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柳井駅から別府駅まで、通過をする大胆さが、懐かしいです。
延岡在住だった子供の頃、客車の彗星も有りましたがこの583電車寝台の彗星(1号)は特別な存在に感じてました早朝なので見ることもほとんど無く、初めて実車を見た時は感激したものです列車全体の堂々とした姿に感動、窓にブラインドが付いてるのを見て「うわぁスゲ〜!」とまた感動(笑)のちに昼間運用で583のにちりんに乗った時はもう嬉しくて、ブラインドいじりまくりました思えば成長して就職試験で大阪に行く時、就職が決まって大阪に行く時もこの583系の彗星でした2段目の寝台の小窓から外を眺めながら故郷を離れる寂しさとこれからの不安で涙を流した遠いあの日が懐かしいです
いいですね、今では聞くことの出来ない人間味のある車内放送です。旅情が感じられ、よき時代の鉄道旅行が味わえました。
国鉄時代はベテラン車掌長がマイクを握っていましたから、聞いていて心地いい放送が多かったですね。自動放送にはない旅情が感じられました。
私の家内は、都井岬の近くでこの彗星(電車寝台と客車寝台にも乗りました)で新大阪駅から宮崎駅まで乗り行きました。懐かしく見させてもらいましたUP本当にありがとうございました。75才のじぃ
初めての一人旅で約4数年前 大阪から大分へ寝台特急 彗星で行きました・高森線から汽車に乗り熊本まで、帰りは 寝台特急 明星で大阪へ・・・ この寝台特急 彗星を 見て昔のゆったりした旅を思い出しました。今はネットで乗換とか簡単に調べられますが、当時は分厚い時刻表をめくり旅行にも持っていきました。懐かしいビデオありがとうございました。
当時は、一眼レフカメラや録音用カセットレコーダー、時刻表・・・。大きなボストンバッグ担いでの旅でしたね。今は何でもコンパクトで済み、旅のスタイルも大きく変わりました。
もし臨時特急で運転されるのならば、乗ってみたいです。
583系の彗星は初めて見ました。私が乗っていた彗星はEF65とED89が牽引していました。小さい頃、このブルートレインで大阪から乗り延岡を経由して高千穂まで行ってました。懐かしいです。
彗星…懐かしいです。父親の実家が臼杵だったのですが、下り1号は臼杵到着が早朝なので子供には無理、下り2号はブルトレで臼杵には当時止まらず津久見停車だったので行きは下り3号の大分行きに乗って大分から「にちりん」に乗り換えていました。一方、帰りは上り3号が臼杵に止まるので大阪まで乗って帰っていましたので、行き帰りともに毎年乗った583系は本当に思い出深いです。親が上段と下段(弟添い寝)、私が中段が定番でよくあの小さい窓からの眺めを見て楽しんでいたことを昨日のことのように思い出します。アップ、有難うございました。
懐かしの583系…親が青森だったのでよく乗ったものです。寝台も懐かしい。気づけばもう30年乗ることなく、もう臨時の1編成になってしまいました。このような動画や音声が残ってることはとても喜ばしいです!
24系客車はゆったりとして、居住性も良かったのですが、583系の寝台使用時の居住性は決して良いとは言えませんでした。着替えもしずらく、ずっと狭い寝台に横になっているだけでした。就寝時間帯に運行される「ゆうづる」「はくつる」中心に寝台は使用されましたが、九州方面へは寝台の解体・セット作業等の絡みで早期に2段寝台客車化されました。JR西日本では、583系「シュプール号」のグリーン車をサロンとして開放しましたが、国鉄時代はそこまで柔軟な対応はありませんでした。「きたぐに」には自由席があったので、サロンではなく、そのままグリーン車として扱われていました。
懐かしい車内放送とメロディありがとうございました😊
彗星に583系が懐かしいですね。
兵庫県の親戚の家に遊びに行った帰り三ノ宮の駅で新快速を待っていたらいきなり583系の彗星が突っ走ってきてホンマにびっくりした真昼間に彗星、、、向日町の電留線に明星や彗星のマーク出して昼寝してる583系は見てたけど走ってるは初めて見たから心底驚いたおそらくはトラブルで打ち切りになった列車の回送やったんやろけど強烈な思い出やわ
幼少時代は「なは」、大人になってからは「きたぐに」で583系のお世話になりました。
秋田の583系が廃車になる前に、新大阪から九州寝台特急をリバイバル運転してほしいですね。
かつて、青森の583系を借りて「月光」「しおじ」のリバイバル運行もされましたから全く可能性0ではないかと思いますが・・・?
この2,3年前に583系の彗星に乗りましたね。広島から九州に入るまでやっぱり寝ていたんでしょうね。記憶がありません。しかし、この頃は、神戸姫路の間はまだまだ優等列車が数多く走っていたのですね。
客車式寝台は簡易宿泊所としてありますが、電車式寝台のそれはありません。天井は低いけど幅は広くて寝やすかった。またあの小さな窓から外を眺めてみたいなあ。
「ごゆっくりおやすみください」いいですねぇ♪( ´▽`)
下段寝台はまだマシですが、中段、上段は狭く、目的地までひたすら眠るしかなかったでしょうね。
小学生の低学年に乗りました🎵懐かしい
1982年11月以降は西日本の583系の運用が減って、なはと彗星1往復の計2本だけなんですよね。特急ではないですが、臨時急行立山号としても運転されていました。
583の彗星、結局1度も見れなかったまま廃止になった。金星はなんとか地元の駅で撮影できたけど、この電車彗星だけはあまりにもつらすぎる時間なんで。しかも停車するけど客扱いしない時間帯だったし。あのころ一応、駅員さんに廃止になるから撮影に来てもいい?てきいた記憶がある。OKもらったけど結局、行けなかった・・・その後、583はなんか長崎線や佐世保線で普通列車に改造されて数年ののち、地元の駅構内のトンネルの横の留置線に廃車待ちで留置されていったっけ・・・
いいね~ 旅は時間を掛けて行くものだ しかし九州までは遠いな・・・
この列車は、私の小学生時代になくなってしまいました。乗ってみたかった~(泣)😭
中津、宇佐、津久見、高鍋通過。
九州入りしても小倉や中津通過とは、交直セクションの門司は583系だから通過出来るが運転士交代の為に恐らく下関と小倉では運転停車したのでしょう。
彗星は門司駅は上りも下りもつらい時間帯に停車するのでなかなか見ることが難しい列車でしたよ。客車列車は停車してくれましたが、この583は停まるのかな?と思わせるような速度で結局は通過していっていましたね。駅員さんに言って無理に駅の中に入れてもらって撮影したことがあります。地元の学生だったのでこの当時は融通がききました。
下関、小倉と主要駅に挟まれて、機関車付け替えの必要のない電車特急の通過は仕方ありませんね。本州から関門トンネルを抜けて最初に見る九州の車窓が門司ですから、印象的に残っています。
姫路停車時に車掌さんが降車してホームの立ち食いうどんを買って車掌室に持ち帰る光景が、当時は小学生でしたが今でも脳裏に焼きついています。夏場限定ですかね、白い制服も格好良かった。
姫路名物の駅ソバですかね?白い制服は格好良かったですよね。
そばでしたかね。失礼。そういえば駅変わりましたが今も存在してましたね。
「そば」といっても、一般的な和そばではなく中華麺に和風だしといった感じです。「信州信濃の新ソバよりもわたしゃあなたのそばがいい・・・」という都都逸がありましね。
金もいらなきゃ女もいらぬ!私ゃも少し背が欲しい!by玉川カルテット(笑)彗星に願いを(笑)
私が乗った彗星は14系ブルートレインだったような気がします。大分から新大阪まで乗りました。45年前の話です。・・・20系ブルートレインではなかったと思います。どちらにしても懐かしいです。初めてのブルートレインで、わくわくして殆ど寝てなかったですね。
初めてブルトレに乗ったのは小学4年生くらいの「いなば」3段式の中段でした。子供でしたから狭いという印象はなく、腹ばいで、ブラインドの隙間から夜の東海道の車窓を見て眠れなかったですね。帰ってからは押入れの上段を寝台車に改造(ふすまを外してカーテンを取りつけ)して寝室にしていました。
博多には止まらないんですね
そもそも、博多の手前(小倉)から鹿児島線を離れて日豊線に入るので、経由しませんが。(かつての東京発着列車では、富士が該当)
逆方向、宮崎行きに乗りました。1号ではなかったけれど、山陽新幹線が全通するまでは、5号くらいまで走っていましたね。583系は、北陸線の「急行きたぐに」やシュプールで、永らく走っていました。寝台では上段は、もう「ウナギの寝床」でした。
関西、中国地方→九州という乗り方が多方のだと思いますが、例えば大阪→岡山をサロに乗って移動すると言う使い方もあったのでしょうか
山陽新幹線の運行時間帯を外れるとあったでしょうね。関西~鹿児島本線、長崎本線はいいのですが、日豊本線方面は夜行フェリーとも競合していましたね。
また禁断症状が…
柳井駅から別府駅まで、通過を
する大胆さが、懐かしいです。
延岡在住だった子供の頃、客車の彗星も有りましたが
この583電車寝台の彗星(1号)は特別な存在に感じてました
早朝なので見ることもほとんど無く、初めて実車を見た時は感激したものです
列車全体の堂々とした姿に感動、窓にブラインドが付いてるのを見て「うわぁスゲ〜!」とまた感動(笑)
のちに昼間運用で583のにちりんに乗った時はもう嬉しくて、ブラインドいじりまくりました
思えば
成長して就職試験で大阪に行く時、就職が決まって大阪に行く時も
この583系の彗星でした
2段目の寝台の小窓から外を眺めながら
故郷を離れる寂しさとこれからの不安で涙を流した遠いあの日が懐かしいです
いいですね、今では聞くことの出来ない人間味のある車内放送です。
旅情が感じられ、よき時代の鉄道旅行が味わえました。
国鉄時代はベテラン車掌長がマイクを握っていましたから、聞いていて心地いい放送が多かったですね。自動放送にはない旅情が感じられました。
私の家内は、都井岬の近くでこの彗星(電車寝台と客車寝台にも乗りました)で新大阪駅から宮崎駅まで乗り行きました。懐かしく見させてもらいました
UP本当にありがとうございました。75才のじぃ
初めての一人旅で約4数年前 大阪から大分へ寝台特急 彗星で行きました・高森線から汽車に乗り熊本まで、帰りは 寝台特急 明星で大阪へ・・・ この寝台特急 彗星を 見て昔のゆったりした旅を思い出しました。今はネットで乗換とか簡単に調べられますが、当時は分厚い時刻表をめくり旅行にも持っていきました。懐かしいビデオありがとうございました。
当時は、一眼レフカメラや録音用カセットレコーダー、時刻表・・・。大きなボストンバッグ担いでの旅でしたね。今は何でもコンパクトで済み、旅のスタイルも大きく変わりました。
もし臨時特急で運転されるのならば、乗ってみたいです。
583系の彗星は初めて見ました。
私が乗っていた彗星はEF65とED89が牽引していました。
小さい頃、このブルートレインで大阪から乗り延岡を経由して高千穂まで行ってました。懐かしいです。
彗星…懐かしいです。
父親の実家が臼杵だったのですが、下り1号は臼杵到着が早朝なので子供には無理、
下り2号はブルトレで臼杵には当時止まらず津久見停車だったので行きは下り3号の
大分行きに乗って大分から「にちりん」に乗り換えていました。
一方、帰りは上り3号が臼杵に止まるので大阪まで乗って帰っていましたので、
行き帰りともに毎年乗った583系は本当に思い出深いです。
親が上段と下段(弟添い寝)、私が中段が定番でよくあの小さい窓からの眺めを見て
楽しんでいたことを昨日のことのように思い出します。
アップ、有難うございました。
懐かしの583系…親が青森だったのでよく乗ったものです。寝台も懐かしい。気づけばもう30年乗ることなく、もう臨時の1編成になってしまいました。このような動画や音声が残ってることはとても喜ばしいです!
24系客車はゆったりとして、居住性も良かったのですが、583系の寝台使用時の居住性は決して良いとは言えませんでした。着替えもしずらく、ずっと狭い寝台に横になっているだけでした。就寝時間帯に運行される「ゆうづる」「はくつる」中心に寝台は使用されましたが、九州方面へは寝台の解体・セット作業等の絡みで早期に2段寝台客車化されました。JR西日本では、583系「シュプール号」のグリーン車をサロンとして開放しましたが、国鉄時代はそこまで柔軟な対応はありませんでした。「きたぐに」には自由席があったので、サロンではなく、そのままグリーン車として扱われていました。
懐かしい車内放送とメロディありがとうございました😊
彗星に583系が懐かしいですね。
兵庫県の親戚の家に遊びに行った帰り
三ノ宮の駅で新快速を待っていたら
いきなり583系の彗星が
突っ走ってきてホンマにびっくりした
真昼間に彗星、、、
向日町の電留線に明星や彗星のマーク出して昼寝してる583系は見てたけど
走ってるは初めて見たから
心底驚いた
おそらくはトラブルで打ち切りになった
列車の回送やったんやろけど
強烈な思い出やわ
幼少時代は「なは」、大人になってからは「きたぐに」で583系のお世話になりました。
秋田の583系が廃車になる前に、新大阪から九州寝台特急をリバイバル運転してほしいですね。
かつて、青森の583系を借りて「月光」「しおじ」のリバイバル運行もされましたから全く可能性0ではないかと思いますが・・・?
この2,3年前に583系の彗星に乗りましたね。広島から九州に入るまでやっぱり寝ていたんでしょうね。記憶がありません。しかし、この頃は、神戸姫路の間はまだまだ優等列車が数多く走っていたのですね。
客車式寝台は簡易宿泊所としてありますが、電車式寝台のそれはありません。天井は低いけど幅は広くて寝やすかった。またあの小さな窓から外を眺めてみたいなあ。
「ごゆっくりおやすみください」いいですねぇ♪( ´▽`)
下段寝台はまだマシですが、中段、上段は狭く、目的地までひたすら眠るしかなかったでしょうね。
小学生の低学年に
乗りました🎵
懐かしい
1982年11月以降は西日本の583系の運用が減って、なはと彗星1往復の計2本だけなんですよね。特急ではないですが、臨時急行立山号としても運転されていました。
583の彗星、結局1度も見れなかったまま廃止になった。
金星はなんとか地元の駅で撮影できたけど、
この電車彗星だけはあまりにもつらすぎる時間なんで。
しかも停車するけど客扱いしない時間帯だったし。
あのころ一応、駅員さんに廃止になるから撮影に来てもいい?
てきいた記憶がある。OKもらったけど結局、行けなかった・・・
その後、583はなんか長崎線や佐世保線で普通列車に改造されて
数年ののち、地元の駅構内のトンネルの横の留置線に廃車待ちで
留置されていったっけ・・・
いいね~ 旅は時間を掛けて行くものだ しかし九州までは遠いな・・・
この列車は、私の小学生時代になくなってしまいました。乗ってみたかった~(泣)😭
中津、宇佐、津久見、高鍋通過。
九州入りしても小倉や中津通過とは、交直セクションの門司は583系だから通過出来るが運転士交代の為に恐らく下関と小倉では運転停車したのでしょう。
彗星は門司駅は上りも下りもつらい時間帯に停車するので
なかなか見ることが難しい列車でしたよ。
客車列車は停車してくれましたが、この583は停まるのかな?と思わせるような速度で
結局は通過していっていましたね。
駅員さんに言って無理に駅の中に入れてもらって撮影したことがあります。
地元の学生だったのでこの当時は融通がききました。
下関、小倉と主要駅に挟まれて、機関車付け替えの必要のない電車特急の通過は仕方ありませんね。本州から関門トンネルを抜けて最初に見る九州の車窓が門司ですから、印象的に残っています。
姫路停車時に車掌さんが降車してホームの立ち食いうどんを買って車掌室に持ち帰る光景が、
当時は小学生でしたが今でも脳裏に焼きついています。
夏場限定ですかね、白い制服も格好良かった。
姫路名物の駅ソバですかね?白い制服は格好良かったですよね。
そばでしたかね。失礼。そういえば駅変わりましたが今も存在してましたね。
「そば」といっても、一般的な和そばではなく中華麺に和風だしといった感じです。「信州信濃の新ソバよりもわたしゃあなたのそばがいい・・・」という都都逸がありましね。
金もいらなきゃ女もいらぬ!
私ゃも少し背が欲しい!
by玉川カルテット(笑)
彗星に願いを(笑)
私が乗った彗星は14系ブルートレインだったような気がします。大分から新大阪まで乗りました。45年前の話です。・・・20系ブルートレインではなかったと思います。どちらにしても懐かしいです。初めてのブルートレインで、わくわくして殆ど寝てなかったですね。
初めてブルトレに乗ったのは小学4年生くらいの「いなば」3段式の中段でした。子供でしたから狭いという印象はなく、腹ばいで、ブラインドの隙間から夜の東海道の車窓を見て眠れなかったですね。帰ってからは押入れの上段を寝台車に改造(ふすまを外してカーテンを取りつけ)して寝室にしていました。
博多には止まらないんですね
そもそも、博多の手前(小倉)から鹿児島線を離れて日豊線に入るので、経由しませんが。
(かつての東京発着列車では、富士が該当)
逆方向、宮崎行きに乗りました。1号ではなかったけれど、山陽新幹線が全通するまでは、5号くらいまで走っていましたね。583系は、北陸線の「急行きたぐに」やシュプールで、永らく走っていました。寝台では上段は、もう「ウナギの寝床」でした。
関西、中国地方→九州という乗り方が多方のだと思いますが、例えば大阪→岡山をサロに乗って移動すると言う使い方もあったのでしょうか
山陽新幹線の運行時間帯を外れるとあったでしょうね。関西~鹿児島本線、長崎本線はいいのですが、日豊本線方面は夜行フェリーとも競合していましたね。
また禁断症状が…