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「年間無敗」春夏連覇をした高校は何校かあれど、100年以上続く高校野球の歴史の中で一年通して無敗を貫いたのは98横浜高校だけ負けないことがどれだけ大変か歴史が証明してる
1998の横浜は最強だわ
とんでもないチームでしたよね👏年間無敗って凄過ぎます....
鹿実のユニフォーム好きやわー出てきて欲しいなー
6年前に仕事で仮屋園さんに仕事でお世話になったなぁめっちゃいい人でした✨️
全盛期の渡辺監督と小倉部長コンビは最強だな
横浜打線の中で4番を打つ松阪 ほんとに打つセンスもあったんだなあ
この試合観に行ってました。前の試合から球場は超満員で、延長15回のサヨナラボークがあったのを覚えています。
この試合の前、杉内の出来次第ではひょっとしたらと思っていたが、松坂の投球が素晴らしかった。杉内も流石の投球だったが。
この試合での松坂の試合後のインタビューが妙に記憶に残ってる。「今日のピッチングの点数は?」「95点です」「残りの5点は?」「打たれたヒットの5本です」
8回の横浜の攻撃が流石すぎる。加藤の盗塁とか徹底的に畳みかける感じが凄い。そして杉内がバテたところで後藤松坂の長打でダメ押し松坂が良すぎて鹿実打線が全く点を取れる気配がなかったのが杉内にとって辛かっただろうな
この試合は、小倉清一郞部長の指示で横浜高校はゴルフスイングをしてた時。
北海道民ですが、2008年8月下旬に北海道新得町に町の招待で横浜高が遠征に来た時に、北照高との練習試合で凡打の山を繰り返す筒香に「ホームランを打てるボールを待つんだ。どうして何でもかんでも手を出すんだ?」と指示した次の打席で、筒香は右中間最深部にライナーで突き刺さる感じのホームランを放ちました。北海道では強打者であってもホームランを狙うバッティングは良くない的指導だったので、小倉部長・横浜高校の指導のスケールの大きさには度胆を抜かれました。
当時、鹿児島実業にいた杉内俊哉君。彼はドラフトで福岡ダイエーホークスに入団して浜田高校で早稲田大学から入団した和田毅君とチームメイトになりましたね。
新垣
杉内は確か実業団経由でブロだったと思う
杉内はスタミナに課題があった。これは2年の時と同じパターン。
球審木嶋1塁赤井2塁窪田3塁唄野の4人です。
松坂を筆頭に杉内、新垣、和田毅、藤川球児とヤバすぎる世代二度とこんな世代現れないだろうな
館山、久保、久保田、東出、小谷野、森本、村田、古木、他にも一軍でいぶし銀の活躍をしていた人たちを含めるときりがないという・・・・。恐ろしい。
気持ちわかります。同感です。でもそういう世代がまた現れるんじゃないかなって期待があるのも甲子園の魅力かと思います。
この年の横浜の本当の強さは、守備力の高さ、PL 学園との17回の死闘でさえPLの3失策に対してノーエラーだったからね。打撃では特に強打ではなく、この試合に限らず前半から中盤は我慢して後半に捉えるのが特徴でした。それにしても、杉内はいい投手ですね、プロに入団した数年後の彼は全く相手が打てる気がしなかった。恐らくよほどこの敗戦が悔しかったのでしょうね。
しかし本当に可哀想なくらい見る目がないね。 この年の横浜の打撃は、強打云々でなくもともと非常に能力の高い選手達がチーム打撃に徹してあえてミート打ちに集中してるだけなのだよ。
そこまで言うなら横浜の強さを詳細に語ってみな。舐めた答え方するなよ。読んでやるから早くしろ‼️
大きいのを常に狙える松坂、後藤、小池、小山、そしてちょこちょこ小技を絡めて器用に塁に出る松本、佐藤など、申し分ない打線だったので、本来強打でもあり、まさに非の打ちどころのないチームだったと思います。ただ、春夏の甲子園にやってくると、何故だか打線に火がつくのはいつも中盤以降だったように思います。したがって甲子園では、明徳とPL戦以外序盤の試合運びからして横浜の圧勝なのですが、ランニングスコアだけ見ると、ついついどれも接戦というか、守り合いのように見えてしまう印象でした。伝説のチームに一つだけケチをつけるとすると、強打なのにエンジンがかかるのがいつも遅い、といったところでしょうか?あるいはわけあって敢えて中盤まで抑え気味だったのか?それがなければもっとたくさん松坂から継投できたかもしれません。守備はもういいでしょう。プロの松坂、社会人の内野、大学生の外野と形容されたくらいですから。内野手の普通のゴロの裁きやボール回しを見ているだけでも恐ろしい貫禄。
別の方が返信してくれたのですね。お時間使わせて申し訳ないです。詳し過ぎるくらい良くわかりました。本当にありがとう😉👍️🎶
鹿実ね、横浜と当たってさえなければベスト8までは行ってたと思う。杉内は左投手では京都成章の古川や明徳の寺本より力は上。81年名古屋電気の工藤にフォームが似てんだよね。
野手は大学レベル、投手はプロのエース級、やってる野球は社会人野球。これじゃお手上げっす。
プロの松坂、社会人の内野、大学生の外野、と形容されていたのを思い出しますね。
横浜相手に横浜の応援歌を流す鹿実の応援 4:20
杉内も148kmは出てたね
鹿児島県のチームは、甲子園近くのやっこ旅館が宿舎ですから、この後歩いて帰ったんでしょうね。
KKのPL学園と98年の横浜高校は、きわどいと思います。KKの時のPL学園は、リアルタイムで見てなかったですが、日本一になった阪神より強いと言われてましたから。史上最強のチームはどこかとの雑誌でこの2校は必ず出てきます。
もう、いちいちランキング感覚で比較しなくていいよ。今の時代の風潮だけど、ほんとに幼稚でウンザリ。
春夏連覇したチームは必ずドラマがある。が沖縄甲南だけは、
8回に離されたけど、7回までは割りといい試合だったんだよな
春夏どのチームも、ランニングスコアだけを見ると割と接戦なのですが、PLや明徳戦との決定的な違いは、横浜に圧倒的な余裕があること、相手はとにかくがむしゃらに食らいついていること、そして終盤横浜に火がついたとたん一気にたたみかけられてあっという間に背中が見えなくなっていく、ということだと思うんです。ただもう少し早い段階でギアを上げなかったが故に、春も夏も大会を通じて松坂にかなり負担がかかってしまったように思います。
@@mittyatyaいや誰
@@snissy2154 あなたは誰?
@@aatyan0519お前関係ない
「ロッテだろ、普通に投げれば大丈夫」の間柄w
フォームが、どうしても晩年の松坂に似る所があるからフォームが変わってれば、怪我してももっと長くできたのかもね
後藤武敏に小池正晃か
これがベスト8か三回戦でやればまだわからなかったと今思う(早すぎた)。でも部長さんが相手の癖読んでたので。でもこの年は鹿実は打線がイマイチでしたか。(最終回は松坂投手のボールを捉えていたので大会での早い対戦は残念。)
ランナーは?走ったよぉ? 1:08:03
松坂の投げ方こんなんやったっけ?晩年の松坂みたい
伝説の最強チームに、一つだけケチをつけるとすれば、火がつくのがやや遅い打線ということになるのでしょうか?ランニングスコアだけでなく、試合全体を見ると、鹿児島が惜しいということは全くなく、横浜が圧倒的。長距離レースで言うならば、速い選手がずっと先頭集団の先頭で適当に流しながら後ろを引っ張り、残り2kmあたりで自分のペースに上げて一気にスパートをかけ、後ろは全くついてこられないというイメージ。ただ、もう少し早い段階でギアチェンジしてくれれば、松坂を交代させる、等エースに負担をかけずに済む甲子園にもなったのかな?と思う時があります。
こりゃ、KKのPLより強ぇ~よ。公式戦一度も負けなかったんだし。それと注目すべきは、横浜は松坂の世代から行き過ぎな上下関係を払拭したのに、PLは3年後の「不祥事」を見た場合、全くそれを払拭しょうとしていなかったのも転落の一因。実はこの頃から学校事態の生徒数も1000人位から500人位に落ち込んでいた。横浜は確かこの頃も1000人辺りいた感じ。PLは学校経営そのものも落ちかけていたんだな。あと北海道民の自分からしたらこれから僅か6年後に北海道民の悲願、深紅の大優勝旗が津軽海峡を越える事となるには夢にも思わなかったな🙂。
私は練馬区出身ですが、ほんの少し前まで、北海道や東北が初戦突破すれば、「格差がなくなった」などと新聞に掲載されていましたね。北海と旭川実が二年連続でベスト8までくれば「ミラクル」とメディアはべた褒め。また年によっては札幌南といった公立の進学校が、個々の選手の工夫次第で甲子園に出たりもしました。強豪化した北海道や東北で、このようにして甲子園を勝ち取ることはもはや無理でしょう。
暴力はPLの伝統なんです
この年の鹿児島は川内高校の方が上、公立の地方校が甲子園かって盛り上がってたのに鹿実が甲子園ってガッカリしたな〜正直この年の鹿実は杉内のワンマンだもんな〜
川内も木佐貫のワンマンじゃなかったの?
川内市界隈の本来は私立の強豪なんかに行くような子達が、あの木佐貫君が川内に残るみたいだぞって事で私立に行かず、川内に集結しんですよ
当時、豪速球三羽烏と騒がれてましたけど高校時代はまだまだ線が細く、原石。 鹿児島実、樟南の牙城を崩す力は全く無かったですよね。
その時の監督が、泣き虫などの名称でのちに鹿児島工業を甲子園に導いたんでしたっけ??私は練馬の人間なので詳細は分かりませんが。
@@mittyatyaそうそう!中迫監督ね。
杉内のワンマンチームと書きましたが、確かに2年前の下窪林川のチームや宮下監督や内之倉がいた時よりも打線も小粒だし目立った選手も杉内以外はいない。ただ、久保監督は何年か前のインタビューで杉内が3年の時は2回戦が横浜でなければ決勝に行けたかもしれないと言っています。謎、、、県内でも夏までは川内に全く勝てなかったし、仮に準々決勝辺りに行ったとしてもPLや明徳義塾辺りにはとても勝てなかったでしょう。なんでこんな高い評価なんだろう
「年間無敗」
春夏連覇をした高校は何校かあれど、100年以上続く高校野球の歴史の中で一年通して無敗を貫いたのは98横浜高校だけ
負けないことがどれだけ大変か歴史が証明してる
1998の横浜は最強だわ
とんでもないチームでしたよね👏
年間無敗って凄過ぎます....
鹿実のユニフォーム好きやわー
出てきて欲しいなー
6年前に仕事で仮屋園さんに仕事でお世話になったなぁ
めっちゃいい人でした✨️
全盛期の渡辺監督と小倉部長コンビは最強だな
横浜打線の中で4番を打つ松阪 ほんとに打つセンスもあったんだなあ
この試合観に行ってました。
前の試合から球場は超満員で、延長15回のサヨナラボークがあったのを覚えています。
この試合の前、杉内の出来次第ではひょっとしたらと思っていたが、松坂の投球が素晴らしかった。杉内も流石の投球だったが。
この試合での松坂の試合後のインタビューが妙に記憶に残ってる。
「今日のピッチングの点数は?」
「95点です」
「残りの5点は?」
「打たれたヒットの5本です」
8回の横浜の攻撃が流石すぎる。
加藤の盗塁とか徹底的に畳みかける感じが凄い。そして杉内がバテたところで後藤松坂の長打でダメ押し
松坂が良すぎて鹿実打線が全く点を取れる気配がなかったのが杉内にとって辛かっただろうな
この試合は、小倉清一郞部長の指示で横浜高校はゴルフスイングをしてた時。
北海道民ですが、2008年8月下旬に北海道新得町に町の招待で横浜高が遠征に来た時に、北照高との練習試合で凡打の山を繰り返す筒香に「ホームランを打てるボールを待つんだ。どうして何でもかんでも手を出すんだ?」と指示した次の打席で、筒香は右中間最深部にライナーで突き刺さる感じのホームランを放ちました。北海道では強打者であってもホームランを狙うバッティングは良くない的指導だったので、小倉部長・横浜高校の指導のスケールの大きさには度胆を抜かれました。
当時、鹿児島実業にいた杉内俊哉君。彼はドラフトで福岡ダイエーホークスに入団して浜田高校で早稲田大学から入団した和田毅君とチームメイトになりましたね。
新垣
杉内は確か実業団経由でブロだったと思う
杉内はスタミナに課題があった。これは2年の時と同じパターン。
球審木嶋1塁赤井2塁窪田3塁唄野の4人です。
松坂を筆頭に杉内、新垣、和田毅、藤川球児とヤバすぎる世代
二度とこんな世代現れないだろうな
館山、久保、久保田、東出、小谷野、森本、村田、古木、他にも一軍でいぶし銀の活躍をしていた人たちを含めるときりがないという・・・・。恐ろしい。
気持ちわかります。
同感です。
でもそういう世代がまた現れるんじゃないかなって期待があるのも甲子園の魅力かと思います。
この年の横浜の本当の強さは、守備力の高さ、PL 学園との17回の死闘でさえPLの3失策に対してノーエラーだったからね。打撃では特に強打ではなく、この試合に限らず前半から中盤は我慢して後半に捉えるのが特徴でした。それにしても、杉内はいい投手ですね、プロに入団した数年後の彼は全く相手が打てる気がしなかった。恐らくよほどこの敗戦が悔しかったのでしょうね。
しかし本当に可哀想なくらい見る目がないね。
この年の横浜の打撃は、強打云々でなくもともと非常に能力の高い選手達がチーム打撃に徹して
あえてミート打ちに集中してるだけなのだよ。
そこまで言うなら横浜の強さを詳細に語ってみな。舐めた答え方するなよ。読んでやるから早くしろ‼️
大きいのを常に狙える松坂、後藤、小池、小山、そしてちょこちょこ小技を絡めて器用に塁に出る松本、佐藤など、申し分ない打線だったので、本来強打でもあり、まさに非の打ちどころのないチームだったと思います。
ただ、春夏の甲子園にやってくると、何故だか打線に火がつくのはいつも中盤以降だったように思います。したがって甲子園では、明徳とPL戦以外序盤の試合運びからして横浜の圧勝なのですが、ランニングスコアだけ見ると、ついついどれも接戦というか、守り合いのように見えてしまう印象でした。
伝説のチームに一つだけケチをつけるとすると、強打なのにエンジンがかかるのがいつも遅い、といったところでしょうか?あるいはわけあって敢えて中盤まで抑え気味だったのか?
それがなければもっとたくさん松坂から継投できたかもしれません。守備はもういいでしょう。プロの松坂、社会人の内野、大学生の外野と形容されたくらいですから。内野手の普通のゴロの裁きやボール回しを見ているだけでも恐ろしい貫禄。
別の方が返信してくれたのですね。お時間使わせて申し訳ないです。詳し過ぎるくらい良くわかりました。本当にありがとう😉👍️🎶
鹿実ね、横浜と当たってさえなければベスト8までは行ってたと思う。
杉内は左投手では京都成章の古川や明徳の寺本より力は上。
81年名古屋電気の工藤にフォームが似てんだよね。
野手は大学レベル、投手はプロのエース級、やってる野球は社会人野球。
これじゃお手上げっす。
プロの松坂、社会人の内野、大学生の外野、と形容されていたのを思い出しますね。
横浜相手に横浜の応援歌を流す鹿実の応援 4:20
杉内も148kmは出てたね
鹿児島県のチームは、甲子園近くのやっこ旅館が宿舎ですから、この後歩いて帰ったんでしょうね。
KKのPL学園と98年の横浜高校は、きわどいと思います。
KKの時のPL学園は、リアルタイムで見てなかったですが、日本一になった阪神より強いと言われてましたから。
史上最強のチームはどこかとの雑誌でこの2校は必ず出てきます。
もう、いちいちランキング感覚で比較しなくていいよ。
今の時代の風潮だけど、ほんとに幼稚でウンザリ。
春夏連覇したチームは必ずドラマがある。が沖縄甲南だけは、
8回に離されたけど、7回までは割りといい試合だったんだよな
春夏どのチームも、ランニングスコアだけを見ると割と接戦なのですが、PLや明徳戦との決定的な違いは、横浜に圧倒的な余裕があること、相手はとにかくがむしゃらに食らいついていること、そして終盤横浜に火がついたとたん一気にたたみかけられてあっという間に背中が見えなくなっていく、ということだと思うんです。
ただもう少し早い段階でギアを上げなかったが故に、春も夏も大会を通じて松坂にかなり負担がかかってしまったように思います。
@@mittyatyaいや誰
@@snissy2154
あなたは誰?
@@aatyan0519お前関係ない
@@snissy2154 あなたは誰?
「ロッテだろ、普通に投げれば大丈夫」の間柄w
フォームが、どうしても晩年の松坂に似る所があるから
フォームが変わってれば、怪我してももっと長くできたのかもね
後藤武敏に小池正晃か
これがベスト8か三回戦でやればまだわからなかったと今思う(早すぎた)。でも部長さんが相手の癖読んでたので。でもこの年は鹿実は打線がイマイチでしたか。(最終回は松坂投手のボールを捉えていたので大会での早い対戦は残念。)
ランナーは?走ったよぉ? 1:08:03
松坂の投げ方こんなんやったっけ?
晩年の松坂みたい
伝説の最強チームに、一つだけケチをつけるとすれば、火がつくのがやや遅い打線ということになるのでしょうか?
ランニングスコアだけでなく、試合全体を見ると、鹿児島が惜しいということは全くなく、横浜が圧倒的。
長距離レースで言うならば、速い選手がずっと先頭集団の先頭で適当に流しながら後ろを引っ張り、残り2kmあたりで自分のペースに上げて一気にスパートをかけ、後ろは全くついてこられないというイメージ。
ただ、もう少し早い段階でギアチェンジしてくれれば、松坂を交代させる、等エースに負担をかけずに済む甲子園にもなったのかな?と思う時があります。
こりゃ、KKのPLより強ぇ~よ。公式戦一度も負けなかったんだし。それと注目すべきは、横浜は松坂の世代から行き過ぎな上下関係を払拭したのに、PLは3年後の「不祥事」を見た場合、全くそれを払拭しょうとしていなかったのも転落の一因。実はこの頃から学校事態の生徒数も1000人位から500人位に落ち込んでいた。横浜は確かこの頃も1000人辺りいた感じ。PLは学校経営そのものも落ちかけていたんだな。あと北海道民の自分からしたらこれから僅か6年後に北海道民の悲願、深紅の大優勝旗が津軽海峡を越える事となるには夢にも思わなかったな🙂。
私は練馬区出身ですが、ほんの少し前まで、北海道や東北が初戦突破すれば、「格差がなくなった」などと新聞に掲載されていましたね。
北海と旭川実が二年連続でベスト8までくれば「ミラクル」とメディアはべた褒め。
また年によっては札幌南といった公立の進学校が、個々の選手の工夫次第で甲子園に出たりもしました。
強豪化した北海道や東北で、このようにして甲子園を勝ち取ることはもはや無理でしょう。
暴力はPLの伝統なんです
この年の鹿児島は川内高校の方が上、公立の地方校が甲子園かって盛り上がってたのに鹿実が甲子園ってガッカリしたな〜
正直この年の鹿実は杉内のワンマンだもんな〜
川内も木佐貫のワンマンじゃなかったの?
川内市界隈の本来は私立の強豪なんかに行くような子達が、あの木佐貫君が川内に残るみたいだぞって事で私立に行かず、川内に集結しんですよ
当時、豪速球三羽烏と騒がれてましたけど高校時代はまだまだ線が細く、原石。
鹿児島実、樟南の牙城を崩す力は全く無かったですよね。
その時の監督が、泣き虫などの名称でのちに鹿児島工業を甲子園に導いたんでしたっけ??私は練馬の人間なので詳細は分かりませんが。
@@mittyatyaそうそう!中迫監督ね。
杉内のワンマンチームと書きましたが、確かに2年前の下窪林川のチームや宮下監督や内之倉がいた時よりも打線も小粒だし目立った選手も杉内以外はいない。
ただ、久保監督は何年か前のインタビューで杉内が3年の時は2回戦が横浜でなければ決勝に行けたかもしれないと言っています。
謎、、、
県内でも夏までは川内に全く勝てなかったし、
仮に準々決勝辺りに行ったとしてもPLや明徳義塾辺りにはとても勝てなかったでしょう。
なんでこんな高い評価なんだろう