領民から慕われた戦国武将ベスト5
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- čas přidán 9. 07. 2024
- 今回の歴史の細道は、『領民から慕われた戦国武将ベスト5』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
1:02 第5位
5:23 第4位
9:12 第3位
12:47 第2位
15:51 第1位
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脚本・監修:歴史の細道
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~画像~
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北条氏康と言えば 「幽霊が怖くて弱気な私は武将の器ではない」と家臣に泣きついたら
家臣から「そのように慎重な方が大将であるから私たち家臣は安心して戦えるのです」と説得されたという逸話も・・
北条氏の匙加減が絶妙だったんだと思う。領民に感謝されながらも国力が落ちないラインを保ちつつ、家臣に侮られず主従関係を維持してきたんだもの。
上杉謙信と武田信玄が小田原城攻めをした時は領民の田畑や集落を捨てて敵軍に青田刈り放火をされ放題にされても戦わず籠城したけど戦後それを民たちに詫びて田畑を失った領民には納税を免除しさらに家屋を建て直す復興資金も出したと言われてますね。情に流されて戦ったりはしないが被害に対しては「天災扱い」でちゃんと補助金を出すところは現在の極悪自民党より百倍良い治世だったと思います。
@@user-ef1ds9fw5y この頃の大名の方々は「国の根本は民にあり」を良く理解していた様に見えますね。
新しく領主となった場合は、良民の反感を抑えるために民の負担を軽くすることはあると思いますが、北条は5代にわたって伊勢宗瑞の家訓を受け継いだのはすごいと思います。
水野勝成さん
福山では誰も悪口を言わない
水野家が福山藩を治めていた時代は一度も一揆が起こっていない
石田三成が関ヶ原で敗れて自分の領地の伊吹山に潜伏していた時三成の身柄には多額の懸賞金がかけられているにもかかわらず三成を訴え出る領民はいなかったのみならず三成を支援する領民が多数いた。石田三成の統治がいかに民心を得ていたかこの一事でわかる。
熊本では加藤清正ですね、「肥後は日本で一番貧しい」と言われた地を盛り立てましたからね。
四公六民は伊勢宗瑞、北条早雲からでしょう。革命的な考え、民への優しさを持った武将だと思います。私の一番好きな戦国大名です。
民への優しさという点では信長も大好きなんですけどね。
後北条氏の「中興の祖」と言われ、北条家を大いに飛躍させる。虎の印判をもちい、武田信玄や上杉謙信と渡り合う。民に善政をひいたほか、河越夜戦で勝利を掴み取るなど、政治力、軍事力ともに卓越した才能を遺憾なく発揮した名将。
一位は当然氏康公でしたね。政治のうまさはピカ一ですし、兎に角武士とは何なのかを貫き通した人だと思います。子の育て方も素晴らしく、誰も裏切らないどころか、兄を全身全霊で補佐するとか、あの戦国の中ではあり得ない事。南関東の人間として誇らしいですし、一番大好きな武将です。
真田信之。
亡くなった時、出家する領民が続出したという。
後は立花宗茂もそうか。
関ケ原の後領地柳川に帰ってきた際、領民が柳川城開城を思いとどまるよう述べたという。
四公六民という税は間違えなく興国寺城主になった時から宗瑞が取り決めたこと。
その四公の取り分から今川家に一割を税として納めていたのだから実際には三公分しか取っていなかったわけだ。当然楽な生活はできないが、領民が仕事に励み田畑を開墾して収穫も増えていけばおのずと皆が楽な生活を営めるであろうという目先だけの政治ではなかったんだよ。それを嫡男氏綱に再三言い聞かせ
その氏綱が氏康に伝承していった。「領主は自分のために生きてはならぬ、民のために生きよ」これこそが伊勢宗瑞であり北条家なのです。
やっぱり後北条氏ですよね😁
北条氏康のような総理大臣がいたら今の日本を安定出来ると思います
小田宇治はかなり慕われてますね
ある話ですが小田の領土が取られてたとき領民はその町を出てき税を納めないようにしたのですそして小田宇治が奪い取ったら領民は喜んで戻ってきました。[今日も勉強になりました]
小田氏治ね。
勉強になります。知らなかったことも多かったです。
ぜひベスト5だけでなくほかにも取り上げていただけると嬉しいです。
今の政治にも言えることだが、産業や経済を活性化させ、必要な徴税を行い領主領民共にWIN-WINとなることが重要。
それを怠り搾取一方となると国は瞬く間に滅びる。国が強くなるというのは軍備や兵隊の数ではない。やはり領民含めた生産効率が高いということ。
滋賀県を旅行して思ったのですが井伊家(直正、直虎、直弼)、豊臣秀次、石田三成はかなりの人気がありますね。一方、かつては天下を牛耳るかと思われた六角家、織田信長、豊臣秀吉、有名人の浅井家はあまり人気がない。またおそらく善政を敷いたであろう田中吉政も秀次や三成を裏切った人非人ということでまるで人気は無かったですね。
滋賀県が作った三成のコマーシャルはすごいです。
一度みたら忘れられないインパクト。
「武将といえば三成♪配下にするなら三成~♪」300年たっても(その間、徳川に奸臣に仕立てられてしまったのに)、これだけ愛されているなんて凄すぎます。
素晴らしい話しをありがとうございました。
三成に過ぎたる物と言われた佐和山城は外見だけ立派な簡素な作りだったとか
江戸時代だけと庄内藩は領民に慕われて幕府での大名の国替えが決まって領民が国替えを反対して一揆を起こして国替えが取り止めに成ったし、戊辰戦争の時に庄内藩は家臣と領民が一致団結して官軍相手に善戦した。
加藤清正
後北条氏が主役の大河ドラマ熱烈希望するわ
北条早雲から氏直の五代にして五人の主人公にすれば面白そう。
それだと一年で収まらんような、2年は欲しいかも
伊勢盛時(北条早雲)が相模平定するまでの複雑怪奇過ぎた関東政治勢力変換を描くだけで相当時間を喰うのがTVドラマ化にあたってのネックですね、
「鎌倉殿の13人」よりさらにメンドクサイ勢力争いだったのですから。
(でもそこをちゃんと描かないとなぜ後北条家が設立されたのかがわからないから描かない訳にはいかないという)
滅多にTVを見ない私ですが先日某局が取り上げた小田氏治は視聴しました。清正も入っているかと思いましたが…1位は納得です。実質氏政で滅んだ北条ですが、宗瑞から一貫して民政においては優れ領民を大切にしましたから。百姓曲輪なんて名は他家には無いでしょうし。
四公六民は伊勢宗瑞からだったかと
三成は新井白石と頼山陽に(てか江戸幕府に)、陰湿な画策者にされちまいましたが、忠義心に厚く、無私の人であったことが、近年、やっとこ認められ始めましたね~。よかった、よかった。
関ヶ原の後に命をかけて匿ったのは、三成の領民でしたし、ホント、領民思いのよい人だったんですよね。
20年以上前の「知ってるつもり」で特集された時には、もう従来のイメージから異なる人物と紹介されてましたよ。
@@user-lt8dn2ui2p さま。
ご返信ありがとうこざいます。
1931年の菊池寛さんの「石田三成」によって、それまでの三成奸臣説が変わったという知識はあったのですが、三成が280年に及んで悪人とされてきたこともあり、つい近年と書いてしまいました(笑)。
失礼いたしました。
真実はわかりませんが、
朝鮮出兵の際の商人斡旋で三成が多額の金銀を得ていたことは確か。
しかし関ヶ原後に佐和山には何もなかったのも事実。
質素倹約というよりも、三成は得た金銀を豊家護持の為に惜しみなく「使った」と見るのが良いのでは?
吉宗は 目安箱で善政を行ったみたいなことを教科書でも習ったが 年貢割合を変えたので 百姓一揆や打ちこわしも増えたっていうことらしい。
実際に柳川を領有した期間は短いのに、降伏時に領民が「兵糧も兵も供給するから降伏開城しないで」と懇願した立花宗茂も慕われた一人。
伊勢宗瑞やその後の北条家については黒田基樹氏の本がオススメ
私は熊本に産まれました。佐々成政の後を引き継いだ、加藤清正は慈悲深い方です。
歴代の熊本藩主は、必ず米の年貢を厳しく取り立てました。けど、清正公は米が取れなければ小麦で良いよ。と。戦国武将の中で、朝食に蒸しパンを食べていたのは清正公だけです。その後は、白川や緑川の新田開発。加藤家から細川家に変わった時に、改めて石高を調べてびっくり。肥後57万石のはずが、76万石。そうです、肥後の農民は充分に、米を食べられる様になりました。だから熊本城の建設も上手く行った訳です。
流石は小田氏治。今も昔も庶民のアイドルだぜ!!!
明智光秀も入れて下さい。
信長を討った後も1万以上の部下を自在に動かせたのは人望があったから。
丹波の統治については部下の評価が厳しい信長も認めています。
戦国時代でも主殺しは親殺しと並ぶ大罪なのに光秀が信長に謀叛を起こす決断して山崎の合戦で敗れるまで家臣は裏切って居ない。
明智日向守の働き天下の面目を施し候。
石田三成…意外でした。やはり小説やテレビの石田三成像は、勝者が作ったイメージですね。乱世でなければ別の人生があった気がします。
1番に石田三成が思い付きました。
伊吹山へ落ち、東軍に見つかるまで旧領の民百姓が匿っていた逸話がある。
現代に伝わる石田三成像は家康が実質謀反した事実の正当化の為にかなり改竄されている。反対に家康は内政については無能で5ヶ国を有する大名になっても兵農分離が出来ず戦続きで国内を疲弊させまくって秀吉に逆らえなくなった事実からも明らか。
私もです~。
三成をかくまった者は(一家全員) 死罪というおふれが出ていた為に、三成をかくまった百姓は離縁までしていたそうですね。
そして、おふれを知った三成は、その百姓に自分を連行して褒美をとれと言った。。。
大一大万大吉の人なんですよね。
武闘派の連中にも"領民"に見せた面を見せれば良かったんですけどね😅
明智も坂本では明君ですね
納得の1位。
鎌倉時代の歴代北条執権(特に義時から時頼)そして後北条氏共に領民に対し善政を行った事は、決して偶然の一致ではないと自分は考えています。
日本中世の暗黒史の主役鎌倉北条氏、主家を滅ぼし、同僚の御家人たちを陰湿な罠で次々と陥れ、陰惨極まる卑怯な手段で滅亡に追い遣りました。
温厚な泰時はともかくも、特に時政、義時の二代は嫌悪の情しか湧きません。
故に鎌倉東勝寺の北条氏滅亡の下りは心底溜飲が下がりましたし、因果応報自業自得と確信する次第です。
そもそも伊勢氏だった北条早雲が北条氏を名乗ったのは鎌倉幕府の執権北条氏のような政治をすると領民にアピールするため。それほど鎌倉時代の北条氏の政治は良いものであったという常識が当時関東の庶民レベルであったということ。
小田氏に1票!ナポレオンですら一度の負けで全て失っているからな~
歴史を知る者は誰もが一位は北条と思ったでしょう。いつも、勉強になります。こういった動画を小さい子が見て、少しでも歴史に興味を持ってもらいたいですね。そして、歴史を勉強して、新しい真実をはっびょうして欲しいです、
佐々成政は熊本の領民を統制できずに一揆をおこされて責任を取らされたんじゃなかったかな?
以外にも松永久秀も領民に慕われてるんですよね(*´-`)
そして一位は納得ですね
四公六民のほか凶作などの際は年貢を免税にしたりの救済処置もとったとか
武田信玄(信玄堤とか)や陶晴賢(何処かの本にあった)や伊勢宗瑞(四公六民のあれ)も領民思いって事を聞いたことがありますが私は立花道雪(戸次鑑連)を押したいと思います
弱い兵がいてもそれを悩む必要はない それは上にいる将の責任 兵士は何も気にするな 領民はともかく兵士を心から大切にしていた 十分な善君ですね
富山県民として佐々成政公をチョイスしてくださった事を感謝します。
加賀百万石の6割は富山県なので富山あっての加賀藩なんですよね。
熊本では逆に失政をして切腹という最期になってしまったのが何故?とも思うところ
後北条に滅亡させられた三浦氏、各地に落ち延び
かやの木を庭先に植え、ゆかりの証としたという。
本拠地の衣笠ですが、私が子供の頃からある商店街は今も元気ですわ。
小田宇治はサムネホイホイですわw
石田三成に関して言えば、「先祖代々の領主ではなくにわか大名」ということがあります、特に近江地方は領主が二転三転して変わるような土地で、そこに新人大名が来たのですから安定期の江戸時代と異なり、「過酷な徴税をすれば、すぐ一揆が起こるか、別の領主が攻めれば寝返り裏切るでしょう」 そう考えると必要以上に、領民をヨイショして過度の年貢や労役を課して人心と敵対するのは得策ではない
マイナーだが豊臣時代の但馬竹田城(天空の城跡で有名)の城主斎村政広。地元に宿泊した時に産業育成に尽力され領民をとても大切になさったお殿様と未だに慕われていると聞きました。
明けっ様、明智光秀もお忘れ無く。
NHKの『その時歴史が動いた』の光秀のエピソードは本当に感動しました。
光秀死後四百数十年を経て、今に至るまで毎年その命日に弔われる領主とか、そうそういませんよね。
以って瞑すべしと、深く感じ入る次第です。
上司にしたい武将明智光秀!
坂本では明君ですし、比叡山とかも復興していますね。
逆に現代の政治家はなぜこうも私利私欲に溺れているのでしょうか
小田原城が落ちた時も武士たちは戦意喪失してたけど領民たちは戦う気満々だったという話があるくらい北条家の内政は素晴らしかったんだろうなと思います。
宇喜田直家、松永久秀、斎藤道三、津軽為信
後世の人間から梟雄扱いされてる方々は大抵領民から慕われてるな
青森県民だけど、津軽為信は
民からの評判は良かったって言われてるけど正直好きじゃないかな…
@@ZERO-nr1fo 青森ったって半分は南部だしな。嫌いって言う人も多いでしょうな。
今の政治家に見習ってほしい
富山人としては佐々成政が出たのは嬉しい、佐々堤は今も残ってる
本田忠勝
明智光秀
石田三成
当たりがぱっと思い浮かびますね。
かなりマイナーではありますが、地元の方々に非常に敬われている亀井茲矩や中村玄角を推したいですね。
石田三成は江戸時代なら相当の実力を発揮したのかしれません。
あるいは柳沢吉保よりも実力を発揮したでしょうね。
石田三成は豊臣秀吉のもとで才能を輝かせた人。秀吉の天下取りの土台を支えたのが石田三成だった。確かに江戸時代においても際立った能吏になれた人だと思いますが。
加藤清正が入ってないのは意外!
福島正則が入っていないのも意外
小田氏治の話が好き
戦国武将ではないけど、領民に慕われてたのは吉良上野介ですね
忠臣蔵、ひょっとしたら
世紀の逆恨みかも・・・
「民政家大名」
武田信玄・北条早雲・明智光秀・保科正之・上杉鷹山。
今の税金 北条に学べ
直江兼続とかはどうなんだろ
米沢では慕われてるけど一揆撲滅された庄内辺りでは嫌われてそうだ
流石は北条氏康。武田信玄の名前がないのが不思議です。
武田信玄は拡大路線をとってそのツケが領民に来るのは必至で、古い家柄の重臣らの権益を取り上げることができなかったし、侵攻した先の統治でも権益の整理にしっぱしてると思われる。
織田信長が異なるのは、信長は街道整備が物流を刺激し、港湾都市や京都と経済活動の拠点を結ぶように整備していくので、領内の経済活動が活発化する。
それで、山陰の銀、上杉や武田家領内の金が織田領へ流れ込む。
決定的に異なるのは、徴税面ではないかな、信長は複雑化した利権を整理して農村の負担を軽減し賦役はあるものの城普請とか城下町があちこち出来活性化するので、それが公共事業や財政政策につながっている
織田勢では進出した地域での簒奪を禁じて、厳命しても比較的に守られるが、武田家などでは侵攻先での略奪は当たり前で、
当然ながら後の統治にも影響してくる。
武田信玄や上杉謙信と織田信長はそういう点が異なってくる
後北条でも拡大していくにあたって、領民の人心を得るのに、公平な徴税があるのではないかな。
信長の年貢率は3割~3割5分。どこよりも安いし、尾張時代に秀吉が城の修理を競わせて賃金を割り増しで払った話があるように賦役もタダ働きではなかった。それと比較してしまえば武田領は負担が重くて(武田が飛び抜けてひどかったというよりも、織田領が特別)、天国と地獄くらいの違いがあった。
@@user-kn1fx6bg6i 上杉軍は、激しく略奪はしていません。戦国時代だから多少は略奪はしていたと思うけど、激しく略奪していたら関東の諸士から出陣要請は来ません。謙信は、三十歳頃から約二十年に渡って関東に行き続けました(越相同盟の四年間は除く)。亡くなる直前も、関東の諸士から出陣要請が来ていて、関東に行く予定でした。
@@user-kf4kn1yi3s あのねぇ軍勢を要請する方は
農村で上杉軍が略奪するかどうかは度外視してますよ。
だから結局、謙信の軍勢は強いかもしれないが、関東に基盤を築けないままで終わっている。
信州においても背に腹はかえらないから、助勢を乞うわけだが、しかし根は下せない。
越後上杉勢を構成してる人らは、どこに利益を求め招集に呼応してるかを考えた方がいい。
これは武田も同じ。
@@user-kn1fx6bg6i まあ、謙信は、関東には反北条側の出陣要請で行くことが大半でした。謙信としても、北条の勢力が北関東にまで拡大すると越後と隣接するから、北条の勢力拡大を阻止する目的もあったと思います。越後と関東の間は三国峠がありますから、謙信が関東を領国化するのは難しいです。関東諸士の出陣要請に応じて毎回行っていたから、謙信は関東を領国化する意志はなかったと思います。あと、上野の一部は上杉領ですね。
北信濃は、謙信が関東に行ってる間に、信玄が海津城を造ったので、北信濃を領国化するのは武田が有利です。四回目の川中島の戦いで、上杉軍も三千人の死者が出ましたから、謙信としても北信濃を無理に領国化したくはなかったと思います。それでも、北信濃の一部はずっと上杉領です。越後の国境を守るために。 そういえば、信玄は南信濃で一度奴隷売買をしていますが、領国化していますね。
謙信は、北陸では領土拡大していますね。北陸では、出陣要請ではなく、謙信だけの意志で動くことができましたから。信玄のような強敵もいませんでしたし。越中と能登を領国化しています。
意外だと思われるが 柴田勝家 本多忠勝 も入るが‼️ 長期当地には国人を大切にしなきゃ持たぬ❗️
徳政令って借金帳消しだから、商人にとってはたまったものではないんですけどね・・・
あと、加えて、善政を敷いた武将としては実は徳川家康があります。その逸話を二つ。
①家康は常に麦飯を常食としていた。ある日、家康が家臣の屋敷に泊まった際、家康をもてなそうと椀の上側にだけ麦飯を盛り、下の方に白米を入れた。
すると家康は家臣に説教した。戦乱の世にあって、自分だけがどうして贅沢できようか。主が進んで倹約すれば、いくらかを戦費にまわせるし、百姓たちもいたわることができよう」と叱ったという。
また、小袖などの普段着も、新しいものは滅多に下ろさず、ボロボロになるまで洗濯させていた。これを見かねた側室の一人が、新しい着物はいくらでもあるので、新しいものを着るよう進言すると、家康は「天道は贅沢をもっとも嫌う。倹約は天下のため、子孫のため」と取り合わなかった。
②橋(具体的な川と橋は忘れました)が落ちたと家臣から報告を受け、家康の倹約癖を知っていた家臣は慎重にまずは「どれくらいの予算をかけますか?」と家康に問うた。
すると家康は「橋は民が往来に使う大切なものだから、予算に一切、糸目を付けずに建設しろ」と指示を伝えた。
家康は不要と判断したものは倹約する一方で、必要と判断したものは大金をきっちりとかけるだけの柔軟性があった。
北条氏は秀吉の小田原攻めを耐えるべきでした、1年間堪えれば撤退していきました
フェニックスだけ場違いと言うか、そこまで有能じゃないのがいいな。
施政者許した書物、売れたら勝利の小説漫画のイメージで武将見てはいけないんだよな。
肥後国人一揆を起こして切腹させられた成政が入っているとはビックリした。
本多忠勝 等も居るな
1位は納得しますが、最上義光が選ばれていないのは何故?
どうする宇治見たいなあ
やっぱ利家ってアレだわ😅
佐々成政公、素晴らしいよ😢
善政かどうかは分からないけど柳本氏の京都支配は地元の有力者に柳本姓を与えて配下に組み入れるやり方は反発も少なそうだなと感じた
2:24 約一年も前の動画に今更ですが、✕「押しも押されぬ」→〇「押しも押されもせぬ」
真面目な動画なのだからこそ、つまらない間違いはしないで欲しい
フェニックスうじはる!
真っ先に頭に浮かんだのは北条氏康。やはり。
伊勢宗瑞から続くもので。残念ながら氏政は優秀ではなかったので綻びが出て5代氏直の頃は秀吉が大勢力で潰しに来たので仕方ない面もあるのですが。
北条氏康公は岸田に乗り移って今の愚政を何とかして欲しいです。
2023年大河ドラマは気弱な家康が主人公だけど、こういう不況が常態化した今なら小田氏治大河も一興かと
小田氏治こそ三谷脚本で大河ドラマ化してほしい
忍城がはいってなーーーーい
いや、佐々成政は肥後で悪政の限りを尽くしてますがw
人は石垣。人は城。ですね。
農民に慕われた江戸時代の大名もお願いします。
秀吉って大阪では太閤さんとして親しまれていますけど、その他の領地では名君とかの噂聞きませんが実は厳しい領主だったのですか?
近江長浜とかでは善政敷いてたって話だけどな
基本善政だけど信長配下で遠征に出てることが多いし、後半は天下人だから一領地の内政なんかは部下に任せてたから あんまり『ここは秀吉の領地』って感覚が無いような気がする
宗瑞って伊勢新九郎=早雲のこと?
伊勢早雲庵宗瑞様だな。北條を名乗るのは氏綱公からだね。
フェニックス小田さん乙
岸田総理大臣は彼らから国政を学ぶべきである。
ホントだよ。タイムスリップしてきてほしい
逆にダントツで嫌われたのが松永久秀。
だから地元では大河ドラマ化を求める声なんて一切聞かれません。
善政で領民から慕われたのが松永久秀公だったと私は聞いてますけどね。
@@asakazefujiさん 農民たちから年貢を過剰に徴収してその財で茶器等の贅沢品を買いあさったり、
年貢を払えない領民を大量に火あぶりにしたり、領民の女性をレイプしまくったりと、悪い話しか聞きませんよ。
そもそも本当に良い領主なら、私の地元でも良いエピソードが多少はあるはずなんですけど、一つも聞いた事がありません。
松永久秀が信貴山で死んだ時は、かつての領民達はみんな大喜びしたというエピソードはよく聞きますけど(笑)
戦国武将ではないけど楠木正成公
税金総理 岸田 後年馬鹿にされる
何が東照大権現や神様になった者が人の首をはねるか!
立花宗茂が入ってない時点でダメだな。
五人は、長い。