#虎に翼

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  • čas přidán 25. 08. 2024

Komentáře • 10

  • @kunihisakawabata5252
    @kunihisakawabata5252 Před 4 měsíci +2

    ありがとうございます!

  • @YasuhitoShibuya
    @YasuhitoShibuya Před 4 měsíci +6

    宗教二世でなくても、子どもを自分が支配している、という感覚に無自覚で、結果として価値観や生き方を支配して追い詰め、精神的に加害を繰り返している親は、教育虐待を続けている親は本当に多いものです。私にとってもこれは家庭内の深刻な直近の問題です。どうすれば自覚してもらえるのか。この問題はもっと語られるべきだと思います。三輪さんぜひこの問題も取り上げてください。

  • @papapa1975
    @papapa1975 Před 4 měsíci +2

    リアルタイム、途中視聴だったのですが、やっと全部見れました。
    ギンズバーグも同じような立場だったんですね。女子トイレは無かったとか

  • @scarf6245
    @scarf6245 Před 4 měsíci +1

    1:30 RBGのドキュメントは私も折に触れて何度も見ています。
    11:50 日本はなにかにつけて、まず失敗することを前提に挑戦を抑制しようとしますよね。それによって社会からあらゆる活力が失われている気がします。
    15:55 とはいえ、完全に寅子の立場になったというわけではなく、あくまで母親という立場で娘の生き方を見ず知らずの他人に否定されたことによる反発という形での怒りが絶妙だと思っています。母親である はるさんは はるさんの生き方自体を否定したり恥じたりするものではないというのは作品の中では大事されていることだと感じました。
    31:20「遠慮をして発言」する女性とそれに気づかない男性というのはこの社会の構造を端的にいいアワラしていると思います。
    33:40 虎に翼のキャッチコピーとして「米国にはRBGがいたがそれを遡ること20年、日本には三淵嘉子がいた」というのが浮かびました。
    37:30 「生存者バイアス」と「公正世界仮説」が合わさった現状追認という安住だと思います。 >女性が女性に対して厳しい
    1:02:00 差別の難しいところは場面によってその「弱者性」を競わされるところだと思っています。例えば、健常者の女性と障害者の男性が対立した場合にはやはり女性がケアしなければいけない立場として対等には扱われないことが往々にしてあると思うのです。
    1:09:40 自分の妻、娘を自分の所有物のように思っているから腹を立てているだけで、別個の人格として認めているわけではないケースが少なくないと思うんですよね。
    1:25:50「法とは社会で作り上げる完成しない物差し」でしょうか。
    1:30:50「刑罰を重くすることが犯罪の抑制につながる」と考える人が少なくないのは刑罰が制裁や復讐だと捉えているからでしょうね。個人的には三輪さんも触れられたように更生に繋がるような刑罰であることを願います。
    1:47:00 ただ、やはり慎重に描いていないと安易な加害者と被害者の相対化につながって「悪い意味での中立性」を持ってしまう恐れもあるので取り扱いには注意が必要だと思います。
    今回も視聴とコメントが遅れてしまいましたが、
    冨増さん、三輪さん、ありがとうございました。

  • @user-sz2kr8qm1v
    @user-sz2kr8qm1v Před 3 měsíci

    対談ありがとうございます。トイレ問題で、NASAが舞台のドリームという女性数学者たちの映画を思い出しました。

  • @user-mc2rt5pr9l
    @user-mc2rt5pr9l Před 4 měsíci +2

    おはよう御座います。

  • @user-fu8vv9pe4s
    @user-fu8vv9pe4s Před 3 měsíci

    「虎に翼」途中から見ております。
    全体としてはなかなかNHKとしては攻めてる内容で、今後の展開がとても楽しみです。
    NHKでは「プロジェクトX」の新シリーズが始まってますが、相変わらず男性メインの内容で少し残念ではあります。それを否定するものではありませんが、三淵さんの話を聞くにつけ、女性の活躍を取り上げた内容にしたほうが良かったのではないかとも思いました。例えば市川房枝さん等…。

  • @OSAKAcan
    @OSAKAcan Před 3 měsíci

    法律というのは手段なのか目的なのか?
    あるいは国によっても変わる様に
    一国の中でも常に新陳代謝を繰り返す中にこそ意味があるとして、
    ふわふわと在って無い様なものなのか?
    先日近所の工事の事で各所に苦情を訴えたりしましたが、たらいまわしや逃げ口上ばかりで当に今の役所や各機関は何ら問題解決には機能していない事を実感するところしきりでした。
    法律がもしも手段ならその奥の思想に利用されてしまいかねません。
    目的となれば今度は法を護るために人間が犠牲にもなり兼ねません。
    宗教二世の問題の実態も、根幹はそこに在る様に思えています。
    とりわけ宗教問題に関しては法律は宗教の正邪を決めれない、その視点を持とうともしていない。それを信教自由にすら思っている。そういう所ではないでしょうか?
    あるいは新陳代謝を常とするなら、その方向性には
    深くどこまでも「人間の為の法」という命題を強く根幹にして欲しいと思う所です。
    私はこの一点が「自分さえよければ」と、どうしてもかけている様に思えてならない事がまだまだ余りに多いのが実態で
    浸透しきれていない所に諸悪が入り込むのを許すすべての根源が在る様に思えてなりません。
    完全な男女平等も実現できないのにどうしてその上の人間の為の法律が実現可能か?そこを思う訳です。

  • @akaPinkWalkman
    @akaPinkWalkman Před 3 měsíci

    悔悛の可能性とか
    政治家には当てはまらないよなー

  • @user-mc2rt5pr9l
    @user-mc2rt5pr9l Před 4 měsíci

    専門家を出来る限り集めて、その都度手書きで書いて、内容は前と変わってはないんです。😊