行けた可能性もある。
でもそういうフランクだからこそマンセルにタイトルを獲らせる事が出来たとも言えますがね。
当時は有効ポイント制だったから終盤で5~6位あたりに入賞したところでランキングに反映されない可能性もあった。
そうしたレギュレーションの中でチャンピオン争いをしてれば最低でも表彰台と考えるのは当然、一方を優遇するのは難しいよ。
@@user-er8zq4nr2i
ゴメン
何言ってるのか、何を言いたいのかまるで理解不能。
とりあえずF1よりも国語
フランク・ウィリアムズはもっと人や企業を大事にして欲しかったね結果出してるのに去ってから後悔は無いのですよ。
そのツケがテールエンダーチームに…
テストドライブは中嶋だった
FW11Bはシーズンの途中にりアクティブサスペンションを搭載じゃなかったかな?
@@rtsy9151
そのとおりです。
人事のマネジメントはこの時代からすでに弱かったんだよね。 それにフランク・ウィリアムズはドライバータイトルよりコンストラクター部門の方を優先にしていたんだし。
ウイリアムズは、代表の「フランク・ウイリアムズ」のドライバー起用や待遇面での評判が悪いですね~。
@@hehohotransport さん
一体何なんでしょうね?。🤔(苦笑)
92年、チャンピオンを獲ったばかりのマンセルまでもブチギレさせる事態に・・・。
@@hehohotransport いや何回同じ書き込みすんねん せめて論理的な裏付け取ってからにしなさいよ
フランク不在が痛かった。ネルソン主導のチームがマンセルの成長と共に変わっていった。
個性がありすぎかな
当たり前やけどみんな、若いね!!ギクシャクしてたとか、ぶつけられて下りて乱闘になるとか見てる側としては面白かったな。この後も幅寄せしてタヒらせようとか進路妨害とか人間臭くてよかった、今も裏ではどうなのかわからんけどけど基本、仲良しだし明確には無いというスタイルだけとどのチームもno1ドライバーと犬になってるしね。おもろくないね
ウィリアムズはドライバーに対して厳しすぎるから、今テールエンダーというツケが回ってきた感がある…
ピケとマンセルが仲が良ければ、ウイリアムズ時代が長く続いたのにね~
まあパートナーが強力なドライバーなら、ライバル意識バチバチになりますよね…(それぐらいの気質が無いとチャンピオンになれないと思います)
言動は自由奔放、だけどレース運びは堅実、なネルソンピケが大好きでした。
その昔マックス・モズレーが、複数の娼婦にナチスの格好をさせて乱交パーティーを開いたというセックス・スキャンダルが発覚したときの話。
ほとんどのF1関係者が、当然ながら抗議や遺憾のコメントを出す中で、ピケは
「なんでマックスはオレも呼んでくれなかったんだ‼️」と本気で悔しがっていましたとさ。
ウィリアムズにしろ、
マクラーレンにしろ、
ジョイントナンバーワンなんて、
「諸刃の刃」に過ぎん。
フランク・ウィリアムズよりも櫻井さんいわく「石頭」のパトリック・ベッドの方が悪かった気がする。
87年は2人とも大クラッシュしてチーム関係もあってかなり痛い年でしたね💦
👑ダブルタイトルはとりましたが💦👍
マンセル氏の方は86年でも最終戦タイヤバーストで逃すという屈辱もありましたが。
アメリカでのインディ500では逆にピケが悲劇に見舞わましたね💦
86年はハイパワーでいながらマイルド特性でしたが。
87年もパワーアップしながらもレギュレーションの影響かさらにマイルドでCかーに近いエンジン特性だそう。
その後の2.4バール期はF1らしいスパルタンに戻ったしいですが。
マンセル曰く、FW11は恐ろしくパワフルなマシンで恐怖だったが、お気に入りなFW11Bは私をコーナーごとに殺しにきてたマシンとコメントしてるけど?
6速高速域でもホイールスピンするくらいだと。
@@5red90 ネルソンピケのロータス100Tの600馬力ぐらいのもアメリカのデトロイト戦のオンボードカメラの
映像見る限りドッカンパワーな感じでしたよ💦
FW11のサスはFW10の流用じゃないよ
FW10のリアはロッカーアーム式
85年ヨーロッパGPからリアサスをプルロッドに改良したFW10Bを投入
FW11はFW10Bのサス流用が正解ね
FWのシリーズの最初の頃、エンジンよりも車体がオタンコ(タイヤの片摩耗やフラフラするハンドリング)にシビれ切らして、櫻井監督が本田技研の車体専門家を呼びパトリック・ヘッドに指摘、曰くタイヤのキャンパーがオカシイ、重心が来るっている…。市販車のエンジニアに散々恥かかされたパトリックであった
ウイリアムズで走ったドライバーピケとマンセルは94年に共にルーキーでINDY500㍄に出場してCARATからAザナルディを獲得しましたが残念な結果にモンーヤとも喧嘩別れでしてね。
日本のエンジンサプライヤーで優勝してるのはHONDと無限だけ。
F1はケツから火花出てた頃が一番いい時代だったな
1986年のコンストラクターズタイトルをウイリアムズが独り占めした事もチーム崩壊に大きな影響があったのではと。
タッグを組んで歩んできたのにどうして「コンストラクターズタイトルはチームのものでありエンジンメーカーは所詮パーツ屋」的対応をしちゃったんでしょうね。
(フランク卿が事故に遭わなければ1986年での離脱もあったとか・・・)
個人的には中島より高橋が良かった。
GCレースで亡くなりましたが走りはピカイチだった。
中島はスポンサーに恵まれた感じですね。
ウイリアムズはチームスポンサーやエンジンサプライヤーとのお付き合いがヘタクソという印象です。チーム消滅まで。
皆さん、色々言われるケド・・・ウイリアムズって、日本人で初めて欧州のレースに挑戦して生沢徹を育てた、と言うかジョイントしていたんだよね。著作の本にもウイリアムズの話やパトリックヘッドを褒めたたえる文面があります。ですが・・・誇りが自分達が気が付かない間に歪みになってその後に凋落に繋がったんですよね。
まあ、正直、ドライバーの2人はどっちもどっちだと思います。ピケはピケで問題もあったし、マンセルも同様。要するに2人共濃ゆ〜い。そんな2人ですが、現在、そんなに悪い関係でもないかと。2人共ある意味さっぱりした性格なのかもしれませんね。チームとしては、やはり、う〜んな感じですね。92年末のマンセルの件しかり、96年末のヒルの件しかり。この感じの体制が、チームを破滅へと向わせたのでしょう。残念です。
同じO型なのに、タイプが水と油で不仲だったね。
O型のオレの親しい人は、O型けっこういるのに。
ヒルの件でニューウェイを筆頭にスタッフ離脱しましたからね。
こんなところでも血液型で語るwwwwうけるwwww
ピケはマンセルの嫁さんは変な顔だとメディアに言ったり
マンセルがお腹の調子を悪くしたときにトイレの紙を全部どこかに隠したり
洒落にならん子供のじみたイタズラしてたね
ウイリアムズの中嶋さんへの評価が低かったのは、残念です。。
ホンダエンジンを失るならばマクラーレンとエンジンをトレードしてウィリアムズタグポルシェとして参戦すれば良かったですよね、それならポルシェのF1の歴史も激変していたと思いませんか?><
1986年のうちに、ポルシェは87シーズン限りで撤退表明済み。
本当は86シーズンで撤退するつもりだったが、マクラーレンがシェルの絡みなんかでルノーエンジンを獲得できず、プロストもタイトル争いに加わっていたので1年延長。
結果としてルノーも一時的に撤退したものの、ウィリアムズが87年からNA時代の89年に向けて交渉していたのだろう。
これのチビぃトミカに朝研の友達に貰った優勝記念紅白饅頭の包!宝物です(-_-)ノシ