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私が中学生の頃、キャンプで日光に行くために東武動物公園駅から乗車した日光線の初電、各駅停車東武日光行がまさにこの車両でした。確か雷雨の中の走行でしたが木製の二段窓が風のせいで、ガタガタ鳴り続けていた記憶が今でも鮮明に残っています。
この無骨さが、如何にも電車らしい厳つい感じが、堪らなく好きでした!!
スペーシアXの真っ白で先進的なデザインの特急もいいですが、こちらの車両はより日光の山々や田園風景に溶け込んで郷愁を誘います。色合いも渋くていいですね!
このクラシックカーが平成3年まで運行していたのが凄い!成田エクスプレスもスーパーひたちも同時代w
小学校の修学旅行、往路の臨時列車で乗ったのがこの車両、懐かしいな。帰りは、6000系だった。
懐かしい映像、ありがとうございます!!
美しい走行!これぞ「電車」。
懐かしいです。この車輌は、林間学校の貸切列車にも使われていました。私の小学校は、足立区立で、日光には、区の林間学校があり、6年生の時に行きましたが、その時は、往路復路ともに通勤型電車で、これに乗ることはありませんでした。なお、この車輌の 1両あたりの定員ですが、書籍上では 56人と記されていますが、3:22 の映像で、で 74人という表記が見えました。56人分の正座席に加え、乗務員室直後の補助席 4人分、かつて多客期に、左右の席の間に補助席を置いて対応したことがあったので、その時の補助席 14人分、合わせて 74人と数えているようです。
昔は利根川堤防上に撮り鉄いっぱいいたんですねえ
東武の特急って必ず何処かに先進的な要素を持っている。5700系の場合は快速の5800型(後の3176F)と共に直角カルダンを試用していた時期があったのもそうだし、その台車は電装化を解いたクハ700型の台車違いで確認できる。吊り掛けの台車の方もブレーキシリンダーが台車にあるのは東武では5700系が最初。
この車両から、東武は関西の阪急と提携した。この影響で先進的な車両が多く投入される一方で、古びた車両も多かった。昭和末樹、快速用に阪急6300ベースの車両導入も検討されたものの定員が減る問題から却下されたらしい。
結構、台車が近い方式が多いのも、東武と阪急が提携関係だからって聞いたことがあります。東武2000系は後に堺筋線直通用の阪急3300系設計の素となり、阪急2200系を基礎に9000系が作られました。ただ、オリジナルの考え方による車両も多く、8000系は大量生産するために発電ブレーキを持たない考え方は、阪神7801型や相鉄6000系からで、車内アコモ構造のみ、提携する阪急に近い型式でした。
@@tomkarasawa6285 阪急初の高性能車2000系とDRC1720系の窓枠は同じと聞いたことがあります。時期もほぼ同じなので。東武の電車には比較的マルーンのツートンカラーや帯の入った電車が多いのはそのせいでしょうか?
冷房装置の形が阪急と東武は同じで不思議に思った事があります。
懐かしい。野田線でも団体の臨時を見たことがあります。
渋い✨屋根もガラベンだし✨
一編成くらい大事にとっとくことはできなかったかなぁ。
DRCが登場する前の特急でしょうか?東武博物館に保存してるのより、古そうです。
東武5700系。DRC(1720系)、前面貫通路付の1700系(途中でDRCと同じ車体に載せ替え)より前の、東武では戦後初の特急用車両でした。“快速たびじ”のヘッドマークが付いている車両が、東武博物館に展示されているモハ5701の晩年の姿です。保存に当たって、前面の運転台部分が製造(1951年)時の非貫通の2枚窓に復元されました。この他、動画冒頭のクハ703とその次のモハ5703(運転台部分が切除)は、埼玉県行田市の北陸新幹線高架近くでレストランとして今も使用されています。余談ですが、モハ5703の運転台部分は一時期兵庫県の製造会社にて保存されるも、同社の閉鎖によりモハ5701と同じく東武博物館に里帰りしました。
林間学校に行く時に乗ったよ。
私が中学生の頃、キャンプで日光に行くために東武動物公園駅から乗車した日光線の初電、各駅停車東武日光行がまさにこの車両でした。確か雷雨の中の走行でしたが木製の二段窓が風のせいで、ガタガタ鳴り続けていた記憶が今でも鮮明に残っています。
この無骨さが、如何にも電車らしい厳つい感じが、堪らなく好きでした!!
スペーシアXの真っ白で先進的なデザインの特急もいいですが、
こちらの車両はより日光の山々や田園風景に溶け込んで郷愁を誘います。色合いも渋くていいですね!
このクラシックカーが平成3年まで運行していたのが凄い!成田エクスプレスもスーパーひたちも同時代w
小学校の修学旅行、往路の臨時列車で乗ったのがこの車両、懐かしいな。帰りは、6000系だった。
懐かしい映像、ありがとうございます!!
美しい走行!これぞ「電車」。
懐かしいです。
この車輌は、林間学校の貸切列車にも使われていました。私の小学校は、足立区立で、日光には、区の林間学校があり、6年生の時に行きましたが、その時は、往路復路ともに通勤型電車で、これに乗ることはありませんでした。なお、この車輌の 1両あたりの定員ですが、書籍上では 56人と記されていますが、3:22 の映像で、で 74人という表記が見えました。56人分の正座席に加え、乗務員室直後の補助席 4人分、かつて多客期に、左右の席の間に補助席を置いて対応したことがあったので、その時の補助席 14人分、合わせて 74人と数えているようです。
昔は利根川堤防上に撮り鉄いっぱいいたんですねえ
東武の特急って必ず何処かに
先進的な要素を持っている。
5700系の場合は快速の5800型
(後の3176F)と共に直角カルダンを
試用していた時期があったのもそうだし、
その台車は電装化を解いた
クハ700型の台車違いで確認できる。
吊り掛けの台車の方も
ブレーキシリンダーが台車に
あるのは東武では5700系が最初。
この車両から、東武は関西の阪急と提携した。この影響で先進的な車両が多く投入される一方で、古びた車両も多かった。
昭和末樹、快速用に阪急6300ベースの車両導入も検討されたものの定員が減る問題から却下されたらしい。
結構、台車が近い方式が多いのも、東武と阪急が提携関係だからって聞いたことがあります。東武2000系は後に堺筋線直通用の阪急3300系設計の素となり、阪急2200系を基礎に9000系が作られました。
ただ、オリジナルの考え方による車両も多く、8000系は大量生産するために発電ブレーキを持たない考え方は、阪神7801型や相鉄6000系からで、車内アコモ構造のみ、提携する阪急に近い型式でした。
@@tomkarasawa6285 阪急初の高性能車2000系とDRC1720系の窓枠は同じと聞いたことがあります。時期もほぼ同じなので。
東武の電車には比較的マルーンのツートンカラーや帯の入った電車が多いのはそのせいでしょうか?
冷房装置の形が阪急と東武は同じで不思議に思った事があります。
懐かしい。野田線でも団体の臨時を見たことがあります。
渋い✨屋根もガラベンだし✨
一編成くらい大事にとっとくことはできなかったかなぁ。
DRCが登場する前の特急でしょうか?
東武博物館に保存してるのより、古そうです。
東武5700系。
DRC(1720系)、前面貫通路付の1700系(途中でDRCと同じ車体に載せ替え)より前の、東武では戦後初の特急用車両でした。
“快速たびじ”のヘッドマークが付いている車両が、東武博物館に展示されているモハ5701の晩年の姿です。
保存に当たって、前面の運転台部分が製造(1951年)時の非貫通の2枚窓に復元されました。
この他、動画冒頭のクハ703とその次のモハ5703(運転台部分が切除)は、埼玉県行田市の北陸新幹線高架近くでレストランとして今も使用されています。
余談ですが、モハ5703の運転台部分は一時期兵庫県の製造会社にて保存されるも、同社の閉鎖によりモハ5701と同じく東武博物館に里帰りしました。
林間学校に行く時に乗ったよ。