足軽の戦場での生活がヤバすぎる!まさに生き地獄だった…
Vložit
- čas přidán 31. 07. 2024
- 足軽たちは、有名な戦国武将と違い ほとんどは名もなき者たちでした。
いったいどんな日々を暮らし、何を楽しみに生きていたのでしょうか?
今回の動画では、足軽の実態について迫ってみたいと思います。
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▼参考文献等
彦根景観フォーラム「江戸時代の足軽 彦根藩と他藩との比較から」
とよはしアーカイブ「武士の俸禄」
戦国ヒストリー「やさしい歴史用語解説 足軽」
シンクロナス「戦国合戦足軽の正体、中世の悪党がなっていった?」
平井上総「兵農分離はあったのか」(平凡社 2017年)
國學院大學文学部教授・矢部健太郎「ゼロから学んでおきたい戦国時代《中》豊かな戦国を支えたイノベーション」
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▼目次
0:00 イントロ
0:26 足軽=農兵ではない
3:30 足軽の戦場生活
7:06 足軽は手柄を立てることができない
8:51 乱妨取り
10:54 武士になった江戸時代
▼BGM提供
・音楽素材MusMus様→musmus.main.jp/
・魔王魂様→maoudamashii.jokersounds.com/
・PeriTune様→peritune.com/
・DOVA-SYNDROME様→dova-s.jp/
・甘茶の音楽工房様→amachamusic.chagasi.com/
・ポケットサウンド様→pocket-se.info/
・音の園様→oto-no-sono.com
▼イラスト提供
・Adobe Stock→stock.adobe.com/jp/
・ACイラスト→www.ac-illust.com/
・Vecteezy→www.vecteezy.com/
#足軽
#戦国時代
「それなら〇〇はどうなの?」と疑問が湧いたところで、すかさずその説明が入る、ツボを心得た話に感銘を受けました。
きちんと参考文献を記載していらしている分、安心して視聴できます😊
初視聴です。チャンネル登録しました。勉強になりました。ありがとうございました。
雑兵の生活を描いた『雑兵物語』映像化してほしい
当時は農民が戦の際は武士になるという時代。余程有力な大名でないと、武芸だけでは生計を維持出来なかったですね。最近の大河ドラマでは若かりし日の明智光秀が田畑を耕したり、信長が漁から戻ってくるなど、史実に沿っている場面も出てきますよね。
応仁の乱後期以降約100年続いたのが戦国時代と考えると前期と後期では足軽の役割も変化した。当初は農民が賦役として戦場に駆り出されたのが徐々に専門足軽に成っていったようだ。代表例が信長で専門足軽組織にしたのでいつでも戦ができるようになったゆえに強かったし鉄砲が主武器になって戦前の訓練が一層重要になった。
初めての視聴者だけど、なかなか面白かった。「同心」のことなど、いろいろ勉強になり感謝したい。
縄文時代の方が幸せだったとよくわかりました!
戦国は生き地獄であの世が天国ですね
野戦はまだ救いがあるけど攻城戦は本当になんでもあり
江戸時代の御先祖たちは農村に居住していた福岡藩の御譜代組足軽でしたが、苗字の公称と帯刀および羽織と袴の公的着用を許されていた士分の上級足軽でした。自己所有の田畑山林を持っていたので城下町に住んでいた足軽よりもかなり裕福で藩庁から支給されていた給与はあてにしていなかったようです。屋敷も長屋門を構えたかなりのものだったということです。
凄いなぁ
まるで現代のレンジャー部隊じゃないか。
足軽の話だけに駆け足だけど、面白かったですね!
それでもやり様があるし成り上がる術は考えられそうだけど。
人気の戦国ドラマはいっぱいあるけど
でも見てるやつは足軽の人生なんだよなあ
農民が足軽になったのではなく.足軽が戦のない時に農業をしていたのです。そしてその日数の方が圧倒的に多い。
その場で足軽として雇われている農民もいる
それは武田ね。
@@macsy1955 農繁期は戦そのものがご法度。ここに切り込んだのが信長。有名な楽市楽座で城下町に人を集め、商業を発展させ、専業兵士を創設し、天下布武を拡大した。
@@user-ul8ts1zq6v国によって、状況によって様々でしたね。乱世でしたから国守を決め事で抑えられることはでした。戦が長期化することもありました。侵略のための戦の場合は稲刈りが終わってからの方が米を多く略奪できたと言うのはあるかもしれません。信長の戦でも多くは周辺調略ができたタイミングに合わせていました。御法度とは江戸時代に幕府の決め事を破る行為のことです。でも戦自体が御法度でしたね。
@@macsy1955 戦は農閑期にやる方が実は民の為ともいえます。戦になると兵糧をもらえましたから、将来の兵を謳い文句に、ある程度大きな子供を連れていけば、それなりの食い扶持が確保出来る訳です。特に不作になりがちな寒冷な時期のようでしたから、尚更ですね。江戸時代の御法度の語源になったのは室町幕府がほとんど機能しなくなり、各地の有力武将が定めた法度からですね。
こういう人たちが生き延びて今の暮らしがあると思うと感慨深いものがあるね
農閑期はちょうど今の10月頃からですね。気候的にも過ごしやすい頃。
相変わらず凄い教養。弱気では乗り切れない。転地療養から戻る頃。
学校の授業よりもこういう真実を伝える解説動画の方が面白いと感じるのは自分だけでしょうか?
学校の授業は概要だから興味がある部分は自分で調べよう
これは目からウロコで大変勉強になりました。
戦国時代は本当に過酷な世界でしたね。
こういう歴史を知ると現代が天国に思えてきて一生懸命生きていこうという気持ちが湧いてきます。
それにしても旧世界の人類史は略奪、戦闘、差別、無差別殺戮などのオンパレードで下手したら野生動物の世界より酷い。
現代は比較的平和と言えるけど出生率は下がり続けている…
つくづく人間とは本当に難しい生き物だと思います。
足軽でしたが、確かに大変でした😂
足軽に着目したその視点が凄い!
旧暦と新暦では時期にズレがありますからね。
略奪をするために、敵の収穫時期=農繁期に戦争をやるのが基本。
将軍家は代々あっちの方は足軽だ..
火縄銃の威力はすざましいく👂️の鼓膜は破れ、そばかす見たいな火傷もあったけど給料はある程度良かった
いつもありがとうございます。
足軽全員で反旗を翻したら、ヤバい事になりそうだけど、それはなかったんやな。
今現在国民全員が政治家に抗議活動や暴動をしたら税金も下がって労働環境もよくできて待機児童なんかあっという間にゼロにできるけどしないからね 命に危険なんてないけど
命の保証もない時代に反乱なんてしないだろうね
兵は率いる人がいて初めて成立するからなあ。
足軽のトイレ事情🚽
特にトイレットペーパーに興味があります。
面白かったです😊
勉強になりました!
今の私達もさしずめ名も無き足軽見たいなもんでしょうね😢
見た目や生活様式変わっても根本が変わったりより良い生活になったりする訳ではなく、単に便利になって消費の幅が拡がるだけ😅
戦は農閑期にする出稼ぎのようなものという説を読んだことがあります。旧暦の10月は今なら11月なので、稲刈りが終わったあとの暇な時期です。現在は農協が営農指導をして田植えを遅くしています。いまより稲作の作業が1か月くらい早かったはずです。
第四次川中島の謙信の出陣は旧暦8月、激戦があったとされるのは旧暦9月。
なのでそれぞれ9月中旬に両軍の出陣、激戦は10月ですね。
もし昔の稲刈りが1か月早いなら現在で言う8月~9月に稲刈りしていたのでしょうか。
@@Arthur-en7jm 二毛作もありましたから、いまとは稲作のサイクルが違ったと思います。
第一に領主や時代によるだろうし
あなたが読んだことがある文献が真理なわけはなく 諸説あるそれだけのこと
単一解を求めるが如く多説に排他的なのは歴史探究のプロセスから逸脱してますよ
戦国時代は今に比べると気温の低い小氷期だった様だし(14世紀半ば位~19世紀半ば位迄の期間)農作物の安定供給は難しい時代だったのでしょうね
農耕技術自体は結構進んでいたと聞いた記憶がありますが日照時間が少なく自然災害も多いなど長期間の戦国時代を乗り切る迄にどれ程の餓死者が出たのか考えるだけでもこわいですわ
2030年頃から小氷期になっていくとも聞きますし世界では食糧問題が更に深刻になりそうですね
@@ynonchan5576 戦国時代 戦 出稼ぎ でぐぐるとたくさん出てきますよ
日本の歴史っておもろいなぁ
やばすぎ、、
正真正銘の『ヒャッハー!』な世界
藤堂高虎は足軽で活躍して浅井長政から感謝状もらってますよ。
矢のかえしは現代ならどう対処するの🤔
矢傷(刺傷)が浅ければ、
抜いて傷口を水洗いすれば、
大丈夫です。
深い刺傷では、
刺さった物は自分で抜かずに
直ちに外科手術が必要です。
血管を傷つけていても、
刺さった物(かえし)で圧迫されていると、
強引に抜けば傷口を拡げ、
多量に出血することがあります。
刺さった物が抜けたとしても、
深いと思った場合は、
出来るだけ早急に手術が必要
です。
@@user-bq3km3bv6t ありがとうございます☺
足軽と言えば「伊藤博文」ですね。正確には「中間」ですが吉田松陰の松下村塾から「高杉晋作」も輩出しております。
因みに伊藤博文は門の前から吉田松陰に教えを与えれれていたそうです。
名前は違えど乱妨どりは現代の戦争でもありますね...
どうも現代の足軽です。
100年以上前って支配層以外地獄だな
今と比べれば全員悲惨よ
支配層と言ったって(現代と比べれば)ろくな医療も受けれないし
環境が悪すぎる
足軽・・・、サラリーマンのようですね。
どんな手柄を立てても、企業のもの!!!
今や納税が国民を殺しにかかってる
風邪ひいたのか鼻声ですね
足軽が手柄立てて出世、も基本フィクションらしく。侍の首持ち帰っても「どうせ冷え首だろ?」で手柄にならず(偽装多発したからですが)。精々係長や課長みたいな足軽組頭止まりで
そう考えると、モーセ五書が書かれた時代(BC1500年代)のイスラエルの規律(聖書)は、現代に通ずる優れた法律だな。
足軽は傭兵と言ったら分かりやすいですね
徳川将軍家の足軽は江戸時代以降は与力・同心になりました
専門的に言えば武士ですが武家・侍ではなかったのです
武家・侍とは徳川将軍家と直接御恩と奉公の契約関係にある大名と旗本が該当します
いわゆる『お殿様』と呼ばれる身分
代表的な与力・同心は南北町奉行所の下働きですが屋敷は江戸の外れの八丁堀
他にも五番方と言われる戦闘部隊にも与力・同心がおり屋敷は下谷や四谷など江戸郊外にありました
しょっぱなの謎の揚水装置が気になります
馬糞を溶いた水を飲むの下りは、腹にたまった血を吐き出すため、ではなかっただろうか?
夜寝る時はどうしたんですか?天幕とかあったんですか?
自前で筵を持参したようですね。敷物にもなるし、雨が降れば天幕にもなる。
戦専門の部下を創設したのが信長、いわゆる職業軍人のはしりかな?
ゴリマッチョな農民兵士足軽とか怖すぎる。戦なんてただの祭り位の感覚だったんだろうな。太閤秀吉さんの偉業もっと知ってほしいですね。
普段農業農夫が主な仕事なら農夫が足軽やるで良くないか?
矢の先に、動物のフンとか塗りたくってたらしいね、刺さったら化膿して死ぬ
天下泰平の世になったのも、足軽の人たちのおかげ‥ホントそうなのかもしれない。今以上に生きること大変だったろうな。
足軽は武士かなあ?
中間同様に卒階級じゃない?
今も昔もヒデェ
装備品チェックってゼネコン相手の飯場の手配師893が、人夫チェック入れてるみたいなもんやなw
今の新暦と旧暦では一月ほど差が出ます。赤穂浪士の吉良邸討ち入りは「師走半ばの十四日」となりますが新暦に直すと1703年1月30日。冬の一番寒い時期。
戦国時代、敵方の米や農産物を奪うのは定石なので1日でも早く収穫出来る様に品種改良が行われてました。
古くは平安時代の坂上田村麻呂の東北アテルイ討伐から東へ行く軍事行動の足跡に稲作の後があったとされてます(『梅干しと日本刀』樋口清之著)より
戦国時代に平民階級かそれ以下の人が稼ぐ命懸けの仕事だと言えます。夜中に戦場を駆け回り刀や鎧を剥ぎ取り、幸運が有れば大将の首を取るか匿って褒賞を得る人も。
侵略して、相手の領地で破壊、掠奪、虐殺、暴行?
令和の現代でも同じ事やってる国がありますよね?🇷🇺
次回『尻軽』
😂😂😂
てことは、必殺仕事人の中村主水のご先祖も足軽ってことですね。
「名主」って「みょうしゅ」ではなくて「なぬし」じゃないのかしら…。
「みょうしゅ」です。
名主と書いて,江戸時代の村役人の場合は「なぬし」と読み,荘園や公領のなかで名田を所有する農民の場合は「みょうしゅ」と読む。
キッズネットより
かしらネキ😊
なぜ、国芳の絵が多い?
現代でも招集動員されたら足軽と大差ない人権と自由は剥奪された者じゃなく物にされる…
なんで戦場に到着して安心しなくちゃいけねえんだよ(笑)
足軽は基本的に農兵で普段は農作業が殆ど。雑兵は戦さ時以外は完全な農民だ。藩主も武士達も足軽として通年雇う米や銭の余裕が無い。鎧や刀弓などは戦利品で自前で持っている。勝っても恩賞はわずか。負ければ全て失う。その為に乱取りが許されてる。戦さの時期は田植え期た稲刈り期以外は村で決められた人数が駆り出される。例外もあるが。
尻軽なら、いっぱい知ってるぞ❗
地上波で放送できる内容だった😅
略奪が一番の目的
乱取り無しには戦に参加はしないよ
織田軍は基本乱取り無しだった筈
@@user-ec9ek5pv2k
織田軍はその代わりしっかり雇用して金も出してたからですかね?
どっかで聞いた話なので間違ってたらごめんなさい。
@@perfect001shiki
その通り。
日本史上、初めての正規軍。
もし乱取りしたら、ノブノブ自らコロコロだし💦
@@user-ec9ek5pv2kノブノブに撫で切りにされるよ〜
農民が一時的に戦争に行く郷士みたいな人も沢山居たと思うけどなあ。
こんなことがきっと日常茶飯事だったんでしょうね
家康が重農主義にして戦争が起こらない政治体制に努めたのも納得ですね。
足軽=現代の日本人
名主は「なぬし」と読む
指落としたとき麻酔無しで手術してくれと頼んだらソレは無理と断られたw
このような時代の戦場での治療に近いことを体感してみたかっただけなのに。 せっかくだしw
もし麻酔なしで処置してくれたとしても現代の医療技術で処置するはずやから当時の戦場での応急処置の様な体験は出来なかったんちゃうかな?
マッドマックスやん😅
戦場に従軍してたのは外科医ではなく医僧だと思います。
簡単な外科的処置(傷口を酒等で消毒し傷口を縫うや血縛りという止血剤を使用する)が主だったらしい。
そして何故 僧 なのかというと身分の高い武将が亡くなったさいに極楽浄土に行けるように念仏を唱えるのが役目だったようです。
傷口は主に、馬糞を塗りたくっていたみたい、それか雑草を取り傷口に付ける、主にドクダミとかヨモギなど。
信長や秀吉は、略奪を禁止する代わりに足軽の待遇改善をしたのかな?
禁止だけしといてバーターとなる代案を出さないと、暴動が起きても不思議じゃないぞ
刈田・乱妨取りは中国では日常茶飯事・・
明治の元勲とかはさらに下の中間、小物。元勲が偉くなったので中間、小物まで士分。
・戦で負傷して傷口が痛む時は自分の小便を飲め。
・小便を温めて傷口を洗っても良い。
・葦毛馬の糞を水で煮て飲めば血が下がる。
無理です。
鼻詰まってる?
先祖は足軽だと聞かされたけど、その因縁があるからこそ
超反骨的な私が経営者になった所以なのかもしれぬ。
武田と上杉を例に出すのは適当じゃなく無い?
追伸、名主をみょうしと云う事もあるみたいです。
宮本武蔵も知らんのかな
そもそもヨーロッパの傭兵を知れば足軽が不幸自慢はできんよ
ロシアの囚人とか旅行者を雇うのと同じ理屈やんけ
略奪陵辱モノのエロゲーみたいな行為が普通に黙認されてた時代あったんやな。まぁ蹂躙して脳汁垂れ流せるまでの過程考えたら当然ちゃ当然か・・・
慢性鼻炎ですか?
足軽って今の派遣とか介護職と年収変わらないから面白いですね。いつの世も殺さず生かさずという階級制が出来ています。
この頃も、 " 天皇 " はいわゆる、ありがたい存在だったのだろうか... それなら " 万世一系 " にも意味はあろうが、天皇もへったくれもない時代があったのなら、庶民にとって " 万世一系 " に意味があるようには思えない。
なんか、浅かった
悪い意味で、若い人がその辺で売ってる本を見ただけの事を披露してる感じ
そりゃ投稿者の名前がガクの本棚やもん本棚の本見て披露しとりますわな。これ以上知りたかったらご自分でですわ
なんでこんな鼻が詰まった声なの?それが気になって集中できない。
みょうしゅ→❌
なぬし→⭕
「なぬし」は、江戸時代の村役人の呼び名です。
動画内での名主は「みょうしゅ」が正しい読み方です。
ですね、前半にコメントあげて、後半は「こっちは“みょうしゅ”やん(笑)」て思いました😁
私的な意見なんですが、木下藤吉郎についてですが、後の蜂須賀小六であったのではと考えてます。木こりであり馬廻りの信長の父の部下でその子二人とは信長と蜂須賀小六の二人、蜂須賀小六の息子は森蘭丸。そもそも信長は足利義輝に会いに行った後から包囲網にあいます。秀吉の話しとは信長と蜂須賀小六の話しであり、豊臣秀吉とは織田信長、羽柴秀吉とは蜂須賀小六でもおかしくありません。指が6本あったから第六天魔王を名乗ったのかもしれません。因みに長宗我部なんですが、頼朝直系の配下なので戦国武将とは言いません。国司落ちした一条家の六波羅探題みたいな武士だと思いますので多少忠義も違うんだと思います。
みょうしゅはないよな
名主「なぬし」こんな基本的なこと間違えるなんて
信憑性が疑われる。
「みょうしゅ」と読みます。
@@gakubook
恐れ入りますがこの名主について、時代別の読み方(対象の違い)の補足コメントを固定して頂けるとありがたいです
ch自体への安直な批判も、あまり見ていて気分のよいものではないので…
名主(なぬし)は江戸時代の豪農のこと。いわゆる庄屋と同義語ね。
名主は、なぬしと読むと国語大辞典に載ったます…。
百姓一揆