1989年7月乗車 寝台特急富士宮崎行(東京入線~発車後:車内放送あり)
Vložit
- čas přidán 1. 08. 2024
- 今となっては非常に貴重な寝台特急富士号宮崎行の映像です。
当時は東京18:20発で10番線から発車していました。
この富士だけは入線の仕方が独特であり、他の列車が品川客車区から自列車の次の列車の機関車に牽かれて入線していた中で、17:30頃に編成全体で一旦神田方に引き上げて、入線時刻に神田方から入線していました。
またこの時代はEF66がまだ下枠交差型パンタグラフではなくオリジナルの形状であり、もちろん編成も全てが24系25形銀帯で統一された美しい編成美を保っていました。
ブルトレの華やかな時代らしい姿です。
また自身が乗車したソロはまだ登場間もないころであり、オーディオサービスももちろん付いていました。12号車でオハネ25-1004です。
担当車掌区はJR東日本の東京車掌区で、大分まで担当していました。
もちろん食堂車も営業していました。
映像では当時の東京駅10番線の様子や東海道線113系、京浜東北線103系の姿にも注目ですが、田町通過後に品川客車区を出た回送の出雲1号とすれ違います。
(東北・上越新幹線もまだ東京駅まで乗り入れていませんがホーム新設工事真っ只中です)
撮影当時の富士の編成
←宮崎
EF66 カニ24 オハネフ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オハネフ25+
オハネフ25 オシ24 オハ24 オハネ25 オハネ25 オハネ25 オロネ25 オハネフ25
参考ですが当時の東京口のブルトレ発車時刻です。
16:40 さくら
17:05はやぶさ
18:05みずほ
18:20富士
18:50出雲1号
19:05あさかぜ1号
19:20あさかぜ3号
21:00瀬戸
21:20出雲3号
23:00銀河
当時の撮影時のカメラの仕様で、上部にテープ残量が表示されてしまっていますがご了承ください。また友人と2人で乗車しています。会話が入ることがある旨ご了承ください。
平成生まれのブルトレ全盛期を知らない若い鉄の方も是非古き良き時代をご体感ください! - Auta a dopravní prostředky
牽引車のホイッスル音やハイネケンスのセレナーデ、電源車のあの金属の擦れ合う轟音や油の匂いが大好きでした。。いい時代だった。。
私は1993年の3月に富士のソロに乗りました。
食堂車がぎりぎりやっていたころで、メニューは食べ物、飲み物ともに数種類くらいしかありませんでしたが、とてもおいしかったです。
朝は洋朝食と和朝食、カレーと数種類の飲み物が注文できました。
ソロはとても快適で、ウォークマンのヘッドホンを持っていれば、音楽を聴くことができました。
当時のヒット曲が十数曲くらいで、繰り返しで流れていました。福山雅治さんの「約束の丘」が印象に残りました。
A寝台個室車両は古く、ソロと比べて割高感があるせいか、ガラガラでした。
何もかもが懐かしいです。もう一度乗れるのであれば、乗ってみたいです。
撮影する9年前の富士は西鹿児島まで運行し牽引機は65pfでした!私的にはあの編成が相応しいのですが、66牽引、ロビーカー、ソロが連結した編成も走るホテルらしくて良いですよね!!
A個室シングルデラックス、B個室ソロ共に備わり、食堂車とロビーカーが連結され、24系14両の長大編成で20時間以上かけて走るブルートレイン。最高すぎます…
今は亡き東京機関区、品川客操の横を通る映像にはジーンときました。
古き良き時代の映像を楽しませていただきました。
ブルートレイン、懐かしいですね。
僕は1989年当時は高校生でしたが、東京に住んでいたので、東京駅で出発前のブルートレインを見る機会がありました。
いつかブルートレインに乗りたいと思っていたけど、結局一度も乗る機会がないままブルートレインが廃止されてしまったのは、
本当に残念です。
90年の3月にゼミの旅行で、九州ワイド周遊券でB寝台を利用しました。
ロビーカーを占拠していました。
山手線・京浜東北線の車両の色が懐かしいですね。
貴重な映像
国鉄時代車掌の口調ですね
今じゃ聞けない
貴重な車内放送ありがとうございます。
その車掌さん、もうすでに退職してるだろうね
@E233JREAST
これは後発のブルトレ(おそらくあさかぜ)の牽引機で、出雲を牽くEF65は既に東京駅で待機しているはずです。
富士乗りたかった
なつかしい
まだ大分まで東京車掌区の頃ですね。
その後JR九州の大分車掌区が全区間受け持ちとなり
「さくら」の廃止まで東京駅でも
九州の車掌さんを見ることができました。
この頃からオハネフ25 100番代が不足気味で
この日は6号車がオハネフ25 0番代が連結されていますね、日によっては0番代は1号車や14号車に連結される日が時々ありましたね。
オシ24の赤いテーブルクロスが懐かしい。
貴重動画です 国鉄時代は特急よく乗ってましたが、
名誉ある長時間の寝台特急ですと、朝なんか、この車掌さんの案内 なまってるというか早口「ちょこちょ語」で解りにくいんですよね
5:39 367m 小田原行
8:25 354m 沼津発
11:10 寝台特急出雲1号浜田・出雲市行 送り込み
当時24系 14系はどれがどれ?と言う感じでした。20系は「デコ」と言ってました。😵
「はやぶさ」との連結はまだだったのね。
しかも「富士」同士で増解結してたんだね。
当時の富士は東京駅18:20発、はやぶさが17:05発でしたが、1993年3月の改正で両列車の本州内の時刻が振り替えられ、富士は17:05発、はやぶさは18:16発となっていました。これははやぶさの門司-博多駅間が朝のラッシュアワーにかかるため、それを避けるための措置でした。
寝台特急富士よく沼津駅まで見に行ったものですなつかしいの一言に尽きます。
ブルトレのりたかった
2:25この音色が旅情をかきたてる!
1号車が喫煙車でなく禁煙車なんですね。。そういう時代です 古き良きだけではないですね やっぱり 野球場でも平気で吸うので不快だったことも思い出します
この当時の寝台特急富士号は、B個室ソロ、A個室シングルDX.ロビーカー、食堂車、電源荷物📦車.ノーマルB寝台と言う編成、寝台特急はやぶさ号と共通運用、編成元年のダイヤ改正で宮崎駅からその南駅まで延長してサービスの向上を図りました。宮崎市内の大淀川の鉄橋を渡る姿が復活しました。
その南駅って南宮崎のことかwwwww
はい、そうです
鹿児島、日南方面へ行かれるお客様を
意識したんでしょうか。
最近の南九州へ行く場合は、新大阪~鹿児島中央まで新幹線🚅で行ってそれから日豊本線の特急で宮崎へ行くのが速い、小倉で日豊本線に乗り換えて行く場合は宮崎まで5時間かかります
品客に東機、20系 いい時代っすね 昭和59年に生まれた私でもときめいちゃいます
12:00頃に見える白いヤツはカートレインですかね?
あれはアメリカントレインだと思います
カートレインのコンテナ
ではないです
12:27
増結車ってなんだ!?
夏休みなどの繁盛期に増結された車両と思われます
車掌さんの勤務、当時は東京の車掌さんが大分まで行ってたってことだけど、
到着と同じ日の帰りの便で東京に戻って来るの?
それとも1日お休みがあるの?
前者だったらハードだな~。
11:49 田町にアメリカントレイン
もうブルトレには乗れないのか…
車両や機関車は、全国のブルトレファンからのクラウドファンディングで余裕で造れるだろうけどね!
このとき出雲ってEF66が牽引してたんだ
6:29何かいる
まう少しまへなら日豊本線経由で西鹿児島(いまの鹿児島中央)まで行つてゐた。
あ~あ、この車掌さんも「門司」のイントネーション間違ってるわ!
なんで「文字」と同じ言い方なの!